[フリスコ]ヘリオトロープ
オフ本『ペルシカ』、Web小説『ヴィオラ』のその後
温室と言うものを、フリオニールはバラム国に来て初めて知った。
其処には屋外とは違う環境が整えられ、気温や湿度が人工的に管理され、その整えた環境に適した植物が植えられている。
元々は薬草等の研究・生育の為に造られた施設だったが、転じて地域ごとに異なる花々の研究にも用いられるようになり、そうして育てた植物を、更に様々な人々の知見を集め広める為に、一般公開さた棟もあった。
バラムは一年を通して温暖な気候を保ちつつも、海が近い関係で、潮の影響を受ける所も多い。
その影響を可能な限り避け、季節が変わっても可能な限り変わらない環境を作り出すことで、本来この地域では育たない植物も育てる事が出来るのだ。
毎日のようにスコールと一緒に中庭の花の世話をしていた甲斐あってか、フリオニールはその温室に入る許可を貰った。
それも、一般公開しているものではない、城抱えの植物学者が日々の研究に使っている所だ。
入る為の諸注意は厳重に説明して貰い、少し緊張した面持ちで其処に臨むことになったフリオニールだったが、入った瞬間にその緊張は吹き飛んだ。
故郷である砂漠の国では勿論の事、バラム国の城庭園でも見た事がないような植物の数々が、其処には並んでいたのだ。
これは、あれは、あの花は、と目を輝かせたフリオニールに、案内役を任されていた学者は、まるではしゃぐ子供を見守る保護者のような顔で、懇切丁寧に解説をしてくれた。
その温室には、環境変化に過敏な植物も少なくない為、出入り出来る者は限られていると言う。
そんな所に入らせて貰ったと言うのは、故郷で細々と隠れるように植物を育てていた経歴を持つフリオニールにとって、それはそれは破格の経験であった。
温室と言うものがどんな風に作られ、維持されているのかも教えて貰ったし、植物にとって育つ為の環境が如何に大切かと言うのも、改めて習う事になった。
「────いい経験だったよ」
そう言ったフリオニールの隣には、スコールがいる。
場所はバラムの城の一角、中庭を上から眺められる周り廊下の真ん中だ。
其処は日中は殆ど影のない場所で、夏になると聊か暑いのだが、風通しが良い事もあって、フリオニールは気に入っていた。
此処からなら、バラムの人々が自慢にしている庭園も一望できるから、折に暇な時間が出来ると、ふらりと此処に立ち寄る位には常連になっている。
そんなフリオニールの隣に立っているスコールも、此処から見える景色は嫌いではないらしい。
彼の幼少期を良く知るバッツ曰く、此処は、彼が故郷で見ていた景色と少し似ているのだそうだ。
ようやく子供の頃の郷愁に浸れるくらいになったんだ、と言ったバッツの横顔は、少し肩の荷が下りたような、安心した表情にも見えていた。
それにスコールが気付いている事は、恐らく、ないのだけれど。
胸の高さにある壁に寄り掛かり、庭を眺めるフリオニールに、スコールは言った。
「あんたは、こっちに来てから植物のことばかりだな」
「はは、そうかもな」
「お気楽な。あんた一応、王弟殿下で親善大使だろう。もっと色々見る所があるんじゃないか」
スコールの言葉には、少しばかりの棘が混じっている。
立場を忘れるなよ、と釘を差されているのを感じつつ、フリオニールも苦笑して、
「うん、そうだな。街の方もまた行かないと。鍛冶屋を見せて貰う段取りになってるんだ。色んなものを打ってる所を見せて貰おうと思って」
「鍛冶屋……あんたの所の方が、そう言う技術は上だと思うが」
「いや、どうかな。うちは兵の武器防具に使う為の技術はあるけど、金物とか、そっちは此処の方が出来が良い気がする。炉の形も違うから、見てると色々違いがあって面白い」
土地が変われば品も変わり、其処で培われ求められる技術も違う。
フリオニールはそれを、砂漠の国の王弟として、親善大使に出されてから知った。
肌身で感じるその違いは、見る度に、この大陸が様々な文化で形作られている事を実感する。
そう語るフリオニールの横顔を、スコールはじっと見つめ、
「……そんなに、違うか」
「ああ。俺は俺の故郷にあるものしか見てないからな、やっぱり其処との違いは大きいよ」
フリオニールは生まれてこの方、ほんの数カ月前まで、故郷の砂漠の地から出た事はなかった。
野盗の征伐や、遺跡の研究を目的とした学者団体の護衛をして城街を出た事は何度となくあるが、広い砂漠の向こうの景色は、とんと遠い世界の話だったのだ。
紆余曲折の末にこうして外の世界を見ることが出来て、その経緯については色々と思う所はあるものの、フリオニール個人の感想で言えば、結果として良い経験に巡り合えたと思っている。
「もっと色々なものを見なくちゃな。此処は居心地がいいし、皆優しくて温かいけど、俺は俺のやる事もしないと」
「……」
「あの砂漠に帰るまでに、出来るだけ、沢山のことを学ぼうと思うんだ」
フリオニールは、砂漠の国の王の義弟に当たる。
長年、国を治めて来た父から、フリオニールの義兄にあたる長男にその王位が継がれたのは、ほんの数カ月前の事。
一気に国政の方針転換を行った砂漠の国は、遅れた国際交流への道をようやく拓き、現国王の指示の元、周辺諸国に親善を目的とした大使を送っている。
フリオニールもその役割を持った一人で、これまで軍事国家として突き進んできた砂漠の国と、永久中立国として大陸諸国の調停役を担ってきたバラム国に、今後の友和を願う姿勢を示す形として差し出された使者と言う立場にあった。
砂漠と言う地形上、孤立的でもあったことから、砂漠の国は独特の価値観と、聊か閉鎖的な文化が根付いている。
フリオニールはそんな中にあって、若い世代からの支持が多いことから、時代の変化の先駆けを学び持ち帰る為に、当分の間、バラム国に駐在することになったのだ。
だから、それがいつになるかは具体的に示してはいないものの、フリオニールはいつかは故郷に帰らなくてはならない。
バラムの国で学んだ経験、技術、価値観────そう言うものを用いて、砂漠の国をより繁栄させながら、諸外国と渡り合って行く為に。
砂漠の地で生きる人々を、これからも絶やさず守っていく為に。
フリオニールの言葉に、スコールが微かに俯く。
壁に当てていた手が、緩く握り締められている事に、フリオニールは気付いていなかった。
「まあ、でも────そんなに直ぐに帰る事にはならないとは思うし。俺は出来るだけ長く、バラム国 にいたいな。スコールともまた会えたからさ」
そう言ってフリオニールは、隣に立っている少年を見て笑った。
蒼灰色の瞳は、虚を突かれたようにまん丸になって、ぱちりと瞬きをして見せている。
砂漠の国の王子と言う立場にあったフリオニールと、その砂漠の国の王が滅ぼした亡国の忘れ形見スコール。
それが、元々のフリオニールとスコールが持っていた立場であり、これによって二人は出逢った。
奪われた家族の復讐に生きていたスコールは、最後にはそれを果たし、フリオニールの前から姿を消した。
が、何の因果か巡り合わせか、フリオニールがバラム国に向けての親善大使として遣わされた事で、亡国以来、バラムの国に囲われて過ごしているスコールと、思いがけず再会する事になったのだ。
その瞬間はスコールにとって、果たした復讐の因果が自分にも巡って来たのだと思ったものだったが、フリオニールにそのつもりは全くなく、こうして穏やかな語らいをする間柄になっている。
奇妙な巡り合わせではあるが、フリオニールはこの偶然に感謝していた。
砂漠の向こうに消えるスコールたちを、遠く遠く見送った時に、諦めていた何もかもを、もう一度やり直すチャンスがやって来たのだ。
なんとも都合の良い話ではあったが、お陰でこうして、密かな想いを捨てることなく過ごしている。
だからこそ、足早に故郷に帰りはするまいと、フリオニール自身は願っていた。
スコールは、フリオニールをじっと見つめて動かない。
そんな彼を見返して、フリオニールはそうだ、と手を打った。
「スコール、折角だから、鍛冶屋に行く時に一緒に行かないか?」
「……え?」
「ついでに街をぐるっと見て回ろうと思ってるんだ。どうだ?」
「あ───あ、ああ……それは、え、と……」
唐突に誘われたことに、スコールはまたぽかんとした顔を浮かべていた。
迷っている、と言うよりは、今言われた事を頭の中で再確認している様子だ。
「街はまだ、教えて貰った店に案内して貰った位でさ。でも今度は、行先はあまり決めずに歩いてみようかと。その時、街にあるものとか、スコールのお気に入りの店でもあったら教えてくれると嬉しい。ほら、前に俺が皆を案内したみたいに」
「そ、それは────その……いや、俺は、」
スコールはしばらく言い淀んだあと、気まずそうにまた俯いて、
「……城の外のことは、よく、判らないんだ。あまり出ないから」
「あ───そうか、スコールは此処での立場があるもんな。すまない、無神経だった」
「いや、そんな事はない。単に俺が出る気がないだけだったし」
謝るフリオニールに、スコールは首を横に振った。
そして、だから、と言って、
「あんたと一緒に街に行っても、案内できるものなんかないんだ。だから、一緒に行っても、あんたが詰まらないだけだと思う」
元々、スコールはこのバラムの国の人間ではない。
十年以上前に失われた、大陸南部の山間にあった、歴史の長かった小国の生まれだ。
砂漠の国との戦争によって、その国も形を亡くして久しく、それから長い間、スコールは悲しみと復讐に心を囚われていた。
他の何も目に入らない程、幼い心にその傷を焼き付けた彼が、同じ年頃の少年少女のように、異国の平和な街並みに目を輝かせたことはないのだろう。
だから何も知らないんだ、と俯くスコールに、フリオニールは彼の傷の深さを知る。
話に聞いてはいたが、十年以上も復讐の誓いに生きていたのだから、それは相当なものである事は判っていた。
判っていたが、こうして日々に会話をする都度に、目的を果たして尚───彼らはそれも覚悟の上だったのだろうけれど───、消えない過去を持っているのだと感じる事があった。
フリオニールに、彼の過去は拭えない。
彼から愛しいものを奪った男の血を引いているフリオニールの存在そのものが、それを違えようのない事実にしていた。
……それでもフリオニールは、この透明で澄んだ蒼灰色の宝石に、惹かれることを止められない。
気まずい表情で俯いたままのスコールに、フリオニールは言った。
「それじゃあ、やっぱり一緒に行こう、スコール」
「……は?あんた、俺の話聞いてたか?」
顔を上げて、詰まらないって言っただろう、と眉根を寄せるスコールに、フリオニールは意識して笑顔を作る。
「知らないなら、今から知ればいいんだ。丁度良いよ、俺も知らない事だらけだから」
「案内なんて出来ない」
「なくても平気さ。帰り道だけちゃんと覚えておこう。あ、でも、二人でって言う訳にはいかないか。一応、俺もスコールも立場があるし……」
フリオニールは腕に覚えがあるが、それでも、親善大使と言う立場がある。
それ故に護衛として、幼い頃から一緒に育ったガイもバラム国に来ているし、スコールも幼年の頃から面倒見役を請け負ってきたバッツがいる。
せめて彼らには声をかけておかないと、と言うフリオニールの傍らで、スコールはごくごく小さな声で呟いた。
「……俺たちだけで行く気だったのか、あんた」
「駄目だよな、やっぱり」
「まあ……万が一があったら、首が飛ぶのはバッツとガイだろうし」
「それは良くない。明日、ガイに話しておこう。バッツにはスコールが伝えてくれるか?」
「と言うか、俺はまだ、あんたと行くとも言ってないんだが」
「あ」
「……良いさ、別に。あんたがそのつもりでいてくれるなら」
そう言ってスコールは、フリオニールの顔を真っ直ぐに見て、
「あんたが見てるものを見に行くんなら、案外、楽しいことがあるかも知れないな」
蒼灰色が見詰めているのは、深紅色の瞳。
其処に映っている世界はどんなものだろうと、微かに浮かぶ笑みの色に、フリオニールは鼓動が一度跳ねるのを感じていた。
フリスコ本『ペルシカ』のその後のその後。Webにて公開しているオフ本後の話[ヴィオラ]の後日の様子です。
色々自覚済みの二人ですが、日常での距離感はそんなに変わらず色んな話をしています。バッツとジタンが気を利かせているので、二人きりで話すことも多い模様。
とは言え街デートとなると保護者役のバッツは放っておけないので、多分二人きりでは無理ですが、それはそれでフリオニールはよろしくな!ってなる。スコールの方が二人きりになる可能性について意識している節がありますねコレは。