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2021年08月
年下の恋人と逢う機会は、減る以前に、そもそも少なかったと言って良い。
片や社会人一年目、片や高校三年生ともなれば、無理もないことだろう。
クラウドは本格的に始まった大人としての社会生活に慣れるのに精一杯で、恋人───スコールは大学受験が目の前に迫っている。
スコールはその為の進学塾にも通っており、毎日とまでは言わずとも、平日休日関係なく授業は組まれ、それに参加していた。
そんなスコールが偶に時間が出来ると、その時クラウドは研修やら勉強会やら、断り辛い飲みの誘いと重なっていて、精々夜に電話で短い遣り取りが出来る程度。
メールと言う便利な機能があるお陰で、相手の反応時間を気にせずメッセージを送れる───とは言うものの、やはり夜中に着信を鳴らせるのは少々気が引けて、此方はあまり使っていない。
お互いに筆まめと言う訳でもなかったし、ただでさえ口下手なのがメールになると尚更になってしまい、二人の遣り取りのメールを見たザックスやティーダは、「お前、素っ気なさすぎない?」「これ業務連絡っスか?」と言ってくれた。
だからお互いのタイミングを気にしつつ、メールは電話をする為に時間が取れるか、と言う確認をする程度にしか使っていない。
顔が見れないのは同じでも、声が聞こえれば、そのトーンで少なからず相手の言葉に込められた気持ちが汲み取れるから、クラウドはそれでも十分嬉しかった。
だが、スコールにとってはどうだったのだろう。
後になってそんな事が頭を過ぎり、きっともっと早くその可能性を考えるべきだったのだと思う。
スコールは、クラウドが社会人として揉まれている事を、よく判っていた。
毎月の終わり頃、彼が通う塾の翌月休みが判って、その日程をスケジュール表に入れ、スクリーンショットを添えてメールを送り、休日に空いているかと訊ねて来る。
デートと言うものがしたい訳ではなくとも、逢える距離にいる筈なのに、全く逢えない恋人に、精一杯にそのメッセージを送っていた。
しかし、平日のクラウドは勿論仕事があり、スコールの放課後時間に暇を合わせる事は難しい。
会社内の雰囲気から、新人社員は有給休暇を申請し難い空気があったのも、聊か痛手であった。
クラウドの偶の休みと、スコールの塾休みと、上手く重なるのは隔月で一回程度。
今月も休みを合わせられそうにない、と詫びる台詞を、一体何度口にしたか。
その度にスコールは、「仕方ないから」と言ったが、電話越しのその声が、確かに寂しそうにしていたことは、クラウドも忘れていなかった。
余りに休みを取れないから、クラウドは仕事終わりにスコールに連絡を取ってみた事もある。
時刻は既に夜の十時が近くなっており、高校生とは言え未成年を外へと誘い出すのは抵抗もあったが、スコールは直ぐに「行く」と返事をした。
同居している父親の目を盗むように、買い出しに行ってくると言い訳をして、マンションの最寄の公園に来てくれた。
バイクの後部座席に彼を乗せ、ごくごく短い夜のデートも楽しんだ。
父への言い訳もあるから、当然ながらあまり時間は取れず、ほんの一時間程度でお別れだ。
それでも、クラウドにとっては至福であり、社会人生活に疲れた心を癒してくれる、大切な一時であった事は本当だ。
いつであったか、逢える時間が作れない事を、すまない、と詫びた事もある。
それに対し、スコールは首を横に振っている。
時間が作れないのは自分も同じ事で、クラウドだけの責任ではない。
社会人になったクラウドよりも、まだ学生である自分の方が自由が利くのだから、自分の方がクラウドに合わせる、とも。
受験を前にした高校生であるスコールだ。
進学塾に通っていなくても、刻一刻と迫る受験に対し、準備に追われて遊ぶ暇などないだろう。
それでもスコールは、「俺がクラウドに合わせるから」と言った。
寂しがり屋の彼に、無理をさせているとは思ったが、スコールがそう言ってくれるのはクラウドにとって幸いでもあった。
────一度だけ、彼を抱いた。
蒸し暑い夜、クラウドの休みの日と、スコールの塾の休みと、父親の不在の夜が重なった。
こんな事もうないかも知れないから、とクラウドの家に泊まりに来たスコール。
まだ幼さを残す横顔を赤く染め、目を合わせる事も出来ない程に意識していたスコールに、クラウドの年上としての矜持と理性は呆気なく崩れた。
クラウドも初めての事であったものだから、スコールにかなりの負担を強いたのは間違いないと思うのだが、それでもスコールは嬉しそうに笑っていた。
夜通し繋がって、熱を交わし合って、何度も何度もキスをして、この熱の記憶さえあればもう大丈夫だと、そう思う位に濃厚な夜。
そんな時間が取れたのはあの一度切りで、また逢えない時間が続くようになったのだが、それでも一度でも彼を抱いた感触は忘れられなくて、スコールもそうなら良いと思った。
思っていた─────
クラウドの仕事が午後から休みになったのは、会社からの指示によるものだった。
新人とは言え有給休暇はきちんと設けられており、その消化が必要になったからである。
署内の休みを取る事に対する、聊か古い無言の圧力的なものがなければ、もっと気軽に取れるのに、と思っているのはクラウドだけではあるまい。
とは言え、急な休みが嬉しくない訳ではなかったので、クラウドはさっさと退勤した。
一旦自宅へと帰ったクラウドは、私服に着替えると、早速街に繰り出した。
しばらく行けていなかったゲームセンターに入り、知らぬ間にアップデートが繰り返されていたゲームの感触を確かめる。
一頻り満足した後は、ふと見付けたUFOキャッチャーに手を出した。
プライズ系は余り遊ばないクラウドだったが、景品に恋人が贔屓にしているアクセサリーブランドの品があったのが目を引いた。
チャレンジ一回の値段が少々高い、高額商品狙いを売りにしたものだ。
デザインはスコールが気に入りそうなものだが、余りゲームセンターで遊ばない───来ても友人たちが遊んでいるのを見ているか、興味があるのは昔から馴染のあるカードゲーム位だ───のできっと持っていないだろう。
もし持っていたら、お揃い、と言うことにして、自分が持っていても良い。
そんな気持ちで数回のチャレンジの後、無事に景品を手に入れる事に成功した。
次の自分の休みと、スコールの暇な時間とが合致するとは限らない。
だからクラウドは、放課後の一時を利用しようと、その足でスコールの通う学校へと向かった。
自分が大学生の頃は、こうして彼を迎えに行き、バイクの後部座席に乗せて家や塾の近くまで送り届けたものである。
久しぶりにそんな時間が取れるかも知れないと、少し浮足立つ気持ちで、クラウドはバイクを走らせた。
大型バイクを学校の近くに停めるのは目立つから止めろ、とスコールに言われている。
少々不便ではあったが、クラウドはいつも近くのスーパーの一角を借り、スコールを迎えた後は、少し買い物をして去るようにしていた。
この行為も久しぶりだ、とバイクの荷物入れに恋人の分のヘルメットが入ったままになっているのを確認する。
ゲームセンターで確保したアクセサリーは、背に回した小さなバッグに入れている。
逢ってすぐに渡すか、それとも少し焦らすか、なんてことを考えながら、校門へと向かった。
(久しぶりだな、この道も)
ほんの一年前までは、週に何度も歩いた道だ。
それが随分と久しぶりの光景に感じられて、この一年弱の目まぐるしさを再認識する。
その間、碌々恋人の顔が見れなかった事も再確認して、忙しさに紛れるように隠れていた寂しさが蘇る。
久しぶりに迎えに行くに当たって、スコールに連絡はしていない。
授業が終わる時間から考えると、クラウドの来訪は聊か遅いものであったが、スコールは去年から生徒会に所属しており、今期は生徒会長に選出されたと言う。
色々と準備やら確認やらが増えて、去年にも増して帰れる時間が遅くなったそうだ。
それならこの時間からでも恐らく間に合うだろう、と予測して、またサプライズ的な目的もあって、クラウドは彼を迎えに行く旨を秘密にしていた。
広いグラウンドを囲むフェンスを横目に進み、角を曲がると、裏門がある。
スコールの家の方角へ向かうには其処が一番の近道だから、スコールはいつも此処を使っていた。
正門に比べると利用者も少ないようで、人目が多い事を嫌うスコールを迎えに行くには丁度良い。
その裏門に、二人の少年が立っている。
クラウドに対して背を向けている濃茶色の髪の少年────それが恋人であるスコールだ。
それと向かい合い、スコールを見下ろしている金髪の体格の良い少年も、クラウドの知る人物である。
スコールの幼い頃からの幼馴染で、何かと衝突を繰り返している、サイファー・アルマシーだった。
スコールとサイファーは、寄ると触ると剣呑になるのが常で、クラウドも、いつも静かなスコールが、サイファーに対してだけは随分と饒舌に皮肉を言い合うのを見ている。
今日もそんな調子なのかと、少年達の微笑ましくもある光景を見ていると、
「─────……!」
サイファーの頭の位置が僅かに降りて、見上げる格好になっているスコールの頭と重なった。
スコールの重力に従っていた手が持ち上がり、サイファーの服の端を握る。
スコールとサイファーは、物心がつく以前から、その付き合いが続いているらしい。
その為か、根本的に人見知りが激しく、人嫌いの気すらあるようなスコールが、サイファーに対してだけは距離感が近い。
言い合いをする時には、胸倉を掴み合う事だってあったし、額を擦り合うような距離で睨み合う。
とだけ聞くと物騒な仲だが、付き合いが長いだけあって、遠慮をしない仲でもあった。
だが、遠慮をしないと言っても、今のは余りにも近過ぎる。
第一、犬猿の仲とも吹聴されるような間柄の幼馴染に、そんなにも顔を近付けて、何をしていたのか。
言い合いをしている訳でもなく、二人のまとう雰囲気も決して刺々しくはない。
況してや、サイファーの服の端を握るスコールの手が、意味深な気配までも漂わせている。
立ち尽くすクラウドに気付いたのは、サイファーだった。
二人の近付き過ぎていた顔が離れて、僅かに低い位置にあるスコールの顔を見る翠の瞳が、見た事がない程に甘くて柔らかい。
その瞬間、ぞっとしたものがクラウドの背中に走った。
そして、翠の甘い瞳がクラウドを見付けて、すぅと冷たく細められる。
「……サイファー?」
スコールが幼馴染の名前を呼んだ。
それに返事をしないサイファーに、スコールは首を傾げた後、彼が“何か”を見ている事に気付いて振り返る。
深い海の底に似た、蒼灰色の瞳に、恋人である筈の男の顔が映った。
その瞬間、スコールの顔は可哀想な位に蒼褪めて、色の薄い唇が震える。
“見られてしまった”と如実に語るその表情が、彼が今佇んでいる場所を明確に表していた。
「……!」
「スコール!」
弾かれたように、スコールは走り出した。
クラウドから逃げるべく、サイファーの傍らを過ぎて、その向こうへと。
咄嗟のスコールの行動に、クラウドの復帰は早かったが、しかし。
半ば反射的に恋人を追って走り出したクラウドだが、強い力に腕を掴まれ、否応なく足を止める事になる。
「っ離せ!」
「あぁ?」
悔しいながら、自分よりも頭一つ分は上にある年下の少年を、クラウドは睨み付けた。
それに対し、サイファーはクラウド以上に剣呑な光を宿した目を向ける。
「誰が行かせるかよ」
「離せ」
「行ってどうする気だ?」
「お前には関係のない事だろう」
「生憎、関係ねぇのはお前の方なんだよ。見ただろ?」
つい数瞬前の光景を指すサイファーの言葉に、クラウドの眼の中が熱くなる。
射殺さんばかりに睨むクラウドだが、サイファーは「ふん」と鼻で笑うようにあしらう。
「手前こそ、どの面下げてあいつを追う気だ?今の今まで、ほったらかしにしてた癖に」
「そんなつもりはない。確かに逢える時間は少なかったが、それは───」
「ハイハイ、仕事で忙しかったから、だろ。オトナは大体それなんだよ」
サイファーは心底呆れたと言う表情でそう言った。
その声には、揶揄や嘲笑よりも、軽蔑に似た音が混じっている。
「そんなのだから、あいつはいつまでも良い子ちゃんだったんだ」
「何の事だ」
「……はっ。判ってねえのかよ、なんであいつがいつも聞き分け良くしてたのか。お前らオトナが、我慢させるようにしたんだろうが」
サイファーの言葉は、クラウドだけに吐き出されたものではなかった。
しかし、含まれる棘は明確にクラウドにも向けられており、哂う表情には憎々しささえ浮かんでいる。
「あの泣き虫が、ほったらかしにされて寂しくない訳があるか。それなのに、今さえ我慢すれば良いって、あいつに刷り込ませたんじゃねえか。たまに飴やってれば、あいつは良い子の優等生でいるから」
放っておいたつもりも、気紛れに飴をやっていたつもりも、クラウドにはない。
しかし、では今まで会う機会を作らなかったのは何故なのか、どうしてもっと傍にいなかったのかと聞かれたら、クラウドは返す言葉がなかった。
電話越しにすら「逢いたい」とは言わないスコールに対し、『きっと判ってくれる筈』と一方的な期待と我慢に甘えてはいなかったか。
サイファーはそう言っているのだ。
「一回抱いた位で、あいつが満足すると思ってんのか。安心すると思ったのか」
「そんなつもりは────」
「なくたって同じだ。中途半端に安心させて、あやすだけで済ませる位なら、手出すんじゃねえよ」
「……」
サイファーの言うことは最もだ。
どんなに聞き分けの良い振りをしていても、スコールの根幹にあるのは、自己否定も含めた不安感である。
それを解きほぐして包み込んで、温め続ける事が出来ないのなら、一時の熱など彼を余計に不安にさせるだけ。
だから、クラウドはあの日、スコールを抱いたつもりだった。
彼の一番深い所に熱を注いで、その感触を彼も覚えていてくれたら良い、と。
次の機会などあるか判らない、けれどもあるかもしれない、だからその日まではこの熱の記憶を忘れないで欲しい、と。
しかし、熱を知れば知る程、スコールはその熱が消えていく事が不安になったのだろう。
そんなスコールの気質をサイファーはよく知っていたから、クラウドがした事は“中途半端”でしかなかったのだ。
「俺ならもっと近くにいられる。あいつが欲しい時に、何度でも」
「……お前、まさか」
「あいつを放っておいた前が悪い」
少年の瞳に宿る怒りの色に、昂る熱が籠った。
クラウドの脳裏に、あの日の夜、抱く男の熱を受け止めながら、しどけなく体を捩る恋人の姿が蘇る。
あの姿を見たのかと、詰め寄る一歩を踏み出したクラウドを、サイファーは牽制するように睨んだ。
「あいつを理解できない奴が、あいつを追うんじゃねえ」
近付くなと、サイファーの眼ははっきりと言っていた。
睨む翠に滲むのは明らかな怒気で、不信感すら映っている。
サイファーは踵を返すと、彼の少年が駆けて行った方向へと歩き出した。
クラウドはその背を追い越し、サイファーよりも早く、恋人の下へと行かなくてはならない。
そうしなくてはいけないと思っているのに、クラウドの足は根が張られたように動かなかった。
恋人を追う他の男の背中をただただ見詰めて、その背が見えなくなってから、ようやく足が動く。
ふらついた体が傍のフェンスに寄り掛かって、急激に体温が下がって行くのが判った。
(スコール。俺は、そんなつもりは────)
一体いつから、彼との距離がそんなにも離れていたのだろう。
幼馴染であり、犬猿の仲と言われているサイファーとスコールが、そんな関係になっているなど、露とも思っていなかった。
ほんの数日前にもスコールと電話で話をした筈なのに、彼はそんな事はおくびも出していない。
いや、スコールは存外と隠し事が苦手だ。
平静を装えているようで、眼は正直だし、それがなくても、会話のテンポが遅れたりと、案外と露骨に動揺や迷いが表に出る。
それなのに、クラウドは今の今まで、彼の心が遠くに行ってしまっている事に気付かなかった。
胸の奥が、ずきずきと痛む。
この痛みを、スコールはずっと抱えていたのだろうか。
どうしてそれに気付いてやれなかったのか、遅すぎる後悔にクラウドは強く唇を噛んだ。
『クラスコ前提の中でスコールがサイファーにNTRれる』のリクエストを頂きました。
クラウドは出来る限りスコールを大事にしていたけど、スコールにとって逢えない時間が増えるほど不安が募った訳で、それを結局塗り替えれる位の時間の共有が出来なかった。
スコールもクラウドの事は好きだし、一緒にいたいけど迷惑かけたくないし、子供っぽいとも思われるのが嫌で、見栄を張っていたけど、実は不安でしょうがなかった。
サイファーはクラウドよりも本人よりもスコールの事をよく知っているから、スコールがちゃんと我儘を言えるようになっていたら、多分見守るつもりではあった。
そんなクラスコ前提サイスコ。楽しかったです。
目覚めたばかりの意識が鬱々とした感覚を訴えているのは、スコールにとって珍しい事ではない。
元々、どちらかと言えば寝覚めは悪い方で、可能ならいつまでも惰眠を貪っていたいと思う位に、スコールは怠惰な性格だと自負している。
だが、記憶が霞む程の幼い頃から傭兵として教育されているから、それを強制的に切り替えるスイッチと言うのも持っていた。
任務中であれば否応なくそれはオンの状態になり、目覚めと同時に行動する事が出来る。
そうでなくては、傭兵など務まらない。
だが、エスタにいる間は、どうしてもそのスイッチが切れたままになる朝がある。
ラグナと褥と共にした日だ。
その腕に抱かれ、熱を溶かし合い、彼が吐き出したものを受け止めて、泥に落ちるように意識を飛ばす。
そうして夜を過ごした後は、躰が記憶している重みや違和感も相俟って、どうしても活動が億劫になるものだった。
しかし、だからと言っていつまでもベッドの住人でいる訳にはいかない。
スコールがエスタに来るのは、大統領護衛の依頼を請けての事だからだ。
例えラグナと体の関係を持っていても、其処には確かに情があっての事であっても、スコールが終日仕事中である事は変わらない。
故にスコールは、どんなに体が怠くても、無理やりスイッチを切り替え、昨夜の甘い囁きの事も忘れて、護衛としての顔を作るように務めていた。
今日もスコールは、痛みを訴える腰を自覚しながら目を覚ます。
その隣で眠った筈の人物は、一足先にベッドを抜け出していた。
独り占めしていた毛布から出て、ベッドの足元に落ちていた服を拾って袖を通す。
じんじんと違和感の残る体を叱咤しながら部屋を出て、歩き慣れた廊下を過ぎてダイニングへ向かえば、其処にはもう簡易ながら朝食が出来ていた。
「おはよ、スコール」
「……おはようございます」
仕事の雇い主であり、昨夜熱を共にした男の挨拶に、スコールは抑揚のない声で返した。
冷たくも感じられる声であったが、ラグナは慣れたもので、へらりと笑ってスコールに着席を促す。
「目玉焼きは両面焼きで良かったよな」
「……ん」
「ドレッシング切れてたから、新しいのはコレ」
とん、とラグナが手に持っていたドレッシングのボトルを置いた。
見慣れないロゴのラベルだが、イラストのお陰で、香味を使ったオイルドレッシングである事は判った。
スコールがテーブルに着くと、ラグナも向かい合う位置に座る。
頂きます、と律儀に手を合わせて言うラグナに、スコールも面倒に思いつつ仕草だけは真似をした。
バターの匂いのするクロワッサンを千切りながら、スコールはもそもそと食事を始める。
「体、どうだ?ちょっと無理させたかな」
「……別に」
「無理するなよ。まあ、今日はあんまり外には出ないからさ、スコールはゆっくりししててくれよ」
気遣うラグナの言葉に、スコールは返事をしなかった。
口の中にパンが入っているから───と言うのもある。
でも一番の理由は、今のラグナの言葉に対し、思う事が多過ぎて、それらを口にするのが面倒だっただけだ。
同時に、目覚めから消えない鬱々とした気分がスコールの中に根を張っている。
その理由を、原因を、スコールはとうの昔に理解していた。
理解しながら、それをどうにかしようと言う気にもならなくて、上辺だけ無表情を繕って過ごしている。
そんな事は、スコールにとってよくある事だった。
今日の予定は、と確認と言うよりは話題を求めてのことだろう、ラグナがスケジュールを思い出して音読しながら、目玉焼きにフォークを刺す。
それをいつもの無表情で聞き流すスコールの目は、じっとラグナの左手に向けられていた。
今日も山積みの書類を捌きながら、ラグナはちらりと傍らの少年を覗き見た。
大統領の終日護衛と言う任務を持って派遣されたスコールは、その期間中、常にラグナの傍に身を置いている。
仕事なのだから当然、ではあるのだが、それであってもラグナはスコールと近い距離にいられる事が嬉しかった。
今はこうした理由がなければ、スコールと一緒にいられる時間すらないのだから。
大統領としての職権乱用ではないかと言われると否定できないのだが、とは言え依頼料などはラグナ個人のポケットマネーから出している訳で、また開国した事で国のトップとしての責任と危機管理と言った理由もあり、傍に信頼できる護衛を置く事は急務ともされていた。
だからスコールへの護衛依頼は、エスタ国としては必要経費であると言うのも、本当だ。
と、最もらしい理由をつけながら、スコールが絶対に離れない期間である事を利用して、彼を絡め取っているのも事実である。
本音でも建て前でも、ラグナの傍にスコールがいるのは、不可欠なことだった。
血の繋がりを持ちながら、彼をこの腕に抱いているのも含めて、ラグナはスコールを自分の下に繋ぎ止めたいと思っている。
そうして幾度となく依頼を出し、ガーデン側からもラグナがお得意様として認定された頃から、一層スコールが派遣される回数は多くなった。
二人が血の繋がった親子である事を、ガーデン側の面々───あの時、共に作戦を戦い抜いたメンバー───にも伝えた事もあり、気を利かせてくれているのもあるかも知れない。
お陰でスコールが一度の任務でエスタに滞在する時間も増えている。
一応、指揮官なのに大丈夫なのか、と訊ねてみた事もあったが、スコールは気にした様子はなかった。
元々急に押し付けられただけの立場で、後進の育成も進んでいるし、そもそも自分がいなくてもガーデンは回る、とのこと。
それが本当か嘘か、ラグナには判り兼ねる所だが、取り敢えずはその言葉を信じる事にしている。
時によっては、トータルで月の半分ほど、スコールがエスタで過ごす事もある。
その間にスコールは、ラグナの大統領としての執務を手伝うようになった。
書類の整理やスケジュールの確認など、雑事と言えば雑事だが、彼が手を貸してくれるお陰で、散らかり易かったラグナのデスクは整理整頓が常に保たれるようになった。
お陰で書類の紛失や捜索の回数も激減したとかで、スコールはエスタの執政官たちに随分感謝されているらしい。
実際、ラグナは非常に助かっている。
そんなスコールを見たピエットが、「彼がガーデンを卒業したら、そのままうちに迎えませんか?」と言っていた。
ラグナとしてはそれも吝かではないが、先ずはスコールの意思確認が必要だろうと、この話は保留になっている。
────と、そんな事をつらつらと思い出していると、ラグナの前に一枚の紙が差し出される。
「ん?」
「今日付けの締め切り案件」
「うわ、マジか。間に合う?」
「今日中なら」
書類を受け取り、ラグナは急いで目を通した。
内容は、都市の西部地区にある工場地区の幹線道路の整備について。
締め切りが今日と言うことは、随分前に寄越された話である筈だが、紙の山の中に埋もれていたのだろう。
予算の見積もりや、事業の計画について綴られた文面をよくよく確認しながら、ラグナは各方面への確認を急いだ。
一通りのチェックの後、計画に大きな問題はないと見做し、サインを走らせる。
ペンを放せばすぐにスコールが書類を引き取り、先に読んでいた執政官に書類を渡した。
関係各所への連絡も済ませ、デスクへと戻って来たスコールは、また直ぐに書類の山の仕分けに取り掛かる。
「スコール、ちょっと休んでも良いんだぜ。急ぎの奴もない筈だし」
「今日付けのを今見たばかりだろう。他にも埋もれているかも知れない。念の為だ」
あくまで仕事をしているスタンスを続けるつもりのスコール。
その横顔が、今朝から殆どラグナの顔を見ていない事に、ラグナも気付いている。
(まあ、いつもの事っちゃ、そうなんだけど)
昨夜、あの細身の体を抱いて、ベッドの中で溶け合った。
スコールの方から続きを強請られ、年甲斐もなく張り切ってしまった覚えがある。
……そんな風に睦み合った筈の翌日のスコールは、いつも何処かぎこちない。
彼と接する時間が少ない者は気付かない程度のものだが、彼を欲して已まないラグナは判っている。
単純に疲労感を隠す為だけではない、眼を合わせようとしない彼の秘められた胸の内。
恐らくは、誰にも知られまいとしている筈の彼の望みに合わせて、ラグナは素知らぬ振りを続けている。
適当に紙の山の上から取った書類を見る───振りをして、ラグナはまたスコールを盗み見た。
気配に敏感な彼の事だから、ラグナの煩い視線の事はきっと気付いているだろう。
それでいて何も言わないのは、構う事を面倒臭がっているからか。
いや、とラグナは否定する。
(……後ろ暗い、って所なのかな)
ガーデンで過ごしていた頃の事を、教員としても指導していたと言うキスティスを始め、彼の仲間達から聞く機会には事欠かなかった。
本格的にSeeDになる為の訓練カリキュラムが始まった頃から、彼はめきめきと成績を上げたと言う。
人の輪から意図的に外れている事について、問題児扱いも少なくなかったようだが、座学も実技も成績優秀と謡われた。
今現在、その仕様の難しさから使用者が少ないガンブレードを主武器として愛用しながら、それだけの記録を残せるのだから、その強さは折り紙つきだろう。
頭の回転も早く、作戦など必要事項の暗記も容易に熟せるし、応用力も優れている。
突発的な出来事に対し、一瞬躰が硬直する癖があるが、これは若いから、経験を積んで研磨されて行く事で補われるに違いない。
スコールは名実ともに賢いのだ。
だからきっとスコールは、自分がしている事の罪も理解している。
実の父親と情を交わし合い、肉体関係を持っているのが、決して普通に許される事ではないと。
……スコールの後ろ暗さの理由がそれだけなら、ラグナは気にするなと笑ってやる事が出来る。
同じ罪は自分も持っているし、もしも裁かれる事があるとすれば、それは自分が負うものだとも思う。
まだ幼いと言って良い少年を、自分の下に縛り付けるように堀を埋めたのは、他でもないラグナなのだから。
しかし、スコールの胸中の澱みは、もっと複雑で入り組んだ形になっている。
────ラグナの脳裏に浮かぶのは、二人が明確な情を持ってそれを交わし合うようになってからのこと。
体を重ね合わせた翌日、スコールの態度が分かり易くぎこちなくなったのも、その時だった。
単純に体にかかる負担であったり、それがなくとも何か気に障る事をしたか、とラグナが訊ねてみても、スコールは「なんでもない」の一点張り。
しかし、そうは見えないスコールの表情に、ラグナの心配は募った。
愛しい彼を繋ぎ止めるのはラグナの望みではあったが、スコールが真に望んでいないのなら、無理強いはしたくない。
だが、幾ら聞き出そうとしても頑ななスコールに、ラグナは正面から問う事の無意味さを知った。
其処で気を利かせたのが、キロスとウォードだ。
ラグナの古い友人であり、時に近過ぎる関係となってしまった二人の間に、程好い所でクッションになってくれる彼等。
スコールも、エスタに来る度にさり気無く気遣ってくれる二人に、少なからず懐いている節があった。
そんな二人だから、スコールも本音を零したのだろう。
それを偶然、曲がり角の向こうにいたラグナが聞いていたとも知らずに。
『浮かない顔をしているが、ラグナが君に無理をさせたのかい?辛い事があるのなら、良ければ此方から注意を促す位は出来ると思うのだが、どうかな』
初めにキロスはそう言っていた。
旧友の二人は、ラグナのスコールの関係を、余す事なく知っている。
だからこそ踏み込む事の出来た問いだった。
キロスの言葉に対し、スコールは初めは、何もないと言った。
だが、表情がそうではないと訴えている事を指摘されると、短い沈黙の後、
『……俺はレインの代わりだから』
ラグナが自分を抱いたのは、自分が愛した人の面影を持っていたから。
抱かれる度にそれを思い知って、勝手に落ち込んでいたんだと、スコールは自嘲の滲む声で言った。
────その言葉を聞いた時、ラグナは言葉を喪った。
そんなつもりはない、と飛び出して叫ばなかったのは、ショックの余りに声が出なかったからだ。
だが、後から思い返せば、あの時がそれを伝えられる一番のチャンスだったのだろう。
偶然とはいえ話を立ち聞きしてしまった、その瞬間、その場でこそ、言葉にできるものがあったのではないか。
恐らく、初めて他人に本心を漏らしたであろうスコールに、キロスは重ねて訊いた。
『……君が、母親と似ているから、ラグナは君を抱いたのだ、と?』
『自分の子供と知っていて抱くなんて、そうでもなければ有り得ないだろう。況してや、俺は男だし』
『彼と親子である事を、それを判っていて今の関係になった事を、君は後悔しているのか?』
『……さあ。よく判らない』
キロスの問いに、答えるスコールの声は静かだった。
それから、でも、と挟んで続ける。
『親子だから、ラグナは俺を見てくれる。俺が、ラグナとレインの子供だから。……母親と似ているから』
『それは、聊か見方を穿ち過ぎではないかな?ウォードもそう言っている』
『ラグナはそう言う人間じゃないって?あんた達にとっては、そうかも知れないな』
宥めるように言ったキロスの言葉にも、スコールは動じなかった。
諦めるような声がその音に滲んで、微かに零れた笑みの気配すら、自嘲が混じる。
『別に良いんだ。レインの代わりでも。ラグナがレインの事を今も愛していて、だから俺にその面影を求めてるなら。それで、ラグナがまだ、俺を捕まえててくれるなら』
それで良いんだと、スコールは重ねて言った。
まるで自分に言い聞かせているようだと、そう感じたラグナの耳は間違っていないのだろう。
あれから折々に垣間見える、素っ気ない態度から滲む、声のない声を聴く度に、ラグナの胸の奥が軋みを鳴らす。
────書類に連ねられた事項にチェックを入れていく。
その紙がペンの摩擦でずれないようにと、軽い力で抑える左手。
其処に注がれる視線にラグナが気付いている事を、きっとスコールは気付いていない。
(……指輪、か)
ラグナの左手の薬指に光る、銀色の輪。
遠いあの日、花畑が揺れる小道の途中で彼女と交わした、叶わなかった永遠の証。
今朝から────いや、昨晩から何度となく、スコールの視線は其処に注がれている。
成り行きの流れの中で引き離され、知らない内に喪われていた、温かな温もり。
思い出が減ってしまう事が怖くて、いつまでもその思い出を口にする事も出来ず、ただその指輪を包んで目を閉じる事しか出来ない。
そんな十七年と言う歳月を過ごして尚、ラグナにとって、彼女の存在の欠片は手放す事は出来なかった。
恐らくは、これからも、ずっと。
(レインがいたから、お前がいて。それは、その通りなんだ。そうでなくちゃ、お前は────)
彼女がいたから、スコールがいるのだ。
彼女が命を賭してまで、小さな小さな命をこの世に生み落としてくれたから。
それは間違いのない事実であり、決して忘れてはならないこと。
だからスコールは、苦しんでいる。
自分を産んだ母親に対して、羨望と嫉妬と、忘れてはならない感謝と、その影を利用しながら“父”に“愛”を求める罪悪感を抱えている。
ラグナは、指輪の光る手を握り締めた。
既に其処に在る事が当たり前で、外してしまう瞬間の事が考えられない位、肌に馴染んだ銀色。
それを見る度に、今ラグナが一番の愛情を注いでいる筈の少年は、苦くて痛くて苦しい顔をする。
ラグナが本当に求めているのは、その指輪を共有した筈の人なのだと、思い知って。
(違うんだよ、スコール)
レインの事は今も愛している。
それは生涯、ラグナが死ぬ時まで変わらないだろう。
だが、その面影があるから、スコールを愛している訳ではないのだ。
(お前の事、本当に、愛してるよ)
それは息子としてでもあり、恋人としてでもあり、初心な少年が知らないもっと薄暗くてどす黒い感情だって抱いている。
任務の期間が終われば帰ってしまう彼を、本当は縛り付けて閉じ込めたい、なんて事も考える。
それ程の感情をラグナが持っていると、スコールは知らない。
知っても、きっと彼はまた苦く淋しく笑うのだろう。
ラグナのその感情の根幹にあるのは、二度と逢えない愛しい女性への慕情であると思ったまま。
ラグナが彼女と交わした約束の証を手放さない限り、スコールはラグナの自分への感情が本物であるとは考えないだろう。
頑ななスコールのその思考を溶かすのは、実の所、簡単だ。
スコールがラグナの感情のシンボルとして認識している、銀の輪を外せば良い。
外したからと言って、ラグナのレインへの感情が塵に消える訳ではなく、ただ、目に見える形が喪われるだけの事。
……“それだけ”の事が、ラグナにとっては、重い。
だから寂しがり屋の蒼の瞳は、ラグナの指輪を見ているのだ。
いつか。
いつかスコールに、この感情が本物であると伝えたい。
指輪をしているかどうかなんて気にならない位、スコールの事も心の底から愛しているのだと安心させてやりたい。
そう願いながら、ラグナは自分が一番狡くて酷い人間である事を理解していた。
何故なら、スコールがラグナの言葉を受け入れるその日まで、彼を苦しめ続ける事を意味しているのだから。
『「自分はレインの代わりでしかない」と考えているスコールと、その誤解が指輪をしている限り解けないと理解しながらも、指輪を外すことができなくて悩んで苦しむラグナなラグスコ』のリクを頂きました。
もう諦念に行き付いてしまったから、必要ないと捨てられる以外ならどんな役割でも、って思考を固定してしまったスコール。
自分の気持ちに正直になってたら、大事にしたい筈のスコールを一番苦しめる道を選んでしまってるラグナ。
このスコールは卒業後、結構すんなりラグナの下には来ると思いますが、擦れ違いの溝は埋まらない気がする……
職業柄、目は利く方だ。
手に入れた宝物の審美が必要な事も多いし、情報源である人の本質を見抜く事も求められる。
それは異世界へと召喚されてからも変わらなかった。
足元に落ちている石ころが実は魔力を帯びた鉱石であるとか、目の前にいる人物が敵か味方か、どう言う性格でどんな戦略を取るのか。
そう言う物を見分ける力を、ロックはトレジャーハンターとして培った経験から持っていた。
神の意思で以て、所属する陣営があっちへこっちへと変わる世界。
神のみぞ、と言うよりも、神さえも知らないのではないかと思う事もある、闘争の意思とかいうものに振り回される生活も、段々と慣れて来た。
この世界で結ばれた恋人とも、敵になったり味方になったり、本当にこの世界は気まぐれだ。
敵同士になると愚痴も零したくなる───彼方は案外と切り替えが早いようで、向き合った時には容赦のない一撃をくれる───のだが、今回は運良く同陣営の配属になった。
前回は別れ別れにされたので、その分も取り戻したい気持ちで、ロックは恋人───スコールとよく時間を共にしている。
同じ時間を共有するとは言え、元の世界の形がどうやらかなり違うとあってか、二人の会話は余り長くは続かない。
スコールが元々寡黙な性質で、話しかけられても最低限の返事があれば良い方、と言うのもある。
ロックも最初は間が持たない沈黙に居た堪れない事も多かったが、恋人になる程に深い仲になれば、もう慣れたものだった。
また、スコールの沈黙と言うのは、彼の声が音になっていないだけで、目の中は案外とお喋りなのだ。
だからロックが話しかければ、眼が返事や反応をくれる。
興味がないなら視線は手元の愛剣に落とされたままだが、琴線に触れれば此方を見る。
蒼の瞳は存外と正直者で、興味のあるものを真っ直ぐに見詰めるのだ。
今、スコールのその瞳は、ロックの手元に散らばった鉱石に向けられている。
色も形も統一性なくバラバラのそれは、世界の探索のついでにと拾い集められたものだ。
この異世界では、召喚された戦士達を相手に商売をしているモーグリがいて、そのショップで買い物をする為に、金であったり物であったりが必要になる。
鉱石の類は、換金にも物々交換にも使われるから、各々で気が向いた時にでも、と採取が行われていた。
鉱石はどれでも良いと言う訳ではなく、一定の質か或いは量が必要で、それと等価のギル及び商品と交換する事が出来る。
この為、宝石類を鑑定する目を持つロックやジタン、バッツ、セシルと言った面々は重宝されていた。
「ん~……」
ルビー系を彷彿とさせる赤い鉱石を取り、空に透かして見るロック。
角度を変えながら光の反射具合を確かめ、目を凝らして石の中を観察する。
少し混じりけがあるように見えるが、質としては良い方に入るだろう。
ロックはその石を良質なグループへと加えた。
黙々と作業を続けるロックの隣では、スコールが座ってその様子を観察している。
時折、ロックが仕分けを済ませた石を手に取って、薄明るい太陽に透かして見ていた。
それが自分の真似をする幼子のようで、ロックの口元に笑みを誘う。
「お前も鑑定してみるか?」
「……」
ロックが声をかけると、蒼の瞳が此方へと向く。
引き結ばれた唇の中で、恐らく色々と考えているのだろうしばしの間の後、スコールは首を横に振った。
「あんたがしてるのに、俺がやる意味がない」
「目を磨く練習にはなるぞ。俺やジタン達がいない時、自分で出来れば手間も省ける」
「……良い。俺には必要ないものだ」
スコールのその返答に、まあそうかもな、とロックも思う。
スコールは自身を傭兵と称する。
ロックの世界では、傭兵もそれなりの審美眼が必要である事や、報酬として渡される宝石類を換金する事で生活を賄う者もいるから、損をしない為にそこそこに目を鍛える者もいるが、スコールの世界では物々交換は殆ど存在しないそうだ。
金が世界を十分に巡る位にあると言うことや、その価値が統一され信用されているからだろう。
だからスコールの世界では、鉱石類は加工されるものとして、宝石はその輝きを装飾品として用いられるのが主であると言う。
装飾品については、所謂“贋物”も多く出回っており、天然物の宝石よりも遥かに人目に触れる機会が多く、更にはその質も本物と見劣りしない程にそっくりに作る事が出来るとか。
それじゃあ宝石発掘に精を出してる奴らは損だな、とロックは思ったのだが、意外とそうでもないらしい。
贋物では出せない輝きを求めて本物を求める富豪はいるようで、また逆に希少であるからこその価値の高騰があるそうだ。
一攫千金の博打の類ではあるが、利益が出れば相当な額が入るそうで、それを求めて発掘を生業にしている者もいる。
────いるのだが、そう言う人々の間で成り立つ宝石類の売買に、スコール自身が直接触れるような機会は早々ないので、個人的に鉱石類に興味があるなんてことでもなければ、多くの人間は天然物と人工石の区別も曖昧なようだ。
そう言った背景を考えると、確かにスコールに宝石鑑定の眼は必要ないのかも知れない。
知識は邪魔にはならないから、鑑定のコツなど知って置く事に損はないのだろうが、スコール自身はやはりそこまで興味が持てないようだ。
鉱石と魔石、宝石をグループ分けする程度が判れば十分、とスコールは思っている。
スコールのその価値観を、ロックは無理もないなと思いつつ、
「眺めてると案外面白いものもあるけどな」
「……」
「ほら、これとか」
丁度光に透かして見ていた石を、ロックはスコールに差し出した。
スコールはロックの手の中にある石をしばし見詰めた後、摘まんで空に掲げて見る。
薄く白く濁ったように見える石。
ロックの手にあった時は、そう見えていた石が、光に翳すと白が溶けたように透明になり、中に何かが内包されているのが判った。
正方柱が幾つも重なるように密集し、蒼鈍色の光が反射されている。
ほう、と見入るスコールを、ロックは次の鑑定に取った石を遊ばせながら見て言った。
「珍しいだろ。宝石の中に宝石がある。それも、中にあるのは二つ」
「……二つ?一つの石じゃないのか」
「混じり合ってるんだ。それぞれの特徴が別々に浮き出てる。表面で覆ってるのは多分クォーツだけど、中はフローライトと、いや───うーん、顕微鏡でもあればはっきり判るんだけどな。でも希少なのは確かだぞ」
スコールの手にある鉱石のサイズは、1cmにも満たないものだ。
これで内包された石の種類まで正確に鑑定するには、それなりの機材が必要になる。
しかし、この世界でそんな代物を望める筈もなく、貴重なものであると判れば十分でもあった。
ロックの解説に、ふぅん、とスコールの反応は鈍い。
しかし、瞳はじっと宝石を見詰めており、希少価値からか、彼の興味を惹いたのは確かだろう。
夢中になると眉間の皺が緩んで、幼い輪郭が滲むスコールの横顔に、ロックはくすりと笑みを浮かべて、鑑定作業に戻る。
「お」
手にしていた石をまた光に掲げて見て、ロックの眼が輝いた。
「見ろよ、スコール」
「……?」
呼んでロックがスコールに見せたのは、濃い蒼色を持った石だった。
ロックの手の中で、僅かに角度を変える度、蒼に青に藍にと僅かに色味が変化する。
ちかちかと目の中で反射するその光に、スコールは眩しさを感じて目を擦った。
「…その石がどうかしたのか」
「お前の瞳と同じ色だ」
「は?」
「綺麗な蒼色だよ」
そう言ってロックは、蒼の石を良質にも悪質にも属さない群へと分けた。
これは個人的にロックが気に入った石を、他と混ぜてしまわない為のグループだ。
基本的に鉱石にも宝石にも、特別に思い入れを作らない───何せ鉱石はその類を問わず飯の種であったので、価値が高くとも売る事に抵抗はないのだ───ロックだが、この石だけは別にしようと思った。
誰より愛しい恋人と同じ色をした石なのだから。
バッツにでも頼めば、アクセサリーにでも仕込んで貰えるだろうか。
あいつは器用だよなあ、と思いながら、ロックはまた鑑定作業へと戻った。
ロックがまた集中作業に戻ったので、スコールは再び暇を持て余す。
視線はロックの手元から、その横顔へと向かう。
バッツやティーダ程ではないが、ロックも中々表情が豊かで、朗らかである印象が多い。
その顔が今は真剣そのもので、小さな石の小さな傷も見逃すまいと睨んでいるのが、スコールには少々新鮮な光景だった。
普段の何処か余裕さえ醸し出す朗らかな表情とは違い、じっと一点を睨んでいる横顔に、スコールの胸の奥がゆっくりと鼓動を速めていく。
しかし、ただ見詰めているだけと言うのは、存外と体感時間を長引かせる。
眺めているだけと言うのも段々と退屈になって来て、スコールの眼は他に何かないかと彷徨い、ロックが特別に分けた蒼い宝石へと向けられた。
(……俺、あんな色なのか?)
右手を目元に持って行ってみるが、当然、自分の眼を自分で見る事は不可能だ。
鏡があれば別だが、そんなものは荷物袋に入っていないし、此処には湖もないから自分の顔を見る事は出来ない。
結局、よく判らないまま、スコールの手は元の位置へと下りた。
それからなんとなく、スコールの眼は仕分けを終えた鉱石の群れへと向かう。
本来、鉱石は鉱脈の質に依存して採取されるものが変わる筈だが、この世界ではそれらも混ぜこぜになっている。
大体、発掘作業と関係なく、道端に落ちている石を拾うだけで、多様な質の石が発見されるのだから、理屈や常識に捕らわれて考えるほど無意味だ。
お陰で拾い集められた石は、統一性がないと印象になる程、色も形もバラバラだった。
スコールはその群れの中から、一つ、手に取ってみた。
ちらとロックがそれを見たが、特に何も言われなかったので、スコールも気にせず石を光に翳す。
指先に摘まんだそれを、角度を変えながら眺めた後は、元にあった位置へと戻した。
次はその隣に置かれていた、似た色を持つ石を取って、また光に翳す。
そしてまた元の位置に戻して、また似た色の石を取り……と繰り返すスコールに、ロックは最後の一つの鑑定を終えてから声をかけた。
「何か気になるものでもあるか?欲しいのあったら自分のにしても良いぜ。結構一杯集まったし、一つ二つくらい平気だろ」
「……いや……」
ロックの言葉に、そう言うつもりじゃなかった、とスコールは口籠る。
気にするなとロックは笑ったが、スコールは手元の石に視線を落としつつ、
「……あるんじゃないかと思って、なんとなく見てた」
「ん?何が?欲しいのあるなら探すけど」
「い、や。別に、そう言うのじゃなくて」
言葉の初めが酷く声が小さくて、ロックは聞き取れなかった。
何かを探しているらしい事は判ったので、詳細を尋ねる代わりに提案すると、スコールは首を横に振る。
「あんたと同じ色、ないかと思って」
「俺?」
「……あんたの、瞳」
首を傾げるロックに、スコールは自分の貌が映り込んだヘーゼルカラーの瞳を指す。
ぱちり、と虚を突かれた表情で瞬きをするロックから、スコールは目を逸らし、
「でも、なさそうだ」
「え。そ、そうか?割とよくある色だと思うけどな。黄褐色系の宝石は割と多いし」
ロックの言葉に、スコールは首を横に振る。
「似たような色はあるけど、違う。あんたの瞳の方が、ずっと綺麗な色をしてる」
「そ……そう、か?そんな言われる程じゃないぜ、俺のは」
「自覚がないだけだろ。確かに、眼の色だけで言ったらあんたのそれは珍しくはないのかも知れないけど……俺は、そんな綺麗な色、あんたが初めてだった。他に見た事もない」
スコールの言葉に、それはまた大袈裟だな、とロックは思う。
その傍ら、無性にむず痒くなる鼻頭を掻いた。
スコールの視線はまた一つ、手に取った宝石へと向けられている。
その白い頬がほんのりと赤いのを見付けて、今になって照れているのかと、そう思ったロックの頬も伝染したように赤くなった。
気付かれるのはなんとなく恥ずかしい気がして、ロックはそそくさと隣の恋人から視線を外す。
しかし、そうして視界に入れてしまった蒼い宝石に、また緩んでしまう口元を、考える仕種の振りをして右手で隠した。
(そんな事言ったら、お前だって────お前の方が、よっぽど)
蒼に青に藍に光る石。
石の名や、希少価値はさて置いても、確かにそれは美しかった。
だが、それを見て彷彿とさせる蒼灰色の宝石は、もっと鮮やかで綺麗な色をしている。
職業柄、そして自身の目的もあって、粗悪物も含めて多種多様な宝石を見て来た。
だから光物には眼が慣れているし、故に肥えてもいて、少し貴重なもの位なら驚く事もない。
でも、とロックは思う。
(俺だって初めて見たよ。そんな綺麗な蒼色は)
あんたの眼が綺麗だと、そう言った少年の瞳は、何より誰より美しいのだ。
だからロックは、ずっとずっと、その虜にされている。
『付き合っているロクスコで、お互い「好きだあ…」ってなっている』のリクエストを頂きました。
鉱石とスコールの眼を絡めるネタ好きで何度も書いてしまう……
特に鉱石や宝石に詳しい面子だと、その市場的価値も判っている分、よりスコールの瞳の逸材性に堕ちてるとか好きです。
※倫理的、現実の法に反する描写を含みます
バラムガーデンは傭兵育成機関であり、其処で学んだ知識と技術を使って、卓越した技能を持ち、優秀な成績を収めた者が、『SeeD』となる。
大まかに言えばそう言うものなのだが、最終地点に至るまでには、様々なカリキュラムが組まれていた。
SeeDになる為の試験を受けるには、先ずSeeD候補生と称される所まで辿り着かなくてはならない。
そして候補生になれたとしても、肝心の実施試験を受けるには、その手前に用意された課題をクリアしなくてならなかった。
また、候補生になる為にも課題は用意されており、それは事実上、SeeDとしての適性テストであるとも囁かれていた。
SeeDは金に雇われ、雇用主の求めに応じてその力を振るう。
そう言ったものが恒久的に求められる程度には、この世界は殺伐とした所があった。
更には、それを十代の少年少女が人生の目標のように進路に掲げ、実際にその身を賭して戦場へと赴くと言う、平和な時代であれば批難もあろうと言うものだが、現実として、“傭兵教育機関”であるガーデンは世界で三校に数える程の需要を満たしていた。
入学した若者達の全員が傭兵として巣立つ訳ではないが、多くがその道を歩むか、ガルバディアガーデンからは軍へと引き抜かれる者が多いのは事実である。
故に、其処で学びの日々を過ごす少年少女達は、常にその手に人の命を与奪する可能性と、同時に自身の破滅の未来を持っていた。
それがより現実味のあるものとして直面する事になるのが、“候補生になる為の試験”だった。
15歳になったスコールにも、その日はやって来た。
候補生となる為のテストが始まる当日、未だに詳細が明かされないそれにやきもきしていたスコールの下へ、迎えに来た教員から渡された一枚のプリント。
“候補生試験”の内容は、生徒によって異なり、その詳細は当日まで秘されていると言う噂があったが、あれは嘘ではなかったのだ。
内容は他言無用とされており、緘口令にも近いものが敷かれていて、試験の合否に関わらず、内容を他者に口外すれば、それが発覚した時点で失格とされる。
更には、来年以降のテスト受講も不可となり、事実上、SeeDへの道が閉ざされる事となる。
正SeeDとなった後、依頼内容の守秘が求められる事を考えれば、確かにそれが出来ない者はSeeD資格を持つに適さない、と判断されるのは無理もない───とスコールは思う。
しかし、実際に渡された“試験内容”を見て、スコールは言葉を失った。
(これは……正SeeDがやるべき任務じゃないのか?)
ローブを来た教員が手ずからに持ってきた、“候補生試験”の内容を記したプリント。
一見して授業で渡されるようなプリントと変わらない(敢えてそうしているのかも知れない)代物に綴られるのは、候補生になる為の試験に使うには、余りにも重いもの。
在る国の某と言う人物を暗殺せよ────と、とても候補生にすらなっていない只の一生徒に任せるべきではない内容が書かれていた。
何かの間違いじゃないのか、とそんな気持ちで顔を挙げれば、掘りの深い顔立ちが見える。
細められた双眸に当て嵌められた眼球の、黒々とした眼が、薄ら笑いを浮かべてスコールを見ていた。
「何か質問は?」
「……い、え」
訊ねた教師の言葉に、スコールは辛うじてそれだけを返した。
質問はあった。
これが試験だという事への疑問や混乱は勿論、本当にこれを試験内容と鵜呑みにして良いのか。
他にも候補生試験を受ける生徒はいる筈だが、それらにも同様の試験内容が渡されているのか。
だが、それらの疑念を口に仕掛けた所で、『SeeDは何故と問うなかれ』の言葉がスコールの意識と言葉を飲み込んだ。
其処から導き出された答えだけを返事とすれば、教員は満足げに頷く。
「宜しい。では、これも渡して置こう」
「……これは?」
教員は、長い袖の中に隠すように持っていたものを差し出した。
受け取るとそれはスコールの掌に収まるサイズの小さなアンプルで、中には薄らと色のついた液体が入っている。
なんとなく、首の後ろがちりちりと嫌な感覚を覚えるのを感じながら、正体を求めて訊ねると、また教員は笑みを深め、
「緊張するようであれば、使うと良い」
それだけを答えて、教員は背を向けた。
質問答えになってない───スコールはそう言いたかったが、結局はこれも飲み込んだ。
行くぞ、と言う教員に促される形で、スコールはガンブレードケースを掴んで部屋を出た。
廊下に出ると、スコール同様に候補生試験を受ける為に呼ばれたのであろう、他の生徒達が並んでいた。
教員は後にも一人、生徒の部屋を訪れ、その主を連れ出した後、生徒達を駐車場へと誘導した。
駐車場で生徒達は幾つかのグループに分けられ、それぞれガーデン所有の車両へと乗せられて、移動を開始した。
生徒達は、外の景色も見えない鉄車に揺られながら、各自の試験内容に即した地へと送られる事になっている。
スコールの場合はガルバディアにあるデリングシティであったから、一緒に乗せられた生徒も、恐らくは同様の目的地なのだろう。
同乗している生徒達は、それぞれ個々に散らばるようにして過ごしており、車内は沈黙ばかりが支配している。
重苦しいのは皆が緊張しているからか、それとも、不穏極まりない試験内容の所為か。
スコールと同じ試験内容の者がいるのかは知らないが、仮に皆が同様の内容を持っているのであれば、息が詰まるようなこの空気も無理はないだろう。
(……暗殺……)
スコールは、プリントに綴られていた試験内容を思い出していた。
暗殺の対象の名前は、スコールもニュース番組等で聞いた事がある。
余り詳しく知っている訳ではなかったが、若くして実業家として成功し、新進気鋭のナントカ、と言った異名で呼ばれていた。
成功を妬まれているのか、後ろ暗い事もやって来たのか、何かに影響を齎しそうなので厄介に思われたとか、殺される理由には事欠かないような気はする。
資産家としても名が広がっているようなので、それを狙う輩もいるのかも知れない。
いや、対象の死が求められる理由など、スコールにはどうでも良いのだ。
それは『SeeDは何故と問うなかれ』で終わる話で、スコールに求められるのは任務の内容について思考する事ではなく、それを遂行する力────なのだけれど、
(……人を……殺す。殺さないといけない。ただの、一般人を)
傭兵を目指しているのだから、近い将来に人を殺める可能性がある事は判っていたつもりだ。
SeeDは地域紛争に武力として投入される事もあるし、某かの交渉の時に対抗威力として配置を求められる場合もある。
だから、そう言う場面に乱入して来る人間───敵対する軍人やゲリラ、テロリストなど───を屠る場面がある事も理解していた。
だが、暗殺の対象として挙げられた人物は、戦う力を持っていない一般人だ。
大層な肩書は数あれど、軍に所属している訳でもないし、スコールのように戦う術を学んでいる訳でもないだろう。
そう考えると、途端に喉の奥が冷えたような気がして、スコールは呼吸の仕方が判らなくなった。
(何を、今更。傭兵ってそう言う事だろう。金さえ積まれれば、どんな事でもするって。俺は、そう言うものに、なるって────)
SeeDになる事だけが、スコールが明確に見る事の出来る目標だった。
だからその為に勉強して来たし、良い成績が納められるように、バトルに関しても修練は欠かさなかった。
ようやくその目標が形となって近付いて来たのに、急にこんな悪寒に囚われるなんて、余りにも自分は弱過ぎるのではないか。
詰まる呼吸を正常に戻そうと、スコールは努めて静かに、ゆっくりと呼吸を試みた。
息を吐き、吸って、吐き、吸う。
普段、当たり前にしている筈のその行為が、酷くぎこちない行いのようになって、スコールの額には脂汗が滲んでいた。
(こんな調子じゃ……)
自分の有様に、SeeD適正失格、の文字が頭に浮かぶ。
少しでも呼吸を楽にする術があれば、と歯を食いしばるスコールの脳裏に、ふっと蘇ったものがあった。
(あのアンプル……)
教師から渡されて直ぐに部屋を出たが、あのアンプルはスコールのジャケットの中に入っている。
おもむろにそれを取り出したスコールだったが、密閉容器の中で揺れている液体を見て、冷静な思考が帰って来る。
────緊張するようなら使え、とあの気味の悪い笑みを浮かべた教師は言った。
つまりはそう言う代物なのだろうが、果たしてこれは安全なのだろうか。
いや、そもそも、本当にこれが緊張云々に作用するものなのかも判らないのだ。
正体の分からないものを服用するのは、それこそ迂闊な自殺行為で、SeeDを目指す者が取る行動ではないのでは。
手の中に納まる液体をじっと見つめるスコールの視界に、影が落ちる。
見覚えのある足元と、それを囲うように連なる白いコートの裾を見て、スコールはその持ち主を悟る。
「……サイファー」
「ああ。お前もいるとは、大した偶然だな」
スコールから見て一つ年上で、何故かいつもちょっかいを出してくる男。
一足早く候補生になる権利を得た筈なのに、候補生試験に同乗しているサイファーに、そう言えば落ちたって言ってたか、と一年前の記憶を掘り起こす。
何をして昨年度のサイファーが失格となったのかは知らないが、今年度もこうして試験を受けている辺り、SeeDを目指す資格そのものを剥奪された訳ではないようだ。
どかり、とサイファーはスコールの隣に腰を下ろした。
最近ティンバーで見つけたらしい白コートは、随分と彼のお気に入りになっているようで、いつでも何処に行く時でも着用している。
お陰で最近のサイファーは、ガーデンの何処にいても目立っていて、目撃例が絶えなかった。
よくそんな格好で過ごせるな、とスコールは思うのだが、自己顕示欲の強い男にとっては、他人から少々注目を集める位は大した問題ではないのかも知れない。
サイファーはスコールの手にあるものを見て、フン、と鼻を鳴らす。
「使うのか」
「……?」
「それだよ」
サイファーに指差されて、スコールはアンプルを見た。
どうやらサイファーは、これの正体を知っているらしい。
「……あんた、これ、知ってるのか」
「一応な」
「これ、何なんだ?」
「楽しくなれる便利なオクスリ、だろ」
そう言ったサイファーの口元は、歪な笑みに歪んでいる。
翠の瞳は冷たく光り、刺すような鋭さでスコールを見ていた。
茶化した風のあるサイファーの言葉に、スコールが眉根を寄せていると、サイファーは更に続ける。
「お前、知ってるだろ。お前と同室だった、スイ───なんとかって言う先輩」
「……あの人なら、去年の冬にいなくなった」
「ハッ、そうだろうな」
鼻で笑って見せたサイファーに、スコールは首を傾げる。
サイファーは声を見初めて、スコールの耳元に唇を寄せて言った。
「あの先輩、それ使ったんだよ。去年の候補生試験の時に」
「……え?」
「嘘じゃねえよ。見たからな」
この目で、とサイファーは翡翠の瞳を指して言う。
────スコールと同じ部屋を使っていた、三つ年上の生徒。
単に共同部屋が同じであっただけで、スコールが彼と交流を持った事はなかったが、その人物がある時期から様子が可笑しくなり始めた事は知っていた。
顔を合わせればスコールにも挨拶程度はしてくれる、温和な顔をしていた人物だったのだが、昨年の夏を過ぎた頃から、その表情が歪になっていった。
ブツブツと独り言を言っている事も増え、挨拶も交わさなくなり、他のルームメイト達と口論している場面も目撃されている。
スコールには、彼が何か異常なものに憑りつかれているように見えて、関わり合いになる面倒さを察知し、早々に我関せずの距離を取ったのだが、彼と誰かが口論する声は度々聞こえていた。
それを仲裁する教員の姿もよく見られ、窘められた生徒は、その教師に何処かへと連れていかれていた。
恐らくは説教をされていたのだろうが、かと思ったら、ある日には酷く晴れ晴れとした顔を浮かべて、陽気な挨拶をしてきたりと、その落差がより彼の異常性を際立たせていた。
そして冬休みが始まると言う頃に、彼は忽然と姿を消した。
いつの間にか退学処理が取られ、部屋はすっかり空っぽになり、今では別の生徒がその部屋を使っている。
件の生徒と仲の良かった生徒達が、何処に行ったか、連絡先くらい───と言っていた通り、彼は何処にも行く先を告げずにいなくなってしまったらしい。
まるで蒸発したかのような消え方に、スコールも違和感を持ってはいたが、とは言え、親しい仲ではなかったのだ。
ドアの向こうで怒鳴り合う声がしていたのも迷惑していたし、その原因でもあった人物がいなくなったのは、平穏の再来でもあった。
だからスコールは、件の人物について深く考える事はなかったのだ。
────その人が、昨年の候補生試験の際、アンプルを使用した。
それを見ていたサイファーは、後に起こった寮でのトラブルを聞いて、このアンプルの正体に気付いたのだ。
「あの先輩の試験内容は知らねえ。だが、去年で確か三回目だとか言っていた。もう二回も失敗してるってな。もういい加減、なんとかしてクリアしないと、自分が情けなくてしょうがねえとか」
「………」
「まあ、話は聞こえて来ただけのもんだ。何処まで本当か俺は知らない。でも、そいつを使ったのは確かだ」
「……それで、使った後はどうなったんだ」
「“ゴキゲン”って奴だよ」
言いながらサイファーは、米神の当たりで人差し指をくるりと回す。
ぞ、とスコールの背中に冷たいものが走った。
世の中には、生き物の交感神経を過剰な刺激を齎す代物が存在する。
それは正しく扱えば医療にも使われる薬となるが、僅かでも使い方を誤れば毒となるものだ。
更に、そう言った類は強い依存性や常習性を備えており、一度でも服用すると、手放す事が非常に難しくなってしまう。
だから本来なら厳格に取り締まられるべき代物で、そんなものがガーデン教員から生徒に手ずから渡されるなどあってはならない───筈なのだが、ガーデンは普通の教育機関ではない。
これからスコールが課される“試験内容”然り、そう言った表向きの顔とは全く違う理屈が存在するのだ。
スコールの視線が、もう一度、手の中の小瓶へと向けられる。
サイファーの言葉が全て本当───と言うのは余りにも鵜呑みにしすぎ、だとは思う。
しかしスコールは、まるで人格が変わるように可笑しくなっていた人間を見て来た記憶がある。
(使ったら、楽になるとして。その後の俺は、どうなる?)
スコールの候補生試験は、目的の人物を殺す事でクリアとなる。
方法は定められておらず、どうやって任務を遂行するのか、完全にスコールの裁量に委ねられていた。
即ち、選ぶ手段を間違えれば、目的を果たす事は愚か、犯罪者として捕まるか、それ所かターゲットの反撃を受けて自分が命を落とす事になるかも知れない。
それは机上の授業を受けていた頃、ぼんやりと想像していた以上に恐ろしく、底知れない闇が付きまとう話だった。
あの人当たりの良い顔をしていた先輩生徒も、同じだったのだろうか。
だから二回の失敗を経験し、また同じ轍を踏むまいと、正体の判らない薬物に頼ったのか。
そうして、試験の合格と引き換えに、自分自身を壊して行ってしまったのか。
(俺は─────)
スコールは、壊れるのは嫌だった。
此処にいる自分と言うものを手放したくない。
だが、初めて現実としてまとわりつく“死”と言うものに対し、背筋が冷える感覚は止められなかった。
アンプルを握るスコールの手に力が籠る。
それを横目に見ていたサイファーが、ぽつりと呟く。
「そんなモンを使ったからって、誰も彼もが可笑しくなる訳じゃねえよ」
「………?」
サイファーの言葉は、スコールには理解できないものだった。
件の人物がアンプルの中身を摂取し、その後どうなったのかを見ている筈なのに、まるでそれとこれとは関係ない、と言うようなサイファーの台詞。
どういう事だ、とスコールが視線で問うと、サイファーは吐き捨てるように言った。
「話は単純だ。そいつを使って可笑しくなるか、使わないまま可笑しくなるか」
「…どっちも同じじゃないのか、それは」
「ああ、同じだよ。違うのは、今楽になるか、ずっと楽にならないかってだけだ」
「……」
「お前がどっちを選ぶんだか、多少興味はあったが、……ま、どうでも良い話と言えば、そうだったな」
そう言ってサイファーは、話は終わりだ、と言うかのように腰を上げた。
まだ新しさのあるコートの固さのある裾が広がり、スコールの顔の横でひらひらと揺れる。
薄暗い鉄車の中で、嫌に存在を主張する白と金色の髪を見上げ、スコールは問う。
「……あんたはどっちだ?サイファー」
サイファーは、昨年もこの候補生試験を受けている筈。
あのアンプルが、試験を受ける生徒に須く渡されているのなら、サイファーも受け取った事がある筈だ。
内容物の正体を察した今年はどうだか知らないが、少なくとも昨年は、彼の手元に一度でも届けられているに違いない。
サイファーが昨年の候補生試験を落ちた理由を、スコールは知らない。
平時の訓練授業の時でも、上官とされる教師の命令を無視して単独行動に走るのはよくある光景だったし、実力はあるのにそう言う行いの所為で振るい落とされるのは想像に難くない。
それでも、候補生試験を受けたと言うことは、少なくともSeeDになる為の一歩として、それをクリアしようと言う気概くらいはあったのではないだろうか。
その時に渡されている筈のアンプルは、その中身は、一体何処に。
じっと見つめて問うスコールの視線に、サイファーは「……さあな」と肩を竦めるのみ。
真意の見えないその仕種に、スコールはもう一度問おうとするが、
『間もなく、目的地Aポイントに到着する。下車予定の者は待機しておくように』
アナウンスに完全にタイミングを奪われて、スコールは閉口する。
ガタン、と車が一つ大きな揺れを越えて、道が不安定なものに変わり、揺れが激しくなった。
車内に散り散りに過ごしていた生徒の一部が動き出し、下車の準備を始めている。
スコールも此処で下りる予定になっている為、溜息を吐きながら、ガンブレードケースを抱えた。
ちゃりん、とちいさな音が鳴って、スコールが視線を落とすと、アンプルが転がっている。
落としたそれを拾おうとして、スコールの手が止まった。
(これを拾って、……その後は、どうする?)
問いかけるスコールに、答えは誰からも与えられない。
脳裏に浮かぶ翡翠の瞳が、同じ問いをそっくりそのまま紡いだが、やはり答えは出なかった。
『初めての任務で人を殺すかも知れない、死ぬかも知れない恐怖を紛らわせるために、ガーデンから渡された依存性のある興奮剤を服用するか悩むスコールと、それを察してスコールの判断を聞くサイファー』のリクエストを頂きました。
大分色んな設定を勝手に作って盛りました。闇深いガーデン、結構好きです。ドロドロで。
結局悩んで答えが出ないままのスコールです。
サイファーは恐らく使っていないんじゃないかなあ、と言う願望交じり。自分じゃないものに自分の意思を振り回されること、今後もそれに縛られる可能性があるようなものは御免って言う感じで。そんなものに頼る位なら、自力で感情を捩じ伏せてでもクリアしてやる、って言う。
それに対してスコールの方は、本編開始頃まで不満はあっても基本的には“駒”であろうとしている節がある気がして、それに徹する為に自分の恐怖心やぐるぐる動く思考がマイナスに働くと思ったら、効率を優先するような感覚でそれらを手放す事も有り得そうな。本編開始の時期までには精神的訓練みたいなものでコントロール出来るように努めようとしそうですが、その前には手っ取り早い手段に惹かれる事もあるんじゃないだろうか。と言う妄想でした。
自分の部屋で勉強をした方が静かで集中できる、と言うのは確かにあるのだが、とは言えこの家で全くの静寂が訪れると言うのは少ない。
扉の向こうで幼い弟が呼んでいたり、妹に呼ばれたり、父母がいれば何か手伝いを頼まれたり。
父母はレオンが勉強していれば邪魔をしないようにと気を遣ってくれるが、妹弟の方はまだまだそうはいかない。
最近、妹の方が気を利かせてか、お姉さんらしくするチャンスと思ってか、レオンが勉強している時は「レオンのジャマしちゃダメだよ」とスコールを連れて行く事もあるが、毎回それが上手く行く訳でもなかった。
弟も案外と空気を読めるので、落ち着いている時にはバイバイと手を振って姉と一緒に行ってくれるが、ワガママスイッチが入ると難しい。
そして何より、レオンの方が妹弟達を放って置く事が出来ないのだ。
姿が見えないとそれはそれで気になって、集中できるようで全く出来ない。
それなら、彼等の様子が確認できる場所でノートを開いた方が良い、と至るまでそれ程時間はかからなかった。
この為、レオンは夜───つまりは妹弟が眠ってから───以外はリビングで過ごす事が多い。
ソファの前のローテーブルにノートと教科書を開き、直ぐ近くで遊ぶ妹弟の声を聴きながら、時々二人をちらちらと見ながら宿題を熟す。
偶にかかる呼ぶ声には、顔を上げてひらひらと手を振ってやると、それで弟達は満足してくれる。
泣きじゃくる声でもしなければ、傍にいて、危ない事をしていないか確認するだけで十分なのだから非常に助かっていた。
良い子で過ごしてくれる妹弟には、日々感謝しかない。
子供の声と言うのは得てして甲高いもので、それを苦手に思う人も少なくないらしい。
確かに、癇癪を起こしたエルオーネの大声や、悪いスイッチが入ってしまったスコールの泣き声は中々耳に響くものがある。
それをダブルで貰う羽目になった時には、流石にレオンも泣きたくなるが、そう言う時には母か父が来てくれる。
その後はレオンも少し休憩時間を貰って、一人きりの部屋で休んで、そろそろ落ち着いたかなと言う頃に妹弟の下へ戻っていた。
それ位に、レオンにとって、スコールとエルオーネの声と言うのは耳に馴染んでいる。
いや、体に馴染んでいる、と言っても良いかも知れない。
学校に行っている時以外は、ずっと生活の中にある音だから、意識するしないに関わらず、その声を聴いているのが普通だったからだ。
その声がいつの間にか静かになっている事に気付いて、おや、と顔を上げる。
もう少しで宿題が終わりそうだと集中していた節の事だ。
テーブル横に広げている、子供たちの遊び場として定着したカーペットを見れば、其処に二人の子供が丸くなって転がっていた。
「スコール?エル?」
声をかけてみるが、二人からの反応はない。
ただ、すぅ、すぅ、と規則正しくその小さな肩が上下しているのみ。
最後の課題を終えた問題集を閉じて、レオンは四つ這いで二人の下へ向かった。
向き合う格好で丸くなっている二人の顔をそっと覗き込んでみると、可愛らしい寝顔がある。
親指を吸いながら寝ているスコールと、寝かしつけていたのだろう、左手をスコールの肩に乗せたまますやすやと眠るエルオーネに、レオンの頬が緩んだ。
(起こしちゃ悪いな)
レオンはエルオーネの目元にかかる前髪をそっと避けた。
しかし前髪は空調の風を受けて、またエルオーネの目元に被ってしまう。
そう言えばここは良く当たる、とレオンは天井の隅に設置された空調機を見上げた。
外はうだる暑さの中、この空調のお陰で家の中は頗る快適だが、二人が寝ているこの場所にはその風が直接届くのだ。
レオンは立ち上がると、足音を立てないように、且つ速足でリビングを出た。
自分の部屋に入り、抜け殻の後を残したベッドから、薄手のタオルケットを持ち出す。
リビングに戻るとそれを広げ、眠る二人の体にかけてやった。
(よし)
これなら空調の風が彼等の体を悪戯に冷やす事はないだろう。
ついでにレオンは空調のリモコンも操作して、風向きも調整して置いた。
レオンはスコールとエルオーネの隣に座って、ぐぐ、と伸びをした。
ふう、と息を吐いて天井を仰ぎながら、随分と静かだな、と思う。
母レインは買い物に、父ラグナは近所付合いの食事会に呼ばれて、まだ帰って来ていない。
ラグナはいつ帰るか判らないが、レインは買い物に行った時間から計算して、恐らくもう直ぐ帰って来るだろうとは思うが、今の所は玄関の音も聞こえない。
土日になるからと宿題はいつもより多く出されていたのだが、思いの外早く終わった。
空いた時間をどう過ごそうか、と考えるレオンだが、あまり浮かばない。
こう言う時には、スコールやエルオーネが遊んで構ってと来てくれたから、それの相手をするのが常だった。
しかし今日は二人がよく眠っているので、それもない。
(うーん……)
手持無沙汰な気分で寝返りを打つ。
と、エルオーネがもそもそと身動ぎして、ぱたんと仰向けに転がった。
レオンは二人の周りをぐるぐると回って、それぞれの顔が見える位置を探した。
仰向けになったエルオーネの少し上、斜めの当たりなら、スコールの顔も確認できる。
レオンは其処に横になって、腕を枕に妹弟の寝顔を眺める。
(偶にはこう言うのも良いな)
元気に遊ぶ二人の相手をするのは厭ではない。
けれど、こうして心地良さそうに眠る二人を眺めているのも、レオンは好きなのだ。
勉強も終わった事だし、今日はこのまま、彼らが起きるまで休むとしよう。
そう決めてからしばらく妹弟を眺めていたレオンが、いつの間にか眠ってしまうまで、時間はかからなかった。
近所住まいの人々に声を掛けられ、食事会に誘われるようになってから随分経つ。
ラグナは持ち前の明るさと人懐こさで、参加するようになってから間もなく溶け込んだ。
利発な長男、元気な長女、内気な末っ子の事もよく知られており、妻も買い物中に出逢うといつも挨拶してくれると皆が好かれていた。
その話を人々から聞く事が出来るから、ラグナは食事会に誘われるのは嫌いではない。
しかし食事会が終われば、ラグナは案外と直ぐに帰ってしまう。
時間のある人は、二次会を計画していたりもするそうだが、ラグナは其方はあまり参加しなかった。
長男がしっかり者であるとは言ってもまだまだ子供であるし、長女と末っ子は遊び盛りの甘えたい盛り。
妻だけに面倒を任せるのも心苦しかったし、何よりラグナが休日は家族の顔を見て過ごしたかった。
近所付合いも大事だとは判っているが、やはりラグナにとって優先すべきは家族なのだ。
午後三時を回る頃に、ラグナは家に到着した。
ただいま、といつものように声をかけながら玄関を潜るが、思っていた返事はなく、静寂があるばかり。
誰もいないのかと首を傾げたラグナだったが、足元を見ればきちんと人数分の靴が揃っている。
おや、と思いつつ玄関を上がり、誰かいるものと思ってリビングダイニングの扉を開けると、
「おっ、レイン。ただいま……」
「しーっ……」
ダイニングのテーブルに着いている妻の姿に目を輝かせたラグナであったが、レインはそんなラグナを人差し指を立てて諫めた。
その仕種の意味する所にラグナが口を噤むと、あっち、とレインがその指でテレビのある方向を指差す。
家族の憩いの場となっている其方を見ると、カーペットの上に寝転んでいる子供達の姿があった。
「寝てるのか?」
「皆でね。だから、静かに」
成程、とラグナも納得した。
上着を脱いで椅子の背凭れにかけ、音を立てないようにそっと椅子を引く。
レインと向き合う位置に座れば、レインは改めて小さな声で「お帰り」と言った。
「食事会、どうだった?」
潜めたままの声で訊ねるレインに、うん、とラグナは頷いて、
「楽しかったぜ。シドさんが来ててさ、あっちにもスコールと同じ位の子がいるだろ?サイファー君だっけ」
「うん、スコールと同じ幼稚園の子」
「なんか、よくスコールを泣かせちゃう事で謝られちまって」
「ああ、それ、私もイデアさんから言われたわ。でもほら、一番スコールと遊んでくれるのもサイファー君でしょ?」
「らしいなあ。ケンカもするのに、一番遊び相手に選んでるんだよな。サイファー君もスコールが転んだりすると真っ先に来てくれるみたいだし」
「不思議よね。その前に、スコールがケンカをするって言うのがびっくりだったけど。お互いケガさせたりしてないなら、良いわよ、それで」
小声で交わされる会話の間、レインの視線は何度も子供たちへと向けられていた。
ラグナもそれは同じで、一つ会話を交わす事に、ちらりと瞳が同じ方向へと向けられる。
子供三人、うち二人はまだまだ幼い年齢であるから、我が家はいつでも賑やかだ。
そんな子供たちよりもよく喋るラグナが帰ってくれば尚更で、休日だと言うのにこんなにも静かな一時は珍しい。
しかし、ラグナはこの緩やかな時間に、仄かな幸せを感じていた。
「よく寝てるなぁ」
三人揃ってすやすやと眠る子供達を見て、ラグナはそう呟いた。
レインも、「そうね」と頷いて、そっと席を立つ。
「コーヒーを淹れるけど、飲む?」
「うん」
レインの提案にラグナは頷いた。
カチャ、カチャ、と食器を運ぶ細やかな音すら、ラグナは愛おしい。
キッチンでいつものようにコーヒーを挽く妻を見詰めながら、そう言えばこんな風に彼女の姿だけを眺めるのも久しぶりだと気付く。
我が家は皆が母の事が好きだから、何かあるとお母さんに報告しなきゃと走って行く。
特に甘えん坊のスコールは、レインに抱っこをねだる事も多く、必然的にラグナが妻を独占できる時間と言うのも減っていた。
それは仕方のない事で、皆が母の事を大好きと言って憚らないのも良い事だと思っている。
けれども、ふとした時間にこうして妻の姿だけを眺めていられると言うのは、嬉しいものであった。
ラグナは音を立てないように席を離れると、眠る子供達へ近付いた。
腕枕で妹弟を見守るように寝ているレオンと、大の字になっているエルオーネ、指を吸って丸くなっているスコール。
三人それぞれの寝姿に、性格が出るもんだなあ、と思う。
「んんー……」
「んにゅぅ……」
「……ん……」
エルオーネが半身に寝返りをして、スコールがもぞもぞと身動ぎする。
レオンも小さく体を捩って、腕枕に曲げていた腕が伸びた。
肩の高さの分だけ中途半端に頭が落ちたレオンの首が辛そうで、ラグナはソファのクッションを一つ掴む。
気配に敏感な長男が起きないように、そうっとその頭の下にクッションを挟んだ。
ついでに、とエルオーネとスコールにも、枕代わりにクッションを挟んでおく。
これでよし、とラグナが納得した所で、レインが小さな声で夫を呼んだ。
テーブルに戻れば、二人分のコーヒーが置かれている。
「起こさなかった?」
「セーフ」
三人とも寝心地の良い体勢を探して動きはしたものの、瞼は開かなかった。
余程気持ちの良い夢を見ているのだろう、皆どこか楽しそうな寝顔だ。
ラグナは席に戻って、コーヒーを口に運んだ。
淹れ立ての香ばしい匂いが鼻孔を擽り、ほう、と安堵に似た吐息が漏れる。
レインは温かなカップを両手で包むように持ち、香りを楽しむように目を閉じていた。
「……偶には良いわね。こんな日も」
零れるように呟いたレインの言葉に、ラグナもくすりと笑みが漏れる。
全く同じ事を考えていたと言えば、妻もまた笑う。
何でもない穏やかな光景が、一番の幸福の証なのだろうと、ラグナは思った。
子供たちのお昼寝。
それを見守るパパとママでした。
一番最初に起きるのは、レオンかスコール。
スコールが起きると、気配を感じたかのように、連鎖でレオンとエルオーネも起きるんだと思います。