[三空]星明り、ひかり
ジープの上で夜を過ごす時、不寝番を立てる事は滅多にない。
三蔵や八戒が今後のルートを相談する為に起きている時もあるが、終われば彼らも就寝する。
夜半の妖怪の襲撃の可能性は十分あったが、それを逐一気にしていては、この旅では幾らも身が持たない。
ついでに言えば、来るか来ないか判らないようなものを警戒し、神経を張り詰めさせていなければならない程、戦々恐々とするような繊細さは持ち合わせていないのだ。
若しも襲撃があった場合は、各人それぞれ、勝手に自分の身を守る為に動けば良い。
野宿の際、一行にとって重要なのは、如何にして効率的に体力の回復を図るか。
行路によっては、ジープで安穏と過ごしていられない場合もあるので、下手に体力を浪費するような事はせず、短時間でも脳と体を休め、明日に備えるのが得策だ。
……そう思っていながら、悟空は眠る事なく、頭上の星空を眺めていた。
その視界の端で、ゆらり、と紫煙が揺れて立ち昇る。
悟空の隣にいる男は、眠っている。
そんな男の前に座っている男も、身動ぎ一つする事なく、眠っている。
起きているのは、悟空と、悟空の前に座っている男だけだ。
「な、三蔵」
星空を見上げたまま、悟空は彼の名を呼んだ。
煙を吸い込み、吐き出すまでの沈黙があって、「…なんだ」と静かな声が返る。
「寝ないの?」
「終われば寝る」
何が、と悟空は尋ねなかった。
ジジ、と小さな火が燃える音が聞こえる。
吐き出された煙が、悟空の視界の端を覆って、直ぐに消えた。
あれの“旨さ”と言うものを、悟空は知らない。
煙で腹が満たされる訳でもないし、たまにうっかり吸い込む煙は苦くて不味いばかりだ。
けれど、三蔵や悟浄は何事かあっては「煙草が旨い」と呟いている。
何がどうして、あんな不味いものが旨く感じられるのか、悟空はいつも首を傾げる。
とは言え、どうしても知りたい訳ではないし、八戒が二人の煙草代についで「馬鹿にならないんですよねぇ」と満面の笑みを浮かべていた事を思うと、自分は知らないままの方が色々と良いのだろう、と悟空は思う事にしていた。
無言で煙を燻らせる三蔵の後姿を眺めながら、機嫌が良いな、と悟空は思った。
彼が微かに頭を揺らす度、細い線を描く金糸がさらりと揺れる。
悟空は徐に手を伸ばして、金色の隙間に指を通した。
くるり、振り返った紫闇と、近い距離で目が合う。
「何してんだ、猿」
「別に?」
指から逃げた金糸。
悟空はそれに頬を膨らませつつ、答えた。
三蔵は悟空を見詰めたまま、唇に煙草を噛ませる。
一秒少々の間が空いて、三蔵は煙草を指に挟むと、ふうっ、と悟空に煙を浴びせた。
「うえっ!げっほ、げほっ」
「意味の判らねえ事してる暇があったら、さっさと寝ろ」
「三蔵こそ早く寝ろよ、いつも十二時前には寝てる癖に」
「俺がいつ寝ようと、俺の勝手だ」
だったらオレだって勝手にして良いじゃないか。
そんな心境で唇を尖らせる悟空を、三蔵は見ていない。
三蔵はさっさと正面へと向き直ると、また紫煙を燻らせた。
直ぐ間近にある金糸をじっと見詰め、悟空は尖らせていた唇を、ひっそりと緩ませる。
(まだ寝ない)
そっと、腕を持ち上げて、金糸の端に触れる。
絡まって引っ張ってしまう事のないように、ほんの少し届くだけに留めておけば、三蔵が振り返る事はない。
空には月はなかったが、宝石箱をひっくり返したように、無数の星が散りばめられている。
悟空は星座だとか星の名前だとかに興味はなかったが、暗闇の中できらきらと光る星は好きだ。
星の光は、月に比べると酷く小さく微かなものだが、それでも、沢山の光が降り注げば、世界は仄かな光に照らされる。
その仄かな光の中で、冴え冴えと光る金色を眺めるのが、悟空は好きだった。
(寺院にいた頃は、こう言うの、時々しか見られなかったんだよな)
星明りは、当然ながら、建物の中にいると届かない。
灯りを消して、カーテンを開けたままにして置けば、微かに届いて来るけれど、それは四角い窓の中だけのもの。
寝床で眠る者の傍まで落ちて来てはくれなかった。
でも、此処は何処までも続く空の下で、星光を遮るものは何もない。
だから、目を閉じて眠ってしまわない限り、柔らかな光を宿した金糸を見ていられる。
とろり、と瞼が落ちて来るのを堪える。
もうちょっと、と誰に対してでもなく呟いて、悟空は指に絡めた金糸を見詰めた。
……溜息交じりに煙を吐き出す音が聞こえたけれど、彼が振り返る事はなかったので、悟空は眠るまでずっと金糸に触れていた。
3月9日なので、三空の日!
…こんなでも三空です。しっとり静かに。