[スコリノ]温もりの言葉
いつかの旅は、今思えばリノアにとって、とても自由で広くて無限大だった。
ティンバーのレジスタンス活動に関して、サイファーに相談しようと思って訪れたバラムガーデン。
そこで一緒にダンスを踊った青年は、「踊れないんだ」と言ったのに、本当はとてもダンスが上手かった。
なんで嘘を吐いたんだろうとその時は思ったけれど、今なら判る。
彼はごくごく単純に、ああいう場自体が好きではなく、他人と物理的にも心理的にも近しい距離になるのが好きではなかったから、壁の花に徹していたのだろう。
それを踊り場に半ば強引に引っ張りだした自覚はあったが、リノアはその瞬間のことを後悔していない。
あそこで彼に逢えたから、彼の顔をじっくりと見て覚えたから、その後の再会でもリノアはすぐに「あの時の人だ」と思い出すことができたのだ。
もしも思い出すことがなかったら、きっとリノアは彼にとって、“ただの依頼人”として終わっていただろう。
それから魔女と対決したり、軍に捕まったり、ガーデン内の派閥争いに巻き込まれたり。
動き出したけれど操作不能になったバラムガーデンの中を案内して貰ったり、海の真ん中にある大きな駅で、彼と二人きりで話をしたり。
魔女に意識を乗っ取られている間の事は、当然ながら全く覚えていないのだけれど、目を覚ました時の絶望感は忘れられない。
何処までも真っ暗な世界の中に独りぼっち、指先から冷えて行く体、息も出来ないほど、肺まで冷たくなって行くのが判った。
このまま死んじゃうんだ、と他人事のように思った、その時。
頭の中から響いてきた、死ぬ間際の空耳のようにも一瞬感じた、けれどはっきりと伝わった、名前を呼ぶ強い声。
必死に、一所懸命に、そんな風に自分の名前を呼んでくれる人がいるだなんて、思ってもいなかった。
そして、彼から預けて貰った“一番のお気に入り”が目の前できらきらと輝いていたから、ああこれは返さなくちゃ、と思ったのだ。
だから、生きなくちゃ、と。
それから二人きりの宇宙空間で、ほんの少しの間、話をした。
大事な話をしなくてはいけないことは判っていたけれど、現実から目を逸らしたくて、他愛もないことを語り合ったりもした。
けれど残酷な事実は、逃げても追い駆けて来て、結局、魔女の力のことは知られてしまった。
あの時、泣き出しそうな顔をしていたのは、リノア自身だけではないのだと、彼は気付いていただろうか。
沢山の人に、何より目の前の人に嫌われる前に、いなくなりたいと言った。
そうすれば、自分の心の中にいるのは、宇宙まで自分を迎えに来てくれた目の前の人でいっぱいになる。
それがあの時、リノアが精一杯に考えて考えて行き付いた、最後の我儘と、自分への慰めだった。
だと言うのに、そこからまた迎えに来てくれるだなんて、誰が思っただろう。
泣きそうな顔で見送ってくれた彼は、お気に入りのリングも預けたままで良いと言った。
だからきっと、多分、彼も最初はそういうつもりではなかったのだ。
彼はリノアの我儘をずっとずっと叶え続けてくれて、あの時もそれは同じで、最後までリノアの心に寄り添ってくれていた。
だからこそ、もう一度迎えに来てくれるなんて、想像もしていなかったのだ。
受け止めてくれた彼の腕の体温を覚えている。
「魔女でも良い」と言ってくれたその声は、耳の奥に染み付いて、きっと一生忘れない。
そして、きっと皆の旅の始まりとなった、未来の魔女との闘いは終わった。
何処にだって行く事が出来たような気がした、リノアの自由な旅も終わった。
拗れ続けていた父親との間は、彼が不慣れだろうに間に入ってくれて、自分自身もあの頃よりも周りがきちんと見えるようになって、少しだけ改善されている。
ただその分、ティンバーを駆け回っていた時のような向こう見ずな勢いは形を潜めてしまって、今は限られた場所を行き来する毎日。
内包する儘の魔女の力のこともあったし、それそのものはやはり恐ろしくはあるけれど、付き合って行こうと思う位には、受け入れた。
だってこの力があったから、リノアは彼等と一緒に旅をすることが出来たのだ。
だから、今後この力をどうするのか、どうすることが出来るのかと言う研究に協力することも含めて、以前よりは不自由になった日々を受け入れている。
────と、こう綴ると、今の日々が窮屈にも見えるのだが、存外とリノアは自由である。
行ける場所に限りはあるけれど、常に傍に監視がある訳ではなかったし、遠出をする際には護衛が求められる身にはなったが、その際就いてくれるのは事情を知っている面々、つまりはあの旅を過ごした仲間達だ。
カーウェイからの依頼と言う形もあり、彼等にとっては仕事の一つと言うことだが、それでもリノアにとっては、束の間、気心の知れた仲間と逢える貴重な機会だった。
特に一番心を寄せる、リノアの“魔女の騎士”は忙しさは最たるもので、中々その護衛任務に来てもらうことも出来ない。
それでも顔だけでも見たい、と願うリノアの乙女心を皆は理解してくれるから、可能な時には、彼のスケジュールを譲って貰えることもあった。
今回、バラムガーデンに来たのも、それが理由だ。
リノアは、一ヵ月ぶりにバラムガーデンの門を潜り、旧知の面々と再会した。
と言っても、皆多忙な身であるから、逢えたのはガーデンに教師業もあるからと詰めているキスティスと、任務帰りだったと言うゼルだけだ。
他のメンバーは、それぞれ明日には帰る筈よ、と言われたので、それを楽しみにしている。
そしてリノアは、「まだ顔を見てないから、多分部屋よ」と言うキスティスのアドバイスに従って、ガーデンのSeeD寮へと急いでいる。
(昨日も遅かったみたいだし、まだ寝てるかも)
勝手知ったる人の庭で、ガーデンの構造はリノアの頭に入っている。
すっかり通い慣れたルートを歩く足は、分かり易く弾んでいて、この後のことを楽しみにしているのが判る。
その後ろをついて来る愛犬も、久しぶりに彼と逢えるのが嬉しいのか、終始興奮気味にステップを踏んでいた。
寮の建物に入ったら、二階に上がって、並ぶ扉を四つ通り過ぎる。
部屋番号を間違えていないことを確認し、扉横のパネルについているキーボタンをぽちぽちと押した。
もう見なくても間違えずに押してしまえる位に、此処に通っているのだと思うと、なんだか面映ゆい。
解錠ボタンを押すと、ピピ、と言う小さな音が聞こえた後に、かちゃん、とロックが外れる音が鳴った。
「おじゃましま~す」
部屋主が寝ているかも知れないと言う配慮から、気持ち声を潜めて挨拶をしながらドアを開ける。
返事はなかったが、いつものことと言えばそうで、リノアは構わず中に入った。
アンジェロが一緒に中に入ったのを確認してから、そうっとドアを閉める。
改めて部屋へと向き直ると、思った通り、部屋の主───スコール・レオンハートはベッドの上で蹲るようにして眠っていた。
ネコちゃんみたい、と思いつつ、リノアは足音を忍ばせて、眠る部屋主の下に近付く。
「……おーい」
「………」
「お邪魔してますよ~」
声をかけるリノアだが、その声は眠りを妨げない小さなものだ。
目元にかかる前髪のカーテンを、リノアの指がそうっと持ち上げてみても、長い睫毛を携えた瞼は動かない。
大分深い眠りの中にいるようで、これは揺さぶりでもしないと起きないだろう。
けれど、日々を忙殺の中で過ごしている彼の事を思うと、それをするのは聊か可哀想だ。
アンジェロがベッドの端に顎を乗せて、くんくんと鼻を鳴らしている。
久しぶりに嗅いだスコールの匂いが、アンジェロにとっても嬉しいようで、はっはっはっ、と息が弾んでいた。
早く起きて遊んで欲しいけれど、眠りを妨げようとはしない愛犬に、リノアは良い子良い子と頭を撫でた。
「スコールが起きるまで、ちょっと待ってよっか」
「クゥン」
「うんうん」
返事をするように小さく鳴いたアンジェロに、リノアはくすりと笑う。
リノアがベッド横にすとんと腰を下ろすと、アンジェロはその隣に伏せた。
飼い主の気持ちに沿ってくれる、彼女もとても良いパートナーだ。
だから、リノアが大好きな彼に、彼女もよくよく懐いてくれたのだろう。
リノアはアンジェロの柔らかい毛並みの背中を撫でながら、じっと眠る恋人を眺めていた。
(やっぱり寝顔、可愛いなあ)
いつかに初めてその寝顔を見た時、リノアは同じ事を思った。
普段はずっと、それが基本のパーツのように浮かんでいる眉間の皺は、眠っている時だけ緩んで消える。
そうすると、存外と幼い顔立ちをしているのが露わになって、昔の彼が“泣き虫だった”と語るサイファーの言葉が判る気がする。
少なくとも、気が強い人の顔をしていないのだ。
彼等と知り合ってからまだ一年程度しか経っていないリノアにとって、そう言った思い出話は聞いていることしか出来ないものだけれど、こうやって、ふとした時にその名残の片鱗を見付けられる。
その瞬間が少しだけ嬉しくて、リノアは彼等の思い出話を聞くのが好きだった。
リノアはそうっと手を伸ばして、スコールの頬に触れる。
色白と言う訳ではないけれど、スコールの肌はあまり日に焼けることが出来ないらしく、日光に当たると僅かに赤らむ。
今日はずっとこの部屋で眠っているのだろう、そのお陰で今は健やかな肌色だ。
その頬をつんつんと突いてみると、薄い弾力の感触が帰ってきた。
(流石にそんなに柔らかくはないよね。スコールだし)
セルフィやゼルのようにころころと表情を変える訳ではないので、スコールの表情筋は固い。
ラグナのようにお喋りに富む訳でもないので、口の周りは尚更、動かすことは少なかった。
(初めて会った時からそうだった。あんまり喋らないし、ずっと眉間に皺寄せた顔してたし)
壁の花になっていた時、スコールの下には、ゼルやセルフィが声をかけに行っていた。
試験の時に同じ班───よくよく聞くとセルフィはまた違ったそうだが───だった縁もあっての事だろう。
その時から、スコールはあまり口を動かしていなくて、二人の方がオーバーにはしゃいでいるように見えた位だ。
スコールは早く帰りたい、と言わんばかりの様子で、面倒臭そうに黙々とグラスを傾けていた。
リノアは、そんなスコールを見付けて、格好良いな、と思ったのだ。
グラスを片手に、壁に寄り掛かって、一見するとぼんやりとした表情で、じっと天井を見上げている。
誰もが見ているようで見ていない、ガラス越しの空を、彼は一人見ていたのだ。
その時、リノアもなんとなく空を見上げていて、月の前を横切るように走る、小さな光を見付けた。
今思えばあの光は、大気圏で人工衛星か何か───ロマンを掲げるのなら隕石か───が燃え落ちる瞬間だったのだろう。
一秒になるかならないか、そんな僅かな時間に輝いた光を、自分と彼だけが見ていたから、リノアは彼に声をかけようと思ったのかも知れない。
(あと、格好良かったし)
別に人選びをしていたつもりではなかったけれど、あの場でスコールを見付けた時、彼が一番格好良い、とリノアは思った。
人目を避けるように壁の花に徹していた彼が、リノアには誰よりも眩しく色付いて見えたのだ。
あれからスコールとは色々あって、喧嘩もしたし、仲直りもした。
スコールは言葉が少ないから、暖簾に腕押しをしている気分になるのはよくある事だったが、それでも彼は色々な事を考えてくれている。
そして、大事な時には、きちんとリノアが欲しい言葉をくれた。
あの花畑で、つっかえながら話してくれたスコールの言葉は、何処まで行ってもリノアの一番柔らかい場所に溶け込んでいる。
(……今は、あんまり傍にいられなくなっちゃっているけど。でも、それでも……)
離れるな、と言ってくれた時、どんなに嬉しかったか。
リノアの望みに添って離した手を、もう一度握り締めに来てくれた時、その手を引いて封印施設から逃げた時。
嬉しくて眩しくて温かくて、前を走るその背中が愛しくて、夢を見ているような気持ちになった。
そして今も、スコールは、リノアを沢山の悪意から守る為に奔走している。
リノアが遠くに行かなくて良いように、自分の手の届く場所で守り続けることが出来るように。
だから彼の言った「俺の傍から離れるな」と言う言葉は、あの頃と形が少し変わっただけで、今もずっと続いているのだ。
(だからね、スコール。無理しないでね)
リノアが部屋の中に入って来ても、傍でこうして眺めていても、起きる様子のないスコール。
それ程、疲れているのだと思うと、リノアは歯痒いものもあったが、同時に嬉しくもあった。
大好きな人が、自分の為にこんなにも頑張ってくれる人がいる事が、嬉しくない訳がない。
だからリノアは、極力、休息を採るスコールの邪魔をしないようにと努めている。
……けれども、いつまでもこうして眺めているだけで時間が過ぎて行くのも、勿体無くもあって。
「……落書きでもしちゃおうかなぁ」
そんな風に、する気のない悪戯を呟くいた時だった。
んん、と小さくむずかる声が零れて、丸くなったスコールの手脚が身動ぎする。
「……う……」
「あ」
ぎゅう、と眉間に皺が寄せられた後、重い瞼が震えた。
薄らと覗いた蒼の瞳は、まだ差し込む陽光の眩しさを嫌い、何度も強く閉じては一瞬だけ開くのを繰り返す。
気配を察知してか、伏せていたアンジェロが頭を起こし、じっとベッドの上の住人を見詰めていた。
リノアはそっと、スコールの頬に手を当てた。
夢か現か、まだ寝惚けているのだろう、スコールのぼんやりとした瞳がリノアを捉える。
「……リノア……」
「うん。おはよう、スコール」
触れる温もりは夢ではないと、此処に自分はいるのだと伝えるように、優しく撫でてみる。
スコールはそんなリノアの手に、自分の手を重ねると、愛おしむようにそっとそれを口元に寄せ、
「……おはよう、リノア」
手のひらに触れる柔らかい感触に、わあ、とリノアの顔が赤くなった。
居眠りスコールと、それを眺めるリノア。
スコールにとって眠るリノアを眺めるのは、色々と思い出して複雑になりそうですが、リノアの方はスコールの寝顔を見るのは好きそうだなあと。公式に「寝顔、かわいい」で起きるまで眺めてたようだし。
あとうちのリノアは、スコールの顔が大好きなようです。格好良いし可愛いしで、痘痕も笑窪。スコールにとってリノアもそうなので、お互い様。