[16/シドクラ]遠い場所にて日常を
世間が長期休暇の時季となれば、シドの会社も例には漏れない。
それぞれの予定・計画の礎ともなる、休日申請が随時届き、事務方はその処理で大わらわである。
できれば希望は叶えてやりたいが、生憎とそうもいかない。
オットーがゴーチェと共にそれを捌いて、可能な限りの希望を通しつつ、全体のスケジュールを調整する。
日取りの交換に応じてくれる者を探し、どうにか都合を変えて貰って詫びを入れつつ、ようやく大方の予定が決まった。
社長であるシドはと言うと、その立場の権限でいつでも休んで構わないことではあるが、彼がいないと回らない案件と言うのも多い。
当人もそれは判っているし、口では自分のずるさを仄めかしながら、その特権を振るうのは好まない質だ。
全体スケジュールが概ね決まってから、彼自身の休みの日取りがつけられた。
それに倣って休む日取りが決まったのが、クライヴである。
先達てまで真っ黒なところで働いていたクライヴだ。
そもそも、休暇申請と言うものを、彼は能動的に利用しない。
体調が思わしくなければ有給休暇を使うことを一考する、と言う程度である。
それが悪い訳ではないのだが、皆が取っている休暇時期の休みを、彼だけ使わないというのも不公平だ。
そんな訳でシドから「公平性の為にお前も休め」と言う、半ば強制の休みが取られることとなった。
日程は、同居しているシドと同じ日で決まった。
シドが勝手に通した話だが、クライヴもそれで反発はしなかった。
かくして二人揃っての休暇が始まり、
「折角だからな。少し遠くへ出かけよう」
そう言ったシドの段取りで、クライヴは彼と共に、避暑地で有名な島へと渡った。
飛行機に乗り、船に揺られてやって来た、群青色の海の中に佇む島。
そこは世界的にも有名なリゾート地として知られた島で、沢山の観光客の憧れの的となっている。
テレビでもよく紹介されるところだから、クライヴも名前は知っている。
海の蒼に映える、真っ白な壁に囲まれた入江の街は、そのコントラストで見栄えが良く、絵葉書でもよく見るものだった。
自宅を朝早くに出発して、島に着いた時には夕刻。
西の海へと沈む夕日が照らす光が、白亜の壁を眩しいオレンジ色に染めていた。
夕餉に誘う匂いや灯りがあちこちて燈る中、入り組む階段迷路を、案内地図を頼りに上へ上へと昇って行く。
中々腰に来る、と苦笑するシドを横目に、クライヴは高台から見える海と島の景色に目を奪われていた。
「ここだ、クライヴ」
「あ───ああ」
名前を呼ばれてクライヴが前を見ると、ホテルの看板を吊るした門がある。
ボタニカルに飾られた門を押し開けると、南洋植物の小庭に迎えられた。
その奥にある扉を開ければ、外観と同じように、白亜色の壁に貝や鱗のオーナメントを飾ったエントランスに迎えられる。
シドが受付で宿泊予約の確認を通し、部屋のキーが渡される。
行こう、と促されて、受付横の階段を登って、奥角の部屋が自分たちの寝床だ。
部屋に入ると、ほう、とクライヴは目を丸くした。
窓から差し込む夕日を取り込んで、部屋の中はオレンジ色と影のシルエットが入り混じっている。
壁が白いから余計な色が混ざらず、虹色の鱗のオーナメントが照明を綺麗に反射させていた。
家具は緩やかな弧を描く曲木で統一され、冷たい印象のあるものはひとつもない。
「良い宿だな」
「ああ。ちょっと奮発した甲斐はあったな」
クライヴの呟きに、シドも満足そうに言って、部屋の隅に荷物を置いた。
クライヴも肩の重石になっていたリュックを下ろす。
きょろきょろと物珍し気に室内を見回すクライヴに、シドはくつりと笑みを浮かべる。
「こう言う場所は初めてか?」
「……そうだな。避暑地の類なら、叔父さんの別荘に邪魔させて貰ったことはあるけど、こういう所じゃなかったし」
言いながらクライヴは、そこここにあるドアを開けてみて回った。
何の設備がどこにあるのか確認もしたかったし、単純に見慣れないので好奇心が勝っていた。
ポットの置かれたミニキッチンに、シャワールームと、トイレ。
どこも白亜色の壁に覆われ、小さな明かり取りの窓もあり、洞窟的だが閉鎖的ではない。
それぞれの部屋には観葉植物も配置され、角の取れたカーブを描くアーチ状の天井が、解放感を演出していた。
寝所とリビングルームも含めて見て回っていると、シドの声が聞こえた。
「クライヴ、こっちに来てみろ。外も悪くないぞ」
外、と言うことは、テラスだろうか。
確か寝室の方に等身大の吐き出し窓があった。
向かって見ると、寝室奥の窓がひとつ、開いている。
夕日の差し込むそこを潜って見ると、小坪程度の広さのテラスがあった。
縁の方でシドが佇み、腰高の壁に寄り掛かって煙草を燻らせている。
テラスからは、海と街と、そして夕日を同時に見ることが出来た。
街は海から内陸に向かって昇り、建物の高さも大きなものはほとんどないから、視界を遮る塊がない。
「これは……すごいな」
「ああ。天気も良いし、海が随分遠くまで見える。ここは当たりだったな」
シドは満足げに笑った。
「ここまで上って来るのはちょいと骨が折れたが」
「そうか?荷物があったから少し疲れたけど、良い運動だろう」
「若いねえ。生憎、こちらは年寄りなんでな」
「それなら低い場所のホテルを取れば良かったのに。宿を選んだのはあんただろう?」
「それじゃこの景色は見れんだろう」
詰まらないことを言ってくれるなと、シドは煙を吐きながら苦笑する。
「お前も気に入りそうな場所を探したんだ」
「それなら、ここで正解だな」
「合格点か?」
「十分」
クライヴの返答に、シドの口角が緩む。
クライヴは柵壁に寄り掛かって、遠くに続く海を見た。
テラスは丁度真南を向き、右側奥にオレンジ色の赤い光が浮いている。
あと小一時間もしないうちに、その光は海と空の境界へ沈んでいくのだろう。
そうなったら、今度は街のあちこちで灯りが燈って、また景色の色が変わるのだ。
海の匂いが風に乗って運ばれてくる。
こんなにも潮風が近い距離を、クライヴは初めて経験していた。
「静かだな」
「ああ。この辺りは小径だらけで、車もほとんどないしな」
「そう言えば、港の近く以外で見なかったな。こうも狭い坂道と階段ばかりでは、無理もないか」
「ちゃんと大きな通りもある筈だが、そっちは通らなかったからな。そっちの方は明日にでも散策してみよう」
シドの言葉に、「ああ、そうだな」とクライヴは言った。
しかし、その眼はじっと海の方へと向けられ、シドの方を見ていない。
オレンジ色に彩られた白い街並みを見つめるクライヴの目は、どこか子供のようだ。
見知らぬ場所に来て、少しの戸惑いと、高揚とが入り混じっている。
透明度の高い青の瞳に、陽光と、遠い海波に反射する光が映り込んで、ちかちかと輝いていた。
シドはその横顔を見つめながら、
(こいつの出を思うと、こんな場所も見慣れたものかと思ってたんだが───いや)
脳裏に浮かんだ想像を、シドはすぐに否定した。
世界的に有名な資産家を出自に持つクライヴだが、その経歴は特殊だ。
本来なら今時分には実家に戻って企業の柱になっている年齢だろうに、彼はつい最近まで、ブラック企業で使い減らされていた。
実家の企業は今は弟が跡目となっている為、兄であるクライヴは放逐された形になる。
実家の母と折り合いが悪いとかで、家を出てからはほとんど帰っていないと言う。
クライヴと母の間のことは、幼い内からずっと続いていることだとか。
母以外とは問題ないそうだが、どうにも自分が家の空気を悪くしていることを感じ取って、帰る足も向かないそうだ。
和気藹々とした家族旅行も、あまり経験したことがないのだろう。
唯一の例外が、クライヴと弟を昔から気に入ってくれている叔父御の下に招かれることだったらしい。
それも山の中の別荘だったらしいから、海を身近に感じることはなかったのだろう。
いつまでも海を見つめて動かないクライヴに、シドはおもむろに手を伸ばす。
癖っ毛の頭をくしゃりと撫でると、ぱちりと丸くなった目がこちらを見た。
「なんだ?」
「別に」
シドは手を離すと、煙草を咥えたまま、部屋の中へと戻った。
クライヴは首を傾げつつ、その後ろをついて来る。
曲木の椅子に腰を下ろして、シドは灰皿を手許に寄せた。
「ここはワインが有名だ。明日、ワイナリーにでも行ってみるか?」
「良いな。近いのか?」
「さてな。まあ、島自体がそんなに大きくはない。行けそうなら歩いて行っても良いし、面倒ならタクシーを捕まえよう」
クライヴもソファに座りながら「そうだな」と頷いた。
それから視線は、壁にかけられた、小鳥の絵が描かれた可愛らしい時計を見る。
「今日のところは、もう夕飯だな。この時間だと、どこも混みそうだが……」
「ホテルの受付で聞いてみるか?」
「宛てもないしな。そうしてみよう。すぐ出るか?」
「こいつが終わるまで待ってくれ」
シドは口元の愛用品を指して言った。
クライヴは眉尻を下げて、しょうがないな、と肩を竦める。
シドは煙草の灰を落としながら、悠々と煙を吐き出した。
「別に焦って出る必要もないだろう。夜が遅くなったって良い。明日はゆっくり起きれば良いからな」
「ゆっくり、か……」
そう言えば休暇なんだった、とクライヴは思い出す。
いつも朝は規則正しく目を覚まし、身嗜みを整えて仕事の準備をしていたが、ここでそんな野暮なことは必要ない。
移動に費やした今日一日は勿論のこと、明日、明後日は休みを満喫すれば良いのだ。
観光だってフリープランだから、いついつにどこそこに行って何を見て、とも決まっていない。
つまり、長々とベッドで午前を潰したところで、何も困ることはないのである。
(明日でも、明後日でも。朝はどうにでもして良いんだ。それなら───)
それなら、いつもよりも、じっくりと。
熱を交える時間を持つことだって、出来るかも知れない。
そんなことを考えて、じんとした感覚が体の奥から滲んでくる。
俄かに熱が昇ってくるのを、クライヴは口元を手で隠して堪えた。
(……何を考えているんだ、俺は。シドは疲れてるだろうに)
今日の単純な移動距離と、ホテルに着くまでの長い坂道とを考えれば、シドは今夜はしっかり休みたいに違いない。
休みだからと、ここがリゾート地だからと、勝手に期待するものではない。
ここには羽根を休める為に来たのであって……とつらつらと、自己説教もどきが頭の中で巡る。
そんな連れ合いの様子を、シドの目はしっかり見ていた。
一人で百面相の真似事をしているクライヴに、シドはくつりと笑って、最後の煙を吐き出す。
短くなった煙草を灰皿に押し付けて、さてと、とシドは椅子を立つ。
「十分休んだ。ぼちぼち行くか」
「あ、ああ」
クライヴは慌てて顔を上げた。
なんでもないように努めて顔を引き締めながら、部屋を出て行くシドを追って、
「ああ、クライヴ」
「なんだ?」
ドアノブを握って振り返ったシドに、クライヴが首を傾げる。
年齢の割に、少し幼い頤をした顔を見て、シドは小さく笑って言った。
「明日なんだがな」
「ああ」
「出掛けるのは昼からでも良いな?」
「それは、別に」
「そうか。じゃあ、今夜は多少、頑張るかな」
それだけ言って、シドはくるりと踵を返した。
部屋を出て行くシドの背中に、クライヴは今日何度目か、ぱちりと目を丸くして立ち尽くす。
今の遣り取りはなんだったのかと、シドの言葉の意味を探して、ぐるぐると頭の中が巡る。
そのうち、それは点と点を結び付け、敏い男に全てを悟られたことを知った。
おい、と紅い顔で声を大きくしたクライヴに、先を行く男の背中は、明らかに笑いを堪えていた。
『現パロシドクラのバカンスか温泉旅行』のリクエストを頂きました。
どこに行かせるのが良いかな~と探しまして、リゾート島に行って貰いました。
シドなら色々考えて、ちょっと非日常感の強い場所で、内装や景色の良いところを惜しまず使いそうだなあと。
クライヴはこだわりはないけど、景色の良い所や、静かに過ごせるところが好きそう。
夕飯の後は、ゆっくりしっぽりしてると思います。