[ウォルスコ]素顔の貴方で
数学科準備室で、ウォーリアは明日の授業に使うプリントの作成をしていた。
教師と言う職業に就いてからかけるようになった伊達眼鏡に、打ち込まれる数字の羅列が反射して映り込んでいる。
夕暮れの色が強くなった空から降り注ぐ橙色の陽光は、随分と傾いた場所から注がれているようで、室内は少し暗い。
パソコンの画面が煌々としているので然して困る事はなかったが、ふと液晶画面から顔を挙げた時のコントラストの差に、目が疲労を訴える。
プリント作りはもう少しで終わりそうだが、このまま電気を点けないまま作業をし続けると言うのはどうか。
目の健康の為にも、電気位はつけたの方が良いか。
壁にあるスイッチ一つで電気は灯るのだから、その程度を横着するのもどうかと、ウォーリアはようやく思い至った。
ふう、と一つ息を吐いて、ウォーリアは眼鏡を外した。
視力に問題がある訳ではないので、一枚ガラスを挟んだ視界と言うのは未だに慣れないのだが、校内にいる限り、ウォーリアはそれを身に付けるようにしている。
それは今のウォーリアにとって、一つのけじめの為に用意した道具だった。
パソコンの横に置いていたケースから眼鏡拭きを取り出し、レンズを軽く拭いていると、コンコン、とノックの音が聞こえた。
眼鏡をかけ直している間に、「失礼します」と言う挨拶と共にドアが開く。
室内と同じように、オレンジ色を帯びた廊下を背景に、濃茶色の髪の少年────スコールが入って来る。
「今日期限だったアンケート、全員分回収して来ました」
スコール・レオンハートは、ウォーリアの担当するクラスのクラス委員をしている。
成績優秀で知られた優等生で、それを知っていた生徒達から、半ば祀り上げられる形で委員長へと推薦、そのまま決定した。
本人はそれを「推挙された」のではなく、「生贄にされた」と言って苦い表情を浮かべるが、根が真面目な彼は、委員長としての役割をきちんと果たしてくれる。
今日もスコールはその仕事を熟しており、両手に暮らす人数分のアンケートプリントを持っていた。
アンケートは、来年に本格化する将来への進路希望に関する調査だったのだが、まだ二年生と言うこともあってか、記入の遅い生徒はいるものであった。
まだ碌に決まってない、それを考えてもいない、中にはプリント自体なくした、なんて言う者も出て来る中で、スコールはなんとか期限内に全員分のプリント回収と言う任を果たしたようだ。
今日の今日まで記入していなかった、それ自体忘れていた者もいた中で、根気強く役割を担ってくれた少年に、ウォーリアは定型ながら心から労いを送る。
「ありがとう、スコール。ご苦労だった」
「……いえ。これ、何処に置けば良いですか」
「では、其処の棚の三番目に」
丁度スコールが立っている場所の右隣に、プリント等の紙類を収納している棚があった。
空いているスペースを指して言うと、スコールはプリント束の端を揃えて入れる。
「あと、世界史のガーランド先生から伝言です。来週月曜の課外授業に使うものが職員室に届いたので、回収を、と」
「ああ、判った」
「先生の机に置いてるそうです」
「了解した」
少年の言葉に応答を返しながら、ウォーリアはパソコンに向き直った。
電気を点けねばと思った所ではあったが、今席を立つ訳にはいかない。
密かなその自戒は、少年がこの部屋を出て行くまで続くものであった。
ドアの滑る音がして、静かに閉められる。
さて、と電気を点けるべくパソコンから顔を挙げたウォーリアだったが、閉じたドアの前に佇んでいる少年の影を見付けて、レンズの奥で微かに眉を潜めた。
カチャン、と言う金属の当たる音は、ドアの内鍵が閉められたものだ。
それが意味する所を悟って、ウォーリアが密に溜息を零す。
此方へと近付いて来る少年の気配を感じながら、ウォーリアはまたパソコンへと向き直っていた。
プリント作りを再開させれば、静かな教室の中に、キーボードを打つ音だけが木霊する。
「……先生」
呼ぶ声に、ウォーリアのキーボードを打つ手が止まった。
デスクの横に立ち尽くしている少年を見上げれば、じっと蒼の瞳が此方を見詰めて来る。
その瞳に滲む浮かぶ声に、ウォーリアは口を噤んだままを保っていたが、
「……ウォル」
二人だけの呼び名を口にしたスコールに、ウォーリアは目を伏せる。
それは、駄目だと言うことを少年に告げると同時に、自分を律する為に必要な時間でもあった。
「…学校にいる間は、“先生”と呼びなさい。そう言っただろう」
「……良いだろ、別に。どうせ誰もいないんだから」
窘めるウォーリアに対し、スコールは砕けた口調で言った。
基本的に教師に対しては、正した言葉を使うスコールでだが、“ウォーリア”に対しては別だ。
二人の関係が、密やかなながら”恋人”と言う関係であるが故に。
しかし、此処は数学科準備室で、二人きりであるとは言え、学校内である。
教師と生徒が特別な関係になっている事は、誰にも知られてはいけない。
それはスコールの立場と未来を守る為に、ウォーリアが彼を想って作った線引きだった。
スコールは賢い子供であるから、二人の関係が他者に知られればどうなるのか、判っていない訳ではないだろう。
しかし若さから来る無鉄砲、言い換えれば顧みないが故の強さか、スコールは度々これを越えようとしていた。
「誰もいなくても、だ。気を付けなさい」
「………」
教員としての距離を保って、注意と言う形で窘めるウォーリアに、スコールは判り易く唇を尖らせる。
平時は教職員を相手に、聞き分けの良い優等生然としているスコールだが、実は中々頑固で臍を曲げやすい性格であると知る者は少ない。
教員に対して反発的な態度を取っても、大した得にもならず、目を付けられて面倒が増えるから、大人しくしているだけだ。
だから気心の知れた人間の前だと、こんな表情もして見せる。
それは恋人としてスコールに信頼されている証であると、ウォーリアもそう思いはするのだが、かと言って甘い顔をしてはいけない。
この線引きは、万が一の不幸からスコールを守る為の、大切なけじめなのだから。
だが、ウォーリアはそのつもりでも、スコールはそれを良しとしていない。
徐に伸びたスコールの手が、ウォーリアの銀色の髪の端を滑る。
人差し指が甘えるようにその毛先に絡まって、目を逸らすウォーリアを咎めるようにくん、くん、と引っ張る感触があった。
「……」
「……ウォル」
甘えたがっている時の声だった。
何か嫌な事があったのか、それとも。
考えてみるウォーリアだったが、スコールはとても繊細だから、事件のような事がなくても、ふとした瞬間に不安に襲われる事があった。
そして一度巣食ってしまった感情は、まだ未熟な彼には自力で追い出す事が難しくて、縋るものを求めて恋人の温もりを欲しがる。
パソコンへと集中させようとしていた顔を挙げれば、じっと見下ろす蒼灰色とぶつかった。
ウォーリアの髪の毛で遊んでいた指が、服の端を摘まむ。
目線を合わせてしまうと、途端に消極的になってしまう少年のいじらしさが、ウォーリアには振り払えない。
ウォーリアは座っていた椅子を少しだけ引いた。
体とデスクの間に隙間が出来ると、スコールは其処に寄り掛かるようにして収まる。
膝上に乗った体重はウォーリアには軽いもので、スコールがまだまだ線の細い未熟な体をしている事がよく判った。
その背に腕を回して、落ちないようにと支えてやれば、近い位置にあるスコールの顔がウォーリアの顔を覗き込み、
「……これ、邪魔だな」
呟いたスコールの指が、ウォーリアの目元を庇うものに触れた。
する、と前髪を持ち上げるように外されて、ウォーリアの手が逃げるフレームを追う。
「返しなさい」
「嫌だ。あんたの顔がちゃんと見えない」
「スコール」
「…キスしてくれたら返す」
至近距離で大胆な事を言ってくれる、年下の恋人。
膝に乗せているだけでも、人に見られたら何を言われるかと言うのに、とウォーリアが眉根を寄せていると、スコールは少しバツの悪い表情を浮かべながら目を逸らし、
「……良いだろ、偶には。毎日あんたと顔を合わせてるのに、ずっと“生徒と先生”で我慢してる。そのご褒美くらい、寄越してくれたって」
────この線引きを言い出したのは、勿論、ウォーリアの方だ。
関係に付きまとうリスクはスコールも判っていたから、堂々と宣言できるような間柄ではない事も理解している。
だから学校にいる間は、と言うウォーリアのそれが、自分を想うが故の配慮である事も、ちゃんと受け止めているつもりだ。
けれど、スコールは本質的に寂しがり屋で不安性な所がある。
幸せを感じるほどにそれが崩壊した時の事が恐ろしくなり、その感情は自分で拭う事は難しい。
だから一層、恋人であるウォーリアの存在を確かめたくなるのだけれど、そんな時間を作るのもまた難しかった。
学校に行けば毎日顔を合わせる事が出来るのに、遣り取りはいつも淡泊なものだけで、特別な時間なんて幾らもない。
そうして募って行く不安や焦りが、時にこんな風に、無心にウォーリアを求める行動に現れるのだ。
じっと見詰め、求める蒼灰色の宝石の訴えに、ウォーリアは何度目かの溜息を洩らした。
それを見たスコールの眼に、また不安げな揺れが映るが、
「スコール」
「何────」
名を呼ばれて返事をしようとしたスコールの声が、中途半端に止まった。
一枚レンズから解放された、アイスブルーが真っ直ぐにスコールの眼を見詰めている。
どくん、と幼い熱を宿した心臓が跳ねて、スコールは息を詰まらせた。
ゆっくりと近付く、美術品のように整った顔に、スコールは瞬きすら忘れていた。
鼻先が掠め合ったのを感じて、あ、と小さな音が零れる。
食い入るように見つめる少年の唇は、無防備に薄く開いて、其処に触れる感触を待ち侘びていた。
───が、触れる感触があったのは、唇のほんの少し横。
ほんの一瞬、温かな感触が当たったかと思ったら、それはついと離れてしまった。
「此処までだ、スコール」
「……な……」
やはり引いた線引きは守るウォーリアの行動に、スコールの顔に一気に朱が浮かんだ。
期待していた自分が恥ずかしくて、やっぱり越えて来てはくれない恋人が腹立たしくて、……けれど触れた感触は暖かくて、彼の心の中は嵐のように騒がしい。
何を言わんとしているか、本人すらも判らない様子ではくはくと開閉する唇に、ウォーリアの指先が触れる。
その指先が名残を伝えるようにゆっくりと離れるから、スコールは結局、何も言う事が出来なくなる。
夕暮れの明りの所為だけではない、真っ赤になったスコールの顔を見詰め、ウォーリアはくすりと笑う。
「眼鏡を返して貰えないか。スコール」
「………」
嘆願するように言ったウォーリアを、スコールがじろりと睨む。
しかし、赤らんだ顔では凄みもなく、結局彼は、奪っていた眼鏡をウォーリアの手へと返してくれた。
ウォーリアが眼鏡をかけ直している間に、スコールは恋人の膝上から逃げてしまった。
離れた温もりに、こっそりと寂しさを覚えながら、しかし仕方がないとウォーリアは表情を隠す。
スコールは少しふらふらとした足取りで、廊下へと続くドアへと向かって行った。
そのまま出て行くかと思われたスコールの足は、ドアの前で一度止まる。
「……外で待ってる」
「遅くなるかも知れない」
「良い」
早く帰りなさい、とウォーリアが促す前に、スコールは言い切った。
背中越しに、一緒にいたい、と言う声が聞こえたのを、ウォーリアは聞いた。
ウォーリアがそれ以上に何かを言う前に、スコールは出て行った。
ぴしゃ、と仕舞ったドアを見詰めて、ウォーリアはひっそりと息を吐く。
それは溜息のようで、仕様がないと諦めにも受け入れにも似ていた。
ウォーリアは眼鏡を外し、パソコンの電源を切った。
プリントの作成はまだ途中だったが、やる事は自宅に戻ってからでも十分可能なのだ。
それよりも今は、本当にいつまでも待ち続けるつもりであろう少年を、早く迎えに行かなくてはいけない。
それは教員の責任として───ではなく、恋人を大切に想うが故の事であった。
『現パロのウォルスコ』のリクエストを頂きました。
設定はお任せして頂きましたので、教師×生徒でうまうましました。
伊達眼鏡かけたウォーリアが、それで意識の切り替えしてると良いなと思って。
でも案外その切り替えは緩々だったりして、なんだかんだスコールに甘いと良いなあ。でも一番の所には手を出さないから、スコールはやきもきしながらでも幸せだと良い。