[16/シドクラ]リキッド・フレーバー
交渉事となると、大抵はシドかカローンの出番である。
このうち、隠れ家に必要な生活物資の類については、多くをカローンに預けている。
それが彼女の隠れ家においての役割であったし、彼女もそれを含めて自身の飯の種としていた。
金のかかる交渉事については元より彼女が強いので、これは非常に助かっている。
シドの方はと言うと、金で話がつかないものが主になる。
特殊な経緯でしか入手できない道具や素材、人脈を辿らなければ得られないもの。
外大陸からの舶来品も、カローンが入手困難な場合は、シドが出張ることになる。
交渉の中身は多岐に渡る。
信用の為に何某を持ってこいだの、どこそこの商会の顔役に面を通せだの、と言った具合だ。
それらに上手く口を合わせ、相手の警戒を削いで気分を良くしながら、隙を誘う。
口で言えば容易い話に聞こえるが、貴族にしろ商人にしろ、日々そうした腹の探り合いをしている者だから、損や危険への鼻が良い。
転がされる振りをしながら相手を転がすのは、そう簡単にはいかない。
交渉内容が賭け事になる場合も多い。
今日のシドの交渉相手は、賭博好きの貴族だった。
ふたつの杯にそれぞれワインと薬水を入れている。
薬水は危険なものではないと貴族は言ったが、何かを仕込んでいることは明らかだ。
それらふたつの杯のうち、ひとつを選び、ただのワインを飲んだらシドの勝ち。
薬水ならば、飲めば喉が妬けるように熱くなるから、結果はすぐに判る、と貴族は言った。
クライヴはその交渉の様子を、ベアラー傭兵として、シドの後ろから見ていた。
杯の中身はクライヴからも見えるが、どちらも濃い赤色をしていて、見た目では区別がつかない。
しかしどちらかひとつは確実に薬液で、その効果については有耶無耶に躱されている。
どうするつもりなのだろう───クライヴが訝しんでいる内に、シドの手は杯を選んでいた。
「こいつを貰おう」
シドは悩む様子もなかった。
まるで最初からこれが正解だとばかりに、躊躇いもなく杯を口に運ぶ。
ごくり、とシドの喉が動いた。
じっとその様子を、クライヴは勿論、貴族も見つめている。
三秒程度、静寂があった。
シドが杯を飲み干して、ふむ、と自身の喉に手を当てている。
その表情を、貴族の緑色の瞳がじろじろと観察していたが、シドはそれに口角を上げて返した。
「賭けはこちらの勝ちだ」
「……仕方あるまい。そちらの要求を呑むとしよう」
貴族の男は、至極残念と言う表情をしながら、そう言った。
上々の結果に、シドはクライヴをちらと見遣って口角を上げる。
仕事をして来い、と無言の指示に、クライヴも傭兵ベアラーらしく、黙してそれに従った。
交渉で得た物資は、夕方のうちに運搬隊に預けることが出来た。
賭けで勝ったお陰で代価は安く済み、滅多に手に入らない舶来の鍛冶道具も手に入った。
ブラックソーンに良い土産ができた、とシドは言った。
荷積みが終わると、運搬隊は隠れ家へと出発したが、シドとクライヴは町に残った。
今日はもう仕事はないが、明日は帰る道中で少し寄り道をしなくてはならない。
次の作戦に予定しているルート中に、大型のリザード種が徘徊しているという情報があり、それを退治するのだ。
今から出ても目的地に着くのは夜───夜目の利くリザードを相手にするのは分が悪い。
一晩休んで体勢を整えてから赴く必要があった。
シドと行動するようになってから、宿に泊まる際には、部屋がひとつあれば十分だった。
ベアラーの為にもう一部屋を取ると言うのも対外的には不自然であるし、シドもクライヴも、手狭な場所で過ごすことに問題は感じない。
一泊とは言え宿部屋代も決して安くはないから、そんなものだ。
───ところが、今日はクライヴの為に部屋が誂えられた。
「何故?」とクライヴ問えば、「空いてたからな」と言う返事だったが、クライヴはそれで納得していない。
シドも納得させるつもりはないようだったが、かと言って、それ以外の説明もしない。
「まあ取り敢えず休め。疲れてるだろ」と、往路の長道を労うように言ったのが、尚更不審を誘っていた。
どうにも譲られる様子がないし、部屋も確かに用意されている。
無駄にするのもどうかとは思うので、一旦は部屋へと入ったクライヴだったが、
(……何か隠してないか?)
どうにも気になって、クライヴはそのまま休む気にはなれなかった。
自分が心配しなければならない相手ではないとは思うが、明日の予定もある。
何もないならそれで良い、と思いつつ、クライヴは一度シドの様子を見に行くことにした。
クライヴたちが来る前に、宿の部屋は疎らに埋まっていた。
廊下に並ぶドアをふたつ通り過ぎて、屋根裏へ続く階段の手前にある扉が、シドの部屋だ。
クライヴはそこを軽くノックした。
「シド。起きてるか」
声をかけてみるが、返事はなかった。
もう眠っているのか、と思ったが、二人がそれぞれ部屋に入ってから、まだ半刻と経っていない。
「シド」
もう一度読んだが、やはり返事はない。
クライヴは少し考えたが、
(……何かあると反って隠しそうだな)
普段は飄々として気さくに喋るのに、急に口が重くなる時がある。
シドはそう言う男だった。
安宿のドアに、施錠などと言う上等なものはない。
クライヴは勝手を承知で、ドアを開けた。
「シド。少し確認したいことがあるんだが────」
敷居を潜りながら言って、そこでクライヴは止まった。
シドは部屋にいた。
ベッドの縁に座って、彼は眉根を寄せてこちらを見ている。
その眼付が少々睨んでいるように尖っているのは、クライヴの気の所為ではないだろう。
なんだってドアを開けたんだ、と言わんばかりの顔がある。
格好を崩すこともなく、シドはベッドに座っている。
その足の間で、シドは膨らんでいるものを握っていた。
何をしていたのかは一目瞭然である。
「……どうして開けるかねえ。返事しなかっただろ」
「……居留守なんて、あんたらしくないと思ったんだ。ただでさえ変だから、やはり何か隠してるんじゃないかと思って……」
「まあ、強ち間違っちゃいないが……」
シドは深々と溜息を吐いて、握っていたものをごそごそと仕舞う。
「取り敢えず、入って良いから、そこは閉めておいてくれ。さすがにプライベートが過ぎる」
「……すまない」
シドの言うことは最もで、クライヴは今更ながらに短い詫びをしつつ、ドアを閉めた。
シドは部屋の隅にある丸椅子を指差した。
ベッドから少し離れた位置にあるそれに、座れ、と言う事だ。
クライヴが素直にそこに腰を下ろすと、シドはベッドに上って、壁に背中を寄り掛からせる。
「今日はそこから近付くなよ。説明はしてやるから、終わったら部屋に戻れ」
「……なんだよ。妙に追い出そうとするんだな、今日は」
いつになく突き放すようなシドの口調に、クライヴは眉根を寄せた。
人が変わっている、とまでは言わないが、何か苛立ちか憔悴のようなものを感じる。
もっと言えば、それを隠す余裕がない程、シドが追い込まれている、と言う風に感じられた。
シドは懐から煙草を取り出して、一本、口に咥えた。
しかし火を点けることはなく、何かを誤魔化すように、歯でそれを噛んでいる。
「賭けで飲んだワインがあるだろう」
「ああ」
「あれなんだがな。実を言うと、ハズレなんだ」
「……はずれ?」
「ワインじゃない方を飲んだんだよ」
シドの言葉に、クライヴは目を丸くした。
「でもあんた、なんともなかったじゃないか」
「はったりさ。全く、質の悪いものを飲ませてくれる。物資の為とは言え、お貴族様の趣味に付き合うもんじゃない」
「一体何を飲んだんだ?」
賭けに使われたものについて、その詳細は説明されなかった。
一体なんだったのかとクライヴが問えば、シドは深々と溜息を吐いて、
「サボテンダーの身の搾り蜜だ。飲んですぐに判った。それもかなり蒸留した、濃いものだろうな」
「……それは、確か───」
「霊験あらたかな、元気にしてくれるマホウの薬だよ。切り身でも大分強いんだが、絞った果汁はもっと強力な上に、即効性・持続性ともに最高級品だ。値段も馬鹿に高い」
「そんなものを飲んで、あんた、大丈夫なのか?」
まるで今にも爆発しそうな言い方をするシドに、クライヴが思わず聞けば、
「大丈夫かと言われれば、まあ……大丈夫ではないな」
「でもあんた、飲んだ時からずっと、何もなさそうにしていたぞ」
「年の功かな。上手く誤魔化されてくれて良かったよ」
疲労感を滲ませて、シドはやれやれと首を振る。
そんな彼の額には、薄らと脂汗のようなものが浮いていた。
「……物の目的がこれだからな。出すものを出せば治まる筈だ。しかし、ちょっと効果が思った以上に強くてな。お前がいちゃ十分できそうにないから、部屋を分けたんだ」
「……そう、なのか」
「お前に相手をして貰うのも、この状態でって言うのは、どうかと思ったからな」
そう言ってクライヴを見るシドは、寄せた眉の端が少し下がっている。
付き合わせるのは悪いと思った、と言葉の変わりに表情が滲んでいる。
その表情に、じわりと苦いものがクライヴの内側に浮かぶ。
クライヴがちらと視線を下げれば、夕日を避けるように奥の壁に寄り掛かるシドの中心部が僅かに覗ける。
立てた片膝で隠されてはいるが、そこがどうなっているのかは、部屋に入った時に見てしまった。
いつになく昂っていたそのシルエットを思い出して、ぞく、としたものがクライヴの背に走る。
(……部屋から出た方が良い。多分、それが正解だ)
しかし、椅子から腰を上げたクライヴの足は、ベッドへと向かう。
足音を聞いたシドが、目尻を釣り上げてクライヴを睨んだ。
「おい、クライヴ」
「別に俺は構わない。普段は俺があんたを付き合わせているんだし。そんなに強い薬なら、一人で抜くんじゃ時間がかかるだけじゃないか」
「……調子が狂ってるんだよ。ハズレを引いた責任くらい、自分で取るさ」
「だからって効率が悪い方を取っても、明日に響くだけだろう」
言いながらクライヴは、外套の留め金を外した。
籠手も外していくクライヴに、シドの目尻に剣呑なものが滲む。
「クライヴ。俺は良いから、お前は部屋に戻れ」
「断る」
「……ああ、まったく……!」
上衣を脱いで、ボトムのベルトも外し始めたクライヴに、シドは吐き捨てるように言って天井を仰いだ。
裸になったクライヴの体重がベッドに乗り、ぎしりと音を立てた。
壁に寄り掛かっている男の下腹部に手を伸ばすと、その手が掴まれる。
直後に、クライヴの躰はぐるんと回って、背中がベッドへと落ちた。
見上げた先に、夕日を受け止める天井があったかと思うと、男の顔が濃い影を映して現れる。
普段はどこか子供を見守るように柔い榛色の瞳が、ぎらつく光を抱いて見下ろしていた。
「忠告しただろう。近付くなって」
「……俺がそれを聞くと言った覚えはない」
「何をするか分からないんだぞ。お前が嫌がるようなことでも───」
「そこまであんたは意地悪くは出来ないさ」
クライヴの返す言葉に、シドは眉間の皺を深くした。
喉の奥で唸る声があって、溜息を吐くと共に、噛みっぱなしにしていた煙草がシーツに落ちる。
火がついていなくて良かったな、とクライヴは呑気なことを思った。
シドは渋い顔でクライヴを見下ろしている。
その首筋に浮いた汗の粒が、喉仏の縁を伝い落ちた。
「お前がどうなっても知らないぞ」
「問題ない」
「明日の仕事は変わらないからな」
「判っている」
全く落ち着いた声で応えてやれば、シドはもう一度、深々と溜息を吐いた。
そうしてようやく、取り繕うものをやめた目が、組み敷いた男を映す。
首筋に落ちてきた唇が、キスではなくて歯を食いこませた瞬間、得も言われぬ興奮がクライヴの背筋を奔る。
熱の匂いは同じなのに、それがいつにない激しさを伴うと、妙に癖になる。
そんな事は、その時はまだ想像もしていないのだった。
『シドがサボテンダーの切り身(または似た効能の何か)を摂取してしまって……なシドクラ』のリクエストを頂きました。
理性と自制の強い人が、のっぴきならずにその辺を飛ばした時の様子と言うのは、大変美味しいものですね。
シドはクライヴに嫌な思い(ベアラー時代のあれこれ)を思い出させるのは本意ではないので、何しでかすか分からない自分とは離して置こうと思った訳ですね。
折角部屋を分けたのに、さっさとそれを無駄にしてくれるクライヴでした。相手がシドだからと言う信用ありき。
そもクライヴが部屋に入ることを許してしまった時点で、シドの負けな気もする。この時には判断力は大分鈍った状態だったんだと思います。