[16/シドクラ]星の唄
オットーに請われ、マーサの宿の近辺に出現した魔物を退治した。
湿地と言う環境に適合したか、分類としてはソーン種になる筈だが、その個体は平均の三倍程の体高を持っていた。
その大きさに手こずるところはあったものの、結果としては無事に掃討できたのだから良しとしよう。
ついでに、植栽研究に余念のないボフミルが、試料として欲しがっていた蔓も手に入った。
と、良いことは確かに多かったが、倒した瞬間、その体液が盛大にぶちまけられたことについては、顔を顰める他ない。
クライヴと一緒にいたトルガルも、全身でそれを浴びている。
急ぎ近場の川で洗い落としはしたものの、隠れ家に帰って尚、その匂いはこびり付いていたのである。
隠れ家に帰って来た時、厩でいつも出迎えてくれるチョコボたちが、逃げるようにいそいそと離れた。
その様子を見れば、やはりこのままでいる訳にはいかないと、水場へ向かう。
既に夜の時間になっていた為、隠れ家は静かなものだった。
クライヴは水桶をひとつ借りて、水と装備を全て入れた。
水の中に入ると、夜の冷気でキンと冷えている。
一日の疲労を抱えた体に凍みるのを感じながら、目の粗い布で体を擦り続けた。
トルガルはと言えば、既に一度川で水浴びもしたからか、これ以上の水濡れを嫌ってさっさと寝に行ってしまった。
しかし、明日にはタルヤかカローンに捕まって、念入りに洗われるに違いない。
十分に匂いが落ちるまで念入りに洗う。
匂いに慣れてしまった鼻でどれだけ落ちたかは判らないが、取り敢えず、やるだけのことはやった。
後は時間に任せて薄れていくのを願って水から上がる。
服は明日まで使えないので、洗い場に干してあったものを拝借した。
誰のものとも判らないが、裸でうろつく訳にもいかない。
着替えがあるだけ恵まれている、と思うのは、これまでの十三年間の感覚が抜けないからだろう。
ともあれ、清潔な服で、安全な寝床で休めると言うのは、この上なく有難いことだ。
疲労も一入であるが、これで今夜はゆっくりと眠れる。
これ以上やることもないのだし、寝床に行って休もう───と、広間を通りがかった時だった。
「……シド?」
竈の火も落ちたラウンジに人影があった。
目を凝らすと、それがこの隠れ家の長であることが判る。
名前を呼ぶと、それが振り返って、ヘーゼル色の目がクライヴを見付けた。
「ああ、クライヴ。お前か」
よう、とひらりと片手を上げて気安い挨拶があった。
「なんだ、随分すっきりしたナリじゃないか」
「ソーンの体液を被ったんだ。馬鹿にでかい奴で。匂いが酷くてチョコボも寄らなかったから、水に入っていた」
「ああ、オットーが言ってた奴か。そりゃご苦労さん」
クライヴの端的な説明で、シドはおおよそのことを把握した。
苦笑して労うシドに、クライヴは溜息ひとつ吐きつつ、「俺の仕事だからな」と返した。
「それで、あんたはこんな時間に、こんな所で何をしているんだ。つまみ食いをしたら、後で料理長が怒るぞ」
「おっかないことを言うなよ。食器をいくつか借りるだけだ」
そう言ったシドの手には、木製の皿とグラスがある。
それから反対の手には、シドのお気に入りの銘柄のワインが握られていた。
シドは手元のそれを見て、ふむ、と数瞬考える様子の後、
「クライヴ。もう寝るか?」
「そのつもりだが」
「ちょいと付き合ってくれるなら、いい酒を飲ませてやる。どうだ?」
口元に小さく笑みを梳いたシドの言葉に、クライヴはぱちりと瞬きをひとつ。
急な誘いに答えに詰まったクライヴに、シドはワインを見せつけるように翳した。
ちゃぽん、と液体が揺れる音が鳴る。
「もう起きていられない程疲れてるなら、無理にとは言わない」
「……いや、そこまででもない」
「なら良さそうだな。グラスをもうひとつ借りて行こう」
行くとは言っていないのだが。
食器棚からふたつめのグラスを取っているシドを見ながら思うクライヴだが、拒否するような意味もない。
ただで寝酒の一杯が貰えるのなら、悪い気はしなかった。
このまま腰を落ち着けるのかと思ったが、シドは「行くぞ」と言ってラウンジを出て行った。
男の足は隠れ家の出入り口の方へと向かっている。
外に出たところで、黒の一帯であるこの周辺に何がある訳でもないだろうに。
クライヴはそう思ったが、誘った男がすたすたと行ってしまうので、首を傾げつつそれについて行った。
小一時間前に隠れ家に戻って来た時点で、空は暗くなっていた。
シドは穴口から外に出ると、空を見上げて呟く。
「ああ。良い天気だな」
シドはぐるりと辺りを見回すと、砂土をざくざくと踏んで何処かへ向かう。
クライヴが後を追うと、隠れ家からそう遠くはない場所で、シドは足を止めた。
「この辺りで良いか」
言って、シドはその場に腰を下ろす。
灰にもならない黒い土砂の上で胡坐を掻いて、ワインボトルを地面に置く。
何がしたいんだ、とクライヴが近くまで寄れば、シドがこちらを見上げる。
ぽんぽん、とシドの手が地面を叩くので、座れ、と言う意味だとクライヴは汲んだ。
ワインボトルを間に挟む位置で腰を下ろすと、シドは満足げに口端を上げて、グラスを差し出す。
黙ってそれを受け取ると、シドはワインのコルクを開けて、クライヴの持つグラスに液体を注いだ。
「……あんた、酒盛りがしたかったのか?」
「まあな。肴もあるぞ」
シドは腰に結び付けていた麻袋から、干し肉を取り出した。
薄切りにした肉を塩漬けにしたそれは、確かに酒の肴に丁度良い。
シドはグラスと一緒に持ち出してきた皿にそれを並べると、適当な石を集めて、砂土から少し離した高さにそれを置いた。
生き物の気配がない黒の一帯は、昼でも夜でも、静かなものだ。
夜になると、周囲の砂山の影が一層深く大きくなっているようで、不気味さも誘う。
「酒を飲むなら、何もこんなところじゃなくても良いだろうに」
「こんな所とは了見が狭いな」
くつ、と笑って言ったシドに、クライヴの眉間に皺が寄る。
拗ねた面持ちで睨むクライヴに、シドはグラスを傾けながら、
「上だよ、クライヴ」
「上?」
「良いから見てみな」
妙に回りくどいシドに、クライヴは顔を顰めながら、言われた通りに首を傾けた。
そうして、蒼の瞳が微かに瞠る。
今はすっかり闇色になった空に、星が数えきれないほどに浮かんでいる。
それは地面を照らすには足りない灯りだが、しかし、世界が真っ黒ではないことを知るには十分だ。
今日は新月で、その所為か、月に寄り添うメティアの光も僅かに柔い。
メティアはその赤い耀きを、星々の邪魔にならないようにと、控えに徹しているように見えた。
「……これは……」
「良い景色だろう。街じゃここまで星は見えない」
それは、暗闇を好む獣や狼藉ものを退ける為、篝火が必要だからだ。
小さな集落ならともかくも、それでも、マーサの宿ほどに人が集まっていれば、灯りは欠かせない。
だが、黒の一帯ならば、そもそも獲物にできるものがないから、獣も野盗も近付かない。
光を求めるものもなければ、燈すものもなく───あるのは静寂と暗闇だけだ。
そうして太陽の恩恵を失って暗く沈んだ大地よりも、夜空の方がずっと明るい色になる。
そこに星の光が散りばめなられたなら、それが世界の主役になる。
空を見つめ、ぽかんと口を開いて動かなくなった青年に、シドがまたくつりと喉を揺らす。
「あんまり呆けてると、口の中に砂が入るぞ」
「!」
は、とクライヴは我に返って、空の手で自分の口を抑えた。
この辺りの黒い土は酷く乾燥しているから、少し強い風が吹くと舞い上がるのだ。
クライヴは、まだ砂の味のない口元を擦って、乾いた喉にワインを通す。
シドも早々に一杯を開けたグラスに次を注ぎ、傾けた。
「今日は空気が澄んでるな。遠くまでよく見える」
「……そうだな」
「月がないのは少し寂しいが。星はその方がはっきり判るな」
シドの言う通り、今日は小さな星明りだけでなく、星雲までもが読み取れる。
空気が冴えて澄んだ空でなければ、こうもはっきりと臨むことは出来ないだろう。
空を見つめていたクライヴの視界の端から、ひょい、と何かが突き出てきた。
何かと見てみれば、シドが干し肉を乗せた皿を寄越している。
分けてくれるのなら貰おう、とクライヴは端の小さな一切れを貰った。
強い塩気の肉きれを噛んで、味の残る舌にワインを流し込めば、それまでと一段違った味わいが喉を通って行く。
それからしばらくは、弾む会話もなく、ただ二人で杯を傾けていた。
何杯目かになった所で、クライヴはふと、
「なあ」
「ん」
「……邪魔だったんじゃないか、俺」
思ったことをそのまま尋ねると、肉を噛んでいたシドがぱちりと目を丸くする。
「なんだ、急に」
「いや……一人で静かに飲みたかったんじゃないかと思って」
「まあ、そう言うつもりがなかった訳じゃないが。それでも、邪魔ならそもそも誘ってない」
苦笑しながら言ったシドに、クライヴは、それはそうだろうけれど、と唇を尖らせる。
得心に行かないクライヴの様子に、シドは続けて言った。
「一人酒も嫌いじゃないがな、折角今日は天気が良さそうだったんだ。良いものが見れるなら、それは独り占めしなくても良いだろう」
「……」
「何せ穴倉暮らしだからな。別に不満がある訳じゃないが、やっぱり頭の上は広い方が気分が良い」
「まあ……そう、かもな」
「黒の一帯はエーテルもない、栄養もない。ないない尽くしで碌でもない場所に思えるだろうが、偶には良いところもあるんだ。こんなに堂々と野点しても、ここは邪魔になるものも来ないしな」
確かに、シドの言う通り、辺りには人も獣も気配はない。
夜とあってか、空には鳥も飛んでいなかった。
だからワインにしろ、干し肉にしろ、後ろからにじり寄って奪っていく輩の心配をしなくて良い。
「どんなにどうしようもない場所に見えても、探せばどこかに良い所がある。覚えておくと良い」
「……」
シドの言葉に、クライヴは何も返すものがない。
黒の一帯は不毛の地だ、と言えばそれは事実だし、しかしこの地で知恵と工夫を重ねて生きる人々がいるのも事実。
ただ、この地で暮らす人々を見ていると、シドの言う事も満更嘘ではない───とも思える。
空になった手許のグラスをじっと見つめるクライヴに、シドはくつりと苦笑する。
おもむろに癖のある黒髪をぐしゃぐしゃと撫でると、急なことにクライヴは目を丸くした。
慌ててその手を払い除けるが、シドは懲りずにまた髪を撫ぜる。
「おい、何してる」
「お前は頭が固いからな。柔らかくしてやろうと思ったんだよ」
「これはふざけているだけだろう。おい!」
「ま、ともかくだ。下を見るのが無駄とは言わないが、偶には上も見てみろ。意外と見通しは良いもんだ」
そう言って、ようやくシドはクライヴを撫でる手を止めた。
離れた手の感触が、妙に頭に残っている気がして、クライヴは何とも言えない顔になる。
まあ飲め、と差し出されたワインに、あしらわれている気はしたが、ワインの味に罪はない。
大人しくグラスを差し出して頂戴すると、シドは満足そうに笑った。
なんか二人で星見酒をさせたいなと思ったので。
このクライヴはフェニックスゲート後ですが、まだ情緒は育成中と言ったところ。
ちょっと贔屓目気味で色々世話を焼いたり、教育係したりしてる感じのシドでした。
この頃のクライヴはまだまだシドの後ろをついて行く感があってちょっと微笑ましい。