Entry
User: k_ryuto
今日は飲みになるだろうから、と言ったレオンに、おう、とジェクトは応えた。
対するジェクトはと言うと、今日は誰に誘われることもなかったし、自身も飲み歩こうと言う気分ではなかったので、家に帰って適当に残り物でも摘まむ事にした。
普段、ジェクトの食事管理を一任されているレオンであるが、毎日の全てをジェクトの為に捧げている訳ではない。
時には自分自身の時間も必要だし、またレオン独自の情報網として、同じマネージャー業を主とした業界界隈の付き合いを優先させる場合もある。
情報収集に関しては、結果としてはジェクトの為のものであるが、こうした方面での人脈作りと言うのは、レオン自身の信用性にも関わるものであるから、煩わしくない程度の付き合いは何にしても不可欠であるものだ。
そうやって飲み会などに呼ばれると、その日のジェクトの夕飯を作る人がいなくなる。
元々家事全般には少々面倒なきらいがあるので、こう言う時のジェクトは、一人で外食に出るのが殆どだった。
その中で、極々稀な確率で、外食も面倒だから帰って余り物で済ませてしまおう、と言う日がある。
今日が偶然、その日だった。
別段、其処に何か狙ったような意図はなかったのだが、
『もしもし、ジェクトさん?すみません、レオンを迎えに来て欲しいんですが……』
と、レオンの仕事用の携帯電話から、聞き慣れない声がそう伝えて来た時には、飲んでいなくて良かったなと思った。
此処にいますから、と伝えられた店までは、タクシーで二十分程度。
昼間はバスが通っている大通りの傍にある店で、スポーツ観戦も出来る大衆レストランだとかで、スポーツ関連のマネージャー界隈では有名な店だとか。
同じ職種の人間が集まるとなれば、様々な分野における情報収集にはうってつけで、レオンも偶に一人で外食する時には利用しているらしい。
水球選手としてスターであるジェクトが店に来たとあって、俄かに店内はざわめいた。
浮足立つ店員を一人捕まえ、此処にいるマネージャーを迎えに来たのだと言うと、既に迎えの話を聞いていたのか、三階へと通される。
上がってみれば奥の一室から賑やかな声が聞こえており、まだまだ宴もたけなわのようだ。
このタイミングで迎えに来て良かったのかと、水を差しはしないかと思いつつ中を覗いてみると、
「ああ、ジェクトさん。良かった、こっちです、こっち」
部屋の奥隅にいた若い青年が、ジェクトを見付けて手を振った。
ジェクトの到着に、酔っ払いたちの沸く声を素通りしつつ、こっちです、と呼ぶ方へ急ぐと、其処にはテーブルに突っ伏すようにして目を閉じている、見慣れた顔があった。
「こりゃ大分潰れてんな」
自分の酒量を理解しているレオンがこうなるのは珍しい───と呟くと、青年が弱り切った顔で言った。
なんでも、この食事の席に、一人大虎がいたのだとか。
普段は気の良い人なので、レオンも色々と宛てにしている人物なのだが、酒を飲むと人が変わる。
乱暴を振る舞うようなことがないのは幸いであるが、薦めた酒を飲まないといつまでも悪絡みをして離れてくれないのだ。
これに最近この業界に入って来たばかりの若い新人が捕まり、気の弱い性格でもあったものだから、薦められる酒を断ることも出来ずに泣き出しそうにしていたのを、レオンが見つけて庇ったらしい。
とにかく飲めば満足してくれるから、と杯を重ね続けた結果、件の人物が気を良く帰る頃には、レオンの方がすっかり酩酊していた。
彼らしいと言えば、らしい話だ。
だとしても、決して酒飲みとは言えないタイプであるレオンにとって、中々の無理をしたであろう事は想像に難くない。
「……無茶しやがって。おい、レオン、大丈夫か」
「さっきから何度も声をかけてるんですけど、起きなくて」
「仕方ねえなあ。荷物取ってくれ、このまま連れて帰るからよ」
心得ていたように、青年はレオンの鞄や上着をすぐに持ってきた。
ジェクトはくったりと力の抜けたレオンの躰をひょいと抱え上げ、荷物も受け取って、レオンの財布を鞄から取り出す。
レオンのことだから恐らくこれくらいだろう、と大雑把に見積もって青年に渡し、「じゃあな」と部屋を後にする。
大通りで改めてタクシーを捕まえ、自宅までの道を戻る間、レオンは目を覚まさなかった。
時折揺れに反応してか身動ぎする様子はあるものの、瞼は重く、体もぐんにゃりと弛緩しており、これは相当飲んだな、とジェクトも想像できた。
自分一人ならペースを乱さないレオンだが、人を庇うと自分を躊躇なく差し出す癖は直した方が良い、と何度言ってやったことか。
また説教だなと思いつつ、酒の席の失敗について、真面目な彼は必要以上に猛省するものだから、煩い小言は一つ二つで済ませてやるのが良いだろう。
そんな事を考えている間に、タクシーは自宅マンションの前に到着した。
チップ込みの支払いを済ませ、レオンを背中に負ぶってエントランスを潜る。
エレベーターの微妙な浮遊感が気に入らないのか、「んんぅ……」と不満げな声が耳元から聞こえていた。
自宅に着いて、一旦レオンを床へと降ろす。
壁に寄り掛かったレオンの足元から靴を脱がせ、もう一度抱えて寝室へと向かっていると、
「……ん……、……ジェクト……?」
「おう、起きたか」
名前を呼ぶ声に、ジェクトがちらりと横に目を遣れば、ぼんやりとした瞳が彷徨うように揺れながら此方を見ていた。
普段の凛とした意志の強さも翳り、何処か憂いを孕んだ揺らめきは、レオンが相当弱っている時くらいしか見られないものだ。
つまり、それだけ今のレオンは酒が回っていると言う事になる。
寝室に着いてベッドに降ろしてやろうとすると、する、とレオンの腕がジェクトの首へと絡み付く。
ぐっと力を入れてジェクトの頭を引き寄せようとするレオンは、まるで「離れたくない」と言っているかのようだ。
普段中々甘える仕草をしないレオンのそれは、中々に貴重なものではあるのだが、
「レオン、ちょいと放しな。服脱がせるからよ」
「ん?……ふふ」
諫めるジェクトであったが、レオンは機嫌が良さそうに笑った。
レオンはジェクトの首にぶら下がるような格好で、その逞しい首に抱き着いている。
流石に重いな、と首や肩にかかる青年一人分の重みに、それでも平気な顔で過ごしていると、
「……ん、」
徐に近付いて来た唇が、ジェクトの分厚いそれと重なる。
ちゅう、と下唇を吸われたかと思うと、ちろりと甘い舌がそこを舐めるので、ジェクトは俄かに口角が上がった。
「おいコラ」
「んちぅ、うぅん」
「んぐ、」
叱る声すら、レオンは唇で塞ぎに来る。
首に絡む腕はしっかりと力を込めていて、離れたくない、と言う所か、離さない、と言う意思があった。
体重を利用して拘束する力に、さしものジェクトも首の力だけでは抗えず、徐々に頭の位置が下がる。
これは抵抗するだけ無駄だと判断すると、ジェクトはレオンの脇を持ち上げながら、諸共にベッドの中心へと倒れ込んだ。
重いものが上に覆い被さっても、レオンはお構いなしでキスをしている。
引き結ばれたジェクトの唇の隙間を作ろうと、何度も舌がその間を舐め、つんつんと先端でノックした。
開けて、とねだる恋人の誘いに、しょうがねえなあとジェクトはその顎を捉え、大きな舌でべろりとレオンの唇を舐めてやる。
「んぁ、あむぅ……っ!」
もっと、とでもねだろうとしたか、レオンが口を開けたので、ジェクトは遠慮なく舌を捻じ込んだ。
直ぐに絡んで来るレオンの舌に、ジェクトもその気で応じてやる。
ちゅぷ、ちゅく、といやらしい音が耳の奥で鳴るのを聞きながら、ジェクトはたっぷりとレオンの咥内を貪り尽くしてやった。
じゅるじゅると唾液の交じり合う音が鳴るようになって、幾何か。
時間も忘れて貪り合っている内に、レオンの瞳はすっかり熱に浮かされ、白い頬はアルコールの所為だけではない理由で赤く火照っている。
身動ぎする足が誘うようにジェクトの腰に絡み付いて来るものだから、ジェクトもレオンの下腹部に自身の塊を押し当ててやった。
期待しているのだろう、レオンの瞳はうっとりと蕩け、首に絡む腕が嬉しそうにジェクトの項を擽る。
どれ程の時間が経ったか、忘れる程に互いに夢中になった後、ジェクトはゆっくりとレオンの唇を介抱した。
唾液でべっとりと濡れた唇は、つやつやと艶やかになり、ジェクトが散々吸った所為か、心なしかぽてりと膨らんでいるようにも見える。
其処の親指を当てて、指の腹で摩ってやると、はぁ、と熱ぼったり吐息が爪先を擽った。
「この酔っ払いめ」
「んん……酔ってない」
「お前が酔ってる以外でこんなやらしいキスしてくるかよ」
「……んむ、ぅ……」
くぷ、と唇に指先を入れてやると、レオンは抵抗なくそれを受け入れた。
唇を窄め、ちゅう、と啜ってくる。
普段、ジェクトを揶揄ように挑発に似た言動を見せることもあるレオンだが、それは基本的に戯れ程度のものだった。
根は真面目で理性的な性格であるレオンだから、明日の予定であったり、これからの準備であったりと、それを優先させる事が常である。
あまり挑発し過ぎると、その報いが全て自分に返って来るのも判っているから、必要以上───少なくともレオンにとっては───にジェクトを挑発する事もない。
ジェクトを本気で昂らせれば、明日の自分が死に体になるのが目に見えているからだ。
だが、酒の力と言うのは恐ろしいもので、平時のそんな抑制的な感情をすっぱり放り投げてしまうらしい。
赤い舌が濡れた唇の隙間から覗いて、ジェクトの指をちろりと舐めた。
明らかな誘いの仕草に、今夜は大人しく過ごすだろうと思っていたジェクトの熱も、むくむくと育って行く。
「お前、明日の事は良いのかよ?」
「んー……まあ、どっちでも?」
「加減してやんねえぞ」
「……ああ、良いな」
寧ろそっちの方がお望みだと、蒼の双眸が細められて笑む。
ジェクトの首を捕まえていた腕が解け、無精髭を蓄える頬を両手が包み込んだ。
ざりざりとした肌と髭の感触を楽しむように、レオンの指が滑って遊ぶ。
かと思っていたら、くっと引き寄せる力があって、逆らわずに従ってやれば、甘い唇がジェクトのそれにしっかりと重ねられた。
遊びたがるレオンの舌を受け入れて、咥内へと招いてやると、すぐに絡み付いて来る。
太いジェクトの舌を誘い出そうと一所懸命に舐めてくれるので、応じてやると、外に出て直ぐに吸い付かれた。
ならばともう一度、ジェクトの方からも彼の咥内へと侵入を深めると、レオンの肩がひくんと震えてるのが伝わる。
その肩を両手で強く抑え付け、ベッドシーツに縫い留めながら貪れば、レオンの喉奥からは甘ったるいくぐもった声が零れていく。
「ん、む、うぅん……ん、あ……っふ、ぅ……っ」
何度目になるかの深い深い口付け。
雄の本能を剥き出しにしていくジェクトのそれを、レオンはいつしか受け止める一方となっていた。
肉厚の舌に歯舌をなぞられてはぞくぞくとしたものが首の後ろを駆け抜けて、官能の始まりを告げる。
レオンの肩を抑える手が離れ、するりと上着の隙間からその中へと滑り込んだ時だった。
息苦しさにか、快感の兆候にか、目を閉じ寄せられていた眉間の皺が、いつの間にか解けている。
夢中でキスに応じていた舌の動きもぱたりと止まり、ジェクトの頬に添えられていた手は、シーツの波の中に落ちていた。
今正にアクセルを踏もうとしていた所だったジェクトだが、唇を離して見下ろした青年の顔を見て、やれやれ、と溜息を吐く。
「……だと思ったぜ」
「…………」
すー、すー、と微かに聞こえる規則正しい寝息。
目一杯に抱き着いてジェクトを求めようとしていた体は、足の爪先まで完全に緩んでいる。
年齢の割に子供っぽさが抜けない寝顔の恋人に、ジェクトは触れたばかりの手を離すしかない。
覆い被さっていた体を起こし、隣に胡坐をかいて、眠る青年を見下ろす。
「散々誘っといて、お預けかよ。本当に性悪だな、お前」
反論がないのを良いことに、ジェクトはレオンの高い鼻先を摘まみながら言った。
すっかり準備が出来た状態の自身の有様に、どうしてくれるんだよと嘯いた所で、返って来るのは健やかな寝息だけ。
起きていた所で、自分で頑張ってくれ、などと一件素っ気ない反応が返って来るのは予想できる。
やれやれ、とジェクトはもう一度溜息を吐いてやって、気を取り直した。
乱れ始めていたレオンの上着とワイシャツを手早く脱がせ、ボトムも楽にさせてやり、ベッドの中にきちんと納めてやる。
色々と持ち上がってしまった衝動は、寝潰れた酔っ払いにぶつけて良いものではあるまい。
それより、明後日は休みが取れていた筈だから、レオンに今夜の責任を取って貰うのは、明日の夜でも十分釣りがくるだろう。
ジェクトは、すやすやと眠る恋人の頭をくしゃくしゃと撫でて、
「明日は寝かせてやらねえからな」
眠る恋人が覚えている筈もなかろうに、宣言するように囁いて、にやりと笑うのであった。
10月8日と言う事で、ジェクレオ。
球選手×マネージャーばっかり書いているなあ。楽しいです。
偶にはレオンの方からその気満々のお誘いを。
しかし酔っ払っているので、持ち上げるだけ持ち上げておいて寝落ちです。
どうしてくれるんだと思ったりもするけど、大人なのでちゃんと弁えつつ、後でちゃんと責任は取って貰うつもりのジェクトでした。
スコールとティーダが二人暮らしをしていることは、周辺の人々にはよく知られていることだった。
元々が幼馴染であることに加え、高校進学を期に、それぞれ親元を離れるに辺り、両方の親がいつの間にかそう言う方向で話をまとめていた。
本人達の意向も確かめずに───とは思いはしたものの、幼い頃から当たり前のように傍にいたから、今になって急に離れると言うのも想像がつかなかったし、何より、どちらもが一緒にいられると言う事に安堵を覚えた。
それ位に、二人にとって、互いの存在はなくてはならないものだったのだ。
だからだろうか。
二人きりの生活が始まって間もなくして、二人の関係は、幼馴染から恋人同士と言うものに変化している。
思えば、一緒に暮らせる、と決まった時の安堵感は、その頃に既に芽吹いていた、自覚のない恋心から来るものだったのかも知れない。
二人の関係が幼馴染以上のものであることは、まだ秘密のことになっている。
男同士と言うのもあるし、色々とデリケートな思春期であるから、周囲から変に突かれるのも、気を遣われるのも嫌だった。
特にスコールの方はその気持ちが強く、何より、自分と付き合っていると知られることで、周囲からティーダが嫌な思いをしないかと不安が離れない。
ティーダは「周りの奴等の言う事なんか気にしなくて良いっス!」と前向きに笑って見せるが、スコールの方はそうはいかない。
水球部に属し、エースとして注目を浴び、周囲からも男女問わず好かれているティーダだ。
そうして人の輪の中で明るく笑っているティーダのことが、昔から羨望もあり、好きだと思っていたし、その傍ら、彼がその明るい人当たりに反して、存外と繊細であることも知っている。
何かあれば自分が支えになれたら───とは思うが、スコール自身は更に繊細で不安症だった。
自分の所為でティーダに辛い思いをさせるのは、想像するだけでも苦しくて、それが現実になった時、到底、それに向き合いながら戦えるかと言われると、足が竦む。
───そんなスコールのことをよく知っているから、ティーダもまた、「平気」と笑いながら、幼馴染の意向に合わせているのだ。
どうしても自分に自信を持つ事が出来ないスコールが、必要以上に不安になることのないように、と。
しかし、ティーダはスキンシップが好きな性分だ。
誰に対しても距離感が近いこと、そこに明け透けな正直さも加わって、ティーダは誰と距離を詰めても悪い印象にはならない。
距離が近いことを嫌がる人がいれば、その空気も敏感に感じ取り、自分なりにセーブすることもある。
こういう気遣いが息を吸うように出来るから、沢山の人に愛されるのだろうな、とスコールも思った。
そんな中で、幼馴染であり恋人であるスコールとは、より一層距離を縮めたがる。
スコールの方は逆に誰とでも一定の距離を保ちたいタイプだったが、ティーダに対しては、長年一緒に過ごしていると言う慣れもあって、何処まででも近付いても平気だと思っていた。
思っていたのだが────
(この、距離は……やっぱり、近い……っ)
二人きりの自宅のアパート、その寝室で、スコールは目の前にある幼馴染の顔を間近に見ていた。
ゆっくりと近付いて来るマリンブルーの瞳から、いつもの癖で目を逸らしたいのに、肩にぎこちなく置かれた手がそれを嫌がっている。
こっちを見ていて、と言われた訳ではないのだが、首を少しでも動かそうとすると、肩の手に僅かに力が籠るのだ。
逃げちゃ嫌だという声が聞こえるような気がして、スコールは益々身を固くするしかなかった。
秋の深まる今、それなりに早い時間であっても、外界は鶴瓶落としであっという間に暗くなる。
だから普段なら、学校から帰った頃にはもう明りを点けて過ごしているのだが、今、二人がいる寝室は暗かった。
カーテンも閉め切っているから、月も星もその明りを届けてくれるものはなく、スコールが間近にいる少年の顔を見ることが出来るのは、この暗闇に目が慣れたから以外にない。
つまりそれだけ、二人はこの暗がりの部屋の中で過ごしていると言う訳だ。
緊張した面持ちのティーダの顔が、もう触れる場所まで来ている。
スコールは我慢ができなくなって、溜まらずぎゅうっと目を瞑った。
一緒に力んだ所為で噤んでしまった真一文字の唇に、柔らかくて温かいものが触れる。
それだけで、スコールの心臓はどくんどくんと早鐘を打ち、今にも胸から飛び出してきそうな程に逸った。
「ん、ん……」
「ん、う……」
触れ合う場所の感触は、なんだかよく分からないものだった。
好きな人とのキスはレモン味、なんて随分使い古された文句があるらしいが、味なんて何もしないじゃないかと思う。
ほんのり歯磨き粉のミントの匂いがするような気がする位で、甘酸っぱいものを彷彿とさせるようなものなんて感じない。
それでも嫌悪感を感じないのは、きっと此処にいるのがティーダだからだろう。
そんな事を思ってしまう位に、スコールはティーダのことが好きだった。
ティーダとスコールがキスをするのは、これが初めてのことではない。
恋人関係になってから、少しずつ”恋人同士の仕草”を学習するように、二人で少しずつこう言う事にも慣れて行った。
実の所、子供の頃に、テレビで見た大人の真似事でキスをしてみたことがある。
あの頃は特になんでもないことのように感じていたのに、体も心も成長した所為か、改めて”初めてのキス”をした時には妙に緊張したものだった。
手を繋いだり、ティーダがスコールに抱き着いたり、そんななんでもない事でも、ふと意識すると体が熱くなってしまいそうな位、スコールはティーダのことを意識するようになった。
そしてティーダの方も、スコールが望むのだからいつも通りに、と意識しながら、内心では結構な緊張を持って、スコールにスキンシップをしていたとか。
今、口付けを交わす二人の間にあるのも、そういう緊張感だった。
何度となく交わした筈のキスですら、そこに一本の張り詰めた糸があるかのように、肩が強張る。
それも無理のないことだった。
何せ二人は、これから、人生で初めてのことに挑戦しようとしているのだから。
「ん、……っは……」
「はぁ……スコール、ちょっと口開けて…」
「う……わるい……」
ずっとスコールの真一文字に噤んだ口を舐めるように突いていたティーダ。
緊張の強張りもあって、どうしても其処を解いてくれないスコールに、根負けにしたように頼む。
スコールはティーダの感触が残る唇に手を当てながら、至らない自身に恥ずかしさのようなものを感じて、視線を逸らしつつ詫びた。
二人揃って息を詰めていたので、少し小休止を挟む。
鼻で大きく息を吸って吐き出すティーダに、スコールも意識して呼吸をした。
頭の隅がくらくらとしていたような感覚が弱まって、僅かながら靄が腫れて来る。
改めて、とティーダがもう一度スコールの肩に手を置いたので、スコールも今度は落ち着いて、と自分に言い聞かせつつ、ティーダの顔を見上げた。
近付いて来る幼馴染の顔は、やはり何処か緊張の色を孕んでいる。
自分の事で一杯一杯になっていたスコールだったが、その顔を見て、ティーダも不安なのだと悟った。
なんとかそれを払拭させてやれないかと考えた末、ずっと膝の上に置いて握っていた手を、そろそろと持ち上げる。
そうっと柔らかい筈の頬に触れると、スコールの方から触れるとは予想もしていなかったのか、マリンブルーが驚いたように見開かれた。
心なしかいつもより固く感じられる頬を両手で包み込むと、見開かれていた瞳がゆるりと和らいで、嬉しそうに閃く。
その変化に、ああ良かった、と胸を撫で下ろしたスコールの唇へ、もう一度、ティーダのそれが重なった。
「ん……」
「う、ふ……ふぁ……」
「んん……っ」
振れる感触を感じながら、スコールはそろそろと唇に隙間を作る。
ぬる、と温かくて厚みのあるものが、その隙間から侵入して来たのを感じて、思わずびくっと肩が跳ねた。
けれど離れて欲しくなかったから、溶け合いそうな程の距離にある瞳をじっと見つめ続ける。
スコールは目がお喋りだから、と言われたのを思い出しながら、それならどうか此処で言葉を繋いでくれと願う。
それが叶ったのかは判らないが、ティーダが離れる事はなく、寧ろより一層深くを求めるようにと、侵入物はより中へと進んできたのが分かった。
口の中で彷徨うように動いているものがあって、それが何度か舌を掠める。
その度、スコールの首の後ろに奇妙な感覚が迸るのだが、それはどうも恐怖や嫌悪感とは異なるらしい。
自分の感覚なのに、正体の判らないそれは非情にスコールの気を散らせるものだったのだが、
「う、ん……、ん、ふ、ぁ……っ」
前のめりになってくるティーダの体重が、スコールをそれ所ではなくしていた。
体重を受け止め切れなくなった体が後ろ向きに傾いて、ベッドの上に倒れ込む。
その弾みに、重ねていた唇が一瞬離れるも、
「っは……ふ、んむぅっ……!」
一瞬、酸素を取り込んだ直後には、また塞がれた。
ティーダの舌もまた直ぐに入って来て、スコールは覆い被さる少年がまるで獣のように思えた。
長い付き合いである筈なのに、こんな風に襲い掛かって来るティーダと言うのは初めてのことで、スコールの頭に軽く混乱が起きる。
水球をしている時、水を掻き泳いで猛スピードでボールを追う姿をいつも見ていたけれど、今のティーダの眼はその時とよく似ている。
あんなに必死に、一所懸命に喰らい付いていく姿と言うのは、他に見たことがない。
───それ位に、今、恋人が自分のことを欲しているのだと思うと、スコールの体は俄かに熱くなった。
咥内を探るように彷徨っている舌に、そうっと自分のそれを当ててみる。
つん、と何処だか判らないけれど何かが当たったような感触がしたと思ったら、
「んぷっ……!」
思わず、と言った声が聞こえたかと思うと、ティーダの体が判り易く固まる。
驚いたのだろうその音が妙に面白くて、スコールはもっとやってみようと、意識して舌を動かす。
硬直したように動きを止めているティーダのそれを掬い、ゆっくりと舐めるように這わしていると、
「ん、ん……っ!?」
「ふ……む、んぁ……っ」
がっつくように夢中になっていた筈の青が、今度はパニックを起こしたように狼狽している。
それが妙に面白くて、スコールはより一層、丹念にティーダの舌に絡み付いた。
ティーダの頬に触れていたスコールの手が、そこから外れ、するりと首の後ろへと回る。
ぎゅう、と抱き着くように身を寄せてやれば、ティーダの方も意を決したかのように、もう一度スコールに覆い被さった。
重みが増した体を受け止めると、近い距離で重なり合った胸の奥で、二人分の心臓がどくんどくんと煩く鼓動を行っている。
そのリズムが次第に溶け合うようにシンクロして行き、皮膚さえなければ溶けて交じり合っても可笑しくない位に、二人の体は一つになっていた。
ああ、これから─────どちらもがそう考えた時。
劈くように響いたのは、アパート外の道路を走る、パトカーのサイレンだった。
『緊急車両通ります、道を開けて下さい。緊急車両通ります……』
スピードを上げて走っている真っ最中なのだろう、それは突然に聞こえて来たかと思うと、休息に離れて行った。
時間にして数十秒と言う短い時間だが、今まさに夢を見ようとしていた若者たちに大いに水を被せるには、十分な代物であった。
「……」
「………」
「…………」
音が聞こえた瞬間、思わず二人とも体を強張らせ、重ねていた唇も咄嗟に離れた。
サイレンが鳴り響く閉じたカーテンの向こうをじっと見つめ、息を詰めていた約一分間。
まるで見付かったら自分達こそが捕まってしまうのではないかと言う緊張感があった。
サイレンとアナウンスが聞こえなくなっても、二人はしばらくの間、動けなかった。
ようやく再起動がかかったのはスコールの方で、のろ、と起き上がろうとするのを見て、我に返ったティーダも覆い被せていた体を退かせる。
「…………」
「えっと…………する?」
「………出来るのか?」
なんとか尋ねてみた、と言うティーダに、スコールは眉根を寄せながら胡乱な目で問い返す。
この状況とこの空気感で、もう一度さっきと同じことが出来るのか───と。
案の定、ティーダは眉尻をすっかり下げて、へらりと笑った。
「あはは……」
「……はぁ……」
無理だ、と思ったのはお互い様だった。
初めての挑戦に、肩に力が入りつつも、悪い雰囲気ではなかったと思う。
それだけに、水を差された瞬間に霧散した空気と言うものは大きくて、改めてそれを呼び込もうと努力するには、まだまだ二人は幼かった。
折角頑張ったのに、とスコールは口の中で零しつつ、皺だらけになっていたベッドにそのまま潜り込む。
寝るには聊か早いものではあったが、このまま寝室を出ていつもの日常を過ごすと言うのも、デリケートなスコールには難しいものがあった。
どうせその内布団には入るのだからと、今日は汚れなくて済んだ寝床に落ち着いていると、その隣に幼馴染が潜り込んで来る。
「おい、」
「ちょっとだけ」
後ろ側から入って来た侵入者に、肩越しに睨んでやると、子犬のような目が此方を見ていた。
何もしないから、とまで言われると、スコールにはもう拒否権はない。
たっぷり眉間に皺を寄せて、渋っているように見せつけてから、仕方がないと言う溜息を吐いてやるのが精々だった。
ティーダが人の寝床に潜り込んで来るのは、子供の頃からよくある事だった。
今でもその感覚は延長的に続いていて、二人暮らしをするようになってから、週の半分はこうして一つのベッドで一緒に寝ている。
夏は暑いのでスコールにとって聊か辟易する日もあるが、そろそろ夜の気温が下がって来るこれからは、湯たんぽ代わりになるので、スコールも好きにさせていた。
それを思えば、今日もそう言う日常の風景と変わりない。
────変わりないのだけれど、
(……心臓、うるさい)
自分の心臓も、背中に伝わる鼓動の音も、毎日感じているものよりも、ずっと煩い。
睡魔も碌に来ないこの状態で、いつまでこの鼓動を聞いているだろう。
そんな事を考えながら、スコールは包み込んでくれる体温に身をゆだねるように、ゆっくりと目を閉じた。
10月8日と言う事で、ティスコ。
初夜にチャレンジしようとしたけど、思いっきり水を差された模様。
続けるにはもうちょっと無理があって、でもお互いに意識したままなので、寝るのも一苦労したようです。
身軽を売りにしているジタンにとって、道なき道を進む事は、少なくない選択肢だ。
鬱蒼とした森の中、その樹々の上を飛び渡るのは、眼下の大地で起こり得る戦闘を回避するのに、良いルートになる。
この世界のあちこちで歩き回っているイミテーションの多くは、視覚情報と思しきものを頼りに、此方を襲ってくる。
だから彼らの目に入らない場所を移動していれば、かなりの確率で、安全圏を行く事が出来るのだ。
上位のものになると、聴覚のようなものも発達するのか、物音にも反応するようになり、中には魔力探知に優れたものもあるので、絶対のものではないが、取り敢えずひとっ走りで此処からあそこまで、と言う時にはこうした身軽さは非常に便利である。
秩序の聖域から少々離れた場所に、陣営の面々がちょっとした目印にしている木がある。
高い崖の上に迫り出すように植わったそれは、紫色の林檎が生っていた。
林檎と言うと往々にして紅、若しくは碧のイメージがあるものだから、多くの者は初めて見た時には林檎だとは思わなかった。
クラウドが「見覚えがある」と言わなければ、食べられる品種であるとは思わなかっただろう。
なんでも一年中、季節を問わずに実を付けるとかで、少々不名誉な二つ名を冠しているそうなのだが、味は中々に良いとか。
その言葉を信じて、食いしん坊と好奇心旺盛な面々が試しに口にしてみた所、中々に好評であった。
季節を問わず実が生る、と言うのは、通年性のものだと思えば勝手の良いもので、安全なものだと判って以来、秩序の戦士達は時折この木の下を訪れて、熟した実を採っている。
その他、実の色が特徴的なこと、崖を迫り出して伸びている為、その下からも見付けやすいこと、他にこれと同じ種の木が見当たらないことから、現在地を確認する良い目印となっていた。
今日のジタンは、その林檎の木へと一走りした。
昨夜、夕飯を食べた後、ティーダが「そろそろ甘いもんとか食いたいっスね」と言った。
それは独り言であったのだが、それを聞いたティナが「リンゴのパイとか、食べたいね」と言った。
耳を大きくしてしっかりそれを聞き取ったジタンは、ならばと朝一番に屋敷を発ち、件の林檎の木の下に向かったのだ。
綺麗に皮が色付いたものを厳選し、一つ二つ、どうせならパイにする他にも、ともう一つ二つ、三つと採る。
麻の小袋の中に採取したそれを入れ、保存食として砂糖漬けにするにも十分な数を確保したジタンは、さてと、と先ず崖の下へと飛び降りた。
それが林檎の木から、秩序の聖域へと戻る、最短のルートだったからだ。
腰に結わえ付けた袋は、林檎のお陰で少々重いが、ジタンの身軽さに支障を齎すほどではない。
この分なら昼には帰れるな、と夕飯までにパイを一つ焼き上げるくらいは出来そうだと、時間の算段を考えていた時、
「ん?」
枝を蹴って飛んだ瞬間、視界の隅に映ったものが、彼の意識を引いた。
とん、と降りた枝の上でバランスを取りつつ、今し方過ぎたばかりの方向へと首を巡らせると、
(スコール。一人か?)
木の下にある黒い影を見付けて、ジタンは目を凝らした。
茂る木々の葉枝で視界が遮られ、其処にいると思しき人物の様子はよく見えない。
ふむ、としばらく考えていたジタンであったが、そうしている間も動く気配のない影を見て、くるりと体の向きを変える。
一歩、二歩、三歩と枝を渡ると、目的地にはすぐに辿り着いた。
その間、気配も音も意図的に殺さなかったのだが、眼下の人物はやはり動かない。
ジタンはひょいと飛び降りて、木の根元にすとっと着地した。
そこまでしてようやく、幹にじっと寄り掛かっていた体が動き、ゆっくりと蒼灰色の瞳が此方を認識する。
「……あんたか」
一瞬、瞳の奥にあった険は、警戒の為だったのだろう。
其処にいるのが見知った仲間であり、石細工の人形でもない事をしっかりと確認した後、スコールはまた目を閉じた。
体は重怠そうに、片膝を立てて木の幹に体重を預け、頭を動かすのも面倒臭いと言う様子が伺える。
すん、と鼻を鳴らして、ジタンは血の匂いがないか確認した。
それらしいものがない事にこっそりと安堵しつつ、柔らかい草が敷き詰められた地面を踏んで、スコールの前へ近付く。
「どうした?怪我してんのか」
「……いや」
匂いはないが念の為、打撲でも何でも可能性はあると問うと、スコールは僅かな間を置いてから否定した。
その間は何かを誤魔化そうとしてのものではなく、ただただ、答えるのが面倒だった、と言う風だ。
しかし、平時から口数の少ないスコールでも、問われた事には案外律儀に応えてくれるもので、こうも応答自体を拒否するほど物臭ではない。
ジタンが傍にしゃがんで目線の高さを合わせると、蒼の瞳を抱いた瞼が、ゆっくりと瞬きをする。
ウォーリア・オブ・ライト程ではなくとも、スコールもそれなりに目力のある方なのだが、それが今は随分と弱い。
その原因を、スコールの方から説明してくれた。
「……コンフュを食らったんだ。弱いイミテーションだったから、意識が飛ぶほどじゃなかったが……少し頭がふらつくから、治まるまでじっとしていた」
「成程ね。そういやお前、ああいう魔法はちょっと弱かったもんな」
スコールはスリプルやコンフュなど、精神作用系と呼ばれる魔法への耐性が低い。
フリオニールやティーダも同様で、魔法の得意不得意はこう言う所にも表れるようだ。
思い返せば、ジタンが此処に来た時、スコールが警戒と共に一瞬強く睨んだのは、混乱魔法による視覚認識が少し危うかった所為なのかも知れない。
しかし、すぐにジタンのことを正確に認識したことから鑑みると、スコールが言ったように、その魔法の威力はそれほど強くはなかったようだ。
スコールはゆっくりと目を閉じて、後頭部を木の幹に押し付けた。
空を仰ぐように首を反らし、ふー……、と長く細い息を吐く。
ジタンはその整った横顔をじっと見つめ、顔色やその仕種から、スコールが他に傷の類を隠してはいない事を観察から読み取る。
「まだ休んだ方が良い感じか?」
「……そうだな」
ジタンが確認を取ると、スコールは少しの間を置いて答えた。
エスナなどの解呪魔法を持たない者にとって、意識の混乱を齎すコンフュの効果は、正常な認識や思考を大きく掻き回すので、理性が残っているなら、完全に魔法の効果が抜けるまでじっとしておく方が無難だ。
だからスコールの判断は間違っていないし、ジタンもそうするべきだろうと思っている。
だが、やむを得ずに選んだ場所なのだろうが、この木の周囲は少し開けていて、野生の魔物は勿論、徘徊するイミテーションからも見付かる可能性がある。
だから先程、ジタンが木の上からでも、彼を見付ける事が出来たのだ。
となれば、このままジタンがこの場をおさらばする訳にもいくまい。
少なくともジタンにとっては、十分な理由だった。
「じゃあ、治まるまでオレがここで見張っててやるよ」
胡坐をかいて地面に座ると、スコールは薄く目を開けて、胡乱な表情でジタンを見る。
「……必要ない。あんた、どうせただの通りすがりだったんだろう」
「まあそうだけど」
「だったら早く聖域まで戻れば良い。もう直に治まるだろうから、俺はそれから」
「直ぐ治るって保障のある話じゃないだろ?それまで此処が安全な訳でもないし」
スコールが魔法を喰らったのがどれ位前なのか、ジタンには判らないし、恐らく、訊ねてもスコールも正確な所は覚えていないだろう。
コンフュとはそう言った記憶の反芻や、思考力も乱してくるものだ。
ジタンの言葉に、スコールは判り易く眉間の皺を深くして、恐らくはその頭の中で色々と言葉を連ねていたのだろうが、声にならないそれはジタンには聞こえない。
考えてるんだろうなとジタンは十分察していたが、出て来ない限り、此方が少々強引に押しても許されることも知っていた。
「別に急ぎで帰ろうと思ってた訳じゃないし。ちょっと休憩して行っても良いさ」
「……」
「それにほら、二人で帰った方が色々都合が良いと思うぜ。誰に見付かったって言い訳もし易いし」
「……」
「ついでに今なら、林檎がオマケでついて来る」
「……は?」
黙って聞いていたスコールだったが、オマケの一押しには流石に声が出た。
眉間の皺を倍に深めて、何を言っているんだ、と言わんばかりの彼に、ジタンは腰に下げていた麻袋を探る。
一番上にあったものを適当に掴んで差し出せば、馴染のない色であるからだろう、一瞬彼は思い切り顔を顰めるが、
「……これは、あそこの林檎か」
「ああ。やっぱ大丈夫だって言われても、パッと見るとすごい色してるよな」
クラウドの世界でも、この色の林檎は他にないと言うから、本当に変わった品種なのだろう。
ジタンが差し出した林檎を、スコールはしばらく見つめていた。
改めて本当に食べられるものなのかを考えるように、胡乱な目で見つめ続けた後、諦めたように瞼が伏せられる。
もう一度蒼の瞳が見られた時には、相変わらず怠そうな印象が其処に映っていて、考えるのが面倒臭くなった、とありありと語っていた。
スコールは林檎を持っているジタンの顔をちらと見て、
「……これは、ティナの為に採ったんだろう」
「確かにその為に採りに行ったけど、一つだけ持って帰るなんてケチ臭いことはしないさ。どうせなら皆で食った方が美味いしな」
だから他にも採ってある、と笑って言えば、スコールはまた一つ諦めるように溜息を吐く。
面倒臭そうな表情をしながらも、重力に従っていた腕が持ち上げられ、ジタンの手から林檎を受け取る。
「……食って良いんだな?」
「ああ。特別にな」
念入りに確認をするスコールに、ジタンはウィンクをしながら言った。
元々、ティナには勿論、皆の為にと思って採ってきた林檎なのだ。
其処から丸々一つをスコールに食べさせてやると言うのは、ちょっとした贔屓にも思えたが、とは言え林檎はまだ十分あるのだ。
一つ特別に誰かにやっても惜しいものではないし、何より、こうしてスコールが受け取ってくれた事がジタンにとっては嬉しい。
(前はこう言うの、絶対要らないって言っただろうしな)
この世界で初めて顔を合わせた頃のスコールを思い出せば、今目の前で林檎を受け取ってくれた彼が、ジタンのことをどれほど信じてくれるようになったか判るだろう。
見張りをするよと言って、万が一にもジタンが裏切るような事をしないと、常に最悪の事態を想定する彼が、その可能性を考えないと言うのも嬉しいことだ。
それ程までに、彼の信頼が厚いことを思えば、林檎一つの贔屓位は可愛いものではないか。
紫色の林檎が、スコールの小さな口に運ばれる。
しゃり、と果肉を食む音に、ジタンの尻尾がゆらりと揺れた。
9月8日と言う事でジタスコ!
ずっとこっちを警戒してた猫が、今も素っ気ない態度は相変わらずだけど、ちゃんと信頼してくれてるのが嬉しいジタンでした。
故郷から闇を払い、幼馴染たちが其処で復興を始めてから約一年────区域はまだまだ限られるものの、日常生活を送る事が出来るような、安全な場所も増えて来た。
それに伴い、かつて散り散りにならざるを得なかった街の人々も、ぽつりぽつりと戻ってくる姿が見えるようになった。
クラウドはと言うと、早いうちに一度故郷に戻りはしたものの、相変わらず、闇の力を使って外の世界を渡る日々を送っている。
そんな生活をしているものだから、日付感覚というものは非情に曖昧であった。
何せ、外の世界と言う物は様々な理に溢れていて、時間の概念すらも狂ったように、あっという間に“一日”が終わるような世界もあれば、常に夜のような空に覆われた世界もある。
そんな所を自分の思う儘に行き来していれば、今日が何月何日であるのかも判らなくなろうと言うものだ。
そんな訳で、クラウドが故郷に帰って来たのは、文字通り、ふらりとした気紛れによるものだった。
だが、どうやら今回は、折の良いタイミングで帰って来ていたらしい。
前々回に帰って来た時だったか、最近人が増えたんだよ、と言われていた市場通りの様子を見に行ったクラウドは、其処で思いも寄らぬ歓待を受けたのだ。
「確か今日が誕生日だっただろう?ほら、これ持って行きな」
「いつもハートレス退治ありがとうよ。こいつは礼と、誕生日の祝いだ」
「幾つになったんだ?酒はもういけるんだろう?」
────と、こんな具合だ。
通りを一巡した時には、クラウドの両手は土産物ですっかり埋まっていた。
両腕に抱えた紙袋の中身は、その殆どが飲食で片付くものである辺り、街の住人から見たクラウドの生活を伺えたような気がする。
気紛れにいたりいなかったりをする男に、花や調度品など邪魔なだけだし、装飾品については本人の拘りの衣装があるので、受け取りはしても身に着けるものは限られるだろう。
それなら消えてなくなるものが一番気楽なものだろうと、見繕われたプレゼントの内容は判り易い気遣いも込められていた。
クラウドは荷物を抱えたままではどうにもならない、ついでに小腹も空いた事だしと、見晴らしの良い場所で早速それを頂く事にした。
嘗て賢者が治めていた城への道は、まだまだハートレスが蔓延っている事は勿論、瓦礫道でもある為、限られた人間しか来る事はない。
少し高台にもなっているので、街並みや谷の景色を眺める事が出来る。
そこに転がっている適当な瓦礫を椅子代わりにして、クラウドはまだ温かいホットドッグに齧りついた。
「……うん。美味い」
チリソースとマスタードが良い仕事をしている。
指についたソースをぺろりと舐めながら、クラウドは舌鼓を打った。
飲み物はないかと荷物を探ると、ワインが出て来た。
飲めるものならなんでも、と思わないでもなかったが、よくよく見ると、クラウドの誕生年に作られたと判るラベルが貼ってある。
これはもう少し、きちんとした場所で───と言っても、そんなものは限られているのだが───グラスを傾ける方が美味いに違いない。
もう少し探ると、炭酸のジュースを詰めたボトルが見付かったので、これを開ける事にする。
市場通りにいる人々の大半からプレゼントを貰ったので、量はそこそこのものがある。
これを今全部食べるのは流石に無理だなと、クラウドは半分ほど食べた所で袋を閉じた。
あと少しになった炭酸ジュースを片手に、膨らんだ腹を撫でながら、遠くに伸びて行く谷の道を眺めていると、
「此処にいたか」
聞き慣れた声に振り返れば、ガンブレードを片手にレオンが此方に近付いて来る所だった。
「市場の皆から、お前が帰ってきていると聞いたんでな」
「お迎えをしてくれるとは、いつになく優しいじゃないか」
「まあ、誕生日だからな」
肩を竦めるレオンは、だからしょうがない、と言った風だ。
実際、迎えがいるような男ではないと思っているだろうから、大方、街の皆に「誕生日なんだから」等と言う枕詞で押されたか、単純にクラウドに用事を押し付けるつもりかのどちらかだろう。
その予想に違わず、レオンはクラウドの隣へと並ぶと、
「東地区に少々厄介なハートレスが集団で居座っている。手を貸せ」
「そんな事だろうと思った。東は、まだクレイモアが稼働していないんだったか」
「設置用のベースは確保したが、本体はまだだ。入り組んでいるから、マップの入力に時間が必要になるとシドが言っていた」
「……やれやれ」
帰って早々、此方も結構な歓待だ。
レオン達にしてみれば、幾らも手が足りない中にクラウドが帰って来たのなら、これ幸いであるに違いない。
クラウドも普段は自分の要件を最優先に勝手をしている身であるから、偶に戻って来た時位は仕方ないと思う事にしている。
言われたこと、頼まれたことさえ守れば、寝床と食事が約束されるのだから、安い宿泊料だ。
炭酸ジュースのボトルを空にして、クラウドは腰掛けていた瓦礫から立ち上がった。
行く気になったクラウドが気を変えない内にと、レオンも来たばかりの瓦礫道を逆に歩き出す。
「退治に行く前に、荷物を置いておきたいんだが」
「ああ、そうだな。折角街の皆から貰ったものなんだし」
「あんたの家で良い。どうせ行くんだから」
「そう言う提案はお前の方からするものじゃないだろう」
やれやれ、とレオンは呆れた溜息を吐くが、クラウドにしてみれば、実際行くだろう、と言う所だ。
校外に誂えた彼のアパートは、偶にしか故郷に帰って来ないクラウドにとって、良い宿泊所だった。
周囲がまだまだ人の気配がないので静かなものだし、同じアパート内に他の人間が住んでいる訳でもないから、色々と気儘に過ごせる。
本来一人暮らしを好む筈のレオンにとしては、不定期に転がり込んで来る居候は邪魔臭いのだろうが、クラウドが彼に追い出された事はない。
甘いんだか面倒臭がりなんだか、と思いつつ、お陰で雨風を気にせず休める場所が確保できているのは、クラウドにとってこの上なく良い事であった。
真っ直ぐ東地区へ向かうつもりであったのだろうレオンだが、一旦方向を変えた。
家へと向かうその後ろを、クラウドもいつものようについて行く。
「レオン」
「なんだ」
「あんたからはないのか」
「何が」
「誕生日プレゼント」
「図々しいな」
クラウドの催促に、レオンは胡乱な目で此方を見た。
両手に十分持っているだろう、と言わんばかりだが、それはそれ、である。
街の人々からの厚意は有り難く頂戴しているが、だからこれ以上は要らないだろう、とはならない。
「良いだろう、誕生日なんだから。今日限りの特権だ」
「お前な……」
「普段、あんたの頼みを聞いてるんだ。こう言う時位はお返しがあっても良いだろう」
「宿泊費タダで飯も食ってる奴が言うんじゃない」
いけしゃあしゃあと要求してやれば、レオンの拳がごつんとクラウドの頭を打った。
痛くはないが、痛いな、と抗議してやると、レオンは解いた手をひらひらと振る。
自業自得だ、と言っているのが聞こえた気がした。
はあ、とレオンは深い溜息を吐いて、
「お前が帰って来るなんて思っていなかったからな。生憎、何も準備がない」
「じゃああんたを寄越せ。それで良い」
「……安上がりなんだか高くついてるんだか、よく判らないな」
要求の裏側にあるものを読んで、レオンは益々呆れたと言う表情を浮かべた。
クラウドはその隣に並んで、自分より僅かに上にある整った顔を見遣り、
「今日の主役は俺だからな。俺の希望を叶えてくれれば十分だ」
「……嫌な予感しかしないんだが」
「それはあんたが勝手にそう想像していることだろう。何をするとも言っていないのに。で、何を想像したんだ?」
にやにやと笑ってクラウドが問い詰めてやれば、蒼の瞳がじろりと睨んだ。
しかし、睨み黙するばかりで、それ以上のことはしないレオンに、つくづく年下に甘いなと思う。
それだから堂々と漬け込んでやれるのだと、クラウドはひっそりとほくそ笑む。
見えて来たアパートに向かうレオンの足が、判り易く重みを増している。
今から其処に籠る訳ではないのだが、夜のことを考えて、色々と面倒に感じているのだろう。
下手に甘やかすものじゃない、と今日と言う日を恨んでいるレオンに、クラウドは鼻歌で漏れそうな上機嫌さで言った。
「あんたが俺の希望を叶えてくれるなら、今日の東地区のハートレス退治は俺一人でやってやろう」
「……まあ、それならそれで、助かるが」
「ああ。その代わり、俺の寝床と晩飯と、────後は言うまでもないか。誕生日に働くんだから、それ位は良いだろう?」
「…随分、自分を高く見積もってるようだな」
「ああ、安くはないんでな」
笑みを浮かべるクラウドの言葉に、自分で言うか、とレオンは何度目かの溜息を漏らす。
だが、クラウドがやる気で動いてくれるのなら、レオンにとってはこれ以上ない援けである。
レオンは自宅のアパートの前で足を止め、
「荷物は俺が持って入れておいてやる。お前は東地区へ」
「ああ。晩飯はスタミナをつけられるものにしてくれ」
「調子に乗るな」
両手に抱えていたプレゼントをレオンに渡して、クラウドは闇の翼を開かせる。
トッ、と地面を蹴って跳んだ男を、蒼の瞳はやはり呆れた色で見送った。
残された男は、無人になった空を見上げながら、「……やっぱり高くついたな」と諦めたように呟いた。
クラウド誕生日おめでとう!なクラレオ。
ドライな遣り取りしながら、やることやってる二人は好きです。
クラウドは大分羽目を外そうとしている気がする。この後何されるんでしょうね、レオンは。ご想像にお任せします。
「あんたのしたい事、なんでもする」
────なんてことを恋人に言われたら、一瞬でも邪なアレやコレやが浮かぶのは、男として仕方がない事だと思う。
それを口に出せば、「そんなのはあんただけだ」と顔を顰められるのだろうが、本能に忠実になるように出来ている世の中の大半の雄と言う生き物にとって、その台詞はまたとない好機に聞こえるものだ。
特に、恋人のガードが堅い性質だと、ならばこの千載一遇のチャンスに、と食指を動かすものだろう。
クラウドも例に漏れずそんな下世話な生き物だった訳だが、しかし。
恋人はまだ現役高校生と言う初心も初心な年頃で、元々が人との交流と言う類に消極的であるから、色恋沙汰のすったもんだと言うのはよく判っていない。
そんな彼も、クラウドと恋仲になってから、紆余曲折に色々な経験を積む事になった。
其処には真っ新だった白い紙を、自分の意のままに染めていけると言う、雄としてはついつい興が乗ってしまう事もあり、また恋人の方も、世間一般の恋愛模様と言うのがよく判らないから、クラウドに言われるがままに染まって行ったと言う経緯がある。
後になって色々と友人たちから聞き、あんた嘘吐いたな、と睨まれたのは一度や二度ではないのだが、染まった色は簡単に色抜きは出来ない。
なんだかんだとクラウド色に染められつつある恋人は、今ではすっかりクラウド好みになっている。
そんな間柄である訳だから、先の恋人の───スコールの一言は、クラウドを助長させるには十分な破壊力だった。
怒るだろうと敢えて頼まなかったことだとか、嫌がることをするのは本位ではないので、避けていた事だとかを、このチャンスに試してみるのも良いかも知れない。
初めての事をする度に、彼は顔を真っ赤にしながら、戸惑いつつもクラウドの願いを考えてくれようとする。
とは言え、あまりに抵抗が勝る事は流石に了承はしてくれず、元々のガードの固さも相俟って、「絶対しない」と言われればそれきりだ。
あまりしつこく頼むと、絶対零度の眼が向けられて、「別れる」と通牒されるので引き下がるしかない。
……そもそも、何も知らないことを良い事に、あれやこれやと教え込んで行った悪い大人は此方なので、嫌がる彼に無理強いするのは良くないと、形ばかりの大人の常識にクラウドの欲望は辛うじて抑え込まれている。
それをスコールの方から、扉を開けてくれると言うのだ。
じゃああんなこととか、こんなこととか、と口に出せばスコールが沸騰するような事がクラウドの頭を巡った。
非常に残念な頭の作りだとは自分でも思うが、それも恋人の色んな顔が見たいからだ。
体を重ねるようになってから、より深く蕩ける度に晒し出される恋人の顔は、クラウドを夢中にさせて已まない。
もっと見たい、もっと、もっと────と、麻薬のように虜になって行く。
あんなことをしたら、どんな顔を見せてくれるだろうと、俄かに興奮したのは当然であった。
────しかし、だ。
顔を真っ赤にしながら告げたスコールの顔を見ている内に、これを泣かせるのは如何なものか、と言うブレーキがかかったのであった。
クラウドの誕生日当日は、平日だった。
こんな日位は休ませてくれれば良いのにと、容赦のない会社の人使いの荒さに辟易しつつ、いつも通りに仕事を終える。
仕事の間中、友人たちからひっきりなしにメールが到着して、おめでとう、と祝いを貰った。
仕事を終えて帰社すると、入れ替わりに出社した親友から、「これお祝いな!」と、クラウドお気に入りのブランドロゴの入った鞄を貰う。
軽くて丈夫、デザインもクラウドの好みを熟知した親友からのプレゼントに、自然とクラウドの口元は緩んだ。
夕方色に染まりつつある空の下、まだまだ煩い蝉の鳴き声を聴きながら、クラウドは恋人が通う学校へと向かう。
近くのコンビニで冷たいスポーツドリンクを二本買って、二輪車置き場の屋根の下で、彼が通り掛かるのを待つ事十分。
前日からの約束通り、放課後に入って真っ直ぐに此処へ向かって来たのだろう恋人がやって来た。
「クラウド」
「ああ。授業お疲れ様」
「……あんたも」
挨拶と一緒にペットボトルを差し出すと、スコールはほんのりと頬を赤らめながらそれを受け取った。
まだまだうだる暑さの中、走って来たのだろう、スコールは額に汗を掻いている。
それを服の袖で拭いながら、よく冷えたペットボトルに口を付けた。
スコールが体を冷やしている間に、クラウドはバイクのヘルメットを取り出す。
クラウドのヘルメットと同じ色だが、異なるステッカーを貼ったそれは、スコール専用のヘルメットだった。
スコールは不足した水分を十分に補ってから、ヘルメットを受け取る。
「……何処に行くんだ?」
「特に決めてはいないが、海沿いでも行くか。風があればそこそこ気持ち良い筈だ。お前が行きたい所がるなら、其処でも構わない」
「……別にそれはない。あんたの行きたい所で良い。……今日はあんたに付き合うから」
スコールの言葉に、じゃあそうさせて貰おう、とクラウドは言った。
クラウドがバイクに跨り、その後ろにスコールが乗る。
安全の為にしっかり捕まるようにと促せば、判ってる、と返事があった。
クラウドの腰にスコールの腕が回り、腹の下で手を組んで、しっかりと捕まる。
背中に密着する体温は、夏に見合って体温以上に暑かったが、夏の間は仕方のない事だ。
それよりもクラウドは、初めの頃に判っていても遠慮がちにしか掴まれなかったスコールの事を思い出し、随分慣れてくれたなとそのくすぐったさに口元が緩んだ。
クラウドもしっかりとヘルメットを被り、その内側にセットしている無線通信のスイッチを入れる。
これでバイクの走行音を気にせず、ヘルメットと言うガードの壁も擦り抜けて、スコールと会話が出来る。
通信のの感度を確かめてから、良し良し、とクラウドはバイクのエンジンを入れた。
クラウドにしろスコールにしろ、決してお喋りな性質ではないから、こうして一緒に走っていても、沈黙の時間をと言うのは少なくない。
喋っているよりもお互いに黙っている時間の方が長いのは、最早見慣れた光景だった。
息苦しくなんねえの、とザックスに訊ねられた事があるが、少なくともクラウドは、スコールとの沈黙は心地良いものと感じている。
スコール方はと言うと、元々お喋りが得意ではないと言う事もあって、黙っていて良いと感じられるのは楽だとか。
共に静寂に苦を感じないのだから、波長が合っていると思って良いのだろう。
道を曲がるとか、車が来てるから端に寄るとか、走る間、交わす会話はそんなものだ。
スコールが身を寄せている背中に、じっとりとした汗が浮くのは仕方のない事で、恐らくスコールも暑いだろうなと思う。
保冷剤を仕込めるジャケット位は用意した方が良かったかも知れない、と今更のように考える。
バイクで十分も走れば、坂道の向こうに海が見えて来る。
遊泳場の為に開かれている駐車場に下りた二人は、其処で一旦バイクを止めた。
ヘルメットを外すと、籠った空気から解放されて、ふう、と安堵の息が零れる。
乱れた髪をそれぞれ手櫛で直しながら、碧と蒼の目は、遠くまできらきらと輝く夏の海へと向けられた。
「良い天気だな」
「……良すぎるだろ。暑い」
クラウドの言葉に、スコールは溜息を吐きながら言った。
とは言え、海の向こうから吹く潮風は、街中の熱風よりも遥かに心地が良い。
スコールはそれを吸い込むように大きく息を吸って、またゆっくりと吐き出した。
クラウドはそれを眺めつつ、手に持ったヘルメットをぽんぽんと投げて遊びながら、
「さて。どうする、スコール」
「どうって、何が」
声をかけたクラウドに、スコールは質問の意図が判らない、と眉根を寄せる。
クラウドはそんな恋人に目を細めつつ、
「海に来たんだ。泳ぐか?」
「……水着もないのに、泳ぐ訳ないだろ」
「水遊び位は出来るだろう」
「良い、制服なんだ。濡らしたら面倒臭い」
「そうか」
「……あんたが遊びたいなら、良いけど」
行かないと言ったその口で、スコールは付け足した。
クラウドが海で遊びたいのなら、多少は付き合っても良い、と。
あくまで今日はクラウドの意向が優先なのだと言うスコールに、クラウドはくすりと笑って、
「じゃあ、また走るとしよう」
「判った」
それで良い、と言って、スコールはその前に水分補給をする。
十分な補給を済ませてから、スコールはクラウドが待つバイクにもう一度跨った。
駐車場前の信号が切り替わるのを待っていると、「なあ」と通信越しに声がする。
「なんだ?」
「……あんた、本当にこんなので良いのか」
問う声に、何の事かとしばし考えたクラウドだったが、
「誕生日祝いの事か」
「……」
スコールから否定の言葉は無い。
そうでなくとも、スコールが今日ずっと気にしている事と言ったら、恐らくそれしかないだろう。
信号が青に変わって、バイクは再び走り出した。
海を臨む海岸沿いを、道なりにそって真っ直ぐに行けば、海の向こうから吹く風が届いて来る。
ヘルメットがなければもっと気持ちが良いんだが、と思いつつ、こればかりはルールなのだから仕方がない。
海外の何処だったかはしなくて良いとか言う話を聞いたので、機会があれば、スコールを其処に連れていって、こうして走れたらと密かに願う。
クラウドは先のスコールの問いに対し、何と答えたものかなと、しばしの間考えた。
その沈黙の間、スコールはクラウドの背中に口元を押し付け、じっと返事を待っている。
「まあ、正直に言うとだな。こう言う事以外にも、色々考えたのはある」
「……色々?」
「お前があんな事を言ってくれたからな」
あんな事────と指すものを、スコールも覚えていたようで、腹に回された腕の捕まる力が強くなった。
背中にいるので見えないが、きっと赤くなっているのだろうと、クラウドは勝手に想像する。
「お前も正直に言ってみろ、スコール。あんな言い方をして、俺に何を”お願い”されると思ったんだ?」
「…………やらしいこと」
通信越しにたっぷり間を置いて、スコールは小さく小さく呟いた。
感度の良い通信機を使っているお陰で、それはしっかりクラウドの耳元まで届く。
やっぱりな、とくつくつと笑えば、その声もまたスコールにしっかりと届いていた。
「笑うな。あんたの事だから、絶対変な事言ってくると思ったんだ」
「そこまで予想していたのに、あんな事を言ってくれて。期待されているのかと思ったぞ」
「あんたじゃないのに、そんな訳ないだろ」
「健全な男なんだから仕方がないだろう」
「不健全の間違いだろ」
ごち、とクラウドのヘルメットの後頭部に、固いものが当たる。
揺らす程にもならない、同じ固いものを押し当てただけのものだが、この場においてスコールが出来る目一杯の抗議だ。
信号待ちの横断歩道に引っ掛かって、クラウドはバイクのブレーキをかける。
停止した車体が、ドッドッドッ、と鳴らす低音を尻目に、クラウドは後ろを振り返った。
ヘルメットのガード越しに、振り返られると思っていなかったのだろう、蒼がきょとんと眼を丸くしていた。
「誕生日だし、折角だしと色々期待したのは確かだが。何をされるか判らなくて、緊張もしていたんだろう?」
「……別に……」
クラウドの言葉に、スコールは拗ねたように唇を尖らせて、視線を逸らす。
それが本音を見抜かれていると吐露している態度になると、彼はまだまだ自覚がない。
クラウドが前へと向き直ると、丁度良く信号が青に変わった。
またバイクが動き出し、背中に掴まる恋人の体温がぴったりと密着する。
「色々お前に頼んでみたい事はあったが、それより、こうしてゆっくり過ごすのも良いんじゃないかと思ったんだ。実際、デートなんて久しぶりだろう」
「……まあ、そうだな」
「お互い忙しい身だからな。今日も明日も平日だから、お前に無理をさせる訳にも行かないし」
「………」
きらきらと光る水平線を横目に、クラウドは気の向くままにバイクを走らせる。
これだけでも心地良いことだったが、背中に身を寄せてくれる恋人がいてくれる事が、一層クラウドの心を穏やかにさせた。
普段、片や社会人、片や学生で、生活リズムの違いもあり、デートなんて前にしたのはいつだったかと思う程だ。
逢瀬の時間は、お互いが捻出し合って都合をつけているので、それなりにある。
しかし、その時間は大抵、夕方から夜にかけてと言うもので、また互いに若いものであるから、ついつい即物的な繋がりでお互いの存在を確かめたくなってしまう。
それが一番わかり易くて、深くまで繋がり合って実感できるから。
お陰でスコールはあっという間にクラウドの色に染まってくれた訳だが、そんな事ばかりに傾倒するのもどうか───とは一応、思ったりもするのだ。
況してや大人である自分の方が、何かとがっつき、一所懸命に応えてくれる年下の恋人に付き合わせるばかりと言うのは聊か配慮に欠けてはいないか、と偶には思ったりもするのだ。
海岸沿いをずっと走る内に、道は坂道を上っていた。
切り立った崖の上を上る道は、小高い所に休憩できるスペースが設けられている。
クラウドは其処に一旦バイクを止めて、スコールの手を引いてガードレールに囲われた道の端へと向かう。
其処は山側から茂る樹々で心地良い木洩れ日が落ち、崖の向こうは一つも遮るもののない水平線た見えた。
「良い景色だろう」
「……そうだな」
小さく返したスコールの瞳は、じっと海の向こうに向けられている。
普段は専ら屋内で過ごしているスコールであるから、この夏でも海に行った事なんてないだろう。
海岸沿いの道路の向こうに、こんな心地良い風と景色が見られる場所があるなんて、知りもしなかった。
クラウドはスコールを連れて、何処の誰がいつ設置したのかも判らない、古びた木製ベンチに腰を下ろす。
大丈夫なのかこれ、とスコールは言ったが、作り自体はしっかりしているし、落ち葉が積もらないように掃除もされている。
ちゃんと管理されているものだと言えば、スコールはそろそろと、クラウドの隣に腰を下ろした。
潮風が運んで来る匂いと、山からの草いきれの匂い。
日差しが直接当たらないから、此処は真夏と思えない位に涼しくて、心地が良かった。
「……いい場所だな」
「ああ。人目もないしな」
ぽつりと呟いたスコールに、クラウドがそう言うと、はたとしたように蒼が此方を見た。
その時にはもう、クラウドはスコールの直ぐ其処まで顔を近付けていて、色の薄い唇が「待て───」と止めるも、既に遅く。
柔く重ねた唇の味が逃げないように、頬を捕まえて撫でてやれば、ふるりとその肩が震えるのが判った。
こんな穏やかな誕生日も悪くない。
真っ赤になって固まる恋人の顔を見詰めながら、クラウドはそう思うのだった。
クラウド誕生日おめでとう!
なんでもして良いって!それなら……と考えた後に、ふと冷静になったクラウド。
スコールは色々覚悟してはいたから拍子抜けした気分だけど、ちょっとほっとしてもいる。
今日やらなかった事は、きっと別の機会にやるんでしょう。若しくは今夜ちょっとだけやるかも知れない(台無し)。