[16/シドクラ]ただそこにいるだけで
しばらく顔を見ていないな、と思ったのは、不意のことだった。
シド自身が多忙なものだから、隠れ家を数日空けるなんてことは珍しくない。
それで隠れ家の諸々が回らないこともないから、それを気にする必要もなかった。
しかし、ここしばらく、その忙しさが少しばかり減った気がする。
それがいつを切っ掛けにしたかと言えば、クライヴとジルがフェニックスゲートから戻って来てのことだ。
どうやら、今までシドが引き受けていた、厄介な魔物や魔獣の退治を彼らが引き取っているらしい。
クライヴは十三年間をベアラーとして、ジルも奴隷でありながらシヴァのドミナントとして戦線に駆り出されていた身である。
戦えるベアラーは隠れ家に少なくはないが、やはり、前線で生き抜いてきた彼らは群を抜く。
シド一人では手に余り、諸々も絡んで追い切れなかった仕事を、彼らが請け負ってくれるのは有難かった。
だから、数日出掛けたシドが戻って来たのと、彼らが出掛けるタイミングが重なることは少なくない。
隠れ家の入り口で入れ違いになることもあった。
だが、ここしばらくは入れ違いすらなく、シドがいる時は彼が隠れ家にいない、と言う具合だ。
(……別に困るものでもないが)
いつもの椅子に座って、シドは高い天井を見上げる。
噛んだ煙草の煙がゆっくりと立ち上って行くのが見えた。
集中力が切れたのを自覚して、シドは腰を上げる。
少し気分転換に歩いて来た方が、作業に戻り易いだろう。
広間に出ると、“空の文明”の遺跡の隙間から、外界の光が零れ落ちている。
水の流れ出る音と、暮らす皆々の声があちこちで聞こえていた。
勉強に飽きた子供が遊ぶところを探して駆け回っているのを、教師役の老婆が咎めていた。
鍛冶場の方からはブラックソーンが槌を振る音がする。
いつもの隠れ家の光景だ。
それを少し高い位置からぐるりと見渡して、さて、とシドは傍の階段を下りる。
階段下には、植生研究室がある。
いつものように植木鉢を愛でるように観察しているボフミルと、植物の生長具合を記録しているマーテルがいた。
「よう、お二人さん」
「あら、シド」
「ちょいと尋ねるが、クライヴを見てないか?」
マーテルは首を傾げ、ボフミルがこちらを向かずに言った。
「今日は見ていないな。どこかに出掛けているんじゃないか」
「私も、ここ数日は見ていないわ」
「そうか。ありがとう」
ボフミルはよく資料材を集めるのをクライヴに依頼しているらしいが、今はその様子もなさそうだ。
他を当たるか、とシドは移動した。
はしゃぎまわる子供たちを横目に鍛冶場に行くと、その主は今日も仕事に励んでいる。
今打っているいるのは、厨房を預かるケネスが使う料理用の包丁だ。
数日前、毎日の仕様で消耗が早いものだから、質の良い包丁が欲しい、と頼んでいたのを見た。
仕事に励んでいるところを邪魔すると、ブラックソーンは不機嫌になる。
彼の仕事が一区切り着くのを待ってから、声をかけた。
「ブラックソーン。クライヴがどこに行ったか知らないか」
「……いいや。四日前に出るのは見たが、それだけだな」
「やっぱり出掛けてるか。判った、邪魔したな」
ひらりと手を振ってその場を退散する。
すぐに槌の音は再開された。
鍛冶場を出て次に目に入ったのは、カローンのテリトリーだ。
外から運んできた品々を収めた沢山の箱を、グツが一所懸命に整頓している。
大きな体を縮めながら、これはこっち、これはあっち、と几帳面に品物を検分していた。
その隣で、煙管を燻らせながら丁稚の仕事を監督しているのがカローンだ。
シドがそちらへ向かうと、気配に敏いカローンがすぐにこちらを見た。
「ああ、シドかい。何か要り物でも?」
「生憎、今は間に合ってる。またの機会にな。二人とも、クライヴがどこにいるか知らないか?」
シドが訊ねると、グツが検分の手を止めて顔を上げる。
「クライヴなら、えっと……多分、ザンブレクだと思うよ。街道沿いに、おっかない奴がいて危ないから、なんとかして欲しいって、頼んだんだ」
「ああ。確か四日ほど前だね。話をしたらすぐに出発したんだ」
「街道沿い───と言うと、進軍道の方か」
「大体その辺りだった筈だ。皇国軍も出張っているようだが、どうもヘタっているらしくてね。それじゃ商売あがったりだから、クライヴに」
「成程」
ザンブレク皇国軍が手こずる相手でも、クライヴならば。
そう信用できるほど、クライヴは戦力として大いに当てに出来る力があった。
二人が言ったザンブレク皇国領にある進軍道は、ロストウイングを通って行けば二日ほどで行ける。
クライヴが単身で向かったのなら、何事もなければ直に戻れるだろう。
シドがそう思ったところで、
「カローン。戻ったぞ」
「おや。噂をすればと言うやつかね」
聞こえた声に三人が振り返れば、噂の当事者───クライヴの姿があった。
傍にはいつもの通り、相棒のトルガルも一緒だ。
カローンは店棚にしている台の上に置いていた、小さな麻袋をクライヴに差し出した。
「その分だと、魔物はどうにか出来たようだね」
「ああ。少し手こずったが、退治は出来た。突然変異のようで、群れからも追放されたんだろうな。付近に仲間の類も見当たらなかった。もう大丈夫だろう」
「ご苦労さん。これが礼だよ」
「ありがとう」
ちゃり、と鳴った小袋の中身はギルだろう。
腰鞄にそれを収めるクライヴの横で、カローンは「あんたもご褒美だよ」とトルガルに骨をやっている。
トルガルは尻尾を振って骨を噛み、日当たりの良い場所に行ってそれを齧り始めた。
グツは大きな背中を丸めて、クライヴの顔をまじまじと見て、
「クライヴは、大丈夫だった?ケガとか、してない?」
「問題ない」
「そう。良かった!」
子供のように笑うグツに、クライヴの頬も綻んだ。
毒の印のある横顔が、案外と幼い頤で笑う。
シドはそれをじっと見つめていた。
───と、
「そう言えば、クライヴ。シドがあんたを探していたよ」
「え?」
グツと話をしていた青の目が、こちらへと振り返った。
しっかりと目が当った瞬間、シドの胸の内で心臓が跳ねる。
「何か用か?」
「あ?あー……そう言う訳でもないんだが」
探していたと言われれば、確かに用向きがあるかのような雰囲気だ。
特にシドからクライヴへは、隠れ家内で持て余している頼まれごとの委託やら、誰それからの言伝やらとあったりする。
が、今日のところはそう言うものはひとつもなかった。
「いや、何。しばらく顔を見ていなかったから、何をしてるかと思っただけだ」
「そうなのか」
「ああ。戻って来たなら十分だ。じゃあな」
ひらと手を振って、シドはその場を離れた。
広間を自室の方へと向かう背中を、クライヴが首を傾げて見ていることを、感じ取りつつ。
なんとなく逃げるようにして部屋へと戻ったシドは、デスクではなく、ソファに腰を下ろした。
広間を歩き回っている間に、咥えていた煙草は随分短くなっている。
まだもう少し煙は味わえるので、希少な趣向品は最後まで堪能する。
煙草を咥えた口元に手を遣って、煙と一緒に息を吐いた。
「……何をしていたんだかねえ」
誰にともなく呟く。
先までの自分の行動を振り返ると、我がことながら不可解だ。
数日クライヴの顔を見ないことなど珍しくもないのに、何故ふらりと探しに行ったりしたのか。
隠れ家にいないと判ればそれで十分なものだろうに、いないのならどこに行ったのだろう、などと人に聞きまわってみたりもして。
魔物退治に行ったと聞いて、心配したかと言われれば、それはない。
万一のことが絶対にないとは言わないが、クライヴはシドに心配されなければならない程か弱くない。
寧ろ、あの時は“ヒトの身”でありながら、ドミナントであるベネディクタに一歩も引かず───剰え顕現したガルーダにすら挑んだ。
そうして自身も覚醒し、今はその力も受け入れたことで、半顕現までは可能となっている。
これらを考えれば、戦闘に関して、既に老兵として消耗が激しい身であるシドよりも、遥かに頼りになる存在だ。
(……それでも、戻って来た時には、妙に───)
安堵した、と言うのか。
いや、そこまで重くはない。
ただ、ほっとした、と言うのが近い気がする。
隠れ家で生きるのは、元々ベアラーだった者たちだ。
大半が印持ちである為に、外界に出ることすら儘ならない。
その中でも剣を持つことを選んだものだけが、毒の印を焼く決断に至り、外へと活動域を広げることが出来る。
だが、それは決して良いことばかりではなく、外に行ったきり、戻れなかった者も少なくない。
クライヴも、そうならない保証はない。
例えどんなに強くとも───寧ろ、強いからこそ、危険度の高い魔物を相手取ることを思えば、反ってその可能性は高くなる。
(だからと言って、外に出ることや、魔物退治をやめろなんて話は、ない)
クライヴは元々騎士だ。
守る為に剣を持つことが役割であり、本懐である。
クライヴ自身もその自負があるから、魔物の絡む仕事は積極的に引き受けている。
これはシドにとっても有難いことだ。
彼が外へと向かう理由を、咎める訳も、止める意味もない。
それは彼から役割を、自負を、ようやく取り戻した己の矜持を奪うことと同じだ。
第一、彼は、守り保護しなければ生きられない人間ではない。
(それなのに、妙に感覚がざわついたのは───)
しばらく顔を見ていないと気付いた時。
しばらく隠れ家に戻っていないと知った時。
妙に胸の奥が落ち着かなくなって、あの顔を探してしまっていた。
そして彼が帰って来て、いつものようにグツを見上げて微かに表情を和らげた時、ざわつくものはすぅと消えた。
「あれは、無事で良かった……とか言うものじゃないな」
煙を燻らせながら考える。
あの時の感覚に、どの言葉が当て嵌まるのかを探した。
顔を見ると安心する。
そこにいると思うと気分が落ち着く。
笑っていると、伝染するように口角が緩む。
彼と言う存在そのものが、シドの意識を忙しなく揺らして鎮めてを繰り返させる。
そんな風に人の感情を振り回すものは何か。
「……いや。いやいや」
浮かぶ単語に、シドは煙草を噛んで笑う。
今更そんなものが自分に湧くことなどあるのか、と。
まさかと目を閉じれば、見たばかりの男の横顔が浮かぶ。
跳ねる心臓の音を自覚すると、否定の言葉は深い溜息に飲み込まれた。
『シドクラで、クライヴに対して恋愛感情を抱いていると自覚するシド』のリクエストを頂きました。
なんとなくクライヴのことが気になって、顔を見るとああ戻って来たなって安心していたシドです。
そんな風に気になったり、ほっとしたりする理由を分析して見たら、もう沼にはまった後だった。
クライヴの方はフェニックスゲートを終えた頃なので、もうちょっと情緒育成中。ただシドに対して、刷り込み的に親愛度は高いと思います。