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Category: FF16

[16/シドクラ]ただそこにいるだけで



しばらく顔を見ていないな、と思ったのは、不意のことだった。

シド自身が多忙なものだから、隠れ家を数日空けるなんてことは珍しくない。
それで隠れ家の諸々が回らないこともないから、それを気にする必要もなかった。
しかし、ここしばらく、その忙しさが少しばかり減った気がする。

それがいつを切っ掛けにしたかと言えば、クライヴとジルがフェニックスゲートから戻って来てのことだ。
どうやら、今までシドが引き受けていた、厄介な魔物や魔獣の退治を彼らが引き取っているらしい。
クライヴは十三年間をベアラーとして、ジルも奴隷でありながらシヴァのドミナントとして戦線に駆り出されていた身である。
戦えるベアラーは隠れ家に少なくはないが、やはり、前線で生き抜いてきた彼らは群を抜く。
シド一人では手に余り、諸々も絡んで追い切れなかった仕事を、彼らが請け負ってくれるのは有難かった。

だから、数日出掛けたシドが戻って来たのと、彼らが出掛けるタイミングが重なることは少なくない。
隠れ家の入り口で入れ違いになることもあった。
だが、ここしばらくは入れ違いすらなく、シドがいる時は彼が隠れ家にいない、と言う具合だ。


(……別に困るものでもないが)


いつもの椅子に座って、シドは高い天井を見上げる。
噛んだ煙草の煙がゆっくりと立ち上って行くのが見えた。

集中力が切れたのを自覚して、シドは腰を上げる。
少し気分転換に歩いて来た方が、作業に戻り易いだろう。

広間に出ると、“空の文明”の遺跡の隙間から、外界の光が零れ落ちている。
水の流れ出る音と、暮らす皆々の声があちこちで聞こえていた。
勉強に飽きた子供が遊ぶところを探して駆け回っているのを、教師役の老婆が咎めていた。
鍛冶場の方からはブラックソーンが槌を振る音がする。
いつもの隠れ家の光景だ。

それを少し高い位置からぐるりと見渡して、さて、とシドは傍の階段を下りる。

階段下には、植生研究室がある。
いつものように植木鉢を愛でるように観察しているボフミルと、植物の生長具合を記録しているマーテルがいた。


「よう、お二人さん」
「あら、シド」
「ちょいと尋ねるが、クライヴを見てないか?」


マーテルは首を傾げ、ボフミルがこちらを向かずに言った。


「今日は見ていないな。どこかに出掛けているんじゃないか」
「私も、ここ数日は見ていないわ」
「そうか。ありがとう」


ボフミルはよく資料材を集めるのをクライヴに依頼しているらしいが、今はその様子もなさそうだ。
他を当たるか、とシドは移動した。

はしゃぎまわる子供たちを横目に鍛冶場に行くと、その主は今日も仕事に励んでいる。
今打っているいるのは、厨房を預かるケネスが使う料理用の包丁だ。
数日前、毎日の仕様で消耗が早いものだから、質の良い包丁が欲しい、と頼んでいたのを見た。

仕事に励んでいるところを邪魔すると、ブラックソーンは不機嫌になる。
彼の仕事が一区切り着くのを待ってから、声をかけた。


「ブラックソーン。クライヴがどこに行ったか知らないか」
「……いいや。四日前に出るのは見たが、それだけだな」
「やっぱり出掛けてるか。判った、邪魔したな」


ひらりと手を振ってその場を退散する。
すぐに槌の音は再開された。

鍛冶場を出て次に目に入ったのは、カローンのテリトリーだ。

外から運んできた品々を収めた沢山の箱を、グツが一所懸命に整頓している。
大きな体を縮めながら、これはこっち、これはあっち、と几帳面に品物を検分していた。
その隣で、煙管を燻らせながら丁稚の仕事を監督しているのがカローンだ。

シドがそちらへ向かうと、気配に敏いカローンがすぐにこちらを見た。


「ああ、シドかい。何か要り物でも?」
「生憎、今は間に合ってる。またの機会にな。二人とも、クライヴがどこにいるか知らないか?」


シドが訊ねると、グツが検分の手を止めて顔を上げる。


「クライヴなら、えっと……多分、ザンブレクだと思うよ。街道沿いに、おっかない奴がいて危ないから、なんとかして欲しいって、頼んだんだ」
「ああ。確か四日ほど前だね。話をしたらすぐに出発したんだ」
「街道沿い───と言うと、進軍道の方か」
「大体その辺りだった筈だ。皇国軍も出張っているようだが、どうもヘタっているらしくてね。それじゃ商売あがったりだから、クライヴに」
「成程」


ザンブレク皇国軍が手こずる相手でも、クライヴならば。
そう信用できるほど、クライヴは戦力として大いに当てに出来る力があった。

二人が言ったザンブレク皇国領にある進軍道は、ロストウイングを通って行けば二日ほどで行ける。
クライヴが単身で向かったのなら、何事もなければ直に戻れるだろう。

シドがそう思ったところで、


「カローン。戻ったぞ」
「おや。噂をすればと言うやつかね」


聞こえた声に三人が振り返れば、噂の当事者───クライヴの姿があった。
傍にはいつもの通り、相棒のトルガルも一緒だ。

カローンは店棚にしている台の上に置いていた、小さな麻袋をクライヴに差し出した。


「その分だと、魔物はどうにか出来たようだね」
「ああ。少し手こずったが、退治は出来た。突然変異のようで、群れからも追放されたんだろうな。付近に仲間の類も見当たらなかった。もう大丈夫だろう」
「ご苦労さん。これが礼だよ」
「ありがとう」


ちゃり、と鳴った小袋の中身はギルだろう。
腰鞄にそれを収めるクライヴの横で、カローンは「あんたもご褒美だよ」とトルガルに骨をやっている。
トルガルは尻尾を振って骨を噛み、日当たりの良い場所に行ってそれを齧り始めた。

グツは大きな背中を丸めて、クライヴの顔をまじまじと見て、


「クライヴは、大丈夫だった?ケガとか、してない?」
「問題ない」
「そう。良かった!」


子供のように笑うグツに、クライヴの頬も綻んだ。

毒の印のある横顔が、案外と幼い頤で笑う。
シドはそれをじっと見つめていた。

───と、


「そう言えば、クライヴ。シドがあんたを探していたよ」
「え?」


グツと話をしていた青の目が、こちらへと振り返った。
しっかりと目が当った瞬間、シドの胸の内で心臓が跳ねる。


「何か用か?」
「あ?あー……そう言う訳でもないんだが」


探していたと言われれば、確かに用向きがあるかのような雰囲気だ。
特にシドからクライヴへは、隠れ家内で持て余している頼まれごとの委託やら、誰それからの言伝やらとあったりする。

が、今日のところはそう言うものはひとつもなかった。


「いや、何。しばらく顔を見ていなかったから、何をしてるかと思っただけだ」
「そうなのか」
「ああ。戻って来たなら十分だ。じゃあな」


ひらと手を振って、シドはその場を離れた。
広間を自室の方へと向かう背中を、クライヴが首を傾げて見ていることを、感じ取りつつ。

なんとなく逃げるようにして部屋へと戻ったシドは、デスクではなく、ソファに腰を下ろした。
広間を歩き回っている間に、咥えていた煙草は随分短くなっている。
まだもう少し煙は味わえるので、希少な趣向品は最後まで堪能する。

煙草を咥えた口元に手を遣って、煙と一緒に息を吐いた。


「……何をしていたんだかねえ」


誰にともなく呟く。

先までの自分の行動を振り返ると、我がことながら不可解だ。
数日クライヴの顔を見ないことなど珍しくもないのに、何故ふらりと探しに行ったりしたのか。
隠れ家にいないと判ればそれで十分なものだろうに、いないのならどこに行ったのだろう、などと人に聞きまわってみたりもして。

魔物退治に行ったと聞いて、心配したかと言われれば、それはない。
万一のことが絶対にないとは言わないが、クライヴはシドに心配されなければならない程か弱くない。
寧ろ、あの時は“ヒトの身”でありながら、ドミナントであるベネディクタに一歩も引かず───剰え顕現したガルーダにすら挑んだ。
そうして自身も覚醒し、今はその力も受け入れたことで、半顕現までは可能となっている。
これらを考えれば、戦闘に関して、既に老兵として消耗が激しい身であるシドよりも、遥かに頼りになる存在だ。


(……それでも、戻って来た時には、妙に───)


安堵した、と言うのか。
いや、そこまで重くはない。
ただ、ほっとした、と言うのが近い気がする。

隠れ家で生きるのは、元々ベアラーだった者たちだ。
大半が印持ちである為に、外界に出ることすら儘ならない。
その中でも剣を持つことを選んだものだけが、毒の印を焼く決断に至り、外へと活動域を広げることが出来る。
だが、それは決して良いことばかりではなく、外に行ったきり、戻れなかった者も少なくない。

クライヴも、そうならない保証はない。
例えどんなに強くとも───寧ろ、強いからこそ、危険度の高い魔物を相手取ることを思えば、反ってその可能性は高くなる。


(だからと言って、外に出ることや、魔物退治をやめろなんて話は、ない)


クライヴは元々騎士だ。
守る為に剣を持つことが役割であり、本懐である。
クライヴ自身もその自負があるから、魔物の絡む仕事は積極的に引き受けている。
これはシドにとっても有難いことだ。

彼が外へと向かう理由を、咎める訳も、止める意味もない。
それは彼から役割を、自負を、ようやく取り戻した己の矜持を奪うことと同じだ。

第一、彼は、守り保護しなければ生きられない人間ではない。


(それなのに、妙に感覚がざわついたのは───)


しばらく顔を見ていないと気付いた時。
しばらく隠れ家に戻っていないと知った時。
妙に胸の奥が落ち着かなくなって、あの顔を探してしまっていた。

そして彼が帰って来て、いつものようにグツを見上げて微かに表情を和らげた時、ざわつくものはすぅと消えた。


「あれは、無事で良かった……とか言うものじゃないな」


煙を燻らせながら考える。
あの時の感覚に、どの言葉が当て嵌まるのかを探した。

顔を見ると安心する。
そこにいると思うと気分が落ち着く。
笑っていると、伝染するように口角が緩む。

彼と言う存在そのものが、シドの意識を忙しなく揺らして鎮めてを繰り返させる。
そんな風に人の感情を振り回すものは何か。


「……いや。いやいや」


浮かぶ単語に、シドは煙草を噛んで笑う。
今更そんなものが自分に湧くことなどあるのか、と。



まさかと目を閉じれば、見たばかりの男の横顔が浮かぶ。
跳ねる心臓の音を自覚すると、否定の言葉は深い溜息に飲み込まれた。





『シドクラで、クライヴに対して恋愛感情を抱いていると自覚するシド』のリクエストを頂きました。
なんとなくクライヴのことが気になって、顔を見るとああ戻って来たなって安心していたシドです。
そんな風に気になったり、ほっとしたりする理由を分析して見たら、もう沼にはまった後だった。

クライヴの方はフェニックスゲートを終えた頃なので、もうちょっと情緒育成中。ただシドに対して、刷り込み的に親愛度は高いと思います。

[16/シドクラ]朝靄に見る



痛みがある方が、眠ることが出来る。
そう覚えたのがいつのことだったのか、もう覚えていない。

散々な夜を過ごした後の方が、夢すら見ないほどに深く眠れる。
目覚めた時には体のあちこちが酷い状態だったが、眠れないよりはマシだと思った。
体が多少痛んでも、眩暈や頭痛でまともに頭が回らないよりは良い。

だから、痛みがあるのは安心できた。
耐えている間に事は終わるし、それ以外のものを考えなくて済む。
下手に感じ入るような場所を触れる方が、(けだもの)たちの興を誘って、面倒が増えた。
一時静かな眠りを得る為に、クライヴにとって、痛みと言うのは等価交換のものだったのだ。

それなのに、もう随分と、痛みから縁遠い。
緩やかな接触で与えられるものは、むず痒さに似たものを連れて来て、体が勝手に反応する。
望まぬ興を誘うからそれは嫌なのに、触れる男はいつもそんなやり方しかしない。

中を往復して擦って行くものがあって、クライヴは喉を反らせた。
ぞくぞくとしたものが背中を駆け上って、脳髄から興奮する物質から分泌されると、意識が微か宙に浮く。
どくん、と胎内で熱の塊が破裂するのが判った。
締め付ける内側でも、同じものが弾けて、奥に注がれるのが判る。
それで、今日の行為は終わった。


「っは……はあ……う……」
「は……は……、」


背中越しに聞こえてくるのは、シドの呼吸だ。
毎度のことながら、嫌なことに付き合わせていると思う。
けれど、今ばかりはその罪悪感よりも、体中に染み渡る怠い重みで頭が一杯になっていた。

胎内に納められていたものがゆっくりと出て行って、余韻の体にじんとした快感が浮かぶ。
思わず腰が浮くのを、固い手が咎めるように柔い力で抑えられた。
シーツを噛みながら出て行くものを阻まないよう努めていると、ぽかりと穴の開く感触。
塞いでいたものがなくなって、内に注がれたものが溢れ出す感触がして、中心部がじっとりと染みを生んだ。

起きて後処理をしないと。
ふわふわとした意識の中でそう思っていると、足を大きく広げられる。
節のある指が中に入って、探るように丁寧に撫でられるから、堪らず体が仰け反った。


「う、あ……んん……!」
「すぐ終わる。ちゃんと息をして待っていろよ」
「ふ……ふぅ……っ、はぁ……っ!」


宥める声に、クライヴはもう一度シーツを噛んだ。
鋭敏になった神経が拾う快感に、体を反応させまいと力を入れる。
けれど、上手い具合にむず痒いところを掠められるから、どんなに我慢しても、足先がびくびくと跳ねた。

どろりとしたものを吐き出すと、最後に丁寧に恥部を拭われる。
そこまでしてくれるのは、確かに後が楽なので有難いことではあるが、しかし。


「……もっと雑で良いのに」


呟くと、ヘイゼル色がこちらを見る。
訝しむ顔のそれを見返しながら、クライヴはもう一度、


「雑で良いんだ。そこまで丁寧にしなくて良い」
「そう言う訳にいかないだろう。腹を壊したいか?」
「……」


そういう訳でもないけれど、とクライヴは唇を尖らせる。


「別に、後で自分でやるから、放っておいても構わない」
「そう言って寝落ちるだろう、お前」
「……起きたらやる」
「駄目だな。面倒くさがってそのままにしそうだ」


言いながらシドは、跳ね避けていた毛布をクライヴに寄越した。
汗ばんだ裸身のままでいれば、洞窟の冷えた空気が体温を奪っていく。
羽織っておけと言葉なく促して、シドはボトムだけ身に付けると、ベッド横の棚に置いていた煙草に手を伸ばした。

火のついた煙草から昇る煙を、クライヴはなんとなく目で追った。
燻る煙の筋が、うっすらと白く光っている気がして、首を巡らせる。

“空の文明”の遺跡を土台に、掘り広げられた穴倉の隠れ家は、外の気配を知るのが難しい。
しかし、シドの寝床であるこの場所は、ほんのわずかに岩肌の隙間から光が差す場所があった。
外から見ると土くれが覆い被さっている筈だが、時折土が崩れると亀裂が出来て、そこから光が入ってくる。
勿論それは、太陽が昇っている間だけの話だ。

そこから光が差し込んでいるということは、つまり。


「……朝じゃないか」
「そうだな」
「……眠れなかった」
「今から寝れば問題ないだろう。まだ未明過ぎたくらいだろうしな」


けろりと言ってくれるシドに、クライヴは眉を顰める。


「……あんた、どうしていつもねちっこく触るんだ」
「酷い言い草じゃないか。良くしてるんだろう」
「それが一番いらない世話だ」


毛布を手繰り寄せながら、クライヴは重い身体で寝返りを打つ。
腰が痛むのを庇っていると、毛布の上から、ぽんぽんと腰のあたりを叩く手。
悪戯の気配などないそれは、恐らくは気遣いなのだろうが、どうにもクライヴは慣れなかった。


「あんたが変な風に触るから、いつも体が変だ」
「変、って言うのは?」
「……」


どう言う塩梅なのかと、詳細に言ってみろ、とシドは促している。
クライヴは事の中身を細かく思い出すのはどうにも苦手なのだが、言うことは今のうちに言ってしまった方が良いだろう。


「あんたが触った場所が、むずむずして、妙にくすぐったい。それなのに体の奥が熱くなって……意識が中途半端に浮かぶんだ。声も勝手に出るし……」
「声は出した方が楽だぞ。堪えすぎると、体が緊張して余計な力が入る」
「……別に、俺が楽をしてもしょうがないだろう」
「ヤるなら、お互い楽な方が良いさ」


煙を吐いて言ったシドに、確かに楽なことは良いのだが、とクライヴも思う。


(でも────落ち着かない)


シドとセックスをすると、そこにあるのは緩やかな快楽だ。
クライヴにとってはそれ自体が慣れないもので、与えられる度、未だに戸惑いが抜けない。


(大体、どうしてあんなに丁寧に触るんだ。解すにしたって、あそこまでしなくても……)


自分の中でシドの指が動いている時のことを思い出して、クライヴは身動ぎした。
シドはいつもじっくりと時間をかけて中を解すから、その時間だけでクライヴの躰は熱が膨らんで堪らない。

ベアラーだった頃は、中なんて指を突っ込まれて適当に探られたら終わりだった。
それで十分だと馬鹿に滾ったものを入れられるから、クライヴはいつも痛みと息苦しさに喘いでいた。
どうせ同じ性だし、クライヴの躰に受け入れる為の器官はない。
そんなものだと言えばそうで、趣味の悪い輩が悪戯に時間をかけてくれても、大概、碌でもないことになって終わった。
……誰も、クライヴの躰に負担がかからないようになんて、思ってもいない。

だから、シドが初めてなのだ。
ゆっくりと触れる手、熱が膨らむ体、ふわふわと前後不覚に浮かぶ意識。
セックスなんて、早く終われば良いものだとばかり思っていたのに、それさえも認識が歪む。


(……朝まで意識が飛ばなかった)


睡眠時間が削られた。
早く意識が飛んでしまえば、そんなことにはならなかったのに。

それなのに、シドに触れられていると、眠ると言う目的が遠退いて行く。
眠るよりも、意識を飛ばしてしまうよりも、触れる手が齎す熱に酔っている方が心地良い。
だから一度果てた後も、もっと、もう少し、と触れる手を厭うことを忘れてしまう。


「……何の為のセックスなんだか……」


ぽつりと零れたのは、無意識のことだった。
それは誰に向けたものでもなかったが、傍らで煙を燻らす男にはしっかり聞こえている。


「何って、眠る為だろう。お前がそう言う目的で、俺に頼んできた」
「……判ってるなら、なんであんな触り方をするんだ」
「仮にも寝床を共有する相手を痛めつけるような趣味は持ってないからな」


シドの返答に、それもそうだ、とクライヴは思う。
この男は、昼日中の振る舞いから見ても判るように、悪戯に他者を傷付ける真似を良しとしない。
敵として相対すれば剣は向けるが、弱者を面白がって甚振る癖はない。

頼む相手を間違えたか。
今更にクライヴはそんなことを思ったが、ではこの男以外に縋れる相手がいただろうか。
セックスをしないと眠れない、なんて、余程に口が堅くて義理に縛られてくれる人間でもなければ、クライヴとて絶対に口にしない。

はあ、とクライヴはひとつ溜息を吐いた。
諦念を孕んだそれを吐き出すと、体の疲労感もはっきりと感じられて、怠さで体が重くなる。
手繰り寄せた毛織の毛布の温さに目を細めていると、


「眠いか」
「……そうだな。多分」
「良い事だ。無理に気絶なんかするより、よく眠れるぞ」


シドの言葉に、どうだか、とクライヴは返す。


「こんな時間から寝ても、大して長く眠れない……」
「何か予定でもあったか」
「……ロストウィングに……、オレーベルダウンズに狼が出るから、適当に追い払ってくれと」
「ああ、カンタンが言ってた奴か。葡萄の収穫ももう終わった時期だし、焦らなくて良いだろう。ゆっくり昼からでも向かえば良い。向こうも手隙でやってくれれば良いと言っていたしな」


言いながらシドは、クライヴの頭を撫でている。
子供を寝かしつけるような仕草に、クライヴは眉根を寄せたが、払い除けるには体が重い。
瞼が思うように持ち上がらなかった。

────すぅ、すぅ、と規則正しい寝息が聞こえるようになって、シドは男を撫でる手を離す。


「あんな触り方、か」


先のクライヴの言葉を反芻して、シドはくつりと喉を震わせる。
その表情には笑みが浮かんでいるが、同時に困ったものを見付けたように、片眉が下がっている。

碌でもない経験ばかりを重ねた所為か、クライヴの躰は痛みには強い。
魔物の爪にざっくりと腹を裂かれても、大したことじゃないと言って治療を後回しにするくらいだ。
痛みと言うものに対して、根本的に感覚が麻痺していることは否めず、タルヤが都度に雷を落としてもまだ懲りない。
こればかりは、時間をかけて意識とともに矯正して行く他ないだろう。

その傍ら、頑なに痛みばかりを受け続けたからか、クライヴはそれ以外に免疫がない。
セックスは苦痛を伴うもの、痛みを押し付けられるものだと思っているから、少し優しく触れただけで、反って驚いたような顔をする。
そのまま内の柔い部分まで触れてやれば、戸惑いながら感じ入るものだから、案外と彼は初心なのだ。

そうして、戸惑いながら、生まれて初めての熱に酔っている姿が、シドの熱も煽ってくれる。
夜半から始めたのに、朝まで繰り返し彼を昂らせたのは、その所為もあった。


「……だからと言って、苛めるような趣味はないんだがなぁ」


今夜の自分の手管と、それに反応してくれる男の乱れる様を思い出す。
疲れた体がじわりと興奮を思い出すが、その原因である男は眠っている。
ようやくの深い安眠を得たのに、邪魔はするまいと、シドは煙草を噛んで堪えるのだった。





『出逢って少し経った頃。クライヴを体で慰めて日が昇ってしまって……なシドクラ』のリクエストを頂きました。

まだベアラー兵時代の感覚が抜けていないクライヴを、触れることであやしてる感じのシドです。
あやしてるんだけど、クライヴの反応がアレなので、どうしても興奮も刺激される。
シドのことなので激しくはないけど、じっくり進められて朝までしっぽりしてると良いなと思いました。

[16/シドクラ]星の唄



オットーに請われ、マーサの宿の近辺に出現した魔物を退治した。
湿地と言う環境に適合したか、分類としてはソーン種になる筈だが、その個体は平均の三倍程の体高を持っていた。
その大きさに手こずるところはあったものの、結果としては無事に掃討できたのだから良しとしよう。
ついでに、植栽研究に余念のないボフミルが、試料として欲しがっていた蔓も手に入った。

と、良いことは確かに多かったが、倒した瞬間、その体液が盛大にぶちまけられたことについては、顔を顰める他ない。
クライヴと一緒にいたトルガルも、全身でそれを浴びている。
急ぎ近場の川で洗い落としはしたものの、隠れ家に帰って尚、その匂いはこびり付いていたのである。

隠れ家に帰って来た時、厩でいつも出迎えてくれるチョコボたちが、逃げるようにいそいそと離れた。
その様子を見れば、やはりこのままでいる訳にはいかないと、水場へ向かう。

既に夜の時間になっていた為、隠れ家は静かなものだった。
クライヴは水桶をひとつ借りて、水と装備を全て入れた。
水の中に入ると、夜の冷気でキンと冷えている。
一日の疲労を抱えた体に凍みるのを感じながら、目の粗い布で体を擦り続けた。

トルガルはと言えば、既に一度川で水浴びもしたからか、これ以上の水濡れを嫌ってさっさと寝に行ってしまった。
しかし、明日にはタルヤかカローンに捕まって、念入りに洗われるに違いない。

十分に匂いが落ちるまで念入りに洗う。
匂いに慣れてしまった鼻でどれだけ落ちたかは判らないが、取り敢えず、やるだけのことはやった。
後は時間に任せて薄れていくのを願って水から上がる。

服は明日まで使えないので、洗い場に干してあったものを拝借した。
誰のものとも判らないが、裸でうろつく訳にもいかない。
着替えがあるだけ恵まれている、と思うのは、これまでの十三年間の感覚が抜けないからだろう。
ともあれ、清潔な服で、安全な寝床で休めると言うのは、この上なく有難いことだ。

疲労も一入であるが、これで今夜はゆっくりと眠れる。
これ以上やることもないのだし、寝床に行って休もう───と、広間を通りがかった時だった。


「……シド?」


竈の火も落ちたラウンジに人影があった。
目を凝らすと、それがこの隠れ家の長であることが判る。

名前を呼ぶと、それが振り返って、ヘーゼル色の目がクライヴを見付けた。


「ああ、クライヴ。お前か」


よう、とひらりと片手を上げて気安い挨拶があった。


「なんだ、随分すっきりしたナリじゃないか」
「ソーンの体液を被ったんだ。馬鹿にでかい奴で。匂いが酷くてチョコボも寄らなかったから、水に入っていた」
「ああ、オットーが言ってた奴か。そりゃご苦労さん」


クライヴの端的な説明で、シドはおおよそのことを把握した。
苦笑して労うシドに、クライヴは溜息ひとつ吐きつつ、「俺の仕事だからな」と返した。


「それで、あんたはこんな時間に、こんな所で何をしているんだ。つまみ食いをしたら、後で料理長が怒るぞ」
「おっかないことを言うなよ。食器をいくつか借りるだけだ」


そう言ったシドの手には、木製の皿とグラスがある。
それから反対の手には、シドのお気に入りの銘柄のワインが握られていた。

シドは手元のそれを見て、ふむ、と数瞬考える様子の後、


「クライヴ。もう寝るか?」
「そのつもりだが」
「ちょいと付き合ってくれるなら、いい酒を飲ませてやる。どうだ?」


口元に小さく笑みを梳いたシドの言葉に、クライヴはぱちりと瞬きをひとつ。
急な誘いに答えに詰まったクライヴに、シドはワインを見せつけるように翳した。
ちゃぽん、と液体が揺れる音が鳴る。


「もう起きていられない程疲れてるなら、無理にとは言わない」
「……いや、そこまででもない」
「なら良さそうだな。グラスをもうひとつ借りて行こう」


行くとは言っていないのだが。
食器棚からふたつめのグラスを取っているシドを見ながら思うクライヴだが、拒否するような意味もない。
ただで寝酒の一杯が貰えるのなら、悪い気はしなかった。

このまま腰を落ち着けるのかと思ったが、シドは「行くぞ」と言ってラウンジを出て行った。
男の足は隠れ家の出入り口の方へと向かっている。
外に出たところで、黒の一帯であるこの周辺に何がある訳でもないだろうに。
クライヴはそう思ったが、誘った男がすたすたと行ってしまうので、首を傾げつつそれについて行った。

小一時間前に隠れ家に戻って来た時点で、空は暗くなっていた。
シドは穴口から外に出ると、空を見上げて呟く。


「ああ。良い天気だな」


シドはぐるりと辺りを見回すと、砂土をざくざくと踏んで何処かへ向かう。
クライヴが後を追うと、隠れ家からそう遠くはない場所で、シドは足を止めた。


「この辺りで良いか」


言って、シドはその場に腰を下ろす。
灰にもならない黒い土砂の上で胡坐を掻いて、ワインボトルを地面に置く。

何がしたいんだ、とクライヴが近くまで寄れば、シドがこちらを見上げる。
ぽんぽん、とシドの手が地面を叩くので、座れ、と言う意味だとクライヴは汲んだ。
ワインボトルを間に挟む位置で腰を下ろすと、シドは満足げに口端を上げて、グラスを差し出す。
黙ってそれを受け取ると、シドはワインのコルクを開けて、クライヴの持つグラスに液体を注いだ。


「……あんた、酒盛りがしたかったのか?」
「まあな。肴もあるぞ」


シドは腰に結び付けていた麻袋から、干し肉を取り出した。
薄切りにした肉を塩漬けにしたそれは、確かに酒の肴に丁度良い。
シドはグラスと一緒に持ち出してきた皿にそれを並べると、適当な石を集めて、砂土から少し離した高さにそれを置いた。

生き物の気配がない黒の一帯は、昼でも夜でも、静かなものだ。
夜になると、周囲の砂山の影が一層深く大きくなっているようで、不気味さも誘う。


「酒を飲むなら、何もこんなところじゃなくても良いだろうに」
「こんな所とは了見が狭いな」


くつ、と笑って言ったシドに、クライヴの眉間に皺が寄る。
拗ねた面持ちで睨むクライヴに、シドはグラスを傾けながら、


「上だよ、クライヴ」
「上?」
「良いから見てみな」


妙に回りくどいシドに、クライヴは顔を顰めながら、言われた通りに首を傾けた。
そうして、蒼の瞳が微かに瞠る。

今はすっかり闇色になった空に、星が数えきれないほどに浮かんでいる。
それは地面を照らすには足りない灯りだが、しかし、世界が真っ黒ではないことを知るには十分だ。
今日は新月で、その所為か、月に寄り添うメティアの光も僅かに柔い。
メティアはその赤い耀きを、星々の邪魔にならないようにと、控えに徹しているように見えた。


「……これは……」
「良い景色だろう。街じゃここまで星は見えない」


それは、暗闇を好む獣や狼藉ものを退ける為、篝火が必要だからだ。
小さな集落ならともかくも、それでも、マーサの宿ほどに人が集まっていれば、灯りは欠かせない。

だが、黒の一帯ならば、そもそも獲物にできるものがないから、獣も野盗も近付かない。
光を求めるものもなければ、燈すものもなく───あるのは静寂と暗闇だけだ。
そうして太陽の恩恵を失って暗く沈んだ大地よりも、夜空の方がずっと明るい色になる。
そこに星の光が散りばめなられたなら、それが世界の主役になる。

空を見つめ、ぽかんと口を開いて動かなくなった青年に、シドがまたくつりと喉を揺らす。


「あんまり呆けてると、口の中に砂が入るぞ」
「!」


は、とクライヴは我に返って、空の手で自分の口を抑えた。
この辺りの黒い土は酷く乾燥しているから、少し強い風が吹くと舞い上がるのだ。

クライヴは、まだ砂の味のない口元を擦って、乾いた喉にワインを通す。
シドも早々に一杯を開けたグラスに次を注ぎ、傾けた。


「今日は空気が澄んでるな。遠くまでよく見える」
「……そうだな」
「月がないのは少し寂しいが。星はその方がはっきり判るな」


シドの言う通り、今日は小さな星明りだけでなく、星雲までもが読み取れる。
空気が冴えて澄んだ空でなければ、こうもはっきりと臨むことは出来ないだろう。

空を見つめていたクライヴの視界の端から、ひょい、と何かが突き出てきた。
何かと見てみれば、シドが干し肉を乗せた皿を寄越している。
分けてくれるのなら貰おう、とクライヴは端の小さな一切れを貰った。
強い塩気の肉きれを噛んで、味の残る舌にワインを流し込めば、それまでと一段違った味わいが喉を通って行く。

それからしばらくは、弾む会話もなく、ただ二人で杯を傾けていた。
何杯目かになった所で、クライヴはふと、


「なあ」
「ん」
「……邪魔だったんじゃないか、俺」


思ったことをそのまま尋ねると、肉を噛んでいたシドがぱちりと目を丸くする。


「なんだ、急に」
「いや……一人で静かに飲みたかったんじゃないかと思って」
「まあ、そう言うつもりがなかった訳じゃないが。それでも、邪魔ならそもそも誘ってない」


苦笑しながら言ったシドに、クライヴは、それはそうだろうけれど、と唇を尖らせる。
得心に行かないクライヴの様子に、シドは続けて言った。


「一人酒も嫌いじゃないがな、折角今日は天気が良さそうだったんだ。良いものが見れるなら、それは独り占めしなくても良いだろう」
「……」
「何せ穴倉暮らしだからな。別に不満がある訳じゃないが、やっぱり頭の上は広い方が気分が良い」
「まあ……そう、かもな」
黒の一帯(このあたり)はエーテルもない、栄養もない。ないない尽くしで碌でもない場所に思えるだろうが、偶には良いところもあるんだ。こんなに堂々と野点しても、ここは邪魔になるものも来ないしな」


確かに、シドの言う通り、辺りには人も獣も気配はない。
夜とあってか、空には鳥も飛んでいなかった。
だからワインにしろ、干し肉にしろ、後ろからにじり寄って奪っていく輩の心配をしなくて良い。


「どんなにどうしようもない場所に見えても、探せばどこかに良い所がある。覚えておくと良い」
「……」


シドの言葉に、クライヴは何も返すものがない。
黒の一帯は不毛の地だ、と言えばそれは事実だし、しかしこの地で知恵と工夫を重ねて生きる人々がいるのも事実。
ただ、この地で暮らす人々を見ていると、シドの言う事も満更嘘ではない───とも思える。

空になった手許のグラスをじっと見つめるクライヴに、シドはくつりと苦笑する。
おもむろに癖のある黒髪をぐしゃぐしゃと撫でると、急なことにクライヴは目を丸くした。
慌ててその手を払い除けるが、シドは懲りずにまた髪を撫ぜる。


「おい、何してる」
「お前は頭が固いからな。柔らかくしてやろうと思ったんだよ」
「これはふざけているだけだろう。おい!」
「ま、ともかくだ。下を見るのが無駄とは言わないが、偶には上も見てみろ。意外と見通しは良いもんだ」


そう言って、ようやくシドはクライヴを撫でる手を止めた。
離れた手の感触が、妙に頭に残っている気がして、クライヴは何とも言えない顔になる。

まあ飲め、と差し出されたワインに、あしらわれている気はしたが、ワインの味に罪はない。
大人しくグラスを差し出して頂戴すると、シドは満足そうに笑った。





なんか二人で星見酒をさせたいなと思ったので。

このクライヴはフェニックスゲート後ですが、まだ情緒は育成中と言ったところ。
ちょっと贔屓目気味で色々世話を焼いたり、教育係したりしてる感じのシドでした。
この頃のクライヴはまだまだシドの後ろをついて行く感があってちょっと微笑ましい。

[16/トルガル]ぜったい、幸せにする

お題配布サイト 【シュレディンガーの猫】






ずっとずっと、大好きなひとたちがいる。
ずっとずっと、離れ離れになっていた時間がある。
だから、また皆と逢えたことが、こんなにうれしい。



水の上に作られた新しい巣は、前よりも飛び抜けて風通しが良くて、時々寒い。
それでも日差しが届く場所は暖かいし、風の通り道がある場所は涼しくて、夜は小波の音が揺り籠のよう。
昼間は子供たちが元気に跳ねる足音が聞こえて、夜は焚き木を翳した人たちが静かに歩く音がする。
前の巣はめちゃくちゃになってしまって、乾いた黒い砂土に埋もれてしまって、とても悲しかった。
だから今度の巣は、大きくて広い水の中に作ったらしい。
外への出入りが少し不便だけれど、だから新しい巣は、皆にとって安心できる場所になったんだろう。

昼寝から目が覚めて、ご飯を食べて、少し散歩をする。
お気に入りの場所をゆっくりのんびり、変わった所はないか、子供たちが危ない所で遊んでいないか、パトロール。
顔を見付けると遊んで遊んでとじゃれついて来る子供がいて、背中に乗ってきたり、顔を触られたり。
時々、勢い余って毛を引っ張られることもあるけれど、皆きちんと良い子だ。
満足するまでたっぷり体を撫でさせてやってから、お返しにぺろりと丸い鼻を舐めてやると、きゃらきゃら笑う声がする。
皆、今日も良い子で元気に過ごしている。

剣を持った人たちが集まっている所を通りがかると、頭に布を巻いている人と目が合った。
背の高いテーブルの向こうから、「お、見回りか?」と声をかけられて、そうだよと応える。
此処にいる人たちはいつも忙しそうだから、邪魔にならないように周りをぐるっと歩いて、上に伸びている道へ進む。

道の途中にあるドアの向こうからは、ツンとした匂いが流れて来る。
此処は怪我をした人や、病気になった人が休むところだ。
外から帰ってきた人が怪我をしていると、皆ここに入って行って、手当てをして貰って出て来る。
大好きなひとも何度か此処に運び込まれた。
それから、次の日には部屋から出て来て、心配かけたな、と言って頭を撫でてくれる。
でも、時々、此処に運ばれて行った人が、それきり外に出て来なかったり、夜中に何人かの人が動かない人を抱えて、巣の外へと運んで行くのを見た事があった。
その時は泣いている人がいて、大好きなひとも苦しそうな顔をしていたから、きっと此処は、嬉しい事も、悲しい事も、同じ位に起きる場所なんだろう。
自分は、中に入らないようにと言われているから、どういう事をしているのか具体的なことは分からないけれど、タルヤやロドリグが朝から晩まで頑張っているのは知っている。

ああ、そうだ、此処で立ち止まっていてはいけない。
タルヤに見つかったら、また泡いっぱいの水に濡らされる。
ドアが開く気配がしたから、駆け足でその場を離れることにした。

ミドが作った穴の中を見て、沢山の草花が植えられている所を見て、勉強している子供たちの後ろを通る。
その向こうに伸びている道を通っていると、カンカン、カンカン、と甲高い音が聞こえて来た。
突き当たりを曲がって屋根の下に入れば、すぐ其処でブラックソーンが槌を振っている。
新しい巣を作った時、皆が苦心して作った炉は今日も火を焚いているから、此処はいつでも少し暑い。

ブラックソーンの後ろを通り過ぎた時、嗅ぎ慣れた匂いが風に乗ってきた。
傍の階段を上がった先にある扉が開いて、三人の大好きなひとたちが其処から出て来る。


「やっぱり、一度マーサの宿で詳しい情報を集めてからの方が良さそうね」
「そうだね。まずはストラスを飛ばして、それから……」
「俺たちも今から出よう、夕方には着ける筈だ。モルボル種は早い内に手を打たないと、被害が広がる」


階段を下りて来る三人の表情は、真剣そのもの。
その中で一番きれいな青い目が、此方を見た。


「行くぞ、トルガル。魔物退治だ」


どうやら、皆で外に出て、危ない魔物を退治にしに行くらしい。
勿論ついて行くに決まっている。

がらがらと音を立てる昇降機が上り下りをしている間に、上から下の足場に飛び降りた。
水面に一番近い其処では、大工の人たちがギィギィと鋸を引いて、沢山の木材を切っている。
その反対側、桟橋の袂には、小舟を橋に結び付けた渡し守のオボルスがぷかぷか煙草を吹かしていた。

昇降機を下りた皆が桟橋にやって来るのを見て、オボルスが重たそうに立ち上がる。


「どっち方面だい」
「ロザリアに」


あいよ、と言ってオボルスが手を出した。
ちゃりん、と金貨が其処に置かれて、オボルスは舟を動かす準備を始める。
その間に皆が小舟に乗って、自分も残った隙間に乗り込んだ。

今日の湖は強い風がないから、舟はオボルスの舵の通りに進んで行く。
穏やかに水面を走って行く舟の上で、皆は真剣な顔で話をしていた。


「被害報告は、今の所はモルボルだけだと言うが……モルボルは単体でも影響が大きいからな。後で周辺の環境調査も必要になるか」
「水源の近くにいると言う話だったね。水質に問題が起きていないと良いんだけど」
「あのあたりはエーテル溜まりも多いから心配ね。異常が起きてしまうと、簡単には元に戻せないし」


向かう先で何が必要になるのか、何処に援けを求めれば良いのか、皆はいつも一所懸命に考えている。

皆で顔を合わせる時、こうやって難しい顔をしている時は多い。
昔はもっと楽しそうに、明るく笑っていたことが多かったと思う。
あの頃に比べると、皆とても大きくなって───とくにジョシュアとか───、雰囲気も変わった。
けれど、おやつをくれる時の声や、毛を撫でてくれる時の優しい手付きは変わらない。
見た目がどんなに変わっても、巣の場所が変わっても、そう言う所が変わらないでいてくれることが嬉しい。

────ずっとずっと、もう逢えないと思っていた。
だって皆、何処に行ってしまったのか、何も分からなかったから。

ばらばらに崩れた沢山の瓦礫の中で、一所懸命に匂いを探して、その姿を探し回ったけれど、何処にもいなくて悲しかった。
巣に戻ったら待っていてくれる人がいた筈だと思って帰って見たら、其処は知らない匂いが沢山沢山渦巻いていて、待っていてくれた人もいなかった。
大好きなひとがいつも使っていたものを探して、集めて、いつ帰って来ても良いように、秘密の巣に運んで守っていたけれど、其処にも帰って来なかった。
その間に春が過ぎて、夏が過ぎて、秋が終わって、冬が来た。
寂しくて悲しくて堪らなかったけれど、腹が減るから食べるものを探さなくちゃいけなかった。
その内、生きていくことに一所懸命になっていくしか出来なくなって、大好きな匂いを探しに行く暇もなくなった。

ひとりで生きていくのは難しかった。
だから、ずっとずっと昔にそうしていたように、群れの中に入って生き延びた。
群れの仲間たちは、他所から来た自分を受け入れてくれたくらいだから、良い仲間だったんだろうと思う。
でも、大好きなひとたちを忘れることは出来なくて、もう逢えない寂しさがずっとずっと消えなかった。

あの人にあったのは、そんな時だっただろうか。
あまりよく覚えていないのは、あの頃はあの頃で、群れで生きることに一所懸命だったからかも知れない。

群れを離れて、あの人について行った。
知らない匂いのする巣の中で暮らすようになった。
それから、あの人と一緒に外に出て、獲物を狩ったり、何かを探したり。
ご飯をくれる人がいて、安心して眠れる寝床があって、その巣はとても居心地が良かった。
けれど、大好きなひとたちがいなかったことだけが、やっぱり寂しかった。

────だから今、大好きなひとたちと、また会えたことが嬉しい。
今は難しい顔を突き合わせているひとたちが、時々、ずっとずっと前みたいに笑っている所を見れるのが、嬉しい。

巣から離れた小舟が岸について、皆が船を下りて行くので、自分も岸に飛び移った。
オボルスは「戻ったら合図を寄越してくれ」と言って、舟を巣へと戻しに行く。
それを手を振って見送ってから、皆は歩き出した。


「着いたら、まずはマーサと、ブラッドアクス団から話を聞こう」
「退治に向かえるのは明日になりそうだね」
「イーストプールの人たちは大丈夫かしら」
「それも聞いておきたい所だな。ようやく生活が成り立つようになって来たんだ。混乱が起きていないと良いんだが」


起伏のある丘陵を進む皆の足取りに、迷いはない。
先頭を歩く相棒の横に並ぶと、青い目が此方を見た。

黒い手袋をした手が伸びて来て、ぽんぽん、と頭を撫でてくれる。


「頼りにしているぞ、トルガル」


嬉しい事を言ってくれる。
そんな風に思ってくれるのが嬉しい。

後ろを見れば、ついて来る足がふたつ。
目が合うと笑いかけてくれるのが嬉しい。

大好きなひとたちは、よく難しい顔をしていて、昔のように中々笑ってくれることはない。
けれどいつか、昔みたいに笑ってくれる日が来るように、それまでずっと守って行かなくちゃいけない。
バラバラになったら、誰か一人でも欠けてしまったら、きっと残った人は寂しくて悲しい顔をする。
ようやく会えた時だって、相棒はずっとそうだったんだ。
辛くて苦しくて、泣きたいのに泣けない顔をずっとしていたから心配だった。
またあんな顔をしなくて良いように、誰も離れ離れにならないように、相棒も一緒に皆守って行かなくちゃいけない。



誰かがいなくなると、皆が寂しい。
あの人が遠く遠くに行ってしまって、帰って来なかった時も、沢山の人が悲しんだ。
他にも、古い巣にいた人たちも、沢山沢山、いなくなって寂しくなった。
大好きなひとたちも、沢山沢山、泣いていた。

だから何処にだってついて行く。
誰かがもういなくならなくて良いように。

みんな一緒に、しあわせになる為に。






【一途に思い続けた先へ5つのお題】
5:ぜったい、幸せにする

FF16の癒し、トルガル。一度彼の視点で書いて見たかった。
アップデートで相関図に追加された、各人に対する気持ちの矢印、トルガルがずっと可愛い。
トルガルにとってクライヴは相棒、ジルとジョシュアは保護対象、シドは狩り仲間って言うのが良いですね。
群れの序列はクライヴ一番、自分が二番。仔トルガルの頃からジョシュアのことは「守らなきゃ」って思ってる所が良い。

トルガル、ロザリス城やフェニックスゲートからクライヴの剣や持ち物を探して、あの小島まで泳いで持って行ったんだなあ。
クライヴたちと一緒にいると賢い相棒ですが、傍から見ると犬としても大きすぎるし、野生の頃は人に追い払われたりもしてるんじゃないだろうか。廃構になってしまった砦はともかく、城にはザンブレク軍が常駐していただろうし、結構な無茶をして掻き集めてたんじゃないかなと思う。
それ位にクライヴのことが忘れられなかったんですね。

[16/クラジル]気付いてくれた?

お題配布サイト 【シュレディンガーの猫】






ジルがミドの秘密基地(ダンジョン)に下りて来た時、其処にはこの場所の主であるミドと、カローンの姿があった。
珍しいと言えば珍しい取り合わせで話をしている様子から、邪魔になるかしら、と足を止めたジルの耳に、二人の会話が届いて来る。


「だから、あたしはそう言うのはいらないってば」
「何言ってるんだ。こういう所に気が回らないと、みすぼらしくなるよ」
「大丈夫だよ。あたし、結構カワイイらしいから」
「そんなこと言ってられるのも今のうちだ。少しは父親を見習いな、あれで昔から洒落っ気には気を遣う男だったんだから」
「父さんを引き合いに出すのはずるいって」


リズムの良い遣り取りは、どちらともはきはきとして、声もよく届いた。
言い合いをしているようにも聞こえるが、剣呑な気配はない。
ただ会話の応酬は途切れなく続いていて、ジルは入り口の階段の下で、割り入って良いものかをじっと考えていた。

会話の終了を待っている内に、蒸留器の前に立っていたミドが、新たな来訪者に気付く。
ミドはぱっと表情を明るくすると、此方に背を向けて話しているカローンとの会話から逃げるように、ジルの下へと駆け寄ってきた。


「ジル!なんとかしてよ、カローンがしつこいんだ」
「人聞きの悪い娘だね。たまには紅のひとつくらい覚えてみろって言ってるんだ」


ミドはジルを盾にするように、背中に回り込んで隠れた。
カローンはそんなミドに、眉を釣り上げ、手に持っていた小瓶を見せる。

小瓶は陶器製で、真っ白な外観をしており、側面に小さな花が薄紅色の花が描かれている。
瓶口に乗った蓋もデザインが合わせて作られたと分かる、一見すると白一色ンシンプルなものだ。
隠れ家ではまず見ることのない代物であるから、カローンが何処かで仕入れて来たのだろう。

ジルはミドを宥めながら、背中にくっついている少女を見遣り、


「どうしたの、ミド。カローンも、貴方が此処にいるのは珍しいわね」
「何、野暮用だよ。大した事じゃない」
「じゃあもう良いじゃん、あたしはそう言うの興味ないんだよ」
「二人とも、一体何の話をしていたの?」


肝心の要点が見えなくて、ジルはもう一度、何があったのかを尋ねてみる。
ミドは拗ねたように唇を尖らせながら、カローンの手に握られているものを睨むようにして言った。


「急に此処に来て、あたしに化粧しろって言うんだよ」
「化粧……?」


ミドの言葉に、ジルが首を傾げると、カローンは小瓶をひらりとかざすように見せ、


「良い年頃の娘が、毎日油にまみれてばかり。少しは身嗜みに気を遣いな。香油は嫌だって言うから、これにしてやったんだよ。質の良いものだから、悪い匂いもしないし、皮膚を傷めることもない」
「お気遣いどうも!でもあたしはいらない!」
「落ち着いて、ミド。カローンも少し待って」


ずいずいと近付いて来るカローンと、やだやだと背に隠れるミドに挟まれ、ジルは眉尻を下げて二人を宥める。

カローンもミドも、頼りになると同時に、中々に我の強い人たちだから、どちらをどう宥めたものか。
クライヴを連れて来た方が良いかしら、それともオットーを、と仲裁に入ってくれそうな人を頭に浮かべるが、生憎とクライヴは出掛けていてまだ戻っていないし、オットーも忙しそうだった。

折の悪いタイミングに来てしまったな、と困り顔をしているジル。
そんなジルを、ふとカローンがじいっと見つめ、


「そう言えば、ジル。あんたもこういうものを使っていないね」
「えっと……それは?」
「唇に塗る紅だ。見た事くらいはあるだろう?」
「ええ、まあ……」
「使ったことは?」
「それは、ないけど……」


片義眼のカローンの目が、まじまじとジルの顔を検分する。
その様子を背中に隠れてみていたミドが、ぴん、と良案を思い付いたとばかりに顔を出した。


「じゃあさ、じゃあ。その紅、あたしじゃなくてジルにあげなよ」
「えっ?」
「色が綺麗だからさ、あたしよりジルの方が似合うよ!絶対!」
「ふむ……」


ミドの提案に、カローンは真剣な様子で考え始める。
それを見たジルは、慌てて二人の間からすり抜け逃げた。
すかさずその手をミドが捕まえ、蒸留器の傍に置いてあった椅子へと引っ張って行く。


「まあまあ、ちょっと寄ってって」
「え、え、ミド、待って。化粧なんて私、したことがなくて……」
「だったら良い機会だ!試してみようよ」


ミドにしてみれば、面倒の矛先がジルに向いたことが、これ幸いに違いない。
そしてカローンも、ミドの提案を一蹴しない所から見て、存外乗り気であるらしい。

ミドがジルを椅子に座らせると、早速カローンが瓶の蓋を開ける。
瓶の中には、樹脂に色粉を練り混ぜた粘土状の物が入っている。
カローンが指先にそれを付け、瓶は傍に立っているミドに押し付けるように預けて、空いた手でジルの顎を捕まえた。


「動くんじゃないよ。そのままじっとしてるんだ」
「え、ええ……」


カローンの醸し出す“動くな”と言う空気と、その向こうでは何故かわくわくと瞳を輝かせているミドに見詰められ、ジルはすっかり流れに飲み込まれていた。

カローンの指先が、ジルの唇に触れる。
指はするりと唇の形に沿ってなぞり、元より薄淡色をしていたジルのそれを、そっと、微かに、彩った。
他人が唇に触れていると言うのは、なんとも不思議な感覚で、ジルは戸惑いながら、カローンの作業が終わるのを待つ。

しばしの沈黙の後、カローンは「……こんなものだね」と言って唇から指を離す。
ミドが、壁にかけている布巾をカローンに渡して、ジルの正面に来てまじまじと顔を覗き込んだ。


「ほぉ~……」
「えっと……」
「うん、良いじゃん良いじゃん!やっぱり似合う!」


ミドはまるで子供のように喜んでいた。
その向こうでは、カローンも指に残った紅を拭きながら、


「元々素材は悪くないんだ。ちゃんと手入れをして整えれば、もっと見栄えも良くなる。偶にはこういうものを使って、自分を磨いてみるんだね。女の顔は武器になるよ」
「婆ちゃんが言うと説得力あるね。でもホント、ジル、綺麗だよ!」
「あ、ありがとう……でも、なんだか、落ち着かないわね。……取っても良いかしら」


褒めてくれる二人の言葉は嬉しかったが、口元に違和感があるような、ないような───とジルは戸惑う。
普段はないものが其処に在る、と言う感触もあって、ジルは自身の唇に触れた。
その手をミドが素早く捕まえ、


「ダメダメ!今日一日はそれつけてようよ。そうだ、クライヴにも見せよう!」
「えっ」
「さっき帰ってきた声が聞こえたよ。このまま行こう!」


言うが早いか、ミドはジルの手を引いて歩き出した。
「待って、ミド」とジルは呼びかけるも、ミドは気持ちが既に向こう側へ行っているらしい。
急いで急いで、と小走りに階段を上がって行くミドに、ジルも成すがままだ。
基地に残されたカローンを見遣れば、彼女はやれやれと呆れた表情で肩を竦めたのみで、ジルとミドを見送った。

サロンを通り、デッキへと抜けた所で、昇降機が巻き上げられる音が聞こえた。
隠れ家のリーダーであるクライヴが帰ってきたことで、皆が彼を迎えに出て、賑やかな声が聞こえる。
お帰りなさい、と弾む声が重なる向こうに、数日離れていた人が帰ってきたのだと悟ると、俄かにジルの胸の奥で鼓動が跳ねる。

ジルは前を歩くミドの手を引っ張って、足を止めた。


「待って、ミド。その、私、えっと……」


なんとなく、いつものように出迎える顔が作れなくて、ジルは俯いた。
ミドも振り返ってそんなジルを見る。


「大丈夫だよ。ちゃんと似合ってるし」
「そ、そう言うことではなくて……忙しそうだから、私、後で───」
「おーい、クライヴ!」


無性に湧き上がる気恥ずかしさに、ジルが迷う暇と言うものを、ミドは与えなかった。
皆の向こうにいるクライヴに向かって、背伸びしながら大きく手を振る。
仲間たちが元気なミドの声に振り返れば、当然、その向こうにいた人も、同じように此方を見た。


「ミドか。相変わらずみたいだな」
「うん!ね、ね、ちょっとこっち来て!」


ミドの呼ぶ声に、クライヴは「ちょっと待ってくれ」と言いながら足を向けてくれる。
囲む仲間たちに、持ち帰った物資の確認と運搬を頼みながら、クライヴはミドの下へとやってきた。

そしてクライヴは、ミドの後ろに隠れるように、俯き背中を縮こまらせている幼馴染の姿を見付ける。


「ジル?どうしたんだ?」
「えへへ。ちょっとね。ほら、ジル、大丈夫だって」


隠れたがるジルを、ミドは手を引いて前へと進ませる。

自分の気持ちの整理も儘ならない内に、クライヴの前へと立つことになって、ジルは益々焦った。
右手が口元を隠してしまうのは、やはり其処がいつもと違うからで、これを目の前にいる人に見せて良いのか、覚悟が決まらない。
第一、ミドの基地には鏡と言うものがなかったから、ジルは今の自分の顔が、普段どどう違うのかも分からないのだ。
せめて自分の顔の状態をきちんと確認して、自分なりに「おかしくはない」と思う事が出来れば、覚悟の決めようもあるのだが。

俯き加減になっているジルを、クライヴはことんと首を傾げて見つめる。


「ジル?……気分でも悪いのか?」
「い、いいえ。大丈夫、大丈夫なんだけど……その……」


ジルが口元を隠しているのを、吐き気を堪えていると思ったのだろう。
クライヴの声は如実に心配を含んでいて、ジルはなんと答えれば良いか思案する。

いつまでもこうしてクライヴを拘束している訳にもいかない。
ジルは口元に当てていた手を、そろりと放して、胸の上で緩く握り締めた。
それでも俯けた顔を上げるのは、なんだか無性に恐ろしい気がして、───更に言えば、ミドに言われるままに引っ張って来られたので、ジルの方からクライヴに特別用事がある訳でもない。
何を言えば、どうすれば良いだろう、とにかく何か言わなければ、と思った末、


「えっと……お帰りなさい、クライヴ」
「ああ、ただいま」
「ダルメキアの方に行っていたんでしょう。怪我はない?」
「群れからはぐれた魔物が襲って来たくらいだな。負傷者もいないし、大丈夫だ」
「そう。良かった」


当たり障りのないことを尋ねるしか出来なくて、ジルはこれではいけない、と思う。
もう少し何か、けれど隠れ家の方も何事もなく平穏であったし、と考えあぐねていると、


「……ジル?」


じっと見つめる青の瞳に名を呼ばれ、どきりとジルの鼓動が跳ねる。
瞳は何処か不思議そうにジルの顔を見つめて、


「なんだか、いつもと少し違うか?」
「……!」
「顔色が良いと言うか───なんと言うのか……」


感じることを上手く形容する言葉が見付からないのか、ううむ、と唸るように首を捻るクライヴ。

そんなクライヴに、ジルの後ろからひょこりとミドが顔を出し、


「な、クライヴ。今日のジル、何かいつもと違う気がしないか?」
「うん……そうだな」
「いつもと比べて、変?」
「それはないだろう。ふむ……少し顔色が明るく見える。何か良い事があったのか」
「うーん、惜しい?って言うか、もう一声欲しい!」
「どうしたんだ、一体」


ジルの背中で、ミドが地団太を踏むようにして、もうちょっと、もうちょっと言って!とねだる。
クライヴはミドが何を要求しているのか、具体的に読めない事でまた首を傾げていたが、


「────ひょっとして、紅を差しているのか?」
「!」
「お!」


まじまじとジルの顔を見詰めながら言ったクライヴに、ジルは勿論、ミドも目を輝かせた。


「珍しいな」
「え、ええ。その、カローンが仕入れて来てくれたものを、塗ってくれて」
「な、な、どう?クライヴから見て、どう?」


気付いたのなら、とミドがここぞと感想を尋ねる。
クライヴは、見慣れている筈の女性から醸し出される、普段と違う雰囲気の理由を得心して、柔い笑みを浮かべる。


「似合うよ、ジル。初めて見たような気がするな」
「そう、ね。私も初めてだわ。子供の頃も、こういう事はしていなかったし」


ロザリア公国にいた頃は、まだジルも幼かった。
城使えの女性の中には、唇や頬に何某かの化粧を施していたのを見た事はあったが、少女であった時分のジル自身がそれを試してみたことはない。
あの頃はまだ幾らかの興味があったと思うが、ロザリア崩壊から此処まで、それを思い出す余裕もなかった。

そんなジルにとって、これは降って沸いたような機会であった。
カローンとミドの勢いに流されるようにして、生まれて初めて差した紅は、どうやら、ちゃんとジルに合うものだったらしい。
クライヴから「似合うよ」と言われて、ジルはようやく、胸の奥で幼い少女が笑うのを感じた。

波止場の方からクライヴを呼ぶ声が聞こえ、クライヴはそちらに応えている。
それを見たジルは、もう十分ね、と思った。


「引き留めてごめんなさい、クライヴ。忙しいのに。怪我がなくて良かったわ」
「ああ、悪いな、ジル。後でまた話そう」
「ええ」


呼ぶ声の方へと向かうクライヴを見送って、ジルはほうっと胸を撫で下ろす。
それを見たミドと目が合って、にっかりと笑う彼女に、ジルも頬を緩めるのだった。





【一途に思い続けた先へ5つのお題】
4:気付いてくれた?

ジルのちょっとした変化にも気付くクライヴとか良いなあと思いまして。
ただクライヴって良くも悪くも朴念仁な所もあると思うので、「何かいつもと違うな」って所は感じ取っても、じゃあ具体的にそれは何処かと言われると、しばらく考え込みそう。
クライヴがそんな感じで気付かなくても、ジルは「いつもと違うと感じてくれた」だけで十分と思いそう。
でもやっぱりクライヴからの「似合う」とか「可愛い」がジルは一番嬉しいんだろうなと思いました。

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