[スコリノ]秘密のメモリアル・デイ
記念日などと言うものを、スコールが意識する訳もない事を、リノアはよく判っていた。
彼のスケジュールは基本的に任務に関することで埋まっているし、それのお陰で平日も休日もあったものではない。
朝から晩まで指揮官用に誂えられたデスクに座りっぱなしである事も多く、不在であれば危険度の高い任務か、要人警護の類に赴いている。
お陰でリノアが偶にバラムガーデンにやって来ても、余り会える機会はない。
事前に予約を取った所で、某かの出来事が横入りしてきて、「悪い」と言葉を貰うのが精一杯である事も多かった。
そんな毎日を送っているスコールだから、日付の感覚やその確認と言うのは、自分のスケジュールを思い出す為のものでしかない。
夏に訪れる彼自身の誕生日だって、スコールはすっかり忘れて過ごすのだ。
覚えていたとて、その日が魔物退治だの護衛だのと、いつもと変わらない任務内容で潰されているに違いない。
加えて、元々の人付き合いの消極さの所為か、人とのコミュニケーションツールの類には酷く疎かった。
誰それの何々の日、等と言うものが、彼の頭に擦り込まれるには、まだしばらくの時間がかかるだろう。
最近ようやく、リノアを始めとし、幼馴染の面々の誕生日を、言われて思い出す程度には意識できるようになっただけでも、大した成長と言える。
個々人の記念日なんてものは、市販のカレンダー表には、当然ながら記されていない。
ただの気持ちの問題だと言えばそうだし、それも気にする人、気にしない人と様々あるものだ。
記念日を大事にしたい、と言う人は、、誕生日に嬉しい思いをしたとか、記念日を祝ってくれる人がいただとか、そう言う経験の積み重ねがあったのだろう。
少なくとも、リノアはそうだった。
けれどスコールの場合、彼の幼い頃の記憶と言うのは霞がかっている事が多い上に、今でもはっきりと思い出せるのは、姉がいなくなった淋しさの日々ばかり。
誕生日くらいは、楽しかったのかも知れない、お姉ちゃんがいた頃は───と呟いたのが、彼の幼い思い出の全て。
祝って貰った喜びよりも、二度とそれが与えられない辛さの方が強かったから、彼はそう言うものを遠ざけるようになった。
幼い日の突然の離別は、それ程彼にとって大きな出来事だったのだ。
だからリノアは、“記念日”について、あまりスコールの前であれこれと言ったことはない。
恋人の誕生日だと知って、何も準備してなかった、と気まずそうに視線を逸らしたその様子だけで、リノアは満足している。
お祝いしてくれようと思ったんだ、とそれを感じられるだけで、リノアは幸せだったのだ。
あの誰にも興味がないと言う顔をしていたスコールが、そんな風に、自分のことを気にかけてくれるようになったなんて、こんなに嬉しい事はないのだから。
スコールは今日中には帰ってくる筈だから、と言われて、リノアは指揮官室にある来客用のソファで寛いでいた。
来訪した時、出迎えてくれたキスティスは、遅い昼食を採りに食堂へ行った。
お茶はどうかと誘われもしたが、リノアはバラムの街で昼食を食べたばかりだったし、まだ胃の中が膨らんでいる感覚があったので辞退した。
スコールは三日前から、ドールで要人警護の任務に出ていると言う。
任務の為の契約期間は、今日の正午に切れるとのことで、時間的にはもう彼は自由の身だ。
あとは海路でバラム島まで帰ってくるだけだから、任務完了のすぐ後に船に乗れていれば、直に到着する筈。
出先で何かのんびりしようと言う気が滅多にないスコールの事だから、例え遅くなるとしても、空に夕焼け色が見える頃には顔を見れる筈だと、リノアは読んでいた。
待っているだけでは手持無沙汰で、途中で一度、リノアは図書室に赴いた。
前に読んでいる途中で棚に戻した本を見付ける事が出来たので、持ち出し許可を貰って借りて行く。
六章から成るその小説は、既に四章まで終わっているから、今日明日があれば読み切れるだろう。
直ぐに指揮官室へと戻ると、まだ其処は無人だったので、リノアはソファへと戻って本を開いた。
驚天動地な物語を読み進めている内に、ゆっくりと時間は過ぎてゆく。
のめり込む勢いのままに第五章を読み終わり、このまま最後まで読み切ろうか、明日の楽しみにしようかと思っていた所で、指揮官室のドアが開く。
「はあ……」
「スコール!」
疲れを滲ませた溜息が聞こえて、リノアはそれを吹き飛ばさんばかりの明るい声で、この部屋の主の名を呼んだ。
呼ばれた方は、きょとんと蒼灰色の瞳を丸くして、ソファから立ち上がるリノアを見、
「……リノア?」
なんでいるんだ、と言う表情が向けられているが、リノアは構わず駆け寄る。
両腕を大きく広げ、突進宜しく抱き着けば、嗅ぎ慣れた火薬と鉄の匂いがする。
到底甘やかな匂いとは程遠いが、ああスコールの匂いだ、とリノアは胸一杯にそれを吸い込んだ。
「おかえりなさい、スコール!」
「……ああ、ただいま」
抱き着いて来た恋人を受け止めた格好のまま、スコールが小さな声で返事をした。
そんな些細なことがリノアはどうしようもなく嬉しい。
シルエットの割に、案外としっかりとしている胸板にぐりぐりと頬ずりをする。
何してるんだよ、と呆れた声がしたが、スコールはリノアの好きにさせてくれていた。
それに甘えて、リノアはスコールの存在を一頻り堪能してから、ハグから彼を開放する。
「お疲れ様。大変だった?」
「別に。いつも通りだ」
「そっかそっか」
答えるスコールは疲れた様子こそあるものの、血の匂いや、それを覆い隠すような薬の匂いも纏わせていない。
それを、危ないことにはならなかったんだ、とリノアは思う事にしている。
傭兵、況してその集団を束ねる者であるスコールの任務には、相応の危険が付きまとうもの。
そう言う生き方をしている人だと理解はしているつもりだが、好いた人には怪我なく戻って来て欲しいと思うのが、待つ身の願いと言うものだ。
スコールは持っていたガンブレードケースをデスクの横に置くと、どさ、と椅子に身を沈める。
いつになく体が重そうに見えるのは、任務終了から直ぐに帰還する為、船に揺られた所為か。
何か疲れに効くようなものが用意できないかな、とリノアは手持ちの荷物を思い出してみるが、特に変わったものを持って来ている訳でもない。
うーん、と考えた後、
「スコール」
「……ん」
「肩揉んであげよっか?」
「……なんだよ、急に」
「疲れてるみたいだったから。私、結構上手いと思うよ」
スコールに向かって両掌を見せ、握り開きと揉む仕草をして見せるリノア。
そんな彼女に、精一杯の労いの気持ちを、スコールも掬い取ったのか、くつりと小さく笑って、
「いや、良い。其処まで疲れてる訳でもないし」
「そうは見えないんだけどなぁ」
「先方が少し図々しくて面倒だっただけだ。体の方は大して動いていないし」
スコールはそう答えたが、それこそ彼が気疲れする相手だったのだろう、とリノアには直ぐに判った。
クライアントの言う事には、他に優先事項があるとか、余程の事でなければ、従順であるのがスコールだ。
ただし頭の中は案外そうでもない事の方が多く、業腹を鉄面皮で隠している事も珍しくない。
表に出してはならない事を考えつつ、クライアントの意に沿うように動かねばならないと言うのは、中々疲れるものだ。
やっぱり揉んであげようかなぁ、と断られたが勝手にしてみようかと思っていた時。
「リノア」
「はい」
名前を呼ばれたので、なんでしょう、と返事をした。
するとスコールは、トレードマークの黒のジャケットのポケットに手を入れて、小さな箱を取り出す。
「これ、あんたに」
「え?」
突然のことに、リノアはぱちりと目を丸くした。
スコールは、その手の中に納まるくらいの、小さなサイズの箱を持っていた。
黒の手袋を嵌めているので、それと真逆の白い箱は、なんだかきらきらと上品に輝いているように見える。
よくよく見ると、それは綺麗な化粧箱で、白地にプラチナ風のラメが散りばめられていた。
蓋の隅にデザイン的な書体で印字されたロゴが見えて、ドールで名うてのアクセサリーブランドのものであると悟る。
其処は安価なものから高級品まで幅広く取り扱っているものだが、こんなに丁寧な化粧箱で封がされていると言う事は、それなりの値段がするに違いない。
そんなものをどうして急に、とぽかんとするリノアに、スコールは明後日の方向を向きながら、
「ドールで見つけた。あんたに、似合いそうだと思って。……それだけだ」
それだけだ、とスコールはもう一度、小さな声で繰り返した。
まるで自分に言い聞かせるように紡ぐ声は、一度目はともかく、二度目は相手に聞かせる音量ではない。
同じタイミングで、髪の隙間に覗く、水色のピアスをした耳朶が赤くなっているのが見えて、リノアまで伝染したように頬が熱くなる。
「えっ。あっ、えっと。えーとえっと」
「………」
「あっ、うん。あり、ありがと!」
「……ん」
沸騰したように顔に熱が籠るのを感じながら、リノアはどもりながら気持ちを伝える。
スコールはやはり別な方向を向いたまま、小さく頷いてくれた。
スコールの手から化粧箱を受け取り、リノアはそうっと蓋を開けた。
差し込む天井からの光を受けて、きら、と柔く輝く白透明の石が姿を見せる。
小さな涙雫の形をしたピアスは、身につければさり気無く、持ち主の耳元で閃いて見せるのだろう。
ピアスをじっと見つめる傍ら、こそりと贈り主を覗いてみると、スコールはいつの間にか体ごとリノアに対して横を向けていた。
ただ微かに見える赤らんだ頬だとか、噤まれた唇が面映ゆそうにしているのを見て、リノアは胸の奥がくすぐったくて仕方がない。
スコールは恐らく、自分らしくもない事をしたと、変に冷静になった頭で、今更の羞恥を抱えているに違いない。
そんな照れていると判る恋人の様子が可愛らしくもあったし、リノアは彼がこの石を見付けた時に、自分のことを思い出してくれたと言うのが嬉しかった。
(私のこと、離れててもちゃんと覚えててくれてるんだ。ちゃんと、思い出してくれるんだ)
G.F.の恩恵を借りて生きるスコールたちSeeDにとって、記憶の侵食は免れない事だと、リノアは知っている。
それ故に彼が幼い頃のことを上手く思い出せない事も、あの戦いの直後、帰るべき場所を忘れてしまったスコールが、一人時の狭間を彷徨い歩く事になったのも、紛れもない事実だ。
力を激しく行使すれば、直近の出来事さえも思い出せなくなるかも知れないリスクを抱いて、スコールは常に戦っている。
恋人の誕生日の事も、当日に仲間達から聞くまで思い出さなかった彼が、滅多に面と向かって逢えないリノアのことを、思い出してくれた。
街の中でふらりと見付けたアクセサリーに、「似合いそうだ」と言う理由で買って来てくれるなんて。
余りに嬉しくて頬が酷く緩んでしまいそうで、リノアはその前にいそいそとスコールの背後へ周り、
「スコール、やっぱり肩揉んであげる」
「良いよ、別に……」
「良いから良いから。ほら、前向いて」
面倒というより、恥ずかしさがまだ勝っているらしいスコールを、リノアは肩を押して正面を向かせる。
自分はしっかりその後ろに立って、疲れで強張り気味のスコールの肩に両手を置いた。
にぎにぎと両手で肩を揉み始めると、スコールは諦めたように体の力を抜く。
リノアは肩揉みマッサージをしながら、ちらとデスクの端のカレンダーを見た。
今日の日付は、特に何がある訳でもない、いつも通りの平日だ。
それでもリノアは、今日と言う日を覚えておこうと思った。
誰も知らない、スコールも知らない、これは自分だけの特別記念日として。
リノアは記念日を都度作っていそうだな、と。
スコールと共有できれば嬉しいけれど、中々それは難しいので、自分の中で「今日は〇〇記念日(サラダ記念日感覚)」と作っていても良いなと。
それが段々「スコールが〇〇してくれた記念日」「一緒に出掛けた記念日」って言う感じになったら可愛いなあと思いました。
スコールはてんでそう言うのは鈍いけど、ロマンティストな奴も近くにいるので、段々と意識が育って行くんじゃないかと思う。