[16/シドクラ]信護の先
ことに無茶をする奴なのだと言うことは、長くはなくても分かるほど、無茶をする人間だと思った。
そうでもなければ、十三年と言う時間の中を、泥の中で生き続けることは出来なかったのだろうし、そうさせる程に、彼が抱えた闇は昏かったのだ。
死すら安いと思う程、己の罪を深く深くその根に刻んだ男は、泥から解放されて尚、タールのように淀んだ世界を掻き分け続けている。
その割に、性根は全くと言って良い程、擦れていない。
根本的に育ちが良いからなのか、それにしたって真っ直ぐ過ぎるな、とシドは折々に思う。
亡国となったがそれなりに影響力の大きかった国の下、嫡子として生まれた以上、決してその環境は、手放しに良かったとは言えまい。
勿論、食うに不自由のない環境と言うのは、この大陸に置いて、数多の人間が喉から手が出る程に欲しがるものだ。
ただ、その代償と言うのか、それが約束されていた代わりに、普通の人間が望まれる筈もないことを望まれ続けていたと言う事を、シドは読み取ることが出来る。
ある意味、その時点でもっと歪みが出ていても可笑しくなかったと思うのだが、敢えて幸いと言うべきか、彼────クライヴ・ロズフィールドはそう言ったこととは無縁だったようだ。
彼は騎士だ。
それは彼自身の骨格そのものになって、彼自身を真っ直ぐに鍛え上げて行ったのだろう。
弱きを、君主を、その身を持って守るものとして、彼と言う剣となった。
それは環境を、人生を捻じ曲げられて尚、折れる事も枯れる事もなく、クライヴ・ロズフィールドと言う人間を作り上げている。
……とは言え、それを理由に度々の無茶を許しておく訳にもいかない。
一応は彼を手元に引き入れる切っ掛けを与え、仮宿に過ぎなかった筈の巣に戻ってきたのを受け入れた者として、これは指導が必要だと思ったことがある。
ダルメキア方面から運び込む予定を組んでいた物資の運搬の護衛に、クライヴを指名したのはシドだ。
ダルメキアは商業が盛んな地であり、其処からクリスタルロードや海を使って、同盟国であるウォールードとの交易も盛んである。
この為、様々な物資───鉱物、香辛料、クリスタル、ヒト即ちベアラーなど───の移動が多く、それを狙った野盗も砂漠のあちこちに隠れている。
勿論、餓えた獰猛な魔物もいるので、護衛なしに砂漠越えをするのは全くの悪手と言うものであった。
シドとオットーもその事はよくよく知っているから、其方の方面から荷の回収を予定する際には、必ず腕の立つ者が同行できるように調整している。
その甲斐あって、荷物は無事に隠れ家まで到着したのだが、どうもその道中、厄介な魔物に襲われたらしい。
報告によれば、種類としてはパンサーだが、異常なほどに大きな個体が群れを引き連れて襲ってきたのだと言う。
どうも砂漠の奥地の方から移動してきた群れのようで、最近、その地域周辺を急速に荒らしまわっていたものだとか。
一行は運悪くそれに鉢合わせてしまい、クライヴがそれと応戦することで、何とか逃げ果せて来たのだそうだ。
そのような事態に見舞われながら、全員が欠ける事なく隠れ家に帰ってきたことは、シドにとっては不幸中の幸いだ。
荷物は、食料の類が少々齧り取られたが、これは別の方法で補えば何とかなるだろう。
だが、換えの利かない要因がしばらく療養を余儀なくされたことは、痛手と言えば痛手であった。
(ま、それ自体は仕方がない。働き過ぎも確かだし、こうでもなけりゃ休まんだろう、あいつは)
そう考えるシドの頭に浮かんでいるのは、クライヴの顔だ。
フェニックスゲートから隠れ家へと戻ってきて以来、存外と面倒見の良い性格と、根の素直さに人望を見出されることが増えて、クライヴは隠れ家の仲間たちから、よく頼まれごとをされている。
以前はベアラーとして長らく過ごしていた為、命令から逃れられない思考と、惰性めいた生き方から、断るのが面倒、と言った雰囲気もあったが、近頃はそれもない。
困っているなら手助けしよう、と言う、お人好しぶりが滲み出るようになって、方々から良い意味で頼られることが増えていた。
それ自体は、彼と、その傍にいる事の多いジルにとっても、良い変化と言えるだろう。
ただ、それはそれとして、クライヴは何かと無茶をするのが良くない。
頼まれごとを存外と気軽に引き受ける傍ら、其処で起こる魔物や野盗との遭遇で、一番危険な場所を買って出る。
それは彼自身が“自分のやれることはこれだ”と見極めているからなのだろうが、如何せん、彼が挑む戦闘に着いていける者が少ない。
それこそ、同じドミナントとしての力を持つシドやジル、相棒として彼を追い続けるトルガル位しかいないのである。
今回はジルの同行もなかったので、クライヴは件の魔物の群れを、ほぼ一人で与ることになったのだ。
(昔からのことだが、人手の問題はいつまでも尽きないな)
燻らせていた煙草を吐いて、シドは短くなったそれの火を消した。
灰皿に押し付けた火が完全に消えて、シドは自室を後にする。
シドの足が向かうのは、医務室だ。
一昨日、件の荷運びの護衛から帰ってきたクライヴは、帰還して直ぐに怪我人の確認をしようと現れたタルヤに見つかり、そのまま医務室へと連行された。
大丈夫だと本人は訴えたそうだが、周囲の誰もが止めなかったのは正解だし、タルヤが強引に連れて行ったのも当然。
目に見えて解る傷と、赤と黒の旅装でも分かるほどの色 が浮き出ていたのだから無理もない。
其処から二日が経ったのだが、クライヴはまだ医務室で過ごすことを余儀なくされている。
外に出ると、隠れ家を回って何くれと仕事を探そうとするので、タルヤの許可が出るまでは医務室に軟禁することになったのだ。
だから今日も、行けばその顔が見れるだろうと扉を開ければ、思った通り。
「よう、クライヴ。具合はどうだ」
其処には、診察用の椅子に座り、ロドリグに新しい包帯を巻かれているクライヴがいる。
クライヴはシドがやって来た事に気付くと、首だけを動かして此方を見て、
「問題ない」
「あるわよ」
さらりといつもの顔で言ったクライヴに、部屋の奥から険の滲む声が飛んできた。
無論、タルヤのものである。
タルヤは赤髪を掻き揚げながら、呆れを隠さない溜息を吐いた。
「縫合が必要な傷だったのよ。二日三日で治るものじゃないわ」
「同感だ。痛みも熱もないのは良いが、楽観するなよ」
釘を差すシドとタルヤに加えて、クライヴの隣では、ロドリグが包帯を変えながらうんうんと頷いている。
「フェニックスの祝福なのかしら、貴方は確かに、治りも早いけど。それでも深手を負って死なない体って訳じゃないのよ」
「ああ。すまない、タルヤ。その、ロドリグも」
顔を顰めて言うタルヤに、軽率な負傷患者への怒りを感じたのだろう。
眉尻を下げて詫びるクライヴは、その態度だけ見れば、真面目な患者と言える。
タルヤの方も、彼が判っていない訳ではない、と感じているのか、ひとつ溜息を吐いて話は此処までとした。
「それで、シドはどうして此処に?何かあった?」
「いや。こいつにちょっとお説教をと思ってな」
ぽん、とシドはクライヴの頭に手を置いて言った。
それを聞いたクライヴが、「説教?」と判りやすく顔を顰める。
面倒くさいと言わんばかりの表情は、クライヴがシドにのみ向ける、やや子供じみた表情であった。
タルヤは手短にねと言って、ロドリグを呼び、薬棚のチェックを始めた。
処置が一通り済んだクライヴは、聊か腑に落ちない表情をしながら、病衣代わりの絹服に袖を通している。
その動きは特に傷を庇っている様子もなく、あれだけ酷い傷を負っていた割りに、もう何ともなさそうだった。
実際、彼自身の基準で言えば最早問題のないレベルなのだろうが、それこそが過信と言うものだと言うことを、シドもいつか言わねばならないとは思っていた所だ。
「さて、クライヴ。座ってで良いから聞いとけ」
「……なんだ?」
渋々と言う顔で、クライヴはベッドの端に座ってシドを見上げた。
シドは適当に壁に寄り掛かって、クライヴを見て言う。
「お前の腕は確かに買ってるし、頼りにしてる。お前もそれなりに自負はあるんだろう。だから色々と、厄介な敵の方を引き受けようってしてるのも、俺としても助かってる」
「……それは、別に。俺にはこういう事しか出来ないから、やれることをやってるだけだ」
「ああ、それで良いさ。適材適所は俺も反対しないし、お前に厨房に入れってことも言わんよ」
ただな、とシドは続けた。
「誰かを守るとか、逃がす為に、お前が死んじゃ意味がない。お前はもっと自分を大事にする癖をつけるんだな」
「………」
「お前がいなくなれば、悲しむ奴も、困る奴もいる。今なら少しは分かるだろう?」
「……それは、……ああ」
シドの言葉に、クライヴは何も抵抗はしなかった。
クライヴの頭には良く知る顔が浮かんでいることだろう。
それだけでなく、この隠れ家で共に暮らすことを受け入れた人々の事も。
隠れ家で過ごす者の中には、刻印を除去し、外で魔物退治や荒事を引き受けて皆を守ることを仕事にしている者もいるから、そう言った者を始めとして、時には死に別れる者もいる。
ザンブレクの皇都や、マーサの宿や───一見すれば安全と思われる場所ですら、不慮の事故や、何らかの悪意によって、突然身近な人が喪われることもある。
この優しくはない世界で生きていく中で、それは逃れようのない事実だ。
その優しくない事実から、知り合えた人々を守る為に剣を取り、危険を承知でそれを引き受けてくれるクライヴの存在は、シドにとっても、隠れ家の仲間たちにとっても、有難いものだった。
かと言って、クライヴが傷付いて良いとか、若しかしたら死んでも良い、なんて事はない。
(だが、他人を守るって事は多分、こいつにとっては矜持なんだろうな)
心持ち俯いて、少し気まずそうに、膝に置いた拳を見詰めているクライヴを見て、シドはそう考える。
元々、クライヴは“フェニックスの騎士 ”なのだ。
騎士の名の通り、主君であるフェニックスのドミナントは勿論、そのドミナントが帰属するもの───失われた公国ロザリアとその民───を守るのが、クライヴに課せられた役目であった。
それを少年の頃に失い、挙句に自分自身が主君であり何より大事な存在であった弟を手にかけた現実が、クライヴが握り締め続けて来た“騎士 ”の誇りを黒く塗り潰した。
既に過去となったその出来事は、クライヴに重い事実と罪を課し、恐らく、一生晴れる事はないだろう。
それを忘れたり、なかったことにしたり、或いは済んだことと置いていくことは、クライヴ自身が許すまい。
そして、大事なものを守れなかった傷は、今もクライヴ自身を膿んでいる。
恐らくは、それもまた、クライヴが何かを無茶をする要因にもなっているのだろう。
(守りたい。失いたくない。守り切ってみせる、今度こそ────そんな所か)
これはシドの想像ではあるが、概ね大きく外れてはいまい。
騎士 であるクライヴにとって、“護る”と言うことはそもそもの本懐なのだ。
崩れてしまったその本懐を、今再び彼は己の信のひとつとして、積み上げ直している真っ最中。
その為に、無理をしてでも何でも、“護ろう”とするのだろう。
クライヴがそう自覚しているか、何処までシドの想像が当たっているかは、本人にしか分からないことだ。
シドは敢えて其処を確かめようとはしなかった。
代わりに、俯き気味になってしまったクライヴの黒髪を、ぐしゃぐしゃと掻き撫ぜてやる。
「頼りにはしてるんだ。だから、出来るだけ長いこと、頼らせて貰う為にも、無茶は程ほどにしておけ」
「……ああ。努力しよう」
「返事だけは良いんだがなぁ」
相変わらず、返事だけは真っ当な優等生だ。
だと言うのに、土壇場になると無茶も無謀も厭わないのだから、全く困るとシドは苦く笑う。
クライヴの方はと言えば、そんな反応をされるのは心外だ、と言わんばかりに眉根を寄せている。
ともあれ、言うべきことは言ったし、伝えておけば、彼の頭の端に少しくらいは意識が芽生えるだろうと期待して。
シドはもう一度、クライヴの頭をくしゃっと撫ぜて、
「お説教は以上だ。後はお大事にな」
そう言うと、流石に何度も頭を撫でられて癪に障って来たか、クライヴは唇を尖らせてシドの手を振り払った。
シドは空になった手をひらひらと遊ばせながら、医務室を後にする。
ついでにラウンジにでも寄って行こうと、下り階段へと伸びる道へと進みながら、シドはやれやれと肩を竦める。
(当分は、こっちで大事にしてやるしかないんだろうな)
十三年間、自分を大事にすることは勿論、誰の何も持たないようにしてきたクライヴだ。
自分自身すら捨て鉢に使えた時間が長いものだから、身を守る為のブレーキ意識と言うものは、本当に最低限しか働いていない。
ベアラーとして長らく使い潰されてきたのだから、それで此処まで生きてきただけでも大したものだが、人生はまだまだ続く、続いていかなくてはならない。
ドミナントとして目覚めた彼の生が、何処まで進んでいけるのかはシドにも分からないが、
(俺より先には、逝かせてやりたくはないもんだな)
胸の内にのみ留めるその呟きを、シド以外の人間が知る事はない。
自分で自分を大事に出来ない(やり方が分からない、すっぽり抜けてる)クライヴと、年長者として見てられんなあと思いつつ放っておけないシド。
シドはキングスフォールでドミナントであるとクライヴに明かした時点で「老兵」と自虐混じり、アルティマニアから18歳で覚醒して既に40代後半なので、体の負担としてもクリスタル破壊の目的としても、先が長くないのは分かってたんだろうなあと思ってます。
そんなシドから見て、確かに波乱の人生してるけど、クライヴはまだ若い(FF16の世界観だとこの歳で死ぬことも多そうだけど)んだから、自分より先はやめろよなって思ってる。と良いなと言う妄想。