[バツスコ♀]無自覚テンプテーション
夏休みとなれば、敏腕アルバイターのバッツは稼ぎ時である。
だから以前は丸ごとをアルバイトに費やしていたのだが、今年のバッツは違った。
スケジュールをアルバイトで黒塗りにしたのは、夏休みの前半だけで、後半はその半分ほどを空けている。
何故なら、この世で誰よりも愛しくて仕方がない恋人が出来たからだ。
彼女との逢瀬の時間を作る為、アルバイトの日取りは例年よりもぐっと減らしつつ、その間に必要となる資金を一気に稼ぐ為に、掛け持ちで夏休み前半を消費する事にした。
それじゃ前半は恋人を放ったらかしにするではないか、と言われそうだが、これもちゃんと相手には了解済みの事だ。
そもそも、恋人は高校生で、直に受験を控えている事もあり、更には父子二人暮らしと言う環境なので、家事全般も引き受けている為、大学二年生のバッツよりも遥かに忙しい日々を送っている。
夏休みは課題も多く出ると言うので、彼女は前半の内にそれを片付けてしまいたいらしい。
真面目だなあ、とよく夏休み終盤の数日で怒涛の片付けに追われるバッツは思ったのだが、手堅い計画は良いことだ。
況してや、「終わらせておけば、後は気兼ねしないで、あんたに逢えると思うから」なんて言われたら、邪魔をするような真似は言えない。
それならばと寂しさを誤魔化す気持ちもあって、がっつりと夏休み後半に向けた軍資金を貯めようと思ったのだ。
かくして始まった夏休みは、恋人に会えない寂しさはあるものの、後の楽しみを糧に充実している。
繁忙期とあって飲食店類は何処も繁盛しており、この時期ならばと臨時のスタッフにも良い金額の給料を出してくれる所が多い。
これならちょっと遠出も出来そうだよなぁ、とあれこれと夢を膨らませながら、バッツは仕事に精を出していた。
今日は大学の友人であるセシルからの誘いで、その兄が経営している喫茶店を手伝っていた。
中性的にも見える弟に比べ、中々に厳めしい顔をしている兄であるが、二人が営むその喫茶店は、静かで洒落た店だと評判が良かった。
普段は昼は兄一人、夕方以降は授業が終わったセシルも加わって回しているそうだが、世が夏休みとなれば来店客も増えるもので、ランチタイムにウェイターを任せられる人が欲しいと頼まれた。
賄いも出すよ、と言われればバッツが飛び付かない訳もなく、喜んで雇って貰ったのであった。
ほぼ毎日、一週間の昼を其処で過ごし、兄手製の賄いにも舌鼓を打った。
オムライスが美味しくて、恋人にも食べさせてやりたいなあ、と思ったほどだ。
夏休みの後半、彼女の時間が空いてデートが出来たら、連れて来ても良いなあ、とプランの一つに組み込んで置く。
そんな日々を送りながら、今日も今日とて賑やかなランチタイムにフロアを忙しく動き回り、ようやく一息つけるかと言う所で、出入口のベルが新たな来店客を報せた。
「いらっしゃいませー……って、ありゃ?」
来店客を迎える挨拶と共にバッツが其方を見ると、見覚えのある少女が立っていた。
少女はきょろきょろと辺りを見回した後、ウェイターとして客を迎えに出るバッツを見て、ほうと安心したように息を吐く。
来訪した少女は、首の後ろに少し背中にかかる位置まで濃茶色の髪を伸ばしている。
同じ長さにした横髪の隙間には、小さなピアスを嵌めた耳が見えていた。
目元に少しかかる長い前髪の隙間からは、宝石のように蒼い瞳が埋め込まれ、それが言葉以上にお喋りであることをバッツはよく知っている。
服装は、夏の盛りとあってか、トップスは薄手のカーディガンを羽織りつつ、ボトムはホットパンツと言う、彼女にしては開放的な衣装。
すらりと伸びた脚の眩しさに思わず目を奪われそうになりながら、バッツはスコールの前に立った。
「スコールじゃん。どうして此処に?」
「……あんたのアルバイト、此処だって。ティーダが言ってたから」
「会いに来てくれた?」
「……別に。どういう店なのかと思っただけだ」
ぷい、とそっぽを向いたスコールに、バッツはくすくすと笑う。
スコールは、バッツの愛しい愛しい恋人だ。
そしてティーダと言うのは、スコールの幼馴染で、バッツは彼女を通して知り合いになった少年。
更に言うと、ティーダはセシルとも知り合いらしく、恐らくそう言う情報網で、バッツがこの夏休みにセシルの店でアルバイトをする事が、スコールの元まで伝わったのだろう。
取り敢えず、店に来てくれたのなら、客である。
バッツは店内を見回して、窓辺の小さなテーブル席が空いているのを見付けた。
「此処しか空いてないけど、良いかな」
「何処でも良い。あんたの邪魔にならなければ」
「邪魔になんてなんないって」
来てくれて嬉しい、とバッツが言うと、スコールの頬が微かに赤くなる。
椅子を引くと、スコールが其処に座った。
テーブルの端に立てていたメニュー表を取り、開いて見せる。
「なんか食べる?飲み物も結構色々あるぞ」
「飲み物と……何か軽いものがあったら食べたい」
「トーストセットが人気があるぞ。コーヒーか紅茶ならセット内、ジュースはちょっと追加な」
「じゃあ、それ。コーヒーで」
「畏まりましたっと」
バッツはズボンの尻ポケットに入れていたメモに注文の品を走り書きした。
お冷持ってくるよ、と言って席を離れ、カウンター向こうの厨房へ向かう。
「トーストセット、コーヒーで」
「ああ」
「バッツ、お冷入れておいたよ。持って行くだろう?」
「サンキュー、セシル」
厨房を預かっているセシルの兄───ゴルベーザは、直ぐに注文品の準備に取り掛かる。
その傍ら、ミネラルウォーターと氷の入ったグラスを、セシルが差し出してくれた。
バッツがそれを受け取ると、セシルはこそりと声を潜め、
「あの子が例の恋人かい?」
「うん。セシルは会うの初めてだったな」
「会いに来てくれるなんて、可愛い子だね」
セシルの言葉に、「だろ?」とバッツも嬉しくなる。
店の詳細を伝えていた訳でもないから、まさか会いに来てくれるなんて思ってもいなかった。
サプライズはおれの方が得意だと思ってたんだけど、等と言いつつ、ついつい頬が緩むのが抑えられない。
そのまま蕩けた顔になりそうなバッツに、セシルはくつくつと笑って、
「客足も落ち着いてきたし、少しゆっくりして良いよ。トーストセットは僕が持って行くから」
「良いのか?ありがとな」
友人の厚意に、バッツは遠慮なく甘えることにした。
グラスを片手にいそいそとテーブルへと向かう。
スコールは、初めて来た店だからか、少し落ち着かない様子で辺りを見回している。
そんな彼女の前に「お待たせしました」とグラスを置き、テーブルを挟んで反対側の席に座る。
当たり前のように腰を落ち着けたバッツに、スコールはぱちりと目を丸くした後、じろりと睨む表情を浮かべた。
「…なんで座ってるんだ、あんた。仕事中だろう」
「そうだけど、今忙しくないからさ。セシルからゆっくりして良いって言って貰ったし」
セシルってあいつな、とバッツはスコールのずっと後ろで、カウンターに立っている友人を示す。
スコールが身を捻って振り返り、此方を見ていたセシルを見付けて、ぺこりと小さく頭を下げた。
藤色の瞳が和やかそうに細められ、形の良い唇が「ごゆっくり」と言ったのが見えると、スコールは恥ずかしそうに頬を赤らめて、体の向きを戻した。
冷を口に運ぶスコールの額からは、じんわりと汗が滲んでいる。
涼しい屋内に入って尚も汗が止まらない様子から、外は今日も相当暑いなとバッツは悟った。
そんな中にインドア派のスコールが外出するのも珍しい事だ。
本当に、わざわざ来てくれたんだなあ、と、気紛れであっても彼女のその行動が嬉しくて、バッツはついつい頬が緩む。
と、その表情は正面に座るスコールにもしっかりと見えていて、
「……何笑ってるんだ」
「いや、へへへ。何でもないよ」
「………」
スコールは訝しげに眉根を寄せたが、言及して来る事はなかった。
セシルが焼き立てのトーストセットを運んで来たからだ。
黄金の焼き色に、熔けたバターをたっぷりと染み込ませたトーストは、シンプルながらこの店の鉄板メニューである。
頂きます、ときちんと食膳の挨拶をしてから、スコールは火傷しないように指先でトーストを摘まむ。
小さな口で、はくり、と耳の部分を噛んで、もぐもぐとよく噛んでいる内に、蒼の瞳が驚いたように見開かれる。
それからは黙々と食べ進めるスコールに、これは気に入ってくれたな、とバッツは確信した。
スコールが食事をしている間、バッツは久しぶりに見た恋人の私服姿を眺める。
普段のスコールは、シャツやスキニーパンツ等を好んで着用する為、肌の露出が少ない。
それが今日は、シンプルながらに爽やかさを感じさせる白の薄手のカーディガンの下には、オフショルダーのトップス。
首回りがすっきりとしているので、いつも身に着けているシルバーのネックレスが、きらりとさり気無く持ち主の魅力を引き立てる。
ボトムはデニムのホットパンツと、足元はストリングサンダルで、やはりいつになく開放的だ。
────それが、「恋人にサプライズで会いに行くなら、可愛い格好していかなきゃ」と彼女を押した親友のコーディネートだと言う事を、バッツは知らない。
(こう言う格好も可愛いなあ。似合ってる)
物珍しさも合わさりながら、バッツは新鮮な気持ちで愛しい少女を見つめていた。
同時に、ふと、この魅力的な少女が一人で街を歩いていたのだと気付き、俄かに不安が浮かんで来る。
(こんなに可愛いんだもんな。ナンパされたりしてないよな?変な奴等に目をつけられたりとか)
スコールが魅力的な女性であることは、バッツにとって揺るがない事実だ。
そんなスコールが、普段のクールな装いとは全く違う服を着て、一人で街を歩いて来たなんて、余りにも危険ではないだろうか。
この辺りは治安の良い地区ではあるが、そんな場所でも不埒な輩はいるものだ。
途端にバッツはそわそわとしてきて、正面に座っているスコールにもその様子は見えていた。
「……何してるんだ、あんた。仕事が気になるなら、戻れば良いだろ」
「んぁ、いや、そう言う訳じゃないんだけど……」
呆れた表情を浮かべるスコールに、バッツは苦笑いを浮かべる。
「なあ、スコール。この後って、なんか予定あるの?」
「別に……一服しに来てみただけだし、食べ終わったら帰る」
「一人で?」
「当たり前だろ」
一人で来てるんだから、と言うスコールに、だよなあ、とバッツは頬杖をつく。
バッツはうーんと小さく唸り、
「じゃあ、特に用事もないならさ。おれの仕事が終わるまで、此処で待っててくれる?」
ねだる調子でそう言うと、スコールは眉根を寄せてバッツを見る。
いきなり何を言い出すのかと、意図が汲み取れずにいる様子の少女に、バッツは「だってスコール、すごい可愛いから」と言い掛けて、寸での所で飲み込んだ。
それを口にすればこそ、恥ずかしがり屋の彼女は、真っ赤になって今すぐ帰ると言い出すに違いない。
「えーと、まあ、おれもこのバイト終わったあとは暇だからさ」
「夕方のバイトがあるんじゃないのか」
「今日はない。夜は入ってるけど、それまで空いてるんだ。だから、家までお見送りでもさせてくれたら嬉しいな~って」
詰まる所、バッツは今のスコールに、一人で街を歩かせたくないのだ。
この店から彼女の家までは、電車も乗り継がなくてはならない筈だし、その間に彼女に何かあったらと思うと、バッツは気が気でならない。
愛しい彼女を護る為にも、本音は胸にしまっておいて、バッツはさり気無くスコールを送らせては貰えないかと提案した。
バッツの提案はスコールにとっては唐突なもので、どうして急にそんな事を言い出すのだろう、と言う表情を浮かべている。
しかし、両手に包んだコーヒーカップを見下ろすスコールの頬には、微かに朱色が滲んでいる。
「まあ……別に、やる事もないし。別に良いけど」
「ほんとか?」
「でも、あんたの仕事って何時までなんだ。店の邪魔をするのは良くないし、待つなら外で適当に待ってる」
「いや。いやいや、大丈夫だって、此処にいても。だよな、セシル!」
それでは意味がないのだと、バッツは助けを求めるように友人を呼んだ。
遠い席なので話の詳細は聞こえていなかったようで、セシルがことんと首を傾げる。
バッツは急ぎ足にカウンターへ近付いて、
「おれの勤務が終わるまで、スコールに此処にいて貰っても良いかな。送りたいんだ」
「ああ、成程。ふふ、心配してる訳だ」
バッツの申し出の理由を、此方は聡いもので、しっかり汲み取ってくれた。
頼むよ、と懇願するバッツに、セシルはやれやれと肩を竦める。
「良いよ、大丈夫。あと一時間くらいだしね」
「サンキュー、セシル。持つべきものは友達だ」
「調子が良いね。じゃあ、帰る時間までに、洗い物は頼むよ」
「うん」
セシルの言葉に頷いて、バッツはスコールのいるテーブルへと戻った。
スコールは、自分の所為で店に迷惑をかけていないかと、怪訝な表情を浮かべている。
バッツはそんなスコールに、にっかりと笑いかけた。
「大丈夫だってさ。だから此処にいてくれよ、スコール」
「……」
「外は暑いだろ?熱中症にでもなったら大変だしさ」
「……」
「な?」
お願い、と両手を合わせて見せれば、スコールは右へ左へと視線を彷徨わせた。
やがてその瞳は、もう半分程度しか残っていないコーヒーカップへと向けられて、
「……俺は、別に、どっちでも。あんたと一緒にいられるのは……嬉しい、し……」
そう言ったスコールの声は、終わりの方ほど、小さくなって行った。
じわじわと浮かんでいた頬の朱色も濃くなり、首元まで赤くなっているのがよく判る。
変なことを言った、とスコールは真っ赤な顔を俯かせた。
しかし、赤らんだ肌は幾らも隠せはしないし、テーブルの下では、彼女の長い足が忙しく身動ぎしているのが、時折サンダルの爪先がバッツの足先に当たる事で判ってしまった。
バッツは今すぐ目の前の恋人を抱き締めたかったが、流石に人前である。
バッツはテーブルから身を乗り出して、スコールの赤らんだ額にかかる前髪を上げて、其処に触れるだけのキスをした。
彼女がその感触の正体に気付いて顔を上げる前に、席を立って仕事に戻る。
カウンターに向かう足が浮かれている事には気付いていたが、どうしたって抑える事は難しかった。
『バツスコ』のリクと共に、通常スコとにょたスコと迷われていたので、今回は女体化で書かせて頂きました。
このスコールはツンデレするけどバッツの事が凄く好きなんだと思います。
バッツはそんなスコールの気持ちをしっかり理解しているので、スコールが可愛くて仕方がない。
守りたいし独占したいから、一人にするとか気が気じゃないんでしょうね。