[ラグスコ]影二つ、指一つ
目覚めたばかりの意識が鬱々とした感覚を訴えているのは、スコールにとって珍しい事ではない。
元々、どちらかと言えば寝覚めは悪い方で、可能ならいつまでも惰眠を貪っていたいと思う位に、スコールは怠惰な性格だと自負している。
だが、記憶が霞む程の幼い頃から傭兵として教育されているから、それを強制的に切り替えるスイッチと言うのも持っていた。
任務中であれば否応なくそれはオンの状態になり、目覚めと同時に行動する事が出来る。
そうでなくては、傭兵など務まらない。
だが、エスタにいる間は、どうしてもそのスイッチが切れたままになる朝がある。
ラグナと褥と共にした日だ。
その腕に抱かれ、熱を溶かし合い、彼が吐き出したものを受け止めて、泥に落ちるように意識を飛ばす。
そうして夜を過ごした後は、躰が記憶している重みや違和感も相俟って、どうしても活動が億劫になるものだった。
しかし、だからと言っていつまでもベッドの住人でいる訳にはいかない。
スコールがエスタに来るのは、大統領護衛の依頼を請けての事だからだ。
例えラグナと体の関係を持っていても、其処には確かに情があっての事であっても、スコールが終日仕事中である事は変わらない。
故にスコールは、どんなに体が怠くても、無理やりスイッチを切り替え、昨夜の甘い囁きの事も忘れて、護衛としての顔を作るように務めていた。
今日もスコールは、痛みを訴える腰を自覚しながら目を覚ます。
その隣で眠った筈の人物は、一足先にベッドを抜け出していた。
独り占めしていた毛布から出て、ベッドの足元に落ちていた服を拾って袖を通す。
じんじんと違和感の残る体を叱咤しながら部屋を出て、歩き慣れた廊下を過ぎてダイニングへ向かえば、其処にはもう簡易ながら朝食が出来ていた。
「おはよ、スコール」
「……おはようございます」
仕事の雇い主であり、昨夜熱を共にした男の挨拶に、スコールは抑揚のない声で返した。
冷たくも感じられる声であったが、ラグナは慣れたもので、へらりと笑ってスコールに着席を促す。
「目玉焼きは両面焼きで良かったよな」
「……ん」
「ドレッシング切れてたから、新しいのはコレ」
とん、とラグナが手に持っていたドレッシングのボトルを置いた。
見慣れないロゴのラベルだが、イラストのお陰で、香味を使ったオイルドレッシングである事は判った。
スコールがテーブルに着くと、ラグナも向かい合う位置に座る。
頂きます、と律儀に手を合わせて言うラグナに、スコールも面倒に思いつつ仕草だけは真似をした。
バターの匂いのするクロワッサンを千切りながら、スコールはもそもそと食事を始める。
「体、どうだ?ちょっと無理させたかな」
「……別に」
「無理するなよ。まあ、今日はあんまり外には出ないからさ、スコールはゆっくりししててくれよ」
気遣うラグナの言葉に、スコールは返事をしなかった。
口の中にパンが入っているから───と言うのもある。
でも一番の理由は、今のラグナの言葉に対し、思う事が多過ぎて、それらを口にするのが面倒だっただけだ。
同時に、目覚めから消えない鬱々とした気分がスコールの中に根を張っている。
その理由を、原因を、スコールはとうの昔に理解していた。
理解しながら、それをどうにかしようと言う気にもならなくて、上辺だけ無表情を繕って過ごしている。
そんな事は、スコールにとってよくある事だった。
今日の予定は、と確認と言うよりは話題を求めてのことだろう、ラグナがスケジュールを思い出して音読しながら、目玉焼きにフォークを刺す。
それをいつもの無表情で聞き流すスコールの目は、じっとラグナの左手に向けられていた。
今日も山積みの書類を捌きながら、ラグナはちらりと傍らの少年を覗き見た。
大統領の終日護衛と言う任務を持って派遣されたスコールは、その期間中、常にラグナの傍に身を置いている。
仕事なのだから当然、ではあるのだが、それであってもラグナはスコールと近い距離にいられる事が嬉しかった。
今はこうした理由がなければ、スコールと一緒にいられる時間すらないのだから。
大統領としての職権乱用ではないかと言われると否定できないのだが、とは言え依頼料などはラグナ個人のポケットマネーから出している訳で、また開国した事で国のトップとしての責任と危機管理と言った理由もあり、傍に信頼できる護衛を置く事は急務ともされていた。
だからスコールへの護衛依頼は、エスタ国としては必要経費であると言うのも、本当だ。
と、最もらしい理由をつけながら、スコールが絶対に離れない期間である事を利用して、彼を絡め取っているのも事実である。
本音でも建て前でも、ラグナの傍にスコールがいるのは、不可欠なことだった。
血の繋がりを持ちながら、彼をこの腕に抱いているのも含めて、ラグナはスコールを自分の下に繋ぎ止めたいと思っている。
そうして幾度となく依頼を出し、ガーデン側からもラグナがお得意様として認定された頃から、一層スコールが派遣される回数は多くなった。
二人が血の繋がった親子である事を、ガーデン側の面々───あの時、共に作戦を戦い抜いたメンバー───にも伝えた事もあり、気を利かせてくれているのもあるかも知れない。
お陰でスコールが一度の任務でエスタに滞在する時間も増えている。
一応、指揮官なのに大丈夫なのか、と訊ねてみた事もあったが、スコールは気にした様子はなかった。
元々急に押し付けられただけの立場で、後進の育成も進んでいるし、そもそも自分がいなくてもガーデンは回る、とのこと。
それが本当か嘘か、ラグナには判り兼ねる所だが、取り敢えずはその言葉を信じる事にしている。
時によっては、トータルで月の半分ほど、スコールがエスタで過ごす事もある。
その間にスコールは、ラグナの大統領としての執務を手伝うようになった。
書類の整理やスケジュールの確認など、雑事と言えば雑事だが、彼が手を貸してくれるお陰で、散らかり易かったラグナのデスクは整理整頓が常に保たれるようになった。
お陰で書類の紛失や捜索の回数も激減したとかで、スコールはエスタの執政官たちに随分感謝されているらしい。
実際、ラグナは非常に助かっている。
そんなスコールを見たピエットが、「彼がガーデンを卒業したら、そのままうちに迎えませんか?」と言っていた。
ラグナとしてはそれも吝かではないが、先ずはスコールの意思確認が必要だろうと、この話は保留になっている。
────と、そんな事をつらつらと思い出していると、ラグナの前に一枚の紙が差し出される。
「ん?」
「今日付けの締め切り案件」
「うわ、マジか。間に合う?」
「今日中なら」
書類を受け取り、ラグナは急いで目を通した。
内容は、都市の西部地区にある工場地区の幹線道路の整備について。
締め切りが今日と言うことは、随分前に寄越された話である筈だが、紙の山の中に埋もれていたのだろう。
予算の見積もりや、事業の計画について綴られた文面をよくよく確認しながら、ラグナは各方面への確認を急いだ。
一通りのチェックの後、計画に大きな問題はないと見做し、サインを走らせる。
ペンを放せばすぐにスコールが書類を引き取り、先に読んでいた執政官に書類を渡した。
関係各所への連絡も済ませ、デスクへと戻って来たスコールは、また直ぐに書類の山の仕分けに取り掛かる。
「スコール、ちょっと休んでも良いんだぜ。急ぎの奴もない筈だし」
「今日付けのを今見たばかりだろう。他にも埋もれているかも知れない。念の為だ」
あくまで仕事をしているスタンスを続けるつもりのスコール。
その横顔が、今朝から殆どラグナの顔を見ていない事に、ラグナも気付いている。
(まあ、いつもの事っちゃ、そうなんだけど)
昨夜、あの細身の体を抱いて、ベッドの中で溶け合った。
スコールの方から続きを強請られ、年甲斐もなく張り切ってしまった覚えがある。
……そんな風に睦み合った筈の翌日のスコールは、いつも何処かぎこちない。
彼と接する時間が少ない者は気付かない程度のものだが、彼を欲して已まないラグナは判っている。
単純に疲労感を隠す為だけではない、眼を合わせようとしない彼の秘められた胸の内。
恐らくは、誰にも知られまいとしている筈の彼の望みに合わせて、ラグナは素知らぬ振りを続けている。
適当に紙の山の上から取った書類を見る───振りをして、ラグナはまたスコールを盗み見た。
気配に敏感な彼の事だから、ラグナの煩い視線の事はきっと気付いているだろう。
それでいて何も言わないのは、構う事を面倒臭がっているからか。
いや、とラグナは否定する。
(……後ろ暗い、って所なのかな)
ガーデンで過ごしていた頃の事を、教員としても指導していたと言うキスティスを始め、彼の仲間達から聞く機会には事欠かなかった。
本格的にSeeDになる為の訓練カリキュラムが始まった頃から、彼はめきめきと成績を上げたと言う。
人の輪から意図的に外れている事について、問題児扱いも少なくなかったようだが、座学も実技も成績優秀と謡われた。
今現在、その仕様の難しさから使用者が少ないガンブレードを主武器として愛用しながら、それだけの記録を残せるのだから、その強さは折り紙つきだろう。
頭の回転も早く、作戦など必要事項の暗記も容易に熟せるし、応用力も優れている。
突発的な出来事に対し、一瞬躰が硬直する癖があるが、これは若いから、経験を積んで研磨されて行く事で補われるに違いない。
スコールは名実ともに賢いのだ。
だからきっとスコールは、自分がしている事の罪も理解している。
実の父親と情を交わし合い、肉体関係を持っているのが、決して普通に許される事ではないと。
……スコールの後ろ暗さの理由がそれだけなら、ラグナは気にするなと笑ってやる事が出来る。
同じ罪は自分も持っているし、もしも裁かれる事があるとすれば、それは自分が負うものだとも思う。
まだ幼いと言って良い少年を、自分の下に縛り付けるように堀を埋めたのは、他でもないラグナなのだから。
しかし、スコールの胸中の澱みは、もっと複雑で入り組んだ形になっている。
────ラグナの脳裏に浮かぶのは、二人が明確な情を持ってそれを交わし合うようになってからのこと。
体を重ね合わせた翌日、スコールの態度が分かり易くぎこちなくなったのも、その時だった。
単純に体にかかる負担であったり、それがなくとも何か気に障る事をしたか、とラグナが訊ねてみても、スコールは「なんでもない」の一点張り。
しかし、そうは見えないスコールの表情に、ラグナの心配は募った。
愛しい彼を繋ぎ止めるのはラグナの望みではあったが、スコールが真に望んでいないのなら、無理強いはしたくない。
だが、幾ら聞き出そうとしても頑ななスコールに、ラグナは正面から問う事の無意味さを知った。
其処で気を利かせたのが、キロスとウォードだ。
ラグナの古い友人であり、時に近過ぎる関係となってしまった二人の間に、程好い所でクッションになってくれる彼等。
スコールも、エスタに来る度にさり気無く気遣ってくれる二人に、少なからず懐いている節があった。
そんな二人だから、スコールも本音を零したのだろう。
それを偶然、曲がり角の向こうにいたラグナが聞いていたとも知らずに。
『浮かない顔をしているが、ラグナが君に無理をさせたのかい?辛い事があるのなら、良ければ此方から注意を促す位は出来ると思うのだが、どうかな』
初めにキロスはそう言っていた。
旧友の二人は、ラグナのスコールの関係を、余す事なく知っている。
だからこそ踏み込む事の出来た問いだった。
キロスの言葉に対し、スコールは初めは、何もないと言った。
だが、表情がそうではないと訴えている事を指摘されると、短い沈黙の後、
『……俺はレインの代わりだから』
ラグナが自分を抱いたのは、自分が愛した人の面影を持っていたから。
抱かれる度にそれを思い知って、勝手に落ち込んでいたんだと、スコールは自嘲の滲む声で言った。
────その言葉を聞いた時、ラグナは言葉を喪った。
そんなつもりはない、と飛び出して叫ばなかったのは、ショックの余りに声が出なかったからだ。
だが、後から思い返せば、あの時がそれを伝えられる一番のチャンスだったのだろう。
偶然とはいえ話を立ち聞きしてしまった、その瞬間、その場でこそ、言葉にできるものがあったのではないか。
恐らく、初めて他人に本心を漏らしたであろうスコールに、キロスは重ねて訊いた。
『……君が、母親と似ているから、ラグナは君を抱いたのだ、と?』
『自分の子供と知っていて抱くなんて、そうでもなければ有り得ないだろう。況してや、俺は男だし』
『彼と親子である事を、それを判っていて今の関係になった事を、君は後悔しているのか?』
『……さあ。よく判らない』
キロスの問いに、答えるスコールの声は静かだった。
それから、でも、と挟んで続ける。
『親子だから、ラグナは俺を見てくれる。俺が、ラグナとレインの子供だから。……母親と似ているから』
『それは、聊か見方を穿ち過ぎではないかな?ウォードもそう言っている』
『ラグナはそう言う人間じゃないって?あんた達にとっては、そうかも知れないな』
宥めるように言ったキロスの言葉にも、スコールは動じなかった。
諦めるような声がその音に滲んで、微かに零れた笑みの気配すら、自嘲が混じる。
『別に良いんだ。レインの代わりでも。ラグナがレインの事を今も愛していて、だから俺にその面影を求めてるなら。それで、ラグナがまだ、俺を捕まえててくれるなら』
それで良いんだと、スコールは重ねて言った。
まるで自分に言い聞かせているようだと、そう感じたラグナの耳は間違っていないのだろう。
あれから折々に垣間見える、素っ気ない態度から滲む、声のない声を聴く度に、ラグナの胸の奥が軋みを鳴らす。
────書類に連ねられた事項にチェックを入れていく。
その紙がペンの摩擦でずれないようにと、軽い力で抑える左手。
其処に注がれる視線にラグナが気付いている事を、きっとスコールは気付いていない。
(……指輪、か)
ラグナの左手の薬指に光る、銀色の輪。
遠いあの日、花畑が揺れる小道の途中で彼女と交わした、叶わなかった永遠の証。
今朝から────いや、昨晩から何度となく、スコールの視線は其処に注がれている。
成り行きの流れの中で引き離され、知らない内に喪われていた、温かな温もり。
思い出が減ってしまう事が怖くて、いつまでもその思い出を口にする事も出来ず、ただその指輪を包んで目を閉じる事しか出来ない。
そんな十七年と言う歳月を過ごして尚、ラグナにとって、彼女の存在の欠片は手放す事は出来なかった。
恐らくは、これからも、ずっと。
(レインがいたから、お前がいて。それは、その通りなんだ。そうでなくちゃ、お前は────)
彼女がいたから、スコールがいるのだ。
彼女が命を賭してまで、小さな小さな命をこの世に生み落としてくれたから。
それは間違いのない事実であり、決して忘れてはならないこと。
だからスコールは、苦しんでいる。
自分を産んだ母親に対して、羨望と嫉妬と、忘れてはならない感謝と、その影を利用しながら“父”に“愛”を求める罪悪感を抱えている。
ラグナは、指輪の光る手を握り締めた。
既に其処に在る事が当たり前で、外してしまう瞬間の事が考えられない位、肌に馴染んだ銀色。
それを見る度に、今ラグナが一番の愛情を注いでいる筈の少年は、苦くて痛くて苦しい顔をする。
ラグナが本当に求めているのは、その指輪を共有した筈の人なのだと、思い知って。
(違うんだよ、スコール)
レインの事は今も愛している。
それは生涯、ラグナが死ぬ時まで変わらないだろう。
だが、その面影があるから、スコールを愛している訳ではないのだ。
(お前の事、本当に、愛してるよ)
それは息子としてでもあり、恋人としてでもあり、初心な少年が知らないもっと薄暗くてどす黒い感情だって抱いている。
任務の期間が終われば帰ってしまう彼を、本当は縛り付けて閉じ込めたい、なんて事も考える。
それ程の感情をラグナが持っていると、スコールは知らない。
知っても、きっと彼はまた苦く淋しく笑うのだろう。
ラグナのその感情の根幹にあるのは、二度と逢えない愛しい女性への慕情であると思ったまま。
ラグナが彼女と交わした約束の証を手放さない限り、スコールはラグナの自分への感情が本物であるとは考えないだろう。
頑ななスコールのその思考を溶かすのは、実の所、簡単だ。
スコールがラグナの感情のシンボルとして認識している、銀の輪を外せば良い。
外したからと言って、ラグナのレインへの感情が塵に消える訳ではなく、ただ、目に見える形が喪われるだけの事。
……“それだけ”の事が、ラグナにとっては、重い。
だから寂しがり屋の蒼の瞳は、ラグナの指輪を見ているのだ。
いつか。
いつかスコールに、この感情が本物であると伝えたい。
指輪をしているかどうかなんて気にならない位、スコールの事も心の底から愛しているのだと安心させてやりたい。
そう願いながら、ラグナは自分が一番狡くて酷い人間である事を理解していた。
何故なら、スコールがラグナの言葉を受け入れるその日まで、彼を苦しめ続ける事を意味しているのだから。
『「自分はレインの代わりでしかない」と考えているスコールと、その誤解が指輪をしている限り解けないと理解しながらも、指輪を外すことができなくて悩んで苦しむラグナなラグスコ』のリクを頂きました。
もう諦念に行き付いてしまったから、必要ないと捨てられる以外ならどんな役割でも、って思考を固定してしまったスコール。
自分の気持ちに正直になってたら、大事にしたい筈のスコールを一番苦しめる道を選んでしまってるラグナ。
このスコールは卒業後、結構すんなりラグナの下には来ると思いますが、擦れ違いの溝は埋まらない気がする……