Entry
User: k_ryuto
一日の授業を終えて、スコールはやれやれと言う気分で校門を出る。
後ろをついて歩くのは、いつの間にかセットでの行動が定着していた、ティーダとヴァンだ。
時には此処に後輩のジタンが加わるのだが、今日は彼が所属している演劇部の活動日なので、彼はいない。
それでも後ろの会話が賑やかな事には変わらず、喧しい奴等だな、と思いながら、それもいつもの光景と慣れた足で家路につく。
高校入学を期に、生まれ育った街から離れたスコールであるが、一人暮らしをしている訳ではない。
入学先であった学校から程近い場所に、嘗ての幼馴染であり、兄代わり的存在であった青年が、社会人として暮らしていた。
彼のもとに下宿と言う形で住むことが決まり───と言うよりは、元々彼の傍に行くことを目当てにスコールは進学先を選んだと言う本音がある。
住み込ませて貰う事まで想定していた訳ではなかったが、しかし彼が傍にいるなら話は早いと、父ラグナの方から兄代わりの彼に連絡が取られた。
女子じゃあるまいし大袈裟な、と言う人はいるかも知れないが、だが父の心配の種は、強ち冗談ではないのだ。
何せスコールは、幼い頃に何度か誘拐未遂をされているし、中学生の頃にもストーカーめいた被害に遭っている。
兄代わりの青年もそれを知っているから、此方に来るのならいっそ、とラグナと彼との間で話はとんとん拍子に進んだ。
そしてあれよあれよと、近所住まい所か、スコールも密かな恋心を持ち続けていた事もあって、好きな人と一緒にいられる、と言う機会を手放す気にはなれず、同居する事が決まった。
それが一年と半年前の話になる。
そして、今年の冬の終わり頃から、スコールと兄代わりの青年───ウォーリアは正式に恋人同士となった。
幼い頃から密かに抱いていた恋心が、まさか叶う事があるなんて、スコールは思ってもいなかったから、今でも時々あれは夢なのではないかと思う。
だが、そんな事を考える度、ふとした折に彼が優しく触れてくれるから、ああ現実なんだと知る。
そんな風に、毎日を夢と現の境目にいるような気分に見舞われるスコールだが、学校帰りはとても現実的な思考になる。
何せ毎日の夕飯の支度はスコールの仕事だから、献立なり冷蔵庫の中身なりと、考えなくてはいけないことは幾らでもあるのだ。
実家で暮らしていた頃から家事はスコールの役目として定着していたので、放課後に入るなり、夕飯のメニューを考えるのは、最早癖のようなものだった。
(残ってたものは昨日全部使ったから、今日は大目に買い出しして……サラダも使い切ったな。スープは何を……その前にメインを肉にするか魚にするか……)
考えることが多い、とスコールは一つ溜息を吐く。
今週の頭に定期テストが入っていたから、その前週の食事は、専ら作り置きを利用し、足りないものは買い込んでいた冷凍食品やフリーズドライを使った。
スコールはそれ程食べる訳ではないし、ウォーリアも必要最低限のエネルギーが摂れれば十分という性質だから、それで食事量は上手く回すことが出来た。
しかし、一週間と言う、常を思えば少々長い期間、買い物の時間を削っていたので、そろそろ冷蔵庫の中は心許なくなっている。
非常食として置いているカップラーメンを開けても良いが、自分一人ならそれで良くても、同居人がいるとなると、やはり其方には気を遣うものであった。
主菜も副菜も当てに出来るものがないので、スコールは程なく考えるのを辞める。
取り敢えず、今日はスーパーに行ってから、必要なものを軒並み揃えて、その中から適当に考えても良いだろう。
財布の中身だけは確認しておかないと、としばらく開けていないその中身について思い出そうとしていると、
「あ、ウォーリアだ」
「……え?」
「本当だ。ほら、あそこあそこ」
ヴァンの言葉に、スコールが聞き違いかと思わず足を止める間に、ティーダが前を指差した。
彼が示した先には、きらきらと眩い銀糸を持った男が立っている。
傍らには、彼が毎日の出勤に使っている、黒の乗用車が停められていた。
見知った顔との遭遇に、ティーダが嬉しそうに走り寄る。
それにつられてヴァンが「行こうぜ」とスコールの手を引っ張って行くものだから、スコールはどうしてウォルが此処に、と言う混乱のまま、彼の下まで引き摺られて行った。
「ウォーリア、今帰りっスか?」
「ああ」
「スコールを迎えに来たのか?」
「ああ」
矢継ぎ早の少年たちの質問に、ウォーリアはそれぞれ頷いて答えた。
それを聞いたティーダとヴァンは、そうかそうかと言って、後ろに棒立ちになっていたスコールを前へと押す。
「そんじゃ、今日は俺達は此処までっスね」
「な……おい、」
「また明日な~」
スコールがまだ何も言っていない内に、友人二人はさっさと退散してしまう。
おい、とスコールの手は彷徨ったまま、半ば呆然として、スコールは二人の背中を見送る事となった。
取り残された形になってから、数十秒か。
我に返ったスコールが振り返れば、柔らかいアイスブルーの瞳が此方を見ていた。
不意を打ったように視線が交わったものだから、スコールは思わず言葉を失うが、ウォーリアの方は心なしか嬉しそうに口元が緩み、
「早く上がって良いと言われたのでな。君も今から帰る時間だろうとお思って、迎えに来た」
「……そうか」
「邪魔をしたかも知れないな。すまない」
「……別、に」
友人との放課後は、学生にとっては少しの自由時間となるものだ。
実際スコールも、友人たちに連れられて、ちょっとした散策に参加する事は儘ある。
その予定だったのならすまない、と詫びるウォーリアに、スコールは緩く首を横に振った。
ウォーリアが助手席のドアを開けてくれたので、スコールは車に乗り込んだ。
エンジンは切られていたが、此処に来てから間もなかったのか、車内は冷房が効いていて涼しい。
ふう、と冷風の心地良さに目を細めている内に、ウォーリアが運転席へと座る。
ウォーリアはエンジンをつけた車のウィンカーを点けて言った。
「何処かに立ち寄る予定があるのなら、其方に向かうが」
「……冷蔵庫の中身が空だ。スーパーに行く。夕飯も考えないといけないし」
第一ボタンを外したワイシャツの襟元で首回りを扇ぎなら、スコールは答える。
すると、ウォーリアは少し考えるように沈黙した後、
「では、今日は外食にしないか」
「外食?」
「ああ。その方が、君も準備や片付けをしなくて良いだろう」
「……まあ、それは助かるけど」
家事は自分の仕事として引き受けてはいるが、日々のそれを面倒に思わない訳ではない。
買い出しでも食事の用意でも、楽が出来るなら、それはスコールにとって有り難いことだった。
素直にそう答えれば、「では、そうしよう」と言って、ウォーリアは車を発進させた。
ウォーリアと一緒に暮らすようになって一年半、その内に外食した回数は非常に少ない。
ウォーリア自身は料理ができないこともあり、以前は外食やコンビニ弁当を食べることが多かったそうだが、同居を始めてからは、スコールがそれを一手に担う事もあり、殆ど機会がなくなった。
昼もスコールが自分の弁当を作るついでに用意するので、其方も行くタイミングは激減している。
同居を始めた頃は、まだお互いの遠慮もあり、スコールも勝手の分からないキッチンを使う事に躊躇いもあったので、何度か外食で済ませた事もあったが、もうそんな話もない。
久しぶりの外食に、何処に連れていかれるのかと思ったら、何処にでもあるチェーン店のファミレスだった。
品の種類が豊富だから、君も好きなものがあるのではないか────と選択の理由をウォーリアは語る。
別に好き嫌いはないし、何処でも良かったスコールだが、ウォーリアが此処を選んだと言うのが少し意外だった。
勝手ながら、少々敷居の高いレストランだとか、コース料理が出る所だとかを想像していたからだ。
だが、気楽に気兼ねをせずに、スコールが楽に過ごせる場所と言う意味で選んだのであるならば、スコールにとっては少し擽ったいものだ。
あくまでこの選択は、スコールの為を思ってのこと、なのだから。
どれでも好きに食べると良い、と言われて、スコールはパスタとサラダを頼んだ。
セットのドリンクバーも頼んでおくと、注文を取った後、ウォーリアが「私が行こう」と席を立つ。
ドリンクバーの使い方を判っているのか、となんとなく不安になって席から見守っていたスコールだが、ウォーリアは問題なく、炭酸ジュースと自分のコーヒーを持ってきた。
よくよく考えれば、スコールが家に来るまでは、こう言う店にも比較的頻繁に足を運んでいたのだ。
何処か浮世離れしている印象が消えない恋人であるが、余計な心配だった、とスコールはこっそり反省する。
夕食を済ませると、「デザートは要らないか?」と訊ねられた。
別に、いるかいらないかと言えば、“どっちでも良い”スコールであったが、なんとなくそれは口に出し難かった。
尋ねる恋人の視線が、酷く柔らかくて、小さな子供をあやしているようにも見えたからだ。
子供じゃないんだが────と思いつつも、多分これもウォーリアからの気遣いだろうと受け取って、アイスを一つ注文した。
程無く運ばれてきたアイスの冷たさに舌鼓を打ちつつ、
「……なんで急に外食しようなんて言い出したんだ?」
食べる所をずっと見られているのが落ち着かない気持ちもあって、スコールは間を埋めるようにそんな質問をしてみる。
ウォーリアは、二杯目となったコーヒーに口を付けていた所だった。
それをソーサーへと静かに戻し、長い睫毛を携えた目元を僅かに伏せて、
「先日まで、君は試験だっただろう」
「ああ」
「その間でも、君は家事を引き受けてくれている。その感謝は常に絶えないが、気持ちだけではどうなのか、と思ったのだ」
曰く。
元々の習慣として、日々のノルマ的に意識にあるものだから、スコールは試験勉強期間の最中も、家事は欠かさなかった。
作り置きを事前に用意し、保存食も活用し、手間を削って時短を優先してはいるが、準備も片付けも全てスコールが行っている。
台所仕事の他にも、掃除や洗濯も。
それはウォーリアよりも自分の方が時間の融通が利くから、家にいる時間が長いから、と効率を優先してのことなのだが、とは言え、其処に試験勉強も重なれば、いよいよ自分の時間が足りなくなる。
スコール自身は、試験期間中だけの話だと割り切っているが、とは言え、大変ではない訳でもない。
「私が君を手伝えれば良かったのだが、結局何も出来なかった」
「それは───別に、あんたの所為じゃないだろう。仕事だってあるんだし」
「君にも勉強がある。試験期間に限った話ではないが、私がもっと君の手を補える事が出来たら、と思うことはあるのだ」
「………」
俺が勝手に引き受けた事なんだから、気にしなくて良いのに。
スコールはそう思う傍ら、どうにも自分が要領が悪いものだから、ウォーリアには「大変そうだ」と言う印象を与えるのかも知れない、とも思う。
口の中に籠る言葉を誤魔化すように、アイスを口に運ぶスコールを見て、ウォーリアは続けた。
「恐らく私が悪戯に手を出しても、余計に君の手を煩わせてしまうだけだろう。今後、君を手伝えるように努力はして行きたいと思っているが……それはそれとして、先日の試験の間も家事を引き受けてくれていた君に、何か返せるものはないかと考えた」
「……」
「だが、これと言って浮かぶものがなかった。それならばせめて、君に楽をさせてやれないかと思って、外食ならば、片付けも準備も要らないだろうと。これは今日限りのことではなく、今後も機会を作れたらと思っている」
────つまり、この外食は、ウォーリアからの精一杯の気遣いと、感謝の形なのだ。
その事にスコールは、大袈裟な、と思いつつも、じんわりと胸の奥が温かくなる。
自分の仕事と割り切っていても、時には目が回りそうなこともあるし、面倒だと思う事は少なくなくて、優しい恋人はそんなスコールのことをちゃんと見ていたのだ。
そして、なんとかしてやりたいと思って、彼なりに見付けた方法が、この外食だった。
アイスも食べ終え、レジへと向かうウォーリアの後ろをついて歩きながら、確かに楽だった、とスコールは思う。
家事はスコールにとって仕事で、別に趣味だとか好きでやっている訳ではないから、しなくて良いのは非情に助かる。
ただ手料理をするより割高にはなるよな、と、環境柄、社会人の恋人に養って貰う立場となっている事が聊か頭を擡げるが、今はそれは追い遣っておくことにした。
駐車場へ出て、車に乗り込もうとすると、ウォーリアがそのドアを開けた。
助手席のドアを開けて待つウォーリアは、まるでレディファーストを心がける紳士のようだ。
女子じゃないんだけど、とスコールは思いつつ、じっとスコールの乗車を待つウォーリアの眼は、何処までも愛しいものを見る甘さを孕んでいて、文句を言う気にもならない。
スコールが車に乗り込むと、ウォーリアも運転席に座り、
「何処か寄る所はあるか?まだ何処の店も閉まっていないから、行ける筈だ」
足になってくれる、と彼は言う。
それじゃあ、とスコールは今日は遠慮しないことに決めた。
「スーパーに行く。明日の食べるものがない」
「了解した。他には?」
今日の夕食は外食で助かったが、明日の朝までそれが出来る訳ではない。
必要なものは買い足しておかないと、と言うスコールに、ウォーリアも頷いた。
その他にはないか、と訊ねて来るウォーリアに、スコールはしばし考えてみるが、
「後は……特にない。……それより、早く帰って、あんたとゆっくりしたい」
家に帰って、二人きりで。
遠慮をしないと決めたから、スコールは今日は目一杯、恋人に甘えたくなってそう言った。
顔が熱くなるのを自覚しながら、隣の恋人をそろりと見ると、綺麗な顔がじっと此方を見詰めている。
薄く開いた唇が、自分の名前を呼ぶのが聞こえて、スコールは体の奥がじんと熱くなった。
吸い込まれるように近付く距離は、すぐになくなって、二人の唇が静かに重なる。
とうに陽が沈んでいる上、この駐車場は広さの割に外灯の数が少ないものだから、車内は互いの顔を見るのが精一杯と言う暗さだ。
車内灯もつけていない今、車の隣か正面にでも来ない限り、人に見られることはないだろう。
だからだろうか、触れ合っていたのはほんの少しの時間なのに、スコールには随分と長く感じられた。
そう感じるのはきっと、じっと見つめるアイスブルーが、何処までも甘くて優しかったからだろう。
ゆっくりと唇が離れていく間、スコールは細めた双眸で、ウォーリアの顔を見つめていた。
ほう、と溶けた吐息を零した後、大きな手がスコールの頬を撫でる。
「では、行こうか」
このキスの続きは、家に帰ってから。
そんな声を聴いた気がして、スコールは小さく頷いた。
『スコールをべたべたに甘やかすウォーリア・オブ・ライト』のリクエストを頂きました。
迎えに来たり、外食に誘ったり、遠慮しがちなスコールにデザートを促したり。
全部含めて甘やかしてますが、一番は“助手席のドアを開けるWoL”だと思う(書きたかった)。
家に帰ったら、人目もない訳だし、存分に(隠喩)甘やかして欲しいですね。
酔っ払い気味の後輩から、「お前らは遊びが足りない」と言われた時には、まあ否定は出来ないな、と思った。
自分にせよ、括られたもう片方にせよ、遊戯的な物事について疎いのは確かである。
若者達の間であっという間に過ぎていく流行云々と言うのは、ビジネス的な某かに影響することであれば、新聞やニュース等と言った情報の中あから掻い摘む事はあるが、それそのものを追うことはしない。
元々、二人揃ってその手の事には興味が薄いものだから、理由がなくては調べる事もないのだ。
別段、それで日常生活が困る訳ではないし、必要な情報であればその時に仕入れれば良いと考えているので、疎くて当然ではあるのだろう。
が、共通の友人────ザックスとクラウドが口を揃えてそう言ったのは、“遊びに関する知識が足りない”と言う意味ではない。
単純に”遊ぶと言う事そのものが足りない”と言っているのだ。
休日はどちらかの家に行く事はあるが、揃って出不精と言えばそうなので、改めて出掛けようと言う話は稀である。
おうちデートも良いだろうけどさあ、と言ったのはザックスだったか。
其処で何をしているのかと訊ねられた二人は、よくあるのはそれぞれで本を読んでいる、と答えている(当然、あまり大っぴらに言うべきではない事もしてはいるのだが、後輩たちがそんな話を聞きたがる訳もないので、これは口にはしない)が、これがまたザックスには不満らしい。
なんで遊びに行かねえの、遊園地とか水族館とか、ゲーセンとか────赤ら顔で詰めて来るザックスに、なんでと言われても、と二人は顔を見合わせる。
恋愛の中身なんて人によって異なるもので、他人からどう言われようと、大して気にするものでもない。
当人たちが“これで良い”と思っているなら、それで十分なのだ。
だが、恋人たちの甘い時間と言うものが如何に大切か、相手が楽しめるように思い遣りながら過ごし、特別な一時を築くからこそデートと言う時間は大事なんだと豪語する酔っ払いに、クラウド曰くの”変な所で真面目なセンサー”が働いた。
主にはそれはセフィロスの方で、其処まで言うのなら試してみようか、と至ったのである。
こうして、セフィロスはレオンと共に、ゲームセンターと言う施設を訪れる事となった。
「───来た事は?」
入り口の前でそう訊ねたレオンに、セフィロスはふむ、と腕を組んで考え、
「プライベートでは初めて入るな」
「あんたらしいな」
自動ドアの向こうで、これでもかと煩い音を立てる沢山の筐体。
それをガラス越しに眺めながら言ったセフィロスに、レオンがくすりと笑った。
ゲームセンターは、セフィロスにとって未知のものに近い。
仕事の取引先に筐体の製造であったり、ゲームメーカーであったりがあるので、そう言う意味では無縁ではないのだが、こと仕事の類を外すと、めっきり遠いものになる。
存在は街のあちこちにあるのだから、その気配は感じるものだが、自分が其処に入る事はなかった。
仕事の一つとして、商品の納品チェックなどで入ったことはあるものの、其処で遊んで帰るような事もしない。
元々、ゲームの類に大した興味がなかったし、ゲームセンター特有の騒がしさも好きではない。
必然的に、足が近付かないものであった。
自動ドアが開くと、それだけで煩い音がよりはっきりと聞こえて来る。
自然に眉間に皺が寄ったセフィロスだったが、今日は此処で過ごすのが目的だ。
険しい表情のまま、店内へと入ると、先ずは大きなぬいぐるみを山にしているプライズゲームが迎えてくれる。
つぶらな瞳で見詰めて来る、犬モチーフのキャラクターを横目に見つつ、「取り敢えず回ってみようか」と言うレオンに従って、セフィロスも筐体の隙間を通路に歩いて行く。
高いトーンのアナウンスが聞こえて来るプライズゲームを横目に見ながら、セフィロスは前を歩くレオンに訊ねる。
「お前は、こういう場所は慣れているのか」
「いや、そう言う訳でも。ただ、弟たちと一緒に来る事が偶にあるからな。少なくとも、お前よりは判る」
そう言ったレオンの弟と言えば、確か高校生だった。
仲の良いもので、休日は一緒に出掛ける事もあるそうで、となれば学生がよく遊び場にしているような所を使う事もあるのだろう。
レオンの背中を黙々とついて行くと、ビデオゲーム類のコーナーに着いた。
「どうする、セフィロス。どれか遊んでみるか?」
「ルールが判らん」
「そう難しいのはないと思うぞ。でも、判り易いものとなると、そうだな……音ゲーなんかはどうだ?」
おとげー、とは。
セフィロスが首を傾げている間に、こっちだ、とレオンが移動する。
誘導される形でセフィロスがそれについて行くと、周囲の喧騒に負けまいとばかりに、一際大きな音を立てている筐体があった。
筐体の液晶画面には、ゲームのチュートリアルがデモ映像として流れている。
画面の上から落ちて来るアイコンが、下部にあるラインの所に来たらボタンを押す。
落下して来るアイコンは複数のレーンに分けられており、流れて来る曲のリズム合わせ、ボタンタッチのタイミングがリンクされていた。
レオンは、でも画面が一通り流れ終わるのを待ってから、セフィロスに声をかける。
「どうする?一度やってみるか」
「……そうだな」
何事も体験であると、セフィロスは頷いた。
1プレイ分の料金を筐体に入れると、デモ画面が終了し、ゲーム画面が立ち上がる。
難易度の設定はレオンが行い、キャラクターの選択画面は、セフィロスにはよく判らないまま時間一杯をかけて通り過ぎた。
一応、レオンから「これで選択、これで決定」と操作を教わったが、そもそもキャラクターを選ぶ必要性が判らなかった。
それについてレオンに訊ねている間に、初期選択キャラクターのまま、その画面が終了している。
ステージ選択として、大量の曲がリストされているのを見て、ほう、とセフィロスは呟いた。
「随分と多いな」
「ああ。昔は一つの筐体に詰め込めるメモリの限界で、選べる曲も決まっていたんだが、今時はゲーセンのゲームも、インターネットと繋がっているからな。別管理されているデータを、ネットを経由して引っ張って来れるから、過去作品で出した曲なんかも、全部選べるようになっているんだ」
「聞いたことのない音楽ばかりだ。……このゲームのオリジナルか?」
「殆どはこのゲームの為に作られたものなんだが、版権曲もあるぞ。初めてやるなら、そっちの方が判り易いだろう」
レオンはボタンをタッチして、曲を選び、決定を押す。
曲タイトルには、セフィロスが行き付けの喫茶店でよく耳にする、クラシックの曲が流れている。
画面が切り替わり、チュートリアルのデモ映像で見た、レーンの並んだ画面が映る。
落ちて来るぞ、とレオンが言ったので、画面の上の方を見ていると、アイコンがぽつぽつと降りて来た。
「これを見ながら、タイミングよくボタンを押す」
「ふむ」
ぽん、ぽん、ぽん、とアイコンがラインに重なるタイミングで、レオンがボタンを押す。
筐体には複数のボタンが並んでおり、レーンの一つ一つを担当していた。
試しに此処をやってみろ、とレオンがセフィロスの手を誘導したのは、レーンの真ん中にあるボタン。
セフィロスはアイコンが落ちて来るのを見ながら、ボタンを押した。
中々にタイミングがシビアなようで、アイコンとラインが重なったと思って押しても、画面には「MISS!」の文字。
押す瞬間を微妙に早めたり、遅らせたりと試していると、どうやらアイコンがラインと重なる一瞬前が最もベストなタイミングのようだ。
視覚情報に頼ってタイミングを測っていると、認識から脳へ、脳の命令から腕の筋肉の伝達の速度が、それぞれラグを起こすのかも知れない。
一つ曲が終わる頃に、セフィロスはなんとなくタイミングを掴んできた。
スコアの方が全く伸びていないのは、真ん中のレーン以外のアイコンを無視したからだろう。
画面は曲リストに戻り、二曲目をレオンが選びながら言った。
「あんたは耳も良いから、そっちも当てにしてみると良い」
「ああ、曲とタイミングが合うんだったな」
「次は……そうだな、もうちょっとリズムの取り易い曲にしよう」
そう言ってレオンは、版権曲を選択した。
流行の曲だから知ってるだろう、と言ったそれは、セフィロスもラジオやCMで聞いた事のあるものだ。
伴奏が流れ出し、落ちて来るアイコンを見ながら、セフィロスはボタンを押す。
曲を聞けと言われたので、セフィロスは耳を欹てていた。
落ちて来るアイコンのタイミングを、耳から聞こえる曲のリズムに合わせながら押すと、確かに段々と「Good!」の判定が増えていく。
────真剣な表情でゲームに挑んでいるセフィロスを、レオンは微笑ましいものを見守る気持ちで眺めていた。
その光景は、セフィロスと言う人間を知っている者ほど、酷く可笑しいものに見えたに違いない。
社内一と言っても過言ではない美丈夫が、ユニークなキャラクターが躍るゲーム画面に合わせ、ポップな筐体の大きなボタンを押している。
遊び方が全くの初心者だと判る、1ボタンをぽちぽちと押しているものだから、なんと微笑ましいことか。
弟達と遊びに来ると、慣れたプレイヤーが、手が分裂しているのではないかと思う程の速度でボタンを叩いている所を見ているだけに、この初々しさはレオンにはなんとも言えない可愛らしさに映る。
ザックスやクラウドが此処にいたら、写真の一枚くらいは撮って行ったに違いない。
曲が終わってスコア画面に移行すると、相変わらず1ボタンのみを押していたので、合格ラインには全く届いていない。
しかし、判定数の記録には、ミスが減り、ベスト判定が増えていた。
その記録画面も終わると、ゲームはタイトル画面へ戻って、デモ映像が流れ始める。
「……と、音ゲーと言うのはこう言うものだ。中身には色々あるが、概ねルールは共通だろう。難しい曲ほど、さっきのアイコンが大量に流れて来て、目も手も忙しくなる。それをクリアするのが面白い、と言う訳だ」
「勉強になった。あいつらはこれが楽しいのだな」
此処に来る切っ掛けとなった後輩たちを指して言うセフィロスに、多分な、とレオンは言った。
他にも見てみよう、とレオンの先導で、セフィロスはフロア内を一周した。
先のものとは違う音ゲーム、格闘ゲーム、クイズゲーム、シューティング────どれもがセフィロスには初めて触るものばかりだ。
セフィロスは、レオンがルールが説明できるものを選んで、それらを一通り触ってみた。
シューティングや格闘ゲームは、操作を理解する前にコンピューターにやられてしまう。
クイズは設問ごとの時間制限に引っ掛かって二回分のお手付きを使ったが、決められた二十問はクリアした。
レーシングゲームは二人での対戦ができると言うので、それなら、とレオンにも筐体に座らせている。
レオンは操作の判らないセフィロスに一つ一つ教えながら走った為、雰囲気はとてもレースとは言い難く、二人寄り添ってゴールテープを切った。
ビデオゲームのコーナーを一通り歩いたので、今度はプライズゲームのコーナーに行く。
プライズゲームと言えば、セフィロスにとってはUFOキャッチャーのイメージだったのだが、
「……随分色々と形があるな」
「ああ。景品の置き方も色々あるぞ。あれは運ばなくても良い、落とせば取れる奴だ」
レオンが指差した其処には、景品口と繋がる穴の上に、橋のように渡された棒が二本。
その棒の上に、箱に入った景品が置かれ、一辺に取っ手がついていた。
「あそこを掴めば良いのか」
「まあ、それでも良い。それで持ち上げるなり、倒すなりして、下に落とせば景品が手に入る」
「……」
「試してみるか。結構難しいぞ。取れなくて意地になっている奴をよく見かける」
じっと筐体を見詰めるセフィロスに、レオンはそう言ったが、それは冗談も混じっていた。
橋に乗った景品は、有名なゲームのフィギュアだったが、セフィロスの興味の対象ではない。
取るにしろ取れないにしろ、もうちょっと使い道のあるものでも、とタオルか何かないかと探していたレオンだったが、
「試してみよう」
「本気か?」
「いけないか」
「いや、別にそう言う訳じゃないんだが……何もこれじゃなくてもと思って」
「よく判らんからな。どれでも構わん」
セフィロスの言葉に、あんたが良いなら良いけど、とレオンは筐体にコインを入れる。
入金の音が鳴り、アームがピカピカと光って、操作可能になったことを知らせた。
縦横に動くボタンを教えると、セフィロスがそれに倣ってボタンを押した。
決められた回数分だけアームが動けば、後は自動で上下運動を行う。
効果音を鳴らしながら動くアームは、ボタンを押している限り、端に行くまで動き続けた。
端から端までアームが行きつくところまで動かして、ようやくセフィロスがボタンを外すと、アームはゆっくりと下に下り、何もない場所を掴んで、元の位置へと戻って行った。
もう一度アームを動かせるようだが、セフィロスはふむ、と考える仕草をして、
「レオン。見本が見たい」
「見本?俺は別に上手くないぞ」
「やった事はあるんだろう」
「一応は……」
「なら問題あるまい」
見せてくれ、と言ってセフィロスはレオンに場所を譲る。
レオンは仕方ないと言う表情で、ボタンに手を伸ばした。
レオンの操作で動いたアームは、中々上手く景品の上で止まったが、取っ手を掴むことは出来なかった。
アームは景品の箱の横腹を掠め、少し置き場所がズレただけ。
慣れた人間ならともかく、俺には取れないだろうなと言って、レオンはゲームを終了した。
「……と、まあ、これはこんな感じだな。上手いやつは二、三回も遊べば、取る事が出来るかも」
「必ず取れる訳ではないようだな」
「ああ。それじゃ店側も商売あがったりだろうしな。上手く取れた時が嬉しい、と夢中になる奴もいるぞ」
「成功体験か。しかし、少々ギャンブル性があるようだな」
「まあな。それに、景品も少し特殊なものも多くてな。こう言う系統でしか手に入らないグッズと言うのもあるんだ。これなんかも、多分そういう類だろう」
景品のフィギュアを指差して言うレオンに、成程、とセフィロスは頷く。
そろそろ周囲の音の喧しさで耳鳴りがする、とセフィロスが呟いたことで、ゲームセンターを出る事にした。
外に出て、自動ドアも閉まると、あれだけ煩かった音が遠退いて、行き交う車さえも静かに感じられる。
試しに、と言う気持ちでそれなりにゲームを触ったからか、二時間ほどが過ぎていた。
適当に静かな店に入って休む事にして、宛てになりそうな店を探す。
その傍ら、レオンはセフィロスに感想を訊ねた。
「どうだった?初めてのゲームセンターは」
「やはり煩いな。色々と勉強にはなったが」
セフィロスの発した単語に、ふふ、とレオンは笑う。
「俺もあの音の大きさはあまり得意じゃないからな。やっぱり、俺達が何度も来るような所じゃない」
「あそこでいつまでも遊べる奴等の気が知れん」
「やっぱりゲームが好きなんだろう。俺達は、そこが先ず無いからな」
やはり自分達には、静かな場所で落ち着いて過ごす方が性に合っている。
セフィロスは、それがはっきしりただけでも、今日の勉強代としては十分だろうと思う事にした。
また飲みの席で酔っ払いたちが同じ話でも始めたら、今日の結論を伝えれば良い。
と、それはそれとして、セフィロスは自分の所感を着地させていたが、もう一つ気になる事はある。
「お前はどうだったんだ、レオン」
「俺?」
「一応、これはデートだからな。お前がどう感じたかも重要だ」
今日のこの予定は、セフィロスの興味からのもので、レオンは付き合ってくれたようなものだ。
とは言え、二人きりの休日ではあるので、デートとと言えばデートだろう。
セフィロスの言葉に、レオンは“デート”と言う単語にか、今更ながら意識したように少々顔を赤らめつつ、
「……俺は、まあ、悪くはなかった。微笑ましいものも見れたしな」
そう言って蒼の瞳を細め、思い出した光景にくつくつと笑うレオン。
彼が何を見たのか、何を思い出しているのかセフィロスには判らなかったが、それでも彼が楽しかったのならそれで良いかと思うのだった。
『セフィレオ』のリクエストを頂きました。
ゲームセンターに行かせてみた。セフィロスにしろレオンにしろ、自分達だけで先ず行かないだろうな、と思う。
音ゲーはアレです、ポップな奴。あれのボタンをぽちぽち押してるセフィロスが見たいなと思って。
レオンの方は、学生時代に友人後輩に連れられてとか、今なら弟と出掛けた時には行く機会があるので、一緒に遊んだことのあるゲームはやり方を知ってる。ただジャンルごとにあるような専門用語(ノーツなど)は知らない程度のゲーム知識。
相変わらず、傍から見るとデートか?と言う過ごし方だけど、本人達は満足しています。
目が覚めた時、酷く体が重かった。
まるで長い間、重石にでも浸けられていたかのような怠さで、起き上がろうとするのも面倒に感じる。
しかし今日の予定は詰まっているから、起き上がらねばなるまいと思って、出来なかった。
頭の奥がくわんくわんと揺れているような感覚があって、ああ多分これは駄目だ、と思った。
何がどう駄目なのか、と言う理屈まで考えることは出来なかったが、感覚的に駄目だ、と言う結論が見えたのだ。
取り敢えず、この泥沼に沈んでいるような感覚が消えるまでは、碌に動ける気がしなかった。
────二日前の話だ。
一人索敵に出ていたスコールは、南北の大陸を繋ぐ細道の袂で、複数のイミテーションに遭遇した。
両陣営の境目でもある其処で退く訳にはいかない、これ以上の数が増える前に殲滅するのが良策であると判断し、戦闘を開始する。
イミテーションの練度はバラバラで、一発で仕留められるような物もあったが、その奥には司令塔を担う皇帝のイミテーションがいた。
本物とよく似て、いやらしいトラップ魔法を幾つも仕掛けるそれを倒す為、スコールは少々の無茶を押し通した。
敢えてトラップを避けずに突き進み、逃げようとするターゲットに最短距離で肉薄する。
こうしてイミテーションの群れは、一体残らず殲滅したのだが、その時に少々深手を負ったのだ。
勿論、そのまま放置していた訳ではなく、応急処置を施して屋敷に戻ることにしたのだが、皇帝のトラップ魔法と言うのは、後から効いて来る代物もある。
恐らく、毒魔法と掛け合わせて仕込まれていたのだろうその効果が、帰還した後になって、じわじわとスコールの体を蝕んだのだ。
帰還してから一夜が過ぎ、毒は体をすっかり巡り、発熱と言う形でスコールの体を苦しめた───と言う訳だ。
……それから次にスコールが目を覚ました時、部屋の中は薄暗かった。
傍らには、タオルを絞っているフリオニールがいて、スコールの看病をしていた。
ベッドの住人が目覚めたことを知ったフリオニールは、急いでバッツを呼びに行き、容体を診せる。
バッツはスコールの様子をよくよく観察した後、
「うん、大丈夫そうだ。毒ももう抜けてるしようだし」
「そうか。良かった」
「微熱っぽい感じもするけど、昨日に比べれば全然マシだ。これも直に下がるんじゃないかな」
バッツの言葉に、本人以上にほっとした様子で、フリオニールは胸を撫で下ろす。
一応これは飲んどいてな、とバッツは煎じた薬を置いて、スコールの部屋を後にした。
残ったフリオニールが椅子に座り、ベッドヘッドに背中を預けて座っているスコールを見て笑みを浮かべる。
「昨日は中々熱が下がらないから心配したよ」
「……そんなにか」
「氷嚢が足りなくなるんじゃないかと思った」
フリオニールはそう言うが、スコールは全く思い出せない。
酷い高熱に魘され、毒も回って意識がほぼなかったのだから無理はないだろう。
しかし、肩やら腕やら、背中やらが痛むのは、恐らくその所為なのだ。
意識朦朧として、寝返りも打てない程に重くなった体は、ただただベッドに預けるしか出来ず、その内に体の筋肉が固まってしまったのだろう。
少し体を動かして解したい、と思うスコールだったが、
「今日の所は、まだ大人しくしていた方が良いぞ。ぶり返す可能性もあるからって、バッツが言ってたからな」
「……判った」
バッツがそう言うのなら、今日の所はあまり動かない方が良いだろう。
そうしないと、よく効くから早く治る、と言って、酷く苦い薬を飲まされることになる。
今サイドテーブルに置かれて行った薬だって、彼の手ずからもので、恐らく苦いだろうと想像がつくのに、それ以上のものは御免被りたい。
それでもせめて柔軟くらいはしないと、体のあちこちが痛くて、ゆっくり休める気がしない。
横になった状態で出来るものがあったよな、と思い出しつつ、布団を引き上げる。
そんなスコールに、フリオニールは「着替えた方が良いよな」と、予備の寝間着を渡した。
「飯は食べられそうか?」
「……腹は減ってる」
「はは、昨日は水しか飲んでないもんな」
空腹を感じる、食欲があるのなら十分だと、フリオニールは言った。
着換えを終えたスコールは、ベッドに横になって、布団の中でごそごそと体を動かしてみる。
出来れば立ってやりたかったかが、バッツと言い、フリオニールと言い、まだベッドから抜け出すことは赦してくれそうにない。
肩と背中だけでも解せばマシになるだろう、と寝返りを打った所で、ふと見下ろす紅を見付ける。
スコールを見詰めるフリオニールの表情は柔らかく、ほんのりと甘い。
恋人同士と言う関係になって以来、二人きりの時に彼がそんな顔をするのは珍しくはなかったが、正面からそれを見付けてしまうと、どうしてもスコールは意識してしまう。
見なかったふりをして反対側に寝返りを打つと、今度は其方に戻るのが難しくなった。
猫の伸びのように腕を伸ばして気分を誤魔化していると、項にかかる髪を払う指の感触を感じ取る。
「……良かった。元気になって」
零れたその声は小さくて、ひょっとしたら独り言だったのかも知れない。
けれども、聞こえてしまうと勝手に耳が熱くなって、スコールは胸の内を隠すように蹲る。
温度を確かめるように、フリオニールは何度もスコールの首筋に触れた。
覚えていないが、相当な高熱だったと言うから、昨晩はかなり汗を掻いたのだろう。
後ろ髪の生え際が少し湿っているような感覚があって、そこに髪がまとわりつくのが鬱陶しいのだが、フリオニールが指を滑らせる度、隙間が空いて肌が外気に触れる。
じわじわとしたくすぐったさに首を竦めても、フリオニールはただの身動ぎにしか見えないのか、滑る指は離れなかった。
フリオニールの指は、その背でスコールの首横を撫でて、耳元を掠めた。
とくん、とスコールの胸の内で鼓動が一つ、高鳴る。
そろ、と振り返ってみると、やはり甘くて柔いルビー色が、じっとスコールの顔を見つめていた。
(……あ、)
その目が、色が、ほんのりと熱を持っているのを見付けて、またスコールの鼓動が鳴る。
久しく重ねていない熱の記憶が蘇り、じんじんと体中に広がって行くのが判った。
スコールに熱を呼び覚まさせた当人はと言えば、何処までも優しい表情で見下ろしている。
相当な心配をかけたのだろうと思うと、俄かに申し訳ない気持ちにもなって、目を反らし続けているのも聊かばつが悪くなった。
もう一度寝返りをして、フリオニールと向き合うポーズになると、柔い瞳が愛おしそうに細められる。
「……フリオニール」
「ん?」
「……悪かった」
心配と手間と、恐らく随分とかけたのだろうと詫びれば、フリオニールは眉尻を下げて笑う。
良いよ、と言葉なく告げながら、フリオニールはスコールのまだほんのりと高い体温を確かめるように、何度もその頬を手のひらで撫でた。
新陳代謝が良いのか、フリオニールの体温は、スコールの体温よりも少し高いものだった。
それが今はスコールが微弱ながら発熱している所為だろう、頬を撫でる手が僅かにひんやりと感じられる。
温かい彼の体温が好きなスコールにとっては少々残念だったが、しかし今はこの手の冷たさも心地良い。
「夕飯は消化の良いものにしような」
「……あんたが作るのか」
「うん」
「……そろそろ作り始めないと、間に合わないんじゃないのか?」
「ああ、いや。皆の飯はもう作ってあるんだ。だからこれから作らないといけないのはスコールの分だけだし、そう時間はかからないと思う」
「……」
「スコールは、ちゃんと目が覚めてからじゃないと、食べれる状態かも判らなかったしな。まあ、先に何か作っていても良かったんだけど……」
フリオニールの言葉に、気を遣わせているな、とスコールは眉根を寄せる。
そんなスコールを見て、フリオニールは殊更優しく、火照りぎみの頬を撫で、
「……スコールが起きるまで、俺が此処にいたかったんだ。目が覚めた時、すぐに気付けるようにって」
秩序のメンバーの半数は、傷病人の看病と言うものに慣れている。
科学レベル、医療レベルの差により、知識はそれぞれ分野で差別化されるが、一般的な手法は何処もそう変わらない。
毒の心配があった時にはバッツやセシルに看病を任せるしかなかったが、それも落ち着いたら交代を申し出た。
氷嚢を用意したり、体を拭いてやったりと、フリオニールもその位のことは出来る。
熱に魘されるスコールの様子は見ていて辛いものではあったが、僅かに目を覚ました時など、すぐに求めるものに応じれるようにしたかった。
そうして甲斐甲斐しく看病したお陰で、スコールは無事に山を越えたのである。
そう言えば、時折ふっと意識が浮上した時、フリオニールの声を聴いたような気がする。
熱に魘された頭は、それを夢だと認識していたが、ひょっとしたら、本当に彼の声だったのかも知れない。
(……あまり覚えてないけど)
朧な記憶を、今になって酷く勿体無く思う。
もっとはっきりと覚えていれば、頬に触れる手が酷く大切そうに撫でる理由も、もっと判ったかも知れないのに。
頬から離れようとしない手に、スコールはそうっと自分の手を重ねた。
ぴく、とフリオニールの指が微かに震えたが、構わず柔く捕まえて、掌に唇を宛がう。
微かに舌先を出して、皺のある場所を舐めてやると、
「……スコール」
「……」
「駄目だぞ」
恋人の甘い誘いを、フリオニールはきちんと受け取ったようだ。
その上で、駄目だ、としっかり釘を刺してくれる彼に、スコールは拗ねた顔を浮かべる。
「まだ熱があるんだぞ」
「……平気だ」
「駄目だ。……ちゃんと治ってからにしてくれ。無理させたくない」
フリオニールのその言葉は労わるものであった。
が、スコールはと言うと、そうか無理をさせられるのか、と独り言ちる。
それ位に、フリオニールの方も、スコールの事を求めてくれているのだと思うと、面映ゆい。
「……判った。今日は寝る」
「ああ」
「……それまで、……」
「うん」
スコールが俄かに口を噤んでも、フリオニールはその先をきちんと理解してくれる。
此処にいるよ、と言って、頬に触れた手がまたゆっくりと肌を撫でた。
『フリスコ』のリクエストを頂きまして。
リク下さった方が病み上がりと言う事で、病み上がりでいちゃいちゃするフリスコが浮かんだのです。
治ったら存分に無理させてくれると良いと思います。
馬鹿みたいに暑い日、と言えば一番わかり易いだろう。
ニュースで連日のように報道される、都市部の最高気温と言うものは、日に日に上がり続けていた。
熱中症にご注意を、と言うのが最早締めくくりの言葉として当たり前にもなっていて、ロックはそろそろ聞き飽きた位だ。
そんな日々でも人々の生活は変わらず回り続けているから、どんなに嫌でも、どんなに面倒でも、仕事はしなくてはいけない。
寧ろ、キッチンカーであちこちを回りながらジェラート売りなんて仕事をしていれば、こんなに暑い日々だからこそ売れるもので、書き入れ時と言えばそうだった。
しかし、狭いキッチンカーの中はどんなに冷房を運転させた所でタカが知れている。
あの一畳ほどもない車内で、あくせく働いていれば、外歩きのサラリーマンと同じ位の汗も出る。
それに、確かにこう言う商売をしている人間にとって、暑さは寧ろ客の呼び水にもなるのだが、灼熱のフライパンと化した外界に積極的に出ようと言う者は減るものだから、大盤振る舞いできる程の儲けにはならないのだ。
この数週間、うだる暑さに誰もが辟易し、外出するなら午前中で、と言う風潮が出来上がっていた。
午前は蒸し暑さは残っていても、まだ地面が熱されきっていないので、太陽が昇り切った後よりは活動がし易い。
多くの人はそのつもりで、午前中にやるべき事をやり、暑さが本格化する午後は、空調の効いた屋内で過ごしている。
賢い生き方だ、と今日も蒸し風呂になりつつあるキッチンカーの中で、ロックはそんな事を思う。
今日のキッチンカーは、ショッピングモールの一角を借りていた。
そこは少し広めの公園もあって、快適な季節であれば、昼間は子供を連れた家族、午後から夕方にかけては学校帰りの学生がよく利用する。
しかし、広々とした空間が作られているお陰で、其処には主だった屋根がなく、夏は遊具でさえ焼きゴテのような暑さになってしまう。
木材作りであるものはまだマシだが、金属を塗装したような大型遊具は触れたものではなかった。
この為、当然ながら今日の客足も伸びがなく、ロックはせめて屋根のあるモール内に入れて貰えば良かったと、この夏何度目かの後悔をする。
車内にいると熱がこもって仕方がないので、ロックは束の間にキッチンカーを下りた。
冷凍庫から出して五分ほど経ったスポーツドリンクは、この暑さで短時間のうちに程好く溶けて、表面に沢山の結露が浮いている。
溶けだした分を早々に飲み干し、頭に巻いていたバンダナを解いて汗を拭いていると、
「今日はもう終わりなのか」
聞き慣れた声が聞こえて、振り返ると、蒼灰色の瞳が此方を見ていた。
自然と口元が緩むロックに、蒼は物静かな光を湛えて、じっと返事を待っている。
ロックは口に含んでいた水を飲み干すと、「いいや」と言った。
「車の中が地獄でさ。少し涼んでたんだ」
「……確かに、暑くて狭苦しそうだな」
トラックを改造して作られたキッチンカーを見て、制服姿の蒼い瞳の少年───スコールは言った。
その目が冷え冷えとしたジェラートのショーケースに向けられているのを見て、ロックは解いたばかりのバンダナを巻き直す。
「食うか?」
「……ん」
小さく頷いたスコールに、よしよし、とロックはキッチンカーへ戻る。
スコールが注文をする前に、ロックはアイスカップを一つ取った。
平日で三日に一回の頻度でこのショッピングモールにやって来るジェラート屋に、スコールは必ずやって来る。
最初は友人に連れられてやって来ていたのが、いつの間にか一人でも買いに来るようになって、ロックともぽつりぽつりと会話を交わすようになった。
その際、彼は必ずジェラートを買ってくれるのだが、器にはコーンとカップの内、必ずカップを選んでいる。
友人のように食べるのが早くないとかで、コーンは食べている内に溶け出してしまい、手が汚れるのが嫌なのだとか。
スコールは、車体分高い位置にあるショーケースをじっと見つめ、どれを食べようか選んでいる。
フレーバーは定番のものが8つ、週によって替えているものが2つあって、スコールは大抵、定番のものと変わり種とをダブル仕様にしていた。
「……ショコラとブラッドオレンジ」
「あいよ」
注文を受けて、ロックはショーケースの蓋を開ける。
ヘラで掬い取ったジェラートを、カップに盛り付ければ、二色の三角形が出来上がった。
支払いを済ませ、ほい、と腕を伸ばして差し出すと、スコールはそれを手に取って、早速口を付ける。
ブラッドオレンジの酸味と甘味の効いた、心地良い冷たさに、スコールの眉間の皺がほうっと緩んだ。
他に客もいないし、とロックはまたキッチンカーを降りる。
車体に寄り掛かって水分を補給しながら、立ったままジェラートを食べているスコールを眺め、
「学校はもう夏休みだっけ」
「……ん」
「でも制服ってことは───補習?」
「……」
「お前に限ってそんな訳ないか」
ロックの言葉に、解けたばかりの皺を再度寄らせるスコール。
判り易く不服を見せる少年に、その優秀ぶりを知っているロックは、ははは、と笑って撤回した。
「夏期講習か何かか?」
「……ああ」
「大変だな、学生は」
「……こんな所で客も来ないのに商売してる奴には負ける」
「そりゃどうも。でも客は案外来るんだぜ。まあ、暑いから皆ここまで出て来ないのも確かだけど」
やっぱり来ないんじゃないか、とスコールの目が胡乱に細められる。
全く来ない訳ではないんだから嘘じゃない、とロックは付け足した。
広いショッピングモールを囲う街路樹からは、朝からセミが元気に羽根を震わせている。
たまにキッチンカーの背中にも留まるものだから、その時は煩くて仕方がないのだが、今日は距離があるだけ随分とマシだ。
それより如何ともし難いのはこの暑さで、ロックは佇む少年の肌が赤くなっているのを見て、パラソルでも用意した方が良いかな、と考える。
「スコールの所の学校は、教室に空調はあるのか?」
「ある」
「そりゃ良い。バカみたいに汗掻きながら勉強しなくて済むんだな」
「……教師がクーラーつけて良いって言わないとつけれない」
「あー、そういう決まりがあるのか。でも、この暑さだと流石にOKするだろ?」
「まあ、一応。でも設定温度が高いから、どうなんだか」
「何度?」
「人によるけど、一番高い奴は、30度」
「なんだそりゃ。点けてる意味ないじゃないか。勉強どころじゃないなぁ」
「だから空調のスイッチに近い席の奴が、こっそり下げてる」
それは賢いやり方だ、とロックは笑った。
教師は教師で色々と考えて方針を決めているのだろうが、生徒としては、ただでさえ面倒な勉強に加え、下手な我慢大会の開催は勘弁して欲しいものである。
ショコラとブラッドオレンジのジェラートを、スコールは味を楽しむように交互に食べている。
きちんと味を分けて堪能しているスコールに、何度目の来店だったかの時、「混ぜても良いんだぜ」とロックは言った。
違う味を混ぜて、新しい風味を楽しむのも、ジェラートをダブル・トリプルで食べる時の醍醐味だ。
とは言え、別々に食べて味わうのも勿論良いものなので、ロックはあまり食べ方に口煩くはしたくなかった。
それより、とロックはふと思い出し、
「そうだ。新作を作ってる所なんだけど、ちょっと試しに食べてみてくれないか」
「……新作?」
「ああ。まだ店には出せないんだけど、誰かの意見が欲しくてさ」
ロックは再度キッチンカーに戻ると、キッチン台下の冷凍庫を開ける。
客待ちの間に新作研究をしようと思って、自宅から持って来ていたのだが、この暑さでやる気をなくし、ただただ冷やされていたボウルを取り出す。
其処には濃いピンク色に、所々に粒が入ったジェラートが入っていた。
冷え切って固くなっているジェラートをヘラで程好くなるまで解し、プラスチックスプーンで一掬い。
ほら、とカウンターから腕を伸ばして差し出すと、スコールは持っていたスプーンはカップに差し、ロックの手から試作品を受け取った。
スコールは何の味なのか、警戒するように一口分のジェラートをしげしげと眺めていたが、暑さにゆっくりと溶けだす表面を見て、思い切ってぱくりと口に運ぶ。
「……なんだ、これ」
「どうだ?」
「……少し酸っぱい。なんか、プチプチしてて……?」
フレーバーの正体が判らないからか、スコールの表情は怪訝なものになっていた。
一体何を食べさせられているのかと、早く答えを寄越せと視線を向けられて、ロックは手元のボウルを混ぜながら答える。
「桑の実なんだ。ジャムにして混ぜたんだよ」
「クワの実……」
「一応、ベリー系だな。さっぱりしてるから、夏に良いんじゃないかと思ったんだけど」
どうだ?と訊ねるロックに、スコールは考えて、
「……俺は、そんなに嫌いじゃない」
「おっ。じゃあ、もうちょっと仕上げて、来週あたりに出してみるかな」
ロックの言葉に、スコールの目が分かり易く輝いた。
言葉は酷く少ないのに、存外とお喋りなその瞳に、ロックは噴き出しそうになるのをなんとか堪える。
プライドの高い少年は、周りの大人が思う以上に、地雷が沢山あるのだ。
うっかり怒らせてしまわないようにと、ロックは努めて平静を装いながら、ボウルを冷凍庫へと戻した。
ほんの五分程度、キッチンカーの中にいただけだと言うのに、シャツの中はもう汗を掻いている。
環境柄、致し方のない事とは言え、もう少し涼の取り方を考えないと、いつか倒れてしまいそうだ。
キッチンカーを降りながら、どうしたもんかな、と考えていると、
「……ロック」
「ん?」
「……あんた……いや……」
何かを言いかけ、スコールは口を噤んだ。
もう殆ど食べ終わって空になったアイスカップを片手に、蒼の瞳が居心地悪そうに彷徨う。
どうした、とロックが敢えて訪ねてやると、スコールはまた少し逡巡した後で、
「……大丈夫かと、思っただけだ。……暑いから」
「ああ、心配してくれてたのか」
「…………別に」
そんなつもりじゃない、とスコールはそっぽを向くが、ロックはくつくつと笑みが漏れてしまう。
確かに馬鹿のように暑いから、それ位の心配は、してくれたって罰が当たるものではないだろう。
それでも、余計な世話なのではないかと、悪い方に考えてしまう癖があるのがスコールだ。
ロックは氷の解け切ったスポーツドリンクを飲み切って、空のペットボトルを車体の横に置いたゴミ箱に捨てる。
「今の所は大丈夫。水分も塩分も用意してるし、冷房もつけてるし」
「……そう、か」
「あんまりキツくなったら、ジェラート食って休むさ。売る程あるからな」
ロックの台詞に、そもそも売っているものだろう、とスコールが目を細める。
スコールは空になったアイスカップと、用済みになったブラスチックスプーンを捨てて、背中のスクールバッグを背負い直す。
今から正に太陽が本格的に仕事をする時間になると言うのに、彼はこれから家に帰らなくてはならないのだ。
まずショッピングモールの敷地から出る距離を歩くだけで、ロックはうんざりとしそうなのだが、この少年はそれを熟さなくては家路につけないのである。
「じゃあ、もう帰る」
「うん。こんな暑さだし、送ってやれたら良かったんだけど」
「……店がなくなったら、客が来た時困るだろ」
来ない訳じゃないんだから、と言うスコールに、ご尤も、とロックは眉尻を下げる。
炎天の下、キッチンカーを離れていく背中を見詰めるロック。
本音と言うと、客を多少困らせたって良いから、彼を送って行けたら良いのに、と思う。
そうすればスコールはこんな猛暑の中をフラフラと歩かなくて済むし、何より、もう少し他愛のないお喋りの出来る時間が増える。
寡黙な彼にとっては会話の時間など増えても面倒なだけかも知れないが、ロックにとっては、彼と過ごす時間が細やかな楽しみなのだ。
しかし、少年はどうしてロックがそんなにも世話を焼きたがるのか、恐らく理解していない。
だからロックが送ってやると申し出た所で、店のことは勿論、他人に手間をかけさせることを嫌って断るに違いない。
そう言う事が判る位には、ロックは彼のことを見ているつもりだ。
駐車場を行き交う車の向こうに、仄かな想い人の姿が見えなくなって、ロックは一つ伸びをする。
「うーん……まあ、もうしばらく長い目でって所かな」
多感な時期の少年に、下手な混乱を与えて、疎遠になるのは避けたい。
ロックは気を取り直して、先ずは彼の期待に答える為、新作のブラッシュアップに臨むことにした。
『猛暑日のロクスコ』のリクエストを頂きました。
暑いとアイスとかジェラートとか食べたいよねって言う。
現パロのロックの職業(公式25歳なので基本は社会人と言うイメージだけどサラリーマンとか合わなそう)を悩むのですが、今回は移動販売してる人と言うことにしてみた。
スコールとは、まだ毎日顔を合わせる程じゃないけど、近過ぎないけど程好い距離感で交流している所。
心配してくれる位に自分のことを気にしてくれてるんだなー、と言う細やかな喜びの頃です。
その内ロックの家にスコールが来て、試作品の味見とかするようになるんだと思います。
行ってらっしゃい、と送り出す幼馴染達は、いつもどんな気持ちでいるのだろう。
穏やかな表情を浮かべる其処に、一体何が隠れているのか、或いは言葉通り、それ以上のものはないのか、スコールには判らない。
だが、恐らくは、其処に後ろ昏い感情などなく、どうにも向き合い方が判らずに戸惑っている幼馴染を、応援する気持ちで背を押しているのだろう。
だから、本当はもっと違う事を思っているんじゃないか、等と考えてしまうのは、スコールの後ろめたさから来る思い込みに過ぎない。
バラムガーデンからエスタへの道程は、魔女戦争の後に譲渡されたラグナロクを使えばあっと言う間だと言う事は判っている。
だが、ラグナロクは人手不足に悩むSeeDにとって、迅速かつ貴重な足だ。
それを休みの日に、完全なプライベートに使うと言うのは、例え指揮官権限などと言うものが赦すとしても、スコール自身が良しとする気になれなかった。
だから、時間も手間も、移動料金も嵩張るものだと判っていても、スコールはエスタへ行く手段を、公共交通に限っているのだ。
とは言え、嘗ての時代のように、大陸横断鉄道で何時間も電車に揺られなくてはならない、と言う事はなくなった。
F.H.の駅長の協力により、まずバラムの街の港から、F.H.が航路で結ばれた。
其処からは十七年ぶりにエスタ大陸へと延びる電車が動き出し───それまでに線路の整備の為に、エスタ大統領とF.H.の人々が随分と努力したそうだ───、これに乗って外国人はエスタ市街へと入ることが出来る。
エスタ同様、長年こちらも鎖国同然の状態であったF.H.であるが、魔女戦争の経緯の中で、バラムガーデンと縁が出来たお陰で、かの島との繋がりを頷いてくれた。
だが、軍との衝突も起きたガルバディアに関しては、まだ受け入れるとは言い難く、現状では航路が繋がっているのはバラム島だけだ。
エスタはガルバディア大陸からの旅行客用に飛空艇も建設中との事だが、直近の魔女戦争ではガルバディア軍が魔女の尖兵として行動していた事もあり、飛空艇が完成しても運用開始は直ぐとはいかないだろうとか。
バラムの港で船に乗り、F.H.まで二時間と少し。
そこから、以前は廃材置き場同然になっていた駅に向かい、嘗てスコールが歩いた橋を電車で渡る。
エスタ大陸に入ったら、電車を降りて、引継ぎ乗り換えとなるリニアカーに乗って、しばらく走ると都市入りだ。
来る度に旅行者らしい姿が増えているのを見て、開国後の様子としては順調なのかも、と言う空気を感じ取る。
となれば彼は忙しい筈だが、「今日の午後からなら大丈夫だから」と言うものだから、スコールはこうして遠い地までやって来ることになった。
都市に入ってリニアカーを降りたら、リフターに乗り、目的地へ。
その途中に正午を迎えたので、ショッピングモールで昼食をテイクアウトして置いた。
ひょっとしたら必要ないかも知れないが、一応、と言う気持ちで、同じメニューを二人前にして買う。
……これで少なくとも、多少の時間を潰す格好は取れるだろう。
途中降りしたリフターに改めて乗り、あとは一路、目的地へ。
三十分としない内にリフターは最寄のポイントに到着し、スコールは真っ直ぐに其処へ───大統領官邸へと向かった。
スコールが大統領官邸を訪れるのは、多い時には月に四回ほどあるのだが、その殆どは仕事の為だ。
SeeDとして、大統領の警護を始めとし、魔物退治に関しても、エスタ国軍が持っているその詳細を確かめる過程で、ミーティングの場所として官邸の一部屋を借りる事もある。
だから大統領官邸で日々過ごす職員たちにとは、すっかり顔見知り状態で、
「いらっしゃい、スコールさん」
「……どうも」
「大統領は奥におられます。キロス執政官たちが出て来られていなければ、まだ執務中かと」
「…そうですか。じゃあ、客間で待ってます」
と、こんなやり取りも気安いものであった。
大統領官邸と言う、仮にも一国の中枢だと言うのに、スコールはほぼ顔パスで行動できる。
会議によく使う場所や、客間はおろか、奥から話が届いていれば、トップの執務室にさえ自由に出入り可能であった。
流石にそれを堂々とやる程スコールも無遠慮ではなかったが、色々と話が進みやすいのは確かで、仕事中はそれに感謝する事も多い。
……ただ、今日のように完全なプライベートで来た時は、どうしても苦いものが奥底に滲むのを誤魔化せなかった。
客間で待つことしばし────一時間にはならなかった頃に、キロスとウォードがやって来た。
「待たせてしまったね。ラグナの手が空いたよ」
「はい」
「奥に行くかい?」
「……じゃあ、そうします」
「ああ。では、私たちはこれで失礼するよ。ついでに少し人払いもして置こうか」
キロスの言葉に、ウォードがそうしよう、と頷いた。
別にそこまでしなくて良いのに、とスコールは思うが、彼らのこの言葉は純然な厚意だ。
スコールが沈黙している間に、「それじゃあ」と言って二人は客間を出て行った。
それから一拍置いて、スコールはテーブルに置いていた昼食の入った紙袋を持って、客間を後にする。
キロスが言った通り、人払いの指示を受けてだろう、一方向に流れて行く人々とは逆の方へ、スコールは一人歩いて行く。
擦れ違いざま、「ごゆっくりどうぞ」と声をかけてくれる職員たちに会釈をして、スコールは官邸の奥へと向かった。
このエスタと言う国の心臓部とも言える、大統領執務室の部屋の周りは、それは静かなものだった。
豪奢と言う訳ではないが、やはり少々細工の請った装飾が成された扉をノックすると、「どーぞー」と少々間延びした声。
疲れているな、と思いながら、スコールがドアを開ければ、
「おう、いらっしゃい」
「……邪魔する」
来訪者を迎えたラグナは、丁度執務机から席を立った所だった。
椅子から離れると、ラグナはぐぐぐ、と腕を頭上に伸ばして背筋の固まりを解す。
やっぱ凝ってるなあ、と肩を揉みながら呟く彼を横目に、スコールは部屋の端にある来客用のソファに座った。
前にあるローテーブルに紙袋を置くと、その音にラグナが此方を見て、
「お、昼飯?」
「……ショッピングモールで買って来たサンドイッチ」
「俺の分、ある?」
「一応」
さんきゅ、と言って、ラグナはスコールと向かい合う位置に座った。
厚みのある具の入ったサンドイッチが三つと、フライドポテトに、ミニサラダ───それが2セット。
セットとなっていたそれらに、飲み物を追加することも出来たのだが、こうして食べ始めるまでの時間が読めなかった事もあって、スコールは買っていなかった。
それを見たラグナが、
「コーヒーにすっか」
「……なんでも良い」
席を立って、部屋の奥にあるミニキッチンに向かう。
その背を見詰めながら、スコールはフライドポテトを一つ、口へと運んだ。
湯が沸くのを待ちながら、コーヒーミルを回しているラグナを見る。
草臥れ気味のワイシャツの裾が、半分ズボンから出ているのを見付けて、相変わらずだと思う。
その無防備で自然体な背中は、スコールにとって見慣れたものだったが、いつしかその背が随分と遠く感じるようになった。
(……いや)
違う、とスコールは独り言ちる。
彼が遠くなったのは確かだが、それ以上に、こうなる前が”近過ぎた”のだ。
魔女戦争を終えた後、スコールとラグナは少しずつ交流を重ねるようになった。
始めはSeeDとエスタ大統領として、警護依頼を引き受ける内に、その指名がスコールに偏るようになった。
依頼料が破格であるから、ガーデン側としてもこれを引き受けない手はなく、都合がつく限りはスコールが派遣されるようになる。
終日警護と言う依頼であるから、共に過ごす時間も長く、ラグナのフランクさにスコールも徐々に慣れ、束の間の雑談も交わすようになった。
それからプライベートで通信を繋げるようになり、スコールが休暇の時には、エスタに招かれるようになる。
ラグナが私邸として使っている家に泊まる事もあって、其処にはスコール専用の部屋まで整えられていた。
一国の大統領が、一介の傭兵にするには、あまりにも手厚すぎる待遇だろう。
だが、ラグナがそんなにもスコールを贔屓させるに当たって、誰が聞いても、驚きはすれども、それならば仕方ない、と言う理由がある。
スコールは、あの日あの時、真っ直ぐに告げられた言葉を思い出す。
『俺達、親子なんだ』
……十七年も放っておいて、今更だ。
記憶に欠片どころか、そんな存在がある可能性なんて思いもしていなかったからスコールにとって、本当に今更の話だった。
だからスコールも、重ねられる交流の中、それを取り巻く一部の人々の反応を見て、その可能性は感じ取りながらも、その事実を確かめようとはしなかった。
周りがそれをどんなに匂わせようと、情報の断片を此方に押し付けてこようと、スコールにとっては今更触れるような話ではなかったし────正直に言えば、意図的に触れまいともしていた。
そうして、“赤の他人”同様から始まった距離感は、いつのまにか酷く密なものになっていた。
人との繋がりを拒否し続け、ようやくその温もりと言うものを受け止められるようになったスコールにとって、彼との近付く距離感は、心地良くも熱を持とうとしていた。
けれど、ラグナの方が口火を切った。
その場には、スコールだけではなく、彼の旧友もいて、あれは恐らく見守られていたのだろうと思う。
これから始まる“父と子”が、少しでも上手く行くように、或いは旧友が新しい一歩を踏み出すのを背を押す為に。
そして、他人の目にその様子を見せる事で、それを選ぶ道に彼自身が退路を断つ為に。
────こぽこぽこぽ、とインスタントコーヒーが注がれる音が聞こえた。
スコールは、カリ、と端の固い食感のポテトに眉根を寄せる。
(……俺の気持ち、知ってた癖に)
歯に力を入れただけで、ポテトは口の中でぽきりと折れた。
あとは顎を動かせば簡単にさくさくと千切れて行き、飲み込んでしまう事が出来る。
このポテトと同じように、あの時突き刺さった決意の痛みも、折ってしまえたら良かった。
色違いで揃えた二つのマグカップにを持って来るラグナを見ながら、そんな事を思う。
「ほい、こっちがお前。ミルクと砂糖も入れといたぞ」
「……ん」
薄茶色の色をした液体を受け取って、口の中へと持って行けば、確かにスコールの好みに調整されている。
始めはブラックコーヒーだったそれが、いつだったかスコールが「本当は苦手なんだ」と言ってから、この部屋に砂糖とミルクが常備されるようになった。
淹れ立てのコーヒーと、揃えて出していたのはいつまでだったか。
いつの間にかラグナは、スコールの好みをしっかりと覚え、手渡す前にそれらを入れてくれるようになった。
そんな些細なことを、多分、何度も繰り返している内に、二人の距離は近付いて行ったのだ。
けれど、ラグナが口火を切ったあの日から、その距離は縮まらなくなった。
目に見えない、けれど判る線引きが、はっきりと引かれたのを、スコールは感じている。
(……大人なんて、ずるい生き物だ。そんなこと、知ってたのに)
ラグナが引いた線を、スコールは一足飛びに越えられなかった。
ただ一方的に、勝手に引かれたものなら、勢い任せで飛べたのかも知れない。
けれど、あの時後ろに旧友達がいた事と、向き合う翠がどこまでも真っ直ぐだったから、スコールはそれを無視できなかった。
金縛りにあったように停止したスコールを、ラグナは“父”として見詰めていた。
そのつい前の日まで、何処か熱のこもった瞳で此方をじっと見ていた癖に。
あの日、ラグナはこうも言った。
『今更だし、お前も十分大きいし。言えば困らせるだろうなとは思ったんだ。だけど、やっぱり言っておかなくちゃって』
『お前は傭兵ってのをやってて、危ないこともよくやるし。うちもこれから頼むだろうし。俺もまあ、まだじいさんになったつもりはないけど、歳は歳だ。こんな立場になっちまってっから、これから色々あるだろうし』
『だから、万が一ってことが起きちまう前に、ちゃんとはっきりさせておこうと思ったんだ』
『それが、俺がきちんとするべき事だろうって』
……そんな話をするだけなら、二人きりですれば良いだろう、と思った。
どうして見守るようにキロスとウォードを傍に置いて、見届け人にさせたのか。
スコールとラグナの交流は、時間にすれば酷く短いものだったが、いつの間にかとても深いものになっていた。
それはラグナのお喋りを始めとした努力の甲斐であるが、同時に、スコールからラグナへ向けた感情も大きな要因となっている。
スコール自身が彼を許容し、受け止め、その懐に入れることをしていなければ、そんな話をする機会もなかった筈だ。
だからきっと、ラグナは判っていた。
話を聞いたスコールが、どんな反応をするかも予想していて、それを封じる為に旧友たちを呼んだ。
他人の目がある所なら、スコールが絶対に引いた線を越えなようとはしないだろう、と。
(俺の気持ちを知って置いて。……違う、知っているから、だからあんな)
あの日の会話ではっきりとされた事柄は、次にエスタに来た時には、もう近しい人達の下に広まっていた。
お陰でスコールから何か言う事はなかったし、色々と都合が付き易くなった利点も多い。
露骨な贔屓に、どうなんだと思わないでもなかったが、それに反発するには、既に外堀が綺麗に整地されていた。
好みの味にしてあるのに、妙に苦い感覚のあるコーヒーを飲みながら、スコールは黙々とサンドイッチを食べて良く。
向かい合って座るラグナは、相変わらず、どうでも良い話を次から次へと綴っていた。
「それで、逃げた犬を捕まえてくれって頼まれて。これがまた元気なヤツでさ」
「……捕まえられたのか」
「最終的にはな。捕まえた時には、噛むような子じゃなかったから、大人しく飼い主の所に戻ってくれたけど、それまでが大変でさ。もう周り巻き込んで大騒ぎ。久しぶりに走り回ったよ。そしたら、次の日には足がパンパンでさぁ」
まるで人に喋らせるつもりがないその会話方法は、時々、此方の反論の類を封殺しようとしているのではないかと思う。
けれど実際の所は、緊張から来るものと、足が攣りそうになるのを堪えているだけだ。
親子であるとはっきりと告げられたあの日から、ラグナのお喋りは一層増えた。
その中身はどれもこれもが他愛のないもので、何気ない雑談以上のものにはならない。
そしてスコールからも、ごく稀にどうでも良い話をする以外は、特別なことは起きなかった。
どうでも良いラグナの話を、聞き流すように聞きながら、スコールの脳裏にあの日の声が蘇る。
『俺達、親子なんだよ』
《だから、それ以上にはならないよ》
口にされた言葉の裏側にあるものこそを、スコールは聞き取った。
あの言葉が、ただ倫理や常識を盾にしたものだったなら良かった。
そう言うものはスコールにとって簡単に無視できるものではなかったが、絶対に守らなければならないものでもない。
単なる子供の我儘だと判っていても、そうするだけの感情が、スコールにはあった。
だが、あの時真っ直ぐに見詰める翠の瞳には、それ以上の感情があった。
この言葉は、決断は、何よりもスコール自身を守る為のものなのだと、逸らされる事のない双眸が告げていた。
愛しいからこそ突き放すのだと、そしてそれをスコールが読み取れる事を信じて、彼はあの言葉を放ったのだ。
(……馬鹿、って言えたら、良かったのにな)
その一言を、スコールは言えなかった。
人目があったからでもあるし、自分の感情ごと、翠に飲み込まれた気がしたからでもある。
だが何よりも、愛されていたかったのだ。
お前は愛しい存在だからと、言葉なくそう告げられる場所を失いたくなかった。
だからスコールは、暴れ出したくなる心を殺し、この感情は誰にも告げず、墓に持って行く事を決めた。
彼が絶対にその線を越えないと言うのなら、スコールもそれに殉じるしかない。
「昼飯食ったら、どうしようか。ショッピングモール、しばらく行ってないから、ちょっと行きたいんだ」
「……別に、俺は何でも良い」
素っ気なく返すスコールに、そっかそっか、とラグナは言った。
それじゃああそこに行って、次はあそこに行って、と独り言で予定を立てるラグナに、スコールは頭の中で効率的なルートを探すのだった。
『ラグスコで、両片思いで互いの気持ちに気付いていながらも、親子でいることを選んだ二人』のリクエストを頂きました。
絶対に一線を越えない二人とのことで、緊張感とシンパシーだけ共有してる感じ。
ラグナはラグナで悩んだし、スコールからの気持ちに甘える狡さもあったけど、それじゃ駄目だと思った訳ですね。
親子である事は勿論、何処かにでもすっぱ抜かれれば、どっちもが致命的な事になり得る。
自分はともかくスコールの将来を潰すのは絶対に避けたかったし、同時にスコールを自分一人に執着させるのも良くないんじゃないか、とか。
ちょっと詳しく深堀してみたい。