[サイスコ]待ち侘びている言葉ひとつ 1
「誕生日おめでとう、サイファー」
その言葉を一番最初にくれるのは、いつだって母だった。
血の繋がらない息子を、そんなこととは関係なく、一心に愛情を注いでくれる母イデア。
その無心の愛とも呼べるものは、最近のサイファーにとってなんともむず痒くてくすぐったいものだが、さりとて悪いものと思う事もない。
ただ少しばかり、サイファーが物事に対して素直になれない程度に、大人になりつつあるだけのことだ。
同じように、父親についても、「狸親父」と顰めた口で言いながら、母と同じように“息子”と接していることは知っている。
朝一番に、続いて朝食の席で、両親から今日と言う日を祝って貰う。
それは幼い頃から変わらず続く、サイファーの誕生日の合図のようなものだった。
腹を満たして、登校の準備をしていると、幼馴染のスコールが玄関先にやって来た。
普段はすました顔をして寝汚く、サイファーが迎えに行ってやるまでベッドの中にいると言うのに、珍しいこともあるものだ。
つまりは、とサイファーがその理由を想像し、大方外れてはいないだろうと思うと、少しばかり顔が緩む。
が、その顔を見せれば、彼は確実に顔を顰めてヘソを曲げるので、サイファーは努めていつも通りの顔で玄関を潜った。
物心がつく頃にはよく一緒に遊んでいた幼馴染だが、かと言って、二人の間で会話が弾むことも多くはない。
スコールは元々口数が少なく、幼い頃は引っ込み思案もあって、サイファーが彼を引っ張り回していることが多く、彼もそんなサイファーにおろおろとしながらついて来るばかりであった。
最近はスコールが妙に生意気になって来て、サイファーのやる事に後ろでちくりと刺してくることが増えている。
お陰で喧嘩も絶えないが、妙なもので、隣に彼がいないとサイファーは落ち着かないのだ。
そしてスコールの方も、サイファーの近くにいるのが当たり前になっていて、あれだけ口喧嘩をしたのにと周囲に呆れられる位に、一緒にいる時間が多い。
登校時間も同じことで、向かう方角が同じだと言うだけで、二人とも黙々と足を動かしていることの方が多かった。
そんな二人であるが、今日は少しばかり空気が違う。
サイファーはいつも通り(のつもり)だが、その一方後ろをついて行く形で歩くスコールは、なんとも言えない張りつめた空気を醸し出している。
その理由を、サイファーはとっくの昔に理解していて、後ろに彼がいるのを良い事に、口端を上げて笑っていた。
(さっさと言やあ良いのによ)
悶々としているスコールが、何を考えているのか、何をしようとしているのか、サイファーは手に取るように判る。
判るなら、彼がそれをしやすいように誘導してやれば良い、と他人は思うかも知れないが、それではいけない。
下手にサイファーの方からアクションを取ると、スコールが一所懸命に用意した出鼻を挫くことになる。
傍目にクールぶるようになっても、中身は昔と変わらず、存外と意固地な所があるスコールに、それは逆効果になってしまうのだ。
だからこれが彼にとっては最善、とサイファーは知らぬ顔をして前を歩く。
こうしている事が、スコール自身に自分で動くタイミングを与え易いのである。
しかし、登校時間と言うのは、いつまでも二人きりで歩いていられる訳ではない。
目的地が近付くに連れ、同じ学び舎で過ごす生徒たちの顔も集まるようになり、おはよう、おはよー、と言う挨拶の声も聞こえてくる。
サイファーとスコールにも、それぞれのクラスメイトから投げかけられる声があって、サイファーは片手を上げて、スコールはちらと視線をやるだけで───今はその余裕すらもないかも知れない───返事をする。
そろそろ切り出さないと学校に着くぞ、とサイファーが後ろの気配に胸中だけで急かして見た所に、
「サイファー!誕生日おめでとうだもんよ!」
無邪気な友人の声がかかって、サイファーは「おう、ありがとよ」と返した。
その背中に、萎れるように俯く幼馴染の気配を感じて、やれやれとこっそり肩を竦めるのだった。
今日がサイファーの誕生日だと言うことは、校門前で雷神が気持ちの良い祝いの言葉をくれたお陰で、あっと言う間に広まった。
教室に着けば、周囲からはサイファーを祝う言葉が投げられ、些細なプレゼントにガムや飴を貰う。
幼馴染のキスティスとアーヴァインからは、サイファーが毎月購読している雑誌や、髪型のセットに使っている御用達の整髪剤などが贈られた。
そして休憩時間になると、一学年下───スコールと同じだ───の幼馴染であるセルフィがやって来て、無邪気に懐きながら、プレゼントにと近所で有名な洋菓子店のビュッフェチケットをくれた。
風紀委員として、学校ではそこそこ名が知れているサイファーである
普段は余計なものが入っていない鞄の中は、幼馴染や友人たちからのプレゼントいっぱいになっている。
朝と同じく、これもまたくすぐったいことだが、悪い気はしない。
しかし、此処にまだ足りないものがある、とサイファーは感じている。
朝からチャンスを与えてやっていると言うのに、それはまだ手元にやって来ていなくて、サイファーは密かに物足りない気分を感じていた。
その内に時刻は昼休憩を迎え、サイファーは昼食の弁当を取り出して、さて何処で食べようかと席を立つ。
其処へ雷神がやって来て、
「サイファー!一緒に昼飯、食うもんよ」
「良いぜ。屋上で良いか?」
「ああ。風神を呼んで来るから、先に行ってて欲しいもんよ」
違うクラスにいる相方を呼びに行く雷神を見送って、サイファーも教室を出ようとした。
と、戸口の前に立っていたアーヴァインが、
「サイファー、スコールが来てるよ」
聞こえた名前に、来た、とサイファーは思った。
やはり努めていつものように、特別なことなど何もないと言う顔をして、サイファーは教室の出入口へ向かう。
其処には、相も変わらず所か、普段よりも三割増しに眉間に皺を寄せた、誰よりよく知る幼馴染の姿があった。
目当ての人物を呼んで、役目は果たしたとばかりにアーヴァインが「じゃあね」と手を振ってその場を離れれば、後は主役の二人だけ。
「おう、どうした」
「……いや……」
何事も変わらない、毎日の日常としてサイファーが声をかければ、スコールは俯いた。
蒼灰色の瞳がうろうろと足元を見つめて彷徨う様子は、子供の頃に何度も見た、何かを言おう言おうとして迷っている時の仕草だ。
あの頃よりは背も伸びて、一歳違いの年齢差もそれ程大きく感じなくなっても、こう言う所はいつまで経っても変わらない。
多分、此方から切り口を与えた方が話は早いのだろうが、重ね重ね、それは存外と悪手でもあるとサイファーは学習している。
スコールとサイファーの教室は、階段を挟んで校舎で丁度対極線の位置にある為、遠いと言えば遠いのだ。
同じ校舎内なので然程の距離ではないのだが、気軽に隣教室へ遊びに行こう、と言うものでもない。
増してや基本的に腰が重いスコールだから、廊下を歩いて階段を上り、他クラスの、それも他学年の教室に行くと言うのは、中々のことなのである。
加えて今日と言う日にまつわる事を思えば、スコールがそれなりの決意と決心を抱えてきたことは想像に難くなく、“そうまでして此処まで来た”と言うプレッシャーまで抱えている訳で、此処をサイファーが迂闊に挫く真似をしてはいけない。
面倒くさい奴、とサイファーは常々思うのだが、それも飲み込んでスコールの出方を彼のペースに合わせて待つくらいには、絆されているのであった。
スコールは何度か口を開き、閉じ、と繰り返している。
声が出そうで出ない、と言う様子の彼に付き合うことは、幼い頃から積んできた経験のお陰で慣れている。
腹が減ったなと思うこともあるものの、スコールがこれから差し出そうとしているものに期待があるのも確かで、サイファーは広い心でこの沈黙を守っていた。
しかし、いつまでも教室の出入口を占領している訳にもいかなかった。
「ねえ、ちょっと邪魔よ」
気の強い女子生徒が、戸口前を占領しているサイファーに言った。
これは自分の立ち位置が悪かったな、とサイファーは大人しく一歩前に出て道を譲る。
「悪いな」
「気を付けてね」
物怖じしない女子生徒に続いて、彼女と一緒に昼食に行くのだろう、数人の女子グループが教室を出て行く。
ぞろぞろと廊下を占拠するように広がって歩く少女たちに、あれも大概邪魔だよな、とサイファーは思いつつ、ちらと隣に立っている少年を見る。
「……」
「…………」
スコールは、判り易く顔を顰め、教室を出て行った女子グループを睨んでいる。
それは傍目に八つ当たりめいていたが、スコール一人に限った視点で言えば、完全にタイミングを外された気分なのだろう。
折角唇のすぐ出口まで出かかっていた言葉が、喉の奥に引っ込んでしまったのだ。
「スコール」
「……なんでもない。邪魔した」
「ああ?おい、コラ!」
スコールは振り切るように、くるっと踵を返して、サイファーに背を向けた。
そのまま足早に廊下の雑踏の向こうへ行ってしまう幼馴染に、サイファーが苛立ち混じりの声を上げたのは、無理もない。
一体何の為に此処まで来たのか。
スコールは、決意を固めて動き出すまでは長いのに、心を折るのが早過ぎるのだ。
立ち去る前に、一秒で終わる言の葉すらも諦めて、「やっぱりやらなきゃ良かった」と此処までの自分の努力も全否定してしまう癖もある。
一番肝心な目的に手をかけてもいないのに、失敗したような気分になっては、自分の行動そのものがまるごと間違っているような気持ちになって、一人で蹲ってしまう。
折角待ってやったのに、とサイファーの顔が顰められる。
此処にキスティスがいれば、後を追えば良いだろうと言われそうだが、サイファーは傍目にはともかく、努めて冷静を残していた。
今この気分のままにあれを追ったら、間違いなくややこしくなる。
変な所で意固地なスコールは、こうなると藪の中にいるようなものだから、下手につつくと噛みついて来るのだ。
判っているからサイファーは、意識して長く息を吐き、米神の引き攣りを解くように努めた。
「……ったく、面倒な……」
どうして自分が彼のペースに合わせてやらねばならないのか。
長い付き合いの中で何度となく浮かぶ自問は、記憶に深い蒼灰色がぐすぐすと泣いている様子を思い出させて、結局こっちが折れるしかないんだと諦めに至るのであった。