[スコリノ]ただ一人の為の献身
デリングシティから電車に揺られ、ティンバーを経由し、バラムへ。
其処からいつものように、迎えに来てくれたゼルが運転する車に乗って、リノアはバラムガーデンへと到着した。
その道すがら、ゼルから「丁度良いとこに来てくれたよ」と言われた意味を、リノアは指揮官室に来て知ることとなる。
指揮官室に据えられた、その部屋の主とも言える指揮官当人は、不在だった。
それ自体は特に珍しい事ではないのだが、理由が普段とは違う。
任務か何かかと思っていたが、キスティスによれば、スコールは体調を崩しているのだとか。
今朝からふらふらと覚束ない様子でデスクに就いていたのだが、何をするにもぼんやりとした様子が絶えないので、確かめてみると熱があった。
当人は「平気だ」と言い張っていたが、書面の文字を追うにも認識能力が追い付いていないのが明らかで、業を煮やしたサイファーによって強制退去と相成ったと言う。
昼を回る前から、スコールは寮の自室に軟禁されているのだが、目を離すと仕事に戻ろうとするので、サイファーがお目付け役をしている。
しかし、サイファーは明日から魔物討伐の任務が入っており、危険度の観点から見て、彼を外すことは難しい。
場所がエスタ大陸の僻地である為、今日の午後にはバラムを出なくてはならなかった。
そうなると、午後以降のスコールに監視の目がなくなってしまう。
キスティスは指揮官不在の代わりを勤めなくてはならないから、指揮官室から離れられないし、ゼルもサイファーの任務に彼の監視役として同行しなくてはならない。
アーヴァインとセルフィは任務に出ており、今日の内には帰らなかった。
───其処へリノアがやって来たから、「丁度良かった」のだ。
キスティスから顛末を聞いたリノアは、相棒のアンジェロを伴って、早速ガーデンの寮へと向かった。
何度も通い過ごす内に、バラムガーデンの勝手はよく知っている。
生徒たちもリノアの姿はすっかり見慣れ、彼女がスコールと良い仲である事も、公然の秘密のように扱われていた。
特段に触れずにいてくれる環境に有難さを感じつつ、リノアは本日噂の中心人物の部屋へと到着する。
コンコン、とノックをすると、ドア越しに「開いてる」と言う声がした。
部屋主のものではなかったが、気にせずにドアを開ける。
「おハロー。スコール、お熱どう?」
「御覧の有様だよ」
リノアがいつもの挨拶をしながら声をかけてみると、やはり部屋主ではない声が返事をした。
見れば、部屋主が収まっているベッドの横で、サイファーが椅子に座って腕を組んでいる。
翠の瞳がじっとりとベッドの主を睨んでいる所からして、どうやら大分やり合った後らしい、と言うことをリノアは察した。
お邪魔します、と改めての断りをしてから、リノアはベッドへ近付いて見る。
スコールはサイファーに背を向ける形で、壁の方へと体ごと向けており、口元まで布団を被っている。
濃茶色の横髪が流れた頬が、普段よりも随分と赤くなっているのが伺えた。
アンジェロはそんなスコールを、ベッドの縁から覗き込み、すんすんと鼻を鳴らしている。
がた、と音がして、サイファーが椅子を立った。
椅子の背凭れにかけていた白のコートを取って、袖を通しながら、その足は扉へ向かう。
「ったく、面倒なことさせやがって。やっとお役御免だ」
「サイファー、看病してくれてたの。ありがとね」
「じゃねえと直ぐに這い出してきやがる。リノア、後は任せたからな。今日一日、そいつは其処から出すなよ」
「はいはーい」
リノアが到着する旨は、キスティスから連絡があったのだろう。
サイファーはやれやれと髪を掻き上げながら溜息を吐いて、部屋を後にした。
残されたリノアは、先ほどまでサイファーが座っていた椅子をベッドに寄せて、腰を下ろした。
顔が見えないかな、と首を伸ばして覗き込もうとしていると、もぞ、とスコールが身動ぎする。
眠っているのかと思っていたが、ごろりと緩慢に寝返りを打つと、気怠げな蒼灰色がリノアを捉えた。
「……リノア」
「おハロー。顔、真っ赤だねぇ」
「……大したことじゃない」
「さて、どうでしょう。ちょっとごめんね」
リノアは手を伸ばして、スコールの斜め傷の走る額に触れた。
普段は、冷たいようでほんのりと温もりを持っているスコールの肌が、当然ながら今日は随分と熱い。
分かり易い発熱症状の具合に、リノアは苦笑して、スコールの頬を擽る横髪を指で払いながら言った。
「結構高いね」
「……そんなことない。皆が大袈裟なだけだ……」
「そんなことなくないと思うな。皆スコールが心配なんだよ」
リノアが額から手を離すと、スコールは不満げに唇を尖らせた。
物言いたげな瞳がリノアをじっと見つめている。
存外とお喋りな蒼灰色に、拗ねた子供みたいだなあ、と思うリノアの印象は、強ち間違いでもない。
スコールはのっそりと起き上がると、体をベッドの端へと寄せる。
「どうしたの」
「仕事……溜まってる」
「キスティスたちがやってくれるって」
「……俺の仕事だ。指揮官のサインがいる物もある」
自分がやらなければ、とスコールはベッドから腰を上げた。
すかさずリノアはその前に回って、スコールの肩を押してベッドへと座り戻す。
「リノア」
「大丈夫、大丈夫。ね?」
名を呼ぶスコールの声には咎めるものがあったが、リノアは気に留めなかった。
今日のリノアは、仲間たちから「スコールをベッドから出さない」と言う任務を仰せつかっているのだ。
そうでなくとも、赤い顔で、立ち上がるだけでふらふらとしているスコールに、無理をさせる訳にはいかない。
ベッドに座るスコールの膝に、のし、と重みが乗った。
見れば、アンジェロがスコールの膝に顎を乗せて、じっと上目遣いに見詰めている。
円らな瞳が、駄目だよ、と言っているように見えて、スコールは眉間に皺を寄せながら、なんとも言い難い表情を浮かべた。
「ほら、アンジェロも心配してる」
「……」
「はい、風邪ひきさんはベッドに戻る!ほらほら」
リノアが肩を押してベッドに戻そうとするので、スコールは渋々顔でそれに従う。
きっとサイファーとも、同じような遣り取りをしたのだろう───もっとお互いに容赦のないテンションで。
容易に想像できてしまうその光景に、リノアはこっそりと笑みを零しつつ、ベッドに伏せたスコールの体に掛布団をかけ直した。
スコールをベッドに戻すことが出来て、よしよし、とリノアは満足顔で椅子に座った。
アンジェロも主とその恋人の様子を見て、此方も満足した様子で、ベッドの横で丸くなる。
眉間の皺を深くして、じっと天井を睨むように見つめるスコール。
リノアはその頬に指の背を当てて、その熱さを改めて確認した。
何度だったのかサイファーに聞いて置けば良かったな、と思いつつ、この体温でも仕事を忘れられないスコールに、リノアは眉尻を下げて小さく笑う。
「スコールはえらいね。こんなに熱があるのに、自分の役目をしなきゃって思うんだ」
「……別に、そう言うのじゃない。溜めたらどうせ後でやらなきゃいけなくなる……」
「でも、今日はスコールの仕事は、キスティスがやっつけてくれるよ」
「……」
もう一度宥めてみるが、スコールの表情は晴れなかった。
寧ろ、より曇ったように、眉間の皺が深くなる。
リノアはその横顔を見つめ、ああ、と理解した。
「皆に迷惑かけちゃってるって、思っちゃうんだね」
「……別に……」
スコールの視線が、天井から壁へ、見つめるリノアから逃げるように逸らされる。
いつもの口癖も出てきて、図星を差されて照れているのだとリノアは理解した。
リノアはスコールの濃茶色の髪をゆっくりと指で梳いた。
発熱で頭皮まわりも汗が滲んでいるからか、いつもは柔らかめの髪が、今日は少ししっとりとしている。
ちょっと拭いてあげた方が良いかな、とリノアは椅子を立った。
「タオル持ってくるね。ちょっと待ってて」
暗に、ベッドから抜け出さないように釘を差して、リノアは洗面所に向かう。
作り付けのシンプルな洗面台の横に、几帳面に畳んで片付けられたタオルがあった。
適当に取って水に濡らし、よく絞ってから、ベッドへと持って行く。
冷たい水を含み、しっかりと絞ったタオルでスコールの頬をそっと撫でる。
蒼の瞳がぱちりと瞬きをした後、頬を撫で続ける冷えた感触に、スコールはほう……と小さく細い息を吐いた。
顔回りに滲んでいた汗を一通り拭き取ると、スコールの表情は少しリラックスして見えた。
頬の赤みは幾らも引いてはいないが、表情が和らいだのなら、楽になったのだろう。
よしよし、とリノアは濡れタオルはベッド横のサイドチェストに置いて、スコールの髪をもう一度指で梳き直した。
「ね、スコール。何か欲しいものとかない?」
リノアが尋ねると、スコールはゆっくりと此方を見た。
ブルーグレイの瞳が心なしかゆらゆらと揺れている。
「欲しいものって……別に、何も……」
「遠慮しなくて良いんだよ。今日は私、スコールの看病するのが任務だから」
「……あんたも大袈裟だな……」
リノアの言葉に、スコールは呆れた風に言った。
「悪いけど、本当に。特に、何も浮かばない……」
「そう?リンゴとか、欲しくない?」
「……」
「お昼ご飯食べた?そうだ、お薬は?」
「……」
リノアが続けて尋ねてみると、スコールはしばしの沈黙の後、小さく首を横に振った。
それじゃあ、とリノアは早速腰を上げる。
「冷蔵庫にリンゴ、ある?」
「……多分」
「お薬は?」
「……机の引き出しに、常備薬なら」
「うん。ちょっと待っててね、リンゴ剥いて来る」
「え」
おい、と呼び止める声の聞こえないまま、リノアは部屋に備え付けられているミニキッチンに向かった。
ガーデンには食堂があるから、日々の食事で寮部屋のキッチンを使う生徒は少なく、それも見越しての設計なのか、手狭な空間になっている。
それでも小さな一人用の冷蔵庫と、少々旧式の電子レンジは誂えられていた。
スコールの場合、冷蔵庫の中身は飲料水で占められている事が多いのだが、食堂まで行くのが面倒な時があるので、小腹を慰める為の冷凍食品や果物が幾つか入っている。
野菜室の蓋を開けると、バナナとリンゴが入っていた。
バナナも栄養価が高いので、病人食に良いと言うが、リノアは先ほど、自らリンゴを指定した。
頭に浮かんだのがそれだったので偶然の選択ではあるが、自分で言ったのだし、とリノアはリンゴを手に取る。
キッチンの収納を端から順に開けてみて、折よく果物ナイフを発見すると、よし、とリノアはそれを手に取った。
そして、さあやるぞ、とリンゴに果物ナイフの先を当てた所で、
「リノア」
「あっ。ダメじゃん、スコール。寝てなくちゃ」
赤い顔をしたスコールがキッチンに現れたのを見て、リノアは眉を吊り上げて見せた。
スコールの足元で、アンジェロがぐるぐるとまとわりつくように歩き回っている。
表情豊かな愛犬が、困ったような表情で飼い主を見上げた。
「スコール、リンゴはすぐ持って行くから。あっちで待ってて」
「いや、あんた、不器用だろ。リンゴは俺が自分でやるから」
「ダメ。今日のスコールはちゃんと寝てるの。大丈夫、これ位なら出来るから」
確かにリノアは少々手先が不器用だ。
それは自分自身でも、悔しいかな、理解していることである。
料理に関しても、細々としたことを気にするのが苦手で、失敗例を作ってしまう事が多いのも確かだった。
だが、スコールの為に何かできることはないかと思い、これなら出来ると思って自分で選んだのだ。
キスティスやイデアのように、丸いままのリンゴを綺麗に剥くのは難しくても、スコールが楽に食べられるように準備することは出来る───筈だ。
リノアは、先ずはスコールを回れ右させ、アンジェロと一緒にその背を押してベッドへ返した。
赤い目が心配そうにリノアを見つめるのを、頭を撫でで宥めてやる。
スコールはやはり物言いたげにしていたが、熱がある体ではやはり無理は効かないのだろう。
重い体を横たえると、それから動かなくなった。
リノアはアンジェロに「また起きてきたらすぐ教えてね」と言って、ワン、と答えた愛犬の頭を撫でた。
キッチンに戻ったリノアは、改めてリンゴと格闘した。
幼い頃、風邪を引いた時に母がしてくれたことを思い出しながら、リンゴの皮を切り剥いて行く。
その手付きはなんとも危なっかしく、ともすれば刃が指を何度か掠めたが、結果的には無事に終わった。
丸い筈のリンゴは、あちこちが凸凹と不自然に出っ張ってしまったが、とにかく、皮は剥けたのだから十分だ。
あとは串切りにして、キッチンの棚からフォークを探し出し、揃えて皿に乗せて持って行く。
「お待たせ、スコール」
「……ん」
声をかけたリノアに、スコールはのそりと起き上がった。
その目がリノアの指を見遣り、白い指先が傷ひとつないことを確認して、ほ、と胸を撫で下ろした。
リノアは椅子に座り直すと、フォークを取ってリンゴに差し、それをスコールの前へと差し出した。
「はい、スコール。あーん」
「………」
笑顔と共に言ったリノアに、スコールは分かり易く渋面を作った。
何処か冷たさも感じさせる蒼灰色が、胡乱な形でリノアを見つめ、
「……自分で食べれる」
そう言ってリンゴの皿に手を伸ばしたスコールだったが、リノアはすいっとそれを避けた。
空を切った手が彷徨って、スコールの目がゆっくりとリノアの顔へと向かう。
何をしているんだ、と言葉以上にお喋りな瞳の問いに、リノアはにこっと笑顔を見せてやる。
「今日は私がスコールの看病をするの」
「……食事くらい一人で出来る」
「良いから良いから」
「……」
何が良いんだ、とスコールの目はありありと語るが、リノアは引かなかった。
はい、と改めてフォークに差したリンゴを差し出す。
しばらく部屋には沈黙が続いていたが、それは決して長い時間ではなかった。
元よりそれ程気が長くないスコールであったし、リノアに対しては、サイファー曰く「究極に甘い」のである。
スコールは諦めに似た溜息を漏らした後、熱とは違う意味で頬を紅潮させて、緩く口を開いた。
「……あ」
「あーん」
小さく口を開けたスコールに、リノアはリンゴを持って行った。
落とさないように、行き過ぎないようにと注意しながら、スコールの口の中にリンゴを置いて行く。
しゃく、とスコールの口の中で果肉が音を立てた。
瑞々しい果肉がスコールの舌の上で解けていき、果汁が溢れ出して広がって行く。
熱で汗を掻き、水分が足りなくなっていた体は、水気と甘味、そしてほんのりとした酸味を大層喜んだ。
スコールの喉がゆっくりと上下して、喉を通過していく甘い水に、スコールの瞳が綻ぶように和らぐのが見えた。
「まだ食べる?」
「……ん」
ひとつ食べれば、もう躊躇いも何処かへ行ったらしい。
リノアが二個目のリンゴを差し出すと、スコールは直ぐに口を開けた。
雛鳥のようにリンゴを求めるスコールに、満足するまでリノアは果肉を差し出した。
切ったリンゴの半分を食べた所で、スコールが「もう良い」と言ったので、次は薬を用意する。
探し出した薬を、冷蔵庫から取ってきたペットボトルの水で飲んで、スコールは直ぐにベッドに横になった。
リノアが来るまで休む気にならなかったスコールだが、その間も体は疲弊し続けていた。
サイファーの監視のもと、大人しくはしていたものの、眠っていなかったのも響いているのかも知れない。
うとうととし始めたスコールを、リノアがベッドの袂でじっと眺めていると、
「……リノア……」
「うん?」
「………」
名を呼ぶ声に応えると、その後は続かなかった。
じっと此方を見つめる青灰色は、何処か小さな子供のようで、酷く頼りない。
ごくごく稀に垣間見えることのあるその顔に、ああ、とリノアは愛しい人が求めているものにすぐ気付いた。
リノアは、ベッドの端に覗いているスコールの手に、自分のそれを重ねた。
手の甲に被せる形で触れたが、直ぐにスコールが手のひらを返し、リノアの手を握る。
リノアもまた、その手を柔く握り返して、
「大丈夫だよ、スコール」
「……ん……」
リノアの言葉に、スコールはごくごく小さな声だけを返事にして、目を閉じた。
直ぐに聞こえ始めた寝息に、頑張り屋さんだなあ、とリノアは苦笑する。
長い睫毛を携えた目元に、前髪が被っているのを指で払いながら、リノアはその眦にそっと触れるだけのキスをした。
風邪っぴきスコールの世話をするリノアが浮かんだのでした。
不器用な子なのでリンゴの皮むきとか中々危なっかしいのでは、と思いつつ、やってやれない事はない!な子でもあるリノアなので。
スコールはリノアの前では年相応に格好をつける言動もするけど、根は愛されたがりの寂しがり屋ですから。
子供の頃にお姉ちゃんに甘えたように、弱った時にはリノアに甘えたいだろうなと。ただ子供の頃よりは素直にそれを表に出せないので、リノアの方が察してあげてる感じが良いなと思いました。