[ラグレオ]その言葉は魔法
オフ本[エモーショナル・シンドローム]のその後の二人。
レオンがラグナの下に来て、その息子とも共に生活をするようになってから、数ヵ月。
その間、環境の変化や、人に対して必要以上に気を遣うレオンの事を慮って、ラグナは出張などの長い時間家を空けることを避けていた。
自分がいなくても、出来た息子がいるとは言え、学生と言うのは存外と忙しい身である。
また、レオンとスコールはそれぞれが踏み込まない境界線を作っているようで───レオンは生まれ持った環境により、スコールも元々そう言う距離感を保つ性質であるから───、其処にラグナが緩衝材になる事で程好く中和されていた所があった。
それを急に二人きりにさせると言うのは、やはり色々と心配の種が尽きないものだったので、レオンが落ち着くまで、極力そういう事を避けてきたのだ。
しかし、ラグナはそれなりに立場のある身だから、彼でなくては話が進まない、と言う案件も儘ある。
取引の内容、そこで顔をあわせる人の立場にも合わせ、ラグナが出張らなくては対等な話が出来ない、と言う事も。
それでもしばらくはリモート会議と言う手法を取ったりしていたのだが、取引相手が海外の人間となると、場所によっては時差やインフララインの関係もあってリモートが聊か難しいと言うのも避けられない。
そんな訳で、ラグナは久しぶりの海外出張に行く事になった。
飛行機で往復にそれぞれ一日を費やすので、打ち合わせに要する時間を含めると、最低でも三日はかかる。
出掛ける間際まで、ラグナはレオンのことを大層心配していたし、スコールにも「大丈夫か?知らない奴来たら、配達っぽくても、すぐに玄関開けちゃ駄目だぞ」と言っていた。
彼にしてみれば、息子もレオンも、小さな子供を心配するのとそう変わらないのかも知れない。
スコールはともかく、自分はもう大人なのに───と苦笑していたら、隣でスコールが「レオンはともかく、俺は問題ない」ときっぱり言ってくれたものだから、レオンは今度こそ噴き出してしまった。
そんな遣り取りの後、ラグナはスコールに追い出される格好で、やっと出発した。
それが今から、三日前のこと。
今日の午後には、ラグナが帰国する。
フライト時間は、問題がなければ正午には到着する便だと聞いているが、生憎此方は午前中の天候があまり宜しくなかった。
出発する方でもすんなりと飛び立ってはくれないような天気が覗けていて、これは多少の遅れはあるだろう、と読める。
ともあれ、無事に帰ってきてくれればそれで良いと、レオンとスコールはいつも通りの朝迎える。
今日は平日であるから、学生であるスコールは学校がある。
レオンは普段と違い、一人分だけを作った弁当を、玄関前でスコールに手渡した。
「ほら、今日の昼飯」
「ん。……午後にはラグナが帰るだろうけど、あんたも別に気にしないで、自由にしていて良いんだからな」
「ああ、そうするよ。行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
見送るレオンに、スコールも返事をして、玄関を潜って行った。
スコールの言葉は、無理にラグナの出迎えをしなくて良い、と言う事だろう。
飛行機の到着が多少なり前後するであろう事を考えると、ラグナが何時に家に帰って来るのかはどうしても読み切れない。
それを気にして、家にいないと、と無理に考えなくて良いのだと、スコールからの気遣いだ。
(でも、やっぱり……出迎えはしたいかな)
スコールの言葉は有り難いものだったが、それはそれとして、レオンの気持ちとしてラグナが帰って来る所を迎えたい。
こう言う事は、一人暮らしの時には当然ながら浮かびえない感覚だったので、それが少し新鮮だった。
となると、午前中に済ませておいた方が良い事は幾らもある。
先ずは朝食に使った食器と調理器具を片付け、食洗器の乾燥のスイッチを入れる。
次に、昨晩のうちに洗って置いた洗濯物を干しておき、バスルームの掃除を始めた。
風呂の掃除は定期的に行っているのだが、今日はラグナが帰って来るし、折角だから一番風呂に入って貰いたいので、少し念入りにやって置く。
これは案外と重労働なので疲れるものなのだが、今日は不思議と体が軽く、レオンは鼻歌でも歌いそうな気持の軽さでこれを終えた。
濡れた手脚をタオルで拭き、それを手洗いして洗濯物の群れの中に加えながら、
(浮かれているな、俺)
そんな自覚をしながらも、レオンは決してそれを厭いはしなかった。
風呂掃除で汗を掻いたので、水分補給に浄水を飲みながら、冷蔵庫を開けてみる。
レオンもスコールもそれ程食べるタイプではないのもあって、この三日間は買い物に行く必要なく過ごしていた。
しかし、ラグナが帰って来る事は勿論、流石に冷蔵庫の中身そのものが物寂しくなっているのもあって、今日は買い出しに行かねばなるまい。
昼食を簡単に済ませる目的も追加して、レオンは財布を片手に早速家を出た。
空は少し重く、若しかしたら雨も降りそうだったが、レオンの足取りは軽い。
頭の中は今日の夕飯をどんなメニューにするかと言う事で一杯だった。
(揚げ物はラグナさんは喜んでくれるけど、そんなに多くは食べられないと言っていたし、スコールもそんなに箸が進む訳ではないんだよな。ティーダがいるなら別なんだが。それより、出張先 の味が濃くてクセがあるって言ってたから、ヘルシー路線でいつもの食事にした方が良いか)
通い慣れたスーパーに入って、レオンは先ずは野菜を買い物カゴの中に入れていく。
三日から四日は使うものを一気に揃えるので、野菜だけでカゴの半分は埋まるのが常だ。
それから、主菜になるものも肉、魚と、ついでに焼きそばを近いうちに作ろうと、その麺も買って置く。
牛乳がなくなりそうだった、とこれもカゴに詰め、近くに並んでいたヨーグルトも入れた。
パンはあまり食べる機会はなかったが、あればレオンの昼食として簡単なので、三つほど。
そして、最近ラグナが嵌っていると言っていたシリーズのデザートを、一つずつ。
必要なものを一通揃えたことを確認してから、ああ忘れていた、とレオンは総菜コーナーへ向かう。
今日の昼はこれで済ませるつもりだったのに、他のもので頭が一杯になっていた。
サラダは作り置きが後少し、昼にレオン一人が食べる分は残っていた筈なので、おかずになるコロッケを買う事にする。
重い買い物袋を抱えながらの家路は、面倒と言えば面倒で、こう言う時には車があった方が良いんだろうな、と思う。
一応、レオンはその免許も持っているのだが、環境柄車を持っていなかったので、すっかりペーパードライバーだ。
何より車は持ってしまうと維持費がかかるし、現在、ラグナの下で同居させて貰っている身としては、それをねだるなんてとんでもない。
歩いて帰れない距離ではないのだし、良くて自転車を提案する位だろうが、それだってレオンは言う気はなかった。
(……歩くと言うのも、悪くはないし。こんな時位しか、外に出ていないしな)
今のレオンにとって、何処其処に出掛けると言うよりも、家にいる事が心地良い。
ずっと、他人の家に間借りさせて貰っている、と言う気持ちから緊張感が抜けなかったのだが、最近ようやく、そんな風に感じる事が出来るようになった。
あの家に住む事が決まった時、「此処はお前の家なんだから」と言ったラグナの言葉が、すんなりと心の中に溶けてきたような気がするのだ。
ついでに、元々レオンは出不精でもあったし、暇潰しと言えば読書と料理くらいのものだった。
だから、一見すると缶詰するように屋内に閉じこもった生活でも、今の所、特に不便も不満もないのである。
家に着いたレオンは、買い物袋の中身を片付けた後、手早く自分の昼を済ませた。
ちらりと時計を見ると正午は過ぎており、飛行機が定刻通りに飛んでいれば、今頃ラグナは母国の空港に着いている頃だ。
とは言え、空港から自宅まではまた時間がかかるので、早くてもあと一時間以上はかかるだろう。
昼食を終えたレオンは、エプロンをつけ、日課になった台所仕事に就く。
(ラグナさんが帰って来るから、好きなものを用意しよう。卵焼きと、ハンバーグと、スープはコンソメにして……サラダは食べ切ったから、また作らないとな。葉物を多くしておくか)
刻んだ根菜類を電気圧力鍋に入れる。
これは最近、あると便利そうだよな、とスコールと電気量販店のチラシを見ていた所、ラグナが買ってくれたものだ。
これのお陰で鍋を気にする時間が減り、火の通りにくい野菜の時短も出来るようになったので、非常に助かっている。
まだ昼を過ぎた頃なのに、今から夕飯の準備なんて急がなくても、と思わないでもない。
けれども、下準備くらいはしていても良いだろうし、何より、何もせずじっとしているのがレオンは苦手なのだ。
あれをして、これをして、と考えている方が、心の奥底から理由もなく湧き上がってくる不安と向き合わなくて済む。
(でも、やっぱり時間は大分余りそうだから……パイでも作ろうかな。ああでも、デザートは買って来たんだったか)
流石に食べるものが増えすぎるのはちょっと───とその後の消費スピードを考えて、思い直す。
とは言え、洗濯物はまだ乾き切っていないだろうし、掃除は日々熟しているので、家の中は綺麗なものだ。
肉ダネの空気を抜きながら丸めつつ、どうしようかな、と考える。
着々と手を動かしているので、サラダもすぐに出来たし、スープも後少し煮込んで味が染み込めば十分だろう。
卵焼きは食べる直前に作れば良いし、今日やるべき事は終わってしまった気もする。
形成まで終えたハンバーグをラップで包み、密封袋に入れて、冷蔵庫に入れておく。
スープにかけていた火も止めると、いよいよレオンの手は空いた。
「ふう……」
一つ息を吐いて、レオンはエプロンの紐を解く。
リビングダイニングの椅子に座って、ちらりと時計を見ると、時刻は午後三時。
まだ帰って来る様子のない一家の主に、やっぱり飛行機は遅れたんだな、と思いつつ、
(……ラグナさん)
脳裏に浮かぶ人懐こい顔を、もう三日も見ていない。
この家で父子と一緒に暮らすようになって、毎日のように見ているのに、たかが三日で───と言われそうだが、それでもレオンにとっては寂しいものだった。
何もすることがなくなったものだから、時間の進みが一気に遅くなったように感じる。
スコールはそろそろ最後の授業が始まっている頃だろうか。
彼が帰って来るのと、ラグナが帰って来るのを、さてどちらが早いか、微妙な所だ。
「………」
カチ、カチ、カチ、と時計の針の小さな音がくっきりと聞こえる。
一人暮らしをしていた頃は、特に気にするでもなかったその時間を、今の生活では随分と気になる瞬間が増えた。
どうしてなんて言うまでもない、ラグナがいればいつも賑やかで、時計の音なんて気にならないのに、彼がいないと言うだけで、この空間は酷く静かで広いのだ。
ラグナが仕事へ、スコールが学校へ行けば、無職の立場に甘んじているレオンは、この家で専ら一人である。
それもこの数ヵ月で慣れてきたものだったが、それでも半日経てば、スコールは勿論、ラグナも帰って来ていた。
(三日間いないだけで、こんなに……)
さみしい、と心の底から聞こえる自分の声に、レオンはひっそりと呆れる。
一人で過ごすことなんて、ずっと当たり前だったのに、この数ヵ月の間に、その感覚をすっかり忘れていた。
その感覚は時間を追うごとに強くなって行き、早く帰ってきてほしい、と我儘を言いそうになる。
出張は仕事なのだから仕方がないし、息子であるスコールが平静としているのに、良い年である大人の自分がそんな子供のようなことを考えるのもどうか。
だが、生まれて初めて恋心を抱いた人の存在は、レオンにとって大きな比重になっていて、早く顔を見たいと願わずにいられない。
レオンの脳裏に、いつかのホテルで、じっとラグナの帰りを待っていた時の事が蘇る。
全ての想いをぶちまけた後、それを受け入れてくれたラグナを、レオンは夢の出来事のように感じていた。
夢ではない筈だけれど、どうにも自分の身に起こった事が信じられなくて、レオンは早く、仕事に出ていたラグナに帰って来て欲しいと思っていた。
彼の顔をもう一度見たら、本当にあれは夢ではなかったのだと、ようやく思える筈だったから。
今のレオンに、あの頃程の強烈な不安はない。
此処はラグナの家だから、此処で待っていれば、彼は必ず帰って来るのだと確信がある。
(……でも、何かあったらって、思ってしまうのは……どうしようもないな……)
事故でも、事件でも、そう言う可能性をレオンは常に考えてしまう。
ラグナには何よりも元気で過ごしていて欲しいから、此処にいつものように帰ってきてほしいから。
願うからこそ、過ぎってしまう昏い想像は、レオンが幼い頃から自分を護る為に培ってきた方法だった。
それに対して実際に防衛策を取る事で、レオンは自分の心を、崩壊寸前の状態から保ち続けてきたのである。
しかしレオンは、その不安を払拭する方法を知らない。
降りかかる不幸を受け止め、底を外して零し続ける事しか出来なかった彼にはまだ、他者から差し伸べる手が必要なのだ。
それを齎してくれたのが、他でもない、ラグナだった。
───カチャン、と玄関のロックが外れる音がする。
ぼんやりとしていたレオンの意識は、それによって一気に現実へと引き戻されて、
「ただいまー!レオン、帰ったぞー!」
お土産あるぞ、と言う朗らかな声は、レオンが待ち望んでいたものだ。
すぐに立ち上がって玄関へ向かえば、眩しい位の笑顔がレオンを迎えてくれた。
それに俄かに滲む視界を堪えながら、
「お帰りなさい、ラグナさん」
帰宅を喜ぶその言葉は、形以上に、レオンにとって大きな意味を持っている。
誰かの帰りを待ち望み、その願いが叶うことが、こんなに嬉しいことなのだと、レオンはようやく知ったのだ。
[エモーショナル・シンドローム]のラグレオです。
この設定のレオンは、どうしてもラグナに対しての依存が強いのです。
あまりに寄り掛かったら迷惑になると自制しなくちゃと思ってもいるけど、そもそもが自制の塊で自縄自縛していた反動もあって、ふとした時の不安が凄い勢いで走り出す。
でも段々とこう言う出来事を繰り返して、ラグナが帰って来るのを不安にならずに待っていられるようになるんじゃないですかね。大分時間はかかるけど。
この話のスコールは、年齢こそレオンより下ですが、環境柄あまり捻くれずに育つことが出来たので、精神的にはレオンより落ち着いている感じ。
なので、スコールはスコールで、一緒に暮らすようになったレオンに対して、疑似的に弟の面倒を見ているような感覚はあるかも知れない。
レオンがラグナの下に来て、その息子とも共に生活をするようになってから、数ヵ月。
その間、環境の変化や、人に対して必要以上に気を遣うレオンの事を慮って、ラグナは出張などの長い時間家を空けることを避けていた。
自分がいなくても、出来た息子がいるとは言え、学生と言うのは存外と忙しい身である。
また、レオンとスコールはそれぞれが踏み込まない境界線を作っているようで───レオンは生まれ持った環境により、スコールも元々そう言う距離感を保つ性質であるから───、其処にラグナが緩衝材になる事で程好く中和されていた所があった。
それを急に二人きりにさせると言うのは、やはり色々と心配の種が尽きないものだったので、レオンが落ち着くまで、極力そういう事を避けてきたのだ。
しかし、ラグナはそれなりに立場のある身だから、彼でなくては話が進まない、と言う案件も儘ある。
取引の内容、そこで顔をあわせる人の立場にも合わせ、ラグナが出張らなくては対等な話が出来ない、と言う事も。
それでもしばらくはリモート会議と言う手法を取ったりしていたのだが、取引相手が海外の人間となると、場所によっては時差やインフララインの関係もあってリモートが聊か難しいと言うのも避けられない。
そんな訳で、ラグナは久しぶりの海外出張に行く事になった。
飛行機で往復にそれぞれ一日を費やすので、打ち合わせに要する時間を含めると、最低でも三日はかかる。
出掛ける間際まで、ラグナはレオンのことを大層心配していたし、スコールにも「大丈夫か?知らない奴来たら、配達っぽくても、すぐに玄関開けちゃ駄目だぞ」と言っていた。
彼にしてみれば、息子もレオンも、小さな子供を心配するのとそう変わらないのかも知れない。
スコールはともかく、自分はもう大人なのに───と苦笑していたら、隣でスコールが「レオンはともかく、俺は問題ない」ときっぱり言ってくれたものだから、レオンは今度こそ噴き出してしまった。
そんな遣り取りの後、ラグナはスコールに追い出される格好で、やっと出発した。
それが今から、三日前のこと。
今日の午後には、ラグナが帰国する。
フライト時間は、問題がなければ正午には到着する便だと聞いているが、生憎此方は午前中の天候があまり宜しくなかった。
出発する方でもすんなりと飛び立ってはくれないような天気が覗けていて、これは多少の遅れはあるだろう、と読める。
ともあれ、無事に帰ってきてくれればそれで良いと、レオンとスコールはいつも通りの朝迎える。
今日は平日であるから、学生であるスコールは学校がある。
レオンは普段と違い、一人分だけを作った弁当を、玄関前でスコールに手渡した。
「ほら、今日の昼飯」
「ん。……午後にはラグナが帰るだろうけど、あんたも別に気にしないで、自由にしていて良いんだからな」
「ああ、そうするよ。行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
見送るレオンに、スコールも返事をして、玄関を潜って行った。
スコールの言葉は、無理にラグナの出迎えをしなくて良い、と言う事だろう。
飛行機の到着が多少なり前後するであろう事を考えると、ラグナが何時に家に帰って来るのかはどうしても読み切れない。
それを気にして、家にいないと、と無理に考えなくて良いのだと、スコールからの気遣いだ。
(でも、やっぱり……出迎えはしたいかな)
スコールの言葉は有り難いものだったが、それはそれとして、レオンの気持ちとしてラグナが帰って来る所を迎えたい。
こう言う事は、一人暮らしの時には当然ながら浮かびえない感覚だったので、それが少し新鮮だった。
となると、午前中に済ませておいた方が良い事は幾らもある。
先ずは朝食に使った食器と調理器具を片付け、食洗器の乾燥のスイッチを入れる。
次に、昨晩のうちに洗って置いた洗濯物を干しておき、バスルームの掃除を始めた。
風呂の掃除は定期的に行っているのだが、今日はラグナが帰って来るし、折角だから一番風呂に入って貰いたいので、少し念入りにやって置く。
これは案外と重労働なので疲れるものなのだが、今日は不思議と体が軽く、レオンは鼻歌でも歌いそうな気持の軽さでこれを終えた。
濡れた手脚をタオルで拭き、それを手洗いして洗濯物の群れの中に加えながら、
(浮かれているな、俺)
そんな自覚をしながらも、レオンは決してそれを厭いはしなかった。
風呂掃除で汗を掻いたので、水分補給に浄水を飲みながら、冷蔵庫を開けてみる。
レオンもスコールもそれ程食べるタイプではないのもあって、この三日間は買い物に行く必要なく過ごしていた。
しかし、ラグナが帰って来る事は勿論、流石に冷蔵庫の中身そのものが物寂しくなっているのもあって、今日は買い出しに行かねばなるまい。
昼食を簡単に済ませる目的も追加して、レオンは財布を片手に早速家を出た。
空は少し重く、若しかしたら雨も降りそうだったが、レオンの足取りは軽い。
頭の中は今日の夕飯をどんなメニューにするかと言う事で一杯だった。
(揚げ物はラグナさんは喜んでくれるけど、そんなに多くは食べられないと言っていたし、スコールもそんなに箸が進む訳ではないんだよな。ティーダがいるなら別なんだが。それより、
通い慣れたスーパーに入って、レオンは先ずは野菜を買い物カゴの中に入れていく。
三日から四日は使うものを一気に揃えるので、野菜だけでカゴの半分は埋まるのが常だ。
それから、主菜になるものも肉、魚と、ついでに焼きそばを近いうちに作ろうと、その麺も買って置く。
牛乳がなくなりそうだった、とこれもカゴに詰め、近くに並んでいたヨーグルトも入れた。
パンはあまり食べる機会はなかったが、あればレオンの昼食として簡単なので、三つほど。
そして、最近ラグナが嵌っていると言っていたシリーズのデザートを、一つずつ。
必要なものを一通揃えたことを確認してから、ああ忘れていた、とレオンは総菜コーナーへ向かう。
今日の昼はこれで済ませるつもりだったのに、他のもので頭が一杯になっていた。
サラダは作り置きが後少し、昼にレオン一人が食べる分は残っていた筈なので、おかずになるコロッケを買う事にする。
重い買い物袋を抱えながらの家路は、面倒と言えば面倒で、こう言う時には車があった方が良いんだろうな、と思う。
一応、レオンはその免許も持っているのだが、環境柄車を持っていなかったので、すっかりペーパードライバーだ。
何より車は持ってしまうと維持費がかかるし、現在、ラグナの下で同居させて貰っている身としては、それをねだるなんてとんでもない。
歩いて帰れない距離ではないのだし、良くて自転車を提案する位だろうが、それだってレオンは言う気はなかった。
(……歩くと言うのも、悪くはないし。こんな時位しか、外に出ていないしな)
今のレオンにとって、何処其処に出掛けると言うよりも、家にいる事が心地良い。
ずっと、他人の家に間借りさせて貰っている、と言う気持ちから緊張感が抜けなかったのだが、最近ようやく、そんな風に感じる事が出来るようになった。
あの家に住む事が決まった時、「此処はお前の家なんだから」と言ったラグナの言葉が、すんなりと心の中に溶けてきたような気がするのだ。
ついでに、元々レオンは出不精でもあったし、暇潰しと言えば読書と料理くらいのものだった。
だから、一見すると缶詰するように屋内に閉じこもった生活でも、今の所、特に不便も不満もないのである。
家に着いたレオンは、買い物袋の中身を片付けた後、手早く自分の昼を済ませた。
ちらりと時計を見ると正午は過ぎており、飛行機が定刻通りに飛んでいれば、今頃ラグナは母国の空港に着いている頃だ。
とは言え、空港から自宅まではまた時間がかかるので、早くてもあと一時間以上はかかるだろう。
昼食を終えたレオンは、エプロンをつけ、日課になった台所仕事に就く。
(ラグナさんが帰って来るから、好きなものを用意しよう。卵焼きと、ハンバーグと、スープはコンソメにして……サラダは食べ切ったから、また作らないとな。葉物を多くしておくか)
刻んだ根菜類を電気圧力鍋に入れる。
これは最近、あると便利そうだよな、とスコールと電気量販店のチラシを見ていた所、ラグナが買ってくれたものだ。
これのお陰で鍋を気にする時間が減り、火の通りにくい野菜の時短も出来るようになったので、非常に助かっている。
まだ昼を過ぎた頃なのに、今から夕飯の準備なんて急がなくても、と思わないでもない。
けれども、下準備くらいはしていても良いだろうし、何より、何もせずじっとしているのがレオンは苦手なのだ。
あれをして、これをして、と考えている方が、心の奥底から理由もなく湧き上がってくる不安と向き合わなくて済む。
(でも、やっぱり時間は大分余りそうだから……パイでも作ろうかな。ああでも、デザートは買って来たんだったか)
流石に食べるものが増えすぎるのはちょっと───とその後の消費スピードを考えて、思い直す。
とは言え、洗濯物はまだ乾き切っていないだろうし、掃除は日々熟しているので、家の中は綺麗なものだ。
肉ダネの空気を抜きながら丸めつつ、どうしようかな、と考える。
着々と手を動かしているので、サラダもすぐに出来たし、スープも後少し煮込んで味が染み込めば十分だろう。
卵焼きは食べる直前に作れば良いし、今日やるべき事は終わってしまった気もする。
形成まで終えたハンバーグをラップで包み、密封袋に入れて、冷蔵庫に入れておく。
スープにかけていた火も止めると、いよいよレオンの手は空いた。
「ふう……」
一つ息を吐いて、レオンはエプロンの紐を解く。
リビングダイニングの椅子に座って、ちらりと時計を見ると、時刻は午後三時。
まだ帰って来る様子のない一家の主に、やっぱり飛行機は遅れたんだな、と思いつつ、
(……ラグナさん)
脳裏に浮かぶ人懐こい顔を、もう三日も見ていない。
この家で父子と一緒に暮らすようになって、毎日のように見ているのに、たかが三日で───と言われそうだが、それでもレオンにとっては寂しいものだった。
何もすることがなくなったものだから、時間の進みが一気に遅くなったように感じる。
スコールはそろそろ最後の授業が始まっている頃だろうか。
彼が帰って来るのと、ラグナが帰って来るのを、さてどちらが早いか、微妙な所だ。
「………」
カチ、カチ、カチ、と時計の針の小さな音がくっきりと聞こえる。
一人暮らしをしていた頃は、特に気にするでもなかったその時間を、今の生活では随分と気になる瞬間が増えた。
どうしてなんて言うまでもない、ラグナがいればいつも賑やかで、時計の音なんて気にならないのに、彼がいないと言うだけで、この空間は酷く静かで広いのだ。
ラグナが仕事へ、スコールが学校へ行けば、無職の立場に甘んじているレオンは、この家で専ら一人である。
それもこの数ヵ月で慣れてきたものだったが、それでも半日経てば、スコールは勿論、ラグナも帰って来ていた。
(三日間いないだけで、こんなに……)
さみしい、と心の底から聞こえる自分の声に、レオンはひっそりと呆れる。
一人で過ごすことなんて、ずっと当たり前だったのに、この数ヵ月の間に、その感覚をすっかり忘れていた。
その感覚は時間を追うごとに強くなって行き、早く帰ってきてほしい、と我儘を言いそうになる。
出張は仕事なのだから仕方がないし、息子であるスコールが平静としているのに、良い年である大人の自分がそんな子供のようなことを考えるのもどうか。
だが、生まれて初めて恋心を抱いた人の存在は、レオンにとって大きな比重になっていて、早く顔を見たいと願わずにいられない。
レオンの脳裏に、いつかのホテルで、じっとラグナの帰りを待っていた時の事が蘇る。
全ての想いをぶちまけた後、それを受け入れてくれたラグナを、レオンは夢の出来事のように感じていた。
夢ではない筈だけれど、どうにも自分の身に起こった事が信じられなくて、レオンは早く、仕事に出ていたラグナに帰って来て欲しいと思っていた。
彼の顔をもう一度見たら、本当にあれは夢ではなかったのだと、ようやく思える筈だったから。
今のレオンに、あの頃程の強烈な不安はない。
此処はラグナの家だから、此処で待っていれば、彼は必ず帰って来るのだと確信がある。
(……でも、何かあったらって、思ってしまうのは……どうしようもないな……)
事故でも、事件でも、そう言う可能性をレオンは常に考えてしまう。
ラグナには何よりも元気で過ごしていて欲しいから、此処にいつものように帰ってきてほしいから。
願うからこそ、過ぎってしまう昏い想像は、レオンが幼い頃から自分を護る為に培ってきた方法だった。
それに対して実際に防衛策を取る事で、レオンは自分の心を、崩壊寸前の状態から保ち続けてきたのである。
しかしレオンは、その不安を払拭する方法を知らない。
降りかかる不幸を受け止め、底を外して零し続ける事しか出来なかった彼にはまだ、他者から差し伸べる手が必要なのだ。
それを齎してくれたのが、他でもない、ラグナだった。
───カチャン、と玄関のロックが外れる音がする。
ぼんやりとしていたレオンの意識は、それによって一気に現実へと引き戻されて、
「ただいまー!レオン、帰ったぞー!」
お土産あるぞ、と言う朗らかな声は、レオンが待ち望んでいたものだ。
すぐに立ち上がって玄関へ向かえば、眩しい位の笑顔がレオンを迎えてくれた。
それに俄かに滲む視界を堪えながら、
「お帰りなさい、ラグナさん」
帰宅を喜ぶその言葉は、形以上に、レオンにとって大きな意味を持っている。
誰かの帰りを待ち望み、その願いが叶うことが、こんなに嬉しいことなのだと、レオンはようやく知ったのだ。
[エモーショナル・シンドローム]のラグレオです。
この設定のレオンは、どうしてもラグナに対しての依存が強いのです。
あまりに寄り掛かったら迷惑になると自制しなくちゃと思ってもいるけど、そもそもが自制の塊で自縄自縛していた反動もあって、ふとした時の不安が凄い勢いで走り出す。
でも段々とこう言う出来事を繰り返して、ラグナが帰って来るのを不安にならずに待っていられるようになるんじゃないですかね。大分時間はかかるけど。
この話のスコールは、年齢こそレオンより下ですが、環境柄あまり捻くれずに育つことが出来たので、精神的にはレオンより落ち着いている感じ。
なので、スコールはスコールで、一緒に暮らすようになったレオンに対して、疑似的に弟の面倒を見ているような感覚はあるかも知れない。