サイト更新には乗らない短いSS置き場

Entry

2025年08月

[フリスコ]花の名前を君が教えてくれたんだ

  • 2025/08/08 22:10
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF

モブ視点でBSS要素があります




スコール・レオンハートとは、二年生に進級して間もなく決まったクラス内の係委員が一緒になった。
彼は学年内では優秀だと有名だったので、違うクラスでも名前を知っている。
それに対して、自分は何処にでもいるごくごく普通の思春期の高校生で、特別何か秀でたものを持っている訳でもない。
係委員が重なったよしみに、自己紹介と連ねて「これから宜しく」と挨拶した時、スコールは小さく会釈しただけだった。
明らかに、此方のことなど知りもしない───昨年はクラスが違ったので無理もない───様子の彼に、まあそんなものだよな、と思った。
そして自分も、スコールの名前と成績優秀な噂は知ってはいるものの、実際に当人がどういう人物であるのかは、又聞きの又聞きの又聞きくらいにしか知らなかった。

二人がクラスで担当しているのは、頒布物や掲示物を教室の要所に設置する係だ。
毎日のように仕事がある訳ではないのだが、授業で作った、或いは描いた何某を教室後ろの壁に貼ったり飾ったり。
学校行事の予定表を教室内の掲示板に張ったり、持ち帰り用のプリント類を所定の位置に置いておいたり。
その活動は、授業が始まる前の朝か、終わった後の放課後にまとめて行うようにしていたのだが、そのお陰で、自分はスコールと会話をする機会が他の生徒よりも増えた。

スコールの口数は非常に少なく、必要な連絡事項を除くと、挨拶でさえも無言で終わらせてしまうことが多い。
クラスメイトたちの雑談に入ることもなく、休憩や昼の時間でも一人で過ごしていることが多かった。
一年生の時から彼はそんな調子だったそうで、二年生ともなれば元クラスメイトは今更彼を交流の輪に誘おうとはしなかったし、周囲もなんとなく、そう言う風に扱っていた。
実際に自分も、会話の少ない係活動をしながら、まあこんなものだよなぁ、と納得していた。

けれども、二人きりで係活動をしていると、ぽつぽつとした会話の機会は存外と多かった。
最初は必要な連絡や確認をするくらいだったが、クラス人数分の掲示物を壁に貼る作業をしている時だとか、プリント枚数の確認だとか、小冊子を綴じる作業だとか───とにかく、色々とそう言うことをやっている内に、打ち合わせも含めた会話が増えて行く。
彼は必要な事柄以外で自分から口を開く事は少なかったが、例えば此方が少々体調を崩している時は、「俺がやっておくから、あんたは先に帰って良い」と言った気遣いをしてくれる。
あれ、こいつ、意外と優しかったりするのかな、と思うまでにそれ程時間はかからなかった。

放課後に教室に二人で残り、大量のプリントを冊子に綴じる作業をしていた時に、単純作業に暇を飽かして、どうでも良い話もした。
そう言う雑談に応じてくれることもあるのだと知ったのは、この時だ。
スコールが早くに母を亡くし、父子二人暮らしをしていて、家事一般を一手に引き受けていると聞いて、成程それなら他の学生たちのように遊び惚ける訳がない、とも納得する。
ごくごく普通に両親に恵まれた自分にとっては、全く違う世界を見ているのだと知って───そう言うことを知れた事に、ほんの少しだけ、彼と距離が縮まった気がした。
それは此方の一方的な気持ちかも知れないが、そう言う話を自分に聞かせてくれるくらいに、彼が信頼してくれたのだと、そう思えたのだ。

彼と共に行う係活動の時間が、段々と楽しみになってきた。
特に早朝は、学校内の人の気配が少ないこともあって、教室に二人きりで過ごすことが出来る。
三十分もすれば誰かが登校してくるから、そんな束の間の事ではあるのだが、自分にとってはこの僅かな時間がある事が嬉しかった。
その間、彼はきっと他のクラスメイトには見せた事もない姿を見せてくれる。

早朝の教室で見る景色は正しくそれだ。
係の為に教室のドアを開けて、それが見れる確率は、半々と言った所だろうか。

からりとドアを開けると、教室の後ろの棚ロッカーの前に彼は立っている。


「やあ、スコール。水替えは終わったのか?」


おはようの挨拶の代わりにそう尋ねると、スコールは両手に抱えていた花瓶を丁度棚に置いた所だった。
蒼灰色が此方を見て、「今終わった」と短く告げる。

スコールは花の見栄えを丹念に調整している。
その間に自分は掲示物の数確認を終えておく。
花の飾りつけを終えたスコールが、「悪い、待たせた」と言ってくれたので、自分は「そんなことないよ」と笑う。
確認作業をしながら、真剣に花と向き合っていたスコールの顔をこっそりと眺めていたなんて、言ったら彼はどんな顔をするだろう。
揶揄われたと怒らせてしまうのも嫌だし、折角見せても良いと言う所まで信頼を勝ち得たのだから、それを無為にしてしまうつもりはないけれど。


「じゃあ始めようか。スコールはこれを黒板に」
「ああ」
「こっちは後ろの高い所に貼るから、後で手伝ってくれ」
「判った」


差し出したプリントを、スコールが受け取る。

時刻はもうすぐ八時を過ぎる。
グラウンドからは人の気配が増えてきて、もうすぐこの教室にも、他の生徒が着くだろう。
それまであと少し、束の間の二人きりの時間を大事にしよう、と思った。




自分たちの教室の後ろには、いつからか、花が飾られるようになった。
誰が持って来たのかは聞いていないが、スコールが随分と熱心に手をかけているので、ひょっとしたら彼が飾ったのかも知れない。
切り花を飾ったそれは時間と共に萎れ行くものだったが、寂しい色合いになってくると、新しい花に替えられる。
もう何ヵ月になるか、スコールはずっとそうして、朝の花の世話を日課にしていた。

花弁や葉肉に傷みが出ていないか、じっと見つめる横顔は真剣そのもの。
そんな顔を見せてくれる───自分が相手なら見せても良いと、気を許してくれているのが嬉しい。
何せ最初の頃は、花に近付くことすらも他人に見せまいとしていたようだったから、事故的な流れで最初の目撃をした経緯があるとは言え、「この人物になら見られても良い」と思い至ってくれたのは、信頼された証のように感じたものだ。

花を見つめるスコールの横顔は、いつも何処か優しくて、淡く甘い。
花が好きなんだな、と言うと、彼は「別に」と答えるけれど、その声が恥ずかしさを隠しているのはよく判った。
そう言うものが読み取れるくらいには、付き合いも深くなったと言うことだ。
その事にこっそりと喜びを噛み締めながら、朝の係活動を二人でこなしていく。

────そんなある日のことだ。

いつも自分よりも早く教室に来て、花の世話をしていたスコールが、遅れて教室に着いた。
寝坊でもしたのか、珍しい、と思ったのだが、どうも顔を見ているとそう言う訳でもないらしい。
酷く落ち着かない様子で教室に来た彼は、何かを振り切るようにして「遅くなって悪かった」と短く言って、直ぐにその日の仕事に取り掛かった。
その時は、花の水替えについて良いのかと聞いたら、「こっちが先だろう」と頒布物の確認を優先している。
出足が遅れたのだから、義務とされている訳ではない花の世話を後回しにすること自体は可笑しくはないのだが、結局、その日、彼は花瓶に一度も触れていない。

その翌日からは、また花の世話を再開させたようだったが、どうも様子が可笑しかった。
水替えをし、花弁や葉肉の具合を確かめて、それは変わらないのだが、段々と萎れて行く花を取り換えることをしない。
いつもならそろそろ新しい花を据える頃になっても、萎れた花がそのままになっていた。
このまま過ぎれば、やがて枯れてしまうことは避けられない。
それを見つめるスコールの目が、何処か泣き出しそうにも見えて、なんだか酷く居た堪れなかった。

だから、新しい花を買って来よう、と思い至ったのだ。


(花のことで、何か悲しいことでもあったのかも知れない。それで、あの花を取り換えられないのかも。でも、あのままだとスコールの心も一緒に枯れてしまいそうだ)


日に日に色を失っていく花と、それを見つめては苦しそうに唇を噛んでいたスコール。
そんな彼に、何かあったのか、と聞くことは難しい気がした。
それが出来る程、親しい間柄と言い切れない、自信のなさが邪魔をする。
だから代わりに、せめて前を向ける切っ掛けを作れたら、と思ったのだ。

しかし、花について自分は全くの物知らずである。
スコールがどういう花が好きで、どう言う色を好んで花を飾っていたのか、自分はよくよく覚えていなかった。
しまったなあ、と思いつつ、取り合えず行動だけはしてみようと、放課後に学校の近くにある花屋に行ってみることにした。

どんな花が良いかな、とぼんやりとした想像を巡らせながら、道の向こうに花屋の看板を臨む頃、其処には一人の青年が立っている。
シャワーホースで店先の花に水を撒いているのは、学校でも有名な先輩だった。


「フリオニール───先輩」
「……ん?ああ、えっと───いらっしゃいませ」


青年の名前を呼べば、銀髪に赤目が此方を見て、にこりと笑った。
社交辞令と判るが、決して悪い印象を与えないその笑顔に、どうも、と此方も小さく会釈する。
恐らく彼は、自分のことなど知りもしないだろう、と思いつつ。

フリオニールは同じ学校の生徒だが、学年はひとつ上だ。
運動神経が抜群に良くて、運動部のあちこちを掛け持ちしており、他校との交流試合や体育祭で大活躍している所をよく見る。
吊り上がった猫目が少し気の強い印象を与えるが、存外とその腰は低いらしく、同級生からはよく揶揄い混じりに構われ、下級生からも慕われていると言う。
が、自分は文化部と言う全くの畑違いと言うこともあり、噂以上の人となりについては全く知らない。

こんな所でこんな人物に逢うとは思っていなかった。
アルバイトでもしているのだろうか。
花と縁のある人とは思っていなかったので、少し意外なものを見付けた気分だ。

なんらか話がある訳でもないので、自分は客として此処に来たと言うことを伝えた。
「教室に飾る花を探したくて」と言うと、店先に在るのは植木や苗ばかりなので、綺麗に咲いている花なら店の中にあると教えてくれた。
中に入ってみると、確かに色とりどりの花が所狭しと並べられている。
この中から、あの少年が気に入ってくれる花を探すと言うのは、中々に骨が折れそうだったが、


(いや、スコールを励ます為だ。元気が出そうな色とか、華やかな感じとか……そう言うのが良いかな)


取り合えず、先ずは一通り見てみよう。
自分を鼓舞するようにそう考えて、広くはない店内を一周してみた。
陳列棚に置かれた花の名前は幾らも頭に入らなかったが、幾つか見覚えのある花弁を見付けることに成功する。
其処からスコールが喜びそうな花を考えて、選択肢を絞り込んでいると、


「いらっしゃい────」


店頭にいたのであろうフリオニールの声が聞こえたが、それは中途半端に途切れた。
誰か客が来たのかな、となんとなく其方を見ると、商品棚の隙間とガラス戸の向こうに、立ち尽くしているフリオニールが見える。
紅い瞳が驚いたように瞠られているのを見て、誰が来たんだろう、とこれもまたなんとなく、フリオニールの視線の先を追った。

追って、自分もまた、目を瞠る。
其処には、見慣れた級友の───スコールの姿があったのだ。


「スコー、ル」
「……」


詰まったような声で、フリオニールはスコールの名を呼んだ。
スコールは俯き加減で立ち尽くしている。

それから数秒、沈黙が下りた。
フリオニールの手に握られたシャワーホースから、出しっぱなしの水だけが地面を濡らす音を鳴らしている。
お互いに金縛りにあったように動かない二人の間には、傍目から見ても判る、気まずいものが滲んでいた。
フリオニールは何度か何かを言おうと口を開いて、その度に口を閉じ、俯く。
スコールはじっと足元を見つめたまま、夏の暑さに当てられたように、頬が日焼けに赤らんでいた。

────二人がそうして過ごしているのを、何故か自分は、息を詰めて見つめていた。
心臓がどくどくと鐘を速めているのは何故だろう。
ゆっくりとスコールが顔を上げていく仕草が、酷くスローモーションに見えた。


「……フリオニール」
「……!」


色の薄い唇に名前を呼ばれて、フリオニールがはっと顔を上げる。
スコールは肩にかけた学校指定の鞄のベルトをぎゅうっと握って、


「……この間の、話」
「……あ……と、あれは───」
「……冗談、か?」


震えるスコールの声に、フリオニールは強く首を横に振った。


「それは、違う。ただ、その、……あの時に、あんな形で言うつもりではなかった、から」
「………」
「でも、あれは……嘘とか、冗談とかじゃない」
「………」
「だけど、勢いで言ってしまったから……困らせたんだと思った。あれから……此処に来なくなったし……」


言いながら、フリオニールは手元のホースを捻り、出しっぱなしになっていた水を止めた。
紅い瞳は気まずさを表すように、ぽたぽたと水滴を零しているシャワーノズルを見詰めている。

そんなフリオニールの言葉に、スコールは溜息を漏らす。


「……当たり前だろう。あんなこと急に言われたって……どうして良いか、困る」
「……そうだよな。すまない」


フリオニールは、弱ったように眉をハの字にして笑う。
寂しい、悲しいと言う気持ちを、強引に押し隠した笑顔だった。

そんなフリオニールに、スコールの足が、根から解放されて一歩進む。


「困る。困った。……けど、……花を見てたら、どうしても、あんたの顔が頭に浮かぶんだ。あんたに貰った花、もう萎れてて、替えなきゃって思うけど、……あんな話したから、また此処に来て良いのか判らなくて」
「……うん」
「でも、他の花屋に行く気もしないし。大体、その、正直言うと、花って今でもあんまりよく判らないし。俺はただ、あんたが……花の世話をしてる時のあんたが、……いたから……」
「……うん」


俯いていたスコールの顔が、少しずつ上げられていく。
やがて彼は、真っ直ぐに目の前に立つ人を見た。
その人を映した蒼灰色は、夕暮れに傾いて強い光を放つ太陽の光を反射して、きらきらと海のように輝いている。

その輝きとよく似た光を、自分はよく知っている。
ほんのりと僅かに頬を赤らめ、柔く微かに細められた眼差しは、教室に飾られた花を見詰めている時と同じものだ。


「……あんたの咲かせた花が、きれい、だったから……俺は、あんたが……」


其処から先、彼が何と言ったのかは、よく聞こえなかった。
彼が声のトーンを落としたからなのか、唇こそ動いたけれど音にはならなかったのか。
見詰めるだけの自分にそれは判らなかったが、その言葉を向けられた男は、ひとつ大きく目を瞠った後、酷く面映ゆそうに笑ったのが見えた。

窓ガラス一枚を挟んだ距離は、近いようで遠いようで、けれど決定的に隔てられたものだ。
フリオニールの空の手が、一度迷うように彷徨った後、そうっと伸びて、スコールの頬に触れる。
スコールは頬に重ねられた手を振り払うことなく受け入れて、あの柔い眼差しで、微かに、ほんの微かに、安堵したように笑った。

そしてフリオニールの手が離れると、彼は「ちょっと待っててくれ」と言って、軒先にスコールを残して店の中へと駆ける。
数分としない内に彼が戻ってくると、その手にはラッピングされた花束。
花の数は多くはなかったが、淡い色合いの花弁を中心に選び、それを引き立たせるように小花で飾りを添えて、バランスよくまとめられている。


「スコール。その、これ───また、受け取って貰えるか?」


また。
また────。

その言葉を聞いて、ああそうか、と理解した。
学校の教室に飾られた花は、彼がスコールに贈ったものなのだ。
いつからなのか、何が切っ掛けなのかなど知りもしないが、あれはスコールがこの花屋でフリオニールから貰って、教室に飾っていたのだ。
だからスコールは、毎日のように水替えを行って、花弁や葉肉が病気になっていないのか確かめていた。
切り花になって飾られた花が、いつかは萎れてしまうことは理解しているけれど、それが少しでも長く生きていられるように。
フリオニールから手渡された花が、一日でも長く、鮮やかに咲き誇っていられるように。

ここ数日の間、花瓶に活け続けられていた花は、もう十分に頑張った。
頭はとうに草臥れて、葉にも茶色の斑が浮かび、このまま水に入れていたとて、元に戻ることはない。
役目を終えた花は、明日には新しいものに入れ替えられているだろう。

────青年が差し出した花束に、少年がそっと腕を伸ばす。

受け取ってくれるなと、そう思った自分がいたことに愕然とした。
いっそそう叫んでしまえたら、あの花束を打ち払ってしまえたら、そんな事まで考える。
けれど、もしもそれを実行に移したら、あの蒼灰色はもう自分を見てくれることはないのだろう。
それ所か、花を打ち棄てるような真似をしたことに、憤りか悲しみか、蔑みさえも向けられるかも知れないと思うと、背中が凍る。
早朝の教室で、二人きりで過ごした他愛のない日々が、壊れてしまう。
それだけは、厭だった。



スコールは、小さな花束を受け取ると、少し照れたように頬を赤らめた。
それを見つめる赤い瞳は、何処か熱に浮かされた幸福感を滲ませている。

どうしようもなく、空虚な鳴き声がする。
それが自分の奥底から響いて来るものだと知っても、どうすることも出来なかった。




『フリスコで、スコールが二人から好かれる関係性(BSS・NTR・横恋慕等)のお話』のリクエストを頂きました。
フリスコ以外の登場人物について、モブでもOKとのことでしたので、モブくんのBSSです。
フリスコが報われるか報われないかもご自由に、と頂いたので、今回はフリスコが報われる形で。でも視点は報われないモブくんです。

作中で使う場面がなかったのですが、フリオニールは運動部ではなく園芸部に所属しています。モブくんは学年の違うフリオニールのことを詳細に知らないので、運動部の人だと思い込んでいる。
学校内に園芸部が世話をしている花壇があって、スコールとフリオニールは其処で知り合って交流を持っていました(モブくんはこのことを知らない)。
アルバイト先まで知る仲になって、話の流れでフリオニールが世話した花をスコールが貰うようになり、教室に飾るようになって、それをスコールが世話してるうちにモブくんがスコールに惹かれて行った、と言う感じです。
そして何かの勢いでフリオニールがスコールのことを好きだと零してしまい、その時はパニックになって逃げたスコールだったけど、時間が経つにつれてやっぱり自分もフリオニールが好きなんだ、と言う自覚に至って、ちゃんと告白の返事をしに来た……と言う所に居合わせてしまったモブくん。
と言うことで、正確には「フリオニールに恋をしているスコールに恋をしていたモブくん視点」と言うパターンのBSSでした。

一応、スコールからこのモブくんへの好感度は高めではある。クラスメイトとして信頼はしてる。励ます為に花を贈れば、受け取って貰えたと思う。友達として。

[スコール&クライヴ]過ぎたる日々が見た色は



その日、スコールは、何処からともなくか細い猫の鳴き声を聞いた。
皆が元気に遊ぶ声が響く庭で、どうしてスコールにだけその声が聞こえたのかは判らない。
みー、みー、と酷く悲しそうな声は、他の誰も知らないまま、スコールの耳だけに届いたのだ。

どうしても気になったスコールは、皆がめいめい元気に遊んでいる輪を抜けて、声のする方へ行ってみた。
孤児院園舎の裏庭に来ると、さっきよりも声が近くなって、きょろきょろと首を巡らせる。
とことこ歩きながら辺りを見回し続けていると、小さな畑の傍に佇む木の上から、その声が聞こえて来た。
見上げれば、一本の木の上で、一匹の黒猫が小さく蹲っている。
黒猫はスコールと目を合わせると、みー、みー、と泣いた。

下りられなくなったんだ、とスコールも直ぐに理解した。
何が理由か判らないが、黒猫は一匹で木の上に行って、そのまま下り方が判らなくなった。
だから、誰か助けて、誰か下ろして、とずっと鳴いて呼んでいたのだ。

スコールは少し戸惑った。
決して運動神経が良くはない自覚があったから、誰か、木登りが出来る人を呼んだ方が良いと思ったのだ。
しかし、スコールがその場を離れようとすると、子猫はみぃい、みぃい、と声を大きくする。
置いて行かないで、と訴える黒々とした円らな眼に、スコールは悩んだ末に、意を決した。
ぼくがのぼってたすけなきゃ、と。

木の幹を直接上るのは難しかったが、幸い、傍には金網フェンスがあった。
スコールはそれに手足を引っ掛けて、うんうん頑張りながら、体を上へと持ち上げて行く。
フェンスの上まで辿り着くと、すぐ其処にしっかりとした木の枝があった。
其方に捕まり直して、フェンスを踏みながらよいせと身体を上げることに成功し、其処から更にもう一つ、二つと枝を上り渡る。
其処まで行って、ようやくスコールは黒猫のいる場所まで辿り着いた。


「もう大丈夫だよ。おいで」


枝に掴まりながら、黒猫の傍までゆっくり近づく。
幹に近い位置まで来て、そうっとスコールが手を伸ばすと、黒猫は大人しく撫でさせてくれた。
くりくりとした目がスコールを見上げ、みぃ、と嬉しそうに鳴いた。

懐に潜り込んできた子猫を抱え、よし、とスコールは達成感を感じていた。
助けて、と自分を呼んだ子猫を、自分で助けることが出来たのだ。
良かった、あとは降りるだけ───と思って地面を見て、スコールは初めて、自分がとても高い場所にいる事を知った。

瞬間、スコールの身体は凍り付く。
落果の恐怖と言うものは、生まれて間もない赤子でも、本能的に持っていると言われている。
当然、スコールもそれを持ち得ているから、高い場所と言うのは、好んで上ることはしなかった。
黒猫を助ける為に鼓舞した気持ちで一所懸命に上ってきたが、こんなにも高い場所だったなんて、幼い子供は知らなかったのだ。


(これ───落ちたら、ぼく、どうなっちゃうの……?)


思った瞬間、遠い遠い地面が、更に遠く遠くに見えて、スコールははしっと枝にしがみついて掴まった。
背中が急激に冷たくなって、体がかたかたと震え出す。

こうなってしまっては、スコールは最早、動けなかった。
とにもかくにも下りなくちゃ、と下を見れば、地面があんなにも遠い。
木を登っている時は、黒猫がいる上ばかりを見ていたから、足元がこんなに離れていたなんて、ちっとも気付かなかったのだ。
そして、下りる時にどうすれば良いのかも、幼い子供は全く考える余裕を持っていなかった。

どうしよう、どうすればいいんだろう、と考えている間に、時間はどんどん過ぎていく。
庭で元気に遊んでいた子供たちの声が聞こえなくなり、休憩時間が終わったことを知った。
きっと皆、おやつを食べて、午後のお勉強の時間の準備をしている。
スコールが帰って来ない事に、ママ先生やシド先生は、気が付いてくれるだろうか。
気が付いてくれたとして、探してくれたとして、こんな高い場所に上ってしまったスコールのことを、見つけ出してくれるのだろうか。
考える程、このまま一生、この木にしがみついて待ち過ごさなくてはいけないんじゃないかと思えてきて、絶望感が幼い心を塗り潰していく。

みぃ、みぃ、と黒猫がまた鳴き始めた。
助けてくれると思ったのに、助けに来た子供がちっとも動かなくなってしまったのだから無理もない。
黒猫が鳴く度に、この子の為にも下りなくちゃ、と思うのに、ちょっとでも枝が揺れるのが怖い。

じわじわと、スコールの視界が水に溺れて歪んでいく。
遠い地面もよく判らない形になって、スコールは喉と鼻がつんと痛くなるのを感じていた。
声を上げたら、誰かが飛んできてくれるだろうか。
ママ先生とか、シド先生とか、お姉ちゃんとか────そう思って、出ない声を頑張って出そうと、精一杯の努力をしていた時だった。


「君、大丈夫か?」


聞こえた声が、自分に向けられたものだと、最初は気付かなかった。
「君だ。其処の、木の上の───」とまで言われて、ようやく、自分が誰かに見つけられたことを理解する。

スコールが涙でぐにゃぐにゃになった目できょろきょろきょろと見回すと、フェンスの向こうの道に、一人の少年が立っている。
綺麗に撫でつけられた黒髪に、スコールの瞳とはもう少し明瞭な青色の目。
きちんと着つけられた襟のある服が、この近くにある高等学校の制服だと言うことは、幼子の知らない話である。

少年は、木の枝にしがみ掴まっているスコールを見つめ、


「下りられなくなったのか?」
「……ふぇ……」


少年の言葉に、スコールははっきりと自分の状態を自覚する。
我慢の限界を超えた涙が、大きくて丸い目から、ぼろぼろと零れ始める。


「ひっ、ひっく……ねこ……ねこが……」
「猫……ああ、成程。その子を助けようとして」
「えっ、えく、えっく……でも、でも……お、おりかた、わかんな……うえ……」
「うん、分かった。ええと、此処は───確か大人の人がいる筈だな」
「うえ、えう、えうぅ……ふえぇえ……!」
「すぐに誰か呼んで来るから、もう少しだけ頑張って───」
「うえぇぇえん!」


その場を離れようとする少年を見て、スコールは遂に大きな声を上げて泣き出した。
それを見た少年は、ああ、と眉尻を下げて、二人を隔てるフェンスを見上げ、


「……仕方がないか。大丈夫だ、直ぐに行く」
「えっ、ふえっ、うえええん!まませんせえぇぇ……!」
「そのままじっとしているんだぞ。俺が行くまで、動かないで」
「ひっ、ひっく、ひっく、うぇええ、うぇえええん……!」


泣きじゃくるスコールの声に混じって、黒猫までもが、みぃい、みぃい、と鳴き始める。

少年は手に持っていた鞄を地面に置いて、フェンスに両手をかけた。
がしゃ、とフェンスが重みに音を鳴らす中、少年はあっという間にフェンスを上り、伸びた木の枝に手をかけた。
スコールは其処から枝をひとつふたつ、体ごと持ち上げて登ったが、スコールよりもずっと背が高い少年は、枝に乗るのは危険だと判断した。
フェンスの細い足場に乗ったまま、少年は枝には手で捕まって、じりじりと位置を動かす。

程なく少年は、スコールが捕まっている枝の袂に辿り着いた。
少年の腕がスコールの前に伸ばされて、捕まれ、と彼は言う。


「俺の手を握るんだ」
「ふっ、ふえ、うえええ……やあ……おちるのやだぁあ……!」
「大丈夫、落ちないよ。俺がちゃんと捕まえてる」


その言葉の通り、少年はスコールの蹲る背中に腕を回している。
スコールの肩に触れるその手は、しっかりと温かかった。
ひっく、と涙に濡れた目で見上げるスコールに、少年は努めて優しく笑いかける。

枝に掴まるスコールの手に、少年の手が重なった。
スコールがそろり、そうっと、枝に掴まる手を解いて、少年の手を握る。
よし、大丈夫、と励ます少年の声を聞きながら、スコールはとにかくゆっくりと、恐怖と精一杯に戦いながら、少年の体に身を寄せた。

スコールの重みをしっかりと腕に抱えた少年の肩に、黒猫が乗り移る。
少年は黒猫を捕まえると、スコールにそれを預けた。


「しっかり抱いてるんだぞ」
「……うん」
「行くぞ。せえ、のっ」


子猫をスコールがしっかりと抱き占めるのを見てから、少年は勢いの合図をつけて、フェンスから飛び降りた。

フェンスの際まで伸びていた枝葉を、制服の端に引っ掛けながら、少年は地面へと着地する。
縋る小さな子供を着地の衝撃から庇った反動で、少年は着地の直後に姿勢を崩して、尻餅をついた。
いたた、と軽く打った臀部を摩りながら、少年はしがみつくスコールを見て、その身体に目立った怪我の類がない事を確かめる。


「怪我は───一先ずは、ないみたいだな。良かった」


少年の手が、ぽんぽん、とスコールの頭を撫でる。
ママ先生やシド先生、大好きな姉と同じ、優しいその手のひらの感触に、スコールは安心したと同時に、大きな声を上げて泣き出したのだった。





スコールが通う高校に、新しい教師が赴任した。
夏休みが開けて間もなく、急遽退職する事が決まった、スコールのクラスの担任教師に変わってやって来たのだ。

クラス担任の退職と、それによる交代の旨については、それが決まった時から生徒に通達されている。
クラス担任はそれなりに生徒から支持が厚かったので、残念に思う生徒は少なくなかったが、スコールにはどうでも良い事だった。
そして存外、生徒たちも、担任教諭が変わったからと言って、前の人をいつまでも惜しむ事もない。
新たな教員が生徒たちにとって余程に折り合いが悪いタイプでもない限り、彼らは新しい教員にも程なく懐いていた。

そしてクラス担任が変わってから、そろそろ一ヵ月が経とうとしている。
休み明けテストの返却も終わり、新しいクラス担任についても、生徒の多くが馴染んでいた。
着任から一週間のうちに、彼は好奇心旺盛な生徒たちに囲まれて、あれやこれやと質問されたり、校内を案内されて回っていた。
其処から出回った噂によれば、彼は随分前にこの学校を卒業したとかで、どうやらスコールたちにとっては大先輩にあたるらしい。
在校中は生徒会長を務めた経験もあると言うから、校長室にある各期の卒業アルバムでも探ったら、写真の一枚くらいは残っているかもしれない、とか。
そんな話で生徒たちが盛り上がる位だから、件の新担任は、生徒たちの間ではそれなりに好評価な印象で通っていた。

だが、スコールはどうにも彼が苦手だった。
何がどう、と言われるとよく判らないが、なんとなく目を合わせるのが嫌だ。
そう思うのは、妙に彼と視線が合う瞬間があるからだろう。


(……見られている気がする)


スコールは、件の教員に対して、そんな風に感じていた。

クラス担任であるから、朝のホームルームを筆頭に、毎日顔を合わせる時間がある。
そしてその都度、ぱちりと真っ直ぐ、透明な青を捉える瞬間に見舞われるのだ。
こんな話をすると、サイファーあたりから「自意識過剰な奴だな」と鼻で笑われるのだが、スコールは間違いないと思っている。
何せ、ホームルーム然り、休憩時間の廊下であったり、彼の担当授業の時だったりと、ふとした時に視線を感じて顔を上げると、ばっちりと目が合うのだ。
その都度、彼は少し気まずげに視線を彷徨わせる仕草があるので、スコールは彼が自分を見ていることを確信した。

だからと言って、教師に向かって「不愉快なので見ないで下さい」とは言わないスコールである。
教師と揉めると言うのは大体面倒な事だし、何より、今の所は見られているだけなのだ。
それが視線の類に敏感なスコールにとっては不快を誘うが、では直接的な実害があるのかと言われれば、ない。
どちらかと言えば、面と向かって会話をする機会すらないので、遠巻きに見られている感覚があるだけなのだ。
これで「見るな」と言ったとしても、スコール自身、言いがかりの印象を出ないことは感じていた。

そんな訳で、最近のスコールは、休憩時間はぎりぎりまで教室から離れることにしている。
人気の少ない学校の校舎裏に逃げ込んで、遅刻だけはしないように努めていた。


(教師に目を付けられると、どんな厄介を押し付けられるか判らない。このまま距離は置いていよう)


そう思いながら、スコールは校舎裏で一人のんびりと過ごしていた。

校舎裏は野良猫たちが溜まり場にしていて、毎日何匹かの猫が日向で丸くなって微睡んでいる。
いつから彼らが此処にいるのかは判らないが、大体は人慣れした個体だ。
スコールは、時折そんな猫たちがじゃれて来るのをあしらいながら、午後の予鈴が始まるのを待っていた。
昼食を平らげて膨れた腹が、木漏れ日の心地良さと相俟って、気だるげな睡魔を誘う。
それに欠伸を漏らしていれば、連鎖するように傍らの猫たちも欠伸をして、もう寝てしまえと抗いがたい誘いをしているようだった。

とは言え、スコールに授業をさぼるつもりはない。
予鈴を聞き逃すことのないように、念を入れて携帯電話のアラーム機能を決まった時間にセットする。
制服のブレザーの胸ポケットにそれを仕舞って置けば、万一、寝落ちたとしても起きれる筈だ。

そうして習慣にした、アラーム機能のセットをしていた時のこと。


「───と……、君は確か───」


零れた風に聞こえた声に、スコールは誰か来た、と眉間に皺を寄せた。
此処はスコールの避難所なので、あまり人が集まることは望ましくない。
面倒な奴じゃないなら良いんだが、と仕方なく振り返って、まだ更に眉間の皺が深まった。


「……ロズフィールド先生」
「ああ、やっぱり。スコールか」


一ヵ月前にやって来た、スコールのクラスの新しい担任。
クライヴ・ロズフィールドと言う名のその人物は、クラスの生徒の名前を概ね覚えたらしい。
……スコールは二年生になって半年が経った今でも、曖昧な人物がいると言うのに、生真面目な事だと思う。

クライヴは木漏れ日の下で、スコールの周りを囲うように丸くなっている猫たちを見て、目を細める。


「此処は猫の集会場だったんだな」
「……そうですね」
「逃げないな。人に慣れているのか」


クライヴが近付いて来ると、猫たちは各々顔を上げたが、すぐにまた寝る体勢に戻った。
声を荒げる訳でも、煩い足音を立てるでもないクライヴを、どうやら猫たちは危険人物ではないと判じたらしい。

人懐こい一匹が、体を伸ばして起き上ると、「な~お」と鳴きながらクライヴの足元へやって来る。
猫はクライヴの足に体を擦り付けると、その場にごろりと転がって腹を見せた。
さあ撫でろ、と言わんばかりの猫の姿に、クライヴはくすりと笑って膝を曲げ、大きな手でふわふわとした腹を撫でる。

クライヴは猫の腹を撫でながら、校舎の壁に寄り掛かっているスコールを見て、


「君は、よく此処で過ごすのか」
「……偶には」


ほぼ毎日のように入り浸っていることを、なんとなくスコールは隠した。
隣の猫が、嘘ばっかり、と言いたげに鳴き声を上げている。

猫が腹を隠さないので、クライヴはじっと猫の腹を撫でている。
青の瞳が、何処か興味深そうに猫の様子をしげしげと眺め、撫でる手付きも、これはどうか、これは、と試すように変えている。
猫は時に、それは良い、それは嫌、と言うように、体を揺らしては自分の心地良いポイントへとクライヴの手を誘導した。

一頻り猫を撫でた後、気が済んだ猫がクライヴの手からするりと滑るようにして逃げる。
たっぷり撫でて貰って満足した猫は、もう此処に用はないと、手近な木の上へとするすると上って行った。
クライヴはそんな猫の姿を見上げている。
そのままじっと動かなくなったクライヴに、いつまで此処にいるんだ、とスコールはひっそりと眉根を寄せていた。


「……ロズフィールド先生は、猫が好きなんですか」


尋ねたのは、そうだとしたら、この避難所はもう使えない、と思ったからだ。
教室から少し遠いが、それ故に人があまり来ない為、スコールにとっては丁度良い休憩場所だったのだが、他の誰かが来るならもう仕方がない。
一人の時間を好むスコールにとって、それが確約できない場所は、もう使う気にはなれなかった。

スコールの問いに、クライヴは「どうかな」と曖昧に眉尻を下げている。


「猫とはあまり馴染みがないんだ。犬なら実家にいるんだが」
「……はあ」
「猫に触ったのは随分久しぶりだな。多分、子供の頃以来だ」
「……そうですか」


クライヴの言う事に、スコールは大した興味もなく、適当な相槌で返す。
それでもクライヴにしてみれば、普段あまり会話をしない生徒との、交流の切っ掛けと捉えられたのか。
彼は木の上で尻尾を揺らす猫を見詰めたまま、話を始めた。


「木の上に登って、下りられなくなった猫と子供を見付けたことがある。俺は敷地の外から見付けたから、家の人を呼んで来ようと思ったんだが……」
(……)
「怖かったんだろうな。子供が随分泣くから、早く助けた方が良いと思って。理由を話すのは後にして、まず助けようと思って、急いで木に登ったんだ」
(……ん……?)
「どうにか助けられて良かった。その時に猫も一緒に助けたから────それ位だろうな、猫に触った事があるのは。まだ俺がこの学校にいた頃だったから、もう何年前になるか」


クライヴの語るものは、彼のごく個人的な思い出話だ。
スコールからすれば、知りもしない人の過去など聞いた所で、どうしろと言うのだろう、と思うものだった。

しかし、今の話の中で、スコールの記憶の琴線が震えた。

それはもう随分と遠い日の出来事で、スコールがまだ十歳にもならない時のことだ。
何が原因だったか、同じ孤児院で過ごす子供たちの輪から離れて木に登り、下りられなくなって固まっていた。
どうにもならないままに過ごしていた所で、誰かが其処へやって来て、助けて貰った事がある。
後はその人に手を引かれ、わんわん泣きながらママ先生に迎えられ、泣き止むまであやして貰った後に、一人で木登りをしたことについて、こってりと絞られた。
そんな経緯でスコールは、元々苦手意識のあった木登りを、何が何でもやらない、と決めている。

結果、スコールが一番記憶として鮮やかに思い出せるのは、孤児院の母役であるママ先生に叱られたことだ。
どうして一人で木登りなんてしたのか、幼かったこともあって、既に記憶の海に埋もれて取り出せない。
だが、誰かに抱えて助けて貰ったことは、辛うじて掘り出せた。


(……まさか……)


スコールは、じっと木の上の猫を見詰めている男を見た。
しかし、幾ら考えてみても、あの日あの時、誰が自分を助けてくれたのかは、はっきりと出て来ない。
とにかく木の上から下りられなくて怖かった、そしてママ先生に叱られたのも怖かった───スコールが思い出せるのはそれが精一杯だった。

沈黙しているスコールに、クライヴは眉尻を下げて振り返る。


「すまないな、俺の昔話なんて聞いても、面白くないか」
「……」
「だが、どうしてだろうな。なんとなく、君を見ていると思い出すんだ。似たような目の色だったからなのか……」


クライヴのその言葉に、ぐ、とスコールは喉の奥を噛む。

蒼い目は、特段、珍しいものでもない筈だ。
目の前の男の目だって青いし、幼馴染の中にも、似たような色は少なくない。
だが、先のクライヴの思い出話を聞いてしまえば、彼の言う“子供”が誰を指すのか、スコールは完全に符合した。

────子供の頃の出来事なんて、今のスコールにとっては、黒歴史のようなものだ。
特に、あの日あの頃の自分は泣き虫の盛りで、なんでもないことでも、毎日のようによく泣いた。
幼馴染のサイファーなどは、今でもその頃を引き合いにだして、スコールを揶揄ってくる。
やり返してやれる位には強気になったスコールであるが、それでも幼い頃の泣き虫ぶりは、今のスコールにとって他人に知られたくない過去となっていた。

だが、どうやら幸いな事に、自分を助けてくれた嘗ての少年は、思い出話の張本人がスコールであるとは気付いていないらしい。
確か五つか六つになるかと言う時だったから、流石にスコールの顔立ちも、その頃とは変わっていた。
スコールも今の話を聞かなければ、クライヴが件の少年だったとは気付かなかっただろう。
まさか十年以上も経って、こんな形で再会していた等とは、夢にも思わぬ出来事であった。

胡乱な表情を浮かべてじっと見つめるスコールに、クライヴはことんと首を傾げる。


「どうした?何か────」
「なんでもないです」


スコールは、クライヴの言葉を遮るようにして言った。

気付いていないなら、知られていないのなら。
このまま、知らない振りをしていよう。
幼い頃の失態は、思春期真っ盛りの少年にとって、掘り返されたくない痴態に等しい。
例え記憶を共有する相手が、微笑ましそうにその出来事を語ってくれたとしても。



これまでじっと黙していた生徒の、急に食い込むようにして入った反応に、クライヴはぱちりと目を丸くしたが、スコールにとっては幸いなことに、それ以上に彼が何かを尋ねて来ることはなかったのだった。





『スコールとクライヴ、ほのぼの』のリクエストを頂きました。
弟属性のスコールと、兄属性のクライヴ。並べるのが楽しかったです。

クライヴが青年期(28歳)ならスコールとは11歳差、クライヴ壮年期(33歳)なら、スコールとは16歳差。
と言うことで、青年期クライヴなら、スコールが5歳の時にはクライヴが高校生!と言うことで、子供の頃に会ってた二人を後に再会させてみました。
でもクライヴが落ち着いているので、立ち振る舞いは壮年期かも。現パロなので、ベアラー兵時代みたいに擦れてた時代がなく済んでると言うのもある。

この場は黙して逃げたスコールですが、一応「あの時助けてくれたお兄ちゃん」なので、なんとなく避けることはしなくなると思います。
ただ「あの時助けた子供」とバレた時に何か言われやしないだろうかと思っている。バレたらクライヴは「大きくなったんだな」って言うと思う。遠戚のお兄さん??

[クラスコ]目撃証言:少年A

  • 2025/08/08 22:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



生徒会に所属しているその少年は、今年になって生徒会長となったとある先輩に対し、強い敬愛の念を抱いていた。
その人物は、多くが二年生になってから、クラスから一人選出されて入ることになる生徒会に、一年生の時から籍を置いていたと言う。
それも当時の生徒会の中から推薦・推挙されてのことだと言うから、つまりはそれだけ優れた逸材だったと言うことだ。
実際、少年が一年生の時から、その人物の優秀振りは学内で知られており、知らないとすれば転校したての生徒くらいのものだろう、と言われていた。
テストの成績は勿論のこと、運動神経も優れていて、いつでも冷静沈着。
更に容姿も整っており、後輩女子からはそのクールな振る舞いも含めて憧れの的で、こっそりと非公式ファンクラブが形成されていたと言う。
前年度の生徒会役員が引退する際、迷わず次期会長へと指名されたと言うのも、頷けると言うものだ。

そして前年度の先輩陣が無事に卒業を果たし、生徒会は次代へと受け継がれた。
自主性を重んじる校風に違わず、毎日のように話題提起が起こる学校で、現生徒会もまた例年通りにあくせくと働いている。

それと同じくして、少年を含めた今年度二年生へと進級した生徒たちからも、新たな生徒会人員が確保された。
他薦と投票によって決定されたことに、少年は始めこそ貧乏くじを引かされたと思ったが、生徒会長が件の先輩であることを思い出して、はっとなる。
少年は、ずっと彼に憧れていたのだ。

昨年度、二年生の生徒会役員であった彼は、少年にとって高嶺の花であった。
容姿端麗でありながら、一癖二癖ある者が多い生徒会の中にあって、どちらかと言えば地味な色合いを持ちながらも、決して埋もれることのない存在感。
眉間に皺を浮かべていることが多いが、後輩を───つまりは少年を───前にした時、ほんの僅かにその表情を和らげる。
それが後輩を威圧させないようにと言う、意識的な努力であることを知った時、少年は彼のささやかな優しさに胸を打たれた。
よくよく観察してみれば、彼は本当に細やかな所にも目を届かせてくれ、それによる不具合を出来るだけ取り除こうと努めてくれるから、知れば知る程、少年は彼の人物に敬愛を深めて行ったのだ。
深める程にその存在は眩しいほどに耀き、少年のその想いは一種の宗教染みていたが、彼のその想いは誰も知ることはない。
向けられている当人でさえ。
非公式ファンクラブに入会することもなく、ただただ密かに、傍目に見れば重いほどに尊敬の念を持って、少年は生徒会長となった彼を見つめる為だけに、生徒会へと入ることを受け入れた。
ただただ、誰より近くで、彼の姿を見つめ続ける為だけに。

生徒会としての活動の幅は広く、会議の招集も頻繁にかかる為、役員は部活をしている暇はない。
教員から雑用係の如く回されてくる仕事も多く、これを嫌う生徒は少なくない。
少年も同様だったが、憧れの人も通った道だと思えば、その背を追っているようで、然程悪い気はしなかった。
前年度の生徒会役員に信を置かれ、今正にそのトップとして目まぐるしい日々を過ごしているあの人も、こうやって積み上げていく所から始まったのだ。
そして、この仕事にきちんと誠実に向き合い続けていれば、いつかあの綺麗な蒼灰色の瞳が、自分のことを信を持ってみてくれるかも知れない───そんな夢を、少年はひとり思い描いていた。

しかし。
しかしだ。
大事件が起きた。

いや、正確にはまだ事件は起きていない。
恐らく、多分、ではあるけれど、まだ起きていると確定してはいなかった。
非常に曖昧な物言いになってしまうのは、話の出所がいまいち噂の域を出ていなくて、事実が確認できていないからだ。
だから、ともかくまずは事実確認をしなくてはと、少年は息を堪えて道を歩いていた。


(……あの人が、会長が。他校の不良と付き合いがあるなんて、そんなこと)


歩きながら、少年の頭には、ぐるぐると真偽不確かな噂が巡る。
敬愛するあの人が、良くない輩に連れ去られている所を見た者がいる───学校で聞いたその噂は、一年生と二年生の間で、密やかに交わされているものだった。

噂は当人のいる三年生の所まで届いていないようだが、果たして何処までそうなのかは二年生の少年には調べきれない。
三年生の教室の近くは、当然ながら敬愛するあの人も過ごす場所なので、うっかり顔を見たら少年は卒倒してしまう自信がある。
生徒会の会議で顔を合わせる時だって、まともに目を見て話せないのだ。
覚悟を決めていない時に偶然に遭遇すると言うのは、少年にとって突然に交通事故に遭ったような衝撃を齎すのである。
昨年、一度そうやって見事に倒れ、敬愛する彼に迷惑をかけてしまった経歴があるので、これは決して大仰な話ではなかった。

そんな訳で少年は、噂の真偽について、当人に確かめる等と言う大胆な真似は出来ない。
故に、こうして放課後、学校を後にした彼の後を、ひっそり、密かに、ついて行くと言う行動を選ぶに至ったのだ。
……こちらの方がより大胆で危険な事をしていないか、と言う疑問を呈してくれる人は、いない。

夏休みの最中、休み明けに行われる行事に関する議題で、生徒会は学校へと集まった。
会議は恙なく進み、各部への伝達の為の割り振りも決まり、少年はプリント作りを任された。
プリントの草案は、生徒会長をはじめとした三年生の役員メンバーが取りまとめておいてくれたので、後はこれをPCで清書し、配布分の数を印刷して置けば良い。
物は次の会議のスケジュールの日までに用意すれば良いから、今日これから急いでやらなくても、十分間に合う計算だった。
つまり、少年には時間の余裕があって、急いで家に帰らなくては、と言うこともなく。

だから、暑い夏の日差しの中、少年はこそりこそりと電柱に隠れながら歩いている。
数メートル先を、いつものように歩いて行く、敬愛する背中を追い駆けながら。


(学校から大分離れた。今の所は、誰も会長に近付いていない)


行く街並みはいつもと変わらない景色だった。
喫茶店や美容院や、学生狙いに間口を開いた店々が並ぶ大通りは、夏休みでも人の気配が絶えない。
蜃気楼も揺れる暑さの中、日傘を差した人々が汗を拭いながら各々の目的地へ向かっている。

夏の日差しはぎらぎらと強く、敬愛する人の白い肌を焦がさんばかりに焼いている。
会議の為に集まった教室で過ごしている時に見た彼の腕は、痛々しいほどに赤くなっていた。
日焼けが出来ない体質だと言う彼に、少年は駆け寄って日傘を差し出したかったが、生憎とその勇気が出ない。
一歩を踏み出せない自分の不甲斐なさに、何度目か項垂れつつ、せめて彼が無事に駅に着くまでは見守らなければと、傍から見れば謎な使命感に心を燃やす。

真っ直ぐに伸びる道の向こうに、駅の建物が見えて来る。
噂では、彼が良からぬ輩に連れ去られたと言う目撃談は、この近辺となっていた。
つまり此処から駅に辿り着くまでが肝なのだ、と少年は固唾を飲んで、振り返らない彼の背中を見つめる。

この道は基本的には真っ直ぐ伸びているが、横への小道も数が多い。
もしもその小道から、危ない輩が絡んで来たら。
例えば彼が、危ない連中によって小道へと引っ張り込まれたりしたら。
どうすれば助けることが出来るか、と言うことを頭の中でシミュレーションしていく内に、段々と頭の中の自分がヒーローのような立ち回りまでするようになった。
ケンカはおろか、武道のひとつも嗜んだことがない少年の想像力は、専らサブカルチャーが元である。
現実とフィクションの区別がつかない訳ではないのだが、この想像は言わば夢だ────妄想だ。
絵に描いたような不良に絡まれた敬愛する人を、決死の勇気で助けた後、柔らかな笑みを浮かべて少し恥ずかしそうに「ありがとう」と行って貰える所まで、セットになっていた。
妄想なので、「先輩ってそんな顔するのかな?」と言う点を指摘してくれる友はいない。

────と、夢の渦中に描かれていたその人の足が、ぴたりと止まる。
前には横断歩道と赤信号があり、何ら不自然なことではなかったのだが、彼の首が傾いて、横道を見ているのが気になった。
そして彼はくるりと踵の向きを変え、駅へと向かう道から逸れてしまったのだ。


(なんで!?そっちに何かいる……!?)


普通に考えれば、今は夏休みである。
学校の知り合いがこの辺りを歩いていても可笑しくはないし、暑さに辟易して適当な店に入って涼むことだってあるだろう。
放課後の寄り道なんて、どんな若者だって当たり前にやる事だ。
会長と呼ばれ、後輩の半ば心棒的な敬愛を向けられる彼の人物が、存外とそう言う“普通の少年”であることを、少年は知らなかった。

少年は急いで角道に向かった。
小さなビルの陰に隠れながら、そっと向こう側を伺うと、細い道路と狭い歩道がある。
その途中の所で、彼は立っていた。
すぐ傍には、エンジンを剥き出しにした大きなバイクにまたがり、フルフェイスヘルメットを被った人間が立っている。


(不良だ────!!)


大型バイク=不良の乗り物、と言う訳ではないのだが、頭を占めている噂のこともあって、少年は即座にそう思った。
不良少年の活躍をテーマにする娯楽メディアでも、バイクと不良はセットである。
そう言う先入観、固定観念は、大いに少年の見識を狭くさせていた。

まさか、学校内外で優等生として知られ、クールで理知的な生徒会長が、本当に不良と付き合いがあるなんて。
いや、だからこそ、火遊びをして遊ぶような不良が目を付けたのかも知れない。
真面目な彼をなんやかやで焚きつけたとか、何か弱味や人質を取られて脅されているとか、誰かの身代わりになっているとか。
だとしたら、なんとかして助けなくては、と考える少年だが、まさかの事態にその足は震えている。
何せ少年は今まで、ごくごく普通に、ごくごく平凡な日常を生きて来た一学生であるからして、少年漫画にあるような活劇的な行動と言うのは、全く縁のない人生を送って来たのだ。
この暑いのにフルフェイスヘルメットを被り、大型バイクに跨る不良なんてものには、到底、近付けなかったのである。

それでも逃げる訳には行かないと、少年はせめて耳を欹てる。
噂の真相と、もしも本当に彼が不良から脅しを受けているのなら、大人に相談して助ける方法を探さなくては。
平々凡々な少年にとって、それは精一杯の勇気と、敬愛する人物への忠義信であった。

────しかし。


「こんな所まで歩くのも大変だろう。俺としては、もっと学校の近くまで迎えに行きたいんだが」
「……断る。あんたのバイク、目立つんだぞ」


聞こえて来たのは、そんな会話だった。
迎えと聞いて、やはり良くない輩に付きまとわれていたのか、と思ったら、どうも拒否権はちゃんとあって、行使もされているらしい。


「うちはバイク通学は禁止されてるんだ。知ってるだろ」
「お前が運転してる訳じゃないし、迎えに来る奴の足がバイクだって言うだけだ。別に怒られることはないだろう」
「目を付けられたら面倒なんだ。こんなでかいバイク……」


敬愛する人の視線が、男の跨っているバイクへと向かう。


「……他人に見られたくないんだ。これでも生徒会長をやらされてる。変に目立つのは避けたい」
「まあ、そうだな。確かにヤマザキ先生にでも知られれば、大目玉は食らうか。生徒の模範となるべき生徒会長が、放課後デートしているなんて」
「……デートじゃない」


“ヤマザキ先生”と言う名前を聞いて、少年は目を瞠る。
それは学校でも厳しい生徒指導担当として知られている、ベテランの教諭のことだった。

不良生徒と言うのは、他校にいる生徒指導教員のことまで知っているものだろうか。
何か部活で熱心なアプローチをしている教師などは、スポーツ系のテレビ番組だとか、学生の努力を追い駆ける番組だとかで出演し、他校に知られる機会もあるだろう。
しかし、ヤマザキと言う教員は部活顧問は持っていないし、生徒指導が厳しいと言う点で生徒から少々不評を買いやすいと言う他は、特筆すべき人物でもない。

はて、と首を傾げる少年は、見知った教員の名が出てきたことに気を取られて、その後に出て来たワードを完全に聞き逃していた。
そんな少年を他所に、敬愛する人は、バイクの後ろにあるキャリーパックを探っている。
勝手知ったる、とばかりに中を探った彼が取り出したのは、黒を基調に、側面に銀色のステッカーを貼ったヘルメットだった。
それを頭に被り、しっかりと固定の具合を確かめている彼に、バイクの持ち主が尋ねる。


「今日は何処に行きたい?」
「……涼しい所」
「中々無茶を言う。此処からなら海岸沿いが妥当か」
「なんでも良い。あんたに任せる」


選択権がありながら、敬愛する人はそれを放棄した。
そしてバイクに跨り、それの持ち主である男の背中にしっかりと身を寄せて、腕を腹に回して掴まる。


「夕方には帰る」
「それなら、いつも通りの時間で良さそうだ」
「ん」
「スーパーには?」
「……行く。冷蔵庫の中、空だ」
「そう言えば俺も空だ」
「……あんたの所は、いつもそうだろ」
「カップ麺は冷蔵庫に入れる必要がないから助かるな」


バイクのウィンカーがカチカチと音を鳴らし始める。
バイクは、後方から車が来ていないことを十分に確認してから、ゆっくりと動き出した。

交差点へと近付くバイクを、少年の目が追う。
バイクに乗った憧れの人は、その持ち主の背中にひしと捕まって、しっかりと体重を預けていた。
彼があんな風に、誰かに体を、その身を預ける所を、見たことがあっただろうか。
生徒会は其処に所属している生徒たちそれぞれの活躍で回っているが、彼はそのトップとして、一同を取りまとめる立場にある。
信を置いた生徒は幾人かいるようだが、その中でも、あんなにもゼロ距離になれる人はいない筈だ。
少なくとも、少年は知らない。

バイクは赤信号で一旦停止した。
憧れの人は、ヘルメットの下で少しうんざりとした表情を浮かべている。


「あつ……」
「ヘルメットに冷却材も仕込んであるんだが、やっぱりきついか」
「……それはひんやりする。でも、あんたの背中が熱い」
「この環境だからな。お互い様だから、勘弁してくれ」
「……わかってる。大体、これが嫌なら、……」


何処かに行きたいなんて、言わない。
そう言って彼は、体を預ける背中に、柔く頬を押し付けた。

その光景を、少年はじっとビルの物陰から見詰めている。

バイクの持ち主が、降り注ぐ陽光の反射を嫌ったのか、ヘルメットの前面を庇うカバーを上げた。
少年からは目元のみが見えるその人物が、一体何処の誰なのかは、やはり判然としない。
ヤマザキを知っていたし、若しかして同じ学校の生徒だろうかと目を凝らして見定めようとしていると、


「────」
(……!)


ヘルメットの奥から、碧の瞳が少年を捉える。

目が合った。
目が合ってしまった。
どうすれば────少年の心臓が飛び出しそうな程に早くなる。

そんな少年に、碧の瞳は柔く笑うように細められて、


「……、」


バイクの持ち主は、右手の人差し指を顔へと持って行った。
フルフェイスのヘルメットで頭部の殆どが覆われているが、恐らく指の袂にあるのは口元だ。
「静かに」と言うジェスチャーを示している。

何を静かにしていろと言うのだろう。
未だ混乱する頭で硬直している間に、信号が青に変わり、バイクは走り出した。
その背に、少年にとって見知らぬ男と、誰より敬愛して已まない人を乗せて。

炎天の中に取り残された少年は、駅とは逆方向へと曲がって行ったバイクの背をぼうと見送って、先のジェスチャーの意味を考える。


(“静かに”?……何を?なんで?)


ぐるぐると巡る頭の中で、僅かに見た、ヘルメット越しの敬愛する人の横顔が浮かぶ。
そして次に思い出す、同級生たちの間で密かにささやかれている、“生徒会長と不良”の噂。
噂では“連れ去られていた”等と言われていたけれど、あれは明らかに意味が違う。
彼は確かに信頼している人の背中に、自らその身を預けたのだ。
それはつまり、彼自身が望んで、あのバイクに攫われることを選んだと言う訳で。

そして、最後に見せた、あのバイクの持ち主が示す仕草の意味は、


(……“内緒に”?)


碧の瞳は、確かにそう告げていたのだ。
此処で見たものは、内緒に。
何処にも、誰にも、言わないように、と。
背に預かった人物との秘密の時間を、誰にも邪魔されたくないものだから。

抜ける青空の下、立ち尽くした少年は、だからつまり───どういう事だったんだろう、と未だ混乱しているのだった。





『モブから見た視点のモブスコ or ラグスコ or クラスコ』のリクを頂きました。
どれか出来るものを、と任せて頂いたので、モブから見た視点のクラスコ、と言う形に。

スコールは高校三年生。紆余曲折と祀り上げられて生徒会長をやっています。
クラウドはスコールと入れ違いで同校を卒業したOB。なので教員のことも何人か知っている。
色々あって付き合うことになった二人。時々デートもするけど、お互い時間の融通が中々出来ないので、スコールの放課後時間を利用してツーリングデートしているのです。
学校で噂になっている、“生徒会長がデカいバイクの男に連れて行かれた”的な話は、放課後にお迎えに来たクラウドと話している所を目撃されたんですね。
卒業・入学が入れ違いになった学年で、スコールももう三年生なので、クラウドのことを知ってる生徒が学校にいない訳です。いてもこの話、ずっとクラウドがヘルメット被ってるので、限られた人じゃないと特定するのが難しそうですが。

品行・真面目な生徒会長(実際はそこまででもない)が、でかいバイクに相乗りするなんて、誰も想像していなかった。
夏の暑さで幻でも見たかも知れない。モブ少年の胸中はきっとそんな状態。

[16/バルクラ]燻べる熱に情合いを

R15




この男が存外と、他者に触れる事───とりわけ、奉仕することに熱心であると言うことは、体を重ね合う関係になってから知った。
良く言えばストイック、或いは無欲にも受け取れるような見た目をしているのに、触れる手は酷く恭しい。
大事にしている、と言った枠を越えて、それは最早、篤信だ。
そして、奉仕している時の此方を見る目は、酷くうっとりと、幸福の中に揺蕩っているようだった。

そんな風に触れて来る男だとは、正直な話、微塵も思っていなかったものだから、初めは随分と戸惑った。
触れる相手が華奢な人間ならばともかく、自分はそれなりに男らしい体格をしていると認識している。
それが万が一にも間違ったことでなければ、こうも丁寧な触れ方をされなくても、まず無体になることはないだろう。
貫く痛みが無体と言えば無体なのかも知れないが、それに耐えられない程、軟でもない。
だからもっと、何なら多少雑なくらいでも、別に問題はないのだ。
寧ろこうも丁寧にされる事の方が慣れないから、もっと簡素で良いのに、と何度か訴えもした。
とは言え、結局の所、丁寧に解されておいた方が後が楽であるのも確かで、最中にいちいち手を止めさせてこの押し問答をするのも飽きて、彼の希望を汲むことで決着した。

ナイトボードを定位置にしているシェードランプの灯りは、暗すぎず、眩しすぎず、情事の始まりの雰囲気を邪魔しない。
クライヴの本音で言えば、真っ暗にしてくれた方が色々と気が散らなくて済むのだが、バルナバスが譲らなかった。
曰く、暗闇にしてしまえば傷がついても見えない、とのことだ。
バルナバスも夜目が利かない訳ではないのが、多少の灯りはあった方が助かる、だとか。
お陰で身体が反応する様を具に見られているのが判るので、クライヴはいつも落ち着かない。

開いた足の狭間に、バルナバスの体がある。
足の爪先からゆっくりと上って来る手は、今ようやく、クライヴの膝裏を通過した。
するすると柔衣の上を滑るように辿る手のひらが、どうにもくすぐったくて堪らない。
身動ぎすると叱るようにぐっと太腿を押される。
検分している所なのだから、大人しくしていろ、と言われたような気がした。

だが、今夜は熱がもう溜まっている。
いつものバルナバスの丁寧な愛撫を、最後まで大人しく受けていられるか、自信はなかった。


「バルナバス……っ」
「……」


名前を呼んでも、返事はない。
バルナバスはクライヴの太腿に唇を押し付けて、小さな鬱血跡を残した。
吸われた感触だけで、足の付け根がじんじんとして、いつも彼を咥えている場所が疼き出す。
まだことは何も始まっていない、前戯どころか愛撫では口火を切ってすらいないのに。

はしたのない願いをするのは、理性の釘が僅かに抵抗したが、それも長くは続かなかった。
じわりじわりと這い進むように、バルナバスの唇が何度もクライヴの太腿に落ちて、少しずつ位置を上げていく。
それはやがてはクライヴの中心部へと辿り着くのだろう。
創造するだけで、芯が熱を持つのが判って、クライヴははぁっと重い息を吐いた。


「バルナバス、今日はもう……」
「嫌か」


赤らんだ顔のクライヴの言葉に、今夜は拒否したいのだとバルナバスは受け取った。
だが、そう言う訳ではない、寧ろ逆なのだとクライヴは首を横に振る。


「そうじゃない。ただ、その、もう……待って、いられない……」


バルナバスの緩やかで真綿で包み締めて行くような、時間をかけた前戯は耐えられない。
それより早く、彼が欲しい。

迎える場所を差し出すように、クライヴは足を大きく開いた。
酷くはしたないことをしている自覚はあったし、羞恥心も叫んでいるが、欲の方が勝った。

だが、バルナバスは訝しげに眉根を寄せる。


「駄目だ。まだ解してもいない」
「昨日もしたんだから、今日くらいそんなことしなくても大丈夫だ」
「根拠はあるまい。お前の中は狭い。それは私の方がよく知っている」
「それは───そう、なんだろうけど」


自分の体のことでも、“其処”がどうなっているのかは、確かにクライヴ自身も及び知らないことである。
ほぼ毎日のように重ねる行為の中、都度に触れているバルナバスの方が理解しているのも確かだろう。
それを認めさせられるのもまた、クライヴの羞恥心を刺激することであったが。

しかし、だ。
解す為の前戯については、執拗な程に丁寧にされることは、仕方のないものであるとして。
それ以前の、今正に触れている、緩やかなスキンシップについては、出来れば飛ばして貰いたい。
肉体表面を覆う皮膚に傷のひとつでもあることを恐れるように、あればそれを奇跡の手のひらで癒そうとでもするかのように、バルナバスはクライヴの躰に触れる。
それが普段はくすぐったくも心地良い事は確かだが、今日は生憎、それに付き合ってやれる気分ではなかった。

太腿から昇ってきたバルナバスの唇が、足の付け根の皺に触れる。
そのまま中央へ向かってくれれば良いのに、当然、バルナバスはそうしてはくれなかった。
まるで大事な儀式の手順を確かめるように、バルナバスはクライヴの腹部を辿って行く。


「ん、ふ……」


窮鼠のすぐ近くにキスが落ちて、吸われる感触が判った。
筋肉の発達によって、皮膚表面と神経の隙間が狭いお陰で、クライヴの躰は感度が良い。
だから余計に、ゆるゆると、スローセックスのように触れるバルナバスの手の感触が、もどかしさを助長させる。


「なあ、バルナバス……」
「なんだ」
「頼むから」
「くどい」


ぴしゃりと跳ねのけられて、あんたも大概くどい、とクライヴは口の中で文句を零す。
クライヴとて恥ずかしさを堪えて誘っているのだ。
恋人が偶に積極的な誘いを見せた時くらい、其処に至るまでの葛藤を察して、応じてくれても良いだろう。
どうあっても望むようにはしてくれそうにない男の、無碍と言えば無碍な反応に、クライヴはそんなことを思う。

では応じてくれない男に怒って、今日はもうなしだと言えるかと言われれば、それは無理だ。
強請らずにはいられなかった位に、体は熱を欲している。
これでバルナバスをベッドから蹴落とし、今日は寝る、などと言った所で、眠れる訳がない。
こうなってしまっては、欲しいものを直に与えて貰えるまで、クライヴは大人しくしているしかなかった。

肌を上って行く唇と、掌の感触に、何度も体を捩る。
時折、バルナバスが不機嫌に眉根を寄せるのが見えたが、そうやって体を動かさなければ、腹の中の疼きが耐えられない。


「っは……う……ん、ん……」
「……そうも熱いか」
「……う、あ……」


苦し気に天井を仰いで声を漏らすクライヴに、バルナバスは問う。
普段ならば、其処でクライヴは羞恥から首を横に振っただろうが、今日はそんな余裕はなかった。

熱に浮かされた青の瞳が、じっとバルナバスを見つめる。
こもった呼吸を零す唇が、はやく、と何度目かに急かした。
それを見詰めた翠の瞳はようやく細められ、やれやれ、と仕方なさげに───けれども何処か嬉しそうに───溜息をひとつ。


「堪え性のない」
「……あんたが、いつも焦らすから……」
「お前の体の為に配慮している」
「判ってるけど。今日は……」


そう言うのはいらないんだ、とクライヴは赤らんだ顔で呟いた。

クライヴの横腹を伝い、背中を抱いていたバルナバスの腕が、するりと下に降りて行く。
ベッドシーツと皮膚の間で、しっかりとした形の臀部を撫で、中心部の窄まりへと手指が辿った。

夜毎の繰り返しの中で、窄まりは慎ましさと言うものをとうに忘れている。
そう言う風にクライヴを作り替えた男は、今夜ようやく其処に触れてくれた。
ああこれでやっと、と身体が安心したようにじわりと膿んだ熱を疼かせるが、


「……っバル、ナバス……早く……っ」
「入り口が一番狭い。此処だけは済ませておく必要がある」


縁の形を確かめるように辿る指。
早く中に入れて、内側を掻きまわしてくれれば良いのに、それはしない。
あくまで何処までも献身的に、バルナバスはクライヴの躰を慮る。

ひくつく秘部の口を指先で軽くノックし、其処が迎えに拓いたのを確かめて、ようやく指が入って来る。
ああ、とあえかな声がクライヴの喉から押し出るように零れた。
背筋を撓らせ、腰を突きだす格好になるクライヴの腹に、バルナバスはキスをする。


「ふ、く……っあ、あ……!」


ゆっくりと、じっくりと、中へと進入される感覚。

仕事以外にはまるで何も興味のない顔をしているのに、彼の爪はいつも丁寧にやすり掛けされて整えられている。
元より身嗜みを無精にするほど怠惰ではないが、必要な事ならばなんでも完璧に熟すことが出来る男だ。
クライヴと付き合うようになり、体の関係を持ってから、いつの間にか彼はそう言う風に指の先まで管理を怠らなくなった。
それが、何度目かの夜、僅かに尖った爪が内側を引っ掛ける痛みにクライヴが顔を顰めてからだと言うことを、クライヴは彼自身から聞き及んだ訳ではなかったが、なんとなく悟っている。

男の指を受け入れ、まさぐられる感触で、徐々に体の強張りが解かれていく。
びく、びく、と勝手に足が反応を示し、感じていることを露骨に示してしまうのが恥ずかしかった。
それなのに、熱に膿んだ瞳で、首筋に唇を寄せて来る男を見れば、翠の瞳が幸福そうに細められている。
クライヴが恥ずかしくて葛藤で堪らない時、この男はいつも嬉しそうだ。
じわじわと、自分の手指によってクライヴが体を拓き、迎える準備を整えていく様を見ているのが楽しい───のかも知れない。

内側でくちくちと言う音が鳴っている。
此処までしてくれたなら、もう十分で良い筈だ、とクライヴは熱に浮かされた意識の中で思った。


「ナルバナス……もう、良い……っ」
「奥は足りんが……そうだな。お前が限界だと言うのは、よく判った」


解したばかりの場所が、ぎゅう、と締め付けるのを指先で感じて、バルナバスは薄く笑う。
自分を見るブループラネットが、赤い顔をしながら恨まんばかりに見ているのを見付けて、これ以上は確かに無体になるのだろうと、ようやく察してくれたらしい。

意識に関わらず吸い付く場所から指が出て行く。
此処から先の流れを覚えた身体は、咥えるものを失うと、反って熱を再発させる。
本当に、これ以上は持たない。
熱髄を貰っただけで果ててしまいそうな程、クライヴの躰は火照っていた。

クライヴは重い体をどうにか寝返りさせて、バルナバスに背中を晒した。
ひくつく秘孔を差し出す格好を取れば、するりと尻を撫でられる。
ぞくぞくとしたものが腰から背筋にかけて駆け抜けて、待ち遠しさに涙が滲むほどだった。


「バルナバス……────」


自ら下肢に手を遣って、男を迎える場所を広げる。
はやく、と今夜は何度目になるか急かして、ようやく、待ちわびたものが入って来るのが判った。





『クライヴ受で、現パロでえってぃ雰囲気のもの』のリクエストを頂きました。
お相手が指定されていなかったので、一番そういう雰囲気になりそうなのはバルナバスかな……と思ってバルクラで書かせて頂きました。

バルナバスって奉仕する側に回るの好きそうだな、と思いまして。
とにかく丁寧にクライヴの躰の準備を徹底的にやってから、もう問題ないと思ってようやく次のステップに進んでくれる、みたいな。
クライヴからすると、大事にしてくれようとしてくれるのは理解できるけど、余りにやり方が丁寧に時間をかけてくれるので、余裕のない時は焦らされてるみたいになる。

[ロクスコ]雨の奥つ城

  • 2025/08/08 21:50
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



何やら不穏な雲があるな、とは思っていた。

それでも進む足を急がせなかったのは、一重にこれまでの経験だったからでもあったし、反面、ロックにとってこの世界の理と言うものが未だ理解の外にあったからでもある。
空が重く暗い色をしていることは、この神々の闘争の世界に置いて珍しい事ではなく、寧ろ、天候については常時そんな様相をしているのだ。
快晴等と言うものは、歪の中の方がまだ見る機会がある。
そのくらいに、この世界は不安定で、空の安定感と言うものも、長年の経験が全く当てにならないレベルで予測がつかないものだった。
だから暗い雲を見上げても、雨が降ったとしても、それ程激しいものになるとは思っていなかった。

ところが、蓋を開けてみれば、バケツをひっくり返したような大雨だ。
森の中を散策と探検気分に歩いていたら、ぽつりぽつりと降り出して、其処から一気に雨脚が早まった。
空は雷でも孕んでいるのではないかと思う程の黒雲に覆われ、どざあ、と言う音が響く程の代物。
大きな広葉樹の下に隠れても、大粒の雫が葉枝の網を突破してくるものだから、傘にはならない。
足元は柔らかい土壌だった為に、あっと言う間にぬかるんで行き、視界の悪さも相俟って、ちょっと歩くだけで泥に足を取られて転ぶ。
泥沼の中に思い切り顔面を落とす羽目になって、ロックは心の底から後悔した。
これなら、さっき見かけた歪の中に避難して置くんだった、と。

雨は急速に育ったのに、それは中々通り過ぎてはくれない。
滝のようにな勢いの雨煙に覆われて、視界は見えない、鼻も利かない。
とうに全身は濡れ鼠になり、いっそ清々しいほどに諦めがついた。
とは言え、このまま寒い雨の中で、いつとも知れない晴れを待つ訳にもいかず、とにかく今降っている雨だけでも凌げる場所を見付けなくてはならない。

碌な視界がない中で、諦念と共に歩き続けていると、切り立った崖にぶつかった。
仕方なくそれを手伝いに進んだ先で、ぽっかりと空いた穴を見付ける。
獣の穴でも、魔物の穴でも良い、とにかく雨を凌いで、体を休める場所に使わせて貰おうと、中に入った所で見覚えのある人物を見付けた。


「スコールじゃないか」


穴の入り口から一メートル、ぎりぎり雨空の暗い外光が届く場所に、その少年は立っていた。
ロック同様、頭のてっぺんから足の爪先まで濡れそぼり、いつも着ているジャケットの首元の毛が萎んでいる。
濃茶色の髪は、いつも降りている前髪が掻き上げられて、額の傷が露わになっていた。

スコールはジャケットの肩を開けさせて、水を含んで重くなったシャツの裾を握り絞っている。
そしてロックの方を見遣ると、警戒を滲ませていた蒼灰色の瞳を微かに和らげて、「……あんたか」と言った。

ロックは頭に巻いたバンダナを解きながら、スコールの前へと近付く。


「お前もこの雨にやられたみたいだな」
「……最悪だ」
「同感」


ロックはバンダナを絞り、辛うじて水気を追い出したそれをタオル代わりに、自分の顔回りを拭った。
絞ったとは言え、たっぷりと水を含んでいるバンダナにまるで爽快感はなかったが、顔の雫がなくなっただけでも気分は違う。
それに加えて、こんな災難に遭ったのが自分だけではないと言うことに、勝手な共有感を得て笑う。


「ラッキーだったな。こんな穴があるなんて」
「……ああ」
「何かの巣か?」
「判らない。何もいないし、いた気配もない」
「ふぅん。崩落で出来たって訳でもなさそうだけど……巣だったけど放棄されたって所かな」


洞穴の壁を見渡しながら呟くロックだが、スコールは沈黙している。
穴の奥も今の所は静かなもので、スコールの言う通り、生き物の気配は感じられなかった。
ひょっとしたら息を潜めているだけかも知れないが、下手に薮奥を突ついて、雨の中へと追い出されるのも勘弁願いたい。
奥から何も出て来る様子がないのなら、一時、このまま間借りさせて貰うことにする。

ロックがちらと外を見ると、雨の激しさは幾分か落ち着いていた。
どうやら、一番激しいタイミングで、外を歩き回る羽目になったらしい。
運の悪い事、と思う傍ら、お陰でこの雨宿り先を見付けた訳だから、不運ばかりと言う気持ちは堪えておいた。

ともかく、雨がもっと小降りになるまでは、動く気にもならない。
ロックは岩の壁に寄り掛かって、適当な所に腰を下ろした。


「この世界で、こんなに激しい雨が降るとは思わなかったよ。でかい雲を見付けた時には怪しいなと思ってたけど、此処までとはなぁ」
「……大概、こういう世界は不安定だ。空もまともな気象条件で動いてない。雷雨でも吹雪でも、急に起きる事はある」
「じゃあ、雨だけで済んでるのはラッキーってくらいか?」
「……どうだかな」


ロックの言葉に、スコールはすげない返事だけを寄越してくれた。

スコールの他、全体の7割程の戦士は、過去にもこうした世界に召喚された経験があると言う。
だからロックのような新顔の面々に比べると、この常識を逸した世界に対して耐性があった。
時には天変地異の前触れかと思うような、次元の歪みが唐突に起こっても、即座に対応することが出来る。
ロックも此処で過ごすに連れて、多少なりと学習してはいるが、やはり経験と言うアドバンテージは大きい。
───それでも、こうした不意の天候不良に巻き込まれるのは彼らも同じなのだと言うことに、ロックはこっそりと安堵していた。

洞窟の中はひんやりとしていて、濡れた肌の体温をじわじわと奪っていく。
火が欲しいな、とロックは何か燃やせるものがあっただろうかと荷を探るが、燃料になりそうなものは軒並み湿気ていた。
洞窟の奥に行って巣穴の名残でもあれば利用できるかも知れないが、碌な灯りもない状態で、何が潜んでいるのか判らない最奥まで探る気にはなれない。


(どうしようもないか)


この状況で、雨に直接濡れなくなっただけででも幸運なのだ。
濡れた身体を温めたい、と言う贅沢は、我慢する他ないだろう。


(……人肌、なんてのもあるにはあるけど───歓迎されそうにはないな)


ちら、と見遣る同舟者は、吹き込みのない穴の入り口の傍で、じっと外を見詰めて立ち尽くしている。
その様子は、さっさと止めば良いのに、と濃い雨にうんざりとしているように見えた。
彼が今日はどんな用事でこの辺りにいたのかは判らないが、何にせよ、ロックと同じように、予定を潰された事には変わりないだろう。
世界や場所によっては恵の元と喜ばれるような雨でも、今この時にそれに巻き込まれた者達にとっては、望まぬ恵であるのは確かだ。

濡れたジャケットが鬱陶しいのか、スコールはいつも着ているそれを脱いでいた。
荷物になるのも邪魔なので、両手を塞がない為に、袖を腰に巻いて縛っている。
白いシャツは裾で絞られただけだから、全体がまだ水分を多く吸っていて、張り付いた肌を薄らと透かしていた。
身体のシルエットが普段よりも更にはっきりと浮き上がっていて、傭兵だとは言うが、まだまだ未完成な体躯をしていることがよく判る。

その雨を見つめるシルエットが、ロックが思っていたよりも、随分小さく見えた。
襟元を飾るボリュームのあるファーがなかった所為もあるが、外界からの光に仄かに照らされる横顔が、何処か幼く憂いに沈んでいるように見えたのだ。
引き結ばれた唇が、ともすれば泣き出すのを堪える子供を彷彿とさせた。


「スコール」


なんとなく、名前を呼んだ。
応答はないとも思っていたが、予想に反して、蒼灰色が此方を伺う。
外からの薄い光を受けて、彼の面を知ることは出来た。

なんだ、と問う瞳は、ロックが見慣れている通り、無感動を映している。
だがロックは、今し方見たばかりの、現実か幻か曖昧な横顔が残像を重ねているように見えた。


「雨は嫌いなのか?」


彼の詳しい事を未だ知り得ていないので、問う言葉を選ぶ余裕がなく、直球に訊く。
スコールは不審げに眉根を寄せたが、しばらくしてから短く答えた。


「……別に」


それは応にも否にも通じず、同時にどちらとも受け取れる言葉だ。
大抵、スコールが胸中にあるものを明確な言葉にまとめることを放棄した時のもの、とはジタンやバッツの証言である。

雨は当初の激しさから随分と和らいではいたが、雨粒は未だに大きい。
この洞窟の奥から、牙を剥き出しにした猛獣が出て来た、なんて事にでもならない限りは、出て行く気にはなれない。
ただ濡れた身体の体温だけがじわじわと下がって行くことが、この環境については不満だった。

────そう、だからきっと寒い所為だ。
水気を含んだ服、乾かない空気、外から滑り込んでくる冷えた雨風。
火を起こすことも出来ないから、冷えて行く身体に抗う術がなく、次第に冷気は深部体温まで下げていく。
人間の体はそうやって本来あるべき状態から逸脱へと傾くと、身の内側まで浸食されてしまうのだ。


(とは言っても、燃やすものもないし。やっぱり───)


ロックはもう一度手持ちの荷を探ったが、やはり火種に出来そうなものはない。
取り合えず、雨宿りを初めて時間が経ち、絞った服が多少はまともになってくれたことを願って、ロックはスコールの方へと近付いた。


「スコール」
「……」
「其処じゃ冷えるぞ。どうせ当分止まないんだから、見ててもしょうがない」


言ってロックは、スコールの手を引いた。
握った手は、微かに抵抗の力を示したように思えたが、もう一度腕を引けば素直について来た。
少し重い足がようやく洞窟の穴口から離れ、ロックと共に数メートル分奥へと進む。

あまり奥まで進んでは、洞窟そのものが持つ冷気に負ける。
外から届く光がまだぎりぎりで届く、其処まで来れば外からの風は届かなかった。


「ほら、座れ。いつまでも立ってたって疲れるだけだ」
「別に俺が突っ立っていようと、あんたには……」
「ああ、うん。ま、関係はないだろうけどさ」


肩を押して少し強引にスコールを座らせてから、ロックもその隣に腰を下ろす。
距離の近さに、スコールが半身を引くように逃げたが、構わずロックは寄り掛かってやった。


「おい、」
「こんな状況だ。ちょっと暖になってくれよ」
「ファイアで火でも起こせば」
「俺、魔法はからっきしなもんでね。マッチも燃料も軒並み湿気ってるから火は無理だ」


ロックが魔法を門外漢としているのは、スコールも知っていることだ。
この世界に来て、元々の仲間であるティナも加えて、学者肌気質の面々から少々レクチャーは受けたが、結局は大して身につかなかった。

ロックの言葉に、スコールは眉根を寄せた後、溜息をひとつ。
諦めのように、そろそろとロックの肩に体重が寄せられる。
濡れた服の感触はしばらく冷たかったが、段々と、その向こうにある人肌が混じるように伝わり始める。


「うん、良い湯たんぽだ。お前、結構温かいんだな」
「……それはあんたの方だろう」
「まあどっちでも良いさ。一人で凍えてるより、ずっとマシなのは確かだろ」


人肌の類を歓迎してはくれない性格であることは理解しながら、ロックは敢えてそう言った。
スコールは心なしか唇を尖らせて、不満とも取れる表情をしていたが、その唇が開くことはなかった。

ゆっくりと、溶け合うように、肩から伝わる体温がある。
水気と冷気で冷えていた身体が、触れ合った場所から段々と解れて来るような気がした。
いつであったか、期せず背中に追われて感じた温もりと、変わった所はない。
ロックにとっては心地が良いが、隣にいる彼にとってはどうだろう。
ちらりと見てみると、スコールは青灰色を瞼の裏に隠して、じっとロックの肩に頭を預けるように傾けていた。


(……そういや、誰だったかな。こいつが案外、寂しがり屋だって言ってたのは)


ジタンだったか、バッツだったか。
スコールのことを特に知っているのは彼らだが、ティーダやクラウドもそう言うことがある。
ひょっとしたら、長くこの闘争の世界を経験している者たちの間では、共通の認識なのかも知れない。

ロックはそろりと片手を挙げて、肩に寄り掛かるスコールの髪をくしゃりと撫でる。
濃茶色の髪はまだ水分を含んでいたが、それを踏まえても柔らかく、少々猫っ毛なのだと初めて知った。


(……もっとお前のことを知ったら、あんな顔してる理由を聞いても良いのかな)


飴をじっと見つめていた、独りぼっちの子供のような横顔を思い出す。
雨が苦手なのか、何か嫌なことを思い出すのか、それとも。
それらを知る為に踏み込むには、ロックはまだまだ、この少年のことを知らない。

しとしとと降り続く雨は、果たしていつになったら晴れるのか。
この少年があんな顔をするのなら、雨など早くに止めば良いが、肩に乗せられた重さは存外と心地良い。
もうしばらくだけ、この小さな洞窟の中で、独り占めしていたいと思った。




『ロクスコ』のリクエストを頂きました。
朗読会軸からのNTのロクスコは、警戒猫だったスコールが段々と懐いて来てるような感じがしますね。

NTのスコールは元の世界の記憶があるので、お姉ちゃん絡みの記憶もそこそこ取り戻せている訳で。
いなくなったエルオーネの帰りを待って、雨が降る石の家で決意をした時の寂しさとか、じんわり過ったりしてるのかも知れない。
ロックはまだそういうスコールの機微の詳細について知るほど付き合いが深くはないけど、なんとなくこいつ放っておけないなあってなると良いなあ、と思ったのでした。

Pagination

Utility

Calendar

07 2025.08 09
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

Entry Search

Archive

Feed