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Category: FF16

[16/バルクラ]朝の戯れ



クライヴが緩やかに微睡みながら目を開けると、ブラインドの隙間から差し込む光が目元に当たった。
瞼の向こう側に透けていた光を直に見て、乾いた眼球が隠れろと訴える。
その命令はなんとも惰性の心地良さを誘うが、さりとて身を任せる訳にも行かなかった。

少年の頃はとかく模範的である事に努力していた所為か、今でもその癖は抜けない。
余程の疲れがあれば別だが、決まった時間に目を覚ますのは、体が記憶したバイオリズムであった。
しかし昨日は、その“余程の疲れ”があった日なので、時計を見れば午前八時を越えている。
ああやってしまったと思った所で、今日の予定は特段急ぐものもない訳で、それを思えば惰眠を貪っていても良かったのだろうが、目が覚めた以上は起きなければ。
腹も減っている訳だし、二度寝をしたとて、どうせ胃袋が鳴いて起きる羽目になるだろう。
栄養を摂ればもう少し目も覚める筈だと、ベッドから抜け出す決意をした。

────筈なのに、その行動を起こし始めてから約十分、クライヴは未だベッドの中にいる。

クライヴは、起き上がってはいるものの、半身はまだシーツの中に埋もれていた。
腰にまとわりついているものが、どうやっても重い。
あからさまにクライヴの起床を阻害しているそれは、振り払おうと思えば出来る筈だが、案外とそれに多大な労力を必要とすることを知っている。
その労力を使うには、まだ頭が目覚め切っていなかったから、まあ良いかとそれが自然と外れるのをのんびりと待ちながら、聊か遅い朝食メニューについて考えていた。

……のだが、既にメニューは決まり(そもそも然程選ぶ幅もない)、時間が経つに連れて、脳もしっかりと覚醒して来た。
流石にこれ以上の引き延ばしは、時間の無駄にしかならないだろう。
何より、まとわりつくものの持ち主は、恐らく、きっと、起きている。
振り払われないことを良いことに、存外と図太い神経で今の状態を続けていることを、クライヴは経験から学んでいた。


「……バルナバス」


寝床からの脱皮を引き留める者の名を呼ぶが、返事はない。
代わりに腰を捕まえる太い腕に、分かり易く力が籠ったのを感じた。


「そろそろ離せ。朝飯を作るから」
「……必要ない」


興味がない、と言わんばかりに、平坦な声が返って来た。
それと一緒に背中の腰のあたりに触れるのは、微かな吐息と、髭の感触。

やっぱり起きてるじゃないかと呆れつつ、クライヴは「そう言う訳にはいかない」と反論した。


「あんたはただでさえ飯を食わないんだ。朝食は一日のエネルギーだぞ」
「摂らなくとも問題はない」
「駄目だ。あんたにちゃんと人間らしい生活をさせるという条件で、あんたの秘書から目溢しされてるようなものなんだから」


言いながらクライヴは、腰を捕まえる腕に触れた。
離れろ、と案外と太い骨の感触のある手首を握ると、抗議のようにまた力が籠ったが、遠慮せずに抓ってやれば渋々に離れて行った。

やっと自由になった体をベッドから下ろし、クライヴは床に落ちている服を拾う。
体を包んでいた布地と、密着していた体温がなくなった所為で、朝の冷え込みに冴えた空気が、一段と冷たく感じられた。
それから身を守る為に手早く着換えを済ませ、ベッドに部屋の主を残して、寝室を後にした。

独り暮らしで使うには余る広さの2LDKは、質の良い家具こそ揃えられているが、あまり使われた形跡がない。
と言うのも、この部屋の主───今はベッドの主───が滅多に帰って来ないものだから、生活臭と言うのが碌に染み付かないのである。
その傍らハウスキーパーは定期的に出入りして行くので、埃も塵も見付からなくて、尚更人が過ごしている気配がなかった。
稀に帰ってきたとて、使うのはシャワーと寝室くらいのもので、生活の営みの中心とも言えるキッチンなんて、それこそ稀に飲むワインを楽しんだ後くらいしか使わない。
その話を聞いた時、朝飯はどうしているんだとクライヴが聞いたら、「食べない」と言う答えが帰って来て、呆れたものだった。
多忙であるが故に偏った生活スタイルになるのは止むを得ないとしても、せめてもう少し体を鑑みた食生活は考えるべきだ。
平時、雇用主の意向には余計な感情を挟まない有能な秘書が、眉尻を下げて閉口する訳だ、とクライヴは思った。

そんなバルナバスの仕事はと言うと、新進気鋭と名高い、大手企業の社長である。
一代で企業から頂点まで上り詰めたと名高い彼と、ただのしがないサラリーマンであるクライヴが、朝露を共にするような間柄になったのはどういう訳だか。
クライヴは未だに疑問が尽きないが、ごくごく簡素に言ってしまえば、“見初められた”と言うのか。
共通の知り合いを介して顔を合わせたのは仕事の時で、プロジェクトを進めている内に、多少なりと身内話をするような間柄になった。
それから閨まで共に過ごす事になったのは、クライヴにしてみれば酒に酔った弾みのことだったが、どうやら向こうはそうではなかったらしい。
無表情とばかり思っていた顔が、いやに真摯な目をして真っ直ぐに近付いて来るのを、素面で押し返す事が出来なかった。
流された、と思わないでもないが、存外とその腕に包まれていると居心地が良い。
まあ良いか───などと言い方をすると随分と不誠実な気がしたが、さりとて悪感情がないのも事実。
何故かすべてを知っていた秘書(多分、雇用主から直に説明でもあったのではないかと思う。そう言う男だ)からは、「貴方に悪意はないでしょうから」とあっさりとしたものだった。
秘書にとっては雇用主である男の意思が重要で、クライヴがどう思うか、倫理的、道徳的、常識的な話だとかは、どうでも良いことと言い切った位だ。
秘書の言葉については、此方の人間性を信頼して貰っているものとして受け取って、こうしてクライヴとバルナバスの関係は、カテゴリーとして『恋人同士』と言うものに納まったのであった。

とは言え、甘い甘い恋人生活と言うほど、二人の生活は密接してはいない。
社長として国内外問わずに顔を使うバルナバスは勿論のこと、クライヴもサラリーマンとして、相応に忙しい日々を送っている。
こうして閨を共に過ごすのは、週に一度もあれば十分で、後は偶に夜にかかってくる電話くらいのもの。
それもバルナバスが海外にいれば、時差を慮ってかないことも多く、傍目に見れば二人の関係は酷く淡白にも見えただろう。
実際、こんなものか、とクライヴも付き合い始めの初期は思ったものだった。

────だから、と言うと聊か話が飛ぶ気もするが、そんな反動のように、週に一度の逢瀬の夜は濃いものになる。
今日のクライヴが平時に比べて遅くに目が覚めたのも、そのお陰であった。

週に一度とは言え、クライヴが泊まり、その翌日には朝食を作るので、キッチンも少しばかり生活感が出て来た。
まるでモデルルームのように水気もなく綺麗だったシンクには、三角コーナーが置かれ、壁には調理器具がかけられ、引き出しを開ければピーラーやら菜箸やら。
大きいばかりで中身がないも同然だった冷蔵庫は、昨日の夜に買って帰った食材が入っている。
野菜はカットされたもの、ドレッシングや調味料は使い切りのポーションタイプ、卵は三つ入りのパック。
牛乳は500mlでも朝食だけでは余ってしまうものだから、200mlをふたつ買うようになった。
水垢もないキッチンを使うことに、初めこそ良いのだろうかと躊躇ったクライヴであったが、流石にもう慣れた。
綺麗に使うことは心掛けつつも、勝手知ったる台所と、コンロも電子レンジも使い分け、てきぱきと朝食を整えて行った。

ダイニングテーブルに二人分の朝食が揃った所で、クライヴの視線は寝室のドアへと向かう。


(さて……まだ出て来そうにないな)


仕様がない、と存外と手のかかる社長様の為、クライヴは寝室へ戻った。

案の定、バルナバスはまだベッドの中にいる。
外では完璧を体現したような男が、プライベートがそれなりに寝汚いことを知る者は少ない。
色々知ったら幻滅するかも知れんぞ、とクライヴに言ったのは、バルナバスとも付き合いが長い上司だ。
その言葉の通り、まさかこんな人間だったとは、と思った事は幾つもあるのだが、不思議と愛想は尽きていない。


「バルナバス、起きてるだろう」
「……」
「朝飯が出来たから、ちゃんと食べろ」


ベッドに近付きながら声をかけてみるが、返事はない。
低血圧が酷いことは知っているから、朝のエンジンがかからないのはいつもの事だ。

ベッドの端に片手をついて、クライヴはシーツの波に埋もれている男の顔を覗いてみる。
眉間に癖のように強い皺が寄っているのを見て、起きているな、と確信した。


「バルナバス」
「……」
「あんたに起きて貰わないと、俺がスレイプニルに怒られるんだが?」
「……好きに言わせておけ」
「あんたはそれで良いだろうけど」


バルナバスにとっては、秘書から偶に貰う小言程度なのだろうが、クライヴにとってはそうではない。
別段、彼とクライヴの仲が悪い訳ではないのだが、秘書はあくまで社長の味方である。
クライヴの所為でバルナバスが堕落しようものなら、勿論それはクライヴの所為であり、排除すべきと断ずるだろう。
流石にそれで恋人との仲を引き裂かれるのは悲しいもので、クライヴはそれなりに、周囲とは穏健な関係を育んでおきべきであると思っている。

その為にも、取り敢えず、バルナバスには起きて食事をして貰わなければならない。
「恋人の手作りなら、あの人も少しは食べますかね」等と真剣な顔で言っていた秘書にとって、これは割と真面目な問題であるらしい。
週に一度程度のことでも、重ねて行けば、バルナバスの食事への意識が改善されるのでは、と。
それに応じてと言う訳ではないが、ともあれ案外と年嵩であるバルナバスの健康管理は大事なことだから、クライヴもこうして食事を用意している訳だ。

しかし、当人に全く起きる気がないのではどうしようもない。
かと言って、折角作った朝食を無駄にしたくはないもので、さてどうやって食わせようかと考えていると、ぬっと太い腕が伸びて来た。
無造作に胸倉を掴んだそれにぐいっと引っ張られて、上体を落としたと思ったら、唇が塞がれる。
ぬるりとしたものが咥内に入って来て、ぞくりと首の後ろに官能の兆しが奔った。


「っ……こら、おい」
「来い」
「んむ……っ!」


唇が離れた一瞬、抗議するクライヴだが、今度は頭を掴まれた。
捕えた獲物を逃がすまいと籠る力に、クライヴは眉根を寄せながらも、舌をなぞられる感触に、くぐもった吐息が漏れる。


「む……ん、ん……っ」


昨日も散々したのに、と地味に痛みを訴える腰があることを、この男は知っているだろうか。
知った所で、きっと大して気にはしないのだろうと思いながら、ベッドの中へと連れ戻される。

ああくそ、とクライヴは心中に吐きながら、すぐ其処にある顔を両の手で包み込み、口付けをより深くする。
此方から舌を絡めてやれば、満足そうに厚みのある手がクライヴの頬を滑った。
ちゅくちゅくと耳の奥で鳴る音に、昨夜もずっと感じていた熱の重みが腹の中で目覚めるのを感じる。

────が、そこまでだ。


「っは……、は……」


クライヴは強い理性でもって、繋いでいた唇を離した。
舌と舌の間を唾液が糸になって引き、ぷつりと切れる。


「……続きは後だ、バルナバス」


とにかくノルマは済ませろと、睨むように至近距離で言って、クライヴは頭を抱える手を解かせた。
その手は今一度獲物を捕まえようと伸ばされるが、すいと避けてベッドを逃れる。

速足に寝室を出たクライヴを見送って、バルナバスはようやく起き上がったのだった。



バルクラを書いてみた。
クライヴにしてみればバルナバスに振り回されている気分だけど、バルナバスの方もクライヴに結構翻弄されている感じ。
大体自分の好きにさせてるクライヴが、急に反撃してきてびっくりする(顔は無表情)バルナバスはありなんじゃないかと思いました。

後でちゃんと抱き潰されると思います。

[16/シドクラ]熱に隠したこころの



情に厚いと言うよりかは、情に深いと言う人間なのだと思う。
そうでなければ、道端で斃れている見ず知らずの男を拾い、甲斐甲斐しく面倒を看ることもあるまい。
言えば当人からは「厄介と天秤にかけただけさ」と言うが、それでも大抵の人間は、自らが落ち者を拾って帰りはしないだろう。
精々、警察に電話をするだとか、アパートの大家や管理会社に連絡するとか、その程度だ。
わざわざ自分から面倒を背負い込むようなことをして、それについては“厄介”には入らない辺り、世話好きと言うか、人好きと言うか。

彼に拾われ、半ば強引に会社を其処へ転職させられると、いよいよその世話焼きは本領を発揮した。
元より、彼の会社で働く人々が、そう言った面倒見から端を発する、拾われ者の集まりである事を知る。
古株の面々は、彼が独立する以前からの付き合いだと言うが、そんな人々から見ても、彼は本当に“なんでも”拾って来たのだとか。
故にこそ彼は腕も頭もその人格も信頼され、社員からは須く尊敬を向けられている。

そんな彼が一等に愛を注ぐのは、血の繋がらない一人娘であった。
どう言った経緯かクライヴは聞いた事がない───可惜に踏み込んで良いとも思えないので───のだが、この親子は血の繋がり以上に強い絆で結ばれている。
存外とスキンシップが好きなのは父子揃ってのことで、今は離れて暮らしている所為か、偶に遭うとハグやキスは見慣れた光景だ。
娘は大学生で、異性親には色々と感ずるものも多い年頃だと人は言うが、お互いに気質が似ているのと、よくよく見ると父親の方がきちんと節度を取っているからか、二人は本当に仲が良い。
それはクライヴにとって少々羨ましくもある程で、どちらも真っ直ぐに愛情を向けあう姿は、見ていて微笑ましくなるものだった。

シドのそうした一面は、一年近くを同じ空間で過ごしたクライヴにも、よく分かっていることだ。
私生活が崩壊を通り越して黒塗りされていた自分を、見ていられないからと言うような理由で、現状の生活に至るまで面倒を看た。
時折、呆れた顔をしながらも、決してクライヴの考え方や感じ方を否定せず、広い懐で受け止めてくれた彼の情の深さは、パートナーと言う関係になると尚更、よく見える。
閨に感じる耳心地の良い声であったり、ゆったりと触れる手のひらだったり、眦や口端に浮かぶ皺の数であったり。
ひとつひとつはごく些細なものだが、それでも意識の中に積み重ねられて行けば、そう言ったものにこそ彼の言動の意味が汲み取れるようになる。
そう言った、あからさまにならない中で、少しずつ滲む愛情が、クライヴを安心させていた。

────のだが。

今日は馴染の面子と飲む約束がある、と聞いていた。
当人のシドと、会社の最古参メンバーであるオットーと、今は競争相手にもなった元同僚(今は同じ社長業らしく、シドは元はと言えばそこから独立したそうな)と、久しぶりの会食だったとか。
シドにしろオットーにしろ、そして其処に加わる人間にしろ、毎日を多忙にしているから、こうやってそれぞれの都合がついたのは、随分と久しぶりのことらしい。
人とコミュニケーションをするのが好きな男が、案外とそれを楽しみにしているのが見て取れた。

だから多分、良い酒を飲んだのだろうと思う。
其処で交わされる会話や委細を、クライヴが知る由はないが、少なくとも帰って来た彼の機嫌は良かった。
千鳥足と言うことはなかったが、顔が細やかながら紅い所や、笑った顔が常より二割増しに柔く見えた。
肩の力が抜けている、と言うのも見て分かったから、楽しかったのだろうな、とクライヴは思った。


(────だからって、どうしてこうなってる?)


玄関とリビングを繋ぐ廊下の真ん中で、寄り掛かるようにして抱き締める男の腕の中で、クライヴは呆けた顔で疑問を呈す。
呈すが、口にも出ないそれに答えを寄越してくれる者はなく、その疑問の出所はと言うと、さっきからずっと、クライヴを抱き締めてあやすように頭を撫でたり、背中を叩いたりしている。

シドが帰って来たのはつい先程のことで、時刻は日付が変わる前。
タクシーで帰って来たのであろう彼をクライヴが出迎えたのは、偶々風呂を上がった所だったからだ。
玄関で丁度靴を脱いでいる所を迎えて、「お帰り」と声をかければ、「おう、ただいま」といつもの挨拶があった。
それから、風呂を奨めるか、でも飲んでるなら危ないかな、と思った数秒の間に、抱き込まれてしまった。
前触れもなかったその出来事に、クライヴは混乱も混じって立ち尽くすしかない。

そんな状態になってから、一分は経っただろうか。
クライヴの頭はようやくの再起動がかかり、寄り掛かってくる男が存外と酒臭いことを感じ取る。


「おい、酔っ払い」
「なんだ?」
「……大分気分が良いみたいだな」
「そうだな。ま、そこそこ良い酒にありつけたから」
「それは良かったな。所で、重いんだが」
「いつもお前を受け止めてやってるんだ。偶にはお前が受け止めろよ」


軽口めいた口調で言いながら、シドは更に寄り掛かって来る。
上体にわざと体重を乗せて来る男に、何がしたいんだ、とクライヴは眉根をハの字に寄せていた。

そんなクライヴの頭を撫でていた手が、するりと滑って耳朶を擽る。
いつもイヤーカフをしている耳は、風呂上がりなので今は肌が晒されていた。
其処の感触で遊ぶように、器用な指先が耳朶を掠めるのが妙にむず痒くて、クライヴは頭を振ってそれから逃げる。
と、今度はその手はクライヴの頬に触れて、こっちを向け、と言うように正面へと向き直された。


「クライヴ」
「何────」


呼ぶ声に返事をしようとして、その唇を塞がれる。
突然のことに青の瞳が見開かれるのも構わず、ぬるりとしたものが咥内に滑り込んで来た。
予想もしていなかったことに驚いて強張るクライヴを、背中を抱いていた腕が宥めるようにぽんぽんと叩く。

口付けは徐々に深くなり、侵入した舌が、クライヴのそれを絡め取る。
ゆっくりと舌の表面をなぞられ、じわりと滲みだした唾液が混じり合って、クライヴの耳の奥で水音が鳴る。
ぬるついたものが咥内を丁寧に嘗め回すのを、クライヴは戸惑いつつも、当たり前に受け止めていた。


「ん、ふ……ふ、ぅん……」


もう寝るつもりだったのに、だから風呂も済ませたのに、首の後ろにぞくぞくとした感覚が走る。
覚えのある感触に、それを丁寧に教え込まれた躰は勝手に熱を思い出し、目の前の男の全てを欲しがってしまう。

ゆっくりと唇が離れて、はあ、と熱を孕んだ吐息が漏れた。
とろんと蕩けた青の瞳を、ヘイゼル色の瞳がじっと見つめ、何処か嬉しそうに細められる。
クライヴの足元が緩く脱力して、僅かに蹈鞴を踏めば、シドはクライヴを傍にある壁へと寄り掛からせた。
自分の体と壁とで挟んで、腕の檻で閉じ込めてしまえば、クライヴはもうされるがままだ。

口端に、頬に、首筋に。
一つずつ確かめるようにキスが降りて来るのを、クライヴは受け止めながら、


「あんた、キス魔だったのか」


いつになく増えるキスの数に、クライヴはそんな事を思った。
呟きに零れたそれは、直ぐ其処にあるシドの耳にちゃんと聞こえたようで、


「まさか。誰にでもする程軽かない」
「どうだか。あんたはたらしだから」
「そりゃお前だろう」


言いながらシドは、クライヴの衿の隙間に覗く鎖骨に唇を寄せる。
風呂を終えたばかりだから、肌は火照りを残して、少しばかり汗ばんでいた。

ちゅう、と吸われる感覚に、ひくっ、とクライヴの肩が震える。


「ん……する、のか……」
「そうだな。お前が嫌じゃなけりゃ」
「……別に、それは……もう寝るだけだったし。明日も休み、だし……」
「じゃあ遠慮しなくて良さそうだな」
「いつも遠慮なんかしてないだろう」
「伝わってないってのは悲しいもんだ」


何やら含みのありそうなシドの台詞に、クライヴは首を傾げたが、目の前の顔は笑みを浮かべているばかりだ。

クライヴは簡素な夜着だったから、脱ぐのも脱がされるのも簡単だった。
シドはと言うと、それなりに洒落た格好をしている上、首元のストールこそ解けているものの、他はきっちりと着込んでいる。
その上、場所が場所───すぐ其処に玄関もある廊下でなんて、とクライヴは思ったが、気分の良い酔っ払いは止まってくれそうにない。
時折羞恥心から抵抗の欠片でも示すと、宥めるように、すぐ其処にある皮膚にキスをされた。
胸でも、腹でも、臍でも、太腿でも、何処でも愛おしいと言わんばかりに触れて来るから、どうにもくすぐったくて堪らない。

後でもう一回風呂に入らないといけない、と思いながら、クライヴは緩やかに立ち上る熱に身を任せた。



実はクライヴのことが滅茶苦茶大事だし愛してるから、これでもかと甘やかしてやりたいけど、クライヴの方がそう言うのに慣れてないから普段は自制しているシド(言わないと分からない前提)。
気持ち良く飲んで良い機嫌で帰ったら、恋人が出迎えてくれたので(偶々だけど)、あーなんか可愛いなこいつとか思ったらしい。
クライヴはシドが愛情深い人だとは思っているけど、それは一番は家族であるミドにだけ向いていて、自分もそんなに愛されていると自覚がないと楽しいなって。

[16/シドクラ]寒い日



過ぎ行く窓の風景は、とうに自然光と言うものからは縁遠く、人工的な光で溢れている。
そんな外界も、煌々とした電灯の点いた電車の中からは漆のように黒で塗り潰されて、遠くのビルの陰影も見えない。
晴れた空なら、夜でも多少はビルの輪郭くらいは見えるものだが、今日は全くそれがないのは、暗雲が天を覆っているからだ。
天気予報は午後から曇りを示し、その予報通りに、冬の空らしいどんよりとした天気になっていた。

冷える空気に吐く息は白く、会社から最寄の駅に向かうまでの短い距離でも、存外と凍えた。
まだ老輩とは言いたくないが、若い年齢はとうに終えたと自覚のある体に、キンと冷えた北風が染みる。
おまけに電車に乗った頃から、雨が降り始めた。
雨脚は大して強くはないが、さらさらと降る雨は、ただでさえ冷たい空気から更に熱を奪って行く。
先月の半ばごろから、電車の中でも暖房が稼働するようになったが、人気の少ない電車の中は、幾ら温めても足りないようで、各駅停車の度に開くドアから、辛うじて温まった空気が逃げて行く。
空気の冷えに負けて、ホームの到着と同時に滑り込んで来たこの電車に乗り込んだが、快速列車が来るまで待った方が良かったかも知れない。
ともあれ、後少しで家の最寄り駅に着くのだから、過ぎた事を後悔するのは止めた。

駅到着のアナウンスを流しながら、電車はゆっくりとホームに停止する。
電車を降りて直ぐに吹き付けて来た冷たい風を嫌って、ロングコートの前を寄せ合わせながら速足になった。
靴下は厚手のものを使っているのに、靴の中で指先が酷く冷たい。
家に帰ったらまず風呂に入って温まりたい、今からでも連絡すれば用意して置いてくれるだろうか。
そう言えば炬燵をまだ出していなかったなと思い出しながら、改札を通り抜ける。

ホームから二階の連絡通路へ上がり、改札を抜けると、通路は南と北にそれぞれ伸びている。
北側には地元の人間が生活の頼りにしているスーパーがあり、学校帰り、会社帰りの客が毎日利用していた。
シドや同居人も同様で、日々の食糧、日用品の買い出しの他、仕事終わりの疲れた体を甘やかす為、其処でささやかな趣向品を吟味して帰る事もあった。
しかし、今日はとかく寒さが身に染みるものだから、真っ直ぐ帰ってしまおうと、シドの足は自宅がある南口の方へと向かう。

外へと出れば、また寒い風に襲われるだろう。
その前に防御を固めながら外への階段を降りて行くと、その一番下に、見知った人物のシルエットを見付ける。


「なんだ、お迎えか?」


階段を下りる足を止めずに言うと、しっかりそれを聞き拾って、シルエットが壁に預けていた背を伸ばす。

無造作気味に伸びた癖のついた黒髪と、混じりけの無いブルーアイズ。
あまりに綺麗に整えていると、案外と幼い顔をしているのがコンプレックスらしく、それを隠すように無精気味に伸びた髭。
頬には幼い頃の事故が原因だと言う、火傷で少し色の変わった皮膚を持っている青年。
一年前からシドが自分の会社へと引き込み、その内に共に生活を始め、今ではパートナーとなった、クライヴ・ロズフィールド。

クライヴは体躯の良い体を、厚手のダウンに覆い、首元までしっかりと前を止めている。
基礎体温の高いこの男でも、今日の冷え込みは流石に堪えるものだったのだろう。

クライヴは左手に持っていたビニール傘を二本、ひらりと掲げて見せ、


「雨が降っていたから、あんた、濡れて帰るんじゃないかと思って」
「お優しいね」
「結局止んだから、いらなかったけどな」


クライヴは傘を持った手を降ろしながら、肩を竦めた。

彼の言う通り、シドが電車に乗る時に降り出した雨は、その電車を降りた途端に止んでいた。
気紛れな雨雲はまだ空の上で淀んでいるが、今の所は泣く気がないのか、時折ごろごろと不穏な音を零している程度。
いつまた降り出すかと言う風ではあるものの、止んでいる内に傘を差す必要はあるまい。
クライヴは二本の傘を持ったまま、帰路へと足を向けて歩き出した。

足元は濡れた気配がそのまま残り、昼の微かな晴れ間の内にアスファルトに蓄えられた温もりは、最早微塵も残っていない。
ビルの隙間から吹き下ろして来る風は、渦巻く冷気ばかりを引っ掻き回して、まるで冷蔵庫の中を歩いているようだった。


「全く、身に染みる寒さだな。こうも一気に冷えなくても良いだろうに」
「雨の所為で余計に冷えてるんだ。風呂を沸かして来たから、帰ったら入ると良い」
「準備が良いな。有り難く貰うとするか。お前も一緒に入るか?」
「遠慮する」


俺が入ったら狭いだろ、と言うクライヴに、入る事自体は構わないんだなとこっそり思う。


「夕飯はもう食ったのか」
「いや。鍋にしたから、あんたが帰ってからにしようと思って。あんたが風呂に入ってる間に、整えておくよ」
「いつも悪いな」
「別に、構わない。こう言うのは手が空いてる人間が引き受けた方が効率が良いだろう」


シドとクライヴは、同居している事に加え、社長とその部下と言う間柄がある。
休日も祝日も構わず、一日を共に過ごすような環境だが、立場が違えば仕事内容は勿論、退社時間にも差が出ることは儘あった。
大抵はクライヴが決まった時間に退勤して───以前はブラック企業にいた所為で、サービス残業が当たり前だったクライヴに、シドが口酸っぱく言い付けた末、一年がかりでようやく身に着いた習慣だ───、一足先に自宅に帰り、夕飯の用意をしている。
シドの帰りが遅い時には、先に食事も済ませてしまうが、偶にこうして、パートナーの帰りを待っている事があった。

自宅のあるマンションのエントランスを抜けて、エレベーターに乗り込む。
上へと動く浮遊感の中、クライヴは傘を握っている為に外気に晒していた手を口元に持って行き、はあ、と息で手のひらを温める。
体躯に見合って大きな手は、指先が悴んで薄らと赤くなっていた。


「そう言えばお前、手袋は持ってなかったな」
「ああ……そうだな」


シドの言葉に、クライヴは余り気にしていない様子で返した。
微かに温めた手の熱を逃がさないように、握り開きと繰り返して、指先へと血流を促している。
手首に引っ掻けた傘を落としそうになって、左手でそれを抑えるクライヴを見ながら、シドは言った。


「買ってやろうか、手袋」
「……突然だな」
「そうでもないだろう。あれだ、クリスマスも近いしな」
「クリスマスプレゼント?」
「良いだろう?」
「安上がりだ」
「ちゃんと上等なのを身繕ってやるさ」
「別に良いよ。なくても大して困ってない」


冷えた右手をダウンのポケットに突っ込んで、クライヴはくつりと笑って言った。
その表情は遠慮をしていると言う訳ではなく、本心から、必要ではないと思っているのだろう。

だがシドは、そんなクライヴの、歌のトナカイのように赤らんだ鼻先を摘まんでやる。


「寒い癖に、あんな所で突っ立ってお出迎えしてくれるんだ。風邪引かないように、真面な防寒具は必要だろう」


鼻を摘ままれたクライヴは、シドのその手を鬱陶しそうに払って眉根を寄せた。


「……もう行かないから必要ないよ。今日は雨が降ってたからだ」
「じゃあ、また雨が降る前に用意しておかないとな」


エレベーターが停止して、いつものように降りるシドの背中に、「だから行かないって……」と溜息交じりの声が投げられる。
それにシドが右手をひらひらと振って見せれば、はあ、と今度ははっきりと溜息が一つ。
行かないからな、とまるで決意のような独り言が聞こえたが、さてどうだろうとシドは思う。

一週間後、また冷え切った空に、天気予報にない雨が降った。
誰に対してでもなく試してみたシドの賭けの結果は、本人だけが知っている。


軽率に現パロで同居させたいマンなので、その間柄で駅までお迎えに行く図が好きです。
クライヴは体格が良いし寒さに弱くはなさそうだけど、それはそれで、厚みのある冬服を着込むと表面積が大きくなりそう。
シドの方は質の良い厚手のロングコートを着て欲しいって言う願望。

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