[16/シドクラ]森月の夜
この辺りだな、と目星をつけた場所に極簡素な野営地を作り、数泊。
拠点とした位置から、周囲の様子をよくよく観察しながら探索し、幾つかの場所から土壌を採取した。
それ程遠くない位置に湿地帯が拡がっているお陰か、この辺りの土はどこも柔らかく、水分を多く含んでいる。
水持ちが良い代わりに、水分が多量である為に、水捌けを必要とする植物は根付く前に腐ってしまうのだろう、種類は苔の類が一番数が多いようだった。
とは言え山脈沿いから流れて来る水は栄養分が豊富なようで、川には水棲生物も多く、生き物の生態系は多様だ。
この一帯は、恩恵の元としては、海を挟んだ火山島にあるマザークリスタル・ドレイクブレスになるだろう。
だから北部に比べればまだ豊かさがあり、水も土も、其処に生きる動植物も、元気なものだ。
しかし、その恩恵も果たしていつまで続くだろうか。
大陸北方は黒の一帯が拡がりつつあり、じわじわとこの国の領域にも浸食しつつある。
約80年前にマザークリスタル・ドレイクアイが消滅したと言う事実は、北方で生きていた人々にとって、悲劇と言う他ない。
その為に北部領域にあった国は、隣接するロザリア公国と度々の戦を起こし、結局は投降併合される形となったが、その後も北部難民によって公国側も環境を逼迫されている。
国の立地によって、北部の難をロザリア公国が受け取ることとなったが、これは何処で起きても可笑しくはない出来事だ。
シドが身を置く灰の大陸にあるウォールード王国も、大陸南部側のマザークリスタルが消滅した時代から、常に戦乱が続いて来た。
今は不老の王によって灰の大陸は統治されている形ではあるが、それも南部が黒の一帯で覆われ、人が食うに食えなくなり、残った人口が北側に密集せざるを得なかったからだ。
ヴァリスゼアの三分の一にあたる灰の大陸全土を統治、とは言え、実体としては黒の一帯を放棄したに等しい。
そして残った北側をなんとか開墾し、残ったマザークリスタルの恩恵に縋って生き延びているのだ。
このままでは、遅かれ早かれ、ヴァリスゼアは命が生きていけない場所になる。
大陸を脱出し、外で生きるには、余りにもリスクが高い。
シドは何度か外大陸への出征を経験しているが、海を渡るだけで数ヵ月、それも安穏とした波の中を行く訳ではない。
訓練された兵士でも、時には海に落ちて死ぬこともある。
そして、外大陸に無事に到着しても、其処にはまた別の試練が待っている。
そもそも、マザークリスタルが齎し、クリスタルと言う奇跡の資源があることで生活を賄っているヴァリスゼアの人々にとって、その恩恵から脱して生きるということ自体が、不可能に近いものであった。
だから何とかしなければならない、とシドはこうして歩き回っている。
灰の大陸の半分を覆い尽くす黒の一帯そのものを研究し、枯れた土にもう一度命を芽吹かせることは出来ないか。
棄てた土地を今一度拓くことが出来なければ、この大地はゆっくりと死に向かうだけだ。
灰の大陸については、逐次に資料となるものを集めて、研究を続けている。
その傍ら、シドは風の大陸についても調べるべきだと思った。
各地の土の状態、茂る植物や動物の生態系を調査し、水源地を記録する。
黒の一帯については、それが何処から発生しているのか、発生源には何があるのか、他の土地に同様の条件が合致するような場所はないか───など、調査対象は多岐に渡る。
一人で調べるには余りに広大な事柄ばかりだが、シドは常に一人でこの研究を行っている。
途方もない話に他人を付き合わせる気にならなかった、と言うのもあるが、シド自身、こうした研究が果たして実になるものかと言う確信がないのも大きかった。
黒の一帯については、誰もが棄てるしかない土地だと認識しているし、実際、今までの研究成果から見ても、もう一度開墾が望めるような環境ではない。
せめて、クリスタルや魔法と言う恩恵を使わなくても生きていける環境づくりが可能になるまでは、何もかもが霞を掴むような曖昧な話でしかなかった。
今日も足が棒になるまで歩き回って、手に入れたのは、土と草と水。
それらを何処で採取したのか、地図にマークを記す作業をしていた所で、ふと奇妙な音を聞く。
鬱蒼とした森の向こうに響くそれは、金属音のようだった。
(……野盗の縄張り争いか?)
場所はロザリア公国の郊外にある森の中だ。
この森を北に抜ければロザリア城下町へと続く街道へと出る為、旅人を狙った賊が幾つか徒党を組んで縄張りを持っている。
シドは噛んでいた干し肉を口の中に押し込んで、小さな焚火に砂をかけて消した。
少ない手荷物を片手に掴み、音の出所を探る。
拠点とする為に周囲の安全確認は初日に済ませているが、野盗と言うのは幾らでも移動するし、獲物がなければ縄張り外にも出て来るものだ。
襲われるのも面倒だし、寝るのなら場所を変えた方が良い。
しかし、現場を離れる前に、音の出所について調べてみようと思った。
縄張り争いならば好きにさせれば良いが、ひょっとしたら商人か旅人か、襲われている可能性もある。
善行に勤しむような敬虔さは特段持ち合わせてはいなかったが、無視する気にもなれなかった。
時間は夜、空には満月に満たない程度に丸い月がある。
辺りの木々は鬱蒼と茂っているが、針葉樹の隙間から月明かりが落ちているお陰で、それ程視界は悪くない。
身を隠す程度の影を作ってくれる木々の隙間を伝って、シドは音の発信源へと辿り着いた。
(───やっぱりな。野盗か)
林立した木々の隙間から見えたのは、顔をフードやマスクで隠した三人の野盗だ。
それと相対しているのは、軽鎧をまとい、剣を握った細身の少年。
(……商人の子供、と言う訳でもなさそうだが……?)
少年は背後の襲撃を厭ってだろう、木に背中を預けるようにして剣を構えている。
三人の野盗はじりじりと距離を詰め、飛び掛かれる隙を探していた。
見る限り、少年の持ち物は、両手に握った剣のみ。
金目のものを持っているようには見えないが、軽鎧は遠目にも仕立ての良い代物だ。
身包みをはいで、適当な金物屋にでも売り飛ばせば、さぞかし良い値の鉄になるだろう。
ともあれ、状況としては、一人の少年が三人のごろつきに囲まれていると言うものだ。
シドはやれやれと言う表情を浮かべつつ、足元に落ちていた石を拾った。
少年の視線が、三人の野盗を見据えている。
しかし、視野と言うものには限界があるから、野盗は三方向にそれぞれ広く配置を取り、少年の死角を狙う作戦に出た。
正面左右にそれぞれ展開した野盗たちに、少年の眼球は大きく動かざるを得なくなり、見る方向の反対側が死角となってしまう。
当然、それを狙った一人の野盗が飛び掛かろうと地面を蹴った瞬間、シドは手のひらに構えていた石礫を、魔力を込めた指で弾き撃った。
薄く雷のエーテルを帯びた石礫が、少年にサーベルを振り被っていた男の後頭部にヒットする。
微弱な電流が後頭部から脳へと走り、う、と目を瞠った野盗を、少年の剣が薙ぎ払った。
少年は返す切っ先で、逆側から襲い掛かってきた野盗を打ち払う。
正面に立っていた野盗が、掌に魔力を集中させていることに気付いたのはシドだ。
足元に落ちていた小枝を蹴り上げて掴み、振り被り、一投。
矢のように空気を切り裂いた枝が、今正に圧縮した風を打ち出そうとしていた野盗の手に突き刺さった。
「ぐああああっ!」
「!」
悲鳴を上げた野盗の隙を、少年は逃さなかった。
細身の体には聊か重いであろう大剣を、両手で掴み、振り被る。
おうん、と風を割く低い音と共に、大剣の峰が野盗の横腹を強かに殴りつけた。
ぐえあ、と不格好な呻きを零しながら、野盗は横向きに吹き飛んで、木の幹に体を叩きつける。
そのまま崩れ落ちて動かなくなった野盗たちを、少年は息を詰まらせ、緊張した眼差しでじっと睨んでいた。
それから、数秒。
はっ、はっ、と切れる少年の呼吸が少しずつ落ち着いた後、彼はほうっと安堵の息を吐いた。
疲れ切った様子で膝が崩れかけるのを、少年は剣を地面に突き立てて支えている。
そして少年は、汗ばむ額を手甲で拭いながら、シドが身を隠している方を見た。
「……其処の───どこの誰かは、判らないが。助けてくれてありがとう」
其処に自分を助けた人間がいる、と少年は分かっていた。
ならば隠れていても意味はないな、とシドは腰の剣には手を置かないようにと意識して、木陰から出る。
「何、ちょっと余計なお節介をしただけだ。礼には及ばんよ」
「いや、あのままだと危なかった。貴方のお陰だ」
少年は剣を背中に納めながら、シドに改めて礼を言う。
その物の言い方を聞いて、随分と育ちが良いな、とシドは思う。
地面で微かに呻く声が漏れるのを聞いて、少年ははたと辺りを見回す。
転がる野盗たちを見た少年は、手持ちの少ない荷から縄や布を取り出して、気を失っている野盗たちを縛り始めた。
シドもそれに手を貸せば、少年はもう一度「ありがとう」と言った。
慣れた手付きで野盗に縄をかけ、それが解けないようにしっかりと結ぶシドに、少年が言った。
「随分と手際が良いな。見ない顔だが……何処かの警邏隊にでも所属しているのか?」
「いや、ただの流れ者だよ」
「……」
縛り縄の具合を確かめながら答えたシドに、少年は首を傾げた。
腑に落ちない様子ではあったが、助けられたと言う手前だろうか。
少年はそれ以上を問うことはしなかった。
そしてシドの方も、野盗に縄をかける傍ら、少年の井出達を確認して、彼の正体に気付いた。
分かってしまえば、彼の喋り方、立ち振る舞いに品と威があるのも理解できる。
となれば、自分は佇まいを正すべきなのだろうが、敢えて今は触れまいと、素知らぬ顔で流れ者らしく振舞う。
「今日はこの辺りで野宿かと思っていたんだが、野盗がいるような場所なら、辞めた方が良さそうだな」
「ああ。この野盗たちは、先達て討伐された一団の残党なんだ。報告によればこいつらが最後の筈だけど、念の為、此処は離れた方が良い」
「ふむ。忠告は有難いんだが、生憎とこの辺りの地理に疎くてな。何処まで行けば安全だ?」
「……そうだな……」
少年は手袋をはめた手を顎に当てて、考える仕草をしながら辺りを見回す。
木々に覆われた空を見上げ、覗く月の角度を確かめてから、おおよその時間帯と方角を計算して、
「北西の方に抜ければ、野原に出られる。街道沿いにも近いから、その辺りまで行けば、警邏の巡回もあるから野盗の類はまず出ない」
そう言って、少年はシドに行くべき方角を指差し示した。
森さえ抜ければ安全な筈だ、と言う少年に、シドは短い感謝を述べて、荷物を持ち直した。
この辺りの森のことは、出来ればもう少し調査に時間を割きたかったのだが、こうして人目に着いた以上、長居は出来ない。
この地については後日、また改めて足を運ばせるしかないだろう。
取り合えず採取は済んだ事だし、当面はそれを当てに研究していくことにしよう。
此方を見つめる青の瞳が、不審を見るものになる前に退散させて貰おう───と思った時だった。
つん、と鼻腔に触れた鉄錆に似た匂いに、シドは眉根を寄せて少年を見る。
「お前、何処か怪我でもしてるのか」
「!」
シドの言葉に、少年はぎくりとした様子で肩を揺らした。
やれやれ、とシドは溜息交じりに荷物を下ろす。
「ちょっと見せてみろ。切り傷に効く薬がある」
「い、いや。大したものじゃない。そんな───」
「まだ残党が他にもいるかも知れないだろう。そのままにしておくと、つけ込まれるかも知れないぞ」
諫める声で脅すように言ってやれば、少年はぐっと口を噤んだ。
ばつの悪い、叱られることに怯える子供のような光が、青の瞳の隅に浮かんでいた。
少年の右手が、隠すように左腕に触れる。
成程そこか、とシドは荷物袋の中から薬瓶を取り出すと、少年の前に立つ。
発展途上の身長は、シドの胸のあたりに頭の位置があって、丁寧に撫でつけられた髪が月光を反射して艶を浮かせていた。
「見せてみろ」
「……」
「別に毒を塗ろうって訳じゃない。何の薬か信用ならないって思うのも、分かるがな」
「そう言う、訳では……ない、けど……」
シドからすれば、何処の誰とも分からない人間が差し出す薬など、と疑う方が理にかなっているとは思う。
しかし、少年にとっては、曲りなりにも自分の危機を救った相手を疑うことも、ばつの悪さを誘うらしい。
少年はしばらく戸惑いに立ち尽くしていたが、シドに譲る気がないのも察したのだろう。
のろのろとした様子で、左手に嵌めていたグローブを外し、服の袖を捲った。
肘の手前から皮膚にはべったりと赤い絵の具が拡がっている。
傷を負ってから時間は経っているようだが、出血も止まり切ってはおらず、真新しい切り傷からはじわじわと赤い粒が浮き出ていた。
薬瓶の中身は、薬草を潰して練り込んだ軟膏だ。
傷のある場所に塗り広げてやれば、皮膚に沁みる感触に少年が眉根を寄せる。
唇を噛んで唸る声を殺しているうちに、シドは手早く薬を塗り終えた。
それから荷袋から適当に布を切り裂いて、包帯替わりに少年の腕に巻き付ける。
「こんな所か」
「……すまない。此処までして貰って……」
「こっちが勝手にしたことだ。そう気負った顔するようなことじゃない」
じんわりと赤い色を滲ませている布を見下ろして、詫びるように首を垂れる少年に、シドは肩を竦めた。
しかし、シドの言葉は少年の内側にはあまり響いていないらしい。
気まずい表情で腕を見つめる少年の頭を、シドは余計なお節介だったなと、今更と知りつつ苦笑する。
───と、遠くから人の声が聞こえてくる。
何かを探しているように大きなその声が、近付いて来るにつれて、人の名を呼んでいるのが分かった。
「あ───」
声のする方向を見た少年を見て、迎えだな、とシドは察する。
「それじゃ、俺はこの辺でお暇させて貰うとしよう」
「ちょっと待ってくれ。助けて貰ったのと、これと、礼がまだ……」
荷物を持ち直して踵を返したシドを、少年が引き留めようとする。
しかしシドは足を動かしながら、振り返らずにひらひらと手を振って、
「言っただろう、ただの勝手なお節介だ」
「しかし」
「どうしても礼をしてくれるなら、次に会った時で良い。何か頼み事ひとつでも聞いてくれれば十分だよ」
森の中へと姿を晦ますようにして潜って行くシドを、追う足はない。
程なく少年の迎えが合流することを思えば、彼がシドを追い駆けて来ることはないだろう。
捕縛した野盗のこともあるし、彼が忙しい立場であることは想像に易い。
気配が遠退いた所で、シドが振り返ってみると、茂る木々草の向こうに、思った通り、ロザリア公国軍の装備を身に付けた男たちが、少年を囲うように話していた。
既に少年の表情も見えない程に距離が開いているが、彼は野盗征伐の仕上げに取り掛かっているらしい。
シドもこうなったのならと、森の探索もすっぱり諦め、帰路へと向かうことにした。
今のうちに森を離れ、港のあるポートイゾルデ方面へと向かえば、城へと戻るであろう、彼と鉢合わせすることもあるまい。
手許の磁石で方角を確認しながら進む。
その傍ら、シドは透明な青の瞳が円らに見上げて来る様子を思い出していた。
「次に会った時────か」
人気のない林の中で一人呟いて、シドは苦く笑う。
シドの立場と、あの少年の立場。
それを理解した上で、再び邂逅することがあるとすれば、それは凡そ今夜のような穏やかなものにはならないだろう。
シドが籍を置くウォールードと、彼が身を置くロザリア公国は、直接の睨み合いこそないものの、手を取り合うには難が多い。
今後のヴァリスゼアの行先を思えば、不穏な時流の時こそが、再会の機となり得るだろう。
灰の大陸も、風の大陸も、マザークリスタルの恩恵を奪い合って戦乱が絶えない。
それを思えば、穏やかな再会など望むべくもないのだ。
密集していた木々が途切れ、視界が広がると、白い月明かりが野を照らしている。
今頃はあの少年も、この月の下を歩いているのだろう。
その道中がせめて無事に終われば良いと、シドは灯台の方へと歩きながら祈った。
『シドと15歳のクライヴ』のリクエストを頂きました。
ifでもパロでも良いとのことでしたので、ifです。若シドと15歳クライヴの偶然の出会いを考えるのが楽しかったです。
この頃だとシドは三十路の頃ですが、アルティマニアの年表を見ると、この時分にベネディクタを拾ってるみたいですね。人のことを放っておけない性分を発揮している。
クライヴはフェニックスの騎士になるべく修行中。実力と実戦経験を積む為に、兵士数名を伴って野盗の残党退治に出ていた、と言う感じでした。
この頃のクライヴは、魔物討伐等や、王族皇族列席の場には警備としてなら参加していそうだけど、あまり自国を出る機会はなさそうだなぁ……と思っている。想像ですが。