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[16/シドクラ]合図の指先



シドはよく他人の頭を撫でる。
それが彼にとってコミュニケーション術のひとつであり、信頼の証であり、情の示し方なのだろう。
だから、娘のミドはとくにそれを表現されるし、ハグやじゃれあいのキスもよくある。
ミドの方もそれを判っているし、父に愛されていると体感できるからか、彼女自身もスキンシップは好きだから、余すことなくそれを受け止めていた。

年齢上、立場上とあってだろう、シドは大抵の人の頭を撫でる。
女性に対しては、礼儀として、其処まで気安くすることはないが、空気や場面として問題ないと見做した時には、軽くぽんと撫でたり、肩を一瞬軽く叩いたりと言うことがある。
その時には決して過度ではなく、また相手の反応もよく見ているから、平時は専ら紳士的な距離感を保っているし、その信頼感あっての行為だ。
故に相手が不快になったり、不信感を持つことは先ずないと言って良い。
男に対してはもっと気安く、社の部下の殆どは、彼に頭を撫でられたことがあるだろう。
古くからの友人に対しては、肩を組んだり、酒を飲み交わしたりと言う具合だ。

クライヴも、よくシドから頭を撫でられる。
仕事で少々失敗してしまって落ち込んでいたり、悩ましい案件で頭を抱えている時など、「ちょっと気を紛らわせろよ」と言うように、クライヴの頭を撫でた。
その時のシドは、幼い子供を慰めると言うよりは、叱られた犬猫をあやすような風があった。
実際、シドにとってはそう言う感覚なのかも知れない。
お前は仕方のない奴だな、と言うように、苦笑しながらぐしゃぐしゃと頭を掻きまわすものだから、クライヴはシドから頭を撫でられるというのは、そう言う“あやす”時のものだと言う認識がある。

とは言っても、シドがクライヴを全くの子供扱いしている訳でもない。
会社での扱いはれっきとした社会人を相手にするそれだし、任される仕事については、それなりに責任を伴うものである。
色々と手をかけて貰った経緯があるものだから、手のかかる奴だ、と思われているのは否定するまい。
だが、それはそれと言うもので、だから簡単な仕事しか任せない、と言うことはないのだ。
十年以上もブラック会社に勤めていたという経緯を持ち、思考停止気味だったとはいえ、其処で有能ぶりを発揮しながら働いていたクライヴだ。
能力についてはシドから見ても申し分のないものであり、クライヴ自身、そうと思っている訳ではないが、生来の真面目ぶりで手を抜かない性分だから、幸いにも相応の結果はついてきた。
そうすればきちんと給料にもその結果は繁栄されるし、案件終了の祝いと言ってシドが持ってくるのはアルコールの類だ。
その酒の席から、同じベッドに入ることも含めて、シドはクライヴをちゃんと“大人”としても扱っている。

だからシドが他人の、クライヴの頭を撫でると言うのは、一番はやはり、信頼と情の証なのだ。
よくやった、と褒めるように、或いは労うように、彼の手は人の頭を撫でる。
それで良い顔で笑ってくれるんだから、誑しだよなぁ、と言ったのはガブである。
クライヴも、全く同感だ、と頷いたのを覚えていた。

年相応に皺も浮かび始めたシドの手は、存外と大きくて温かい。
手のひらの温度が高い人間は心が冷たい───元々はその逆の人を慰める言葉だったのだろうが、じゃあ逆に、と広がった言葉のなんと身勝手なものか───と言うらしいが、シドを見ていたら、それのなんとバカバカしいことか。
道端で倒れていた男を拾って面倒を見たり、職にあぶれて食うに困った男をその場で即会社に引き入れたり、酷い環境にいた者を強引にでも其処から離して守ったり。
それのサポートを昔から続けているオットーには、ご苦労様と苦笑を送るしか出来ないが、とは言えオットーの方も、シドがそう言う人間だと判っているから、長年付き合っているのだろう。
この馬鹿みたいに懐が大きくて優しい男のやる事を、無駄にはさせるまいと思う程の人望が、このシドと言う男にはあるのだから。

だから多くの人は、シドに触れられる事、頭を撫でられることを嫌がりはしない。
始めこそ大なり小なりの戸惑いの反応はあるが、他者にも分け隔てなく行われるそれに、慣れもあって段々と拒否する意味もなくなるのだ。
クライヴも、やたらと頭を掻き撫ぜられるのを「やめろ」と言いはするものの、実際の所、其処に嫌悪感がある訳でもなかった。
どちらかと言えば、子供扱いされることへの反発、と言うのが正しい。
その癖、くしゃくしゃと撫でる手は温かくて、なまじ滅多にそう言うことをされた経験もなかったものだから、どうにも離れがたい心地良さと言うか、安心感のようなものを感じてしまう。
そう言うものを自分が感じていると、とかく敏い男に気付かれたくなくて、辞めろとその手を振り払う仕草をするのも、クライヴの本音にあることだった。

そして、クライヴに限っては、もっと別の理由でその手を振り払えない時がある。



夜になっても気温が下がらない、湿度も高いというものだから、空調はフル稼働させないとやっていられない。
風呂で一日の汗で汚れた身体を洗い流し、すっきりさっぱりとした気分で涼しい部屋に戻ってきて、ふう、と一息。
まだ水分を含む髪を、肩にかけたタオルで気持ちの作用程度に拭きながら、クライヴは水分を摂りキッチンへと向かった。

冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターのペットボトルを片手に寝室へ入ると、シドがベッドで本を読んでいる。
ベッドヘッドに背中を預け、少し絞ったスタンドライトの灯りを頼りに、少し厚みのある専門書を読んでいるのは、本の虫であるシドのよく見る姿だ。

じぃっと本を見つめる目は真剣で、また何かの技術書かな、とクライヴは思った。

娘のミドにも受け継がれている事だが、シドは何かと新しいもの好きで、その中でも特に、機械系の技術の進化に目がない。
その技術進化に関する本とは、何も新しい記述に限らったものではなく、古くからあったものについても貪欲で、何処からか古書を手に入れては延々と読み耽っているものだった。
どうして古いものまで調べるのかと尋ねれば、「技術は歴史の積み重ねだ。何の機能がどうして求められたのか、それを良くする為にどう改良されていったのか、知るのは面白いもんだ」とのこと。
元が勤勉な質でもあるだろうし、趣味に関しては凝り性な所もあるから、この類のものは、時代や種類を問わずに掻き集めるので、本棚はその手のもので溢れている。

この手のものにのめり込んでいる時、邪魔をするのは良くないとクライヴは知っている。


(……今日はなしかな)


明日は会社が休みの日だ。
当然、社長であるシド含め、其処で働く者も休みであるから、詰まる所、クライヴは今夜を少々期待していたのだ。
まだ知って間もない、共有する熱の心地良さと言うものは、どうにも忘れ難くて、日に日に焦がれて欲してしまう。
しかしそれに感けて夜更かしをし過ぎる訳にもいかないから、それを求められる日と言うのは限られていた。
だから、明日が休みなら、と言う期待が少しばかりあったのだが、


(これを邪魔するのは悪い)


じっと本を見つめるシドの横顔を見ながら、クライヴは眉尻を下げて苦笑する。
会社の立場もあり、人望もありで、どうやってもシドは忙しいのだ。
読書が好きなのに、こうした隙間の時間くらいしか耽る事が出来ない訳だから、クライヴは諦めと共に恋人の趣味の時間を壊すまいと思い直した。

とは言え、クライヴ自身、このまま寝てしまうには少々時間が早い。
クライヴも読書は嫌いではなかったから、部屋の隅の本棚から適当に物を取った。
シドのように難しい本は無理だが、小説だとか、物語を綴られた類なら、暇潰しには使える。

熱は諦めはしたものの、自分のベッドに入る気にはならなくて、クライヴはシドのベッドの端に座った。
きしりと小さな音が鳴ったが、シドは何も言わなかったので、気付かなかったか、許されているという事だろう。
クライヴは其処で本を開いた。

ファンタジーな世界で繰り広げられる、壮大なドラマを綴る文字を、じっと見つめる時間。
それが一時間程度は過ぎた頃に、クライヴはふと、項のあたりを何かがくすぐっている事に気付いた。


「────?」


文字へと集中していた意識が完全に削がれ、首の後ろのくすぐったさに引っ張られる。
其処に右手をやってみれば、くすぐったさの元に、人の指が遊んでいた。

振り返れば、当然ながら、唯一の同居人がいる。
ずっと本を見ていた筈のヘイゼルの瞳がクライヴを映し、何処か楽しそうな表情を浮かべながら、彼の指がクライヴの首筋にかかる黒髪を遊ばせていた。

本に没頭しているとばかり思っていたシドの突然の戯れに、クライヴの眉間に皺が寄る。


「なんだ?」
「いやあ、何ってことはないんだがな」


項を擽る指を払うクライヴだが、そうすると今度は、後頭部をわしっと掴まれた。
うわ、と急なことに声を上げるクライヴに構わず、シドはぐしゃぐしゃとクライヴの髪を掻き乱す。


「濡れてるぞ。お前、そこそこ髪の量多いんだから、ちゃんと乾かさないと風邪引くぞ」
「別に、放っておけば乾くだろう。おい、こら」
「タオルあるならもうちょっとまともに拭いておけ」


シドはそう言うと、クライヴが肩にかけていたタオルを取って、しっとりとした黒髪を拭き始めた。


「おい。子供じゃないんだ、自分で出来る」
「子供じゃないなら、最初からきっちりやって来い」


尤もな事を言われて、クライヴは唇を尖らせた。
その表情は、クライヴから見て後ろにいるシドには見えていない筈だが、この男はとにかく敏い。
クライヴは努めて表情を隠すように意識して、下唇を軽く噛んで堪えていた。

抵抗を辞めて大人しくなったクライヴに、シドは悠々とした手付きで、髪を拭く作業を続ける。
本はもう良いのかとクライヴが視線だけを動かしてみると、ベッド横のチェストの上に、彼が開いていた本が栞を挟んで閉じてある。
更にその横には時計があり、もうそろそろ日付を越える頃だと言う事が判った。


(……髪を拭くのが終わったら、寝るか)


熱の期待もない代わりに、ゆったりと静かな時間だった。
存外これも悪くはない、と頭を拭いている恋人の手に、現金な気持ちも沸いていた。

────と、すっかり油断していたクライヴの耳の後ろを、するりと滑る指があって、思わずクライヴの肩が跳ねる。
其処は常時の際に何かとシドが触れる場所だから、その感覚を体が覚えているのだ。
思いもよらぬタイミングでやって来たそれに、クライヴが感覚の残る耳を手で庇いながら振り返れば、


「おう、どうした?」


にやついた顔が其処にあって、明らかに動揺しているクライヴを見て面白がっているのが見て取れる。
それがクライヴの、聊かプライドのようなものを刺激するのだが、またそれを宥めるように、シドの手はくしゃくしゃとクライヴの頭を撫で、


「大分乾いたな」


手指に絡む髪の毛に、先とは違う感触や湿度を確かめて、シドは満足そうに言った。
それからその手は、一頻りクライヴの頭を撫でた後、また耳朶の裏側へと滑って行く。


「シド、待て」
「なんだ、今日は気分じゃなかったか」
「いや、そう言う訳、でも、」


なかったけど、と言いかけて、クライヴの顔が赤くなって詰まる。
自分が期待して待っていたこと、その名残で此処に座ったことを、自分から白状してしまった。
正直に自分が熱に餓えていた事を告白したクライヴに、シドはくつくつと喉を鳴らす。

シドはいつもクライヴの頭を撫でている、その手指で、クライヴの燻ぶる熱を煽る。
耳朶の形を撫でた指が、無精髭を生やした頬を伝って、小さな唇の端を掠めた。

もう完全にこの男が“その気”なのだと言う事は、クライヴにも分かる。
しかし、他人への世話気質については多少強引にでもそれを押し通す男だが、懐に入れた者に対して、無理強いの類は絶対に良しとしない。
だからクライヴが此処で嫌だと主張すれば、いつものようにクライヴの頭を撫でて終わりにしてくれるのだろう。
この、唇を掠め、耳朶の裏側を擽って合図を送った、この指で。

紅い顔で視線を彷徨わせ、なんとも言い難い赤い顔のクライヴの米神に、シドの唇が柔く触れ、


「で、どうする?」


あくまで選択権は委ねる男に、クライヴは苦虫を放り投げて、その首に腕を絡みつかせた。





『お付き合いしてしばらく経ってから、シドからのお誘いがどんな感じか』のリクを頂きました。

日々のスキンシップからの、クライヴに対してだけやる仕草みたいな。
頭を撫でるのは色んな人にやるけど、耳を触ったり、口の周りに触れたりとかはクライヴだけ。
そう言う所を触り始めたら合図、と言う感じの二人になりました。

[16/シドクラ]信護の先



ことに無茶をする奴なのだと言うことは、長くはなくても分かるほど、無茶をする人間だと思った。
そうでもなければ、十三年と言う時間の中を、泥の中で生き続けることは出来なかったのだろうし、そうさせる程に、彼が抱えた闇は昏かったのだ。
死すら安いと思う程、己の罪を深く深くその根に刻んだ男は、泥から解放されて尚、タールのように淀んだ世界を掻き分け続けている。

その割に、性根は全くと言って良い程、擦れていない。
根本的に育ちが良いからなのか、それにしたって真っ直ぐ過ぎるな、とシドは折々に思う。
亡国となったがそれなりに影響力の大きかった国の下、嫡子として生まれた以上、決してその環境は、手放しに良かったとは言えまい。
勿論、食うに不自由のない環境と言うのは、この大陸に置いて、数多の人間が喉から手が出る程に欲しがるものだ。
ただ、その代償と言うのか、それが約束されていた代わりに、普通の人間が望まれる筈もないことを望まれ続けていたと言う事を、シドは読み取ることが出来る。
ある意味、その時点でもっと歪みが出ていても可笑しくなかったと思うのだが、敢えて幸いと言うべきか、彼────クライヴ・ロズフィールドはそう言ったこととは無縁だったようだ。

彼は騎士だ。
それは彼自身の骨格そのものになって、彼自身を真っ直ぐに鍛え上げて行ったのだろう。
弱きを、君主を、その身を持って守るものとして、彼と言う剣となった。
それは環境を、人生を捻じ曲げられて尚、折れる事も枯れる事もなく、クライヴ・ロズフィールドと言う人間を作り上げている。

……とは言え、それを理由に度々の無茶を許しておく訳にもいかない。
一応は彼を手元に引き入れる切っ掛けを与え、仮宿に過ぎなかった筈の巣に戻ってきたのを受け入れた者として、これは指導が必要だと思ったことがある。



ダルメキア方面から運び込む予定を組んでいた物資の運搬の護衛に、クライヴを指名したのはシドだ。
ダルメキアは商業が盛んな地であり、其処からクリスタルロードや海を使って、同盟国であるウォールードとの交易も盛んである。
この為、様々な物資───鉱物、香辛料、クリスタル、ヒト即ちベアラーなど───の移動が多く、それを狙った野盗も砂漠のあちこちに隠れている。
勿論、餓えた獰猛な魔物もいるので、護衛なしに砂漠越えをするのは全くの悪手と言うものであった。
シドとオットーもその事はよくよく知っているから、其方の方面から荷の回収を予定する際には、必ず腕の立つ者が同行できるように調整している。

その甲斐あって、荷物は無事に隠れ家まで到着したのだが、どうもその道中、厄介な魔物に襲われたらしい。
報告によれば、種類としてはパンサーだが、異常なほどに大きな個体が群れを引き連れて襲ってきたのだと言う。
どうも砂漠の奥地の方から移動してきた群れのようで、最近、その地域周辺を急速に荒らしまわっていたものだとか。
一行は運悪くそれに鉢合わせてしまい、クライヴがそれと応戦することで、何とか逃げ果せて来たのだそうだ。

そのような事態に見舞われながら、全員が欠ける事なく隠れ家に帰ってきたことは、シドにとっては不幸中の幸いだ。
荷物は、食料の類が少々齧り取られたが、これは別の方法で補えば何とかなるだろう。
だが、換えの利かない要因がしばらく療養を余儀なくされたことは、痛手と言えば痛手であった。


(ま、それ自体は仕方がない。働き過ぎも確かだし、こうでもなけりゃ休まんだろう、あいつは)


そう考えるシドの頭に浮かんでいるのは、クライヴの顔だ。

フェニックスゲートから隠れ家へと戻ってきて以来、存外と面倒見の良い性格と、根の素直さに人望を見出されることが増えて、クライヴは隠れ家の仲間たちから、よく頼まれごとをされている。
以前はベアラーとして長らく過ごしていた為、命令から逃れられない思考と、惰性めいた生き方から、断るのが面倒、と言った雰囲気もあったが、近頃はそれもない。
困っているなら手助けしよう、と言う、お人好しぶりが滲み出るようになって、方々から良い意味で頼られることが増えていた。
それ自体は、彼と、その傍にいる事の多いジルにとっても、良い変化と言えるだろう。

ただ、それはそれとして、クライヴは何かと無茶をするのが良くない。
頼まれごとを存外と気軽に引き受ける傍ら、其処で起こる魔物や野盗との遭遇で、一番危険な場所を買って出る。
それは彼自身が“自分のやれることはこれだ”と見極めているからなのだろうが、如何せん、彼が挑む戦闘に着いていける者が少ない。
それこそ、同じドミナントとしての力を持つシドやジル、相棒として彼を追い続けるトルガル位しかいないのである。
今回はジルの同行もなかったので、クライヴは件の魔物の群れを、ほぼ一人で与ることになったのだ。


(昔からのことだが、人手の問題はいつまでも尽きないな)


燻らせていた煙草を吐いて、シドは短くなったそれの火を消した。
灰皿に押し付けた火が完全に消えて、シドは自室を後にする。

シドの足が向かうのは、医務室だ。
一昨日、件の荷運びの護衛から帰ってきたクライヴは、帰還して直ぐに怪我人の確認をしようと現れたタルヤに見つかり、そのまま医務室へと連行された。
大丈夫だと本人は訴えたそうだが、周囲の誰もが止めなかったのは正解だし、タルヤが強引に連れて行ったのも当然。
目に見えて解る傷と、赤と黒の旅装でも分かるほどの() が浮き出ていたのだから無理もない。

其処から二日が経ったのだが、クライヴはまだ医務室で過ごすことを余儀なくされている。
外に出ると、隠れ家を回って何くれと仕事を探そうとするので、タルヤの許可が出るまでは医務室に軟禁することになったのだ。

だから今日も、行けばその顔が見れるだろうと扉を開ければ、思った通り。


「よう、クライヴ。具合はどうだ」


其処には、診察用の椅子に座り、ロドリグに新しい包帯を巻かれているクライヴがいる。
クライヴはシドがやって来た事に気付くと、首だけを動かして此方を見て、


「問題ない」
「あるわよ」


さらりといつもの顔で言ったクライヴに、部屋の奥から険の滲む声が飛んできた。
無論、タルヤのものである。

タルヤは赤髪を掻き揚げながら、呆れを隠さない溜息を吐いた。


「縫合が必要な傷だったのよ。二日三日で治るものじゃないわ」
「同感だ。痛みも熱もないのは良いが、楽観するなよ」


釘を差すシドとタルヤに加えて、クライヴの隣では、ロドリグが包帯を変えながらうんうんと頷いている。


「フェニックスの祝福なのかしら、貴方は確かに、治りも早いけど。それでも深手を負って死なない体って訳じゃないのよ」
「ああ。すまない、タルヤ。その、ロドリグも」


顔を顰めて言うタルヤに、軽率な負傷患者への怒りを感じたのだろう。
眉尻を下げて詫びるクライヴは、その態度だけ見れば、真面目な患者と言える。
タルヤの方も、彼が判っていない訳ではない、と感じているのか、ひとつ溜息を吐いて話は此処までとした。


「それで、シドはどうして此処に?何かあった?」
「いや。こいつにちょっとお説教をと思ってな」


ぽん、とシドはクライヴの頭に手を置いて言った。
それを聞いたクライヴが、「説教?」と判りやすく顔を顰める。
面倒くさいと言わんばかりの表情は、クライヴがシドにのみ向ける、やや子供じみた表情であった。

タルヤは手短にねと言って、ロドリグを呼び、薬棚のチェックを始めた。
処置が一通り済んだクライヴは、聊か腑に落ちない表情をしながら、病衣代わりの絹服に袖を通している。
その動きは特に傷を庇っている様子もなく、あれだけ酷い傷を負っていた割りに、もう何ともなさそうだった。
実際、彼自身の基準で言えば最早問題のないレベルなのだろうが、それこそが過信と言うものだと言うことを、シドもいつか言わねばならないとは思っていた所だ。


「さて、クライヴ。座ってで良いから聞いとけ」
「……なんだ?」


渋々と言う顔で、クライヴはベッドの端に座ってシドを見上げた。
シドは適当に壁に寄り掛かって、クライヴを見て言う。


「お前の腕は確かに買ってるし、頼りにしてる。お前もそれなりに自負はあるんだろう。だから色々と、厄介な敵の方を引き受けようってしてるのも、俺としても助かってる」
「……それは、別に。俺にはこういう事しか出来ないから、やれることをやってるだけだ」
「ああ、それで良いさ。適材適所は俺も反対しないし、お前に厨房に入れってことも言わんよ」


ただな、とシドは続けた。


「誰かを守るとか、逃がす為に、お前が死んじゃ意味がない。お前はもっと自分を大事にする癖をつけるんだな」
「………」
「お前がいなくなれば、悲しむ奴も、困る奴もいる。今なら少しは分かるだろう?」
「……それは、……ああ」


シドの言葉に、クライヴは何も抵抗はしなかった。
クライヴの頭には良く知る顔が浮かんでいることだろう。
それだけでなく、この隠れ家で共に暮らすことを受け入れた人々の事も。

隠れ家で過ごす者の中には、刻印を除去し、外で魔物退治や荒事を引き受けて皆を守ることを仕事にしている者もいるから、そう言った者を始めとして、時には死に別れる者もいる。
ザンブレクの皇都や、マーサの宿や───一見すれば安全と思われる場所ですら、不慮の事故や、何らかの悪意によって、突然身近な人が喪われることもある。
この優しくはない世界で生きていく中で、それは逃れようのない事実だ。
その優しくない事実から、知り合えた人々を守る為に剣を取り、危険を承知でそれを引き受けてくれるクライヴの存在は、シドにとっても、隠れ家の仲間たちにとっても、有難いものだった。

かと言って、クライヴが傷付いて良いとか、若しかしたら死んでも良い、なんて事はない。


(だが、他人を守るって事は多分、こいつにとっては矜持なんだろうな)


心持ち俯いて、少し気まずそうに、膝に置いた拳を見詰めているクライヴを見て、シドはそう考える。

元々、クライヴは“フェニックスの騎士(ナイト) ”なのだ。
騎士の名の通り、主君であるフェニックスのドミナントは勿論、そのドミナントが帰属するもの───失われた公国ロザリアとその民───を守るのが、クライヴに課せられた役目であった。
それを少年の頃に失い、挙句に自分自身が主君であり何より大事な存在であった弟を手にかけた現実が、クライヴが握り締め続けて来た“騎士(ナイト) ”の誇りを黒く塗り潰した。
既に過去となったその出来事は、クライヴに重い事実と罪を課し、恐らく、一生晴れる事はないだろう。
それを忘れたり、なかったことにしたり、或いは済んだことと置いていくことは、クライヴ自身が許すまい。

そして、大事なものを守れなかった傷は、今もクライヴ自身を膿んでいる。
恐らくは、それもまた、クライヴが何かを無茶をする要因にもなっているのだろう。


(守りたい。失いたくない。守り切ってみせる、今度こそ────そんな所か)


これはシドの想像ではあるが、概ね大きく外れてはいまい。
騎士(ナイト) であるクライヴにとって、“護る”と言うことはそもそもの本懐なのだ。
崩れてしまったその本懐を、今再び彼は己の信のひとつとして、積み上げ直している真っ最中。
その為に、無理をしてでも何でも、“護ろう”とするのだろう。

クライヴがそう自覚しているか、何処までシドの想像が当たっているかは、本人にしか分からないことだ。
シドは敢えて其処を確かめようとはしなかった。
代わりに、俯き気味になってしまったクライヴの黒髪を、ぐしゃぐしゃと掻き撫ぜてやる。


「頼りにはしてるんだ。だから、出来るだけ長いこと、頼らせて貰う為にも、無茶は程ほどにしておけ」
「……ああ。努力しよう」
「返事だけは良いんだがなぁ」


相変わらず、返事だけは真っ当な優等生だ。
だと言うのに、土壇場になると無茶も無謀も厭わないのだから、全く困るとシドは苦く笑う。
クライヴの方はと言えば、そんな反応をされるのは心外だ、と言わんばかりに眉根を寄せている。

ともあれ、言うべきことは言ったし、伝えておけば、彼の頭の端に少しくらいは意識が芽生えるだろうと期待して。
シドはもう一度、クライヴの頭をくしゃっと撫ぜて、


「お説教は以上だ。後はお大事にな」


そう言うと、流石に何度も頭を撫でられて癪に障って来たか、クライヴは唇を尖らせてシドの手を振り払った。
シドは空になった手をひらひらと遊ばせながら、医務室を後にする。

ついでにラウンジにでも寄って行こうと、下り階段へと伸びる道へと進みながら、シドはやれやれと肩を竦める。


(当分は、こっちで大事にしてやるしかないんだろうな)


十三年間、自分を大事にすることは勿論、誰の何も持たないようにしてきたクライヴだ。
自分自身すら捨て鉢に使えた時間が長いものだから、身を守る為のブレーキ意識と言うものは、本当に最低限しか働いていない。
ベアラーとして長らく使い潰されてきたのだから、それで此処まで生きてきただけでも大したものだが、人生はまだまだ続く、続いていかなくてはならない。
ドミナントとして目覚めた彼の生が、何処まで進んでいけるのかはシドにも分からないが、


(俺より先には、逝かせてやりたくはないもんだな)



胸の内にのみ留めるその呟きを、シド以外の人間が知る事はない。





自分で自分を大事に出来ない(やり方が分からない、すっぽり抜けてる)クライヴと、年長者として見てられんなあと思いつつ放っておけないシド。

シドはキングスフォールでドミナントであるとクライヴに明かした時点で「老兵」と自虐混じり、アルティマニアから18歳で覚醒して既に40代後半なので、体の負担としてもクリスタル破壊の目的としても、先が長くないのは分かってたんだろうなあと思ってます。
そんなシドから見て、確かに波乱の人生してるけど、クライヴはまだ若い(FF16の世界観だとこの歳で死ぬことも多そうだけど)んだから、自分より先はやめろよなって思ってる。と良いなと言う妄想。

[8親子]ゴールは大好きな腕の中

  • 2024/08/08 21:20
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



運動の全般に苦手意識があるスコールにとって、運動会と言うのは憂鬱なものだった。

去年、スコールは生まれて初めて、運動会と言うものに参加した。
通っている幼稚園で開催されたそれは、当時のスコールにとっては、まだ楽しめたものだったと言えるだろう。
一番年下のクラスにいたスコールがその時にやったのは、音楽に合わせてダンスをすることだった。
楽しい音楽に合わせて、両手を上に伸ばしたり、足を曲げたり、ぴょこぴょこと手足を動かしてくるくると回ったり。
皆と合わせて踊ることは、どうにも中々振付が覚えられないスコールには大変な努力が必要だったが、それでもやり遂げたし、終わった後には、見に来てくれた父と母に沢山褒められた。
平日に行われた運動会であるから、大好きな兄と姉は学校があって直接見ることは叶わず、代わりに父ラグナが撮った動画で、自宅で上映会をした。
可愛い弟が元気に踊っているシーンを見て、兄と姉も、よく頑張ったね、すごいね、とスコールの頭を撫でる。
そう言う思い出があったから、その時のスコールは、運動会が楽しかった、と思う事が出来た。

それから年齢が一つ上がり、今年もまた運動会の時期がやって来た。
今年は去年と違い、駆けっこと親子競技がスコールのクラスのプログラムだ。
三人一列に並んで、先生の「よーい、どん!」に合わせて走り、ゴールにあるテープを一番最初に通り抜けた人が一位。
と、やる事は毎日の勉強でしっかりと教わり、皆で反復学習のように練習したけれど、どうにもスコールは、その練習でも上手く走ることが出来なかった。

元々スコールにとって、運動と言うのは苦手なもので、楽しんで挑めるものでもない。
どんなに一所懸命に走っても、いつも周りの子供たちから置いて行かれてしまうし、跳び箱も跳べなかった。
実の所、そう言った子はスコールだけではないのだけれど、とかく自分が上手くできない現実に打ちひしがれるスコールにとっては、「ぼくだけできない」と言う感覚だ。
悲しいのと、悔しいのと、どうして良いか判らないのとで、迎えに来た母の前でわんわん泣いた。
家に帰っても泣きじゃくるので、兄と姉も心配したものだ。

そして、かけっこができない、と泣く弟に、兄と姉が一肌脱いだ。
スコールが少しでも上手に走れるように、平日の夕方、休日の午後には弟を公園に連れて行って、一緒に走る練習をする。
さっきより速く走れた、上手に出来てる、と繰り返し褒めて貰って、転ばない走り方も教えて貰った。
転ぶことだって、遅いことだって、決して悪いことじゃないよ、とも教わりながら。
その甲斐あって、幼稚園での駆けっこの練習も、段々と最後まで転ばずに走れるようになってきた。
これなら大丈夫、と根気良く褒めてくれる兄と、もっとこうしたら良いんじゃない、と色々提案してくれる姉に励まされて、スコールは当分の間、運動会の為に努力する日々が続いた。

兄姉のお陰で、以前よりも少しだけ、楽しみな気分で運動会当日を迎えたスコール。
しかし、あれだけ練習したとは言っても、やはり走る足は簡単に早くはならないし、苦手意識もなくなった訳でもない。
朝になってこれまで忘れていた筈の不安が湧き上がり、こわい、いきたくない、と泣き出したスコールを、母は苦心しながら幼稚園へと連れて行ったのだった。

幼稚園に到着してみると、其処は普段とは全く雰囲気が変わっていて、皆がグラウンドで過ごしている。
規律とはまだまだ程遠い年齢の園児たちは、あちこちに気を散らせながら、先生たちに誘導されて、昨日までなかった筈の入場ゲートへ。
スコールも母に宥められて、「あんなに頑張ったんだから大丈夫よ」「スコールが走ってる所、見たいな」と促されて、なんとかゲートへと向かったのであった。

それからは開会式があって、プログラムの順番通りに、子供たちが走ったり、踊ったり、飛んだり跳ねたり。
運動会を見に集まった保護者達の前で、小さな天使たちが毎日の努力の成果を見せる。
去年はスコールが見せた踊りのプログラムは、一つ年下の子供たちが披露して、その可愛らしさに見守る大人は頬を綻ばせる。
スコールの母レインもまた、うちの子もあんな感じだったなあ、と面映ゆい気持ちを抱いていた。

さて、そうして遂にやって来るのが、スコールの出番だ。
グラウンドの真ん中に、石灰の白線で引かれた真っ直ぐのレーンが三本、此処を駆け抜けるのがスコールの今日の課題であった。
やる事はいつも通り、今日の為に幼稚園のお勉強の時間に繰り返していたことと変わらない。
違うのは、周りには沢山の大人の人がいて、いつもチャイムをお知らせするスピーカーからは、賑やかな音楽が流れている。
それがスコールにとって落ち着かなくて、楽しげな音楽も、反って耳に入っていなかった。


(ドキドキする)


胸の中で、小さな心臓がいっぱいに動いている。
緊張と不安を表すそれに、どうにもスコールはじっとしていられなくて、そわそわと辺りを見回していた。


(おかあさん……)


安心できる人を探して、くりくりとした目が忙しなく動く。
グラウンドには、我が子の活躍を見届けようと、沢山の大人が集まって、子供たちの活躍の場を囲んでいる。
その何処かにスコールの母もいる筈なのだが、混乱気味のスコールは、中々をそれを見付けることが出来なかった。
それが余計にスコールの不安心を刺激してしまい、


「んぅ~……」


じわあ、と蒼灰色の丸い瞳に、透明な雫が浮かび上がる。
スコールがそれをごしごしと拭っていると、前に座っていた子供たちが立ち上がって、先生に誘導されてレーンの方へ。
待機列の一番前になったことに気付いて、スコールの心臓がまた跳ねた。

気持ちの整理なんて幾らも付かないまま、スコールの順番がやって来る。
スタート地点へ誘導されるのを、スコールはいやいやと言いたかったが、頭の中は葛藤でいっぱいで、それもする暇がなかった。
毎日のように、兄と姉に手を引かれて、近所の公園で練習した日々を思い出す。
母も「見たいな」と言っていたし、今日の為にあんなに頑張って来たのだ。
それに応えたい気持ちと、うまくできなかったらどうしよう、と言う気持ちがぐるぐると混ざって、スコールはスタートの合図も聞こえそうにない位に、不安な表情を浮かべていた。

────と、そんなスコールの耳に、聞き覚えのある声が届く。


「スコール~!」
「スコール、がんばれー!」
「スコールー!」


音の違う三人分の声は、沢山の人や音楽の音で溢れているグラウンドで、驚くほどクリアに幼子の耳に届いていた。
はっと顔を上げてきょろきょろと辺りを見回せば、真っ直ぐに伸びたレーンの向こう、観覧席に大好きな人たちの顔がある。

母レイン、父ラグナ、兄レオンに、姉エルオーネ。
一緒に幼稚園に来た母だけではなく、他の皆も来てくれていた事に、スコールの顔がぱあっと晴れやかになる。
それまでの不安な気持ちは何処へやらと、ぴょこぴょこと跳ねるスコールに、その喜びと安心が如実に表れて、レインとラグナはくすくすと笑った。
レオンとエルオーネはと言えば、弟が自分たちに気付いた事を悟り、手を振っている。

がんばれ、がんばれ、と両手を振って応援する姉の姿に、スコールの心から勇気が溢れ出してきた。


(そうだ、がんばらなくっちゃ。今日までいっぱい、がんばったんだもん)


一緒に練習してくれた、兄と姉が見に来ている。
楽しみにしてるよ、と言っていた、父と母が見てくれている。
スコールはぎゅっと両手を握って、頑張ろう、と決意した。

そして、レーンの隣に立つ先生が、スタートの合図に右手を高く掲げて、


「よーい……どん!」


その手が振り下ろされた瞬間、スコールは目いっぱい早く駆け出した。

────元々、運動が苦手なスコールだ。
年齢のことは当然ながら、体の動かし方と言うものがどうにも判らなくて、外遊び自体が得意ではない。
両手をぎゅっと握り、腕を大きく振って、丸い頬をぷくぷくにしながら、一所懸命に走る。
目を瞑った状態で走ってしまう癖もあって、それは危ないから、目を開けて走ろうな、と教えられていたのだけれど、すっかりそんな事は忘れていた。
とにかく走って、頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃ、と小さな子供の頭の中はそれで一杯だ。

そんな風に息を詰まらせて走っていたものだから、


「あっ」


前のめりになった体がバランスを崩して、重い頭の位置が下がる。


「スコール!」
「ころんじゃう!」


見守る兄と姉が声を上げた時には、スコールはもう地面に滑り転んでいた。

乾いた地面が砂埃を上げて、小さな体を受け止める。
どてっと体の全面を地面にぶつけたショックで、スコールの頭は真っ白になった。
何が起きたのか自分でも判らなくて、倒れ込んだままぽかんとしていると、「スコールくん!」と先生が駆け寄ってくる。
声を掛けられながら体を起こされて、スコールはぱち、ぱち、と両目を瞬かせ、額や腕や足から滲む、じんじんとした痛みに意識が持って行かれる。


(いたい。あつい。こわい)


擦りむいた所が痛い。
目の奥が熱い。
沢山の音が溢れて怖い。

ぼろ、と大きな瞳か粒の涙が零れ落ちて、ふえ、とスコールの喉が泣き出そうとした直前、


「スコールー!」


一際大きな声が、スコールの耳に届く。
真っ直ぐに前をていたスコールの目に、大きな声で名前を呼ぶ父の姿が映った。


「がんばれぇー!もうちょっとだぞ!あと少しでゴールだ!」
「スコール!がんばってー!」
「スコール!大丈夫だ、走れる!」


繰り返される家族からの声援に、スコールの視界は一気に拓けた。

毎日練習していたのだ。
兄と姉に教わりながら、その日出来るようになったことを父に報告して、自分が出来ることを確かめて。
母にも「見たいな」と言われたから、母はスコールが出来ることを信じている。
それに応えたくて、スコールは今日と言う日まで頑張ってきた。

スコールはひっく、ひっくと喉をしゃくりあげながら、ふらふらと立ち上がる。
先生がスコールの運動服についてしまった土埃を払い、「大丈夫?お休みする?」と声をかけてくれたが、スコールは首を横に振る。


(さいごまで、がんばる)


一緒に走り出した子供たちは、もうゴールしていた。
残っているのはスコールだけで、それは悔しかったけれど、それならせめて、最後まで走りたい。
皆のお陰でちゃんと最後まで走れるようになったんだと、見せたかった。

スコールは再び走り出した。
擦りむいた足が痛くて、それを庇いながら走るものだから、なんとも不器用な走り方だ。
見守る家族ははらはらとして仕方がなかったが、走るスコールはそんなことを気にしている間もない。
ゴールの向こう側で応援している、大好きな家族に向かって、スコールはちゃんと目を開けて走り抜けた。

ゴールの線を越えて、先生が「よく頑張りました!」と迎えてくれる。
ゴールした子供たちが待つ待機スペースへ手を引かれながら、スコールは家族の方を見た。


「スコール!すごいぞー!」


父ラグナが大きく手を振っている。
その傍らで、兄はほうっと胸を撫で下ろし、姉はぴょんぴょんと跳ねて喜んでいた。
そして母レインも、頑張り抜いた末っ子に安堵しながら、泣かずに走り切ったその成長に目を細める。

スコールの後に続く子供たちが全員走り終わって、退場ゲートを潜って行く。
今日一番の頑張りを終えた子供たちは、それぞれ待っていた保護者に迎えられていった。
スコールも同じように、待っていた家族の下へと駆け寄って、


「スコール~!すごい!ゴールできたぁ!」


そう言って抱き締める姉に、スコールもぎゅうっと抱き着く。
すごいすごい、と繰り返す姉と、よく頑張ったな、と土のついた頬を撫でる兄に、スコールは精一杯に頑張って良かった、と思った。





末っ子の運動会を皆で応援。
両親が来るのは勿論のこと、お兄ちゃんとお姉ちゃんは学校をお休みしています。毎日頑張っていた弟の成果はなんとしても見届けたかった。勉強は帰ったら自習で頑張る約束。

後々、スコールは運動神経を伸ばしていくので、こんな姿は見れなくなっていく訳で。
子スコの頃にしかないであろう、こういう場面を書くのはとても楽しい。

[ラグレオ]遠い面影に夢を見る

  • 2024/08/08 21:15
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



それを見付けたのは、偶然のこと。
引き出しの中にあるものを取ってくれと言われて、指定された場所を開け、探っている時に、何の気なく目に入ったものだった。
綺麗な銀色は、小さな傷がちらほらとあるものの、光沢は損なわれずに磨かれていたから、放置されている訳ではないことが判った。
反面、これを使うような場面があるのだろうかと、首を傾げた。
その時は詳細について聞く暇があった訳でも、深く考える必要のあるものでもなかったので、触れることなく引き出しを閉じている。

それからなんとなく、それの事が忘れられなかった。
使っていたことがあるんだろうか、何に使っていたんだろうか───と想像を巡らせてみるが、大概、それを使う場面と言うのは限られているように思う。
だが、レオンの想像の通りにそれを使っているのなら、相応の気配が漂うものだろう。
匂いであったり、キスをした時に感じる味であったり、そう言うものに、それは滲み出てくると聞く。
しかしレオンは、ラグナと愛し合うようになってから───もっと言えば、それ以前からも───、その手のものを感じた事がなかった。

何度目かの夜の交わりをして、倦怠感の中でベッドの中で微睡んでいる。
ともすればこのまま眠ってしまえそうだったが、隣にいる人はまだしっかりと起きているようで、レオンの頭を撫でる手は続いていた。
年齢差があるとは言え、どうにも子供扱いのようでレオンは聊か気恥ずかしいのだが、触れる手の心地良さにも抗えないので、いつもされるがままにしている。

外は今日もうだるように暑く、夜になっても気温が下がらないので、夜でも冷房が欠かせない。
子供の頃は夏と言ってもこうまで暑苦しくはなかった筈だが、最早、この暑さが当たり前にもなりつつある。
だから冷房を止める事は出来ないのだが、汗を掻いた肌に、ふわふわと当たる冷風と言うのは、少々寒さを感じさせてしまった。
それから逃げるように、傍らの温もりに身を寄せると、くすくすと笑う気配がある。
甘えん坊だとでも思われたのかも知れない。
そう思うと、また恥ずかしい気持ちも沸いて来るのだが、さりとて心地良さもやはり手放し難く、レオンは赤くなっているであろう顔を隠すように、すぐそこにある胸に鼻先を埋めていた。

と、そうして鼻腔をくすぐる匂いに、レオンはふと、ベッド横のチェストの中にある物のことを思い出し、


「……あの」
「ん?」
「…ラグナさんって、吸うんですか」
「お?何が?」
「煙草です」


レオンの言葉に、ラグナはぱちりと瞬きを一つ。
不思議そうな顔をして、「なんで?」と、問の理由を尋ねるラグナに、


「その、引き出しの中に、ライターのようなものがあったので」
「ああ、成程。そっか、アレか」


意図していなかったとはいえ、他人の私物を盗み見てしまった気がして、レオンは口籠りつつ正直に答える。
するとラグナは、心当たりに至ったようで、そうかそうかと納得した様子で言った。


「昔な。吸ってた事はあったよ。独身の頃だけど」


そう答えるラグナは、現在、男手一つで一人息子を育てている。
妻は息子を生んでから数年後、まだ幼い内に急逝してしまったそうだ。
その息子は今年で十七歳を数えているから、彼が独身の頃と言うと、少なくともその数字よりも前のことになる。
ラグナの年齢を考えると、人生の三分の一は昔のことになるので、古い話と言えばそうだろう。

ラグナが体を起こして、ベッドの横のチェストに手を伸ばした。
引き出しを開けて中を探り、取り出したのは、綺麗な銀色のオイルライターだ。


「これだろ?お前が気になったのって」
「はい」


ライターは意匠らしいものは見当たらないものの、澄んだ耀きを放っており、安価なものではない事は、その手のものに詳しくないレオンにも感じ取れた。
側面の隅に小さくブランドの刻印が刻まれている以外には、まっさらな銀色だ。
シックな印象を与えるそれは、シンプルであるが故に、洗練されたアイテムであると印象付けるだろう。

ほい、とラグナがそれを気軽に差し出してきたものだから、レオンも思わずそれを受け取った。
起き上がって代物を眺めてみると、それなりの重さもあって、───レオンにそれの品の真偽は判らないのだが───本物らしい存在感を感じさせる。
刻印の部分をよく見ると、シリアルナンバーと思しき数字も刻まれていた。

しげしげと銀色の小さな着火器を見つめるレオンに、ラグナは立てた片膝に頬杖をしながら言った。


「俺、昔はジャーナリストになろうと思って、色々書いたり、あちこち行ったりしててさ。その時に出来た伝手って言うか、知り合った人に、なんか気に入られちまって、やるよって言われて貰ったものなんだ」
「こんな高級そうなものを……」
「そうなんだよなぁ。でもその頃は、そう言う価値とか俺、全然判ってなくってさ。でも煙草は吸ってたから、有難く貰って、当分は使ってたんだ。物は頑丈だし、しっかり火がついてくれるから、何処ででも吸うのに困らなかったし」


その前は使い捨てを使ってたんだけど、とラグナは言った。
それから、でも、と続く。


「嫁さん出来て、子供が出来て。そうなると、やっぱ煙草止めなきゃなあ~って思ってさ。生まれる頃には、なんとか禁煙できたんだ」
「それからは、一度も?」
「いや。レインが死んだ時に、ちょっと戻っちまったな。けど、まだスコールも小さかったから……ああやっぱ駄目だって思って、なんとか我慢し直した。其処からは吸ってないな」


急逝した妻と、幼かった息子を思って、ラグナは煙草を辞めた。
仕事のストレス等から三度手を伸ばしかける事はあったが、なんとか堪えて、二度目の禁煙に成功。
以降は煙草を新たに買う事も勿論なく、このオイルライターが使われる事もなかったと言う。


「────でもさ、これ、高いもんじゃん?」
「……そうなんでしょうね。ブランド物のようだし」
「貰いもんだし、捨てるのもな~って。誰かにあげるってのも考えたけど、いないんだよな、俺の周りに今煙草吸ってるような奴」
「確かに、ウォードさんやキロスさんも、吸っている所は見たことがないですね」
「うん、あいつらも全然だよ。だからずっと此処に仕舞ってる。取り出すのは、時々、磨いたりする位だな」


ベッド横のチェストを指差すラグナに、どうりで綺麗な筈だ、とレオンも納得した。
小さな傷があるのは、昔使っていた頃の名残。
現在は、道具本来の役割としては使われることはなく、基本的には、チェストの中に仕舞われたままのもの。
それでも高級品だからか、頂き物だからか、放置しておくには聊か忍びなく、表面位はと思い出した時に簡単な手入れをしているのなら、こうも綺麗に残されているのも当然か。


「まあ、そんな感じでずっと此処に置きっぱなしだから、もう火もつかないとは思うんだよな。使うなら、ちゃんとメーカーに頼んで、色々交換して貰ったりしないと。でも、別に其処までの必要も感じなくってなぁ」


今やラグナにとって、このオイルライターは、若い頃の思い出だけの置物なのだ。
まだ向こう見ずな無鉄砲でいられた若い時代、口寂しさを誤魔化したり、原稿の内容を考えている時に、ぷかぷかと吹かしていた煙草、それを吸う為の必需品。
既に地に足のついた生活が板について、家族と自分の生活の為、敢えての不健康に手を出すのも辞めて久しい。
昔々は、息子の誕生日のケーキに火をつける為に使ったこともあったけれど、十七歳の息子はもうそれを望みはするまい。
いよいよ、ライターはお役御免となっていた。

この手の者は、個人的な収集家もいる為、フリーマーケットの方法で手放す人、逆に入手する人もいるものだろう。
しかし、ラグナはその手の手段に明るくなかったし、見ず知らずの人に、懇意で貰った物を渡すのも、少々抵抗があった。
捨てるとなるとまた少しばかり気が咎めたし、何より、処分の正しい方法が判らない。
既に長らく使われていないとは言え、適当に処分して良い代物でもないから、益々この扱いは宙ぶらりんになっているのであった。

レオンが眺めていたライターを返すと、ラグナはその蓋を片手で開け閉めして遊び始める。
キン、キン、と金属が当たる音がして、ラグナの手付きが慣れているのが見て取れた。
長らく使っていないとは言っても、若い頃の杵柄があるのか、ラグナの手はそれの扱い方を今も覚えているようだ。
レオンはその様子をじっと見つめながら、


(……どんな風に吸ってたんですか、なんて、聞くものじゃないか)


浮かぶ疑問が口をついて出そうになるのを、レオンは意識して堪えている。
そんな思考が浮かぶ理由を、レオンははっきりと自覚していた。


(……見て見たかった。この人が、煙草を吸っている所を)


どんな風に、どうやって、どのメーカーのものを愛用していたのだろう。
煙草も様々な種類があって、それを吸う時の手癖と言うのも、また人によって色々あるようだった。
レオンも煙草を嗜んではいないから、それは他者を観察している時に感じたものだ。
煙草の持ち方だったり、吸う時の仕草だったり、吐き出す時の顔だったり───それが、ラグナはどんな風だったのだろう、と勝手に想像が膨らんでいく。

ラグナの過去と言うものに、つい最近彼と逢ったレオンは、当然入って行くことが出来ない。
目の前にいるこの人のことを、全て知りたいと願っても、昔の事については、思い出話を聞くのが精々だ。


(かと言って、今もう一回吸ってくれ、なんて言う訳にもいかないな)


知りたいと思っても、家族を思って辞めたことを、自分の我儘で引き戻してはいけない。
自戒しながら、それでも知らないラグナを知りたい気持ちが抑えきれそうになくて、レオンはライターを遊ばせている恋人に体を寄せた。
肩口に頭を乗せたレオンに、ラグナは「どした?」と声をかけながら、濃茶色の髪をくしゃりと撫でる。
また甘えていると思われたらしい、が、レオンは今ばかりはそれに甘えることにした。

ラグナはライターをチェストの上に置いて、レオンの頭を抱えるように抱き込んだ。
レオンの頬にラグナの唇が寄せられて、近い距離から香るのは、間違いなくラグナの体臭だ。
煙草独特の匂いなど其処には当然ある筈もなく、本当にもう随分と昔の話なのだと実感する。



重ねた唇から伝わる味を確かめながら、レオンは次の熱に向かう体から力を抜いた。






元喫煙者なラグナも良いなと。頭ガシガシしながら原稿考えてた頃があったのかも知れない。
そんなラグナの今も昔も全部知りたいと思ってるレオンでした。

[ラグスコ]満たされるにはまた明日

  • 2024/08/08 21:10
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



熱が交わっている間は、何も考えなくて良い。
ただ其処に繋がる相手がいることと、身体を支配するものの恐ろしさと、その心地良さに身を委ねていれば良い。

中に出されたのを感じながら、スコールも何度目かの果てを迎えた。
強張った足の爪先が細かに震えた後、ひく、と戦慄いてから弛緩する。
中に入っていたものがゆっくりと出て行くと、途端に寂しさと、けれども注がれたものが零れていく感触があって、疲労感と充足感がじわじわとやって来た。

覆いかぶさっていた重みが退けようとする気配を感じて、首に絡めていた腕に力を籠める。
やだ、と言外に主張すると、仕方がなさそうに小さく笑う気配の後、頬に柔らかいものが落ちた。
何度も触れては離れるそれに、充足感がまたじんわりと沸いてきて、スコールの方からも口付ける。
僅かに皺の浮かぶ目尻に触れると、相手───ラグナはくすぐったそうに笑いながら、スコールの唇に自分のそれを重ね合わせた。


「ん……ん、ふ……」


無防備に隙間を空けていたから、するりと舌が入ってきた。
抵抗せずにそれを受け入れ、自分の方からも絡めて行くと、耳の奥で水音が聞こえてくる。
舌の裏をゆっくりと擽られると、ぞくぞくとした感覚が這いあがってきて、ぶるりと体が震えた。

背中に回された、意外としっかりとした筋のある腕が、スコールをしかと抱き締めている。
それは甘えたがるスコールを、逃がさないと判っていながらしっかりと捕まえて、子供をあやすようにゆっくりと背筋を撫でていた。

たっぷりと咥内を寵愛されて、スコールの意識はふわふわとしていた。
蒼灰色の瞳がとろりと溶けていくのを、翠色が酷く近い距離で見つめている。


「……っは……あ……」


ようやく唇が離れると、スコールの唇から名残の吐息が漏れた。
自覚していなかった息苦しさをようやく悟った躰から、くたんと力が抜けて、スコールの全身がベッドに沈む。
しがみついていた腕も解けてしまい、ベッドに投げ出されたそれに、ラグナの手が伸ばされた。
スコールの右手とラグナの左手が絡み合って、どちらともなく、ぎゅう、と捕まえる。

ラグナは、熱と口付けの余韻に揺蕩っているスコールを見詰めながら、


「大丈夫か?痛いとこない?」


労うラグナの言葉に、スコールは夢現の気分の中で、「……ん……」と小さく頷いた。
正直な所、散々に声を上げた喉であったり、繋がり合っていた場所の違和感だったり、明日になれば腰にも色々響いていそうではあったが、それは些細なことだ。
心地良さや、今までしていた事の余韻を阻害するものでもないから、スコールは平気だと答えた。

そのままスコールがぼうっとしている間に、ラグナが起き上がる。
密着していた体温が離れて、途端に滑り込んでくる冷たい空気に、スコールはラグナに向かって手を伸ばした。
ラグナはその手に応じるように手指を軽く絡めると、くすりと小さく苦笑しながら、スコールの手を柔く握る。
手は繋いだまま、ラグナは空いている方の腕をベッド横のナイトテーブルに伸ばして、結露の浮いたペットボトルを取った。


「ちょっと水分取っとこう。な?」


喉が渇いているだろう、と言うラグナに、スコールは否定をしなかったが、飲む為に起きるのは面倒だった。
じい、と蒼の瞳が無言で見つめ返すと、ラグナはしょうがないなと言わんばかりに眉尻を下げて笑う。

ラグナはペットボトルを開けて、軽く一口飲んだ後、次はそれを口に含んだ。
降りてくる影の気配に、スコールが頭を向けると、唇が重ねられる。
体温よりも少し冷たい液体が、ラグナからスコールへと受け渡されて、スコールの喉が小さくこくりと音を鳴らした。

一回、二回、三回。
口移しに渡す水の量は大したものではなく、自分で飲んだ方が、水分摂取の効率としては良いものだ。
けれどもスコールは、こうして事後にラグナに判りやすく甘やかされることに心地良さを感じていた。
ラグナもまた、スコールの露骨な甘えようが愛しくて、甲斐甲斐しく世話を焼く事を楽しんでいる。
そして、満足するまで水を渡した後は、お互いの濡れた唇と咥内の具合を確かめるように、深いキスをするのがお決まりだった。


「んむ、ん……っんぁ……」


ラグナの舌が、スコールの舌の裏側をつぅと擽る。
その度に、スコールの落ち着きかけていた体の熱が、またじわじわと燻ぶり始めていく。
若くて性の愉悦を覚えたばかりの体だから、増してやそれを余すことなく開発して教えたラグナが相手であるから、容易くその身体は自己を主張し始める。


「は、ふ……ラグ、ナ……」


シーツの白波の中で、スコールはもぞもぞと体を捩っていた。
甘えん坊の見つめる瞳に、明らかな情欲が宿っているのを見て、ラグナがくすりと笑う。


「明日、お仕事って言っただろ?」
「んん……」


諫めるように言うラグナに、スコールは眉根を寄せてラグナを見上げる。

スコールが今日、エスタにいるのは、元々明日から予定される会談で、ラグナの護衛を務める為だ。
ドールとガルバディアからも要人が来ると言う、規模としては大きいものだから、スコール以外にもA~CランクのSeeDが派遣されている。
SeeDは全員、エスタの都市内にあるホテルで宿泊施設を確保してあり、本来ならスコールも其処で過ごす筈だった。
しかし、ラグナの方から連絡があり、「明日の打ち合わせをしたいから」と言う理由で、ラグナの私邸へと招かれた。
明日の階段の予定となっているルートが、安全確保の為に密かに変更されており、SeeDの総指揮を務めるスコールとは情報共有しておこう、と言う真っ当な理由があった。
昨今の国際情勢の不安視も多い中、移動中に襲撃が待ち構えている可能性を考えての措置だ。
それは決してスコールを呼び出す方便ではなく、スコールが私邸に着いた時には、ラグナが最も信を置く側近───キロスとウォードも待機していて、打ち合わせも入念に行われた。

だが、その後の事は、全くの別。
ホテルに戻るのは時間がかかるだろうとか、折角なんだから泊まって行けとか、久しぶりなんだから、とか。
色々と言って引き留めるラグナが言わんとしている事が、スコールも判らない訳ではなかったし、身体が彼を求めていた。
指揮を務める立場で勝手な、うつつを抜かして、と思う気持ちもないではなかったが、結局は熱の誘惑に負けた。

そんな訳だから、スコールの明日の朝と言うのは早いのだ。
朝の集合時間に指揮官が遅れる訳には行かないし、昨夜の打ち合わせで確認したことを、他のSeeDにも伝えなくてはいけない。
時計を見れば、日付も変わっており、明日の事を思うと、そろそろ眠って体を休めなくては。
寝不足の頭と体で、重要な要人警護の任務に挑むなんて、危機管理がなっていない。

────と、判ってはいるのだが、


「ラグナ……」


丹念に熱で蕩かされた頭は、そんな真面目な話など知った事かと、目の前の男を欲しがる。
腕を伸ばして縋るスコールを、ラグナはまた眉尻を下げながら、ダークブラウンの髪をくしゃくしゃと撫でてあやす。


「だぁめ。ほら、良い子して寝な」
「……」
「可愛い顔しても今日はもう駄目だよ」


じと、と睨むスコールだが、ラグナに効果はない。
それがなんとも腹立たしくて、応じてくれない事に焦れて、スコールはぎゅうっとラグナにしがみついた。
離したくない、離れたくないと訴える少年に、ラグナが優越感に浸っていることを、スコールは知らない。

ラグナはスコールの背中を抱き締めて、ごろん、とベッドに寝転がった。


「良い子にしてたら、明日もこっちで寝て良いから」
「……そんな訳ないだろ。明後日もまだ任務がある」


ラグナの言葉に、スコールは眉根を寄せながら言った。

明日の会談を終えても、ラグナの予定は終わりではなく、明後日はエスタの各市街地域の市長との議会がある。
規模の大きな都市であるエスタでは、こうした議会が開かれるのも少なくはないが、全ての区域の市長が集まるタイミングは限られている。
スコールたちSeeDは、引き続きそれの警備も任されているのだ。
此方はエスタ軍が各所の警備を担うが、大きな会場を使う為、エスタ軍だけでは埋めきらない穴を補う役を担う。

ことの重要度で言えば明日の会談の方が大きいが、かと言って、明後日の警備任務も気を抜いて良い訳ではない。
今日がもう駄目だと言うのなら、明日だって駄目でなくてはいけないのだ。
いや、今夜をこんな時間に費やしたのなら、明日こそちゃんと休まないと、身体にガタが来る可能性もゼロではない。

だが、そんなことを考えながらも、スコールの表情は揺れている。
明日もまた此処に来て良い、と言われたら、それは寂しがり屋の少年にとって、なんとも拒否しがたい誘惑を持っていた。


「……明日……」
「するかしないかは、その時にな」
「……」
「来てくれるなら、そう言う風にしとくから」


ラグナがスコール一人を呼び出すことは、それ程難しくはない。
今日と同じく、打ち合わせだとか、確認事項だとか、それらしく言えば十分だ。
SeeDから何某かの連絡が入ることは皆無ではないが、基本的には、余程の緊急事態でもなければ、スコールがこの邸宅を飛び出す必要もないだろう。
見ようによっては、そもそもの任務である、大統領護衛を近衛の立場で務めていることになるから、誰もスコールがラグナの下を離れないことに違和感を唱えることはあるまい。

柔らかい手付きで頬を撫でながら、続きをねだるスコールを宥めつつ、「な?」とラグナは笑う。
無邪気にも見えるその顔に、スコールは唇を尖らせて、


(……ずるい)


そうやって、周りを固めておきながら、今夜はもう此処までなのだ。
スコールは今すぐ熱の続きが欲しいのに、それは決して与えてはくれず、お預けをされている。
けれど、そのお預けをちゃんと守ることが出来れば、明日にはまた、熱を与えてくれるかも知れないのだ。

スコールが何を欲しがって、それをどう渡せば良いのか、ラグナは全て知っている。
それでスコールが望むものが手に入るようにと、ラグナが教え込んで行ったのだから当然だ。


(……うまく転がされてる気がする)


気がする、ではなく事実そうだと言う事に、スコールはいまいち気付いていなかった。
この手の中に捕まっている事が、なんとも言えない安心感を齎すものだから、其処ばかりに心が囚われる。

せめてもの腹立たしさに、スコールはラグナの胸にどすっと頭をぶつけた。
胸を打った突然の頭突きに、「うっ」と言う声が聞こえる。
大した意味もないその反応に、少しだけ胸がすくのを自覚しながら、


「……寝る」
「お。うん、そっか。良い子」
「子供扱いするな」


ぽんぽんと頭を撫でる気配に、スコールは益々拗ねた顔で、ラグナの胸に鼻先を埋める。
押し付けた胸から、汗の匂いが滲むのを感じながら、まだ燻ぶっている体を、強引に眠りの方へと持って行くように意識した。
身体が疲れているのは確かだから、この鼓動が落ち着く頃には、睡魔もやって来るだろう、恐らく。



頭を、背中をゆっくりと撫でる手の体温を感じながら、スコールはゆっくりと目を閉じた。





呼んで散々甘やかしておいて、スコールの方からおねだりすると、焦らしてくるラグナ。
一挙に与えると満足してしまうから、じわじわ満たして、染めて行ってるんだと思います。
スコールの方も、任務の事は気にしているようなことを言うけど、ラグナから求められると拒否する気がないって言う。だから呼ばれると行っちゃう。
ラグナは、そう言う所だぞって思いつつ呼んでる。可愛いんでしょうね。

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