[ラグスコ]ワンダーグラス・ラバーズ
ちょっと休んできなさい、と言う言葉と共に、ガーデンから放り出された。
缶詰になっていた自覚はあるが、こうして放逐されなければならない程とは思っていなかったので、強引すぎやしないかと思う。
しかし、補佐官と言う役割についているキスティスだけでなく、シュウやニーダ、挙句にサイファーにまで「当分戻るな」とまで言われてしまった。
その理由が、うっかり三日ほど食事を採るのを忘れていたと言うものだから、流石にスコールもぐうの音が出ない。
ガーデンが人手不足で、その穴をスコールが過剰な稼働時間で埋めているのは確かで、それによりスムーズに回っている事があるのも事実。
しかし、それでは今後のガーデンにとっても全く宜しくない訳で、そうした負担は分散させるべきものである。
だが、元々誰かに頼る事を苦手としているスコールは、「他人に任せるより自分が行った方が早い」と言う判断で、諸々の仕事雑事を手前で片付けてしまう。
それが判っているからキスティスもサイファーも先んじて雑事を拾い、多方面に分散させてはいるのだが、如何せん、現在のガーデンのトップにいるのはスコールである。
全ての事柄を最初に確認する事が出来る立場にいる彼は、後に仕事を残す事を嫌う生真面目さと面倒臭がり屋もあって、端末の中に整理されたものを逐一確認する。
そうして誰よりも最初に案件を拾っては、自分が処理してしまうのだ。
苦手な案件の類もあるので、それ位は人に回す事を覚えたスコールであるが、元々彼は優秀な性質である。
大方の事は処理出来てしまうのが、反って彼の仕事量を増やしていた。
要するにこの急な休暇は、スコールを歯車から人間に戻す為の期間なのだ。
真っ当な睡眠時間を確保し、ゆっくりと一日三度の食事を食べ、運動をするのなら適度なもので終わらせる。
仕事の事はさっぱり忘れて、健康で健全な生活を取り戻すまで、ガーデンに戻って来るな、と言うことだ。
おまけに「しばらく使う予定はないから」とラグナロクまで渡されている。
魔女戦争の後、アデル討伐も含めて最大の功労者であるスコール───対外的にはバラムガーデンと指して───に報酬としてエスタから寄与されたものだ。
平時は遠方、または緊急の任務の足として使われるものだが、これもスコールと一緒に休暇に出された訳だ。
ラグナロクさえあれば、着陸場所だけは聊か選ぶ必要があるが、それでも基本は何処に行くにも自由が利く。
これで何処にでも行けと言う訳だ。
出掛ける手段がないから何処にも行かない、結局指揮官室に戻る、と言う選択肢を潰されたとも言える。
一応、指揮官と言う役職にある自分が、ラグナロクを使って気儘なお出掛けなんて、職権乱用が過ぎるんじゃないか。
そう思いつつも、仕方がないのでスコールはラグナロクに乗り込んだ。
すっかり使い慣れてしまった自動操縦システムを起動させて、目的地を打ち込もうとした所で、手が止まる。
(……何処に行けば良いんだ?)
缶詰生活から急に解放されるなんて露ほども思っていなかったので、何も予定が浮かばない。
何処にでも行ける、となると反って具体的な例が浮かばなくて、スコールは固まった。
ゆっくり休んで、ゆっくり食事をして、ゆっくり寝られる場所。
例えるなら保養地のような場所なのだろうが、リゾート的な街と言うのは、観光客が多かったりして、スコールは余り好きではない。
第一、そんな事をするのなら、バラムガーデンの寮で過ごしていれば早い話だ。
しかし、ガーデンには戻して貰えそうにないので、その選択肢は使えない。
一人切りの操舵室で悩む事10分少々────スコールは頭に浮かんだ光景に、それもやはり悩んだが、最終的には目的地の入力をしたのだった。
他の街とは全く重なる事のない、幾何学的な形をしたビルが幾つも並び、川のように伸びた空中の道路が行き交う国────科学大国エスタ。
スコール一人を乗せたラグナロクは、バラム島を発つと、真っ直ぐにこの地を目指した。
陸路を行けば延々と電車に揺られ、F.H.傍まで来たら、定期運航されているようになった小型飛空艇に乗ると言うのが、今外国人がエスタに入国する為に必要となるステップである。
F.H.に辿り着くまでに、電車で何時間と揺られなくてはならないので、まだ気軽な道とは言えない。
しかしラグナロクを使って一直線の空路を行けば、ほんの1、2時間程度の往路で済む。
スコールがエスタに到着した時、時刻は昼を過ぎた所だった。
ショッピングモールのファストフードで買った昼食を食べながら、ラグナにメールでエスタに来た旨を伝えてみると、「マジ??」と言う返事。
休暇の話なんて前にしたのはいつだっただろう。
それ位に、スコールがエスタの地に足を踏み入れたのは、久しぶりの事だった。
ジャンクではあるが、真っ当と言えば真っ当な食事を食べている間に、ウォードが迎えにやって来た。
最近ようやく慣れて来た、筆談を伴った彼との会話で、ラグナは官邸で仕事をしていると言う話を聞く。
邪魔になるなら私邸に行く、とスコールは言ったのだが、折角だから顔を見せてやってくれと言われ、促されるままに大統領官邸へと向かう事になった。
官邸内はいつもの様子と変わりなく、沢山の執政官が右へ左へと忙しなくしている。
その横を素通りする格好で、スコールは大統領の執務室がある奥へと通された。
ウォードが扉のノックをすれば、「どーぞー」と間延びした返事。
開いた扉の向こうへとスコールが通されると、山積みになった書類に埋もれたデスクの向こうから、眼鏡をかけたラグナが此方を見た。
「スコール!」
嬉しそうに椅子を立ったラグナが、両手を広げてスコールの下へ駆け寄って来る。
その勢いの良さに後ろ脚を踏んだスコールだったが、ラグナは構わずスコールを抱き締めた。
ぐりぐりと猫でも可愛がるような手厚いスキンシップに、スコールの眉間に多重の皺が寄る。
「暑苦しい」
「わりわり。久しぶりに顔見れたから嬉しくて」
腕を突っ張って剥がされ、ラグナは眉尻を下げて詫びた。
「少し座って待っててくれよ。悪いな、ちょっとバタバタしててさ」
「……それなら俺は出た方が良いんじゃないか」
誰から見ても忙しない大統領官邸の内部の様子。
部外者であり、急な訪問をした自分は邪魔だろうと、スコールはそう言ったのだが、
「いや、もう大方片付いてるから、あと最後のツメだけなんだ。だから其処にいてくれよ」
「……」
「終わったら昼飯───はもう食った?」
「さっき」
「じゃあコーヒーでも淹れるからさ。それまで待ってて」
そう言ってラグナはデスクに戻り、待機していたキロスと話を再開させている。
スコールはウォードに促されて、来客用のソファへと座り、言われるままに待機する事にした。
何か打ち合わせでもしているのか、ラグナはキロスと真剣な表情で話をしている。
其処にウォードも加わり、声が出せない筈なのに、二人はいつものように、しっかりと彼の意思を読み取っていた。
言葉がないのにどうしてあんなにもスムーズに判り合えるのか、それが竹馬の友と言うものなのだろうか。
ようやく、人と繋がりを持つ事に拒否感を持たなくなってきたばかりのスコールには、不思議な光景だった。
しかし、今日はそれよりも気になる事がある。
(……眼鏡かけてる)
手に持った書類を見るラグナの目元を覆うグラス。
ウェリントン型の細い黒のフレームは、シンプルながらラグナによく似合っている。
おしゃれと言うより、重厚そうな雰囲気があって、恐らくは完全に仕事に使う為の代物なのだろう。
ラグナが眼鏡をかけていると言うのは珍しい事ではなく、朝の新聞のチェックであったり、書き物をする時には使っていた。
小さな文字や、距離の近いものを見る時にピントが合い難くなったとかで、四十路になった頃から常備するようになったらしい。
所謂老眼鏡と言う奴で、それをかける姿をスコールが見詰める度、「敏食っちゃってさあ」と恥ずかしそうに苦笑していた。
そう言う意識もあるからか、ラグナはスコールの前で眼鏡を使うのは最小限に留めている節がある。
時折、眉間に皺を寄せたり、悩むように頭を掻いたりと言う仕草を見せながら、ラグナとキロス、ウォードの会話は続く。
何を喋っているのか、少し距離のある場所に座っているスコールには聞こえなかったが、その方がスコールは安心した。
うっかり他国の重要機密事項でも聞いてしまったら、胃が痛くなって仕方がない。
だから彼等が話し合っている間、スコールは外に出ていた方が良いのではないかと思うのだが、此処にいてくれと言われてしまったので、留まるしかなかった。
暇を持て余して、天井に描かれた隆線模様の数を数え始めてから、しばらく。
「じゃあそう言う事で」と言うラグナの言葉を締めにして、キロスとウォードは執務室を出て行った。
「っは~、終わった終わったぁ」
伸びをするラグナを見て、スコールはソファに凭れていた背中を起こした。
デスクの方を見ると、ラグナが眼鏡を外し、指先で目頭を摘まんでいる。
デスクを立ったラグナは、隣室に設けられている小さな簡易キッチンに向かった。
程無くして戻って来た彼の手には、スコールも見慣れたコーヒーカップが二つ。
「ほい、お待たせ」
「……ん」
スコールのコーヒーをテーブルに置いて、ラグナはその隣に腰を下ろした。
仕事の後の一杯で喉を潤し、はあ、と詰めた息をゆっくりと吐き出す。
スコールもカップを口に運び、これもまた慣れた味が舌を滑って行くのを感じながら、なんとなくゆっくりと息を吐いた。
そうすると、段々と体の力が抜けて行って、知らず強張っていた筋肉が緩んで行くのが判る。
「いやー、びっくりしたぜ、今日は。メールが鳴ったから見てみたら、『エスタに来てる』だもんな」
「……急な休暇になったんだ。でもする事もないから……なんとなく、来た。……邪魔して悪かった」
「んな事ねえって。嬉しいよ」
ぐしゃぐしゃとラグナの手がスコールの頭を掻き撫ぜる。
目尻に加齢の皺を浮かべた、人懐っこい笑顔がスコールを見詰めていた。
その胸元のポケットに、さっきまでかけていた眼鏡のフレームが見えて、スコールの手が伸びる。
「ん?」
「……
興味を惹かれた事に気付かれて、スコールはそう言った。
言い訳めいているような気がしたが、ラグナはそれを気にする様子はなく、
「ああ、うん。あっちでかけてるのは、プライベート用っつーか、そんな感じでさ。こっちで使うと色んな人に見られるから、もうちょっとオシャレな奴が良いんじゃないかって言われて」
確かに、ラグナが私邸で使っている眼鏡───スコールがよく見た事のあるものだ───はもっと簡素な造りをしていた。
デザインも凝っている訳でなく、かと言ってシンプルと言う程洗練されている訳でもない。
言ってしまえば、コストダウンも含めた大量生産で作られたもので、幾らでも替えが利く代物。
だからこそ手軽に試す事も出来るし、入手も用意なのだが、故に“安物”と一目で判る。
ラグナは使い勝手が良ければそれで充分だったのだが、一国の大統領が愛用しているのがそれと言うのもどうなのだ、と周りが気にしたのだそうだ。
あまり自分でお洒落と言うものにセンサーがないラグナに替わり、キロスを初めとした執政官たちで吟味し、寄贈と言う形で渡したのが、今胸元にある眼鏡だと言う。
「ふぅん……」
「眼鏡なんてどれも同じだと俺は思ってたんだけどさ。でもこれ、確かに格好良いんだよな」
そう言いながら、ラグナは胸ポケットのそれを取り出した。
眼鏡を発注する際に、視力検査もしたそうで、レンズ含めてこの眼鏡は特別注文品だと言う。
お陰でラグナは、渡された時はその高級感に使うのを躊躇った程だったが、一度使うともう手放せなくなった。
執政官たちからも似合うと言って貰えたし、キロスやウォードに至っては「少し落ち着いたように見えなくもないな」と揶揄い混じりの言葉も貰った。
そう褒められるとラグナも悪い気はしないし、フレームの軽さや取り回しのし易さもあって、外遊などの仕事も含めて供にしている。
しかし、プライベートではうっかり傷を入れさせてしまいそうで、相変わらず安い眼鏡を使っていた。
ラグナはしげしげと眼鏡を眺め、フレームを開くと、それをスコールの顔へと向ける。
「お前も眼鏡、似合いそうだな」
「……必要ない」
「そりゃそうだ。目が良いし、若いしな」
笑うラグナの手から、スコールは眼鏡を取った。
試しにレンズを目元に近付けると、視界が歪んで見えてくらくらとする。
両目ともに良好な視力を持っているスコールにとって、視力矯正具は必要なくて当然なのだ。
目元の違和感を瞼を強く閉じて追い払うと、スコールは眼鏡の向きを反転させた。
何故か楽しそうに此方を覗き込んで来る男の顔に、そっと眼鏡をかけてみる。
加齢と笑う癖で残ったのだろう目元の皺が少し隠れ、黒のフレームで引き締められたような雰囲気が滲む。
成程、確かに、私邸で使っている安価なものよりも、“格好良い”と皆が褒めるのも判る。
それ位に、この眼鏡はラグナにしっくりと嵌るのだ。
そんな事を考えながら、じっと眼鏡をかけたラグナの顔を見詰めるスコールを、ラグナも見詰め返し、
「ちったぁ若く見えっかな?」
「それはない」
へらりと笑ってそんな事を宣うラグナに、スコールは素っ気なく返してやった。
そっかぁ、と判り易く残念そうに眉尻を下げるラグナの指が、眼鏡のフレームを摘まむ。
外そうとしているその手を、スコールは誘われるように掴んで妨げた。
不意打ちだと判っていて唇を重ねると、一枚レンズの向こうで翡翠が丸く見開かれるのが面白かった。
眼鏡なラグナが気に入ったスコールでした。
ラグナは自分自身ではあまりお洒落とか気にしてなさそうで、眼鏡も必要になったら取り合えずその辺で安いの買って済ませそうだな、と。何ならネタに走る位のこともしそう。
本人はそれで十分なんですが、いやいやもっと似合うのあるでしょ、と周りがあれよあれよと準備しちゃうまでがセット。