[クラレオ]この傷に意味はない
偶にはこんなミスもするものなのだと、何処か他人事のように思った。
少々頑強なハートレスがいたのを、油断は愚か慢心していたつもりもないのだが、それの一撃を回避し切れなかった。
左足の脛からどくどくと流れる血に、案外と深いなと、これもまた他人事のように考える。
さっさと止血をして、闇の力を使って適当に安全な場所に移動するのが良いのだが、如何せん疲れている。
この傷を負った後から、またわらわらとハートレスが集まり、それらを一掃するまでバスターソードを振るい続けていたのだから無理もない。
そうしてやっと掃除が終わったら、アドレナリンの放出で麻痺していた痛覚が戻って来て、立っていることも出来ずに座り込んだと言う訳だ。
ずきずきとした痛みは中々に重く、失血死こそしないだろうが、当分は療養しないと足が動かなくなるだろう。
闇の力を行使し、様々な世界を渡り歩いて、それなりに年月を数えるが、こんな負傷をしたのは初めてかも知れない。
持った力のお陰か体は普通よりも頑丈だったから、自己治癒力の高さもあり、後を引くような大怪我を負う事はなかったのだ。
場所は街から北にある、ハートレス蠢く谷の道の途中。
レオンに言われて、夕飯代に仕事くらいしろとのことで、いつものようにハートレス退治を引き受けた。
最近の街の中は、クレイモアの普及が拡がりつつあるお陰で比較的平穏なのだが、其処から少しでも離れると、心なきものはまだ幾分も減っていない。
谷の中を彷徨っているだけならまだ良いが、個体に縄張りがあるのか、やはり人の心と言うものにあれらは誘われる習性もあるのだろう、じわじわと居住区域に近付いて来るものもあるのだ。
放っておけば当然人々の脅威となる為、一定ラインを越える前に、レオン達はそれらを駆逐して街の安全を保つようにしている。
それを今日はクラウドが任されたという訳だ。
ハートレスは、幾ら斃した所で、幾らでも沸いて来る。
永遠に続くいたちごっこは面倒極まりないものではあったが、クラウドとて故郷と言うものに少なからずも愛着はあるのだ。
嘗て失われたこの地を、幼馴染達が懸命に守り、再び興そうとしているのだから、その手伝いくらいはしても良い。
心身を捧げるような殊勝な心はないが、片手間にやれる事をやる程度なら、厭と言う程でもなかった。
だからレオンが言う夕飯代も、いつものように軽い一言で受けたのだが、
(……流石にこれは良くないな)
止まる様子のない出血に、クラウドは眉根を寄せる。
失血死はしないだろうが、早くなんとかした方が良い。
しかしポーションは持ってこなかったしと、思えばそれが慢心だったのだろうと、用意の浅さを今になって反省する。
どうしたものかと、翻って開き直ったように凪いだ頭で考えていると、ざり、と土を踏む音が聞こえた。
ハートレスだと面倒だな、と音のした方向に目を向けると、ガンブレードを肩に乗せた男───レオンの姿があった。
レオンはゆっくりとクラウドの方へと歩きながら、辺りを警戒して首を巡らせている。
そしてクラウドのいる場所から数メートルと言う位置まで来て、言った。
「駆除は済んだようだな。ご苦労だった」
「ああ」
「それで、その足はどうした」
労う言葉を述べた後、投げ出されたクラウドの足を見て問うレオン。
クラウドは、助かりはしたが聊か情けない気分にもなって、溜息を吐きながら答える。
「一発食らった」
「らしくもない」
「そんな日もあるんだ。治してくれ」
レオンなら出来るだろうと、クラウドは未だ出血している足を指して言った。
今度はレオンが一つ溜息を吐いて、クラウドの傍で片膝を着き、右手を傷のある場所へと翳す。
柔い光がレオンの手から生み出され、ゆっくりとクラウドの傷を包み込み、裂けた筋肉や皮膚を修復していく。
程無く傷はなくなり、赤黒く染まった足元と地面だけが、怪我の痕として残った。
「助かった。ついでに肩を貸せ、立てない」
「全く……もう少しまともな感謝を示せ」
「示しているだろう。助かったと言ったじゃないか」
「普通は“ありがとう”だ。まあ、お前に言われても仕様がないか」
言いながらレオンは、ガンブレードを腰に納め、クラウドに肩を貸しながら立ち上がる。
レオンの肩に持ち上げられる形で、ようやくクラウドも立つことが出来た。
魔法で傷の修復は行えたが、魔法は表面的な傷を治しているだけで、本当に損傷が一切なくなっている訳ではない。
傷付いた神経が治るには、時間をかけて自然治癒を待つしかなかった。
しかし、こんな場所で悠長にいつまでも座っていては、いずれまた沸いて来るハートレスの餌食になってしまう。
クラウドを喪うのはレオンとしても痛手な訳で、愚痴を零しつつも、彼はクラウドを担いで街まで戻ってくれるに違いない。
治癒したばかりの足を引き摺るクラウドの為にか、レオンの歩はゆっくりとしたものだ。
何だかんだと面倒見の良い奴だと、ちゃっかりとそれに甘えて気儘をさせていることを棚に上げつつ思っていると、
「……その足だと、明日明後日は動かない方が良さそうだな」
「ああ。動けない事はないだろうが、戦闘はしたくない」
クラウドが負傷したのは右足だ。
何をするにも、踏み込む力として使っているから、その負担は軽くない。
だから負傷した後、激しく動き回った所為で傷が拡がり、出血が酷くなったのだ。
見えない部分の損傷具合を想像しても、今日の明日で負荷の高い運動はするべきではない。
はあ、とレオンがまた溜息を吐いた。
色々と予定を組んでいたのに、と呟く彼の頭の中では、今日も今日とて故郷再建の為のあれこれが巡っている事だろう。
相変わらず忙しい男であるから、自分の手では回り切れない所───主にはハートレス退治と、幾つかの力仕事───の為にクラウドを頼りにしていたに違いない。
しかし、先の傷の深さを目にしている事もあり、無理をさせる訳にもいかない、とは思ってくれたようだ。
「明日、エアリスに診せる。俺の家に呼ぶから、お前は其処で大人しくしていろ」
「別に自分で行っても良いが。どうせあの魔法使いの家にいるんだろう」
「怪我人は動くな。俺の魔法は、ただの応急処置なんだ。下手なことをして悪化させるのは止めろ」
レオンの言う事は最もだ。
今でさえ、立てないと言ってレオンの肩を借りている訳だから、きちんとした診断が出来るまで、負担をかけるような真似は避けるべきだ。
休ませてくれるのなら、真面な寝床が欲しいクラウドにとっては、願ったり叶ったりだ。
家にいて良いと言われているのだし、クラウドがレオンに対して遠慮する必要もない。
じゃあ大人しくしていよう、とクラウドは思った。
それにしても、怪我をしたからとは言え、随分と優しい。
クラウド自身にしても珍しい位に出血していたと言うのもあるだろうが、随分と甲斐甲斐しく許してくれるものだ。
そんな事を思って、ちらとクラウドが傍らにある横顔を見遣ると、微かに陰のある男の表情が見えた。
蒼の瞳は基本的には進む先を見ており、周囲を警戒して首を巡らせるのだが、その隙間に、ふと足元に視線を遣る瞬間がある。
見ているのは引き摺り気味のクラウドの足だ。
心配しているのかと、存外と年下には過保護な男にそんな事を考えたクラウドだが、レオンがその過保護ぶりをクラウドに向ける事は先ず無い。
さほど年齢が離れていないからか、同性だからかは判らないが、レオンは仲間内の中では珍しく、クラウドだけは扱いが雑なのだ。
それは信用、信頼の証でもあるのだが、そんな男がこうも甲斐甲斐しくしてくれるという事に、ただ傷を慮っての事とは思えない。
力の入り難いクラウドの足が、時折、かく、と膝を折る。
不意にかかる重みにレオンは眉根を寄せたが、横顔から滲むのは、重いとか面倒だとか言うものではない。
見覚えのある感情がその眦に香る気がして、ああ、とクラウドは納得した。
(後悔している訳か。俺に怪我をさせたことを)
レオンの横顔は、遠く故郷が失われたあの日を、悔恨している時のものに似ている。
幼馴染の怪我一つに、それ程大袈裟な猛省などしていまいが、似た気配があるように見えた。
仕事を任せた所為で怪我をさせた、一人で行かせた所為で無理をさせた────それを頼んだのは自分だ、と。
そんな所かと思うが、何を今更、とクラウドは独り言ちる。
一宿一飯の代金の代わりに、ハートレス退治を引き受けるのも、クラウドにとってはいつもの事だ。
実際、タダで飯も寝床も借りるというのは、後々が恐ろしいものだから、これは等価交換であるとクラウドは割り切っている。
怪我など別に今日が初めての事ではないし、仮にこれをレオンの所為としても、迎えに来て応急処置を施し、肩を貸してくれているのだから、詫びは十二分だろう。
(────なんて言った所で、こいつの事だ。口では判ったように返事をしても、頭の中は割り切っていないだろうな)
クラウドはレオンの性格をよく知っている。
良く言えば真面目、悪く言えば融通が利き難い所がある。
融通については、育った環境や年齢を経てそれなりに柔軟さを身に着けているのだが、こと自分の心中のことについては頑固であった。
そう言う真面目な人間だから、街の人々からは信頼されているのだろうが、偶には責任転嫁と言う言葉に身を任せても良いだろうとクラウドは思う。
やれやれ、とクラウドはこっそりと息を吐く。
それは傍らの幼馴染の頑固さへの諦めと呆れによるものだったが、相手はそうは受け取らなかったらしい。
レオンは一度歩く足を止めて、肩を担ぐクラウドの姿勢を直させると、
「もう少しゆっくり歩いた方が良いか」
「いや。今まで通りで良い。此処はさっさと抜けた方が良いだろう」
「……そうだな」
意識が罪悪感に傾いている所為か、普段の三倍増しはありそうな気遣いが、クラウドはどうにも擽ったい。
しかし、分かり易く自分に甘いその様子は、少しばかりクラウドの悪戯と欲望心を刺激していた。
「レオン」
「なんだ」
「腹が減った。帰ったら何か食いたい」
「暢気だな。何もないから、作らないといけない」
「構わない。結構出血したからな、血が作れるものが良い。肉だな」
「お前は普段からそればかりだろう」
クラウドの言葉に呆れながらも、仕方がない、とレオンは呟いた。
どうやら用意してくれるらしい。
「あとは、そうだな。久しぶりに甘いものが食べたい」
「そんな贅沢品がうちにあると思うか」
「今日じゃなくて良い。明日なら調達できるだろう?果物でもなんでも」
「……判った判った。探して置いてやる」
保証はしないぞと釘を刺しつつも、我儘を叶える努力はしてくれるようだ。
面倒を増やすなよ、と愚痴るレオンに、それなら無理だときっぱり言えば良いものを、と真面目な性格の所為でそう言う嘘が下手な幼馴染に、クラウドの口元は緩む。
「それから、そうだな───」
「まだあるのか」
もう十分だろう、とレオンがじとりとクラウドを睨む。
クラウドはそれを気にせず、一番の我儘を口にした。
「今日はあんたが上で頑張ってくれると嬉しいな。足も痛いし、その方があんたも下手な心配をせずに楽しめるだろう。どうだ?」
耳元で囁くように言うと、レオンはしばし固まった。
一分もそれはなかっただろうが、此処までの会話のテンポからすると、急激にブレーキがかかる。
しばらくしてから「……は?」と此方を見た蒼灰色に、クラウドは判り易く目を細めてやった。
クラウドの肩を担ぎ、その体重を持ち支える為に添えられていたレオンの手が、ぱっと解かれる。
完全に支えを当てにしていたクラウドは、それを唐突に失ってぐしゃりと地面に落ち伏した。
レオンはそんなクラウドを無視して、すたすたと足早に歩いて行ってしまう。
「そんな事を宣う元気があるなら、後は一人で帰れるな」
「待て。おい、レオン。冗談だ」
「冗談を言う元気もあるようだな。俺は先に行ってる、さっさと来いよ」
脇目も一切降らずに遠退いて行く背中。
調子に乗り過ぎたのは明らかだが、反面クラウドは、レオンがいつも通りの対応になった事にひっそりと安堵した。
そして彼の性格をよく知るからこそ、数分となく、彼は戻って来てくれるだろうと言う事も知っている。
────思った通り、しばらくその場で転がっていると、レオンは溜息を吐きながら戻って来た。
それだから調子に乗ってしまうのだと、改めて肩を貸す彼に甘えつつ、クラウドは夜を楽しみにするのであった。
7月8日と言う事でクラレオ。
うちのレオンはクラウドに対して基本は塩対応で、クラウドもそれで良いと思っていますが、なんだかんだでレオンはクラウドに甘い所があるし、クラウドはちゃっかりそれに便乗する。
よく考えると、レオンがクラウドに塩なのはその態度だけで、根は面倒見が良いので放っておけないのかも知れない。