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User: k_ryuto
人が戻って来た気配を感じて、スコールはソファを立った。
10人全員が揃っても手狭さを全く感じさせない広いリビングダイニングを出ると、直ぐ正面に玄関がある。
其処には、遠征に出ていたセシル、ルーネス、ティナ、クラウドの姿があったのだが、その有様を見て、スコールは眉間に皺を寄せた。
「ああ、スコール。ただいま」
「……ん。随分酷いな」
「はは」
スコールの言葉に眉尻を下げて笑うセシルは、頭の天辺から足の爪先まで、ぐっしょりと濡れている。
白銀色の髪と鎧は水滴を滴らせ、背を覆うマントも多量の水分を含んで重そうだった。
ルーネスとティナも同様で、クラウドは特徴的な鶏冠の髪がへたっている状態だ。
雨天の多いメルモンド湿原でも、こうまで酷い有様になる事は早々ない、それ位に濡れ鼠だったのである。
くしゅん、と小さくくしゃみを漏らしたのはティナだ。
細身の二の腕を摩るティナに、スコールは急ぎ足でタオルを取りに行った。
脱衣所で大きなバスタオルを四人分用意し、風呂の状態を確認してから、玄関へと戻る。
スコールはそれぞれにタオルを渡しながら言った。
「風呂が入れる状態になっている。冷える前に入るか、着替えた方が良い」
「そうだね……ティナ、先に入りなよ」
秩序の戦士唯一の女性であるティナにそう促したのは、ルーネスだ。
しかしティナは、困ったように眉尻を下げ、
「私だけ?皆は?」
「僕たちは後で入るよ」
「でも冷えているでしょう。皆一緒に入った方が良いんじゃないかしら」
「大丈夫だよ、ティナ。僕らは丈夫だから。さ、行っておいで」
自分だけが先に温まる事、普段からも何かと優先させて貰う事への遠慮を見せるティナだが、ルーネスは勿論、セシルも譲らなかった。
柔い力でティナの背中を押せば、ティナは何度も此方を振り返りつつ、ようやく風呂場へと向かう。
ティナを見送りながら、三人はそれぞれ自分の体をタオルで拭いた。
その姿をなんとなく眺めながら、スコールは玄関の向こうを映す窓を見遣る。
其処にはいつも通りの、薄雲に覆われた空があり、雨雲の気配は感じられなかった。
ここ数時間の事を思い出しても、彼等が全身ずぶ濡れになってしまう程の土砂降りが降った気配はなかった筈だ。
窓の外を見詰めるスコールの胸中を察したか、クラウドがブーツのベルトを緩めながら言った。
「テレポストーンでこっちに戻った時にやられたんだ。直ぐに過ぎてくれるなら良かったんだが、残念ながら」
「風も吹いてなかったからね。雨宿りしても意味がない位酷かったし」
「こっちでは降らなかった?」
セシルの問いに、スコールは首を横に振った。
そう、と短く返してから、セシルは鎧を留めるベルトを外し始める。
がちゃ、がちゃ、と重い金属が外されていく傍ら、クラウドが階段へ向かって歩き出した。
「俺は先に寝る」
「お風呂は?」
「起きたら入る。お前達はティナが上がったら入ると良い」
「ちゃんと着替えるんだよ」
ずぼらな面が多々あるクラウドに、面倒臭がらないようにとセシルが釘を刺せば、クラウドはひらひらと右手を振って返事を寄越した。
スコールはその背中を見送った後、セシルとルーネスからタオルを受け取り、
「あんた達も着替えて来い」
「うん。そうするよ」
スコールの言葉に、ルーネスが頷いた。
鎧は玄関横に乾くまで置いておく事にして、身軽になった体で二人はそれぞれの部屋へと向かう。
セシル達四人が秩序の聖域に戻って来たのは、五日ぶりの事だ。
往復に約二日をかけ、三日間を混沌の大陸の探索に宛てて、ようやくの帰還。
皆大きな怪我をしている様子はなかったが、疲労があるのは当然である。
スタミナ量の為か食事量の多いクラウドは勿論、魔法を主な攻撃手段として用いる面々も中々の健啖家であった。
そんな彼等がようやく帰って来たのなら、今日の夕飯はボリュームを主としたものにした方が良いだろう。
キッチンに入ったスコールは、既に済ませていた夕飯のスープ料理の他に、もう二品ほど追加する事にした。
時間にも余裕があるし、少々凝ったものを作っても良いだろう。
冷蔵庫の中身を確認し、ブロックの肉があったので取り出した。
さてどうしてやろう、と量があるだけに選択肢の多い中から、食べ易さと食べ応えのどちらを重視するかと考えていると、
「邪魔して良いかな」
声が聞こえてスコールが振り返ると、ラフな格好に着替えたセシルが立っていた。
入室の許可を求める様子に、スコールが小さく頷くと、セシルは食器棚へ向かい、グラスを一つ取り出す。
「喉が渇いちゃってね」
「水だけで良いのか」
「何かある?」
「桃」
「良いね。貰って良い?」
スコールはまた頷いて、冷蔵庫を開けた。
昨日、バッツとジタンと共に出先で見つけた桃は、新鮮で瑞々しく、仲間達にそれはそれは好評だった。
見付けた木に成っていたそのどれもが良い熟れ頃の色をしており、大きさはやや小ぶりではあったが、食べ切るには丁度良い。
サイズも考慮し、一人一つ分はあった方が嬉しいだろうと、収穫して帰ったのは正解だった。
どうせセシル以外の分も後で切るのだと、スコールは他の三人の分もカットしておくことにした。
種を取って食べやすい大きさに切っている間に、セシルはグラスに入れた水を飲んでいる。
その喉が動いているのを横目に見て、スコールはふと訊ねてみた。
「あんたは寝なくて良いのか」
「うん。クラウドは、昨日の火の番をしていたからね。それで眠かったんだと思うよ」
「……そうか」
元気ならそれで。
そんな気分で短い返しだけをして、スコールはカットを終えた桃をデザート皿に盛る。
爪楊枝を添えて一皿差し出せば、セシルは嬉しそうにそれを受け取った。
「ありがとう。……うん、甘くて美味しい」
一つ口に運んで、セシルは嬉しそうに言った。
喉を潤す甘露水が随分と気に入ったようで、もう一つ、とセシルは果肉に楊枝を刺す。
疲れた体に甘味も染み渡っているのか、黙々と食べ進めるセシルの表情は柔らかい。
そんなセシルの顔を見ながら、なんとなく、フルーツの似合う男だな、とスコールは思った。
暗黒騎士の鎧を身に纏っている時は、フルフェイスの兜を被っている所為で全く見えない事や、漆黒の鎧から漂う物々しい雰囲気もあって欠片も想像がつかないのだが、彼は非常に甘いマスクをしている。
柔らかくウェーブのかかった銀色の髪や、それと同じ色を携えた長い睫毛、柔らかな眦に高い鼻。
中世的にも見える顔立ちは、スコールの世界であれば、女性受けの良いイケメンモデルとしてスカウトされた事だろう。
女装をさせたら、化粧など必要ない位に、しっくりとまとまってしまうのではないだろうか。
声を荒げる事も滅多にない───と言うより、スコールは戦闘以外で彼のそう言う場面を一度も見た事がない位だ───ので、上品な女性に仕上げる事が出来そうだ。
そんな事を思いもするが、その実、彼の躰は戦士として上等なものに仕上がっている。
(結構いかつい体付きしてるんだよな……)
元の世界では、一個大隊をまとめ上げる隊長を務めていた程の強者だと言うから、人は見た目───顔に寄らないと言うことか。
実際、金属の塊も同然なフルアーマーを身に付けていても、その重みを感じさせない程に素早く動けるのだから、鍛え抜かれた筋肉は伊達ではない。
そう考えると、女装するに当たっては、あの体格をどうに隠さなくては、雑なコラージュにしか見えなくなりそうだ。
ラフな格好をしているセシルであるが、七分に捲った袖から伸びる腕には、筋肉の筋が浮き出ている。
剣を、槍を握る指は、今は小さく細い楊枝を優しく摘まんでいるが、力が入ると手の甲に少し骨が筋張って見えた。
服が薄手のものである為か、胸板の厚みも布越しに判る存在感があった。
年下の仲間達に向ける柔らかな表情とは正反対に、歴戦を潜り抜けて来た証左のように、その体は屈強なのだ。
だからセシルはそれ相応の体重もあって、スコールは彼に抑えつけられると、全く逃げが利かなくなる。
兵の訓練の中で、体術も当然ながら彼は心得ており、人体の急所も頭に入っているので、スコールを捕らえるのにどう言った手段が有効なのか、よく判っていた。
それをピンポイントに捉えられた上に、力と体重で以て確保されたら、スコールはもう彼にされるがままだ。
一見、お人好しにも思える柔和な眼に、雄の熱を宿して覆い被せられると、後はもう────
(……って、何を考えているんだ、俺は!)
いつの間にか頭を支配していた光景に、スコールの顔が真っ赤に沸騰した。
手に包丁を持っている事も忘れて、ぶんぶんと頭を振るスコールを、セシルがきょとんと見詰める。
「どうかしたかい?」
「……いや。なんでもない」
完全にセシルから目を逸らしたまま、スコールは平坦な声で言った。
なんでもない、なんでもない、と胸中で自分に繰り返し言い聞かせながら。
カットした桃を盛った皿に蓋を被せて冷蔵庫に入れ、使った包丁を一度洗う。
改めて夕飯の仕込みに戻ろうと、スコールがブロックの肉の処理についてもう一度考えていると、
「スコール」
「……なんだ」
呼ぶ声に返事をすると、かちゃ、と食器がシンクに置かれる音がした。
取り敢えず下味をつけておこうか、とスコールがシンク向こうの小棚に並べた調味料に手を伸ばした時、するりと細い腰にセシルの腕が絡み付いた。
思わぬ事に固まるスコールを他所に、セシルの掌がスコールの腰のラインを辿る。
大きな掌を開き、広げた五指でスコールの横腹をなぞった瞬間、ぞくぞくとしたものがスコールの背中を駆け抜けた。
褥で感じる触れ方を彷彿とさせるその動きに、スコールは思わず腕を振って背後に立っていた男を睨む。
「あんた……っ!」
「嫌だった?」
潜めた声で咎めるスコールに、セシルはにこりと笑みを浮かべて言った。
全く悪びれもしないその反応に、性質の悪いのが顔を出したとスコールは悟る。
向き合う格好になったスコールの背に、セシルの腕が回る。
抱き寄せられたスコールの肩に、セシルが口元を埋めるように寄せて来るものだから、彼の静かな呼吸が首筋に当たってくすぐったい。
そんな場所にそんな刺激を貰うのは、決まって熱を共有している時だった。
それを躰が覚えているのか、じくじくとした疼きが芯から湧き上がって来て、スコールは唇を噛む。
セシルはそんな少年を、熱と愛しさの灯った瞳で見詰めていた。
「スコール。今夜は、部屋に行っても良いかな」
「な……あ、あんた、帰って来たばっかりだろ。さっさと寝ろよ」
「それでも良いんだけど、ね。久しぶりに君の顔を見たら、やっぱり我慢できそうになくて」
背を抱いていたセシルの片手が離れ、スコールの胸に掌が重ねられる。
どく、どく、と逸る鼓動を感じ取ったセシルの唇に、笑みが浮かんだ。
バレている、とどう足掻いても隠しようもない鼓動の高鳴りに、スコールの顔が益々赤らんだ。
鼓動を聞いていた掌がするりと降りて行き、スコールの薄い腹を撫でた。
其処に収められている内臓の場所を探っているかのように、指先がすす……と腹筋の形を辿る。
やがてそれは、ひたり、と臍の僅かに下の位置で止まった。
「ここに」
「……セ、」
「入りたいんだ」
「……っ…!」
ぞくん、と一層の熱がスコールを襲う。
今、セシルが触れている場所で、何度も彼の存在を感じた。
初めこそ苦しいと思う事の方が多かったように思うが、それも既に遠い話で、今では其処で彼を感じないと物足りない。
彼が長く聖域を離れている間に、一人で寂しさを紛らわせても、其処に彼がいないと思うと余計に虚しくなるだけだった。
それ位に、何度も注がれ、何度も味を染み込ませた場所が、今すぐ欲しいと喚き出す。
腹に触れるセシルの指が離れると、あ、とスコールの唇から意味を成さない音が漏れた。
俯いていた顔をそうっと持ち上げてみれば、うっそりとした笑みを浮かべた綺麗な顔が此方を見ている。
浮かべる笑みはいつも見ているものと変わらないのに、瞳の奥から滲む熱が、スコールの躰を夜のものへと急速に目覚めさせていく。
「良いかな?スコール」
「……っあ……」
耳元で名前を呼ばれて、かかる吐息の感触に、躰が言う事を聞かなくなる。
今ここで彼を欲しがってしまいそうになるのを、スコールは辛うじて残る理性で堪えて、
「………お、れ…が……」
「ん?」
「……俺、が……行く、から……」
こんな躰にされて、彼が今夜来るのを待つなんて、出来る気がしない。
耳の端から首筋まで赤くなって、小さな声でそう言ったスコールに、セシルの指が嬉しそうにその頬を撫でたのだった。
『昼は柔和で優しいセシルの夜の男らしさを思い出して悶々としてるスコールに、夜の誘いをするセシルと、下腹部を指で辿られ耳元で囁かれて期待しちゃうスコール』のリクを頂きました。
大変美味しい指定を細かくして頂いて、でめっちゃ楽しかったです。
セシルって丁寧に触ってくれそうだし、スコールを蕩かしてくれると思ってます。
あとやっぱり世界背景と言うか時代文明的な所からして、色々経験豊富そう。
スコールを掌でコロコロしながら可愛がって欲しい。
スコールがアルバイトを始めた時には、少し驚いた。
高校生にして一人暮らしをしている彼は、フリオニールでも知っている、少し豪華なタワーマンションに住んでいる。
其処は彼が一人暮らしをするに辺り、良くも悪くも過保護気味な父親が、「ちゃんとしたセキュリティのある場所に住むのなら」と言う理由をクリアする為に選んだ場所だ。
高校生が住むには贅沢過ぎる物件だから、家賃は父親が出している。
それも父親からの条件だったそうで、スコールは渋々にその物件を選んだと言う。
本当はもっと安い所で、せめて家賃の半分くらい自分のアルバイトで稼いで払える場所が良かったのに、と言うスコールに、全くもって彼の望み通りの安アパートで暮らしているフリオニールは、眉尻を下げて笑うしかない。
こうして高校生になって間もなく、一人暮らしをスタートさせたスコールだが、アルバイトについてはまだ手を付けていなかった。
それは未成年であるが故に親の許しが必要だから、と言うのもあるけれど、一番は彼の通う学校が、特別な理由がない限り生徒のアルバイトを禁止しているからだ。
特別な理由とは、家庭環境に因る金銭的な問題の為、と言うのが凡その所で、幸いと言うべきだろう、スコールにそれは当て嵌まらなかった。
授業時間も七時間目まで組まれており、一般的に高校生が出来るアルバイトの時間を確保するのが先ず難しい。
これじゃあ諦めるしかない、と不満そうな顔で呟いていたのを、フリオニールは知っている。
────そんなスコールがアルバイトを始めたなんて、一体どうして、と思うのは当然だ。
それはフリオニールだけでなく、彼と同じ学校に通っているティーダも同じだった。
先ず生活背景からして必要ない話だし、学生の本文は学業だと言う学校の方針にも、不満を訴えつつも納得はしていた。
ティーダから話を聞いた時には、何かの間違いじゃないかとフリオニールは思っていたのだが、深夜のコンビニで偶然彼が働いている所に出くわした。
高校生が深夜のアルバイトのレジ打ちなんて、色々と駄目だろう、とはお思うが、バレなければ良い、と考える大人はいる。
その大人が先ず駄目な訳だが、一年前にはフリオニールも同様の手段で居酒屋のアルバイトを遅くまでやらせて貰っていたので、これについては咎め辛い気持ちがある。
だが、フリオニールは孤児であり、高校生になった時点で養護施設を出て、金銭的支援の手を持っていなかったから、と言う理由があった(勿論、それでも本来は許されないのだが)。
だが、スコールにそう言った理由がないのは明らかで、強いて言うなら「父親に知られたくない事情」が出来たからではないか、と推察される。
そして、フリオニールやティーダのその想像は当たっていた。
スコールには、大学生の恋人がいる。
どう言う経緯で知り合ったのかはフリオニールの知る由ではなかったが、“深い仲”にまで行っているとティーダから聞いた。
ただ、その話をした時、ティーダがなんとも苦い表情を浮かべていたのが気になった。
『別にさぁ、スコールの交流関係に口出せる立場じゃないんだけどさ。あいつは辞めた方が良いと思うんスよ。悪い奴じゃないとは思うんだけどさ、でも…でもなぁ……』
スコールがいない場所で、ティーダはそう愚痴を零していた。
基本的に人懐こく、性善説を前提にしている所のあるティーダが、そんな事を言うのは珍しい。
かなりやんわりとした言い方ではあったが、彼がスコールとその恋人の仲を良く思っていないのは確かだった。
フリオニールは、スコールの恋人に逢った事はない。
ティーダが彼から聞いた話を股聞きにして、パーソナルな部分は幾つか知っている。
フリオニールより年上の大学三年生であること、スコールと知り合ったのは図書館で、よく同じ本を借りるので話が合い、彼の方から交流の切っ掛けを作った───と、この程度だ。
同級生のティーダとすら、中々自分から交流を持とうとしなかったスコールである。
図書館で偶々逢っていただけの人物と、まさか恋人同士になる程、深い仲になるなんて、誰が考えられただろう。
アプローチがあったのは間違いなく相手の方だろうから、スコールがそれに嫌悪を覚えなかったと言うことは、スコールの方も案外満更ではなかったと言うことだろうか。
前述の通り、フリオニールはスコールの恋人の顔も知らないので、其処は想像するしかない。
だが、どうもその恋人と付き合うようになった頃から、スコールの様子が可笑しい。
ティーダからそれを聞いて、フリオニールも彼の事が心配になった。
しかし、大学生になったフリオニールは、日中のスコールの様子と言うのが判らないし、自分のアルバイトもあって中々彼と接触の機会が持てない。
なけなしの時間を捻出して、彼がアルバイトに入っている深夜のコンビニに、なんでもない買い物をしに行って様子を伺う位しか出来なかった。
────が、そうしている間に、「スコールが学校で倒れた」とティーダから連絡があった。
ここしばらく、スコールは体調を悪くしていて、それでも学校を休む事はせず、更にはアルバイトの日数も増やしていると言う。
昏倒の原因は間違いなく寝不足にあると言う。
真面目な気質と成績優秀で知られたスコールであったが、ここしばらく、成績の低下傾向もあるらしい。
進学校にいる生徒が、授業についていけなくなったり、そうでなくとも某かのストレスによって、突然バイオリズムを崩したように成績不振になると言うのは、彼の学校ではそれほど珍しくはないとか。
担任教師も、スコールが今回それに当たってしまったのだと判断したか、当分は休む事に専念するようにと促す程度で済んだようだが、ティーダは他に原因があると言う。
その“原因”について詳しく聞く為に、フリオニールはスコールを自宅へと呼んだ。
他人のテリトリーに入る事に、スコールは強い拒否感を持っている。
だから最初は、フリオニールがスコールの家に行こうかと思ったのだが、ティーダから「それ、今は止めた方が良いっス」と言われた。
では何処か店でも、と思ったが、話す内容を考えると、赤の他人であろうと人目がある場所は憚られた。
結局、スコールに断られる事も想像しつつ、此方に来てくれないかと頼んだ所、思いの外直ぐにスコールは頷いた。
約束の当日、フリオニールはアルバイトを終えると、真っ直ぐに最寄りの駅までスコールを迎えに行った。
住所を知らない訳ではないから、迎えは要らないと言われたが、どうしても心配だったのだ。
ティーダから聞いている話が事実であれば、其処まで来ても、スコールがUターンしてしまう可能性がある。
そうならない、そうさせない為にも、フリオニールはスコールを早い内に捕まえなくてはいけなかった。
その判断は正しかったようで、スコールは駅の改札前で、携帯電話を手に佇んでいた。
夏には不似合いな厚手に長袖の服で、このまま改札を通るか、ホームに戻るか逡巡していた様子のスコールに声をかけると、彼はようやく、改札を潜った。
眼の下に消えなくなった隈を作って、何処かぼんやりとした表情で後をついて来るスコールに、呼び出したのは正解だったのだと悟る。
スコールが暮らしているタワーマンションとは、月とスッポンと言われても仕様がない、築50年は経とうかと言う建物が、フリオニールの暮らすアパートだ。
数年置きに改修が行われているので、築年数の割には綺麗に管理されている方だが、作りの古さはどうしようもない。
部屋の中は、一人で過ごしていても少し手狭に感じる位の坪数しかないから、来客が来れば尚更だった。
その真ん中に食事用にと設置したローテーブルと、安い座椅子が2つ。
其処にスコールを座らせて、フリオニールは熱い炎天を歩いて来た彼の為に、冷たい麦茶を淹れた。
氷を浮かせたそのグラスが、効きの遅いクーラーでゆっくりと冷やされる間に、カラリと小さな音を立てる。
スコールは、抱えた膝に口元を埋めて、じっとグラスが汗を掻く様子を見詰めていた。
じっとりと熱気と湿気で背中に汗が流れる中で、フリオニールは重く感じる唇を開く。
「……スコール」
「……」
名前を呼ぶと、スコールはゆっくりと顔を上げる。
単純に遊ぶ為に呼ばれたのではない事は、スコールも感じ取っていたのだろう。
気まずそうに蒼の瞳が彷徨い、それでも真面目さからか、おずおずとその目はフリオニールを見た。
「今、人と一緒に暮らしてるって聞いたけど、本当か?」
「………」
フリオニールの問いに、スコールの肩が小さく揺れた。
ジジジ、とアパートの庭の木に止まったセミが煩い羽音を鳴らす中、スコールは俯いて、小さく頷く。
「それは、ラグナさんは知ってるのか?」
「………」
ラグナは、スコールの父親だ。
スコールは彼と余り積極的な連絡を取る事を良しとしていないが、同居人が出来たのなら、それはちゃんと父親にも話すべきだろうと思う。
“恋人”が出来た事を父親に話す───それも相手は同性───と言うのは、かなりハードルの高い事ではあるが、あのマンションの家賃を払っているのは父親である。
元々、スコールが健全で安心できる生活が送れる事を願っての条件であった訳だから、その信頼を守る為にも、同居人の事情を説明するのは義務ではないだろうか。
訊ねたフリオニールに、スコールは答えなかった。
俯いたまま、膝に額を埋めて顔を隠してしまうのが、事実を物語っている。
父親に恋人の事を秘密にしているのは、致し方ないとは思う。
家族のいないフリオニールにとって、秘密にする意味は想像するしかないが、ラグナの過保護さを聞き及んでいるから、その干渉を嫌うスコールが沈黙しようとするのは無理もないだろう。
そして、スコールが恋人とどういう風に過ごしているのか、またそれをラグナに伝えるべきか否か、本来ならフリオニールが口を出す事ではない事も、判っているつもりだ。
だが、フリオニールがティーダから聞いた話はそれだけではない。
「…一緒にいるのって、スコールの恋人なんだろう」
「……」
「ティーダから聞いてる」
「……」
じゃあなんで聞いたんだ、と蒼がちらりとフリオニールを見遣る。
知っていて問いばかりを投げたのは、スコールの反応から、それが本当かどうか確かめたかったからだ。
が、スコールにとっては、判り切った上で詰問されたようで棘を感じたのだろう。
蒼の瞳が睨むように此方を見ていたが、フリオニールは気圧されないようにと呼吸を整える。
「…その恋人、大学生だった筈だよな。でも、今は学校に行ってないって聞いた」
「……」
「借金を作って辞めたって」
「………」
「だからスコールがアルバイトを始めたって」
膝を抱えるスコールの腕に力が籠る。
あいつ、と小さな声で苦々しいものを吐くのが聞こえた。
恐らく、フリオニールに全ての事情を打ち明けた、ティーダに対してのものだろう。
だが、そのティーダに───何処までなのかは判らないが───事情の一端でも打ち明けたのはスコールであったから、巡り巡って来たものに違いはない。
フリオニールは、ともすれば声を荒げてしまいそうになるのを堪え、努めて平静な声で言った。
「学校で倒れたって聞いたよ。寝不足だろうって。あのコンビニのアルバイトも、随分遅い時間まで入ってるみたいだし、ちゃんと寝てるのか?」
「……寝てる」
「どれくらい?」
「………」
此処にきてようやく返事をしてくれたスコールに、フリオニールは続けて訊ねた。
また口を噤んで目線を反らす少年の様子に、つい溜息が漏れてしまう。
「俺もアルバイトで寝不足になる事はあるけど……そんなに頑張るのは駄目だ。お前の体が壊れてしまうぞ」
「……平気だ。大体、倒れたって大袈裟なんだ。ちょっと眩暈がしただけで」
「保健室に運ばれるまで目を覚まさなかったってティーダが言ってたぞ」
「だから、それが大袈裟で……」
反論した傍から看破されて、スコールの声はまた萎んで行く。
自分で言っていて、その言い分に無理があると判っているのだろう。
じっと見つめるフリオニールから逃げるように、スコールは顔を伏せる。
放っておいて欲しい、と言う気持ちが全身から滲んでいるのが判ったが、此処で彼を解放してはいけない。
「スコール。恋人が大変そうだからって、それを全部肩代わりするような事をするのは良くない。向こうは楽になるかも知れないけど……スコールにはスコールの生活があるだろ。それを犠牲にしちゃいけない」
「してない。授業は出てるし、課題も全部出してる。バイトは……平気だ。問題ないから」
「スコール!」
あくまで自分は平気だと貫こうとするスコールに、フリオニールは堪らず声を大にした。
フリオニールが激昂すると思っていなかったのか、びくりとスコールの肩が跳ねる。
それを見た瞬間、しまった、と血の上り易い自分に辟易したが、スコールの長袖の縁から覗くものを見付けて、またフリオニールの頭が熱くなる。
フリオニールはスコールの手首を掴んだ。
手まで出て来ると想像もしていなかったのだろう、何、とスコールの眼に怯えた色が灯る。
「これ、なんだ。スコール」
袖を捲り上げて露出させたスコールの腕には、鬱血の痕があった。
誰かが強く掴んだと判る手形と、それに重なるようにして、細いものが括り付けられ擦れたような痕。
日常生活で絶対にある筈のない痕跡に、問い詰めるフリオニールの声が低くなる。
スコールは瞠目し、蒼くなっていた。
不味いものを見られたと、そう語る表情に、フリオニールは歯を噛む。
「誰がやったんだ」
「フリオ、」
「こんな事されてるのに」
「違う、フリオ」
「まだ庇うのか?」
「違う!」
「違わない!」
フリオニールが断定した事を、スコールは否定した。
しかし、涙を浮かべた瞳が、それが事実であると曝している。
────スコールの恋人となった男は、春の初めに、借金を負わされた。
友人であった筈の人からさ唆されたのだと気付いた時には既に遅く、友人は雲隠れし、借金とその取り立てに来る強面だけが残った。
籍を置いていた大学にまでやって来る強面たちに追い詰められた恋人は、スコールに助けを求めた。
初めは警察に言うべきだとスコールも言っていたのだが、そんな事は取り立て屋も判っているから見張っている、捕まったら殺されると言われ、仕方がないので避難所として自宅に上げた。
セキュリティがしっかりとしているので、迂闊な事をしなければ、取り立て屋はタワーマンションの中までは入って来ない。
しかし、何処で関係を聞きつけて来たのか、取り立て屋の矛先はスコールへと向かった。
恋人本人が借金を返せないなら、スコールから回収しようと画策するようになる。
それでも知らぬ存ぜぬを貫くつもりだったスコールだが、脅しに慣れた大人達は、スコールの家族まで脅すと言い出した。
父ラグナに事の次第を話せば、彼は助けてくれるかも知れないが、そんな事で父親を頼りたくなかった。
それは下らないプライドや父への見栄ではなく、唯一無二の家族である父親に、危険な目に遭って欲しくなかったからだ。
金を払えば取り立て屋は満足するかも知れないが、味を占めた男達が次の欲求を吹っ掛けて来る可能性もある。
だが、恋人の方は、それでも良いとすら考えるようになっていた。
自分が背負ってしまった借金さえ消えるなら、形振り構わなくなっていたのだ。
頼むから助けてくれ、と縋る恋人に、スコールは情けないと思いながらも、彼が頼れるのは自分だけなのだと思うと、無碍にそれを振り払う事も出来なかった。
だが、父親を頼る事はしたくない。
それだけは、と言う気持ちで、スコールは恋人の借金を自分が返すと言う選択を取ってしまった。
スコールが寝る間も惜しみ、第一に優先していた筈の勉強も後回しにして、アルバイトを優先するようになったのは、そんな理由があった。
だが、それだけでスコールの躰に残された痕跡の理由にはならない。
再度、それをフリオニールが問い詰めれば、スコールは俯いたままで言った。
「あいつの……機嫌が…悪かっただけだ……」
「そんな事で、こんなひどい事するもんか!」
「俺が悪いんだ。あいつが嫌がる事を言ったから……それさえしなきゃ、こんなこと」
スコールの恋人は、元々、それ程気が強い人ではなく、どちらかと言えば流され易い方だったらしい。
そんな人間が借金苦になり、取り立て屋に追い回されれば、程無く追い詰められ疲れ果てるだろう。
そんな恋人を匿ってから、彼はどんどん卑屈になって行き、援ける為に匿ってくれた筈のスコールに対し、酷い束縛するようになって来たと言う。
初めは、取り立て屋に追われる恐怖から、スコールと言う縋るものを求めて、傍にいて欲しがっていた。
一人で待っているのが不安になるのは無理もないだろうと、スコールも授業が終わると直ぐに帰宅した。
お陰で少しずつ落ち着いてはきたのだが、その矢先に出掛けた恋人が掴まったのだ。
恋人は益々恐怖に支配され、ヒステリックになって行き、スコールが家にいないと鬼のように電話をしてくる。
脅しの所為でアルバイトを初めてからもそれは悪化して行き、誰の為にスコールが休む暇すらないのか忘れたのかと思う程、露骨な束縛が始まった。
ではスコールが家にいれば落ち着いているのかと言うと、そうではない。
密かな同居が始まって間もなく、不安ばかりで眠れない彼を宥めている内に、体の関係を持った。
一度垣根を越えてしまった所為か、その頻度は日に日に増えていく上に、行為の最中は物理的な束縛まで伴われるようになる。
勿論、スコールは望んでいない事は嫌がったが、拒否の言葉を口にした瞬間、彼は烈火のように喚き出すのだ。
落ち着かせるにはスコールが耐えるしかなく、彼が求めることを全て受け入れ、応じて、ようやく恋人は納得する。
────想像していた以上に、スコールの生活は悲惨なものになっていた。
スコールの家に行ってはいけない、と言ったティーダの言葉の意味がよく判る。
迂闊にフリオニールが踏み込んだら、癇癪を起した恋人が何を言い出すか、その所為でスコールがどんな目に遭ったか、考えるだけでフリオニールは怖気が走る。
痣の残る手首を隠すように蹲るスコールと、怒りと苛立ちを歯を食いしばるフリオニール。
そんな二人の耳に、ヴーッ、ヴーッ、と言う音が聞こえる。
スコールがびくりと体を震わせたのを見て、鳴っているのが彼の携帯電話だと判った。
「あ……」
「貸せ!」
「!」
条件反射のようにポケットに手を伸ばそうとするスコールに、フリオニールはその手を掴んで阻んだ。
そのままスコールのズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、液晶画面にはフリオニールの知らない名前が映っている。
スコールの恋人からのもので間違いないだろう。
フリオニールは、携帯電話の電源を切った。
ぷつん、と暗くなった液晶画面を見て、スコールの顔から血の気が引く。
「あんた、何してるんだ!」
「こっちの台詞だ。出るつもりだったのか?」
「俺の勝手だろう!返せ!」
「駄目だ!」
携帯電話を取り返そうと手を伸ばすスコール。
その手から腕を逃がすフリオニールの目に、蛇のように赤い痕のあるスコールの腕が見えた。
電源の落ちた携帯電話を遠くに放り投げて、フリオニールはスコールの腕を掴む。
掴んだ手首がいやに細くて、彼の不健康さが如実に感じられた。
スコールは手首を握る手の強さにか、怯えたように硬直して、唇を震わせる。
フリオニールはそんなスコールに、ぶつけるようにキスをした。
「んぅ……っ!?」
蒼の瞳が見開かれ、パニックになって彷徨う。
じたばたと暴れる躰を、フリオニールは体重を使って押さえ付けた。
混乱して涙浮かべる蒼の眦に、自分が酷い事をしている自覚はあったが、それでもフリオニールは止まれなかった。
これで良いんだと、自分が我慢すれば良いんだと思考停止しているスコールを、これ以上地獄の中にいさせる訳にはいかない。
技術も何もある筈もない、噛み付くようなキスだった。
絡めた舌から逃げようとするスコールを追っている内に、口付けは深くなって行く。
息苦しさで次第にスコールの抵抗が弱くなって行くと、ゆっくりと抑える力を緩めて行った。
「……は…ん…、ん……っ」
「ん…む、あ……っ」
引っ張るように誘い出した舌を、ちゅう、と吸えば、スコールの喉奥から甘い音が漏れる。
唾液を引きながら解放すると、スコールの躰から力が抜けて、くたりと腕が床に落ちて、
「……なん…で……?」
どうしてキスをされたのか、まるで解っていない様子で、スコールが小さく言った。
真意を求めるように、蒼灰色の瞳がフリオニールを見上げる。
理由を口にするのは、簡単なようで難しかった。
自分さえ我慢すれば良いと、人身御供のようなスコールの言動に苛立ちもあったし、それに甘えて彼を好き勝手に扱う恋人にも怒りを覚えている。
そんな男の下にスコールを返したくなかったし、彼を苦しめるすべてのものをぶち壊したいと言う物騒な衝動も沸き上がった。
弛緩した少年の躰を抱き締めて、もう一度唇を重ねる。
言葉の代わりの熱が、そっくりそのまま、彼に伝わる事を祈った。
『ダメ彼氏に依存しているスコールを奪うフリオニール』のリクを頂きました。
懐に入れてしまうと危険度判定がガバガバになるスコール、想像し易くて大変美味しい。
このままではどっちも駄目になるとは思いつつも、相手に縋られると強く跳ね返せないんですな。それも自分しか頼れる相手がいない、となると尚更。
フリオニールは色々心配で口を出しはするけど、相手が本心から望んでの事ならそれは止めない。しかし今回のスコールの行動は、あくまで相手に合わせての事な上、疲労もあって「それで良い」と自分に言い聞かせようとしているのが判るので許せなかったのです。
このダメ彼氏、落ち着いていれば普通のちょっと気の弱い男で済んだんだと思う。しかし友人の裏切りから始まってどんどん追い詰められ、悪い本性的な部分が強化された上に表面化した模様。でもスコールはこれまでの付き合いからのバイアスもあって切り捨てられなかった、って言う感じ。
年下の恋人と逢う機会は、減る以前に、そもそも少なかったと言って良い。
片や社会人一年目、片や高校三年生ともなれば、無理もないことだろう。
クラウドは本格的に始まった大人としての社会生活に慣れるのに精一杯で、恋人───スコールは大学受験が目の前に迫っている。
スコールはその為の進学塾にも通っており、毎日とまでは言わずとも、平日休日関係なく授業は組まれ、それに参加していた。
そんなスコールが偶に時間が出来ると、その時クラウドは研修やら勉強会やら、断り辛い飲みの誘いと重なっていて、精々夜に電話で短い遣り取りが出来る程度。
メールと言う便利な機能があるお陰で、相手の反応時間を気にせずメッセージを送れる───とは言うものの、やはり夜中に着信を鳴らせるのは少々気が引けて、此方はあまり使っていない。
お互いに筆まめと言う訳でもなかったし、ただでさえ口下手なのがメールになると尚更になってしまい、二人の遣り取りのメールを見たザックスやティーダは、「お前、素っ気なさすぎない?」「これ業務連絡っスか?」と言ってくれた。
だからお互いのタイミングを気にしつつ、メールは電話をする為に時間が取れるか、と言う確認をする程度にしか使っていない。
顔が見れないのは同じでも、声が聞こえれば、そのトーンで少なからず相手の言葉に込められた気持ちが汲み取れるから、クラウドはそれでも十分嬉しかった。
だが、スコールにとってはどうだったのだろう。
後になってそんな事が頭を過ぎり、きっともっと早くその可能性を考えるべきだったのだと思う。
スコールは、クラウドが社会人として揉まれている事を、よく判っていた。
毎月の終わり頃、彼が通う塾の翌月休みが判って、その日程をスケジュール表に入れ、スクリーンショットを添えてメールを送り、休日に空いているかと訊ねて来る。
デートと言うものがしたい訳ではなくとも、逢える距離にいる筈なのに、全く逢えない恋人に、精一杯にそのメッセージを送っていた。
しかし、平日のクラウドは勿論仕事があり、スコールの放課後時間に暇を合わせる事は難しい。
会社内の雰囲気から、新人社員は有給休暇を申請し難い空気があったのも、聊か痛手であった。
クラウドの偶の休みと、スコールの塾休みと、上手く重なるのは隔月で一回程度。
今月も休みを合わせられそうにない、と詫びる台詞を、一体何度口にしたか。
その度にスコールは、「仕方ないから」と言ったが、電話越しのその声が、確かに寂しそうにしていたことは、クラウドも忘れていなかった。
余りに休みを取れないから、クラウドは仕事終わりにスコールに連絡を取ってみた事もある。
時刻は既に夜の十時が近くなっており、高校生とは言え未成年を外へと誘い出すのは抵抗もあったが、スコールは直ぐに「行く」と返事をした。
同居している父親の目を盗むように、買い出しに行ってくると言い訳をして、マンションの最寄の公園に来てくれた。
バイクの後部座席に彼を乗せ、ごくごく短い夜のデートも楽しんだ。
父への言い訳もあるから、当然ながらあまり時間は取れず、ほんの一時間程度でお別れだ。
それでも、クラウドにとっては至福であり、社会人生活に疲れた心を癒してくれる、大切な一時であった事は本当だ。
いつであったか、逢える時間が作れない事を、すまない、と詫びた事もある。
それに対し、スコールは首を横に振っている。
時間が作れないのは自分も同じ事で、クラウドだけの責任ではない。
社会人になったクラウドよりも、まだ学生である自分の方が自由が利くのだから、自分の方がクラウドに合わせる、とも。
受験を前にした高校生であるスコールだ。
進学塾に通っていなくても、刻一刻と迫る受験に対し、準備に追われて遊ぶ暇などないだろう。
それでもスコールは、「俺がクラウドに合わせるから」と言った。
寂しがり屋の彼に、無理をさせているとは思ったが、スコールがそう言ってくれるのはクラウドにとって幸いでもあった。
────一度だけ、彼を抱いた。
蒸し暑い夜、クラウドの休みの日と、スコールの塾の休みと、父親の不在の夜が重なった。
こんな事もうないかも知れないから、とクラウドの家に泊まりに来たスコール。
まだ幼さを残す横顔を赤く染め、目を合わせる事も出来ない程に意識していたスコールに、クラウドの年上としての矜持と理性は呆気なく崩れた。
クラウドも初めての事であったものだから、スコールにかなりの負担を強いたのは間違いないと思うのだが、それでもスコールは嬉しそうに笑っていた。
夜通し繋がって、熱を交わし合って、何度も何度もキスをして、この熱の記憶さえあればもう大丈夫だと、そう思う位に濃厚な夜。
そんな時間が取れたのはあの一度切りで、また逢えない時間が続くようになったのだが、それでも一度でも彼を抱いた感触は忘れられなくて、スコールもそうなら良いと思った。
思っていた─────
クラウドの仕事が午後から休みになったのは、会社からの指示によるものだった。
新人とは言え有給休暇はきちんと設けられており、その消化が必要になったからである。
署内の休みを取る事に対する、聊か古い無言の圧力的なものがなければ、もっと気軽に取れるのに、と思っているのはクラウドだけではあるまい。
とは言え、急な休みが嬉しくない訳ではなかったので、クラウドはさっさと退勤した。
一旦自宅へと帰ったクラウドは、私服に着替えると、早速街に繰り出した。
しばらく行けていなかったゲームセンターに入り、知らぬ間にアップデートが繰り返されていたゲームの感触を確かめる。
一頻り満足した後は、ふと見付けたUFOキャッチャーに手を出した。
プライズ系は余り遊ばないクラウドだったが、景品に恋人が贔屓にしているアクセサリーブランドの品があったのが目を引いた。
チャレンジ一回の値段が少々高い、高額商品狙いを売りにしたものだ。
デザインはスコールが気に入りそうなものだが、余りゲームセンターで遊ばない───来ても友人たちが遊んでいるのを見ているか、興味があるのは昔から馴染のあるカードゲーム位だ───のできっと持っていないだろう。
もし持っていたら、お揃い、と言うことにして、自分が持っていても良い。
そんな気持ちで数回のチャレンジの後、無事に景品を手に入れる事に成功した。
次の自分の休みと、スコールの暇な時間とが合致するとは限らない。
だからクラウドは、放課後の一時を利用しようと、その足でスコールの通う学校へと向かった。
自分が大学生の頃は、こうして彼を迎えに行き、バイクの後部座席に乗せて家や塾の近くまで送り届けたものである。
久しぶりにそんな時間が取れるかも知れないと、少し浮足立つ気持ちで、クラウドはバイクを走らせた。
大型バイクを学校の近くに停めるのは目立つから止めろ、とスコールに言われている。
少々不便ではあったが、クラウドはいつも近くのスーパーの一角を借り、スコールを迎えた後は、少し買い物をして去るようにしていた。
この行為も久しぶりだ、とバイクの荷物入れに恋人の分のヘルメットが入ったままになっているのを確認する。
ゲームセンターで確保したアクセサリーは、背に回した小さなバッグに入れている。
逢ってすぐに渡すか、それとも少し焦らすか、なんてことを考えながら、校門へと向かった。
(久しぶりだな、この道も)
ほんの一年前までは、週に何度も歩いた道だ。
それが随分と久しぶりの光景に感じられて、この一年弱の目まぐるしさを再認識する。
その間、碌々恋人の顔が見れなかった事も再確認して、忙しさに紛れるように隠れていた寂しさが蘇る。
久しぶりに迎えに行くに当たって、スコールに連絡はしていない。
授業が終わる時間から考えると、クラウドの来訪は聊か遅いものであったが、スコールは去年から生徒会に所属しており、今期は生徒会長に選出されたと言う。
色々と準備やら確認やらが増えて、去年にも増して帰れる時間が遅くなったそうだ。
それならこの時間からでも恐らく間に合うだろう、と予測して、またサプライズ的な目的もあって、クラウドは彼を迎えに行く旨を秘密にしていた。
広いグラウンドを囲むフェンスを横目に進み、角を曲がると、裏門がある。
スコールの家の方角へ向かうには其処が一番の近道だから、スコールはいつも此処を使っていた。
正門に比べると利用者も少ないようで、人目が多い事を嫌うスコールを迎えに行くには丁度良い。
その裏門に、二人の少年が立っている。
クラウドに対して背を向けている濃茶色の髪の少年────それが恋人であるスコールだ。
それと向かい合い、スコールを見下ろしている金髪の体格の良い少年も、クラウドの知る人物である。
スコールの幼い頃からの幼馴染で、何かと衝突を繰り返している、サイファー・アルマシーだった。
スコールとサイファーは、寄ると触ると剣呑になるのが常で、クラウドも、いつも静かなスコールが、サイファーに対してだけは随分と饒舌に皮肉を言い合うのを見ている。
今日もそんな調子なのかと、少年達の微笑ましくもある光景を見ていると、
「─────……!」
サイファーの頭の位置が僅かに降りて、見上げる格好になっているスコールの頭と重なった。
スコールの重力に従っていた手が持ち上がり、サイファーの服の端を握る。
スコールとサイファーは、物心がつく以前から、その付き合いが続いているらしい。
その為か、根本的に人見知りが激しく、人嫌いの気すらあるようなスコールが、サイファーに対してだけは距離感が近い。
言い合いをする時には、胸倉を掴み合う事だってあったし、額を擦り合うような距離で睨み合う。
とだけ聞くと物騒な仲だが、付き合いが長いだけあって、遠慮をしない仲でもあった。
だが、遠慮をしないと言っても、今のは余りにも近過ぎる。
第一、犬猿の仲とも吹聴されるような間柄の幼馴染に、そんなにも顔を近付けて、何をしていたのか。
言い合いをしている訳でもなく、二人のまとう雰囲気も決して刺々しくはない。
況してや、サイファーの服の端を握るスコールの手が、意味深な気配までも漂わせている。
立ち尽くすクラウドに気付いたのは、サイファーだった。
二人の近付き過ぎていた顔が離れて、僅かに低い位置にあるスコールの顔を見る翠の瞳が、見た事がない程に甘くて柔らかい。
その瞬間、ぞっとしたものがクラウドの背中に走った。
そして、翠の甘い瞳がクラウドを見付けて、すぅと冷たく細められる。
「……サイファー?」
スコールが幼馴染の名前を呼んだ。
それに返事をしないサイファーに、スコールは首を傾げた後、彼が“何か”を見ている事に気付いて振り返る。
深い海の底に似た、蒼灰色の瞳に、恋人である筈の男の顔が映った。
その瞬間、スコールの顔は可哀想な位に蒼褪めて、色の薄い唇が震える。
“見られてしまった”と如実に語るその表情が、彼が今佇んでいる場所を明確に表していた。
「……!」
「スコール!」
弾かれたように、スコールは走り出した。
クラウドから逃げるべく、サイファーの傍らを過ぎて、その向こうへと。
咄嗟のスコールの行動に、クラウドの復帰は早かったが、しかし。
半ば反射的に恋人を追って走り出したクラウドだが、強い力に腕を掴まれ、否応なく足を止める事になる。
「っ離せ!」
「あぁ?」
悔しいながら、自分よりも頭一つ分は上にある年下の少年を、クラウドは睨み付けた。
それに対し、サイファーはクラウド以上に剣呑な光を宿した目を向ける。
「誰が行かせるかよ」
「離せ」
「行ってどうする気だ?」
「お前には関係のない事だろう」
「生憎、関係ねぇのはお前の方なんだよ。見ただろ?」
つい数瞬前の光景を指すサイファーの言葉に、クラウドの眼の中が熱くなる。
射殺さんばかりに睨むクラウドだが、サイファーは「ふん」と鼻で笑うようにあしらう。
「手前こそ、どの面下げてあいつを追う気だ?今の今まで、ほったらかしにしてた癖に」
「そんなつもりはない。確かに逢える時間は少なかったが、それは───」
「ハイハイ、仕事で忙しかったから、だろ。オトナは大体それなんだよ」
サイファーは心底呆れたと言う表情でそう言った。
その声には、揶揄や嘲笑よりも、軽蔑に似た音が混じっている。
「そんなのだから、あいつはいつまでも良い子ちゃんだったんだ」
「何の事だ」
「……はっ。判ってねえのかよ、なんであいつがいつも聞き分け良くしてたのか。お前らオトナが、我慢させるようにしたんだろうが」
サイファーの言葉は、クラウドだけに吐き出されたものではなかった。
しかし、含まれる棘は明確にクラウドにも向けられており、哂う表情には憎々しささえ浮かんでいる。
「あの泣き虫が、ほったらかしにされて寂しくない訳があるか。それなのに、今さえ我慢すれば良いって、あいつに刷り込ませたんじゃねえか。たまに飴やってれば、あいつは良い子の優等生でいるから」
放っておいたつもりも、気紛れに飴をやっていたつもりも、クラウドにはない。
しかし、では今まで会う機会を作らなかったのは何故なのか、どうしてもっと傍にいなかったのかと聞かれたら、クラウドは返す言葉がなかった。
電話越しにすら「逢いたい」とは言わないスコールに対し、『きっと判ってくれる筈』と一方的な期待と我慢に甘えてはいなかったか。
サイファーはそう言っているのだ。
「一回抱いた位で、あいつが満足すると思ってんのか。安心すると思ったのか」
「そんなつもりは────」
「なくたって同じだ。中途半端に安心させて、あやすだけで済ませる位なら、手出すんじゃねえよ」
「……」
サイファーの言うことは最もだ。
どんなに聞き分けの良い振りをしていても、スコールの根幹にあるのは、自己否定も含めた不安感である。
それを解きほぐして包み込んで、温め続ける事が出来ないのなら、一時の熱など彼を余計に不安にさせるだけ。
だから、クラウドはあの日、スコールを抱いたつもりだった。
彼の一番深い所に熱を注いで、その感触を彼も覚えていてくれたら良い、と。
次の機会などあるか判らない、けれどもあるかもしれない、だからその日まではこの熱の記憶を忘れないで欲しい、と。
しかし、熱を知れば知る程、スコールはその熱が消えていく事が不安になったのだろう。
そんなスコールの気質をサイファーはよく知っていたから、クラウドがした事は“中途半端”でしかなかったのだ。
「俺ならもっと近くにいられる。あいつが欲しい時に、何度でも」
「……お前、まさか」
「あいつを放っておいた前が悪い」
少年の瞳に宿る怒りの色に、昂る熱が籠った。
クラウドの脳裏に、あの日の夜、抱く男の熱を受け止めながら、しどけなく体を捩る恋人の姿が蘇る。
あの姿を見たのかと、詰め寄る一歩を踏み出したクラウドを、サイファーは牽制するように睨んだ。
「あいつを理解できない奴が、あいつを追うんじゃねえ」
近付くなと、サイファーの眼ははっきりと言っていた。
睨む翠に滲むのは明らかな怒気で、不信感すら映っている。
サイファーは踵を返すと、彼の少年が駆けて行った方向へと歩き出した。
クラウドはその背を追い越し、サイファーよりも早く、恋人の下へと行かなくてはならない。
そうしなくてはいけないと思っているのに、クラウドの足は根が張られたように動かなかった。
恋人を追う他の男の背中をただただ見詰めて、その背が見えなくなってから、ようやく足が動く。
ふらついた体が傍のフェンスに寄り掛かって、急激に体温が下がって行くのが判った。
(スコール。俺は、そんなつもりは────)
一体いつから、彼との距離がそんなにも離れていたのだろう。
幼馴染であり、犬猿の仲と言われているサイファーとスコールが、そんな関係になっているなど、露とも思っていなかった。
ほんの数日前にもスコールと電話で話をした筈なのに、彼はそんな事はおくびも出していない。
いや、スコールは存外と隠し事が苦手だ。
平静を装えているようで、眼は正直だし、それがなくても、会話のテンポが遅れたりと、案外と露骨に動揺や迷いが表に出る。
それなのに、クラウドは今の今まで、彼の心が遠くに行ってしまっている事に気付かなかった。
胸の奥が、ずきずきと痛む。
この痛みを、スコールはずっと抱えていたのだろうか。
どうしてそれに気付いてやれなかったのか、遅すぎる後悔にクラウドは強く唇を噛んだ。
『クラスコ前提の中でスコールがサイファーにNTRれる』のリクエストを頂きました。
クラウドは出来る限りスコールを大事にしていたけど、スコールにとって逢えない時間が増えるほど不安が募った訳で、それを結局塗り替えれる位の時間の共有が出来なかった。
スコールもクラウドの事は好きだし、一緒にいたいけど迷惑かけたくないし、子供っぽいとも思われるのが嫌で、見栄を張っていたけど、実は不安でしょうがなかった。
サイファーはクラウドよりも本人よりもスコールの事をよく知っているから、スコールがちゃんと我儘を言えるようになっていたら、多分見守るつもりではあった。
そんなクラスコ前提サイスコ。楽しかったです。
目覚めたばかりの意識が鬱々とした感覚を訴えているのは、スコールにとって珍しい事ではない。
元々、どちらかと言えば寝覚めは悪い方で、可能ならいつまでも惰眠を貪っていたいと思う位に、スコールは怠惰な性格だと自負している。
だが、記憶が霞む程の幼い頃から傭兵として教育されているから、それを強制的に切り替えるスイッチと言うのも持っていた。
任務中であれば否応なくそれはオンの状態になり、目覚めと同時に行動する事が出来る。
そうでなくては、傭兵など務まらない。
だが、エスタにいる間は、どうしてもそのスイッチが切れたままになる朝がある。
ラグナと褥と共にした日だ。
その腕に抱かれ、熱を溶かし合い、彼が吐き出したものを受け止めて、泥に落ちるように意識を飛ばす。
そうして夜を過ごした後は、躰が記憶している重みや違和感も相俟って、どうしても活動が億劫になるものだった。
しかし、だからと言っていつまでもベッドの住人でいる訳にはいかない。
スコールがエスタに来るのは、大統領護衛の依頼を請けての事だからだ。
例えラグナと体の関係を持っていても、其処には確かに情があっての事であっても、スコールが終日仕事中である事は変わらない。
故にスコールは、どんなに体が怠くても、無理やりスイッチを切り替え、昨夜の甘い囁きの事も忘れて、護衛としての顔を作るように務めていた。
今日もスコールは、痛みを訴える腰を自覚しながら目を覚ます。
その隣で眠った筈の人物は、一足先にベッドを抜け出していた。
独り占めしていた毛布から出て、ベッドの足元に落ちていた服を拾って袖を通す。
じんじんと違和感の残る体を叱咤しながら部屋を出て、歩き慣れた廊下を過ぎてダイニングへ向かえば、其処にはもう簡易ながら朝食が出来ていた。
「おはよ、スコール」
「……おはようございます」
仕事の雇い主であり、昨夜熱を共にした男の挨拶に、スコールは抑揚のない声で返した。
冷たくも感じられる声であったが、ラグナは慣れたもので、へらりと笑ってスコールに着席を促す。
「目玉焼きは両面焼きで良かったよな」
「……ん」
「ドレッシング切れてたから、新しいのはコレ」
とん、とラグナが手に持っていたドレッシングのボトルを置いた。
見慣れないロゴのラベルだが、イラストのお陰で、香味を使ったオイルドレッシングである事は判った。
スコールがテーブルに着くと、ラグナも向かい合う位置に座る。
頂きます、と律儀に手を合わせて言うラグナに、スコールも面倒に思いつつ仕草だけは真似をした。
バターの匂いのするクロワッサンを千切りながら、スコールはもそもそと食事を始める。
「体、どうだ?ちょっと無理させたかな」
「……別に」
「無理するなよ。まあ、今日はあんまり外には出ないからさ、スコールはゆっくりししててくれよ」
気遣うラグナの言葉に、スコールは返事をしなかった。
口の中にパンが入っているから───と言うのもある。
でも一番の理由は、今のラグナの言葉に対し、思う事が多過ぎて、それらを口にするのが面倒だっただけだ。
同時に、目覚めから消えない鬱々とした気分がスコールの中に根を張っている。
その理由を、原因を、スコールはとうの昔に理解していた。
理解しながら、それをどうにかしようと言う気にもならなくて、上辺だけ無表情を繕って過ごしている。
そんな事は、スコールにとってよくある事だった。
今日の予定は、と確認と言うよりは話題を求めてのことだろう、ラグナがスケジュールを思い出して音読しながら、目玉焼きにフォークを刺す。
それをいつもの無表情で聞き流すスコールの目は、じっとラグナの左手に向けられていた。
今日も山積みの書類を捌きながら、ラグナはちらりと傍らの少年を覗き見た。
大統領の終日護衛と言う任務を持って派遣されたスコールは、その期間中、常にラグナの傍に身を置いている。
仕事なのだから当然、ではあるのだが、それであってもラグナはスコールと近い距離にいられる事が嬉しかった。
今はこうした理由がなければ、スコールと一緒にいられる時間すらないのだから。
大統領としての職権乱用ではないかと言われると否定できないのだが、とは言え依頼料などはラグナ個人のポケットマネーから出している訳で、また開国した事で国のトップとしての責任と危機管理と言った理由もあり、傍に信頼できる護衛を置く事は急務ともされていた。
だからスコールへの護衛依頼は、エスタ国としては必要経費であると言うのも、本当だ。
と、最もらしい理由をつけながら、スコールが絶対に離れない期間である事を利用して、彼を絡め取っているのも事実である。
本音でも建て前でも、ラグナの傍にスコールがいるのは、不可欠なことだった。
血の繋がりを持ちながら、彼をこの腕に抱いているのも含めて、ラグナはスコールを自分の下に繋ぎ止めたいと思っている。
そうして幾度となく依頼を出し、ガーデン側からもラグナがお得意様として認定された頃から、一層スコールが派遣される回数は多くなった。
二人が血の繋がった親子である事を、ガーデン側の面々───あの時、共に作戦を戦い抜いたメンバー───にも伝えた事もあり、気を利かせてくれているのもあるかも知れない。
お陰でスコールが一度の任務でエスタに滞在する時間も増えている。
一応、指揮官なのに大丈夫なのか、と訊ねてみた事もあったが、スコールは気にした様子はなかった。
元々急に押し付けられただけの立場で、後進の育成も進んでいるし、そもそも自分がいなくてもガーデンは回る、とのこと。
それが本当か嘘か、ラグナには判り兼ねる所だが、取り敢えずはその言葉を信じる事にしている。
時によっては、トータルで月の半分ほど、スコールがエスタで過ごす事もある。
その間にスコールは、ラグナの大統領としての執務を手伝うようになった。
書類の整理やスケジュールの確認など、雑事と言えば雑事だが、彼が手を貸してくれるお陰で、散らかり易かったラグナのデスクは整理整頓が常に保たれるようになった。
お陰で書類の紛失や捜索の回数も激減したとかで、スコールはエスタの執政官たちに随分感謝されているらしい。
実際、ラグナは非常に助かっている。
そんなスコールを見たピエットが、「彼がガーデンを卒業したら、そのままうちに迎えませんか?」と言っていた。
ラグナとしてはそれも吝かではないが、先ずはスコールの意思確認が必要だろうと、この話は保留になっている。
────と、そんな事をつらつらと思い出していると、ラグナの前に一枚の紙が差し出される。
「ん?」
「今日付けの締め切り案件」
「うわ、マジか。間に合う?」
「今日中なら」
書類を受け取り、ラグナは急いで目を通した。
内容は、都市の西部地区にある工場地区の幹線道路の整備について。
締め切りが今日と言うことは、随分前に寄越された話である筈だが、紙の山の中に埋もれていたのだろう。
予算の見積もりや、事業の計画について綴られた文面をよくよく確認しながら、ラグナは各方面への確認を急いだ。
一通りのチェックの後、計画に大きな問題はないと見做し、サインを走らせる。
ペンを放せばすぐにスコールが書類を引き取り、先に読んでいた執政官に書類を渡した。
関係各所への連絡も済ませ、デスクへと戻って来たスコールは、また直ぐに書類の山の仕分けに取り掛かる。
「スコール、ちょっと休んでも良いんだぜ。急ぎの奴もない筈だし」
「今日付けのを今見たばかりだろう。他にも埋もれているかも知れない。念の為だ」
あくまで仕事をしているスタンスを続けるつもりのスコール。
その横顔が、今朝から殆どラグナの顔を見ていない事に、ラグナも気付いている。
(まあ、いつもの事っちゃ、そうなんだけど)
昨夜、あの細身の体を抱いて、ベッドの中で溶け合った。
スコールの方から続きを強請られ、年甲斐もなく張り切ってしまった覚えがある。
……そんな風に睦み合った筈の翌日のスコールは、いつも何処かぎこちない。
彼と接する時間が少ない者は気付かない程度のものだが、彼を欲して已まないラグナは判っている。
単純に疲労感を隠す為だけではない、眼を合わせようとしない彼の秘められた胸の内。
恐らくは、誰にも知られまいとしている筈の彼の望みに合わせて、ラグナは素知らぬ振りを続けている。
適当に紙の山の上から取った書類を見る───振りをして、ラグナはまたスコールを盗み見た。
気配に敏感な彼の事だから、ラグナの煩い視線の事はきっと気付いているだろう。
それでいて何も言わないのは、構う事を面倒臭がっているからか。
いや、とラグナは否定する。
(……後ろ暗い、って所なのかな)
ガーデンで過ごしていた頃の事を、教員としても指導していたと言うキスティスを始め、彼の仲間達から聞く機会には事欠かなかった。
本格的にSeeDになる為の訓練カリキュラムが始まった頃から、彼はめきめきと成績を上げたと言う。
人の輪から意図的に外れている事について、問題児扱いも少なくなかったようだが、座学も実技も成績優秀と謡われた。
今現在、その仕様の難しさから使用者が少ないガンブレードを主武器として愛用しながら、それだけの記録を残せるのだから、その強さは折り紙つきだろう。
頭の回転も早く、作戦など必要事項の暗記も容易に熟せるし、応用力も優れている。
突発的な出来事に対し、一瞬躰が硬直する癖があるが、これは若いから、経験を積んで研磨されて行く事で補われるに違いない。
スコールは名実ともに賢いのだ。
だからきっとスコールは、自分がしている事の罪も理解している。
実の父親と情を交わし合い、肉体関係を持っているのが、決して普通に許される事ではないと。
……スコールの後ろ暗さの理由がそれだけなら、ラグナは気にするなと笑ってやる事が出来る。
同じ罪は自分も持っているし、もしも裁かれる事があるとすれば、それは自分が負うものだとも思う。
まだ幼いと言って良い少年を、自分の下に縛り付けるように堀を埋めたのは、他でもないラグナなのだから。
しかし、スコールの胸中の澱みは、もっと複雑で入り組んだ形になっている。
────ラグナの脳裏に浮かぶのは、二人が明確な情を持ってそれを交わし合うようになってからのこと。
体を重ね合わせた翌日、スコールの態度が分かり易くぎこちなくなったのも、その時だった。
単純に体にかかる負担であったり、それがなくとも何か気に障る事をしたか、とラグナが訊ねてみても、スコールは「なんでもない」の一点張り。
しかし、そうは見えないスコールの表情に、ラグナの心配は募った。
愛しい彼を繋ぎ止めるのはラグナの望みではあったが、スコールが真に望んでいないのなら、無理強いはしたくない。
だが、幾ら聞き出そうとしても頑ななスコールに、ラグナは正面から問う事の無意味さを知った。
其処で気を利かせたのが、キロスとウォードだ。
ラグナの古い友人であり、時に近過ぎる関係となってしまった二人の間に、程好い所でクッションになってくれる彼等。
スコールも、エスタに来る度にさり気無く気遣ってくれる二人に、少なからず懐いている節があった。
そんな二人だから、スコールも本音を零したのだろう。
それを偶然、曲がり角の向こうにいたラグナが聞いていたとも知らずに。
『浮かない顔をしているが、ラグナが君に無理をさせたのかい?辛い事があるのなら、良ければ此方から注意を促す位は出来ると思うのだが、どうかな』
初めにキロスはそう言っていた。
旧友の二人は、ラグナのスコールの関係を、余す事なく知っている。
だからこそ踏み込む事の出来た問いだった。
キロスの言葉に対し、スコールは初めは、何もないと言った。
だが、表情がそうではないと訴えている事を指摘されると、短い沈黙の後、
『……俺はレインの代わりだから』
ラグナが自分を抱いたのは、自分が愛した人の面影を持っていたから。
抱かれる度にそれを思い知って、勝手に落ち込んでいたんだと、スコールは自嘲の滲む声で言った。
────その言葉を聞いた時、ラグナは言葉を喪った。
そんなつもりはない、と飛び出して叫ばなかったのは、ショックの余りに声が出なかったからだ。
だが、後から思い返せば、あの時がそれを伝えられる一番のチャンスだったのだろう。
偶然とはいえ話を立ち聞きしてしまった、その瞬間、その場でこそ、言葉にできるものがあったのではないか。
恐らく、初めて他人に本心を漏らしたであろうスコールに、キロスは重ねて訊いた。
『……君が、母親と似ているから、ラグナは君を抱いたのだ、と?』
『自分の子供と知っていて抱くなんて、そうでもなければ有り得ないだろう。況してや、俺は男だし』
『彼と親子である事を、それを判っていて今の関係になった事を、君は後悔しているのか?』
『……さあ。よく判らない』
キロスの問いに、答えるスコールの声は静かだった。
それから、でも、と挟んで続ける。
『親子だから、ラグナは俺を見てくれる。俺が、ラグナとレインの子供だから。……母親と似ているから』
『それは、聊か見方を穿ち過ぎではないかな?ウォードもそう言っている』
『ラグナはそう言う人間じゃないって?あんた達にとっては、そうかも知れないな』
宥めるように言ったキロスの言葉にも、スコールは動じなかった。
諦めるような声がその音に滲んで、微かに零れた笑みの気配すら、自嘲が混じる。
『別に良いんだ。レインの代わりでも。ラグナがレインの事を今も愛していて、だから俺にその面影を求めてるなら。それで、ラグナがまだ、俺を捕まえててくれるなら』
それで良いんだと、スコールは重ねて言った。
まるで自分に言い聞かせているようだと、そう感じたラグナの耳は間違っていないのだろう。
あれから折々に垣間見える、素っ気ない態度から滲む、声のない声を聴く度に、ラグナの胸の奥が軋みを鳴らす。
────書類に連ねられた事項にチェックを入れていく。
その紙がペンの摩擦でずれないようにと、軽い力で抑える左手。
其処に注がれる視線にラグナが気付いている事を、きっとスコールは気付いていない。
(……指輪、か)
ラグナの左手の薬指に光る、銀色の輪。
遠いあの日、花畑が揺れる小道の途中で彼女と交わした、叶わなかった永遠の証。
今朝から────いや、昨晩から何度となく、スコールの視線は其処に注がれている。
成り行きの流れの中で引き離され、知らない内に喪われていた、温かな温もり。
思い出が減ってしまう事が怖くて、いつまでもその思い出を口にする事も出来ず、ただその指輪を包んで目を閉じる事しか出来ない。
そんな十七年と言う歳月を過ごして尚、ラグナにとって、彼女の存在の欠片は手放す事は出来なかった。
恐らくは、これからも、ずっと。
(レインがいたから、お前がいて。それは、その通りなんだ。そうでなくちゃ、お前は────)
彼女がいたから、スコールがいるのだ。
彼女が命を賭してまで、小さな小さな命をこの世に生み落としてくれたから。
それは間違いのない事実であり、決して忘れてはならないこと。
だからスコールは、苦しんでいる。
自分を産んだ母親に対して、羨望と嫉妬と、忘れてはならない感謝と、その影を利用しながら“父”に“愛”を求める罪悪感を抱えている。
ラグナは、指輪の光る手を握り締めた。
既に其処に在る事が当たり前で、外してしまう瞬間の事が考えられない位、肌に馴染んだ銀色。
それを見る度に、今ラグナが一番の愛情を注いでいる筈の少年は、苦くて痛くて苦しい顔をする。
ラグナが本当に求めているのは、その指輪を共有した筈の人なのだと、思い知って。
(違うんだよ、スコール)
レインの事は今も愛している。
それは生涯、ラグナが死ぬ時まで変わらないだろう。
だが、その面影があるから、スコールを愛している訳ではないのだ。
(お前の事、本当に、愛してるよ)
それは息子としてでもあり、恋人としてでもあり、初心な少年が知らないもっと薄暗くてどす黒い感情だって抱いている。
任務の期間が終われば帰ってしまう彼を、本当は縛り付けて閉じ込めたい、なんて事も考える。
それ程の感情をラグナが持っていると、スコールは知らない。
知っても、きっと彼はまた苦く淋しく笑うのだろう。
ラグナのその感情の根幹にあるのは、二度と逢えない愛しい女性への慕情であると思ったまま。
ラグナが彼女と交わした約束の証を手放さない限り、スコールはラグナの自分への感情が本物であるとは考えないだろう。
頑ななスコールのその思考を溶かすのは、実の所、簡単だ。
スコールがラグナの感情のシンボルとして認識している、銀の輪を外せば良い。
外したからと言って、ラグナのレインへの感情が塵に消える訳ではなく、ただ、目に見える形が喪われるだけの事。
……“それだけ”の事が、ラグナにとっては、重い。
だから寂しがり屋の蒼の瞳は、ラグナの指輪を見ているのだ。
いつか。
いつかスコールに、この感情が本物であると伝えたい。
指輪をしているかどうかなんて気にならない位、スコールの事も心の底から愛しているのだと安心させてやりたい。
そう願いながら、ラグナは自分が一番狡くて酷い人間である事を理解していた。
何故なら、スコールがラグナの言葉を受け入れるその日まで、彼を苦しめ続ける事を意味しているのだから。
『「自分はレインの代わりでしかない」と考えているスコールと、その誤解が指輪をしている限り解けないと理解しながらも、指輪を外すことができなくて悩んで苦しむラグナなラグスコ』のリクを頂きました。
もう諦念に行き付いてしまったから、必要ないと捨てられる以外ならどんな役割でも、って思考を固定してしまったスコール。
自分の気持ちに正直になってたら、大事にしたい筈のスコールを一番苦しめる道を選んでしまってるラグナ。
このスコールは卒業後、結構すんなりラグナの下には来ると思いますが、擦れ違いの溝は埋まらない気がする……
職業柄、目は利く方だ。
手に入れた宝物の審美が必要な事も多いし、情報源である人の本質を見抜く事も求められる。
それは異世界へと召喚されてからも変わらなかった。
足元に落ちている石ころが実は魔力を帯びた鉱石であるとか、目の前にいる人物が敵か味方か、どう言う性格でどんな戦略を取るのか。
そう言う物を見分ける力を、ロックはトレジャーハンターとして培った経験から持っていた。
神の意思で以て、所属する陣営があっちへこっちへと変わる世界。
神のみぞ、と言うよりも、神さえも知らないのではないかと思う事もある、闘争の意思とかいうものに振り回される生活も、段々と慣れて来た。
この世界で結ばれた恋人とも、敵になったり味方になったり、本当にこの世界は気まぐれだ。
敵同士になると愚痴も零したくなる───彼方は案外と切り替えが早いようで、向き合った時には容赦のない一撃をくれる───のだが、今回は運良く同陣営の配属になった。
前回は別れ別れにされたので、その分も取り戻したい気持ちで、ロックは恋人───スコールとよく時間を共にしている。
同じ時間を共有するとは言え、元の世界の形がどうやらかなり違うとあってか、二人の会話は余り長くは続かない。
スコールが元々寡黙な性質で、話しかけられても最低限の返事があれば良い方、と言うのもある。
ロックも最初は間が持たない沈黙に居た堪れない事も多かったが、恋人になる程に深い仲になれば、もう慣れたものだった。
また、スコールの沈黙と言うのは、彼の声が音になっていないだけで、目の中は案外とお喋りなのだ。
だからロックが話しかければ、眼が返事や反応をくれる。
興味がないなら視線は手元の愛剣に落とされたままだが、琴線に触れれば此方を見る。
蒼の瞳は存外と正直者で、興味のあるものを真っ直ぐに見詰めるのだ。
今、スコールのその瞳は、ロックの手元に散らばった鉱石に向けられている。
色も形も統一性なくバラバラのそれは、世界の探索のついでにと拾い集められたものだ。
この異世界では、召喚された戦士達を相手に商売をしているモーグリがいて、そのショップで買い物をする為に、金であったり物であったりが必要になる。
鉱石の類は、換金にも物々交換にも使われるから、各々で気が向いた時にでも、と採取が行われていた。
鉱石はどれでも良いと言う訳ではなく、一定の質か或いは量が必要で、それと等価のギル及び商品と交換する事が出来る。
この為、宝石類を鑑定する目を持つロックやジタン、バッツ、セシルと言った面々は重宝されていた。
「ん~……」
ルビー系を彷彿とさせる赤い鉱石を取り、空に透かして見るロック。
角度を変えながら光の反射具合を確かめ、目を凝らして石の中を観察する。
少し混じりけがあるように見えるが、質としては良い方に入るだろう。
ロックはその石を良質なグループへと加えた。
黙々と作業を続けるロックの隣では、スコールが座ってその様子を観察している。
時折、ロックが仕分けを済ませた石を手に取って、薄明るい太陽に透かして見ていた。
それが自分の真似をする幼子のようで、ロックの口元に笑みを誘う。
「お前も鑑定してみるか?」
「……」
ロックが声をかけると、蒼の瞳が此方へと向く。
引き結ばれた唇の中で、恐らく色々と考えているのだろうしばしの間の後、スコールは首を横に振った。
「あんたがしてるのに、俺がやる意味がない」
「目を磨く練習にはなるぞ。俺やジタン達がいない時、自分で出来れば手間も省ける」
「……良い。俺には必要ないものだ」
スコールのその返答に、まあそうかもな、とロックも思う。
スコールは自身を傭兵と称する。
ロックの世界では、傭兵もそれなりの審美眼が必要である事や、報酬として渡される宝石類を換金する事で生活を賄う者もいるから、損をしない為にそこそこに目を鍛える者もいるが、スコールの世界では物々交換は殆ど存在しないそうだ。
金が世界を十分に巡る位にあると言うことや、その価値が統一され信用されているからだろう。
だからスコールの世界では、鉱石類は加工されるものとして、宝石はその輝きを装飾品として用いられるのが主であると言う。
装飾品については、所謂“贋物”も多く出回っており、天然物の宝石よりも遥かに人目に触れる機会が多く、更にはその質も本物と見劣りしない程にそっくりに作る事が出来るとか。
それじゃあ宝石発掘に精を出してる奴らは損だな、とロックは思ったのだが、意外とそうでもないらしい。
贋物では出せない輝きを求めて本物を求める富豪はいるようで、また逆に希少であるからこその価値の高騰があるそうだ。
一攫千金の博打の類ではあるが、利益が出れば相当な額が入るそうで、それを求めて発掘を生業にしている者もいる。
────いるのだが、そう言う人々の間で成り立つ宝石類の売買に、スコール自身が直接触れるような機会は早々ないので、個人的に鉱石類に興味があるなんてことでもなければ、多くの人間は天然物と人工石の区別も曖昧なようだ。
そう言った背景を考えると、確かにスコールに宝石鑑定の眼は必要ないのかも知れない。
知識は邪魔にはならないから、鑑定のコツなど知って置く事に損はないのだろうが、スコール自身はやはりそこまで興味が持てないようだ。
鉱石と魔石、宝石をグループ分けする程度が判れば十分、とスコールは思っている。
スコールのその価値観を、ロックは無理もないなと思いつつ、
「眺めてると案外面白いものもあるけどな」
「……」
「ほら、これとか」
丁度光に透かして見ていた石を、ロックはスコールに差し出した。
スコールはロックの手の中にある石をしばし見詰めた後、摘まんで空に掲げて見る。
薄く白く濁ったように見える石。
ロックの手にあった時は、そう見えていた石が、光に翳すと白が溶けたように透明になり、中に何かが内包されているのが判った。
正方柱が幾つも重なるように密集し、蒼鈍色の光が反射されている。
ほう、と見入るスコールを、ロックは次の鑑定に取った石を遊ばせながら見て言った。
「珍しいだろ。宝石の中に宝石がある。それも、中にあるのは二つ」
「……二つ?一つの石じゃないのか」
「混じり合ってるんだ。それぞれの特徴が別々に浮き出てる。表面で覆ってるのは多分クォーツだけど、中はフローライトと、いや───うーん、顕微鏡でもあればはっきり判るんだけどな。でも希少なのは確かだぞ」
スコールの手にある鉱石のサイズは、1cmにも満たないものだ。
これで内包された石の種類まで正確に鑑定するには、それなりの機材が必要になる。
しかし、この世界でそんな代物を望める筈もなく、貴重なものであると判れば十分でもあった。
ロックの解説に、ふぅん、とスコールの反応は鈍い。
しかし、瞳はじっと宝石を見詰めており、希少価値からか、彼の興味を惹いたのは確かだろう。
夢中になると眉間の皺が緩んで、幼い輪郭が滲むスコールの横顔に、ロックはくすりと笑みを浮かべて、鑑定作業に戻る。
「お」
手にしていた石をまた光に掲げて見て、ロックの眼が輝いた。
「見ろよ、スコール」
「……?」
呼んでロックがスコールに見せたのは、濃い蒼色を持った石だった。
ロックの手の中で、僅かに角度を変える度、蒼に青に藍にと僅かに色味が変化する。
ちかちかと目の中で反射するその光に、スコールは眩しさを感じて目を擦った。
「…その石がどうかしたのか」
「お前の瞳と同じ色だ」
「は?」
「綺麗な蒼色だよ」
そう言ってロックは、蒼の石を良質にも悪質にも属さない群へと分けた。
これは個人的にロックが気に入った石を、他と混ぜてしまわない為のグループだ。
基本的に鉱石にも宝石にも、特別に思い入れを作らない───何せ鉱石はその類を問わず飯の種であったので、価値が高くとも売る事に抵抗はないのだ───ロックだが、この石だけは別にしようと思った。
誰より愛しい恋人と同じ色をした石なのだから。
バッツにでも頼めば、アクセサリーにでも仕込んで貰えるだろうか。
あいつは器用だよなあ、と思いながら、ロックはまた鑑定作業へと戻った。
ロックがまた集中作業に戻ったので、スコールは再び暇を持て余す。
視線はロックの手元から、その横顔へと向かう。
バッツやティーダ程ではないが、ロックも中々表情が豊かで、朗らかである印象が多い。
その顔が今は真剣そのもので、小さな石の小さな傷も見逃すまいと睨んでいるのが、スコールには少々新鮮な光景だった。
普段の何処か余裕さえ醸し出す朗らかな表情とは違い、じっと一点を睨んでいる横顔に、スコールの胸の奥がゆっくりと鼓動を速めていく。
しかし、ただ見詰めているだけと言うのは、存外と体感時間を長引かせる。
眺めているだけと言うのも段々と退屈になって来て、スコールの眼は他に何かないかと彷徨い、ロックが特別に分けた蒼い宝石へと向けられた。
(……俺、あんな色なのか?)
右手を目元に持って行ってみるが、当然、自分の眼を自分で見る事は不可能だ。
鏡があれば別だが、そんなものは荷物袋に入っていないし、此処には湖もないから自分の顔を見る事は出来ない。
結局、よく判らないまま、スコールの手は元の位置へと下りた。
それからなんとなく、スコールの眼は仕分けを終えた鉱石の群れへと向かう。
本来、鉱石は鉱脈の質に依存して採取されるものが変わる筈だが、この世界ではそれらも混ぜこぜになっている。
大体、発掘作業と関係なく、道端に落ちている石を拾うだけで、多様な質の石が発見されるのだから、理屈や常識に捕らわれて考えるほど無意味だ。
お陰で拾い集められた石は、統一性がないと印象になる程、色も形もバラバラだった。
スコールはその群れの中から、一つ、手に取ってみた。
ちらとロックがそれを見たが、特に何も言われなかったので、スコールも気にせず石を光に翳す。
指先に摘まんだそれを、角度を変えながら眺めた後は、元にあった位置へと戻した。
次はその隣に置かれていた、似た色を持つ石を取って、また光に翳す。
そしてまた元の位置に戻して、また似た色の石を取り……と繰り返すスコールに、ロックは最後の一つの鑑定を終えてから声をかけた。
「何か気になるものでもあるか?欲しいのあったら自分のにしても良いぜ。結構一杯集まったし、一つ二つくらい平気だろ」
「……いや……」
ロックの言葉に、そう言うつもりじゃなかった、とスコールは口籠る。
気にするなとロックは笑ったが、スコールは手元の石に視線を落としつつ、
「……あるんじゃないかと思って、なんとなく見てた」
「ん?何が?欲しいのあるなら探すけど」
「い、や。別に、そう言うのじゃなくて」
言葉の初めが酷く声が小さくて、ロックは聞き取れなかった。
何かを探しているらしい事は判ったので、詳細を尋ねる代わりに提案すると、スコールは首を横に振る。
「あんたと同じ色、ないかと思って」
「俺?」
「……あんたの、瞳」
首を傾げるロックに、スコールは自分の貌が映り込んだヘーゼルカラーの瞳を指す。
ぱちり、と虚を突かれた表情で瞬きをするロックから、スコールは目を逸らし、
「でも、なさそうだ」
「え。そ、そうか?割とよくある色だと思うけどな。黄褐色系の宝石は割と多いし」
ロックの言葉に、スコールは首を横に振る。
「似たような色はあるけど、違う。あんたの瞳の方が、ずっと綺麗な色をしてる」
「そ……そう、か?そんな言われる程じゃないぜ、俺のは」
「自覚がないだけだろ。確かに、眼の色だけで言ったらあんたのそれは珍しくはないのかも知れないけど……俺は、そんな綺麗な色、あんたが初めてだった。他に見た事もない」
スコールの言葉に、それはまた大袈裟だな、とロックは思う。
その傍ら、無性にむず痒くなる鼻頭を掻いた。
スコールの視線はまた一つ、手に取った宝石へと向けられている。
その白い頬がほんのりと赤いのを見付けて、今になって照れているのかと、そう思ったロックの頬も伝染したように赤くなった。
気付かれるのはなんとなく恥ずかしい気がして、ロックはそそくさと隣の恋人から視線を外す。
しかし、そうして視界に入れてしまった蒼い宝石に、また緩んでしまう口元を、考える仕種の振りをして右手で隠した。
(そんな事言ったら、お前だって────お前の方が、よっぽど)
蒼に青に藍に光る石。
石の名や、希少価値はさて置いても、確かにそれは美しかった。
だが、それを見て彷彿とさせる蒼灰色の宝石は、もっと鮮やかで綺麗な色をしている。
職業柄、そして自身の目的もあって、粗悪物も含めて多種多様な宝石を見て来た。
だから光物には眼が慣れているし、故に肥えてもいて、少し貴重なもの位なら驚く事もない。
でも、とロックは思う。
(俺だって初めて見たよ。そんな綺麗な蒼色は)
あんたの眼が綺麗だと、そう言った少年の瞳は、何より誰より美しいのだ。
だからロックは、ずっとずっと、その虜にされている。
『付き合っているロクスコで、お互い「好きだあ…」ってなっている』のリクエストを頂きました。
鉱石とスコールの眼を絡めるネタ好きで何度も書いてしまう……
特に鉱石や宝石に詳しい面子だと、その市場的価値も判っている分、よりスコールの瞳の逸材性に堕ちてるとか好きです。