[16/ジョシュクラ]鼓動と熱がもたらすものは
湖水の上に造られた隠れ家の夜は、とても静かなものだ。
増してや、黒の一帯の只中であるとなれば尚の事、生き物の気配と言うものも少ない。
人の声は隠れ家に住む人々のものしかなく、空を行く鳥たちも飛び行くには灯りが足りないので羽を休めているものが殆どだ。
足元の水の中は、生物が棲むには環境が厳しすぎて、どうやっても住み着く様子がないから、此処は水棲物の類とは縁遠い。
お陰で魚と言うものに触れる機会も滅多になく、此処で暮らす子供の中には、それを見たことがない者もいるのだそうだ。
過去の隠れ家を、敵の襲撃と言う惨劇で失った経験から、昼夜問わずに交代制で見張りが立てられているが、今の所は幸いなことに、形骸的なもので済んでいると言う。
だから、此処に住まう人々の大半が眠る深夜となると、隠れ家の中はひっそりと静まり返っている。
足元が水と言う関係上、夜になると此処はよく冷え込む。
暖を求めた子供たちは団子のように集まって眠り、大人も足先を縮こまらせて眠る事は多かった。
折に着けてカローンが外から良い布を調達してくれるが、物資は有限である為、誰がそれを使うかはある程度優先順位がつけられている。
先ずは病人や怪我人を抱える医務室に、出来るだけ清潔で質の良いものを使えるように工面してから、居住区や『石の剣』が使う装備類に回す。
出来る限り、“隠れ家の皆で”使えることを優先的に考えることが常であった。
その為、クライヴの部屋と言うものは質素だ。
ベッドも土台に造ったもので、街宿のそれとは比べるべくもない。
上質なものと言えば、書簡類を確認・整理するのに使っているデスクと椅子だが、あちらはなんでも、前の隠れ家の中から発掘してきたものらしい。
“前代のシド”が使っていたそれは、元々が上質なものを当該人物が気に入って愛用していたものらしく、前の隠れ家が崩壊して埋もれても、頑丈なお陰で傷が少なく済んだのが見付かったのだそうだ。
他には、協力者からの頼み事を熟したとか、そう言った経緯で譲られた所縁の品が飾られている位。
元々華美な生活環境ではないとは言え、物の少なさも相俟って、質実剛健な当たりが兄らしい、とジョシュアは思っていた。
そんな兄の部屋で、閨を共にするようになってから、しばらく経つ。
静かな波の音を聞きながら、ラウンジから貰って来たワインやエールを傾けて、他愛のない話をしてから、其処に収まるのがパターンになりつつあった。
元々の“空の文明”時代の遺跡の構造の為と、明り取りの為に空間を全てを囲う訳にはいかないから、一部の壁は常に開いている。
其処から入って来る夜風は、季節にもよるがやはり冷えを起こすもので、眠るとなると暖が欲しくなった。
それを理由に、言い訳のようにして、兄弟で熱を交わし合う。
熱に溺れる時間と言うのは、ついつい夢中になってしまうが、後の疲労も強いものだ。
セックスをした後、ジョシュアは疲れ切ってそのまま眠ってしまう事が多い。
負担があるのは、挿入される側である兄の方なのに、と申し訳なく思う事は少なくないのだが、中々後処理まで担うことが出来なかった。
それについて兄は「問題ないさ」と苦笑するのだが、ジョシュアとしては、やはり負担を強いているのは自分なので、最後まできちんとやるべき事は全うしたいと思う。
取り合えずは、もう少し体力をつけたい所だが、そもそも常にかかる自分の体への負荷が大きいものだから、これは一朝一夕には叶えられそうにない。
今日もまた、二度、三度と交わってから、終わって倦怠感に身を任せている間に、ジョシュアは眠っていた。
目が覚めた時には、壁の隙間から傾いた月が見えている。
また寝ていた、と言う事に聊かの不服を覚えつつ、未だ重さの感じる体を起こす気にもならず、少し硬いベッドの上でほうっと息を吐く────と、
「……ん……」
耳元に零れた声は、すぐ其処で眠っている兄のものだ。
寝返りを打って其方へ体ごと向き直ると、暗がりに慣れた目に、数センチの距離で兄の顔が映る。
ジョシュアは徐に手を伸ばして、兄の頬に手指を滑らせた。
重ねた年齢と苦労を表すように、クライヴの顔には年輪と髭がある。
あまり小奇麗にするにも限界がある環境だからか、クライヴは髪型も口元も無精にしており、それが独特の傭兵らしい威圧感を作っているようだった。
それでもよくよく見るとその顔立ちは整っていて、風貌の印象の割に、幼げな作りをしている。
目尻の形であったり、鼻筋の通り方であったり、子供の頃によく見ていた面影があるな、とジョシュアは思う。
そのまま、ジョシュアの指は、クライヴの頬から首筋へと下りていく。
喉を圧迫しないように、触れるだけの感覚でそうっと神経の通り道を辿って行くと、クライヴが小さくむずがるのが聞こえた。
あまり眠りが深くないのかも知れない、と思いつつも、ジョシュアはクライヴに触れるのをやめられなかった。
兄が此処にいる、触れられる距離に在る、と確認するのが、どうしても抑えきれない喜びを誘うのだ。
普段は着込んでいる外套であまり目につく事のない鎖骨に触れる。
元々、病弱だったジョシュアとは比べるべくもなく、体は健康体そのものだったクライヴだ。
ベアラー兵と言う過酷な環境にあっても、その身体は逞しく成長したようで、浮き上がる鎖骨が中々大きい。
それを爪先で、つぅ、と辿ってみると、
「…んん……」
むず痒かったのだろう、クライヴは眉根を寄せながら、ごろりと寝返りを打った。
ジョシュアの方を向いていた体が、仰向けになっている。
なんとなくそれが、自分から逃げられたような気分になって───悪戯をしているのだから自業自得なのだが───、ジョシュアはむぅと眉根を寄せた。
それ以上クライヴが逃げることを阻止するべく、ジョシュアは彼の体に身を寄せた。
幼い頃は兄を見上げるばかりであったジョシュアだが、幸いにもあれから身長は伸びて、今は並ぶ程である。
手足もそれなりに長くなった筈だし、クライヴの体を抱き締める位の事は出来る。
……出来るが、彼の体にぴったり腕が回り切らないのは、クライヴの体の厚みの所為なのだろう。
ひゅう、と隙間風が部屋に入り込んできて、ジョシュアの肩を撫でる。
俄かに感じた寒さに、熱を求めて更にクライヴへと身を寄せれば、
「……ん……ジョシュア……?」
もぞもぞといつまでも身動ぎされる気配にか、薄らとクライヴが目を開ける。
まだぼんやりとした瞳に、胸元に抱き着くように頬を寄せている弟の顔があった。
「……どうした?寒かったか」
「…そう言う訳でもないんだけど」
寒さは確かにあったが、この状態になったのは、それだけが理由ではない。
かと言って、眠っている愛しい人にささやかながら悪戯をしていたと言うのもどうだろう。
誤魔化すように厚みのある胸に顔を埋めていると、クライヴの手がくしゃりと金色の髪を撫でた。
「こうしていると、昔を思い出すな。夜中にお前が俺の部屋に来て、一緒に寝たいって言った時のこと」
「……ああ。そう言う事も、あったね」
もう十八年、ひょっとしたらそれよりも昔。
城の静かな夜と言うのは、幼い日のジョシュアにとって、何処か不安を誘う事があった。
フェニックスのドミナントとして目覚め、ロザリア公国の次期大公としての教育はとうに始まってはいたものの、本質的には十にも満たない子供である。
安堵の温もりを求め、自分の部屋を抜け出して、兄の部屋に行くのは、儘ある事だった。
その頃から、クライヴの部屋は質素なものだ。
大公の嫡男であったとは言え、只人として生まれ、召喚獣を終ぞ宿すことがなかった彼に、特別な持ち物と言うものはないに等しかった。
ジョシュアの幼い記憶の中でも、彼の部屋は最低限の物が置いてあるだけで、窓も壁も何も飾られてはいなかったように思う。
それでも、兄の存在さえあれば、ジョシュアにとって其処は何より安心できる場所だった。
クライヴはゆっくりとジョシュアの頭を撫でながら、遠い記憶に思いを馳せている。
「夏でも寒くて寝られない、なんて言うから、随分心配した。また熱があるんじゃないかって」
「もうちょっと上手い言い訳が出来たら良かったと思うよ。心配させてごめん」
「良いさ。殆どは熱はなかったし、俺も段々、一緒に寝たいだけなんだなって分かって来たし」
当時のジョシュアは、頻繁に熱を出していたから、「寒い」等と言えばクライヴが心配するのも当然だ。
薬を飲んで部屋で暖かくした方が良い、とクライヴも思ったが、結局の所、ジョシュアが「寒い」と言っていたのは、温度や体温のことではなく、気持ちの所が大きかったのだろう。
フェニックスのドミナントとは言え、まだ十にもならない子供は、いつも自分に優しくしてくれる兄に甘えたがっていたのだ。
それが分かれば、クライヴが弟の希望に応えられない訳もなく、明日の朝には部屋に戻ることを約束して、一緒のベッドで眠っていた。
あの頃のジョシュアは、よくクライヴに抱き着いたままで眠っていた。
日中のクライヴは、剣の稽古は勿論、時には討伐に同行することもあって、病弱だったジョシュアがついていける訳もなく、────母の厳しい目もあったから、近くにいられる時間と言うのは限られていた。
その寂しさを取り戻すように、埋めるように、限られた夜の時間で、精一杯に兄を補充していたのだ。
今、ジョシュアの頭を撫でているクライヴも、その時と同じ気分なのだろう。
頭を撫でる手は、ジョシュアの記憶よりも随分と大きくなったが、撫で方はあの頃と全く変わっていない。
それは、兄が変わらず兄でいてくれることが実感できて、嬉しくもあるのだが、
「ねえ、兄さん。僕はもう、小さな子供じゃないよ」
「分かってるさ。でも、こうしていると、つい……な」
目を細めて言うクライヴに、ジョシュアはなんとも言えない気持ちが浮かぶ。
小さな子供をあやすような顔で言われると、なんとなく男としてのプライドが疼くのだが、撫でる手は記憶にある以上に心地良い。
口元を埋めた状態の胸は、緊張していないからか思いの外柔らかく、弾力があった。
熱量もあるので、隙間風の冷えを嫌う体には、程よく暖かくて離れ難い。
ジョシュアの手がクライヴの体の表面を滑る。
逞しい胸筋で覆われた胸の奥で、とくとくと規則正しい鼓動が鳴っているのが分かった。
ジョシュアがちらと兄の顔を覗き見上げれば、自身と同じ青色を宿した瞳が、柔く此方を見詰めている。
愛おしむ、慈しむその表情は、ジョシュアが幼い頃にも何度も見上げたものだったが、
「兄さん」
「なんだ?」
「……もう一回しよう」
「疲れてるんじゃないか」
「問題ないよ」
言いながらジョシュアは、クライヴの胸に手を這わす。
其処にある膨らみを持ち上げるように手を添えて、頂きの蕾を吸った。
熱の名残がまだ残っていたのか、クライヴの体がぴくりと震えて、押し殺した吐息がジョシュアの旋毛を擽る。
「無理を……するなよ?」
「大丈夫だよ、兄さん」
宥めるように言ったクライヴに、ジョシュアはきっぱりと言い切った。
先の情交の疲れが全くない訳ではなかったが、触れ合う体温のお陰か、なんとなく調子が良い。
ことに幼い子供をあやすように撫でるクライヴの様子にも、聊か男のプライドが刺激されたのもあって、ジョシュアはこのまま穏やかに眠る気分はすっかり消えていた。
『ジョシュクラ』のリクエストを頂きました。
胸の大きい描写をと言う希望がありましたので、雄っぱいに顔埋めたり揉んだりしてるジョシュアです。
大きいよね、兄さんの胸は……物理的な包容力が……
よく考えるとジョシュアをちゃんと書いたのが初ですね。
兄さんに甘える癖が抜けないけど、男の矜持は見せたいのがうちのジョシュアのようです。
書きたいけど中々書くタイミングがなかったジョシュクラ、書かせて頂いて楽しかったです。