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2021年08月08日
職業柄、目は利く方だ。
手に入れた宝物の審美が必要な事も多いし、情報源である人の本質を見抜く事も求められる。
それは異世界へと召喚されてからも変わらなかった。
足元に落ちている石ころが実は魔力を帯びた鉱石であるとか、目の前にいる人物が敵か味方か、どう言う性格でどんな戦略を取るのか。
そう言う物を見分ける力を、ロックはトレジャーハンターとして培った経験から持っていた。
神の意思で以て、所属する陣営があっちへこっちへと変わる世界。
神のみぞ、と言うよりも、神さえも知らないのではないかと思う事もある、闘争の意思とかいうものに振り回される生活も、段々と慣れて来た。
この世界で結ばれた恋人とも、敵になったり味方になったり、本当にこの世界は気まぐれだ。
敵同士になると愚痴も零したくなる───彼方は案外と切り替えが早いようで、向き合った時には容赦のない一撃をくれる───のだが、今回は運良く同陣営の配属になった。
前回は別れ別れにされたので、その分も取り戻したい気持ちで、ロックは恋人───スコールとよく時間を共にしている。
同じ時間を共有するとは言え、元の世界の形がどうやらかなり違うとあってか、二人の会話は余り長くは続かない。
スコールが元々寡黙な性質で、話しかけられても最低限の返事があれば良い方、と言うのもある。
ロックも最初は間が持たない沈黙に居た堪れない事も多かったが、恋人になる程に深い仲になれば、もう慣れたものだった。
また、スコールの沈黙と言うのは、彼の声が音になっていないだけで、目の中は案外とお喋りなのだ。
だからロックが話しかければ、眼が返事や反応をくれる。
興味がないなら視線は手元の愛剣に落とされたままだが、琴線に触れれば此方を見る。
蒼の瞳は存外と正直者で、興味のあるものを真っ直ぐに見詰めるのだ。
今、スコールのその瞳は、ロックの手元に散らばった鉱石に向けられている。
色も形も統一性なくバラバラのそれは、世界の探索のついでにと拾い集められたものだ。
この異世界では、召喚された戦士達を相手に商売をしているモーグリがいて、そのショップで買い物をする為に、金であったり物であったりが必要になる。
鉱石の類は、換金にも物々交換にも使われるから、各々で気が向いた時にでも、と採取が行われていた。
鉱石はどれでも良いと言う訳ではなく、一定の質か或いは量が必要で、それと等価のギル及び商品と交換する事が出来る。
この為、宝石類を鑑定する目を持つロックやジタン、バッツ、セシルと言った面々は重宝されていた。
「ん~……」
ルビー系を彷彿とさせる赤い鉱石を取り、空に透かして見るロック。
角度を変えながら光の反射具合を確かめ、目を凝らして石の中を観察する。
少し混じりけがあるように見えるが、質としては良い方に入るだろう。
ロックはその石を良質なグループへと加えた。
黙々と作業を続けるロックの隣では、スコールが座ってその様子を観察している。
時折、ロックが仕分けを済ませた石を手に取って、薄明るい太陽に透かして見ていた。
それが自分の真似をする幼子のようで、ロックの口元に笑みを誘う。
「お前も鑑定してみるか?」
「……」
ロックが声をかけると、蒼の瞳が此方へと向く。
引き結ばれた唇の中で、恐らく色々と考えているのだろうしばしの間の後、スコールは首を横に振った。
「あんたがしてるのに、俺がやる意味がない」
「目を磨く練習にはなるぞ。俺やジタン達がいない時、自分で出来れば手間も省ける」
「……良い。俺には必要ないものだ」
スコールのその返答に、まあそうかもな、とロックも思う。
スコールは自身を傭兵と称する。
ロックの世界では、傭兵もそれなりの審美眼が必要である事や、報酬として渡される宝石類を換金する事で生活を賄う者もいるから、損をしない為にそこそこに目を鍛える者もいるが、スコールの世界では物々交換は殆ど存在しないそうだ。
金が世界を十分に巡る位にあると言うことや、その価値が統一され信用されているからだろう。
だからスコールの世界では、鉱石類は加工されるものとして、宝石はその輝きを装飾品として用いられるのが主であると言う。
装飾品については、所謂“贋物”も多く出回っており、天然物の宝石よりも遥かに人目に触れる機会が多く、更にはその質も本物と見劣りしない程にそっくりに作る事が出来るとか。
それじゃあ宝石発掘に精を出してる奴らは損だな、とロックは思ったのだが、意外とそうでもないらしい。
贋物では出せない輝きを求めて本物を求める富豪はいるようで、また逆に希少であるからこその価値の高騰があるそうだ。
一攫千金の博打の類ではあるが、利益が出れば相当な額が入るそうで、それを求めて発掘を生業にしている者もいる。
────いるのだが、そう言う人々の間で成り立つ宝石類の売買に、スコール自身が直接触れるような機会は早々ないので、個人的に鉱石類に興味があるなんてことでもなければ、多くの人間は天然物と人工石の区別も曖昧なようだ。
そう言った背景を考えると、確かにスコールに宝石鑑定の眼は必要ないのかも知れない。
知識は邪魔にはならないから、鑑定のコツなど知って置く事に損はないのだろうが、スコール自身はやはりそこまで興味が持てないようだ。
鉱石と魔石、宝石をグループ分けする程度が判れば十分、とスコールは思っている。
スコールのその価値観を、ロックは無理もないなと思いつつ、
「眺めてると案外面白いものもあるけどな」
「……」
「ほら、これとか」
丁度光に透かして見ていた石を、ロックはスコールに差し出した。
スコールはロックの手の中にある石をしばし見詰めた後、摘まんで空に掲げて見る。
薄く白く濁ったように見える石。
ロックの手にあった時は、そう見えていた石が、光に翳すと白が溶けたように透明になり、中に何かが内包されているのが判った。
正方柱が幾つも重なるように密集し、蒼鈍色の光が反射されている。
ほう、と見入るスコールを、ロックは次の鑑定に取った石を遊ばせながら見て言った。
「珍しいだろ。宝石の中に宝石がある。それも、中にあるのは二つ」
「……二つ?一つの石じゃないのか」
「混じり合ってるんだ。それぞれの特徴が別々に浮き出てる。表面で覆ってるのは多分クォーツだけど、中はフローライトと、いや───うーん、顕微鏡でもあればはっきり判るんだけどな。でも希少なのは確かだぞ」
スコールの手にある鉱石のサイズは、1cmにも満たないものだ。
これで内包された石の種類まで正確に鑑定するには、それなりの機材が必要になる。
しかし、この世界でそんな代物を望める筈もなく、貴重なものであると判れば十分でもあった。
ロックの解説に、ふぅん、とスコールの反応は鈍い。
しかし、瞳はじっと宝石を見詰めており、希少価値からか、彼の興味を惹いたのは確かだろう。
夢中になると眉間の皺が緩んで、幼い輪郭が滲むスコールの横顔に、ロックはくすりと笑みを浮かべて、鑑定作業に戻る。
「お」
手にしていた石をまた光に掲げて見て、ロックの眼が輝いた。
「見ろよ、スコール」
「……?」
呼んでロックがスコールに見せたのは、濃い蒼色を持った石だった。
ロックの手の中で、僅かに角度を変える度、蒼に青に藍にと僅かに色味が変化する。
ちかちかと目の中で反射するその光に、スコールは眩しさを感じて目を擦った。
「…その石がどうかしたのか」
「お前の瞳と同じ色だ」
「は?」
「綺麗な蒼色だよ」
そう言ってロックは、蒼の石を良質にも悪質にも属さない群へと分けた。
これは個人的にロックが気に入った石を、他と混ぜてしまわない為のグループだ。
基本的に鉱石にも宝石にも、特別に思い入れを作らない───何せ鉱石はその類を問わず飯の種であったので、価値が高くとも売る事に抵抗はないのだ───ロックだが、この石だけは別にしようと思った。
誰より愛しい恋人と同じ色をした石なのだから。
バッツにでも頼めば、アクセサリーにでも仕込んで貰えるだろうか。
あいつは器用だよなあ、と思いながら、ロックはまた鑑定作業へと戻った。
ロックがまた集中作業に戻ったので、スコールは再び暇を持て余す。
視線はロックの手元から、その横顔へと向かう。
バッツやティーダ程ではないが、ロックも中々表情が豊かで、朗らかである印象が多い。
その顔が今は真剣そのもので、小さな石の小さな傷も見逃すまいと睨んでいるのが、スコールには少々新鮮な光景だった。
普段の何処か余裕さえ醸し出す朗らかな表情とは違い、じっと一点を睨んでいる横顔に、スコールの胸の奥がゆっくりと鼓動を速めていく。
しかし、ただ見詰めているだけと言うのは、存外と体感時間を長引かせる。
眺めているだけと言うのも段々と退屈になって来て、スコールの眼は他に何かないかと彷徨い、ロックが特別に分けた蒼い宝石へと向けられた。
(……俺、あんな色なのか?)
右手を目元に持って行ってみるが、当然、自分の眼を自分で見る事は不可能だ。
鏡があれば別だが、そんなものは荷物袋に入っていないし、此処には湖もないから自分の顔を見る事は出来ない。
結局、よく判らないまま、スコールの手は元の位置へと下りた。
それからなんとなく、スコールの眼は仕分けを終えた鉱石の群れへと向かう。
本来、鉱石は鉱脈の質に依存して採取されるものが変わる筈だが、この世界ではそれらも混ぜこぜになっている。
大体、発掘作業と関係なく、道端に落ちている石を拾うだけで、多様な質の石が発見されるのだから、理屈や常識に捕らわれて考えるほど無意味だ。
お陰で拾い集められた石は、統一性がないと印象になる程、色も形もバラバラだった。
スコールはその群れの中から、一つ、手に取ってみた。
ちらとロックがそれを見たが、特に何も言われなかったので、スコールも気にせず石を光に翳す。
指先に摘まんだそれを、角度を変えながら眺めた後は、元にあった位置へと戻した。
次はその隣に置かれていた、似た色を持つ石を取って、また光に翳す。
そしてまた元の位置に戻して、また似た色の石を取り……と繰り返すスコールに、ロックは最後の一つの鑑定を終えてから声をかけた。
「何か気になるものでもあるか?欲しいのあったら自分のにしても良いぜ。結構一杯集まったし、一つ二つくらい平気だろ」
「……いや……」
ロックの言葉に、そう言うつもりじゃなかった、とスコールは口籠る。
気にするなとロックは笑ったが、スコールは手元の石に視線を落としつつ、
「……あるんじゃないかと思って、なんとなく見てた」
「ん?何が?欲しいのあるなら探すけど」
「い、や。別に、そう言うのじゃなくて」
言葉の初めが酷く声が小さくて、ロックは聞き取れなかった。
何かを探しているらしい事は判ったので、詳細を尋ねる代わりに提案すると、スコールは首を横に振る。
「あんたと同じ色、ないかと思って」
「俺?」
「……あんたの、瞳」
首を傾げるロックに、スコールは自分の貌が映り込んだヘーゼルカラーの瞳を指す。
ぱちり、と虚を突かれた表情で瞬きをするロックから、スコールは目を逸らし、
「でも、なさそうだ」
「え。そ、そうか?割とよくある色だと思うけどな。黄褐色系の宝石は割と多いし」
ロックの言葉に、スコールは首を横に振る。
「似たような色はあるけど、違う。あんたの瞳の方が、ずっと綺麗な色をしてる」
「そ……そう、か?そんな言われる程じゃないぜ、俺のは」
「自覚がないだけだろ。確かに、眼の色だけで言ったらあんたのそれは珍しくはないのかも知れないけど……俺は、そんな綺麗な色、あんたが初めてだった。他に見た事もない」
スコールの言葉に、それはまた大袈裟だな、とロックは思う。
その傍ら、無性にむず痒くなる鼻頭を掻いた。
スコールの視線はまた一つ、手に取った宝石へと向けられている。
その白い頬がほんのりと赤いのを見付けて、今になって照れているのかと、そう思ったロックの頬も伝染したように赤くなった。
気付かれるのはなんとなく恥ずかしい気がして、ロックはそそくさと隣の恋人から視線を外す。
しかし、そうして視界に入れてしまった蒼い宝石に、また緩んでしまう口元を、考える仕種の振りをして右手で隠した。
(そんな事言ったら、お前だって────お前の方が、よっぽど)
蒼に青に藍に光る石。
石の名や、希少価値はさて置いても、確かにそれは美しかった。
だが、それを見て彷彿とさせる蒼灰色の宝石は、もっと鮮やかで綺麗な色をしている。
職業柄、そして自身の目的もあって、粗悪物も含めて多種多様な宝石を見て来た。
だから光物には眼が慣れているし、故に肥えてもいて、少し貴重なもの位なら驚く事もない。
でも、とロックは思う。
(俺だって初めて見たよ。そんな綺麗な蒼色は)
あんたの眼が綺麗だと、そう言った少年の瞳は、何より誰より美しいのだ。
だからロックは、ずっとずっと、その虜にされている。
『付き合っているロクスコで、お互い「好きだあ…」ってなっている』のリクエストを頂きました。
鉱石とスコールの眼を絡めるネタ好きで何度も書いてしまう……
特に鉱石や宝石に詳しい面子だと、その市場的価値も判っている分、よりスコールの瞳の逸材性に堕ちてるとか好きです。
※倫理的、現実の法に反する描写を含みます
バラムガーデンは傭兵育成機関であり、其処で学んだ知識と技術を使って、卓越した技能を持ち、優秀な成績を収めた者が、『SeeD』となる。
大まかに言えばそう言うものなのだが、最終地点に至るまでには、様々なカリキュラムが組まれていた。
SeeDになる為の試験を受けるには、先ずSeeD候補生と称される所まで辿り着かなくてはならない。
そして候補生になれたとしても、肝心の実施試験を受けるには、その手前に用意された課題をクリアしなくてならなかった。
また、候補生になる為にも課題は用意されており、それは事実上、SeeDとしての適性テストであるとも囁かれていた。
SeeDは金に雇われ、雇用主の求めに応じてその力を振るう。
そう言ったものが恒久的に求められる程度には、この世界は殺伐とした所があった。
更には、それを十代の少年少女が人生の目標のように進路に掲げ、実際にその身を賭して戦場へと赴くと言う、平和な時代であれば批難もあろうと言うものだが、現実として、“傭兵教育機関”であるガーデンは世界で三校に数える程の需要を満たしていた。
入学した若者達の全員が傭兵として巣立つ訳ではないが、多くがその道を歩むか、ガルバディアガーデンからは軍へと引き抜かれる者が多いのは事実である。
故に、其処で学びの日々を過ごす少年少女達は、常にその手に人の命を与奪する可能性と、同時に自身の破滅の未来を持っていた。
それがより現実味のあるものとして直面する事になるのが、“候補生になる為の試験”だった。
15歳になったスコールにも、その日はやって来た。
候補生となる為のテストが始まる当日、未だに詳細が明かされないそれにやきもきしていたスコールの下へ、迎えに来た教員から渡された一枚のプリント。
“候補生試験”の内容は、生徒によって異なり、その詳細は当日まで秘されていると言う噂があったが、あれは嘘ではなかったのだ。
内容は他言無用とされており、緘口令にも近いものが敷かれていて、試験の合否に関わらず、内容を他者に口外すれば、それが発覚した時点で失格とされる。
更には、来年以降のテスト受講も不可となり、事実上、SeeDへの道が閉ざされる事となる。
正SeeDとなった後、依頼内容の守秘が求められる事を考えれば、確かにそれが出来ない者はSeeD資格を持つに適さない、と判断されるのは無理もない───とスコールは思う。
しかし、実際に渡された“試験内容”を見て、スコールは言葉を失った。
(これは……正SeeDがやるべき任務じゃないのか?)
ローブを来た教員が手ずからに持ってきた、“候補生試験”の内容を記したプリント。
一見して授業で渡されるようなプリントと変わらない(敢えてそうしているのかも知れない)代物に綴られるのは、候補生になる為の試験に使うには、余りにも重いもの。
在る国の某と言う人物を暗殺せよ────と、とても候補生にすらなっていない只の一生徒に任せるべきではない内容が書かれていた。
何かの間違いじゃないのか、とそんな気持ちで顔を挙げれば、掘りの深い顔立ちが見える。
細められた双眸に当て嵌められた眼球の、黒々とした眼が、薄ら笑いを浮かべてスコールを見ていた。
「何か質問は?」
「……い、え」
訊ねた教師の言葉に、スコールは辛うじてそれだけを返した。
質問はあった。
これが試験だという事への疑問や混乱は勿論、本当にこれを試験内容と鵜呑みにして良いのか。
他にも候補生試験を受ける生徒はいる筈だが、それらにも同様の試験内容が渡されているのか。
だが、それらの疑念を口に仕掛けた所で、『SeeDは何故と問うなかれ』の言葉がスコールの意識と言葉を飲み込んだ。
其処から導き出された答えだけを返事とすれば、教員は満足げに頷く。
「宜しい。では、これも渡して置こう」
「……これは?」
教員は、長い袖の中に隠すように持っていたものを差し出した。
受け取るとそれはスコールの掌に収まるサイズの小さなアンプルで、中には薄らと色のついた液体が入っている。
なんとなく、首の後ろがちりちりと嫌な感覚を覚えるのを感じながら、正体を求めて訊ねると、また教員は笑みを深め、
「緊張するようであれば、使うと良い」
それだけを答えて、教員は背を向けた。
質問答えになってない───スコールはそう言いたかったが、結局はこれも飲み込んだ。
行くぞ、と言う教員に促される形で、スコールはガンブレードケースを掴んで部屋を出た。
廊下に出ると、スコール同様に候補生試験を受ける為に呼ばれたのであろう、他の生徒達が並んでいた。
教員は後にも一人、生徒の部屋を訪れ、その主を連れ出した後、生徒達を駐車場へと誘導した。
駐車場で生徒達は幾つかのグループに分けられ、それぞれガーデン所有の車両へと乗せられて、移動を開始した。
生徒達は、外の景色も見えない鉄車に揺られながら、各自の試験内容に即した地へと送られる事になっている。
スコールの場合はガルバディアにあるデリングシティであったから、一緒に乗せられた生徒も、恐らくは同様の目的地なのだろう。
同乗している生徒達は、それぞれ個々に散らばるようにして過ごしており、車内は沈黙ばかりが支配している。
重苦しいのは皆が緊張しているからか、それとも、不穏極まりない試験内容の所為か。
スコールと同じ試験内容の者がいるのかは知らないが、仮に皆が同様の内容を持っているのであれば、息が詰まるようなこの空気も無理はないだろう。
(……暗殺……)
スコールは、プリントに綴られていた試験内容を思い出していた。
暗殺の対象の名前は、スコールもニュース番組等で聞いた事がある。
余り詳しく知っている訳ではなかったが、若くして実業家として成功し、新進気鋭のナントカ、と言った異名で呼ばれていた。
成功を妬まれているのか、後ろ暗い事もやって来たのか、何かに影響を齎しそうなので厄介に思われたとか、殺される理由には事欠かないような気はする。
資産家としても名が広がっているようなので、それを狙う輩もいるのかも知れない。
いや、対象の死が求められる理由など、スコールにはどうでも良いのだ。
それは『SeeDは何故と問うなかれ』で終わる話で、スコールに求められるのは任務の内容について思考する事ではなく、それを遂行する力────なのだけれど、
(……人を……殺す。殺さないといけない。ただの、一般人を)
傭兵を目指しているのだから、近い将来に人を殺める可能性がある事は判っていたつもりだ。
SeeDは地域紛争に武力として投入される事もあるし、某かの交渉の時に対抗威力として配置を求められる場合もある。
だから、そう言う場面に乱入して来る人間───敵対する軍人やゲリラ、テロリストなど───を屠る場面がある事も理解していた。
だが、暗殺の対象として挙げられた人物は、戦う力を持っていない一般人だ。
大層な肩書は数あれど、軍に所属している訳でもないし、スコールのように戦う術を学んでいる訳でもないだろう。
そう考えると、途端に喉の奥が冷えたような気がして、スコールは呼吸の仕方が判らなくなった。
(何を、今更。傭兵ってそう言う事だろう。金さえ積まれれば、どんな事でもするって。俺は、そう言うものに、なるって────)
SeeDになる事だけが、スコールが明確に見る事の出来る目標だった。
だからその為に勉強して来たし、良い成績が納められるように、バトルに関しても修練は欠かさなかった。
ようやくその目標が形となって近付いて来たのに、急にこんな悪寒に囚われるなんて、余りにも自分は弱過ぎるのではないか。
詰まる呼吸を正常に戻そうと、スコールは努めて静かに、ゆっくりと呼吸を試みた。
息を吐き、吸って、吐き、吸う。
普段、当たり前にしている筈のその行為が、酷くぎこちない行いのようになって、スコールの額には脂汗が滲んでいた。
(こんな調子じゃ……)
自分の有様に、SeeD適正失格、の文字が頭に浮かぶ。
少しでも呼吸を楽にする術があれば、と歯を食いしばるスコールの脳裏に、ふっと蘇ったものがあった。
(あのアンプル……)
教師から渡されて直ぐに部屋を出たが、あのアンプルはスコールのジャケットの中に入っている。
おもむろにそれを取り出したスコールだったが、密閉容器の中で揺れている液体を見て、冷静な思考が帰って来る。
────緊張するようなら使え、とあの気味の悪い笑みを浮かべた教師は言った。
つまりはそう言う代物なのだろうが、果たしてこれは安全なのだろうか。
いや、そもそも、本当にこれが緊張云々に作用するものなのかも判らないのだ。
正体の分からないものを服用するのは、それこそ迂闊な自殺行為で、SeeDを目指す者が取る行動ではないのでは。
手の中に納まる液体をじっと見つめるスコールの視界に、影が落ちる。
見覚えのある足元と、それを囲うように連なる白いコートの裾を見て、スコールはその持ち主を悟る。
「……サイファー」
「ああ。お前もいるとは、大した偶然だな」
スコールから見て一つ年上で、何故かいつもちょっかいを出してくる男。
一足早く候補生になる権利を得た筈なのに、候補生試験に同乗しているサイファーに、そう言えば落ちたって言ってたか、と一年前の記憶を掘り起こす。
何をして昨年度のサイファーが失格となったのかは知らないが、今年度もこうして試験を受けている辺り、SeeDを目指す資格そのものを剥奪された訳ではないようだ。
どかり、とサイファーはスコールの隣に腰を下ろした。
最近ティンバーで見つけたらしい白コートは、随分と彼のお気に入りになっているようで、いつでも何処に行く時でも着用している。
お陰で最近のサイファーは、ガーデンの何処にいても目立っていて、目撃例が絶えなかった。
よくそんな格好で過ごせるな、とスコールは思うのだが、自己顕示欲の強い男にとっては、他人から少々注目を集める位は大した問題ではないのかも知れない。
サイファーはスコールの手にあるものを見て、フン、と鼻を鳴らす。
「使うのか」
「……?」
「それだよ」
サイファーに指差されて、スコールはアンプルを見た。
どうやらサイファーは、これの正体を知っているらしい。
「……あんた、これ、知ってるのか」
「一応な」
「これ、何なんだ?」
「楽しくなれる便利なオクスリ、だろ」
そう言ったサイファーの口元は、歪な笑みに歪んでいる。
翠の瞳は冷たく光り、刺すような鋭さでスコールを見ていた。
茶化した風のあるサイファーの言葉に、スコールが眉根を寄せていると、サイファーは更に続ける。
「お前、知ってるだろ。お前と同室だった、スイ───なんとかって言う先輩」
「……あの人なら、去年の冬にいなくなった」
「ハッ、そうだろうな」
鼻で笑って見せたサイファーに、スコールは首を傾げる。
サイファーは声を見初めて、スコールの耳元に唇を寄せて言った。
「あの先輩、それ使ったんだよ。去年の候補生試験の時に」
「……え?」
「嘘じゃねえよ。見たからな」
この目で、とサイファーは翡翠の瞳を指して言う。
────スコールと同じ部屋を使っていた、三つ年上の生徒。
単に共同部屋が同じであっただけで、スコールが彼と交流を持った事はなかったが、その人物がある時期から様子が可笑しくなり始めた事は知っていた。
顔を合わせればスコールにも挨拶程度はしてくれる、温和な顔をしていた人物だったのだが、昨年の夏を過ぎた頃から、その表情が歪になっていった。
ブツブツと独り言を言っている事も増え、挨拶も交わさなくなり、他のルームメイト達と口論している場面も目撃されている。
スコールには、彼が何か異常なものに憑りつかれているように見えて、関わり合いになる面倒さを察知し、早々に我関せずの距離を取ったのだが、彼と誰かが口論する声は度々聞こえていた。
それを仲裁する教員の姿もよく見られ、窘められた生徒は、その教師に何処かへと連れていかれていた。
恐らくは説教をされていたのだろうが、かと思ったら、ある日には酷く晴れ晴れとした顔を浮かべて、陽気な挨拶をしてきたりと、その落差がより彼の異常性を際立たせていた。
そして冬休みが始まると言う頃に、彼は忽然と姿を消した。
いつの間にか退学処理が取られ、部屋はすっかり空っぽになり、今では別の生徒がその部屋を使っている。
件の生徒と仲の良かった生徒達が、何処に行ったか、連絡先くらい───と言っていた通り、彼は何処にも行く先を告げずにいなくなってしまったらしい。
まるで蒸発したかのような消え方に、スコールも違和感を持ってはいたが、とは言え、親しい仲ではなかったのだ。
ドアの向こうで怒鳴り合う声がしていたのも迷惑していたし、その原因でもあった人物がいなくなったのは、平穏の再来でもあった。
だからスコールは、件の人物について深く考える事はなかったのだ。
────その人が、昨年の候補生試験の際、アンプルを使用した。
それを見ていたサイファーは、後に起こった寮でのトラブルを聞いて、このアンプルの正体に気付いたのだ。
「あの先輩の試験内容は知らねえ。だが、去年で確か三回目だとか言っていた。もう二回も失敗してるってな。もういい加減、なんとかしてクリアしないと、自分が情けなくてしょうがねえとか」
「………」
「まあ、話は聞こえて来ただけのもんだ。何処まで本当か俺は知らない。でも、そいつを使ったのは確かだ」
「……それで、使った後はどうなったんだ」
「“ゴキゲン”って奴だよ」
言いながらサイファーは、米神の当たりで人差し指をくるりと回す。
ぞ、とスコールの背中に冷たいものが走った。
世の中には、生き物の交感神経を過剰な刺激を齎す代物が存在する。
それは正しく扱えば医療にも使われる薬となるが、僅かでも使い方を誤れば毒となるものだ。
更に、そう言った類は強い依存性や常習性を備えており、一度でも服用すると、手放す事が非常に難しくなってしまう。
だから本来なら厳格に取り締まられるべき代物で、そんなものがガーデン教員から生徒に手ずから渡されるなどあってはならない───筈なのだが、ガーデンは普通の教育機関ではない。
これからスコールが課される“試験内容”然り、そう言った表向きの顔とは全く違う理屈が存在するのだ。
スコールの視線が、もう一度、手の中の小瓶へと向けられる。
サイファーの言葉が全て本当───と言うのは余りにも鵜呑みにしすぎ、だとは思う。
しかしスコールは、まるで人格が変わるように可笑しくなっていた人間を見て来た記憶がある。
(使ったら、楽になるとして。その後の俺は、どうなる?)
スコールの候補生試験は、目的の人物を殺す事でクリアとなる。
方法は定められておらず、どうやって任務を遂行するのか、完全にスコールの裁量に委ねられていた。
即ち、選ぶ手段を間違えれば、目的を果たす事は愚か、犯罪者として捕まるか、それ所かターゲットの反撃を受けて自分が命を落とす事になるかも知れない。
それは机上の授業を受けていた頃、ぼんやりと想像していた以上に恐ろしく、底知れない闇が付きまとう話だった。
あの人当たりの良い顔をしていた先輩生徒も、同じだったのだろうか。
だから二回の失敗を経験し、また同じ轍を踏むまいと、正体の判らない薬物に頼ったのか。
そうして、試験の合格と引き換えに、自分自身を壊して行ってしまったのか。
(俺は─────)
スコールは、壊れるのは嫌だった。
此処にいる自分と言うものを手放したくない。
だが、初めて現実としてまとわりつく“死”と言うものに対し、背筋が冷える感覚は止められなかった。
アンプルを握るスコールの手に力が籠る。
それを横目に見ていたサイファーが、ぽつりと呟く。
「そんなモンを使ったからって、誰も彼もが可笑しくなる訳じゃねえよ」
「………?」
サイファーの言葉は、スコールには理解できないものだった。
件の人物がアンプルの中身を摂取し、その後どうなったのかを見ている筈なのに、まるでそれとこれとは関係ない、と言うようなサイファーの台詞。
どういう事だ、とスコールが視線で問うと、サイファーは吐き捨てるように言った。
「話は単純だ。そいつを使って可笑しくなるか、使わないまま可笑しくなるか」
「…どっちも同じじゃないのか、それは」
「ああ、同じだよ。違うのは、今楽になるか、ずっと楽にならないかってだけだ」
「……」
「お前がどっちを選ぶんだか、多少興味はあったが、……ま、どうでも良い話と言えば、そうだったな」
そう言ってサイファーは、話は終わりだ、と言うかのように腰を上げた。
まだ新しさのあるコートの固さのある裾が広がり、スコールの顔の横でひらひらと揺れる。
薄暗い鉄車の中で、嫌に存在を主張する白と金色の髪を見上げ、スコールは問う。
「……あんたはどっちだ?サイファー」
サイファーは、昨年もこの候補生試験を受けている筈。
あのアンプルが、試験を受ける生徒に須く渡されているのなら、サイファーも受け取った事がある筈だ。
内容物の正体を察した今年はどうだか知らないが、少なくとも昨年は、彼の手元に一度でも届けられているに違いない。
サイファーが昨年の候補生試験を落ちた理由を、スコールは知らない。
平時の訓練授業の時でも、上官とされる教師の命令を無視して単独行動に走るのはよくある光景だったし、実力はあるのにそう言う行いの所為で振るい落とされるのは想像に難くない。
それでも、候補生試験を受けたと言うことは、少なくともSeeDになる為の一歩として、それをクリアしようと言う気概くらいはあったのではないだろうか。
その時に渡されている筈のアンプルは、その中身は、一体何処に。
じっと見つめて問うスコールの視線に、サイファーは「……さあな」と肩を竦めるのみ。
真意の見えないその仕種に、スコールはもう一度問おうとするが、
『間もなく、目的地Aポイントに到着する。下車予定の者は待機しておくように』
アナウンスに完全にタイミングを奪われて、スコールは閉口する。
ガタン、と車が一つ大きな揺れを越えて、道が不安定なものに変わり、揺れが激しくなった。
車内に散り散りに過ごしていた生徒の一部が動き出し、下車の準備を始めている。
スコールも此処で下りる予定になっている為、溜息を吐きながら、ガンブレードケースを抱えた。
ちゃりん、とちいさな音が鳴って、スコールが視線を落とすと、アンプルが転がっている。
落としたそれを拾おうとして、スコールの手が止まった。
(これを拾って、……その後は、どうする?)
問いかけるスコールに、答えは誰からも与えられない。
脳裏に浮かぶ翡翠の瞳が、同じ問いをそっくりそのまま紡いだが、やはり答えは出なかった。
『初めての任務で人を殺すかも知れない、死ぬかも知れない恐怖を紛らわせるために、ガーデンから渡された依存性のある興奮剤を服用するか悩むスコールと、それを察してスコールの判断を聞くサイファー』のリクエストを頂きました。
大分色んな設定を勝手に作って盛りました。闇深いガーデン、結構好きです。ドロドロで。
結局悩んで答えが出ないままのスコールです。
サイファーは恐らく使っていないんじゃないかなあ、と言う願望交じり。自分じゃないものに自分の意思を振り回されること、今後もそれに縛られる可能性があるようなものは御免って言う感じで。そんなものに頼る位なら、自力で感情を捩じ伏せてでもクリアしてやる、って言う。
それに対してスコールの方は、本編開始頃まで不満はあっても基本的には“駒”であろうとしている節がある気がして、それに徹する為に自分の恐怖心やぐるぐる動く思考がマイナスに働くと思ったら、効率を優先するような感覚でそれらを手放す事も有り得そうな。本編開始の時期までには精神的訓練みたいなものでコントロール出来るように努めようとしそうですが、その前には手っ取り早い手段に惹かれる事もあるんじゃないだろうか。と言う妄想でした。
自分の部屋で勉強をした方が静かで集中できる、と言うのは確かにあるのだが、とは言えこの家で全くの静寂が訪れると言うのは少ない。
扉の向こうで幼い弟が呼んでいたり、妹に呼ばれたり、父母がいれば何か手伝いを頼まれたり。
父母はレオンが勉強していれば邪魔をしないようにと気を遣ってくれるが、妹弟の方はまだまだそうはいかない。
最近、妹の方が気を利かせてか、お姉さんらしくするチャンスと思ってか、レオンが勉強している時は「レオンのジャマしちゃダメだよ」とスコールを連れて行く事もあるが、毎回それが上手く行く訳でもなかった。
弟も案外と空気を読めるので、落ち着いている時にはバイバイと手を振って姉と一緒に行ってくれるが、ワガママスイッチが入ると難しい。
そして何より、レオンの方が妹弟達を放って置く事が出来ないのだ。
姿が見えないとそれはそれで気になって、集中できるようで全く出来ない。
それなら、彼等の様子が確認できる場所でノートを開いた方が良い、と至るまでそれ程時間はかからなかった。
この為、レオンは夜───つまりは妹弟が眠ってから───以外はリビングで過ごす事が多い。
ソファの前のローテーブルにノートと教科書を開き、直ぐ近くで遊ぶ妹弟の声を聴きながら、時々二人をちらちらと見ながら宿題を熟す。
偶にかかる呼ぶ声には、顔を上げてひらひらと手を振ってやると、それで弟達は満足してくれる。
泣きじゃくる声でもしなければ、傍にいて、危ない事をしていないか確認するだけで十分なのだから非常に助かっていた。
良い子で過ごしてくれる妹弟には、日々感謝しかない。
子供の声と言うのは得てして甲高いもので、それを苦手に思う人も少なくないらしい。
確かに、癇癪を起こしたエルオーネの大声や、悪いスイッチが入ってしまったスコールの泣き声は中々耳に響くものがある。
それをダブルで貰う羽目になった時には、流石にレオンも泣きたくなるが、そう言う時には母か父が来てくれる。
その後はレオンも少し休憩時間を貰って、一人きりの部屋で休んで、そろそろ落ち着いたかなと言う頃に妹弟の下へ戻っていた。
それ位に、レオンにとって、スコールとエルオーネの声と言うのは耳に馴染んでいる。
いや、体に馴染んでいる、と言っても良いかも知れない。
学校に行っている時以外は、ずっと生活の中にある音だから、意識するしないに関わらず、その声を聴いているのが普通だったからだ。
その声がいつの間にか静かになっている事に気付いて、おや、と顔を上げる。
もう少しで宿題が終わりそうだと集中していた節の事だ。
テーブル横に広げている、子供たちの遊び場として定着したカーペットを見れば、其処に二人の子供が丸くなって転がっていた。
「スコール?エル?」
声をかけてみるが、二人からの反応はない。
ただ、すぅ、すぅ、と規則正しくその小さな肩が上下しているのみ。
最後の課題を終えた問題集を閉じて、レオンは四つ這いで二人の下へ向かった。
向き合う格好で丸くなっている二人の顔をそっと覗き込んでみると、可愛らしい寝顔がある。
親指を吸いながら寝ているスコールと、寝かしつけていたのだろう、左手をスコールの肩に乗せたまますやすやと眠るエルオーネに、レオンの頬が緩んだ。
(起こしちゃ悪いな)
レオンはエルオーネの目元にかかる前髪をそっと避けた。
しかし前髪は空調の風を受けて、またエルオーネの目元に被ってしまう。
そう言えばここは良く当たる、とレオンは天井の隅に設置された空調機を見上げた。
外はうだる暑さの中、この空調のお陰で家の中は頗る快適だが、二人が寝ているこの場所にはその風が直接届くのだ。
レオンは立ち上がると、足音を立てないように、且つ速足でリビングを出た。
自分の部屋に入り、抜け殻の後を残したベッドから、薄手のタオルケットを持ち出す。
リビングに戻るとそれを広げ、眠る二人の体にかけてやった。
(よし)
これなら空調の風が彼等の体を悪戯に冷やす事はないだろう。
ついでにレオンは空調のリモコンも操作して、風向きも調整して置いた。
レオンはスコールとエルオーネの隣に座って、ぐぐ、と伸びをした。
ふう、と息を吐いて天井を仰ぎながら、随分と静かだな、と思う。
母レインは買い物に、父ラグナは近所付合いの食事会に呼ばれて、まだ帰って来ていない。
ラグナはいつ帰るか判らないが、レインは買い物に行った時間から計算して、恐らくもう直ぐ帰って来るだろうとは思うが、今の所は玄関の音も聞こえない。
土日になるからと宿題はいつもより多く出されていたのだが、思いの外早く終わった。
空いた時間をどう過ごそうか、と考えるレオンだが、あまり浮かばない。
こう言う時には、スコールやエルオーネが遊んで構ってと来てくれたから、それの相手をするのが常だった。
しかし今日は二人がよく眠っているので、それもない。
(うーん……)
手持無沙汰な気分で寝返りを打つ。
と、エルオーネがもそもそと身動ぎして、ぱたんと仰向けに転がった。
レオンは二人の周りをぐるぐると回って、それぞれの顔が見える位置を探した。
仰向けになったエルオーネの少し上、斜めの当たりなら、スコールの顔も確認できる。
レオンは其処に横になって、腕を枕に妹弟の寝顔を眺める。
(偶にはこう言うのも良いな)
元気に遊ぶ二人の相手をするのは厭ではない。
けれど、こうして心地良さそうに眠る二人を眺めているのも、レオンは好きなのだ。
勉強も終わった事だし、今日はこのまま、彼らが起きるまで休むとしよう。
そう決めてからしばらく妹弟を眺めていたレオンが、いつの間にか眠ってしまうまで、時間はかからなかった。
近所住まいの人々に声を掛けられ、食事会に誘われるようになってから随分経つ。
ラグナは持ち前の明るさと人懐こさで、参加するようになってから間もなく溶け込んだ。
利発な長男、元気な長女、内気な末っ子の事もよく知られており、妻も買い物中に出逢うといつも挨拶してくれると皆が好かれていた。
その話を人々から聞く事が出来るから、ラグナは食事会に誘われるのは嫌いではない。
しかし食事会が終われば、ラグナは案外と直ぐに帰ってしまう。
時間のある人は、二次会を計画していたりもするそうだが、ラグナは其方はあまり参加しなかった。
長男がしっかり者であるとは言ってもまだまだ子供であるし、長女と末っ子は遊び盛りの甘えたい盛り。
妻だけに面倒を任せるのも心苦しかったし、何よりラグナが休日は家族の顔を見て過ごしたかった。
近所付合いも大事だとは判っているが、やはりラグナにとって優先すべきは家族なのだ。
午後三時を回る頃に、ラグナは家に到着した。
ただいま、といつものように声をかけながら玄関を潜るが、思っていた返事はなく、静寂があるばかり。
誰もいないのかと首を傾げたラグナだったが、足元を見ればきちんと人数分の靴が揃っている。
おや、と思いつつ玄関を上がり、誰かいるものと思ってリビングダイニングの扉を開けると、
「おっ、レイン。ただいま……」
「しーっ……」
ダイニングのテーブルに着いている妻の姿に目を輝かせたラグナであったが、レインはそんなラグナを人差し指を立てて諫めた。
その仕種の意味する所にラグナが口を噤むと、あっち、とレインがその指でテレビのある方向を指差す。
家族の憩いの場となっている其方を見ると、カーペットの上に寝転んでいる子供達の姿があった。
「寝てるのか?」
「皆でね。だから、静かに」
成程、とラグナも納得した。
上着を脱いで椅子の背凭れにかけ、音を立てないようにそっと椅子を引く。
レインと向き合う位置に座れば、レインは改めて小さな声で「お帰り」と言った。
「食事会、どうだった?」
潜めたままの声で訊ねるレインに、うん、とラグナは頷いて、
「楽しかったぜ。シドさんが来ててさ、あっちにもスコールと同じ位の子がいるだろ?サイファー君だっけ」
「うん、スコールと同じ幼稚園の子」
「なんか、よくスコールを泣かせちゃう事で謝られちまって」
「ああ、それ、私もイデアさんから言われたわ。でもほら、一番スコールと遊んでくれるのもサイファー君でしょ?」
「らしいなあ。ケンカもするのに、一番遊び相手に選んでるんだよな。サイファー君もスコールが転んだりすると真っ先に来てくれるみたいだし」
「不思議よね。その前に、スコールがケンカをするって言うのがびっくりだったけど。お互いケガさせたりしてないなら、良いわよ、それで」
小声で交わされる会話の間、レインの視線は何度も子供たちへと向けられていた。
ラグナもそれは同じで、一つ会話を交わす事に、ちらりと瞳が同じ方向へと向けられる。
子供三人、うち二人はまだまだ幼い年齢であるから、我が家はいつでも賑やかだ。
そんな子供たちよりもよく喋るラグナが帰ってくれば尚更で、休日だと言うのにこんなにも静かな一時は珍しい。
しかし、ラグナはこの緩やかな時間に、仄かな幸せを感じていた。
「よく寝てるなぁ」
三人揃ってすやすやと眠る子供達を見て、ラグナはそう呟いた。
レインも、「そうね」と頷いて、そっと席を立つ。
「コーヒーを淹れるけど、飲む?」
「うん」
レインの提案にラグナは頷いた。
カチャ、カチャ、と食器を運ぶ細やかな音すら、ラグナは愛おしい。
キッチンでいつものようにコーヒーを挽く妻を見詰めながら、そう言えばこんな風に彼女の姿だけを眺めるのも久しぶりだと気付く。
我が家は皆が母の事が好きだから、何かあるとお母さんに報告しなきゃと走って行く。
特に甘えん坊のスコールは、レインに抱っこをねだる事も多く、必然的にラグナが妻を独占できる時間と言うのも減っていた。
それは仕方のない事で、皆が母の事を大好きと言って憚らないのも良い事だと思っている。
けれども、ふとした時間にこうして妻の姿だけを眺めていられると言うのは、嬉しいものであった。
ラグナは音を立てないように席を離れると、眠る子供達へ近付いた。
腕枕で妹弟を見守るように寝ているレオンと、大の字になっているエルオーネ、指を吸って丸くなっているスコール。
三人それぞれの寝姿に、性格が出るもんだなあ、と思う。
「んんー……」
「んにゅぅ……」
「……ん……」
エルオーネが半身に寝返りをして、スコールがもぞもぞと身動ぎする。
レオンも小さく体を捩って、腕枕に曲げていた腕が伸びた。
肩の高さの分だけ中途半端に頭が落ちたレオンの首が辛そうで、ラグナはソファのクッションを一つ掴む。
気配に敏感な長男が起きないように、そうっとその頭の下にクッションを挟んだ。
ついでに、とエルオーネとスコールにも、枕代わりにクッションを挟んでおく。
これでよし、とラグナが納得した所で、レインが小さな声で夫を呼んだ。
テーブルに戻れば、二人分のコーヒーが置かれている。
「起こさなかった?」
「セーフ」
三人とも寝心地の良い体勢を探して動きはしたものの、瞼は開かなかった。
余程気持ちの良い夢を見ているのだろう、皆どこか楽しそうな寝顔だ。
ラグナは席に戻って、コーヒーを口に運んだ。
淹れ立ての香ばしい匂いが鼻孔を擽り、ほう、と安堵に似た吐息が漏れる。
レインは温かなカップを両手で包むように持ち、香りを楽しむように目を閉じていた。
「……偶には良いわね。こんな日も」
零れるように呟いたレインの言葉に、ラグナもくすりと笑みが漏れる。
全く同じ事を考えていたと言えば、妻もまた笑う。
何でもない穏やかな光景が、一番の幸福の証なのだろうと、ラグナは思った。
子供たちのお昼寝。
それを見守るパパとママでした。
一番最初に起きるのは、レオンかスコール。
スコールが起きると、気配を感じたかのように、連鎖でレオンとエルオーネも起きるんだと思います。
ラグレオオフ本『エモーショナル・シンドローム』その後の設定です。
ラグナが体調を崩すというのは、滅多にない出来事らしい。
それは妻を早くに亡くし、男手一つで息子を育てなくてはならなくなった義務感もあるのかも知れない。
自分が倒れてしまったら、誰がこの子を守るのかと、そんなエネルギーが働いて、病魔もラグナから逃げたのかも。
しかし、バイオリズムとは複雑なもので、どんなにアドレナリンが出ていても、疲労は着実に蓄積されて行き、許容量を越えればそれは容易く表面化する。
滅多にない事ではあるが、稀には起きていた事だと、幼い頃から聡い息子はよく知っていた。
どうにも調子が悪い様子のラグナに気付いたのは、案の定、スコールだった。
いつも通りにレオンが作った朝食を食べる手が進まず、何をするにも反応の鈍さが目立つ父に、体温計を渡した。
大丈夫だけどなぁ、と言いながら、睨む息子に促されて計って見れば、予想通り───ラグナにとっては逆か───の体温が検出された。
有無を言わさず休ませることにしたスコールは、その場にいる大人二人よりも遥かにてきぱきと会社に休ませる旨を伝えていた。
その後、ラグナはスコールの手によって寝室へと押し込められる事になる。
朝食をしている間、レオンは酷く落ち着かなかった。
と言うのも、レオンが父子と共に生活を始めてから、ラグナが体調不良になったのが初めての事だったからだ。
飲み会に担ぎ出されて酔い潰れている所は見ていたが、風邪と思しきものは見た事がない。
自分の食事を片付けている合間も、そわそわとしているレオンに、スコールの方が宥めた位だ。
大人二人がそんな調子なので、スコールは学校に行くのを少々躊躇った。
しかし、レオン自身もスコールに心配をかけてはいけないと思い至ってから、ようやくの落ち着きを取り戻す。
ずっと一人暮らしをしていた事もあり、病人の看病と言うのはあまり経験がないレオンであったが、それでも知識として必要な事は頭に入っている。
レオンは心配するスコールを宥め返して、彼を学校へと送り出す事にした。
スコールも不安はやはり尽きなかったが、直に試験期間が始まる事もあってか、今授業を飛ばす訳にはいかないと思ったようで、家を出る準備を済ませ玄関へ向かう。
それを見送る為に追って来たレオンを見て、スコールは口酸っぱく言った。
「本人が良いって言うから病院は今は良いけど……熱が下がらないようなら、午後には行って診て貰ってくれ。昼は食欲があるなら芋粥とかが良いと思う。好きだから。あと、熱が下がってきたらウロウロしたがると思う。でも今日は大人しく寝るように言え」
一人息子として、稀に体調を崩した際の父の行動パターンを、スコールは完璧に網羅している。
他諸々、注意事項のように挙げて、レオンに一通りを伝えきってから、スコールはようやく登校した。
閉じた玄関扉に背を向けて、ふう、とレオンは呼吸を一つ。
なんだか慌ただしかった───一番は大変だったのはスコールであって、レオンはおろおろとしていただけのようなものだが───空気がようやく過ぎ去って、また一つ落ち着きを取り戻す。
キッチンに戻れば、見送りの為に途中止めにしていた食器たちが鎮座している。
後は殆ど泡を流すだけになっているそれらに水を注ぎ、汚れが落ちた食器は乾燥機に入れて、これで朝のレオンの仕事は終わり。
と言うのが常なのだが、今日はそう言う訳にもいかなかった。
ラグナの寝室の扉に軽くノックをして、そっと開ける。
息子によってベッドへと押し戻されたラグナは、今も大人しくベッドの上に横になっていた。
「ラグナさん、大丈夫ですか」
「んー。うん、まあまあ」
声をかければ、少し元気のない返事。
やはり体調が良くないのだと、普段の元気ぶりから鑑みて如実に判るその様子に、レオンは無意識に眉尻を下げた。
ベッドの傍で膝を折り、横になっているラグナの顔を覗き込む。
すると、僅かに頬を紅潮させた顔で、ラグナはへらりと笑って見せた。
「大丈夫だって、ただの熱だからさ。寝てりゃ治るよ」
「……はい」
安心させる為と判るラグナの言葉に、レオンも小さく笑みを浮かべた。
自分がラグナに心配されてどうする、と自分を叱咤する。
「朝食、余り食べれていませんでしたけど、どうしますか。粥とか、何か」
「あー……そうだなぁ。うーん、リンゴとかあったっけ?」
「あります。切ってきますね。摩り下ろした方が?」
「いや、切ってくれるだけで良いよ」
ラグナの言葉に、判りました、と返して、レオンは寝室を出た。
キッチンに向かうと冷蔵庫からリンゴを取り出し、まな板の上でリンゴに包丁を入れようとして、はたと止まる。
(うさぎ……)
───レオンの脳裏には、この生活が始まってしばらく経った時の事が浮かんでいた。
長年、一人暮らしをしていた事と、必要以上に周りに迷惑をかけまいと気配りし過ぎた事、慣れない他者との同居生活に無意識下で気を張り過ぎていた事など、理由は色々とあるのだが、ともかくそう言った事が原因となってレオンは熱を出した。
幼い頃、ネグレクトの環境にあったレオンは、熱を出した日にも親を頼る事が出来なかった。
母は寝込むレオンを見捨てはしなかったものの、自分の自由な時間を制限される事に酷く苛立ち、レオンに呪詛同然の言葉を向け続けていた。
その頃の記憶はレオンに根深く植え付けられており、今でも他人を頼る事が出来ない。
ラグナ達との生活が始まってから、初めて熱を出した時も同様で、熱による昏倒に至るまで隠し通そうとしていた程だ。
結局、倒れてしまった事もあり、ラグナ達もレオンが無理をしている事に気付いて、その日はラグナが仕事を休んで一日レオンの看病をしていた。
その時、ラグナが用意してくれたのが、うさぎカットのリンゴだった。
レオンが父子の生活に加わるまで、キッチンはスコールの仕事場だった。
彼が幼い頃は、ラグナが家事を奮闘していたそうだが、おっちょこちょいな所があるものだから、色々と事件も起こしてくれたらしい。
成長したスコールが効率を鑑みた末、父をキッチンから追い出したと言うのは、レオンも聞いている。
しかし、ラグナが全く家事が出来ない訳ではないのだ。
試験期間などでスコールが忙しい時は、レトルトを中心としてではあるがラグナがキッチンを使う事もあったし、食後のコーヒーを淹れるのもラグナの役目だ。
スコールが風邪を引いた時には、勿論ラグナがその看病をする。
その看病の中でも、リンゴをうさぎ型にカットするのは得意なのだと言う。
幼い頃、あまり体の強くなかった息子が体調を崩した時、それを特に喜んで食べていたから、ラグナはスコールが風邪を引くと毎回これを用意するそうだ。
───綺麗に砥がれ整えられた包丁で、リンゴを二つに切る。
そこからまた半分にして、芯の部分を切り落とすと、また半分に切り分けた。
8等分になったリンゴの皮に包丁を入れようとして、はた、とレオンの手が止まる。
(……どうやるんだ?)
料理は一つの趣味として細々と楽しんできたレオンであったが、リンゴのうさぎは作った事がない。
所謂飾り切りと言う奴なのだろうが、それもやり方は様々である。
便利なもので、現代にはこう言う時にすぐ調べられるツールがある。
ラグナに「念の為な」と言われ、持たされるようになった携帯電話を取り出して、検索機能を使った。
動画付きで紹介しているレシピサイトを見付けて、それを一通り見てから、またキッチンへ向き直る。
最初に作ったうさぎの耳は、切り込みの入れ方が浅かったのか、上手く立たずに剥けてしまった。
二個目は今度は深く刃を入れ過ぎたようで、起きた耳の下に切り込み線が残っている。
三個目と四個目は右と左の耳がそれぞれ折れた。
難しい、と小さく呟きつつ、黙々と練習する気持ちでトライした末、最後はなんとかそれらしい形が完成する。
皿に乗せた8匹のうさぎにフォークを添えて、レオンはラグナの寝室へと戻る。
「リンゴ、切ってきました。食べれますか?」
「うん。さんきゅー、レオン」
よっこいせ、と起き上がるラグナの体は重みがあった。
いつも年齢を感じさせない快活振りであるだけに、やはり調子が悪いのだな、と印象を受ける。
座ったラグナにリンゴを差し出せば、おお、と翡翠の瞳が輝いた。
「うさぎさんだ」
「初めて作ったので、あまり上手く出来なくて……」
「いやいや、可愛いよ」
そう言って皿を受け取るラグナに、レオンの頬にむず痒さから朱色が浮かぶ。
しゃり、とラグナの口元で果肉が砕ける音が鳴った。
瑞々しい果肉からじゅわりと蜜が溢れ出して、ラグナはうんうんと舌鼓を打つ。
レオンはその様子を眺めながら、
「俺に出来る事ならなんでもするんで、欲しいものでもあったら遠慮なく言って下さいね」
「なんでも良いのか?」
「はい」
リンゴで頬袋を膨らませるラグナに、レオンは目を合わせて頷いた。
噛み砕いたものをごくんと飲み込んで、「じゃあ……」とラグナはリンゴを突きながら考え、
「そうだなぁ。お前かな」
「え?」
ぷす、とリンゴにフォークを刺して、ラグナは言った。
その意味が汲み取れずに、レオンがぱちりと目を丸くすると、眉尻を下げた笑みがレオンを見る。
「いや、な。あんまりこう言う風に寝込む事ないからかなぁ。寝てるとなーんか淋しくなってさ」
「そうなんですか?」
「人肌恋しくなるってのかな?スコールにはあんまり言えないけどさ、恥ずかしくて。良い年した大人が熱出て寂しがってるなんてさ。ちょっと言い辛いって言うか、いや、ただの俺の見栄みたいなもんなんだけど」
言いながら、ラグナは耳のないうさぎを齧る。
しゃくしゃくと小気味の良い音を立てるその頬は、熱でほんのりと赤らんでいた。
「だから今までは、俺がちょっと風邪引いても、スコールにはへーきへーきって言ってたんだ。寝てりゃ治るってさ。そんでスコールが学校から帰るまでに治して、帰ってきたらなんともないぞ!元気だぞ!って見せてやって」
ラグナの言葉に、レオンの脳裏にスコールから聞いた言葉が浮かぶ。
熱が下がったらウロウロしたがるだろうから、と。
それも父にしてみれば、息子に心配をかけまいと言うアピールだったのだろうか。
流石にスコールが成長するにつれ、その手段は反って彼を怒らせる事に繋がるようになったようだが。
───でも、とラグナは続ける。
「でも、一人で寝てばっかいると、なんかつまんないって言うか。静かでさ、物足りなくて。でもスコールに一緒にいてくれよ~って言うのは、なんかな。スコールだって忙しいんだし、感染したくないし」
「……そうですね」
「あ、お前なら感染しても良いってんじゃないんだぜ?」
「はい」
直ぐに弁明するように言ったラグナに、レオンは判っていると頷いてくすくすと笑う。
そんなレオンに、ラグナもまた眉尻を下げて笑い、最後のリンゴを口に入れた。
リンゴ一つを丸々食べれたと言うことは、重いものでなければ食欲は十分あると言うことか。
レオンがそう考えている間に、ラグナは口の中のものを飲み込んで、
「それでも、やっぱりさ、傍にいてくれる奴がいるってのは嬉しいし、なんかちょーっと、甘えたいなあって気分にもなっちゃってさ」
「……俺なんかで良いんですか?」
「お前が良いから言ってるんだよ」
そう言って笑って見せるラグナに、レオンの胸がこそばゆくも温かくなる。
空になった皿とフォークをベッド横のサイドテーブルに置くついでに、ラグナは体の向きを変えた。
傍らにいるレオンと向き合う格好になって、ラグナの右手がレオンの顔へと伸ばされる。
いつもよりも高い体温を宿した掌が、レオンの頬に触れた。
眩しい位にいつも明るい翠の瞳が、今日はほんのりと柔らかくて甘い。
それは熱の上昇が齎しているもので、あまり歓迎できるものではないとレオンも判っていた。
それでも、その瞳が自分を求めてくれているのが判るから、嬉しく思ってしまう気持ちは隠せない。
「……じゃあ、今日一日、俺は此処にいますね」
「うん。ありがとうな」
ラグナの手が優しくレオンの頬を撫でる。
耳の裏に指先が触れて、くすぐったさにレオンの双眸が猫のように細められた。
『エモーショナル・シンドローム』その後の二人でした。
ラグナに食べさせて貰ったリンゴのうさぎが忘れられなかったらしい。
このレオンは自立心が強いようで根底には依存心があるので、その対象になっているラグナに何かあると焦る焦る。
人と一緒に過ごす事にも根本的に慣れてないので仕方ない。
そして生まれて初めて、自分から相手に求められたいと言う気持ちと共にラグナを好きになったので、ラグナに甘えて貰えるのは嬉しいのです。
ちょっと休んできなさい、と言う言葉と共に、ガーデンから放り出された。
缶詰になっていた自覚はあるが、こうして放逐されなければならない程とは思っていなかったので、強引すぎやしないかと思う。
しかし、補佐官と言う役割についているキスティスだけでなく、シュウやニーダ、挙句にサイファーにまで「当分戻るな」とまで言われてしまった。
その理由が、うっかり三日ほど食事を採るのを忘れていたと言うものだから、流石にスコールもぐうの音が出ない。
ガーデンが人手不足で、その穴をスコールが過剰な稼働時間で埋めているのは確かで、それによりスムーズに回っている事があるのも事実。
しかし、それでは今後のガーデンにとっても全く宜しくない訳で、そうした負担は分散させるべきものである。
だが、元々誰かに頼る事を苦手としているスコールは、「他人に任せるより自分が行った方が早い」と言う判断で、諸々の仕事雑事を手前で片付けてしまう。
それが判っているからキスティスもサイファーも先んじて雑事を拾い、多方面に分散させてはいるのだが、如何せん、現在のガーデンのトップにいるのはスコールである。
全ての事柄を最初に確認する事が出来る立場にいる彼は、後に仕事を残す事を嫌う生真面目さと面倒臭がり屋もあって、端末の中に整理されたものを逐一確認する。
そうして誰よりも最初に案件を拾っては、自分が処理してしまうのだ。
苦手な案件の類もあるので、それ位は人に回す事を覚えたスコールであるが、元々彼は優秀な性質である。
大方の事は処理出来てしまうのが、反って彼の仕事量を増やしていた。
要するにこの急な休暇は、スコールを歯車から人間に戻す為の期間なのだ。
真っ当な睡眠時間を確保し、ゆっくりと一日三度の食事を食べ、運動をするのなら適度なもので終わらせる。
仕事の事はさっぱり忘れて、健康で健全な生活を取り戻すまで、ガーデンに戻って来るな、と言うことだ。
おまけに「しばらく使う予定はないから」とラグナロクまで渡されている。
魔女戦争の後、アデル討伐も含めて最大の功労者であるスコール───対外的にはバラムガーデンと指して───に報酬としてエスタから寄与されたものだ。
平時は遠方、または緊急の任務の足として使われるものだが、これもスコールと一緒に休暇に出された訳だ。
ラグナロクさえあれば、着陸場所だけは聊か選ぶ必要があるが、それでも基本は何処に行くにも自由が利く。
これで何処にでも行けと言う訳だ。
出掛ける手段がないから何処にも行かない、結局指揮官室に戻る、と言う選択肢を潰されたとも言える。
一応、指揮官と言う役職にある自分が、ラグナロクを使って気儘なお出掛けなんて、職権乱用が過ぎるんじゃないか。
そう思いつつも、仕方がないのでスコールはラグナロクに乗り込んだ。
すっかり使い慣れてしまった自動操縦システムを起動させて、目的地を打ち込もうとした所で、手が止まる。
(……何処に行けば良いんだ?)
缶詰生活から急に解放されるなんて露ほども思っていなかったので、何も予定が浮かばない。
何処にでも行ける、となると反って具体的な例が浮かばなくて、スコールは固まった。
ゆっくり休んで、ゆっくり食事をして、ゆっくり寝られる場所。
例えるなら保養地のような場所なのだろうが、リゾート的な街と言うのは、観光客が多かったりして、スコールは余り好きではない。
第一、そんな事をするのなら、バラムガーデンの寮で過ごしていれば早い話だ。
しかし、ガーデンには戻して貰えそうにないので、その選択肢は使えない。
一人切りの操舵室で悩む事10分少々────スコールは頭に浮かんだ光景に、それもやはり悩んだが、最終的には目的地の入力をしたのだった。
他の街とは全く重なる事のない、幾何学的な形をしたビルが幾つも並び、川のように伸びた空中の道路が行き交う国────科学大国エスタ。
スコール一人を乗せたラグナロクは、バラム島を発つと、真っ直ぐにこの地を目指した。
陸路を行けば延々と電車に揺られ、F.H.傍まで来たら、定期運航されているようになった小型飛空艇に乗ると言うのが、今外国人がエスタに入国する為に必要となるステップである。
F.H.に辿り着くまでに、電車で何時間と揺られなくてはならないので、まだ気軽な道とは言えない。
しかしラグナロクを使って一直線の空路を行けば、ほんの1、2時間程度の往路で済む。
スコールがエスタに到着した時、時刻は昼を過ぎた所だった。
ショッピングモールのファストフードで買った昼食を食べながら、ラグナにメールでエスタに来た旨を伝えてみると、「マジ??」と言う返事。
休暇の話なんて前にしたのはいつだっただろう。
それ位に、スコールがエスタの地に足を踏み入れたのは、久しぶりの事だった。
ジャンクではあるが、真っ当と言えば真っ当な食事を食べている間に、ウォードが迎えにやって来た。
最近ようやく慣れて来た、筆談を伴った彼との会話で、ラグナは官邸で仕事をしていると言う話を聞く。
邪魔になるなら私邸に行く、とスコールは言ったのだが、折角だから顔を見せてやってくれと言われ、促されるままに大統領官邸へと向かう事になった。
官邸内はいつもの様子と変わりなく、沢山の執政官が右へ左へと忙しなくしている。
その横を素通りする格好で、スコールは大統領の執務室がある奥へと通された。
ウォードが扉のノックをすれば、「どーぞー」と間延びした返事。
開いた扉の向こうへとスコールが通されると、山積みになった書類に埋もれたデスクの向こうから、眼鏡をかけたラグナが此方を見た。
「スコール!」
嬉しそうに椅子を立ったラグナが、両手を広げてスコールの下へ駆け寄って来る。
その勢いの良さに後ろ脚を踏んだスコールだったが、ラグナは構わずスコールを抱き締めた。
ぐりぐりと猫でも可愛がるような手厚いスキンシップに、スコールの眉間に多重の皺が寄る。
「暑苦しい」
「わりわり。久しぶりに顔見れたから嬉しくて」
腕を突っ張って剥がされ、ラグナは眉尻を下げて詫びた。
「少し座って待っててくれよ。悪いな、ちょっとバタバタしててさ」
「……それなら俺は出た方が良いんじゃないか」
誰から見ても忙しない大統領官邸の内部の様子。
部外者であり、急な訪問をした自分は邪魔だろうと、スコールはそう言ったのだが、
「いや、もう大方片付いてるから、あと最後のツメだけなんだ。だから其処にいてくれよ」
「……」
「終わったら昼飯───はもう食った?」
「さっき」
「じゃあコーヒーでも淹れるからさ。それまで待ってて」
そう言ってラグナはデスクに戻り、待機していたキロスと話を再開させている。
スコールはウォードに促されて、来客用のソファへと座り、言われるままに待機する事にした。
何か打ち合わせでもしているのか、ラグナはキロスと真剣な表情で話をしている。
其処にウォードも加わり、声が出せない筈なのに、二人はいつものように、しっかりと彼の意思を読み取っていた。
言葉がないのにどうしてあんなにもスムーズに判り合えるのか、それが竹馬の友と言うものなのだろうか。
ようやく、人と繋がりを持つ事に拒否感を持たなくなってきたばかりのスコールには、不思議な光景だった。
しかし、今日はそれよりも気になる事がある。
(……眼鏡かけてる)
手に持った書類を見るラグナの目元を覆うグラス。
ウェリントン型の細い黒のフレームは、シンプルながらラグナによく似合っている。
おしゃれと言うより、重厚そうな雰囲気があって、恐らくは完全に仕事に使う為の代物なのだろう。
ラグナが眼鏡をかけていると言うのは珍しい事ではなく、朝の新聞のチェックであったり、書き物をする時には使っていた。
小さな文字や、距離の近いものを見る時にピントが合い難くなったとかで、四十路になった頃から常備するようになったらしい。
所謂老眼鏡と言う奴で、それをかける姿をスコールが見詰める度、「敏食っちゃってさあ」と恥ずかしそうに苦笑していた。
そう言う意識もあるからか、ラグナはスコールの前で眼鏡を使うのは最小限に留めている節がある。
時折、眉間に皺を寄せたり、悩むように頭を掻いたりと言う仕草を見せながら、ラグナとキロス、ウォードの会話は続く。
何を喋っているのか、少し距離のある場所に座っているスコールには聞こえなかったが、その方がスコールは安心した。
うっかり他国の重要機密事項でも聞いてしまったら、胃が痛くなって仕方がない。
だから彼等が話し合っている間、スコールは外に出ていた方が良いのではないかと思うのだが、此処にいてくれと言われてしまったので、留まるしかなかった。
暇を持て余して、天井に描かれた隆線模様の数を数え始めてから、しばらく。
「じゃあそう言う事で」と言うラグナの言葉を締めにして、キロスとウォードは執務室を出て行った。
「っは~、終わった終わったぁ」
伸びをするラグナを見て、スコールはソファに凭れていた背中を起こした。
デスクの方を見ると、ラグナが眼鏡を外し、指先で目頭を摘まんでいる。
デスクを立ったラグナは、隣室に設けられている小さな簡易キッチンに向かった。
程無くして戻って来た彼の手には、スコールも見慣れたコーヒーカップが二つ。
「ほい、お待たせ」
「……ん」
スコールのコーヒーをテーブルに置いて、ラグナはその隣に腰を下ろした。
仕事の後の一杯で喉を潤し、はあ、と詰めた息をゆっくりと吐き出す。
スコールもカップを口に運び、これもまた慣れた味が舌を滑って行くのを感じながら、なんとなくゆっくりと息を吐いた。
そうすると、段々と体の力が抜けて行って、知らず強張っていた筋肉が緩んで行くのが判る。
「いやー、びっくりしたぜ、今日は。メールが鳴ったから見てみたら、『エスタに来てる』だもんな」
「……急な休暇になったんだ。でもする事もないから……なんとなく、来た。……邪魔して悪かった」
「んな事ねえって。嬉しいよ」
ぐしゃぐしゃとラグナの手がスコールの頭を掻き撫ぜる。
目尻に加齢の皺を浮かべた、人懐っこい笑顔がスコールを見詰めていた。
その胸元のポケットに、さっきまでかけていた眼鏡のフレームが見えて、スコールの手が伸びる。
「ん?」
「……私邸でかけてるのと違うと思って」
興味を惹かれた事に気付かれて、スコールはそう言った。
言い訳めいているような気がしたが、ラグナはそれを気にする様子はなく、
「ああ、うん。あっちでかけてるのは、プライベート用っつーか、そんな感じでさ。こっちで使うと色んな人に見られるから、もうちょっとオシャレな奴が良いんじゃないかって言われて」
確かに、ラグナが私邸で使っている眼鏡───スコールがよく見た事のあるものだ───はもっと簡素な造りをしていた。
デザインも凝っている訳でなく、かと言ってシンプルと言う程洗練されている訳でもない。
言ってしまえば、コストダウンも含めた大量生産で作られたもので、幾らでも替えが利く代物。
だからこそ手軽に試す事も出来るし、入手も用意なのだが、故に“安物”と一目で判る。
ラグナは使い勝手が良ければそれで充分だったのだが、一国の大統領が愛用しているのがそれと言うのもどうなのだ、と周りが気にしたのだそうだ。
あまり自分でお洒落と言うものにセンサーがないラグナに替わり、キロスを初めとした執政官たちで吟味し、寄贈と言う形で渡したのが、今胸元にある眼鏡だと言う。
「ふぅん……」
「眼鏡なんてどれも同じだと俺は思ってたんだけどさ。でもこれ、確かに格好良いんだよな」
そう言いながら、ラグナは胸ポケットのそれを取り出した。
眼鏡を発注する際に、視力検査もしたそうで、レンズ含めてこの眼鏡は特別注文品だと言う。
お陰でラグナは、渡された時はその高級感に使うのを躊躇った程だったが、一度使うともう手放せなくなった。
執政官たちからも似合うと言って貰えたし、キロスやウォードに至っては「少し落ち着いたように見えなくもないな」と揶揄い混じりの言葉も貰った。
そう褒められるとラグナも悪い気はしないし、フレームの軽さや取り回しのし易さもあって、外遊などの仕事も含めて供にしている。
しかし、プライベートではうっかり傷を入れさせてしまいそうで、相変わらず安い眼鏡を使っていた。
ラグナはしげしげと眼鏡を眺め、フレームを開くと、それをスコールの顔へと向ける。
「お前も眼鏡、似合いそうだな」
「……必要ない」
「そりゃそうだ。目が良いし、若いしな」
笑うラグナの手から、スコールは眼鏡を取った。
試しにレンズを目元に近付けると、視界が歪んで見えてくらくらとする。
両目ともに良好な視力を持っているスコールにとって、視力矯正具は必要なくて当然なのだ。
目元の違和感を瞼を強く閉じて追い払うと、スコールは眼鏡の向きを反転させた。
何故か楽しそうに此方を覗き込んで来る男の顔に、そっと眼鏡をかけてみる。
加齢と笑う癖で残ったのだろう目元の皺が少し隠れ、黒のフレームで引き締められたような雰囲気が滲む。
成程、確かに、私邸で使っている安価なものよりも、“格好良い”と皆が褒めるのも判る。
それ位に、この眼鏡はラグナにしっくりと嵌るのだ。
そんな事を考えながら、じっと眼鏡をかけたラグナの顔を見詰めるスコールを、ラグナも見詰め返し、
「ちったぁ若く見えっかな?」
「それはない」
へらりと笑ってそんな事を宣うラグナに、スコールは素っ気なく返してやった。
そっかぁ、と判り易く残念そうに眉尻を下げるラグナの指が、眼鏡のフレームを摘まむ。
外そうとしているその手を、スコールは誘われるように掴んで妨げた。
不意打ちだと判っていて唇を重ねると、一枚レンズの向こうで翡翠が丸く見開かれるのが面白かった。
眼鏡なラグナが気に入ったスコールでした。
ラグナは自分自身ではあまりお洒落とか気にしてなさそうで、眼鏡も必要になったら取り合えずその辺で安いの買って済ませそうだな、と。何ならネタに走る位のこともしそう。
本人はそれで十分なんですが、いやいやもっと似合うのあるでしょ、と周りがあれよあれよと準備しちゃうまでがセット。