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User: k_ryuto

[フリスコ]その手に委ねて

  • 2025/08/08 21:40
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



フリオニールは、感情の起伏が激しい男だ。
穏やかに仲間に笑いかけていたと思ったら、張り詰める空気を感じ取った瞬間、その瞳には剣が宿る。
研ぎ澄まされた切っ先を真っ直ぐに前に向けるその目は、冴え冴えと朱に染まり、吠える時には烈火のように燃え上がった。
牙を研いだ虎のように、しなやかに大きく伸びあがる体躯が、踊るように地を踏んで駆け抜ける。
かとも思えば、全てを屠った後、仲間を振り返る目にはまた穏やかさが戻って来る。
此方が怪我のひとつでもしていると気付いたら、慌てた様子で駆け寄って来るのだが、その様は何処か人懐こい大型犬に似ていた。

彼自身、そうした自分の情動さには多少なりと自覚があるのだろう。
触れる時に、殊更優しく、壊れ物を扱うように指を伸ばしてくれるのは、きっとその表れだ。
ともすれば自分がブレーキの利かない性質をしていることを判っているから、何の拍子にその箍が外れるか判らないと、おっかなびっくりになっている。
別段、此方はそうも軟なつもりはないから、好きに触れれば良いし、何なら少々酷くされる位でも良い。
いつも丁寧に触れることを心掛けている男が、その箍を忘れて貪欲に牙を爪を突き立てる様が、食われている側にとって一番心地良いだなんて、きっと彼は思いもしない。
それ位、大事に大事に、触れてくれる。

けれども、結局は激情家な性格だから、歯止めが効かなくなれば、その欲望は剥き出しになる。
喉に歯を立てられた時に、本能的な恐怖と興奮で獲物がひとり果てたことに、彼は気付いているだろうか。
その時にはフリオニールの方も夢中になっていたから、此方のことなんて鑑みる余裕もなかったか。
濡れた腹に構わず身を寄せられて、生暖かくて汗ばんだ腹が擦れ合った。
内側を深く深く抉られて、いつか内臓に穴が空くかもしれないと思ったりするけれど、存外と人間の体は頑丈らしい。
そして、そうでなくては、こうも貪り齧ってはくれないだろうから、そこそこ頑丈な体で良かった、と思う。

────体の中で、フリオニールの熱が限界を迎えている。
ああ来る、と思って程なく、フリオニールが息を詰まらせて、スコールの中へと流れ込んできた。


「っあ、あ……!」
「く、うぅ……っ!」


あえかな声が喉奥から絞り出されるように漏れる。
そんなスコールの耳元で、フリオニールもまた、歯を噛みながら中の熱さに意識を白熱させていた。

ベッドの軋む音が止んで、しばらくの間は、荒い呼吸だけが聞こえていた。
抱き合ったそのままで時間が経つにつれ、少しずつ心音が落ち着きを取り戻していく。
それでも体の奥から滲む熱が下がるには至らず、名残の感覚に苛まれながら、スコールは心地良い気怠さの中で微睡んでいた。

強張っていた体から勝手に力が抜ける。
覆い被さる男の首に絡みつけていた腕が解け、フリオニールが体を起こした。
密着していた体が離れると、皮膚にひんやりとした空気が触れてきて、スコールの体がふるりと震える。
それを宥めるように、フリオニールの大きな手のひらが、そっとスコールの頬を撫でた。


「大丈夫か?」
「……ん……」


確かめる声に、スコールは薄ぼんやりとした意識の中で答えた。
良かった、と安堵した声が聞こえて、眦にキスが落ちて来る。

フリオニールは起き上がると、ベッド横のナイトテーブルに置いていたペットボトルに手を伸ばす。
一口それで喉を潤した後、もう一度口に含んで、スコールを抱き起した。
濡れた唇がスコールのそれと重なって、隙間を開けて見せれば、とろりとした水が流れ込んでくる。
喘ぎに喘いで、汗だくになった体は、すっかり水分が失われているから、ただの水でも美味かった。

一口、二口、とフリオニールは少しずつ口移しを繰り返す。
スコールは愛しい人が分け与えてくれる命の源を受け取りながら、フリオニールの背中に腕を回した。


「ん、ぁ……っは、ん……」
「ふ……ん、ぅ……」


こく、こく、とスコールの喉が小さく音を鳴らして、水を受け入れていく。

スコールの咥内がすっかり潤って、「もういい」と言ったことで、水分補給は終いとした。
フリオニールの指が、スコールの具合を確かめるように、薄淡色の唇の縁をつぅとなぞる。
くすぐったさにスコールが小さく頭を振ると、詫びるように頭を撫でられた。


「シャワーを浴びよう。このまま寝ると風邪を引きそうだ」
「……怠い」
「俺がやってやるから」
「……ん」


貪り尽くされて、動く気力もないスコールだ。
全部やってくれるのならそれが良い、と懐の広い恋人に甘える。

フリオニールはスコールの体を横抱きに持ち上げて、ベッドを下りた。
しっかりとした腕に掬い支えられて、スコールは熱い胸板に体を預け切ってやる。
危なげのない足取りで向かうバスルームは、そもそもが男の一人暮らしの安普請な物件であるからして、当然此処も相応に狭い。
其処に男二人で入るのは中々に窮屈だったが、すっきりと躰を清められるのが此処しかないのだから仕方ない。

フリオニールはスコールを風呂椅子に座らせて、シャワーを空の湯舟に向けて流し始めた。
湯が温かくなったのを確かめてから、気怠げに座っているスコールの足元からかけてやる。


「冷たくないか?」
「……ん」
「体、洗う?」
「……どっちでもいい。あんたがやってくれるなら」


すっかり世話を焼いてもらうスコールだが、フリオニールとて疲れていない訳ではないのだ。
面倒くさいとか、早くベッドに戻って寝たいと彼が思っているのなら、それでも良いとスコールは考えている。
このまま丁寧に洗われるのは心地良いし、ベッドでフリオニールに抱かれて眠るのも好きだ。
だからフリオニールのしたいようにすれば良い、と彼に選択権を全て委ねる。

フリオニールは甘えん坊を遺憾なく発揮しているスコールに笑みを浮かべて、ボディソープを手に取った。
手のひらで薬液をしっかりと泡立てて、その手がスコールの足元から触れる。
泡を塗り広げながら、するすると皮膚の上を滑って行くフリオニールの手を、スコールは何とはなしに見つめていた。

────理性の箍が外れると、まるで獣になったように荒々しく抱いてくれるフリオニールは、それが終わればこんなにも優しく触れる。
いっそ過剰とも言えるほどの、珠肌を灌ぐような柔らかな手付きに、スコールはこっそりと、


(やらしいって言ったら、どんな顔するんだろうな)


スコールが楽に過ごせるように、半身を預けられる距離を開けないよう努めながら、フリオニールは恋人の体を洗う。
その手はとても優しく、疲れきった恋人を労わる気持ちで溢れており、疚しい所など一かけらもない。
それはスコールも判っているのだが、ついさっきまで自分の体を荒々しく揺さぶっていた手が、丁寧な手付きで皮膚を伝って行くのだ。
まだまぐわいの感覚が残った身体が、その時の感触を思い出すのは、無理もないことだった。

時折、フリオニールの目が此方を見ているのが判る。
スコールがそれに目を合わせてやれば、気遣うように眉尻を下げて笑うフリオニールの顔があった。
その頬に擦り付けるように額を当てると、フリオニールは「眠いか?」と言ってスコールの体を支えてくれる。


「今日は大分、長いこと付き合わせたな。ごめんな」
「……別に。嫌なら嫌って言った」


言わなかったから、何度でも繋がったのだと、スコールは言う。
無理強いされた訳でも、有耶無耶に流された訳でもなく、求める声に応えたいからスコールは体を拓かれるのを止めなかった。
だから詫びる必要などないのだと、スコールは何度も言っているのだけれど、


「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど。やっぱり、その……疲れてるだろ?」
「……まあ、それは……」
「どうしても歯止めが効かなくて……悪い」
「良いから、もう謝るな」
「うん」


放っておけば何度でも詫びを口にするだろうフリオニールに、スコールはそれ以上はいらないと止めた。
フリオニールも、もう何度も繰り返した遣り取りだからか、頷いてスコールの額にキスをする。

止まっていたフリオニールの手が、スコールの体を洗う作業を再開させる。


「痛い所とかないか?その、中とか……」
「……痛くはない。あんた、いつもしつこいくらい解すから」
「そ、そうか……?」
「もう入れて良いって言うのに、全然進めないだろ。焦らされてるみたいだ」
「だって、最初はそれでキツかったじゃないか。痛かったんだろう、あれ」
「……最初は。でも、もう……あんたの形になってるんだから、あんなにしなくて平気だ」


スコールの言葉に、フリオニールの洗う手が止まる。
「ああ……」とか「えっと……」と口籠るフリオニールの顔は、湯を浴びるスコールに負けず劣らず赤い。

あんなに激しく掻き抱いてくれるのに、フリオニールは相も変わらず初心だ。
その様子がどうにもスコールには可愛らしく見えて、少し悪戯心が刺激される。


「フリオ」


名前を呼ぶと、フリオニールが顔を上げる。
何かして欲しい事があるのか、と紅い瞳が指示を待つ飼い犬のようだった。

スコールはそんなフリオニールの手を取った。
丁度スコールの膝に置かれていたフリオニールの手は、まだたっぷりの泡がついている。
その手を、スコールは薄く開いた腿の内側へと案内した。


「ここ、まだ洗ってない」
「!」


ひたりと触れた場所には、まだ白くてとろりとした液体がまとわりついている。
シャワーの湯で濯がれるだけでは流れ切らなかったそれを、フリオニールの指にわざと当てる。
際どい位置に触れたフリオニールの手が、反射反応で逃げてしまう前に、スコールはぐっと太腿で挟んで捉えた。


「スコール、」
「あんたがやってくれるって言った」
「い、言ったけど」


どぎまぎとしているフリオニールを、スコールはじっと見つめる。
うう、と唸る声が何度か聞こえたが、結局の所、フリオニールは事後のスコールに多大に甘い。
スコールもそれを判っていて、ここぞとばかりに我儘な要求をしていた。

太腿に挟まれていた手が、観念して逃げる力を手放す。
スコールが挟み込んでいた肢から力を抜くと、する、とフリオニールの手が内腿を滑るのが判った。

泡塗れのフリオニールの手が、スコールの内腿を彷徨うように這い回る。
スコールは、自身の熱がまたじわじわと膨らんでいるのを自覚していた。
見詰めるフリオニールも、きっとそれを見ているのだろう、耳元でごくりと喉の鳴る音が聞こえる。

肢と臀部の付け根の皺のあたりに指が這って、スコールはぞくぞくとしたものが背中を上って来るのを感じた。
噤んだ唇の中で、甘ったるい呼気が溜まっているのが判る。
身を預けている恋人に寄り掛かり、薄く唇を開けば、案の定、はあ、と熱の籠った吐息が漏れた。


(このまま、もう一回しても……良いな……)


寧ろ、したい。
そう思って、スコールがそろりと膝を外に開こうとした時、


「っ……スコール」


咎める声に名を呼ばれて、スコールは眉根を寄せる。
際どい場所に触れていた手も離れたものだから、抗議に見上げると、赤い瞳がこちらを見ていた。
その瞳には確かに熱が燈っていたが、同時に、子供を咎める保護者のような空気もある。

スコールは据えた目でそれを見つめ返しながら、拗ねた口調で呟く。


「あんたもその気の癖に」
「………」


今のフリオニールがどうなっているのか、スコールは直に見なくても判る。
若くて逞しい体は回復も早く、恋人が露骨に誘っているともなれば、抑えようにも反応してしまうものだろう。
スコールがフリオニールを欲しいように、フリオニールもまた、スコールに惹かれて已まないのだから。

フリオニールは、スコールの指摘を誤魔化すように咳払いをして、シャワーノズルに手を伸ばす。
出しっぱなしの湯は十分に温かく、スコールの身体についた泡をすぐに洗い流してくれた。


「今日はもう遅いから、休まないと」
「……こんな状態で休めって言う方が酷いんじゃないか」
「駄目だ。明日に響くだろう」
「……」


頑ななフリオニールに、スコールは唇を尖らせた。
こうなると、スコールがどんなに甘えて誘っても、フリオニールは譲ってくれない。
スコールもまた、自分を慮ってのことだと言うのも判っているので、これ以上の我儘は仕方なく噤む。

フリオニールはスコールの身体を手早く拭いて、すっかり綺麗になった身体を抱き上げた。

寝室に戻ると、二人でベッドシーツに包まって、温まった身体から熱が逃げないように身を寄せ合う。
スコールがフリオニールの足に自分の素足を絡ませると、


「ん、スコール……」
「……判ってる」


今日はもうしない、と咎めるフリオニールの声に、スコールは半分拗ねた心地で言った。
これ以上はねだらないから、代わりにその存在の全部を感じながら眠りたい。
そうしないと眠れない、と猫のように身を寄せるスコールの背中に、しっかりとした腕が回り込んだ。





『フリスコ』のリクエストを頂きました。内容についてはおすすめで、ということでしたので、いちゃいちゃしている二人をおすすめさせて頂きます。

甘やかしモードのフリオニールと、全力甘えモードのスコールです。
スコールがして欲しいこと全部やるよ、って言うフリオニールだけど、無茶はさせたくないので、お誘いは応じてくれないらしい。スコールは別に良いのにって思いつつ、そうやって大事にしてくれるのも嬉しいので、別の甘え方をし始めるようです。
ひょっとしたら何回かに一回か、フリオニールの雄スイッチが入ったままだったら、お誘いに応えてくれるのかも知れない。

[16/シドクラ]油桃果



シドと共に、トルガルを伴って、魔物討伐を終えた時には、随分と陽が傾いていた。
このまま隠れ家に戻ろうとしたとて、道程の半分を行かない内に夜が来る。
夜の山野は、如何にドミナントが同行しているとて危険なものであることに変わりはなく、適当な所で野営をしてから、明日の帰路とした方が無難だと言う判断になった。

そんな訳で野営に適した場所を探しているシドとクライヴだが、街道沿いは彼らにとっては反って危ない。
お尋ね者も同然のシドは勿論、クライヴも脱走兵として目を付けられている節があったし、見回りのザンブレク兵に見つかっても面倒なことだ。
少し身を隠すことが出来るような、多少なりと視界が遮られる鬱蒼とした場所の方が、彼らにとっては都合が良かった。
少し山寄りに目星をつけ、魔物の気配も少なく、火を起こしてもあまり人目に付きそうにない場所───そんなポイントを探していると、とある木を見付けたシドが目を輝かせた。


「良いものを見付けたぞ、クライヴ」
「……なんだ?」


言われて辺りを見回して見るクライヴだが、特に変わったものは見付からない。
きょろきょろと首を巡らせていると、シドは「上だ、上」と言って指差した。

促されるままにクライヴが視線を上へと傾けてみると、少し急勾配になった斜面から、迫り出すように幾本かの木が伸びている。
ただの木だが、とクライヴは思ったが、よくよく見れば、その広がった枝に点々と赤いものが生っていた。
折り重なる葉の隙間から落ちる木漏れ日を受け、それはきらきらと艶を持って光っている。
林檎だろうか、と思ったクライヴだが、それはもっと寒い頃に実を成すものだった気がする。

首を傾げて斜面を見上げるクライヴに、シドは生え延びる木々の幹を伝うように斜面を登りながら言った。


「この時期なら美味いものがある筈だ。少し獲って行こう」
「食べられるものなのか。毒性は?」
「ない。ものによっちゃ酸っぱいだろうが、まあ、よく選べば食えない程のものには当たらないだろう」


木に近付いて行くシドを、クライヴも追って見ることにする。
もう少し近くに行けば、あの木に成っている実が何なのか知れるかも、と言うささやかな好奇心があった。
今日一日を共にしていたトルガルも、鼻をすんすんと鳴らしながら、相棒の後を追う。

斜面の中腹から、空に向かって斜めに伸びた木。
それは感覚を開けて、他の低木を間に挟みながら、幾本か立っていた。
どれもが同じ色の実をつけており、鮮やかな赤色に見えたが、やはり林檎ではないようだ。
形状が林檎のものとは少し違う、もう少し楕円形をしていて、曲線はつるんとしているように見える。

シドは幹がしっかりしている木を選んで、するりとそれを上り始めた。
クライヴはその下まで辿り着くと、木登りしていくシドを見つめる。


「食糧になるか?持って帰るのか」
「さて、どうかな。こいつはあまり日持ちが長くないんだ。固いものがあれば、持って帰ってる内に熟して良い食べ頃にはなるかも知れんが。良い奴なら今日中に食った方が美味いだろうな」


言いながらシドは、幹の先についている実に手を伸ばす。
指先で包むように触れて、その感触を確かめた後、軽く捻ってもいだ。
鼻先を寄せて匂いを確認すると、うん、と頷いて、


「中々良さそうだ。ほら、落とすぞ。上手く取れよ、落とすと傷がつく」
「ああ」


どうやら、随分と繊細な果物らしい。
そう言うものは、落果して傷がついてしまうと、あっと言う間に傷んでしまうこともある。
クライヴはシドの真下に移動して、落とされた木の実を受け取った。

腰の皮鞄から適当に使えそうな布を取り出して、クライヴはそれで木の実を包むことにした。
続けてシドが落とした実も、ひとつ、ふたつ、みっつと受け止めて、一緒にまとめておく。
ひとつの木に成っていた、丁度良さそうな実を選別して採取し、シドは「こんなものか」と言って木を下りた。

それから野営地は程なく決まり、川の袂を見付けた所で、陽が沈んだ。
手近な場所から燃料に出来る薪を拾い集め、焚火を燃やす。
太陽が沈むとじんわりとした冷気が川辺から滑って来るのを感じながら、取り合えずはこれでゆっくり出来る、とクライヴはひとつ息を吐いた。

さて、一息ついたのならば、腹拵えだ。
シドは早速、採取して置いた実を取り出した。


「どうやって食べるんだ」
「まるごと齧っても良いが、種は取った方が楽だな。半分に割るからちょっと待っていろ」


シドは荷物の中から果物ナイフを取り出した。
実の中心辺りに刃を入れると、そこから縦に一周する形で、実に一巡りの切り込みを入れる。
筋の入った実を両手でそれぞれ持つと、捩じるように左右を反対へと回した。
みち、と繊維の連結が千切れる音が小さく聞こえた後、実は切り込みを入れた真ん中からちょうどぱっかりと二つに割れる。

実の中にオレンジがかった黄色だが、中央の大きな種がひとつ入った所は、濃い赤色に染まっている。
シドは「持つなら装備は外した方が良いぞ」と言ってから、種のない方をクライヴに差し出し、手元に残った方の種をナイフで穿って取り出す。
その間にクライヴは、素手の手元に渡された実に鼻を寄せ、くん、とその匂いを嗅いでいた。


「……酸っぱい匂いがする」
「酸味は少し強い。果肉は食べると甘味もある」
「皮ごと食べれるのか」
「そのままいける。まあ、好みはあると思うがな」


シドの言葉に、ふうん、と言って、クライヴは口を開けた。
綺麗に半分に割れた果肉の端を齧って見ると、じゅわり、と果肉から溢れんばかりに蜜が出る。
口端から零れる程に出て来た蜜が、クライヴの顎を伝って喉を滑って行った。


「んぐ、」
「この水分だからな。傷がつくと其処から一気に駄目になるんだ」


喉を伝う雫を手甲の腕で拭うクライヴに、シドがくつくつと笑いながら言った。


「凄い果汁だ。水分補給に良さそうだな」
「ああ。一部の地域じゃ薬効果としても珍重されてるものだと聞く」
「それなら、持ち帰れれば色んな役に立ちそうだが……傷むのが早いのか。残念だな……」


薬効としての効能が期待できる程の、瑞々しく甘い果実。
酸味と、ほんのりとした甘みもあって、果肉は歯で軽く噛めば良い程度の固さだから、病人食に良いだろう。
しかし、傷が付けばあっと言う間に傷んでしまう、そもそも日持ちも良くないとなれば、中々こうした代物は難しい。
長期保存の方法もあるとは言うが、それだと水分を蒸発させた欲し果実にせざるを得ないし、作っている最中に変色も始まるから、あまり薦められない。
採ったらその日のうちに、長く見積もっても翌日中が限界だろう、とシドは言った。

致し方のないこととは言え、持ち帰りが効かないことは、少し残念だな、とクライヴは思う。
隠れ家で新鮮な果物と言うのは非常に貴重だ。
だからこそ、持ち帰ることが出来れば皆も喜ぶだろうと思うのだが、それは叶わない。

クライヴの横で丸くなっていたトルガルが、すんすんと鼻を鳴らして、クライヴの手元に寄って来る。


「食べるか、トルガル」
「種も取ってあるし、ま、ひとつくらい大丈夫だろう」
「───と言うことだ。良かったな」


クライヴはトルガルの頭を撫でて、果実をその口元に寄せてやった。
トルガルは果実の表面をぺろりと舐めると、尻尾をふさりと揺らす。
半分の実を地面に置いてやれば、トルガルは直ぐにそれに喰いついて、滴る果汁ごとごくりと飲み込んだ。

今日のシドとクライヴの食料は、この果実だ。
シドはもう一つ、実を先と同じように二つに割って、種のない方をクライヴに渡す。
クライヴはさっきのように果汁を垂らさないよう、手の中で実を水平にして、端から蜜を啜るように口をつけた。
それでも水分いっぱいの果肉に歯を立てれば、千切れた繊維の隙間からジューシーな果汁が溢れ出し、クライヴの口まわりや手のひらをしとどに濡らす。
クライヴはそれらを適当に拭いながら、瑞々しい果肉に尚も被り付いた。

その様子を見ていたシドが、自分の果肉を齧りながらくつりと笑う。


「随分、気に入ったようだな」
「……んぐ……こういうのは、久しぶりだったから」
「まあ滅多に見付かるものでもないしな」
「それもあるが……」


確かに、野生の実で、こうも美味いタイミングで手に入れられる果実に出会えることは貴重だ。
だが、クライヴの“久しぶり”と言うのは、それだけが理由ではない。

十三年間をザンブレク軍のベアラー兵として過ごした中で、質の良い食糧にあり付けたことは先ずない。
使い切りの駒として扱われるベアラー兵には、危険な任務が回って来るが、それを熟す為の物資に碌なものは用意されなかった。
装備でさえも下げ渡しか、使い古しを無理やり継ぎ接ぎにしたものだから、食糧の類なんてもっと酷い。
用意して与えられるならまだマシで、現地で自力調達せねばならなかった事も多い。
それも現地と言うのが、大抵は戦の最前線であったり、黒の一帯を始めとした不毛な地に赴く場合が多いから、見付かる食べ物なんてたかが知れている。
緑豊かな場所なら、まだ木の実でも動物肉でも望むことは出来たが、そんなものを望む気にもならないのが当たり前だった。
ネズミ一匹だって貴重な食材だったことも少なくない。

そんな環境が十年以上も当たり前だったクライヴにとって、今手の中にある瑞々しい果実は、まるで夢のような代物だった。
よく熟した果実は甘くて美味い、と言うことを、まるで初めて体験したかのように、体が喜んでいる。

存外と子供のように正直に感情を表す青の瞳に、シドの喉がくつりと笑う。
しようがない、と言う何処かおおらかな気分で、シドは三つ目の果実にナイフを入れた。


「どうせ日持ちしない代物だ。食べたいだけ食べろ。腹を下さんようには気を付けろよ」
「ん」


口の中に果肉が入っているので、クライヴの返事は端的だった。
そんな彼に果実を差し出せば、濡れた手がそれを受け取る。

クライヴは先ず、果物の果汁を啜った。
半分に切り分けられた果肉の表面からして、水分が表面に膜を作るように艶やかだ。
切り口の端からじわじわと染み出してくるそれを吸い取って、こく、こく、と喉仏が動く。
蜜の一滴も無駄にしないように啜って、それから果肉に齧りついた。
しかし果肉は齧るほどに奥からじゅわりと多量の蜜が溢れ出し、クライヴの口元を濡らす。

────その夢中で蜜を啜る様子が、なんとも。
夜の秘め事に、熱を啜る姿をほうふつとさせて、シドは意識して明後日の方向を見た。


「う、ん。んっぷ……本当に、凄い果汁だな。幾らでも出て来る」
「あー……そうだな。だから沢山食っても、半分は水っ腹だ」
「ああ、だから下ることもあるのか」
「果肉がある分、マシとは思うがな」


持ち帰りの効かない果実なら、隠れ家で過ごす人々が食べるのは難しいだろう。
最近、隠れ家の皆から頼まれごとを引き受ける事が増えてきたようで、クライヴは多くの人に慕われつつある。
きっと彼らも嬉しいだろうに、と呟くクライヴに、そうだな、とシドは頷いた。

そんなクライヴの口元は、すっかり蜜で濡れている。
手許の果実はもう幾らもなく、クライヴなら一口で食べきってしまえる程度しか残っていない。
それでも果汁はやはり多く、クライヴの手のひらは果汁と果肉の欠片ですっかり濡れていた。
その果汁を、勿体ない、とクライヴの舌が舐めるを見て、シドは片眉を潜めた。


「行儀の悪い」
「なんだ、急に。そんな事気にした事もない癖に」


行儀云々など、子供の日々の躾に言うか言わないか、そんな程度だ。
手掴みで果物を食べるこの環境で、小奇麗にナイフで一切れずつ切り分けて食べる方が面倒だ。

そんなことはシドも分かり切っている癖に、急に妙なことを言い出したものだから、クライヴは眉根を寄せる。
それから、シドが浮かべる表情と、目の奥に燈るものに気付いて、口端が珍しく悪戯に笑う。


「……勿体ないだろう。こんな美味いもの、無駄にしたら」


そう言ってクライヴは、指を濡らす果汁に舌を当てる。
果肉を持って食べていたその右手は、焚火の照明を受けて、艶を持って光っている。
水とは違って、少しばかりの粘りを持った蜜は、クライヴの手をつやつやと飾って見せる。

クライヴは濡れた手のひらを口元に寄せて、ぢゅ、と蜜を啜る。
青の瞳はじっと目の前にいる男を見つめ、何処か挑発的な気配を滲ませていた。

───判ってやっているな、とシドも口の片端を笑むように歪ませる。


「生意気なことをするなよ」
「別に。何もしてない」


食べ物を粗末にしないようにしてる、それだけだ、とクライヴは言う。
しかし、向けられる青の瞳には、明らかな意図があった。
クライヴもそれを意識していることを隠さずに、蜜に濡れた手のひらを唇に当てて、音を立てて吸う。

今ならその手は、甘く滴る甘露の味がするだろう。
窄めた唇が必死に蜜を啜る様子と言うのを、シドはよく覚えていた。
搾り取るまで啜るのは得意な男だから、其処に甘露があれば、存分に味わい尽くして舐め取る。
そして顎を伝って落ちる雫は、掌に掬って、見せつけるように舐めて見せる。
それは目に見える服従の証でありながら、翻弄する側であろうとする、彼の意識的な挑発行為だ。

シドはクライヴの手首を掴んで、自分の方へと引き寄せた。
抵抗もなくされるがままに持って来たクライヴの手は、思った通り、蜜と唾液で濡れている。
その手のひらの中央に舌を這わしてやれば、自分で遊ぶのとは違う感覚に、ぴくりと指先が震えるのが分かった。


「……良く熟してるな」
「……ああ」
「で、こっちはどうなんだ?」


掴んだ手首を離さずに、目を見て問えば、クライヴは「さあ?」と含みを持った笑みで首を傾げた。





『シドに拾われてからまだ日が浅い頃、久しぶりに果実を口にしたクライヴに、ムラっとしたものが掻き立てられるシドクラ』のリクを頂きました。

零さないように啜ってる様子ってなんかえっちじゃないですか、と言う心。
かぶりつきで食べるのも良いですが、クライヴってなんだかんだ根っこの育ちが良いので、綺麗に食べそう。
指舐めたりはやっぱり環境が環境だったので、貴重な食料や水分は無駄には出来ない勿体ない精神。
しかしそう言う所から出て来る仕草のちょっとした所が、やらしく見えるものですね。

[16/シドクラ]森月の夜



この辺りだな、と目星をつけた場所に極簡素な野営地を作り、数泊。
拠点とした位置から、周囲の様子をよくよく観察しながら探索し、幾つかの場所から土壌を採取した。
それ程遠くない位置に湿地帯が拡がっているお陰か、この辺りの土はどこも柔らかく、水分を多く含んでいる。
水持ちが良い代わりに、水分が多量である為に、水捌けを必要とする植物は根付く前に腐ってしまうのだろう、種類は苔の類が一番数が多いようだった。
とは言え山脈沿いから流れて来る水は栄養分が豊富なようで、川には水棲生物も多く、生き物の生態系は多様だ。
この一帯は、恩恵の元としては、海を挟んだ火山島にあるマザークリスタル・ドレイクブレスになるだろう。
だから北部に比べればまだ豊かさがあり、水も土も、其処に生きる動植物も、元気なものだ。

しかし、その恩恵も果たしていつまで続くだろうか。
大陸北方は黒の一帯が拡がりつつあり、じわじわとこの国の領域にも浸食しつつある。
約80年前にマザークリスタル・ドレイクアイが消滅したと言う事実は、北方で生きていた人々にとって、悲劇と言う他ない。
その為に北部領域にあった国は、隣接するロザリア公国と度々の戦を起こし、結局は投降併合される形となったが、その後も北部難民によって公国側も環境を逼迫されている。

国の立地によって、北部の難をロザリア公国が受け取ることとなったが、これは何処で起きても可笑しくはない出来事だ。
シドが身を置く灰の大陸にあるウォールード王国も、大陸南部側のマザークリスタルが消滅した時代から、常に戦乱が続いて来た。
今は不老の王によって灰の大陸は統治されている形ではあるが、それも南部が黒の一帯で覆われ、人が食うに食えなくなり、残った人口が北側に密集せざるを得なかったからだ。
ヴァリスゼアの三分の一にあたる灰の大陸全土を統治、とは言え、実体としては黒の一帯を放棄したに等しい。
そして残った北側をなんとか開墾し、残ったマザークリスタルの恩恵に縋って生き延びているのだ。

このままでは、遅かれ早かれ、ヴァリスゼアは命が生きていけない場所になる。
大陸を脱出し、外で生きるには、余りにもリスクが高い。
シドは何度か外大陸への出征を経験しているが、海を渡るだけで数ヵ月、それも安穏とした波の中を行く訳ではない。
訓練された兵士でも、時には海に落ちて死ぬこともある。
そして、外大陸に無事に到着しても、其処にはまた別の試練が待っている。
そもそも、マザークリスタルが齎し、クリスタルと言う奇跡の資源があることで生活を賄っているヴァリスゼアの人々にとって、その恩恵から脱して生きるということ自体が、不可能に近いものであった。

だから何とかしなければならない、とシドはこうして歩き回っている。
灰の大陸の半分を覆い尽くす黒の一帯そのものを研究し、枯れた土にもう一度命を芽吹かせることは出来ないか。
棄てた土地を今一度拓くことが出来なければ、この大地はゆっくりと死に向かうだけだ。

灰の大陸については、逐次に資料となるものを集めて、研究を続けている。
その傍ら、シドは風の大陸についても調べるべきだと思った。
各地の土の状態、茂る植物や動物の生態系を調査し、水源地を記録する。
黒の一帯については、それが何処から発生しているのか、発生源には何があるのか、他の土地に同様の条件が合致するような場所はないか───など、調査対象は多岐に渡る。
一人で調べるには余りに広大な事柄ばかりだが、シドは常に一人でこの研究を行っている。
途方もない話に他人を付き合わせる気にならなかった、と言うのもあるが、シド自身、こうした研究が果たして実になるものかと言う確信がないのも大きかった。
黒の一帯については、誰もが棄てるしかない土地だと認識しているし、実際、今までの研究成果から見ても、もう一度開墾が望めるような環境ではない。
せめて、クリスタルや魔法と言う恩恵を使わなくても生きていける環境づくりが可能になるまでは、何もかもが霞を掴むような曖昧な話でしかなかった。

今日も足が棒になるまで歩き回って、手に入れたのは、土と草と水。
それらを何処で採取したのか、地図にマークを記す作業をしていた所で、ふと奇妙な音を聞く。
鬱蒼とした森の向こうに響くそれは、金属音のようだった。


(……野盗の縄張り争いか?)


場所はロザリア公国の郊外にある森の中だ。
この森を北に抜ければロザリア城下町へと続く街道へと出る為、旅人を狙った賊が幾つか徒党を組んで縄張りを持っている。

シドは噛んでいた干し肉を口の中に押し込んで、小さな焚火に砂をかけて消した。
少ない手荷物を片手に掴み、音の出所を探る。
拠点とする為に周囲の安全確認は初日に済ませているが、野盗と言うのは幾らでも移動するし、獲物がなければ縄張り外にも出て来るものだ。
襲われるのも面倒だし、寝るのなら場所を変えた方が良い。

しかし、現場を離れる前に、音の出所について調べてみようと思った。
縄張り争いならば好きにさせれば良いが、ひょっとしたら商人か旅人か、襲われている可能性もある。
善行に勤しむような敬虔さは特段持ち合わせてはいなかったが、無視する気にもなれなかった。

時間は夜、空には満月に満たない程度に丸い月がある。
辺りの木々は鬱蒼と茂っているが、針葉樹の隙間から月明かりが落ちているお陰で、それ程視界は悪くない。
身を隠す程度の影を作ってくれる木々の隙間を伝って、シドは音の発信源へと辿り着いた。


(───やっぱりな。野盗か)


林立した木々の隙間から見えたのは、顔をフードやマスクで隠した三人の野盗だ。
それと相対しているのは、軽鎧をまとい、剣を握った細身の少年。


(……商人の子供、と言う訳でもなさそうだが……?)


少年は背後の襲撃を厭ってだろう、木に背中を預けるようにして剣を構えている。
三人の野盗はじりじりと距離を詰め、飛び掛かれる隙を探していた。

見る限り、少年の持ち物は、両手に握った剣のみ。
金目のものを持っているようには見えないが、軽鎧は遠目にも仕立ての良い代物だ。
身包みをはいで、適当な金物屋にでも売り飛ばせば、さぞかし良い値の鉄になるだろう。

ともあれ、状況としては、一人の少年が三人のごろつきに囲まれていると言うものだ。
シドはやれやれと言う表情を浮かべつつ、足元に落ちていた石を拾った。

少年の視線が、三人の野盗を見据えている。
しかし、視野と言うものには限界があるから、野盗は三方向にそれぞれ広く配置を取り、少年の死角を狙う作戦に出た。
正面左右にそれぞれ展開した野盗たちに、少年の眼球は大きく動かざるを得なくなり、見る方向の反対側が死角となってしまう。
当然、それを狙った一人の野盗が飛び掛かろうと地面を蹴った瞬間、シドは手のひらに構えていた石礫を、魔力を込めた指で弾き撃った。

薄く雷のエーテルを帯びた石礫が、少年にサーベルを振り被っていた男の後頭部にヒットする。
微弱な電流が後頭部から脳へと走り、う、と目を瞠った野盗を、少年の剣が薙ぎ払った。
少年は返す切っ先で、逆側から襲い掛かってきた野盗を打ち払う。
正面に立っていた野盗が、掌に魔力を集中させていることに気付いたのはシドだ。
足元に落ちていた小枝を蹴り上げて掴み、振り被り、一投。
矢のように空気を切り裂いた枝が、今正に圧縮した風を打ち出そうとしていた野盗の手に突き刺さった。


「ぐああああっ!」
「!」


悲鳴を上げた野盗の隙を、少年は逃さなかった。
細身の体には聊か重いであろう大剣を、両手で掴み、振り被る。
おうん、と風を割く低い音と共に、大剣の峰が野盗の横腹を強かに殴りつけた。

ぐえあ、と不格好な呻きを零しながら、野盗は横向きに吹き飛んで、木の幹に体を叩きつける。
そのまま崩れ落ちて動かなくなった野盗たちを、少年は息を詰まらせ、緊張した眼差しでじっと睨んでいた。

それから、数秒。
はっ、はっ、と切れる少年の呼吸が少しずつ落ち着いた後、彼はほうっと安堵の息を吐いた。
疲れ切った様子で膝が崩れかけるのを、少年は剣を地面に突き立てて支えている。
そして少年は、汗ばむ額を手甲で拭いながら、シドが身を隠している方を見た。


「……其処の───どこの誰かは、判らないが。助けてくれてありがとう」


其処に自分を助けた人間がいる、と少年は分かっていた。
ならば隠れていても意味はないな、とシドは腰の剣には手を置かないようにと意識して、木陰から出る。


「何、ちょっと余計なお節介をしただけだ。礼には及ばんよ」
「いや、あのままだと危なかった。貴方のお陰だ」


少年は剣を背中に納めながら、シドに改めて礼を言う。
その物の言い方を聞いて、随分と育ちが良いな、とシドは思う。

地面で微かに呻く声が漏れるのを聞いて、少年ははたと辺りを見回す。
転がる野盗たちを見た少年は、手持ちの少ない荷から縄や布を取り出して、気を失っている野盗たちを縛り始めた。
シドもそれに手を貸せば、少年はもう一度「ありがとう」と言った。

慣れた手付きで野盗に縄をかけ、それが解けないようにしっかりと結ぶシドに、少年が言った。


「随分と手際が良いな。見ない顔だが……何処かの警邏隊にでも所属しているのか?」
「いや、ただの流れ者だよ」
「……」


縛り縄の具合を確かめながら答えたシドに、少年は首を傾げた。
腑に落ちない様子ではあったが、助けられたと言う手前だろうか。
少年はそれ以上を問うことはしなかった。

そしてシドの方も、野盗に縄をかける傍ら、少年の井出達を確認して、彼の正体に気付いた。
分かってしまえば、彼の喋り方、立ち振る舞いに品と威があるのも理解できる。
となれば、自分は佇まいを正すべきなのだろうが、敢えて今は触れまいと、素知らぬ顔で流れ者らしく振舞う。


「今日はこの辺りで野宿かと思っていたんだが、野盗がいるような場所なら、辞めた方が良さそうだな」
「ああ。この野盗たちは、先達て討伐された一団の残党なんだ。報告によればこいつらが最後の筈だけど、念の為、此処は離れた方が良い」
「ふむ。忠告は有難いんだが、生憎とこの辺りの地理に疎くてな。何処まで行けば安全だ?」
「……そうだな……」


少年は手袋をはめた手を顎に当てて、考える仕草をしながら辺りを見回す。
木々に覆われた空を見上げ、覗く月の角度を確かめてから、おおよその時間帯と方角を計算して、


「北西の方に抜ければ、野原に出られる。街道沿いにも近いから、その辺りまで行けば、警邏の巡回もあるから野盗の類はまず出ない」


そう言って、少年はシドに行くべき方角を指差し示した。

森さえ抜ければ安全な筈だ、と言う少年に、シドは短い感謝を述べて、荷物を持ち直した。
この辺りの森のことは、出来ればもう少し調査に時間を割きたかったのだが、こうして人目に着いた以上、長居は出来ない。
この地については後日、また改めて足を運ばせるしかないだろう。
取り合えず採取は済んだ事だし、当面はそれを当てに研究していくことにしよう。

此方を見つめる青の瞳が、不審を見るものになる前に退散させて貰おう───と思った時だった。
つん、と鼻腔に触れた鉄錆に似た匂いに、シドは眉根を寄せて少年を見る。


「お前、何処か怪我でもしてるのか」
「!」


シドの言葉に、少年はぎくりとした様子で肩を揺らした。
やれやれ、とシドは溜息交じりに荷物を下ろす。


「ちょっと見せてみろ。切り傷に効く薬がある」
「い、いや。大したものじゃない。そんな───」
「まだ残党が他にもいるかも知れないだろう。そのままにしておくと、つけ込まれるかも知れないぞ」


諫める声で脅すように言ってやれば、少年はぐっと口を噤んだ。
ばつの悪い、叱られることに怯える子供のような光が、青の瞳の隅に浮かんでいた。

少年の右手が、隠すように左腕に触れる。
成程そこか、とシドは荷物袋の中から薬瓶を取り出すと、少年の前に立つ。
発展途上の身長は、シドの胸のあたりに頭の位置があって、丁寧に撫でつけられた髪が月光を反射して艶を浮かせていた。


「見せてみろ」
「……」
「別に毒を塗ろうって訳じゃない。何の薬か信用ならないって思うのも、分かるがな」
「そう言う、訳では……ない、けど……」


シドからすれば、何処の誰とも分からない人間が差し出す薬など、と疑う方が理にかなっているとは思う。
しかし、少年にとっては、曲りなりにも自分の危機を救った相手を疑うことも、ばつの悪さを誘うらしい。

少年はしばらく戸惑いに立ち尽くしていたが、シドに譲る気がないのも察したのだろう。
のろのろとした様子で、左手に嵌めていたグローブを外し、服の袖を捲った。
肘の手前から皮膚にはべったりと赤い絵の具が拡がっている。
傷を負ってから時間は経っているようだが、出血も止まり切ってはおらず、真新しい切り傷からはじわじわと赤い粒が浮き出ていた。

薬瓶の中身は、薬草を潰して練り込んだ軟膏だ。
傷のある場所に塗り広げてやれば、皮膚に沁みる感触に少年が眉根を寄せる。
唇を噛んで唸る声を殺しているうちに、シドは手早く薬を塗り終えた。
それから荷袋から適当に布を切り裂いて、包帯替わりに少年の腕に巻き付ける。


「こんな所か」
「……すまない。此処までして貰って……」
「こっちが勝手にしたことだ。そう気負った顔するようなことじゃない」


じんわりと赤い色を滲ませている布を見下ろして、詫びるように首を垂れる少年に、シドは肩を竦めた。
しかし、シドの言葉は少年の内側にはあまり響いていないらしい。
気まずい表情で腕を見つめる少年の頭を、シドは余計なお節介だったなと、今更と知りつつ苦笑する。

───と、遠くから人の声が聞こえてくる。
何かを探しているように大きなその声が、近付いて来るにつれて、人の名を呼んでいるのが分かった。


「あ───」


声のする方向を見た少年を見て、迎えだな、とシドは察する。


「それじゃ、俺はこの辺でお暇させて貰うとしよう」
「ちょっと待ってくれ。助けて貰ったのと、これと、礼がまだ……」


荷物を持ち直して踵を返したシドを、少年が引き留めようとする。
しかしシドは足を動かしながら、振り返らずにひらひらと手を振って、


「言っただろう、ただの勝手なお節介だ」
「しかし」
「どうしても礼をしてくれるなら、次に会った時で良い。何か頼み事ひとつでも聞いてくれれば十分だよ」


森の中へと姿を晦ますようにして潜って行くシドを、追う足はない。
程なく少年の迎えが合流することを思えば、彼がシドを追い駆けて来ることはないだろう。
捕縛した野盗のこともあるし、彼が忙しい立場であることは想像に易い。

気配が遠退いた所で、シドが振り返ってみると、茂る木々草の向こうに、思った通り、ロザリア公国軍の装備を身に付けた男たちが、少年を囲うように話していた。
既に少年の表情も見えない程に距離が開いているが、彼は野盗征伐の仕上げに取り掛かっているらしい。
シドもこうなったのならと、森の探索もすっぱり諦め、帰路へと向かうことにした。
今のうちに森を離れ、港のあるポートイゾルデ方面へと向かえば、城へと戻るであろう、彼と鉢合わせすることもあるまい。

手許の磁石で方角を確認しながら進む。
その傍ら、シドは透明な青の瞳が円らに見上げて来る様子を思い出していた。


「次に会った時────か」


人気のない林の中で一人呟いて、シドは苦く笑う。

シドの立場と、あの少年の立場。
それを理解した上で、再び邂逅することがあるとすれば、それは凡そ今夜のような穏やかなものにはならないだろう。
シドが籍を置くウォールードと、彼が身を置くロザリア公国は、直接の睨み合いこそないものの、手を取り合うには難が多い。
今後のヴァリスゼアの行先を思えば、不穏な時流の時こそが、再会の機となり得るだろう。

灰の大陸も、風の大陸も、マザークリスタルの恩恵を奪い合って戦乱が絶えない。
それを思えば、穏やかな再会など望むべくもないのだ。



密集していた木々が途切れ、視界が広がると、白い月明かりが野を照らしている。
今頃はあの少年も、この月の下を歩いているのだろう。
その道中がせめて無事に終われば良いと、シドは灯台の方へと歩きながら祈った。





『シドと15歳のクライヴ』のリクエストを頂きました。
ifでもパロでも良いとのことでしたので、ifです。若シドと15歳クライヴの偶然の出会いを考えるのが楽しかったです。

この頃だとシドは三十路の頃ですが、アルティマニアの年表を見ると、この時分にベネディクタを拾ってるみたいですね。人のことを放っておけない性分を発揮している。
クライヴはフェニックスの騎士になるべく修行中。実力と実戦経験を積む為に、兵士数名を伴って野盗の残党退治に出ていた、と言う感じでした。
この頃のクライヴは、魔物討伐等や、王族皇族列席の場には警備としてなら参加していそうだけど、あまり自国を出る機会はなさそうだなぁ……と思っている。想像ですが。

[16/シドクラ]それは当て所もなく大きな



剣先からまるで針の穴を通すようにして突き通された刃が、クライヴの剣を絡め取るように巻き上げる。
しまった、と思った瞬間に武器を手放すのが、恐らくベターな選択だった。
だがこうした場面でおいそれと無手になる訳もにかないと、柄を握る手に力を籠める。
それをにやりと笑う目に見られて、もう一度、しまった、と思った。
ぐんっと肩ごと捻るようにして、剣が大きく上を向き、そのまま手首も捩じられて、腕の健が耐えかねて武器が零れる。
くそ、と歯を噛んでせめてもの抵抗に左手に魔力を握るが、それがまともな形を取るより早く、相手の空の左手がクライヴの顔面に突き付けられた。

しん、と鎮まること数秒。
それで決着がついたことは十分に分かった。

完全に動きを止めたクライヴの目が、掌の向こうで笑う男を見る。
苦々しいものが口の中に籠るのを堪えられず、眦が尖るのが自分でも分かった。
それが悔しさを表すものだと、目の前の男に見通されるのは分かっていたが、さりとて隠した所でどうせこの男は全てを知っているのだろう。
そう言う、腹立たしい程の察しの良い観察眼を、この男───シドは持っているのだから。

噤んだ唇の中で歯を噛んでいるクライヴを見て、シドはくつりと笑った。
突きだしていた手を引っ込めて、右手に握っていた剣も鞘に納める。


「此処らで終いにしよう」
「……ああ」


溜息を抑えながら、クライヴは頷いた。

黒の一帯の只中にある隠れ家の中は、“空の文明”の遺跡を土台にして作られているから、スペースには限りがある。
しかし、かつての文明の繁栄ぶりを示すかのように、遺跡の中は存外の広い。
半分は土の中に埋まっているから、恐らくは全体のスペースではないのだろうが、それでも隠れ家に身を寄せる人々が、窮屈さを感じる程のことはない。
その多くは居住区として利用されているが、其処から少し離れた一画には、鍛錬用の場所も設けられていた。
印を焼いて外で活動可能となったベアラーたちが、野盗や魔物から身を守る為に、武器を使った鍛錬をする為に用意された場所だ。

その鍛錬上から出て来るシドとクライヴに、仲間たちから「お疲れ様」と声がかけられる。
水を差しだしてくれた女性から、シドは一杯受け取って、ぐいっと一気に飲み干した。
続けてクライヴにも差し出してくれたが、クライヴはどうにも受け取る気になれなくて、やんわりと辞退する。
欲しくなったら言ってね、と言ったその女性は、エントランスの入り口の方へと向かい、外回りから帰ってきた仲間たちに水の配給をし始めた。

エントランスを歩くシドの元に、子供たちが駆け寄って来る。


「シド、シド。ねえ、勉強で分からない所があるの。教えてくれる?」
「ああ。何処だ?見せてみろ」


早速屈んで子供たちと目線を合わせるシド。
使い古したと分かる本を開き、ここが分からないの、と指差す子供。
どれどれと覗き込むシドの丸めた背中を見ながら、クライヴはふう、と嘆息する。


(忙しない人だ。疲れていない訳じゃないと思うが)


子供の質問に応えてやるシドの周りには、他にも彼に用事のある人々がちらほらと集まっている。
子供が満足して、「ありがとう!」と駆け戻って行くと、直ぐに大人の相手を始めた。

鍛錬を終えて、一分と間のない内に、隠れ家の人々から頼りにされるシド。
彼はいつもこうした調子で、常に人に囲まれている。
彼自身は決して自分がこの隠れ家の長であるつもりはないと言うが、事実上の形として、この隠れ家を率いているのはシドだ。
誰もが彼を当てにして、精神的な支柱として頼りにしている。
シド自身も、自分のことを言うのはどうであれ、そうやって当てにしてくれる仲間に応えることは吝かではないようだった。

そんな訳だから、次から次へと、シドを頼る声は止まない。
外回りからの報告だったり、菜園の研究の進捗だったり、資材の在庫の塩梅だったり───とにかく、忙しない。
それを疲れた顔のひとつも見せずに応対しているのだから、クライヴは感心するばかりであった。

その上、彼は戦闘にも長ける。
つい先程、不意を衝く角度からの絡め手に、文字通り持って行かれてしまったことを思い出して、また苦いものが滲んだ。


(敵わない。年の功だとシドは言うが……それだけでこうも……)


聞けば───凡そだとは言われたが───シドとクライヴの間には、一回りほどの年齢差がある。
それだけ生きて来た長さが違えば、積んだ経験も差があるものだ。
況してやシドは、嘗てはウォールードで騎士長などと言う地位にいたと言うから、それもまた彼の豊富な経験値の裏付けになるだろう。
そしてそれらの経験があるから、隠れ家の人々も、彼を芯から頼る程の器を持っているのだ。

大してクライヴ自身はと言えば、故郷を失ったあの日から、ただただ戦場で生き延びることに尽くしてきた。
それは目的があり、その為には死ぬ暇などないと、救われた命を可惜に潰す訳にはいかなかったから、我武者羅に生を掴んできたに過ぎない。
常に生死の境に立っているような環境だったから、其処で十三年と言う短くない時間を生きて来れたことは、運もありながら、クライヴの実力が相応に成長したことも確かにあるだろう。
だが、ただ死ぬわけにいかないから生きて来た男と、志を持って過酷な環境に身を置きながら、人を導き生きて来た男とでは、やはり、培ってきたものが違うのだ。


(……悔しいな)


こんな気持ちは、今に始まったことではない。
シドに拾われる形で隠れ家に身を寄せた時から、折々に感じるものだ。
特に、シドと手合わせをして、しっかりやり込められる度に、その気持ちは膨らむ。

これは、ただの意地のようなものだ。
正面から戦うことになれば、恐らく、無為に負けはするまいとクライヴは思う。
それは単純に、年齢の差から現れる、純粋な身体能力───腕力や脚力、持久力、扱える魔法の一発に放てる威力───から測った場合だ。
シドの体を蝕む石化症状によって、彼の動きに少なくない制約が齎せる事も含めれば、クライヴの方に分があるとも言って良い。
しかし、それはシドも分かっていることだ。
そして戦場でわざわざ正面突撃ばかりを敢行する、馬鹿正直な戦い方で制することが出来る訳もなく、シドは幾らでも絡め手を使ってくる。
かと思えば、フェイントを警戒するクライヴの隙をついて、正面から大胆な戦略で押し込んでくる事もあるから、その判断の早さと、巡らせる計略の数は、底知れないものがあった。

培ってきた経験値、頭の中に詰め込まれた知識の量、其処から必要な情報を精査して選択する判断力。
何もかもがクライヴは敵わない。

───ふう、とクライヴは短く息を吐いて、詮無い思考を振り切るように、緩く頭を振った。




鍛錬で隙間の出来た胃袋を慰める為にラウンジに行くと、ケネスから「歓迎会をしよう」と提案された。
何のことかと目を丸くするクライヴに、シドから簡潔に説明が来る。

なんでも、隠れ家の一員として身を置く仲間が増えたら、なべて歓迎会なるものが催されるらしい。
とは言っても、然程特別なことを仰々しく行う訳ではなく、ケネスが少々手の込んだ料理を用意して、カローンに請うて少し良い酒を仕入れて貰う。
それらを主役となる当人は勿論のこと、出来るだけ多くの隠れ家の仲間たちに振る舞うことで、ちょっとしたパーティを開くのだとか。

物資の調達先が限られる生活だから、食糧も酒も貴重なものだ。
さりとてそれを勿体ぶるばかりと言うのもさもしい気持ちが募るもので、時には賑やかに豪勢に楽しみたい、と言う欲も浮かぶ。
そう言う時、仲間の歓迎会を開く、と言うのは、そう頻繁に出来るものではない事も含め、良い理由付けになっているのだとシドは笑う。

クライヴとジルが隠れ家の一員として身を置く事を選んだのは、フェニックスゲートへの旅路から戻ってのこと。
それ以前は、クライヴはこの隠れ家に馴染むつもりがなかったし、ジルは目覚めて間もなく、クライヴと共に旅立った。
先の頑ななクライヴの態度も含めて、歓迎会なんてものを開く空気でもなかったから、誰もそれを言わなかったのだ。
しかし、今となればそれももう気にしなくて良いだろう、と言うことになったのだろう。

クライヴにしろジルにしろ、歓待なんてものを受けることに、抵抗───と言うよりは気恥ずかしきもの───はあったが、これは仲間たちの厚意だ。
必要ない、と無碍にするのも悪い気がしたし、やる事と言えばラウンジでの飲み食いぐらいのことだから、普段の食事の延長とも言える。
何より、調理場担当のケネスがやる気満々で、もうカローンから諸々を仕入れたよ、とも言うものだから、歓迎会が開くのは決定事項のようなものだった。

かくして準備は着々と進んで、夕食の席が一時の宴会場となる。
外回りをしていた者たちも折よく帰ってきた所で、各自の仕事をしていた人々も手を止めて、ラウンジには普段よりもずっと多い人の気配が溢れていた。


「────新たな仲間に、乾杯!」


そんな声がグラスを打ちあう音と共に其処此処で上がる。
クライヴとジルも、ラウンジ一階の奥の席に座って、お互いのグラスをこつりと当てた。

わいわいと賑やかな声が重なる中、ガブが「よーし」と意気込んだ様子で言った。


「クライヴ、飲み比べしようぜ!」
「お、良いな。俺もやるぞ」
「俺も俺も」


ガブの一声を切っ掛けに、近いテーブルに座っていた酒豪たちが参加表明を上げる。
これはやらないと言っても聞いては貰えないだろうな、とクライヴは苦笑しつつ、「良いぞ」と言った。

クライヴの前に、たっぷりとワインの注がれたマグが運ばれてくる。
飲み比べに参加表明した面々の元にも、同じものが並べられた。
それを見ていたシドが、やれやれと言う様子で覗き込んでくる。


「なんだ、いつもの奴か?」
「ああ。そうだ、シド、あんたも飲めよ」
「やっても良いが、勝ったら何かご褒美でもあるか?」
「んん?うーん」


飲み比べに誘うガブに、シドがにやりと口角を上げて言った。
自ら提案する所からして、自信を匂わせるシドだが、ガブはその様子には気にも留めない様子で、顎髭に手を当てて考える仕草をする。


「そうだなぁ。優勝した奴が、皆からの奢りで、一番上等な一杯を飲む権利を持てる、とか。飯でも良いぞ」


隠れ家では、限られた食糧事情の中で、創意工夫を凝らして美味いものを提供しようと言うケネスの気概に支えられている。
野菜の皮から葉までくまなく、根も生薬として使うことは勿論、薬味としても役に立つから、何ひとつ無駄にはしない。
が、それはそれとして、一等質の良い肉が手に入った時には、それを豪快に食べさせてくれることもあった。
ただし、それはタイミングも量も限られるので、外回りを仕事にしている健啖家などは、時によっては見ることも出来ずに、食べる機会を逃がしてしまうことも珍しくない。
クライヴも、シドと同等に戦える程の実力を持つこと、当人も戦うことが自分の役割であると自負していることもあって、隠れ家の外で活動していることが多かった。
ケネス自慢の、腕によりをかけた手の込んだ料理と言うのは、中々お目にかかれる機会がないのである。

それを優先的にありつける機会が出来ると言うなら、誰も悪い気はしない。
ガブの提案に、それにしよう、と皆が頷いたので、これで優勝賞品は決まった。


「じゃあ皆、準備は良いか?行くぞ」


発案者のガブが音頭を取って、飲み比べ大会が始まる。
クライヴも合図に合わせてマグを運び、ごっ、ごっ、ごっ、と喉を鳴らした。
酒の楽しみに溺れた男たちが、こぞって酒豪ぶりを見せつけようと競争する様子を、ジルを始めとした女性陣たちは、「楽しそうねえ」とくすくすと笑いながら眺めている。

こうして賑々しい空気の中で、酒を傾ける楽しさと言うものを、クライヴは隠れ家に来て知った。
ザンブレク軍のベアラーとして生きていた時は、酒なんて上等なものにあり付ける訳もなかったし、稀にその運に恵まれたとて、楽しむ気など微塵も沸かなかった。
更に記憶を遡れば、こうした賑々しい酒宴の場と言うのは、少々苦手にも感じていたように思う。
それは自身の立場と言うものがあって、其処での立ち振る舞いは意識しなくてはならなかったから、こうも気安く酒を飲むことが出来なかったからだろう。
何もかもを持たなくなった今だから、こうして気楽に飲めると言うのは、皮肉のようにも思えるのも否めない。
が、それはクライヴの胸中にあるごく個人的な感情で、この場で表に出すものでもなかった。

カローンが歓迎会の為と聞いて仕入れてくれた酒は、それなりの度数もあるものだった。
無茶な飲み方をするんじゃないよ、と彼女は釘を差してくれたが、飲み比べとなればそんな事は忘れられてしまうもである。
ぐびぐび、ぐびぐびと景気良く盃を開けていく男たちに、ラウンジ二階からそれを見ていた女商人は、まあ分かりきっていた事だと呆れ気味に、自分もマグを傾けた。

そうして行く内に、許容量を超えた者から、一人、また一人と脱落者が出て来る。
ガブもそれなりに酒には慣れ親しんでおり、随分と粘ったが、しかし。


「大丈夫か?ガブ。随分顔が赤い……と言うか、少し青いぞ」
「うぐぅ……まだまだぁ……」


クライヴは、隣席で今にも潰れ落ちそうなガブに声をかけた。
口端から飲み込み切れずに滴る雫を手の甲で拭いながら、ガブは手元のマグの中身を煽る。
その向かいの席では、普段を思えば随分と赤ら顔になったシドが座っていた。


「無理はするなよ、ガブ。明日に響くぞ」
「んっぐ……まだまだ……今度こそ、シドに勝ってやる……!」


据わった目がシドを睨むように見る。
シドはくつくつと笑いながら、自分のマグを傾けた。
それを見て、クライヴもやれやれと息を吐き、


「シド、あんたも随分回ってるんじゃないのか」
「あ~……まあ、否定は出来ないな。だが、まだ落ちる程じゃないぞ」
「そうか……?」


確かにシドはガブよりも酩酊してはいない。
いないが、目は半開き気味に見えるし、首筋まで赤らんでいるように見える。
見た目で言えば、ガブにも負けず劣らず、十分酔いが回っている印象があった。

ラウンジのあちこちでは、限界を超えて寝潰れている男たちの姿がちらほらと増えている。
呆れ気味に傍観していた女性たちが、いそいそとブランケットなどを持ってきて、テーブルの上で放置される事になった食器を片付けていた。
こうなれば、このまま酒宴もお開きになるだろう。

どさ、と言う音が聞こえて、クライヴは隣を見た。
椅子に座っていた筈のガブが、床にひっくり返って大の字で寝ている。
遂に落ちたのだ。


「おい、ガブ。おい。……やれやれ」


声をかけても反応しない様子のガブに、クライヴは肩を竦めた。
そんなクライヴを、シドのヘーゼルがじぃっと見詰め、


「お前は随分、平気そうだな」
「ん?……ああ、そうだな」
「酔わない質か」
「さあ、どうだろう」
「ちゃんと飲んでたか?」
「不正をしたつもりはないぞ」


疑われる謂れはない、と睨むクライヴに、シドは本気に取るなよと苦笑する。
実際、クライヴのマグが毎回すっかり空になっていた事は、酒を運んでくれたモリーやオルタンスが証明してくれるだろう。

クライヴは、地面に転がったガブの体を起こして、よいせと背負った。
肩に乗ったガブの頭からは、ぐうぐうと寝息が聞こえている。


「もう起きてるのも俺とあんただけだ。歓迎会もこれで終わりでも良いよな」
「そうだな。ケネス、そろそろ終わりだ。飲み比べの優勝は……ま、クライヴだな」
「あいよ、覚えておく」


飲み比べの優勝賞品は、ケネスが作る数限定のスペシャル料理。
そう言う話だったので、優勝者の決定を伝えておけば、ケネスは片手を挙げて返事をした。

酒をそれ程飲んでいなかった女性たちが、食器類の片付けに勤しむ傍ら、クライヴは潰れている者たちに声をかける。
何人かは目を覚ましたので、自分の足で寝床へ戻るようにと促した。
動かない者は、ガブも含めて、ラウンジの隅にまとまって貰うことにする。
その内に起きて、酒が抜ければ、各々自分の寝床に戻るだろう───何人かはこのまま朝を迎えそうだが。

そしてラウンジが夜の静けさに包まれ、ケネスを始めとした厨房を預かる面々が、終わった終わったとようやくの夕食を始めた頃に、クライヴはシドに声をかけた。


「あんたも部屋に戻って寝ろよ」
「……そうだな。そうした方が良い」


促すクライヴに同意したシドだが、中々動く様子がない。
テーブルに乗せた頬杖に顎を置き、そのままゆっくりと寝に落ちそうなシドに、やれやれとクライヴは手を伸ばす。


「ほら、ちゃんと立ってくれ」
「なんだ、連れて行ってくれるのか。優しい奴だな」


片腕を引っ張り、肩を貸すクライヴに、シドはくつりと笑って、癖のある黒髪をぐしゃぐしゃを撫でる。


「っおい。やめろ、酔っ払い」
「可愛がってやってるんだ」
「そう言うのは必要ないから、歩いてくれ」


マイペースなシドの構い様に、クライヴは頭を振って拒否を示すが、相手は全く気にしない。
トルガルを褒める時のように、わしゃわしゃ、ぐしゃぐしゃと何度も頭を撫でるものだから、クライヴは歩き難くて仕方がなかった。

ラウンジから上へと向かう階段を上る間に、シドは調子はずれな鼻歌を歌い始める。
随分とご機嫌だ、とクライヴは思った。
何にしても飄々とした態度を崩さないことが多いが、こうも判りやすく浮かれているのは初めて見る。
それだけ、今日の酒が美味かった、と言うことなのだろうか。
実際、悪い味ではなかったな───とクライヴも思う。

シドの私室のドアを開けて、ベッドまで連れて行くかどうするか、とクライヴはしばし考えた。
結局、手近な所でソファへと座らせて、部屋の棚にある水瓶を取る。


「これだけ飲んで寝ろよ」
「どうも。お前も大概、世話焼きだな」
「……あんた程じゃない」


差し出した水をシドが受け取り、口元へ運ぶ。
その顔はまだ赤みが強く浮かんでいた。


(弱い、訳ではないと思うけど。そんな風に酔うこともあるんだな……)


出先で何度か、情報収集の為に立ち寄る酒場で、シドが酒を飲むのを見た事はある。
その時は一杯、多くて二杯で終えるから、飲めない訳ではないし、弱いこともないのだろう。
今日はクライヴを除けば最後まで飲んでいたから、強い方と言って良い。
ガブが提案した優勝賞品も、手に入れる自信はあったのではないか。

けれども結局、優勝したのはクライヴと言うことになった。
クライヴはその結果については、正直な所、然程興味を持ってはいないのだが、


(……俺の方が酒に強いのか)


昔から───少年の頃はまた違った気がするが───クライヴはあまり酩酊しない。
ベアラー兵として過ごしていた頃、稀に手に入った猿酒の類を、部隊で寝酒にする者はいた。
中には妙に人懐こい者もいて、クライヴにも酒を進めてきて、仕方なくそれを飲んだこともある。
その時、相手は早々に酔いを回して気を良くしていたが、クライヴは随分と冴え冴えとしたもので、その日の見張り番も恙なく熟している。

そんな事をぼんやりと思い出していると、


「クライヴ。ちょっと来い」


シドの呼ぶ声に、「なんだ?」と言えば、彼は無言で手招きする。
用事があるなら言えば良いものをと思いつつ、取り合えず応じて近付いて見ると、屈め、と言われた。
これもまた言われるままに応じると、ソファに座ったシドと目線が近くなる。
床にしゃがむ形になったクライヴの方が、気持ち程度、シドを見上げる位置になった。

と、ぬぅ、とシドの両手が伸びてきて、クライヴの頭を左右からわしっと掴む。
そのまま、またぐしゃぐしゃと両手で頭を掻き撫ぜられて、クライヴは眉根を寄せた。


「おい。だから辞めろと言ってるだろう、この酔っ払い」
「可愛がってやってるんだ、大人しく受け止めろ」
「この……」


まるでトルガルをあやすように、わしゃわしゃと妙に豪快に撫でまくられて、クライヴは顔を顰める。
やっぱり酔っ払いじゃないか、と上目に睨めば、随分と機嫌の良い眦が此方を見ていた。

───思えば、こうも機嫌の良いシドを見るのは、初めてのような気がする。
出逢ってしばらくは、どちらともに張りつめた所があったし、何よりクライヴはシドを信用していなかった。
シドの方も、目的のあるクライヴを有用に使って、彼は彼の目的があった。
あれから長くはないが、短くはない時間も経って、一緒に行動する事も増えたが、こうも屈託なく笑っているのは珍しい。
これもまた、アルコールの作用によるものだろうか。
そんな姿をクライヴに見せる程に、少しはこの男も、自分を信用か、或いは信頼してくれる位には、なれたのだろうか。


(……ああ、もう。これだから、本当に)


そう思うと、結局は酔っ払いの戯れだと、何処か諦めも混じって、クライヴは抵抗するのを辞めた。
そんなクライヴの様子がおかしかったのか、シドの喉がくつくつと笑う。

結局、シドが一頻り満足するまで、クライヴは彼のされるが儘に任せるのだった。





シドに敵わないことを、年季も含めて仕方ないとは思いつつも、やっぱり何処か悔しいクライヴとか。
28歳のクライヴは、成熟と未熟の中間にいると思っている私です。

何にしてもシドに敵わないと思っているクライヴだけど、酒の耐性についてはクライヴの方がありそう。
でもシドは自分の許容量を把握した上で、完全につぶれない所でセーブしそう。分別のつく内に、あとは飲むふりだけしてる感じかなあとか思ったりした。

[8親子]夏色シロップ

  • 2025/08/08 21:20
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



赤、黄、緑、青の甘い液体。
其処に並べて、白くとろりとしたコンデンスミルクのチューブ。
それらを綺麗に並べる姉の隣で、小さな子供がきらきらと目を輝かせている。
ペンギンを模した手回しのついた機械がキッチンの天板に置かれると、その瞳はより一層輝きを増した。

冷凍庫の製氷室が開けられて、二日前から入れていた、シリコン製の丸い製氷皿が取り出される。
水を零さない為の蓋を開ければ、透明な氷がぴったりと詰まっていた。
直径8㎝になるかならないか、高さは5㎝程で、普通は中々使い所のないサイズの氷だ。
しかし、これは今日この日の為に用意されたもの。

ラグナはシリコンの皮を捲るようにして、氷を取り出した。


「よーし。かき氷作るぞー!」
「つくるぞー!」
「わぁーい!」


腕を振り上げて号令のように宣言するラグナに、エルオーネが続き、スコールが喜びの声を上げた。
両手を上げてきゃらきゃらと嬉しそうに笑う妹弟に、レオンとレインがくすりと笑う。

ラグナがかき氷機の蓋を開けて、氷を其処に納めた。
大きな氷だが、削り機の氷入れにはぴったりのサイズになっている。
蓋を元に戻し、其処についている手回しの取っ手を数回回すと、ぐっと固い物に当たる感触が返ってきた。
これで良し、とラグナは透明なガラス皿を下に置き、


「回すぞ~」
「待って。見たい見たい」
「ぼくも!」


早速氷を削り始めたラグナの下へ、キッチン台の向こう側にいた子供たちが駆けて来る。
あの大きな塊の氷が、どうやって、どんな風に出て来るのか、近くで見たいのだ。

エルオーネとスコールは、ラグナを挟んでキッチンに取りつき、丸々とした瞳でかき氷機を見詰める。
期待に満ちた視線をひしひしと感じながら、ラグナは改めて手回しのハンドルを握った。
硬くて強いものに刃が引っ掛かる反動を感じながら、ぐっと手首に力を込めて、ハンドルを動かしていく。

ガリ、ガリ、ガリ、と氷の削れる音が鳴ること、数回。
わくわくと見つめる子供たちの前で、きらりと光るものが削氷機の下から零れ始めた。


「出て来た!」
「きたぁ!」


興奮した様子の姉の声に、大人しい弟もまた声が弾む。
ガリガリ、ガリガリと氷は更に削れて行き、きらきらとした氷片が皿の上に落ちて行く。

クーラーが効いた室内とは言え、やはり氷にとっては形状を保っていられない温度である。
ガラス皿に落ちた最初の氷片は、常温の中ですぐに溶け始めてしまう。
その上にまた氷が落ち、更に氷が落ち、重なって行く様子を、子供たちは感嘆の眼差しで見つめている。
いつしかそれは容器の上に小さな山を作る程になり、天井の照明の光を反射させ、きらきらと輝いていた。

待ちきれない様子の子供たちに、まずはこの位で、とラグナは小山になった氷の山を二人に見せる。


「どうだぁ。かき氷だぞ!」
「かき氷だ!」
「かき氷ー!」


削氷機の下から出して見れば、それはより一層眩く光る。
それを見たエルオーネとスコールは、ぴょんぴょんと跳ねながら喜んだ。


ラグナは氷の乗った皿をエルオーネに持たせる。


「冷たい!」
「あっちで先に皆で食べてな」
「うん。行こ、スコール」
「うん!お兄ちゃんにも見せてあげなきゃ」


姉に促されて、スコールはとてとてとダイニングにいる兄の下へ。
エルオーネは手にした冷たいガラス皿を落とさないよう、慎重にその後を追った。

ダイニングでは、レオンとレインの手で、今日のおやつタイムの準備が整えられている。
食事の時にはいつも使っているランチョンマットがそれぞれの席に据えられ、氷を食べた子供たちが過度に冷えてしまわないよう、温かいお茶も飲めるようにポットの湯を沸かした。
そして先に冷蔵庫から出していた、かき氷の代表的なフレーバーシロップも、さっきエルオーネが並べた通りに置いてある。

スコールは兄の下へ駆け寄って、氷の耀きに負けず劣らずきらきらと光る眼でレオンを見上げた。


「お兄ちゃん、かき氷!」
「ああ。ほら、最初の味はどれにする?」
「私、いちごが良い!」


レオンの問いに、エルオーネがかき氷をテーブルに置きながら言った。
それをレインが指折りに数え、


「いちごが一票。スコールとレオンは?」
「俺はなんでも。二人が食べたいやつで良いよ」
「ぼくもいちごがいい」
「じゃあいちごね」


希望が採用されて、エルオーネとスコールは手を合わせて喜んだ。

レインがフレーバーシロップの蓋を開け、氷片の小山にトクトクとかけて行く。
真っ白だった氷の山が、鮮やかな色に染められていくのを、二対の丸い瞳が夢中になって見詰めている。
二人はそわそわと落ち着きなく、レオンがさり気無く椅子に座るようにと促してやれば、いそいそと定位置に収まった。

シロップをかけられた氷の小山は、頂点が少し落ち窪んでいる。
其処を通り抜けていった蜜が、ガラス皿の底にも色を作っていた。


「こんなものかしらね。はい、どうぞ」
「やったぁ!」


レインは、二人並んで座ったエルオーネとスコールの真ん中に、かき氷を置いた。
二人は手を合わせて喜び、それぞれのお気に入り専用のデザートスプーンを握って、早速一口。

あーん、と大きく開けた口で、ぱくりと氷を食べてみれば、つんと冷たい感触と甘い味が幼い口いっぱいに広がった。


「つめたぁい!」
「ひゃ~ってする!」


小さな小さな氷片は、子供たちの温度の高い舌の上で、あっと言う間に溶けていく。
シロップの甘い味が水気と混じって咥内に染みて行き、二人はふくふくと丸い頬を興奮に赤らませながら、冷たい氷菓の味を楽しんだ。

キッチンでは、まだガリガリと氷を削る音が続いている。
レオンが其方を覗いてみると、父が一所懸命に削った氷が皿の上でこんもりと山を作っていた。
先に子供たちに持って行かせたかき氷よりも、二回りは山のサイズが違う。

氷を手回し機で削ると言うのは、中々に重労働なものである。
額に薄らと汗を掻いているラグナを見て、レオンは言った。


「父さん、替わろうか」
「うん?いやいや、だいじょーぶだいじょーぶ。お前もほら、楽しみな」


レオンの申し出に、ラグナはにっかりと笑って言った。
キッチンの天板に置いていた山盛りのかき氷をレオンに差し出し、先に食べてな、と言う。
譲ってはくれなさそうな父の様子に、レオンは眉尻を下げつつ、厚意に甘えてかき氷を受け取った。

テーブルに座ったレオンの前に、レインがフレーバーを並べて見せる。


「レオンはどれ?」
「えーと……じゃあ、ソーダで。自分でかけるよ」
「そうね。はい、どうぞ」


母が取ったシロップを受け取って、レオンは蓋を開けた。
氷の山を外周から回るように、くるりくるりと回し掛けすれば、かき氷は綺麗な薄青色のグラデーションに彩られた。


「お兄ちゃん、青だ」
「ソーダ味!」


兄が選んだフレーバーの味に、良いなあ、と二対の瞳が羨ましそうに見つめる。
そんな二人の手元のかき氷は、元々少な目に盛ったのもあって、すっかり空になっていた。

レインはシロップの水溜まりが薄らと残ったばかりのガラス皿を回収しつつ、


「二人はまだ食べる?」
「食べる!」
「あっ、ぼく、かき氷作るのやりたい!」


かき氷の甘い心地良さが気に入ったエルオーネ。
対してスコールは、今日を待ち遠しくさせていた、もう一つの楽しみを思い出して、椅子を下りた。

とたとたとキッチンに駆けていったスコールは、三つ目のかき氷を作っている父の下へ。
ラグナは、削る氷が大分小さくなっているのを確認している所だった。
新しい氷を出そうかな、と削氷機から手を離した所で、腰にくっつくようにして息子が抱き着く。


「お父さん、お父さん」
「お。どした、スコール」
「ぼくもかき氷作りたい!」
「おっと。そうだったな。ちょっとまってな、新しい氷出すから。そうだ、このかき氷、お姉ちゃんに持って行ってやってくれよ」


ラグナはキッチンに置いていた山盛りのかき氷をスコールに渡した。
沢山の氷片で冷やされたガラス皿に触れて、スコールは「つめたぁい!」とはしゃぐように笑う。
落とさないようにな、と念を押されたスコールは、しっかりと頷いて、そろそろとした足取りでかき氷を運んで行った。

ラグナは製氷室を開けて、シリコントレーに入った氷をもう一つ取り出す。
削氷機の中に入っていた氷と入れ替えて、蓋をしっかりとセットし直し、手回しを数回回して氷を固定。
下準備を終えた所で、運搬係を終えた末っ子が戻ってきた。

まだ小さなスコールがキッチンで何かをする時の為に、パントリーの隅に置いていた折り畳みの踏み台を用意する。
それに上ったスコールは、丁度目の前に鎮座するペンギンの顔を見て、わくわくとした表情を浮かべた。
父がやっていたように、蓋の上についているハンドルをぎゅっと握り、


「んん……!」
「氷って固いからな。しっかり力入れるんだぞ」
「うん……!」


スコールは頬を膨らませながら目いっぱいに力んで、ハンドルを回そうと試みた。
入れ替えたばかりの氷は冷たく、固く、幼い力に試練を課すかのように、びくともしない。
んんん、と唸りながらなんとかハンドルを回そうとするスコールを、兄と姉がテーブルの方から首を伸ばして覗いていた。

まだまだ幼いスコールだから、力の入れ方だとか、手首や腕の使い方なんてものは、理屈では判らない。
とにかく出来る限りに全身に力を入れて、ハンドルを持つ手を動かそうとしている。
そんなスコールのハンドルを握る手許に、父の手が添えられて、


「よい……せっ!」
「んぅ!」


父の力添えを受けて、ぐっ、とハンドルが少し動く。
ガリッ、と言う音が聞こえて、スコールはもっと、と頑張った。

ラグナはかき氷機が余分な力で動かないように押さえつつ、スコールの手助けをする。
ガリ、ガリ、ガリ、と段階的な音を立てて、ハンドルが回り、氷が削れる。
やがて常温の中で溶けた氷は、納めた容器の中で薄らと水膜に乗って、滑りやすくなった。
一度スムーズに回り始めると、あとはガリガリ、ガリガリと不規則ながら回り始める。


「んしょ、んしょ、んっしょ……!」
「出て来た、出て来た。良いぞぉ、スコール」


父に励まされながら、スコールは氷を削って行く。
削氷機の下から零れ出してきた氷片が、設置したガラス皿の上にぱらぱらと落ちて行き、しばらくすると小山を作る程の量になった。
その頃には氷も随分と削り易くなり、ハンドルを回す度に、山が大きくなって行く。

父子で二人で作ったかき氷が、綺麗な山を形成するまでに至って、スコールはやっとハンドルから手を離した。


「はふ、はふ……ふあぁ。かき氷作るのって、大変なんだね」
「はは、そうだな。スコールはよく頑張ったな」


全身に力を入れて踏ん張っていたスコール。
力んだ名残に赤らめた頬をつんつんとつつきながら、ラグナはその努力を褒め称えた。

ラグナは氷の山の形を軽く整えて、冷たいガラス皿をスコールに渡す。


「ほら、向こうで食べな。スコールが自分で作ったかき氷だ!」


少し疲れた様子のスコールだったが、自分で作ったかき氷を目にすると、またその瞳が輝く。
それは他のかき氷と、氷こそ新しく取り出しはしたものの、成分に違う所がある訳でもない。
けれど、自分で削り出した、自分が作ったかき氷だと思うと、誇らしいものに思えたのだった。

スコールはかき氷を受け取って、とたとたとダイニングへ。
いつもの席にかき氷を置いて椅子に座ると、母が「どれにする?」とシロップを見せた。


「んと、うんと……いちご、レモン、いちご、むぅ」
「二つでもいいよ、スコール。ほら、私も二つかけたの!」


そう言ったエルオーネのかき氷を見ると、黄色と緑色が半分ずつかかっている。
レモンとメロンを選び切れなかったエルオーネは、レインに頼んで両方とも味わうことにしたのだ。
それを見たスコールの目が、そんなことも出来るんだ、と驚きに見開いた。

期待に満ちた目が、早速母を見ておねだりする。


「お母さん、お母さん。んっとね、ぼくね、いちごとレモンが良い」
「仕方ないわねぇ」
「あと、あとね。ミルクもかけたい」


冷たいかき氷に、甘いコンデンスミルクをたっぷりかける。
それはスコールが夏祭の屋台でかき氷を食べる時の、最高の組み合わせだった。

赤と黄のシロップが、代わる代わるにかけられて、右と左で半分ずつ。
綺麗なコントラストを作り出したその上に、レインはコンデンスミルクをかけてくれた。
とろんとした乳白色の液体が、くるくると山の外周を巡るように降り注いで、氷片の上をゆっくりと伝い落ちて行く。
その姿を目にしたスコールは、まろい頬をぱぁっと明るく火照らせた。


「いただきます!」
「はい、どうぞ。レオンとエルは、ミルクは良いの?」
「俺は大丈夫」
「私はかける!」


最近、甘いものがそれほど得意でなくなってきたレオンに比べると、エルオーネはまだまだ甘味に目がない。
ちょうだい、と手を挙げてミルクをねだるエルオーネに、レインは末子にしたように、半分に減ったかき氷にミルクをくるくると回しかけてやった。

冷たく甘い夏の氷菓を満喫する子供たち。
それを見詰めて柔く目を細めていたレインの下へも、かき氷はやってきた。


「ほら、レインの分」
「ありがとう」


ラグナが差し出したかき氷を受け取って、レインはレモンシロップを手に取った。

そしてラグナも、空いている席に座って、自分のかき氷にソーダのシロップをかける。
家族全員分のかき氷を作った父を、レオンが労う。


「父さん、疲れただろ。お茶は俺が淹れるよ」
「おう、サンキュな」


レオンのかき氷は、もう殆ど氷が解けて、シロップばかりが残っていた。
皿の底に残っているそれを、レオンは口元に持って行って飲み干す。
空になった皿を持ってキッチンに向かう兄を、スコールがあっと呼び止めた。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「ん?」
「ぼくが作ったかき氷、ちょっとだけあげる。はい、あーん」


そう言ってスコールは、かき氷からスプーン一口分を取って、兄へと差し出した。
氷は赤と黄が半分に混じり、コンデンスミルクもかかっていて、一番贅沢な部分だ。
それをあげる、と言ってくれる弟に、レオンは笑みを零して口元を寄せた。


「あーん」
「えへへ。美味しい」
「ああ。冷たくて美味しいよ」


頭を撫でてくれる兄に、スコールは誇らしげに笑う。
それを見たエルオーネが、良いなあ、と言ったのがスコールの耳に届き、


「お姉ちゃんにもあげる。あーん」
「あーん。ふふっ、美味しい。スコールにも私のかき氷あげるね」


あーん、とエルオーネが差し出したスプーンに、スコールはぱくんと喰いついた。
雛鳥のように嬉しそうに氷を食む弟に、エルオーネも満足げな表情を浮かべる。

子供たちが食べるかき氷は、時間と共に溶けて行き、最後には冷えたシロップが残る。
ふたつの味をかけたエルオーネとスコールのシロップは、それぞれの色が交じり合った色になっていた。
更にミルクもかけたので、これも溶け込んだシロップは甘くて子供たちに多幸感を誘う。
二人は最後の一滴までしっかり飲み干して、今日のおやつの時間を満喫した。

そして最後に、レオンがポットの湯で淹れてくれたお茶が振る舞われる。


「スコール、エル。冷たいものを食べたから、今度は温かくしよう」
「はぁい」
「お腹の中、ちょっとひんやりしてる」
「うん。そのままにしてると後でお腹を壊すかも知れないからな」


釘を差す兄の言葉に頷いて、二人はマグカップに入ったお茶を飲む。
舌で感じる温度差に、ふぅふぅと息をかけて冷ましながら、冷えた身体を温め直した。

ラグナは早々にかき氷を食べ終えて、余ったシロップに手を伸ばす。
まだまだ半分以上残っているそれを眺め、


「かき氷はまた作っても良いけど、これ、使い切れないよなぁ」
「炭酸で割るとか、アイスにかけるとか。かき氷じゃなくても使い道はあるから、なんとかなると思うわ」


決して高い代物でもないが、余って捨てるのも勿体ない。
なんとかこの夏の間に出来るだけ消費して見よう、と言うレインに、エルオーネが反応した。


「シロップ、アイスにかけて良いの?」
「そうね。アイスを作る時に混ぜても良いだろうし……」
「お母さんのアイス、ぼく、好き」
「私も!」


末っ子と娘のきらきらとした期待の眼差しに、しょうがないなあ、とレインは眉尻を下げて笑うのだった。




皆で一緒にかき氷パーティ。
家で作って食べると、なんとなく夏祭り等で食べる時とは違う特別感がありますね。
手回しのかき氷機って中々難しい(氷の形状にもよるかも知れない)記憶があるのですが、スムーズに回ってくれれば結構楽しかった気がする。

かき氷シロップって、一番小さいサイズのボトルでも大概余ってしまうものですね。何度もやるには、意外とかき氷って根気とエネルギーがいるものだと思う。主には大人のエネルギーが。

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