[Cat Panic]よそ見厳禁
帰り道で、塀の上で丸くなっている猫を見付けた。
ぽかぽかとした春の陽気の中、日だまりで眠る姿は、如何にも平和な午後と言った風。
嫌がるかなと思いつつ、手を伸ばして見ると、猫はちろりと片目を開けて此方を見ただけで、また直ぐに目を閉じた。
機嫌が良いのか、慣れているのか、猫はそのまま其処で丸まっていて、背中を撫でても動かない。
お好きにどうぞ、とでも言っているように見えたので、それに甘えて柔らかな毛並を撫でてやった。
しばらくそうしていると、ぴくん、と猫の耳が動いて、顔が上げられる。
何処かを見ていた猫は、ひょっとしたら、自分を呼ぶ声が聞こえたのかも知れない。
猫は、八剣の撫でている手が離れると、すっと立ち上がり、八剣の肩を踏台にして塀を下りた。
足元に降りた猫は、おまけに愛想を振りまくように、すりすりと八剣の足に体を摺り寄せてから、悠然と去って行った。
一時の穏やかな時間を分けて貰って、さて帰ろう、と八剣も帰路を再開させる。
それが、今から約五分ほど前の話。
「ただいま、京ちゃん」
部屋に入って、リビングの窓辺で丸くなっていた仔猫に声をかけた。
開放的な外に比べると、此処は閉じられている世界だけれど、それ故に危険とも切り離されている。
それでいて確りと陽の光は取り込んでくれる空間だから、昼寝をするのは持って来いに違いない。
そんな部屋の中で、すやすやと眠る仔猫に近付いて、八剣は傍らに腰を下ろした。
子供らしく、ぷくぷくとした丸い頬を指先で突いてやると、むずがるように小さく唸る。
瞼がふるふると小刻みに震えた後、ゆっくりと持ち上げられて、
「んぁ……?」
「ただいま」
「……………ぉー……」
寝惚け眼を猫手で擦りながら、京一が緩い返事をする。
ぐしぐしと目を擦る京一の腕を、赤くなっちゃうよ、と八剣はやんわりと掴んで止めた。
───────すると、
「…………………………」
鼻先になった八剣の手を、京一がくん、と嗅ぐ。
途端、寝惚けていて緩んでいた眉根が、ぎゅうと思い切り顰められた。
「………………おい」
「うん?」
不機嫌な声は、昼寝を邪魔されたからだ。
だから八剣は、特別その低い声を気にする事なく、返事をする。
すると、京一はあらん限りの力で、自分の腕を掴む八剣の手を払い退けた。
それ程強い力で掴んではいなかったと言うのに、それもう、物凄い力で。
「どうかしたかい?」
「………………………このッ!」
問いかけに対して、まともな返事は帰って来なかった。
苛立ちをぶつけるように頭突きをされて、鼻柱に鈍痛を喰らう羽目になる。
じんじんとした鼻柱を手で押さえる八剣に対し、ぶつけた京一の方もそれなりに痛かったようで、頭を押さえて蹲っている。
「大丈夫かい?京ちゃん」
「るせー、触んなッ!この軟派野郎!」
撫でようとした八剣の手から逃げて、京一は窓際で尻尾を全開で膨らませ、フギャー!と八剣に向かって威嚇する。
ゴロゴロと不機嫌な音が仔猫の喉で鳴って、此処でもう一度手を出せば、まず間違いなく引っ掛かれるだろう。
京一が気紛れである事や、些細な事で直ぐに機嫌を損ねてしまうのは、ままある事だ。
しかし、昼寝を邪魔されたからと言って、此処まで怒るのも珍しい。
大抵はしばらく眉根を寄せて唇を尖らせているが、あからさまに威嚇してくる事もなかった筈だ。
八剣は、払い除けられた自分の手を見下ろした。
何かやってしまったかな─────と考えた後で、
(──────ああ、)
あれか、と八剣の脳裏に甦ったのは、塀の上でのんびりとしていた猫の事。
そう言えば、あの猫を撫でたのは、この手だったか。
と言う事は、
「何笑ってんだ、このッ!」
投げられた座布団が、ぼすん、頭にぶつかって、床に落ちる。
それを退かせて、八剣は先とは反対の手を京一に向かって伸ばした。
「触ンなーッ!!」
じたばたと暴れて逃げようとする仔猫を捉まえて、抱き寄せる。
すると、途端に仔猫は大人しくなって、八剣の緋色の上掛に顔を埋めて来た。
ふんふん、ふんふん、と鼻を鳴らす音が聞こえる。
それから、上掛の端を握った小さな手が、ぎゅううううう、と強い力を込めるのが判った。
胸に乗せた頭がぐりぐりと押し付けられて来て、可愛いねェ、と八剣は思う。
京一の背中に添えた手に、尻尾がくるんと巻き付いて来る。
それを好きにさせながら、八剣は逆の腕で京一の頭を撫でた。
(ほかのにおい、ちがうにおい)
(そんなのいらない)
(オレのものだから、していいにおいは、オレのだけ!)
デレさせようとして焼きもちさせたら、全力のツンになった。おや?
八京の京一は、基本的に京一の方が八剣に対して素っ気ない態度なので、八剣が女の子と喋っても気にしません。「野郎だしな。あれが普通だろ」ぐらいで。寧ろなんで八剣が自分なんかに懸想してるのかが判らない。
でもちび京は「オレ一番!」気質なので、八剣の興味が自分から逸れると面白くない……だったら可愛いな!