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2023年12月02日

[16/シドクラ]寒い日



過ぎ行く窓の風景は、とうに自然光と言うものからは縁遠く、人工的な光で溢れている。
そんな外界も、煌々とした電灯の点いた電車の中からは漆のように黒で塗り潰されて、遠くのビルの陰影も見えない。
晴れた空なら、夜でも多少はビルの輪郭くらいは見えるものだが、今日は全くそれがないのは、暗雲が天を覆っているからだ。
天気予報は午後から曇りを示し、その予報通りに、冬の空らしいどんよりとした天気になっていた。

冷える空気に吐く息は白く、会社から最寄の駅に向かうまでの短い距離でも、存外と凍えた。
まだ老輩とは言いたくないが、若い年齢はとうに終えたと自覚のある体に、キンと冷えた北風が染みる。
おまけに電車に乗った頃から、雨が降り始めた。
雨脚は大して強くはないが、さらさらと降る雨は、ただでさえ冷たい空気から更に熱を奪って行く。
先月の半ばごろから、電車の中でも暖房が稼働するようになったが、人気の少ない電車の中は、幾ら温めても足りないようで、各駅停車の度に開くドアから、辛うじて温まった空気が逃げて行く。
空気の冷えに負けて、ホームの到着と同時に滑り込んで来たこの電車に乗り込んだが、快速列車が来るまで待った方が良かったかも知れない。
ともあれ、後少しで家の最寄り駅に着くのだから、過ぎた事を後悔するのは止めた。

駅到着のアナウンスを流しながら、電車はゆっくりとホームに停止する。
電車を降りて直ぐに吹き付けて来た冷たい風を嫌って、ロングコートの前を寄せ合わせながら速足になった。
靴下は厚手のものを使っているのに、靴の中で指先が酷く冷たい。
家に帰ったらまず風呂に入って温まりたい、今からでも連絡すれば用意して置いてくれるだろうか。
そう言えば炬燵をまだ出していなかったなと思い出しながら、改札を通り抜ける。

ホームから二階の連絡通路へ上がり、改札を抜けると、通路は南と北にそれぞれ伸びている。
北側には地元の人間が生活の頼りにしているスーパーがあり、学校帰り、会社帰りの客が毎日利用していた。
シドや同居人も同様で、日々の食糧、日用品の買い出しの他、仕事終わりの疲れた体を甘やかす為、其処でささやかな趣向品を吟味して帰る事もあった。
しかし、今日はとかく寒さが身に染みるものだから、真っ直ぐ帰ってしまおうと、シドの足は自宅がある南口の方へと向かう。

外へと出れば、また寒い風に襲われるだろう。
その前に防御を固めながら外への階段を降りて行くと、その一番下に、見知った人物のシルエットを見付ける。


「なんだ、お迎えか?」


階段を下りる足を止めずに言うと、しっかりそれを聞き拾って、シルエットが壁に預けていた背を伸ばす。

無造作気味に伸びた癖のついた黒髪と、混じりけの無いブルーアイズ。
あまりに綺麗に整えていると、案外と幼い顔をしているのがコンプレックスらしく、それを隠すように無精気味に伸びた髭。
頬には幼い頃の事故が原因だと言う、火傷で少し色の変わった皮膚を持っている青年。
一年前からシドが自分の会社へと引き込み、その内に共に生活を始め、今ではパートナーとなった、クライヴ・ロズフィールド。

クライヴは体躯の良い体を、厚手のダウンに覆い、首元までしっかりと前を止めている。
基礎体温の高いこの男でも、今日の冷え込みは流石に堪えるものだったのだろう。

クライヴは左手に持っていたビニール傘を二本、ひらりと掲げて見せ、


「雨が降っていたから、あんた、濡れて帰るんじゃないかと思って」
「お優しいね」
「結局止んだから、いらなかったけどな」


クライヴは傘を持った手を降ろしながら、肩を竦めた。

彼の言う通り、シドが電車に乗る時に降り出した雨は、その電車を降りた途端に止んでいた。
気紛れな雨雲はまだ空の上で淀んでいるが、今の所は泣く気がないのか、時折ごろごろと不穏な音を零している程度。
いつまた降り出すかと言う風ではあるものの、止んでいる内に傘を差す必要はあるまい。
クライヴは二本の傘を持ったまま、帰路へと足を向けて歩き出した。

足元は濡れた気配がそのまま残り、昼の微かな晴れ間の内にアスファルトに蓄えられた温もりは、最早微塵も残っていない。
ビルの隙間から吹き下ろして来る風は、渦巻く冷気ばかりを引っ掻き回して、まるで冷蔵庫の中を歩いているようだった。


「全く、身に染みる寒さだな。こうも一気に冷えなくても良いだろうに」
「雨の所為で余計に冷えてるんだ。風呂を沸かして来たから、帰ったら入ると良い」
「準備が良いな。有り難く貰うとするか。お前も一緒に入るか?」
「遠慮する」


俺が入ったら狭いだろ、と言うクライヴに、入る事自体は構わないんだなとこっそり思う。


「夕飯はもう食ったのか」
「いや。鍋にしたから、あんたが帰ってからにしようと思って。あんたが風呂に入ってる間に、整えておくよ」
「いつも悪いな」
「別に、構わない。こう言うのは手が空いてる人間が引き受けた方が効率が良いだろう」


シドとクライヴは、同居している事に加え、社長とその部下と言う間柄がある。
休日も祝日も構わず、一日を共に過ごすような環境だが、立場が違えば仕事内容は勿論、退社時間にも差が出ることは儘あった。
大抵はクライヴが決まった時間に退勤して───以前はブラック企業にいた所為で、サービス残業が当たり前だったクライヴに、シドが口酸っぱく言い付けた末、一年がかりでようやく身に着いた習慣だ───、一足先に自宅に帰り、夕飯の用意をしている。
シドの帰りが遅い時には、先に食事も済ませてしまうが、偶にこうして、パートナーの帰りを待っている事があった。

自宅のあるマンションのエントランスを抜けて、エレベーターに乗り込む。
上へと動く浮遊感の中、クライヴは傘を握っている為に外気に晒していた手を口元に持って行き、はあ、と息で手のひらを温める。
体躯に見合って大きな手は、指先が悴んで薄らと赤くなっていた。


「そう言えばお前、手袋は持ってなかったな」
「ああ……そうだな」


シドの言葉に、クライヴは余り気にしていない様子で返した。
微かに温めた手の熱を逃がさないように、握り開きと繰り返して、指先へと血流を促している。
手首に引っ掻けた傘を落としそうになって、左手でそれを抑えるクライヴを見ながら、シドは言った。


「買ってやろうか、手袋」
「……突然だな」
「そうでもないだろう。あれだ、クリスマスも近いしな」
「クリスマスプレゼント?」
「良いだろう?」
「安上がりだ」
「ちゃんと上等なのを身繕ってやるさ」
「別に良いよ。なくても大して困ってない」


冷えた右手をダウンのポケットに突っ込んで、クライヴはくつりと笑って言った。
その表情は遠慮をしていると言う訳ではなく、本心から、必要ではないと思っているのだろう。

だがシドは、そんなクライヴの、歌のトナカイのように赤らんだ鼻先を摘まんでやる。


「寒い癖に、あんな所で突っ立ってお出迎えしてくれるんだ。風邪引かないように、真面な防寒具は必要だろう」


鼻を摘ままれたクライヴは、シドのその手を鬱陶しそうに払って眉根を寄せた。


「……もう行かないから必要ないよ。今日は雨が降ってたからだ」
「じゃあ、また雨が降る前に用意しておかないとな」


エレベーターが停止して、いつものように降りるシドの背中に、「だから行かないって……」と溜息交じりの声が投げられる。
それにシドが右手をひらひらと振って見せれば、はあ、と今度ははっきりと溜息が一つ。
行かないからな、とまるで決意のような独り言が聞こえたが、さてどうだろうとシドは思う。

一週間後、また冷え切った空に、天気予報にない雨が降った。
誰に対してでもなく試してみたシドの賭けの結果は、本人だけが知っている。


軽率に現パロで同居させたいマンなので、その間柄で駅までお迎えに行く図が好きです。
クライヴは体格が良いし寒さに弱くはなさそうだけど、それはそれで、厚みのある冬服を着込むと表面積が大きくなりそう。
シドの方は質の良い厚手のロングコートを着て欲しいって言う願望。

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