[絆]約束が運んだ未来 2
チチチ、と窓の向こうから聞こえる鳥の声。
それを目覚ましに、エルオーネは目を覚ました。
すやすやと眠る弟達を起こさないように、そっとベッドを抜け出して、いそいそと着替える。
常夏の気候のバラムとは言え、冬の時期の朝は流石に冷える。
寒気を嫌ってカーディガンを羽織り、エルオーネはベッドを抜け出した時と同じように、音を立てないように静かにドアを開け、寝室を後にした。
一階のリビングへ続く階段を下りながら、頭の中でシミュレーションする。
此処はこの色でこんな柄を、こっちはああして文字を…と考えていたが、リビングから香る匂いに気付いて、はた、と足を止める。
(この匂い……)
甘くて柔らかい、そんな匂い。
昨晩、エルオーネが一所懸命に奮闘していた相手の匂い。
止めていた足を動かしてリビングを過ぎ、エルオーネはそっとキッチンを覗き込んだ。
「───ああ、エル。おはよう」
「お、おはよう……」
キッチンの前に立っていたのは、レオンだった。
思わずエルオーネが時計を確認すると、いつも朝食を用意するよりもずっと早い時間を指している。
自分がうっかり寝坊してしまった訳ではない事を確かめて、エルオーネはどうしよう、とその場に佇んでしまった。
キッチンの前には兄。
調理台の上には二つのボウルやまな板が置かれ、二つ並んだコンロには両方とも鍋が置かれている。
とてもではないが、昨晩作ったチョコレートのデコレーションやラッピングが出来るスペースはない。
────と、思っていると、
「ああ、悪い。直ぐ片付けるよ」
「えっ」
戸惑うエルオーネを余所に、レオンはボウルの一つとまな板をシンクへ移す。
お陰でキッチンには、エルオーネの為の作業スペースが確保されたが、
「…私、レオンの邪魔にならない?」
レオンが何をしているのか、エルオーネは察していた。
今日と言う日の為、妹弟達を喜ばせる事が出来るものを作っているのだ。
その手付きは慣れたもので、腕に抱えたボウルの中にあるもの掻き混ぜる泡だて器も小気味の良い音を立てている。
大事な作業の最中だったらどうしよう。
そんな気持ちで、恐る恐る訊ねたエルオーネに、レオンは小さく笑みを浮かべ、
「問題ない。後はこれを混ぜておくだけだからな。ああ、俺の方が邪魔か」
「そんな事ない。でも、ちょっと…恥ずかしい、かな…」
「恥ずかしい?」
何がだ?と首を傾げるレオンの後ろで、エルオーネは冷蔵庫を開けた。
其処に入っていたものをツン、と突いて、きちんと固まっている事を確かめてから取り出す。
「だって、びっくりさせたかったんだもん」
そう言ってエルオーネが取り出したのは、昨晩溶かしバットに入れておいた生チョコだ。
それと一緒に、チョコペンも取り出して、マグカップに入れた湯の中に浸しておく。
見た目は普通のチョコレートと同じだが、生クリームのお陰でカチカチに固まる事はない。
クッキー用の型抜きを押しこむと、少しの弾力の抵抗の後、型抜きはチョコレートの其処まで沈む。
ハートや星、猫や犬と言った可愛らしい形になったチョコレートに、エルオーネは楽しそうに笑みを零す。
それを横目に見た兄もまた、くすり、と口元に笑みを浮かべた。
可愛らしい形になったチョコレートは冷蔵庫に入れて置いて、型抜きの跡のチョコレートは、包丁で小分けにして、ラップに包んで捏ねて一つにまとめる。
継ぎ目のなくなったチョコレートをテーブルに軽く押し付ければ、柔らかなチョコレートが伸びて行く。
掌で覆える程度の小山が出来ると、包丁で切り分け、一つ一つラップの中で丸めて行った。
「びっくり、か」
「そうだよ。…えっと、ココアは…」
「ほら」
「ありがとう」
レオンが差し出してくれたココアパウダーを受け取って、ストレーナーを使ってまぶして行く。
それだけでは見た目が寂しくて、うーん、とエルオーネが考えていると、
「これ。使っていいぞ」
そう言ってレオンが取り出したのは、粉糖だった。
反射的にそれを受け取ったエルオーネだったが、用途が判らずに首を傾げる。
きょとんとしている妹の横で、レオンはケーキ型にボウルの中身を流し込みながら言った。
「デコレーションに白い粉末がかかっているお菓子って見た事があるだろう?あれは粉糖を使ってるんだ。これはデコレーション用だから、溶けてしまう事もない。使っていいぞ」
「あ、ありがとう」
ココアパウダーを落とし切ったストレーナーに、粉糖を入れる。
トントン、と軽い振動を与えると、白い粉が雪のようにチョコレートに降りかかる。
よし、と此方の出来にはこれで満足した。
エルオーネはパウダーのかかったチョコレートを冷蔵庫に入れて、型抜きのチョコレートを取り出す。
湯に浸していたチョコペンの先端を鋏で切り、猫や犬の顔を描いて行く。
じっと真剣な顔付でデコレーションして行く妹に、レオンはやっぱり女の子だな、と小さく笑みを零した。
────とてとて、と階段を下りる軽い足音が二つ聞こえて来る。
「レオンー、エル姉ー、おはよー。ごはんまだー?」
「おはよ……」
「ああ、おはよう。ご飯はもうちょっと待ってろ、すぐ出来るから」
「おはよう。二人とも、ちゃんと顔洗っておいで」
「はーい。行こ、スコール」
元気の良い声に、朝の挨拶に合わせて、半ばお決まりになった言葉。
素直なティーダの返事が聞こえ、二人の足音は洗面所へと向かった。
レオンはケーキ型を温めておいたオーブンに入れて、スイッチを押す。
朝食を終えて、洗濯物を干して、ガーデンに行く準備をしている間に焼き上がるだろう。
粗熱が取れたら冷蔵庫に入れて、ガーデンから帰る頃には、良い塩梅に冷えて食べごろになっている筈だ。
手が空いた所で、朝食の仕上げをしなくては。
と、レオンが気を取り直した所へ、
「レオン、レオン」
「どうした、エ─────?」
妹の呼ぶ声に振り返って、くいっ、と口の中に押し込められた何か。
なんだ?と驚きで目を丸くしていると、舌の上でとろりと溶けた甘い味────チョコレート。
「いつも貰ってばっかりだから、特別。スコール達には内緒ね」
悪戯っぽく笑って、口元に人差し指を立てて言った妹に、レオンはぱちりと瞬き一つ。
型抜きされたチョコレートは、ハートや星、犬や猫がそれぞれ三つずつ。
冷蔵庫に入れたパウダーをまぶしたチョコレートは、全部で六個。
幼い弟達がケンカをしたり、自分だけコレがない、と落ち込む事がないように、きちんと人数分を作ったチョコレート。
その、余った、一欠けら。
楽しそうにラッピングを始める妹と。
朝ご飯の催促をする弟達の声と。
口の中で溶けて行くチョコレートと。
一つ一つ噛み締めながら、レオンは良い日だな、と小さく笑みを浮かべた。
折角だから可愛くて特別なチョコを贈りたいエルオーネ。
レオンは見た目綺麗には作るけど、デコレーションはあまり凝らない。
でもしょっちゅう作ってるお陰で、妹よりお菓子作りに詳しいお兄ちゃんでした。
今年は弟達も、お兄ちゃんと一緒に何かお返し考えなきゃね。