[8親子]いねむりヒツジと夏の午後
自分の部屋で勉強をした方が静かで集中できる、と言うのは確かにあるのだが、とは言えこの家で全くの静寂が訪れると言うのは少ない。
扉の向こうで幼い弟が呼んでいたり、妹に呼ばれたり、父母がいれば何か手伝いを頼まれたり。
父母はレオンが勉強していれば邪魔をしないようにと気を遣ってくれるが、妹弟の方はまだまだそうはいかない。
最近、妹の方が気を利かせてか、お姉さんらしくするチャンスと思ってか、レオンが勉強している時は「レオンのジャマしちゃダメだよ」とスコールを連れて行く事もあるが、毎回それが上手く行く訳でもなかった。
弟も案外と空気を読めるので、落ち着いている時にはバイバイと手を振って姉と一緒に行ってくれるが、ワガママスイッチが入ると難しい。
そして何より、レオンの方が妹弟達を放って置く事が出来ないのだ。
姿が見えないとそれはそれで気になって、集中できるようで全く出来ない。
それなら、彼等の様子が確認できる場所でノートを開いた方が良い、と至るまでそれ程時間はかからなかった。
この為、レオンは夜───つまりは妹弟が眠ってから───以外はリビングで過ごす事が多い。
ソファの前のローテーブルにノートと教科書を開き、直ぐ近くで遊ぶ妹弟の声を聴きながら、時々二人をちらちらと見ながら宿題を熟す。
偶にかかる呼ぶ声には、顔を上げてひらひらと手を振ってやると、それで弟達は満足してくれる。
泣きじゃくる声でもしなければ、傍にいて、危ない事をしていないか確認するだけで十分なのだから非常に助かっていた。
良い子で過ごしてくれる妹弟には、日々感謝しかない。
子供の声と言うのは得てして甲高いもので、それを苦手に思う人も少なくないらしい。
確かに、癇癪を起こしたエルオーネの大声や、悪いスイッチが入ってしまったスコールの泣き声は中々耳に響くものがある。
それをダブルで貰う羽目になった時には、流石にレオンも泣きたくなるが、そう言う時には母か父が来てくれる。
その後はレオンも少し休憩時間を貰って、一人きりの部屋で休んで、そろそろ落ち着いたかなと言う頃に妹弟の下へ戻っていた。
それ位に、レオンにとって、スコールとエルオーネの声と言うのは耳に馴染んでいる。
いや、体に馴染んでいる、と言っても良いかも知れない。
学校に行っている時以外は、ずっと生活の中にある音だから、意識するしないに関わらず、その声を聴いているのが普通だったからだ。
その声がいつの間にか静かになっている事に気付いて、おや、と顔を上げる。
もう少しで宿題が終わりそうだと集中していた節の事だ。
テーブル横に広げている、子供たちの遊び場として定着したカーペットを見れば、其処に二人の子供が丸くなって転がっていた。
「スコール?エル?」
声をかけてみるが、二人からの反応はない。
ただ、すぅ、すぅ、と規則正しくその小さな肩が上下しているのみ。
最後の課題を終えた問題集を閉じて、レオンは四つ這いで二人の下へ向かった。
向き合う格好で丸くなっている二人の顔をそっと覗き込んでみると、可愛らしい寝顔がある。
親指を吸いながら寝ているスコールと、寝かしつけていたのだろう、左手をスコールの肩に乗せたまますやすやと眠るエルオーネに、レオンの頬が緩んだ。
(起こしちゃ悪いな)
レオンはエルオーネの目元にかかる前髪をそっと避けた。
しかし前髪は空調の風を受けて、またエルオーネの目元に被ってしまう。
そう言えばここは良く当たる、とレオンは天井の隅に設置された空調機を見上げた。
外はうだる暑さの中、この空調のお陰で家の中は頗る快適だが、二人が寝ているこの場所にはその風が直接届くのだ。
レオンは立ち上がると、足音を立てないように、且つ速足でリビングを出た。
自分の部屋に入り、抜け殻の後を残したベッドから、薄手のタオルケットを持ち出す。
リビングに戻るとそれを広げ、眠る二人の体にかけてやった。
(よし)
これなら空調の風が彼等の体を悪戯に冷やす事はないだろう。
ついでにレオンは空調のリモコンも操作して、風向きも調整して置いた。
レオンはスコールとエルオーネの隣に座って、ぐぐ、と伸びをした。
ふう、と息を吐いて天井を仰ぎながら、随分と静かだな、と思う。
母レインは買い物に、父ラグナは近所付合いの食事会に呼ばれて、まだ帰って来ていない。
ラグナはいつ帰るか判らないが、レインは買い物に行った時間から計算して、恐らくもう直ぐ帰って来るだろうとは思うが、今の所は玄関の音も聞こえない。
土日になるからと宿題はいつもより多く出されていたのだが、思いの外早く終わった。
空いた時間をどう過ごそうか、と考えるレオンだが、あまり浮かばない。
こう言う時には、スコールやエルオーネが遊んで構ってと来てくれたから、それの相手をするのが常だった。
しかし今日は二人がよく眠っているので、それもない。
(うーん……)
手持無沙汰な気分で寝返りを打つ。
と、エルオーネがもそもそと身動ぎして、ぱたんと仰向けに転がった。
レオンは二人の周りをぐるぐると回って、それぞれの顔が見える位置を探した。
仰向けになったエルオーネの少し上、斜めの当たりなら、スコールの顔も確認できる。
レオンは其処に横になって、腕を枕に妹弟の寝顔を眺める。
(偶にはこう言うのも良いな)
元気に遊ぶ二人の相手をするのは厭ではない。
けれど、こうして心地良さそうに眠る二人を眺めているのも、レオンは好きなのだ。
勉強も終わった事だし、今日はこのまま、彼らが起きるまで休むとしよう。
そう決めてからしばらく妹弟を眺めていたレオンが、いつの間にか眠ってしまうまで、時間はかからなかった。
近所住まいの人々に声を掛けられ、食事会に誘われるようになってから随分経つ。
ラグナは持ち前の明るさと人懐こさで、参加するようになってから間もなく溶け込んだ。
利発な長男、元気な長女、内気な末っ子の事もよく知られており、妻も買い物中に出逢うといつも挨拶してくれると皆が好かれていた。
その話を人々から聞く事が出来るから、ラグナは食事会に誘われるのは嫌いではない。
しかし食事会が終われば、ラグナは案外と直ぐに帰ってしまう。
時間のある人は、二次会を計画していたりもするそうだが、ラグナは其方はあまり参加しなかった。
長男がしっかり者であるとは言ってもまだまだ子供であるし、長女と末っ子は遊び盛りの甘えたい盛り。
妻だけに面倒を任せるのも心苦しかったし、何よりラグナが休日は家族の顔を見て過ごしたかった。
近所付合いも大事だとは判っているが、やはりラグナにとって優先すべきは家族なのだ。
午後三時を回る頃に、ラグナは家に到着した。
ただいま、といつものように声をかけながら玄関を潜るが、思っていた返事はなく、静寂があるばかり。
誰もいないのかと首を傾げたラグナだったが、足元を見ればきちんと人数分の靴が揃っている。
おや、と思いつつ玄関を上がり、誰かいるものと思ってリビングダイニングの扉を開けると、
「おっ、レイン。ただいま……」
「しーっ……」
ダイニングのテーブルに着いている妻の姿に目を輝かせたラグナであったが、レインはそんなラグナを人差し指を立てて諫めた。
その仕種の意味する所にラグナが口を噤むと、あっち、とレインがその指でテレビのある方向を指差す。
家族の憩いの場となっている其方を見ると、カーペットの上に寝転んでいる子供達の姿があった。
「寝てるのか?」
「皆でね。だから、静かに」
成程、とラグナも納得した。
上着を脱いで椅子の背凭れにかけ、音を立てないようにそっと椅子を引く。
レインと向き合う位置に座れば、レインは改めて小さな声で「お帰り」と言った。
「食事会、どうだった?」
潜めたままの声で訊ねるレインに、うん、とラグナは頷いて、
「楽しかったぜ。シドさんが来ててさ、あっちにもスコールと同じ位の子がいるだろ?サイファー君だっけ」
「うん、スコールと同じ幼稚園の子」
「なんか、よくスコールを泣かせちゃう事で謝られちまって」
「ああ、それ、私もイデアさんから言われたわ。でもほら、一番スコールと遊んでくれるのもサイファー君でしょ?」
「らしいなあ。ケンカもするのに、一番遊び相手に選んでるんだよな。サイファー君もスコールが転んだりすると真っ先に来てくれるみたいだし」
「不思議よね。その前に、スコールがケンカをするって言うのがびっくりだったけど。お互いケガさせたりしてないなら、良いわよ、それで」
小声で交わされる会話の間、レインの視線は何度も子供たちへと向けられていた。
ラグナもそれは同じで、一つ会話を交わす事に、ちらりと瞳が同じ方向へと向けられる。
子供三人、うち二人はまだまだ幼い年齢であるから、我が家はいつでも賑やかだ。
そんな子供たちよりもよく喋るラグナが帰ってくれば尚更で、休日だと言うのにこんなにも静かな一時は珍しい。
しかし、ラグナはこの緩やかな時間に、仄かな幸せを感じていた。
「よく寝てるなぁ」
三人揃ってすやすやと眠る子供達を見て、ラグナはそう呟いた。
レインも、「そうね」と頷いて、そっと席を立つ。
「コーヒーを淹れるけど、飲む?」
「うん」
レインの提案にラグナは頷いた。
カチャ、カチャ、と食器を運ぶ細やかな音すら、ラグナは愛おしい。
キッチンでいつものようにコーヒーを挽く妻を見詰めながら、そう言えばこんな風に彼女の姿だけを眺めるのも久しぶりだと気付く。
我が家は皆が母の事が好きだから、何かあるとお母さんに報告しなきゃと走って行く。
特に甘えん坊のスコールは、レインに抱っこをねだる事も多く、必然的にラグナが妻を独占できる時間と言うのも減っていた。
それは仕方のない事で、皆が母の事を大好きと言って憚らないのも良い事だと思っている。
けれども、ふとした時間にこうして妻の姿だけを眺めていられると言うのは、嬉しいものであった。
ラグナは音を立てないように席を離れると、眠る子供達へ近付いた。
腕枕で妹弟を見守るように寝ているレオンと、大の字になっているエルオーネ、指を吸って丸くなっているスコール。
三人それぞれの寝姿に、性格が出るもんだなあ、と思う。
「んんー……」
「んにゅぅ……」
「……ん……」
エルオーネが半身に寝返りをして、スコールがもぞもぞと身動ぎする。
レオンも小さく体を捩って、腕枕に曲げていた腕が伸びた。
肩の高さの分だけ中途半端に頭が落ちたレオンの首が辛そうで、ラグナはソファのクッションを一つ掴む。
気配に敏感な長男が起きないように、そうっとその頭の下にクッションを挟んだ。
ついでに、とエルオーネとスコールにも、枕代わりにクッションを挟んでおく。
これでよし、とラグナが納得した所で、レインが小さな声で夫を呼んだ。
テーブルに戻れば、二人分のコーヒーが置かれている。
「起こさなかった?」
「セーフ」
三人とも寝心地の良い体勢を探して動きはしたものの、瞼は開かなかった。
余程気持ちの良い夢を見ているのだろう、皆どこか楽しそうな寝顔だ。
ラグナは席に戻って、コーヒーを口に運んだ。
淹れ立ての香ばしい匂いが鼻孔を擽り、ほう、と安堵に似た吐息が漏れる。
レインは温かなカップを両手で包むように持ち、香りを楽しむように目を閉じていた。
「……偶には良いわね。こんな日も」
零れるように呟いたレインの言葉に、ラグナもくすりと笑みが漏れる。
全く同じ事を考えていたと言えば、妻もまた笑う。
何でもない穏やかな光景が、一番の幸福の証なのだろうと、ラグナは思った。
子供たちのお昼寝。
それを見守るパパとママでした。
一番最初に起きるのは、レオンかスコール。
スコールが起きると、気配を感じたかのように、連鎖でレオンとエルオーネも起きるんだと思います。