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Category: FF
新たな女神に闘争の世界へと召喚されて、幾何か。
それぞれの思惑と思案の末、やはりこの世界でもまた、闘わなければならない事が、戦士達に突き付けられた。
以前ほどには切迫した空気に欠けているが、とかく闘わなくてはこの世界が維持できない上、崩壊すればやはりそれぞれの世界に何が引き起こされるかも判らない、となれば、否応なく剣を取る必要性が見えて来る。
以前ならば味方同士で戦う事は、敵に塩を送るも同然と言うこともあって、少なくとも秩序の陣営に置いては、訓練を除いて刃を向けあう事は先ずなかった。
混沌の軍勢の方は個が強すぎる事もあり、また策謀を主な手段として使う者、それに乗るもの、乗らされる者と入り混じっていた為、案外とそう言う事も少なくはなかったそうだが、それはそれだ。
今回はその枠組みが、ふとした時に入れ替わり立ち代わりとなる為、昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵、となり得ることが多いにある。
実際、スコールも最初こそ秩序の女神の陣営に属しており、多くの戦士が過去の配置と同じ場所に立っていたが、ある日を境にその顔触れはがらりと変わった。
かと思ったらまたある時を境にまたまたがらりと変わるので、今回の闘争の世界と言うのは、以前よりも遥かに曖昧な線引きの中を行ったり来たりしているらしい。
面倒と言えば面倒であったが、以前ならば叶わなかった腕試しのチャンスがあると、妙に息巻いている者もいたりする。
今回のスコールは混沌の陣営に配置された。
スコール以外にも、女神の召喚に呼ばれた者の姿はあり、全体バランスで言えば半々と言った所。
その中に、一際小さなシルエットがある。
スコールは特にそれを気にしていたつもりはなかったのだが、シルエットの方がトコトコと此方に近付いて来た。
「お久しぶりですわね」
「……ああ」
声をかけて来たのは、シャントットである。
彼女は元々、スコールと同じ、秩序の陣営に所属していた人物だ。
それがいつの闘争の事だったのかはスコールには判然としない部分があったが、しかし彼女が一応の味方であったことはぼんやりと覚えている。
その他、過去では個人的にも少々交流があった事も、断片的にではあるが、記憶に残っていた。
初めてこの闘争の世界に喚ばれた際、新たな女神の下に集った時にも、その姿は確認している。
しかし、その後、スコールはこの世界のあらましを探る方向へ、シャントットは下らない遊びには飽きたとばかりに元の世界に戻る方法を探しに向かった為、互いが向き合うことは当分なかった。
そして今、久しぶりに、こうして相対していると言う訳だ。
相変わらず小さいな、と近付いて来る淑女を眺めていたスコールを、シャントットもまたしげしげとした様子で観察している。
「ふむ。一目見た時に少し違和感を感じていたのですけれど、やはり。前よりも魔力の帯が濃いですわね」
シャントットの言葉に、スコールは徐に自分の手を見た。
其処に在るのは、何ら変わらない、見慣れたグローブを嵌めた手だ。
シャントットが言うような、“魔力の帯”とやらは全く意味が判らないが、スコールはなんとなく、そう言われることへの心当たりがあった。
「……ジャンクションしているからだろう。この世界は、前の世界よりも、元の力の影響が強く出るようだから」
「ああ、ジャンクション。そう、貴方の世界にはそんなものがありましたわね」
「お陰でドローも出来る。前はストックを碌に回復させる手段がなかったから、大分楽になった」
「ドローとは、……其方は聞き覚えがありませんわね。いえ、何か書物で見かけたかしら」
「前は使えなかったし、俺もあんたに話した覚えがない。多分本だろう」
以前の闘争の世界では、各自の力はそれぞれの世界の法則にある程度依存しているものの、それを自在に操る事の出来る者は少なかった。
魔法に関しては特にその傾向が強く、スコールは“疑似魔法”として、他の戦士達よりも扱える魔力の力が弱く、戦闘手段としては精々牽制に使う程度しか当てにはならない。
スコール自身もそれを理解しており、且つ自身の持ち場は近接であると自負していた事もあって、魔法を主体にした戦い方はしていない。
しかし、手段として選択の幅を広げる目的もあり、また威力の底上げが出来ればそれも十分良い事なので、一時期、魔法のエキスパートと言えるシャントットに師事を請うていた事がある。
その折、シャントットも魔法を研究する人間として、他の世界の魔法の様式というものに興味を示し、スコールに魔法の使い方を教える傍ら、彼から独特の成り立ちを持つ”疑似魔法”について情報を得ていた。
シャントットはふぅむ、と丸い顎に手を当てて考える仕草を取る。
スコールはその場に立ち尽くしたまま、シャントットが次に何か聞いて来るであろうことを予想しながら、頭の中を動かす。
「……以前もジャンクションはしていたのかしら」
「恐らくは、していた。ただ、前は碌に記憶がなかったし、そう言う意味でもジャンクションの効果を万全に引きだせていたとは思えない」
「ジャンクションは魔法の威力にも影響するものなんですの?」
「そう言う作用もある。ジャンクションは言わば身体強化だ。魔力に干渉する量も、これで底上げは出来る」
「ドーピングのような使い方が出来る訳ですわね」
成程、とシャントットは頷く。
どんぐりのように丸い目の中で、心なしか瞳孔が尖ったように見える。
頭の中で組み立てたものを整理しているのだろう、となると此処で下手に声をかけるのは邪魔をする事になる。
スコールはまたしばしの間、立ち尽くしてシャントットの様子をじっと見つめるに務めた。
それから数分が過ぎたか、シャントットが一つ息を吐いた。
整理整頓が終わったと見做して、スコールはようやく声をかける。
「あんた、少し良いか」
「何かしら。五分程度なら構いませんわよ」
暇ではありませんので、としっかり有限を釘にして来るシャントットに、スコールは判っていると頷いた。
「前にあんたから魔法に関して色々と教えて貰っただろう」
「ええ、そんな事もしていましたわね」
「また同じように教わる事は出来るか?」
スコールの言葉に、シャントットは「あら」と微かに目を丸くする。
そして双眸がすうと細くなり、笑みを孕む。
「そんなにも私の講義が気に入ったんですの?」
「……有意義だった」
正直に感想を述べるスコールに、シャントットは機嫌を良くしてふふふと笑う。
細めた眼が聊か凶悪そうに見えてしまうのは、この淑女が“悪魔”の異名を持っている事を知っているからだろうか。
それでも、スコールにとって、元の世界で魔法の授業を受けるよりも、遥かに厚みのある知識で教鞭を取ってくれていた事は事実であった。
「同じ陣営にいる時、それであんたの手が空いている時で良い。今回の闘争は、どうも敵味方が固定されていないし、あんたとやり合う事もあるだろう」
「そうですわね。敵に懇切丁寧な授業をする程、私も甘くはありませんことよ。いつ味方が敵になるか判らない事を思えば、こうして同じ側にいる間であっても、同じ事は言えるけれど」
「……そうだな」
傭兵であるスコールにとって、敵味方が安易に引っ繰り返ると言うのは、珍しい事ではない。
雇い主が変われば、嘗ての戦友でも同胞でも、切り結ぶのは必然であると知っているからだ。
だからこそ、シャントットがスコールに特訓をつけるのは、必ずしも彼女にとって有益ではないことも判る。
シャントットとスコールが同じ陣営に揃っている間、味方でいる内は、有用な戦力補強になるだろう。
しかしそうして力を付けた後、所属する陣営の配置が変われば、今度は敵になる。
力を付けた敵など面倒なものでしかない訳だから、そのデメリットと、シャントットの手間を思えば、彼女が今回の提案を頷くとは言い難い。
───と、スコールは思っていたのだが、
「まあ良いでしょう。取り敢えずは、暇な時にでも、また色々と調べさせて貰いますわね」
「……良いのか」
案外とすんなりと承諾の返事が出て来た事に、スコールは目を丸くした。
シャントットは暇を潰すように、コツコツと靴音を鳴らしながら、スコールの周りをくるりと回る。
いつかもこうやって、思いの外すんなりと受諾されたことに驚いたなといつかの記憶を辿るスコール。
その周囲を歩きながら、シャントットは快諾の理由を述べる。
「貴方の扱う”疑似魔法”について、以前授業をしていた時は、結局然したる進展もしなかったし。消化不良なんですのよ。続きが出来るのなら、私としても得られるものがありますわ」
「………」
「貴方自身が元の世界の記憶を持っている事、ジャンクションとやらを適切に扱える事、……以前と条件も違うなら、採れるデータも変わるでしょうし。この世界と以前の世界と、神も代替わりをした。影響の違いを比較できるとすれば、この世界の仕組みを明かす一縷になるかも知れませんわ」
「つまり、あんたの研究にとっても、多少のメリットがある、と」
「使えるデータが揃えばの話ですけれど」
今は何事も仮説でしかない、とシャントットは言った。
それを明確な説として裏付けをする為にも、様々な情報は必要となる。
何処まで行っても、シャントットは研究者気質なのだろう。
彼女の興味の行き付く先を思えば、それはスコールや他の戦士達にとっても有益なものにもなり得る。
情報提供に応じてくれるかはさて置くとしても、この世界の仕組みを理論的に解き明かす事に積極的に動いてくれる事は、有り難い事とも言えた。
シャントットは一頻りスコールの立ち姿を観察して、一先ず満足したように背を向ける。
「私が暇でないのは勿論だけれど、貴方も決して暇ではないでしょう。適当に予定を組む必要がありますわね。戦闘に行く機会が決まっているなら楽だけど───」
「……神様の気紛れだからな」
「全く勝手ですこと。こんな世界だからこそ、色々と調べられるのは悪くありませんけれど、こっちの都合を考えてほしいものですわ」
「……そうだな」
本当にそうしたら、あんたは闘いに応じないだろう───と思いつつ、スコールはそれを飲み込んだ。
スコールとて、傭兵として闘うことそのものは構わないまでも、此方の都合を無視して急に召喚してくれる神々には聊か業も煮えているのだ。
文句を言って帰れるものでもないので言わないが、歯に衣着せぬシャントットの物言いには、多少なり胸がすくものもある。
今ばかりは同調を口にしても良かろうと、スコールは彼女の言葉に頷いた。
その数秒後、ふと思い出したようにシャントットが言った。
「それはそれとして。授業をするなら、授業料が必要ですわね」
シャントットの言葉にスコールは一瞬眉根を寄せるが、確かに以前も授業料は払っていた、と思い出す。
金銭の類ではないが、彼女の時間を占有する代価として、研究データや情報の提供の他、スコールは少々の雑事を引き受けていた。
彼女が研究の合間に嗜んでいた茶葉の調達や、摘まめる菓子類を届けたり、休息の為の茶を淹れたりと言う具合だ。
しかし、この世界で果たしてそれらは必要だろうか。
以前の闘争では、秩序の陣営は一つ屋敷を拠点としていたが、シャントットは自身の研究に没頭する為、離れ小島の洞窟に住んでいた。
だから物資の補給などは聊か面倒なこともあり、それを授業の為に通うスコールが行くついでにと調達していたのだ。
しかし今回の闘争では、秩序、混沌の陣営共に、今回は塔のようなものが拠点として出現しており、どちらで過ごすにしても、それなりの利便性は整えられている。
わざわざスコールが準備に赴かなくても、シャントットが自分でモーグリショップに行く事も出来るだろう。
頼み事をするのなら、代価は必要だ。
それを渡して置いた方が、スコールとしても気兼ねなく時間を占有させて貰う事が出来る。
となると何から出せば良いか、と考えていると、それはシャントットの方から掲示された。
「授業の日は貴方がお茶を淹れなさいな。それに合うお菓子も添えてね」
「……そんな事で良いのか」
「下手な淹れ方をしたら千切りますわよ」
他愛もない事で良いのかと思っていたら、存外と強いプレッシャーをかけられた。
その言葉が冗談で笑えない事を知っているスコールは、眉根に深い皺を刻みつつ、「……了解」と返す。
相変わらず、察しと表向きの態度は良い生徒に、シャントットの喉がくつりと笑うのだった。
11月8日と言う事で、久しぶりにシャントット×スコールです。
闘争の世界での授業風景の続きを、NT軸でも続けてたら私が嬉しいなと言う話。
スコールからすると、新たな世界でも、やはり魔法に関してはシャントットだろうと(ヤ・シュトラの事はよく判らないし)。
シャントットもスコールと過ごす授業や、その合間の休憩時間が存外気に入っていたって言う。
将来的にウォルスコになる二人
スコールとウォーリア・オブ・ライトが出逢ったのは、スコールが5歳、ウォーリアが10歳の時のこと。
スコールの家族が暮らしていた家の隣に、ウォーリアが養母であるコスモスと共に引っ越してきたのが始まりだ。
ご近所さんへの挨拶はきちんとね、と微笑む母に連れられて、ウォーリアは近所住まいの人々へ挨拶をして回った。
皆新しい住人を歓迎してくれ、何か困った事があれば声をかけて、と優しく笑いかけてくれる。
まだ子供のウォーリアに対しても、賢そうでしっかりした子だと、そう言ってくれた。
挨拶に行った時は平日の昼間だったので、子供たちは学校なり幼稚園なりと行っているのが殆どだったのだが、スコールは違った。
彼はとても人見知りの激しい所があって、保育園に中々馴染めず、母の下を離れることをとても嫌がった。
この為、母がどうしても忙しくなる時以外は、家で過ごすことにしているそうで、このお陰でウォーリアが母と共に挨拶に周った時に顔を合わせる事になったのだ。
その時、彼は母の腕にしっかと抱かれていて、ウォーリアとはあまり目を合わせる事も出来なかった。
ウォーリアも幼いながらに、自分が怖がられる事があるらしいとは自覚していたので、幼い子供は嫌いではなかったが、あまり怯えさせては可哀想だと、意識して彼の方を注視しないようにしていた。
────が。
初めて出逢ったその翌日から、ウォーリアは折々に、ひしひしとした視線を感じるようになった。
学校に行く時、帰る時、家で夕飯を食べている時など、それはふとした時に感じられる。
何か悪意があるようなものではないから、ウォーリアは始めこそ深く気にしてはいなかったのだが、何度も感じるとなると、流石にいつまでも無視は出来ない。
だから、その視線を何度も感じるようになってから程無く、ウォーリアはその正体を確かめようと思った。
かくしてその正体はあっという間に判明するのだが、それはそれでウォーリアを困らせた。
正体の方はきっとウォーリアを困らせるつもりはないのだろうが、何と言って出たものかと、まだまだ人生経験の浅いウォーリアには難しい課題が浮上して来たのだ。
相手を捕まえるのは恐らく簡単ではあるのだが、それをするのは聊か躊躇うものがある。
かと言って、いつまでもこのままと言うのは、少しばかり気になり過ぎる位に視線が強くなっていて、それはそれでどうしたものかと思ったのだ。
相手に悪意と言うのはきっとないだろうから、それが尚更、ウォーリアを戸惑わせていた。
今日も学校帰りのとある場所で、ウォーリアはひしっとした視線を感じた。
進む方向から感じるそれは、向かう先にある物陰からで、そこを通り過ぎると今度は背中から視線を感じる事になる。
今日もきっと、ウォーリアが家に入るまで、その視線はじっとついて来る事だろう。
ウォーリアは努めて前を向いて歩きながら、ほんの一瞬、視線の下をちらりと見た。
「………」
「……」
じい、と見つめる蒼色の宝石。
それは、ウォーリアの家の隣家を囲う門柱の陰から覗いていた。
表札を掲げた門柱の傍らには、小さな子供がちょこんと座り込んでいる。
恐らくは、身を低くして小さくして、隠れているつもりなのだろう。
それがウォーリアが最寄の角を曲がってきた所からずっと向けられている、ひしひしとした視線の正体だ。
彼は毎日のように、ウォーリアが小学校から帰って来る時間に、ああして門柱の陰に座っている。
どうしてそんな事をしているのかは判らないが、ウォーリアもすっかりその影を見慣れてしまう位には、決まった光景になっていた。
最近はウォーリアの方も、その視線を感じると、今日もあの子が其処にいる、と思うようになった。
そして、門柱の傍を通り過ぎるほんの一瞬、ちらりと其処にいる子供の姿を確かめるのが癖になりつつある。
毎日ああして同じ場所にいるものだから、声をかけてみようか、と思ったことはある。
けれども、ウォーリアが視線を其方に向けようとすると、彼は素早くその気配を察知して、ぴゅっと隠れてしまうのだ。
それを見ると、やっぱり怖がられているのかも知れない、とウォーリアは思う。
怖い人が通って来るから、家の中に入って来ないか心配で、じっと覗きながら監視している───そう思うと、視線の意味も納得できる気がした。
決して子供が嫌いではないウォーリアにとって、怖がられる事は少しばかり寂しいものがあったが、小さな子供にそれを言っても仕方がない。
ウォーリア自身、子供と率先した話が出来る性質ではなかったし、最近身長が伸び始めた事もあって、小さな子供からは威圧的に見えるのかも知れない。
それなら出来るだけ、これ以上怖がられる事のないようにしよう、と言うのが、若干10歳の精一杯の幼子への気遣いだった。
そうして今日もいつものように、視線だけを感じながら、家へと向かう────筈だったのだが、
「こらっ、スコール」
「ひゃうっ」
子供を叱る声は、門柱の向こうから聞こえた。
あれは、あの子供の母親のものだ。
「またそんな所に座り込んで」
「あう……お、おかあさ……」
「今日はお話してみるんじゃなかったの?」
「ん、ん……んむぅ……」
聞こえる会話が気になって、ウォーリアは足を止める。
隣接する自分の家の門まではあと少しと言う距離だったが、それより隣家の様子が気になった。
振り返ってじっと立ち尽くしていると、門扉が開いて、ロングヘアの女性が如雨露を片手に出て来る。
ブーツカットのジーンズを履いている彼女の傍らに、隠れるようにきゅうっとしがみつく子供の姿があった。
「こんにちは、ウォーリアくん」
「こんにちは」
挨拶をされたので、ウォーリアはぺこりと頭を下げて返事をした。
相変わらず礼儀正しい少年に、女性はにこりと微笑む。
そして女性は、自分の腰元にくっついている子供を見て、もう、と眉尻を下げた。
「ほら、スコール」
「んぅぅ……」
「お話してみたいって言ってたでしょ。はいっ」
ぽん、と母は息子の背を押した。
子供───スコールはいやいやと母の腕に縋ろうとするが、母は優しくも厳しかった。
「お花に水を挙げて来るからね」と言って、彼女は庭を囲う塀を飾る花の方へと行ってしまう。
残された子供は、縋るものをなくした手で、自分の服の裾を目一杯に握っていた。
おろおろと立ち尽くすその様子に、同じく取り残されたような形になっていたウォーリアも、これはどうすれば、と戸惑う。
目を合わせればいつも隠れてしまう子供が、隠れる場所のない所に連れ出されてきたのは、これが初めての事だった。
親が傍にいる時でも、会話らしい会話をした事がなかったので、ウォーリアも尚更、どうして良いのか判らない。
ウォーリアはしばらく考えた末に、取り敢えず、
「……こんにちは、スコール」
「!……こ、……こんにちわ……」
挨拶をしてみると、スコールはびくっと肩を縮こまらせたが、もじもじとしつつもなんとか返事をしてくれた。
泣かせてしまったらどうしようと思ったウォーリアだったが、なんとか其処はクリアしたらしいと、こっそりとほっと安堵する。
しかし、其処から先が続かない。
スコールはすっかり固くなって、足元をじっと見ながら、時々ちらっとウォーリアの方を見る。
小さな口は何かを探すようにもこもことしていたが、中々形のあるものは出て来そうになかった。
ウォーリアは別段短気な性格ではないから、幾らでも彼の次の行動を待つ事が出来たが、
「ん、んむ……あう……」
「……」
「……あう~……おかぁさん~……」
じっと待ち続けるウォーリアに対して、スコールの方は苦しくて仕方がなかったのだろう。
ぐすぐすと母を呼んで泣き出したスコールに、ウォーリアは目を丸くして、慌てて駆け寄る。
鞄に入れていたハンカチを取り出して、それが清潔であることを確認してから、幼子の前にしゃがんで、もう涙でびしょびしょになっている顔を拭いてやった。
「ふえ……えう……ひっく……?」
しゃくり上げていたスコールだったが、目元を何度も優しく振れる感触に気付いて、薄く目を開ける。
其処でようやく、アイスブルーとキトゥン・ブルーが真っ直ぐに重なって、
「ふきゃっ」
「……?」
引っ繰り返ったような声をあげたスコールに、ウォーリアはぱちりと瞬きする。
スコールは自分から出た声に気付いて、慌てた顔で両手で口を覆った。
顔の赤身は泣いてしまった所為もあるのだろうが、目尻の涙はいつの間にか引っ込んでいる。
それでも、大丈夫だろうか、と心配する気持ちからウォーリアがじっと見詰めていると、
「ん、あ、あう……」
「大丈夫か?」
「……おかあさんんー!」
覚束ない様子のスコールに、ウォーリアが努めて小さく潜めた声で訊ねると、スコールは今度こそ母に向かって駆けだした。
逃げるように母の下へ向かったスコールは、今度こそ離れまいとばかりにしっかりとその足にしがみ付く。
息子のその行動に、母レインはやれやれと溜息を吐いて、ウォーリアへと向き直った。
「ごめんね、ウォーリアくん。びっくりさせたでしょう」
「……いえ。此方が怖がらせてしまったんだと思うので、その……」
逃げて行った子供の行動の理由を想像して、嫌な思いをさせたならと謝ろうとしたウォーリアだったが、
「ああ、ううん、違うのよ。ごめんね、そう言う事じゃないの」
先んじてレインにそう言われて、ウォーリアはことんと首を傾げる。
小さな子供が泣いて嫌がるのなら、やはり怖い目に遭っただとか、嫌な思いをしたからではないか。
ウォーリアは彼に何もしてはいないが、醸し出す雰囲気か何かが彼の琴線に触れたなら仕方ない───と言うウォーリアの想像は、どうやら子供の母曰く違うらしい。
レインは後ろに隠れようとするスコールを、もう一度やんわりと背を押して、ウォーリアに向かい合うように立たせる。
スコールは後ろ手で母の腕を捕まえていて、その手を引っ張って隠れようとしていた。
「スコールね、君の事が大好きなの。本当よ」
「……?」
「うん、判らなかったわよね。この子、すぐに隠れてしまうんだもの。自分はあんなに見てるくせにね」
「おかあさん!」
母の言葉を遮るように、スコールが大きな声を出す。
いつも縮こまっているスコールしか見ていなかったウォーリアは、そんな声も出せるのか、と初めて知った。
母はと言うと、息子の様子は見慣れたものと、隠れたがるスコールを好きにさせながら続ける。
「君と初めて会った時から、気になって仕方がなかったみたい。学校が終わったら、君は必ずうちの前を通って家に帰るでしょう。毎日毎日、帰って来る君を見たくて、あそこで待ってたのよ」
「やあ!」
「やーじゃないの。恥ずかしがって自分で言わないからでしょう。ウォルお兄ちゃん、困ってたじゃない」
「んんぅぅ」
言っちゃ駄目、とスコールはレインの口を塞ごうとするが、手強い母は小さな手を捕まえてしまう。
地団駄をする子供は顔を真っ赤にしていて、怒っていると言うより、恥ずかしがっているのがよく判る。
やだやだと一所懸命に首を横に振って抗議していたスコールだが、はっと我に返ると、ウォーリアの方を見た。
ぱっちりと目が合うと、スコールは耳の先まで真っ赤になって、隠れるようにレインの後ろに回り込む。
もう隠しようがなくなった息子の様子に、レインはくすくすと笑いながら、ウォーリアに言った。
「なんでもね、君がとても綺麗だから、ずっと見ていたいんですって」
「……ずっと」
「学校に行く時と、帰って来る時と……夕飯の時もかな。君の家のリビングかな、カーテンが開いてると、二階からちょっと見えるのよ。よそのお家を覗くのは止めなさいって言ってるんだけど……」
ごめんね、と眉尻を下げて詫びるレインに、ウォーリアは首を横に振った。
よく感じる視線はそれだったのか、と得心が行くと、ウォーリアは子供の行動をすんなりと受け入れた。
寧ろ、いつも彼に見られていたのだと思うと、何か変な行動は、がっかりさせるようなことはしていなかったかと、知らず背筋を伸ばす気持ちになる。
母の背に隠れていたスコールが、そろそろと顔を上げる。
あまり外遊びが好きではないのか、彼の肌は頬も腕も白い印象だったが、今日はぽかぽかと火照っている。
蒼の瞳がうるうるとしていたが、その目はちら、ちら、とウォーリアの方を何度も覗いていた。
目を合わるのは恥ずかしいけれど、見ていたい、と言う息子の様子に、レインはチョコレート色の髪を撫でながら、
「スコールは、ウォーリアくんのどこが綺麗だって言ってたっけ」
「んぅ……」
「えーと……髪の色だったかな。きらきらしていて、綺麗だって」
「……ふにゅ……」
レインの言葉は当たりだったようで、スコールは恥ずかしそうに紅い顔を手で隠して俯いてしまう。
ウォーリアの右手が、自身の首元にかかる銀糸に絡まる。
今まで特に気にもしていなかった自分の髪が、小さな子供の興味を引いた。
それが何故だか、無性にくすぐったい気がして、ウォーリアは髪の毛先を緩く握っていた。
そんなウォーリアを、スコールは指の隙間からちらりと見て、
「……んと……」
「うん?」
ぽそりと小さな呟きを聞き逃さなかったのは、レインだ。
なあに、と母が優しい声で訊ねてみると、スコールはそうっと顔を上げ、
「かみも……きれい、だけど……」
「うん」
「……おめめ、も……きらきら、きれいなの、……すき」
そう言って、ウォーリアを映す瞳は、まるで宝石のように大きくて、透き通っている。
前髪が薄いカーテンを引いても、誤魔化す事の出来ない澄んだ輝きが真っ直ぐにウォーリアのそれと交わったのは、これが初めての事だ。
その瞬間、ことん、と何かが自分の中に落ちる音を、ウォーリアは確かに聞いた。
初恋に落ちました。
88の日リクにて、『学生WoLと子スコのほっこり』で書いたのですが、冷静に考えるとWoLの年齢が低過ぎたと気付き(遅)。
これは学生ではなくて児童だ。
でも話は結構気に入っていたので、折角なので。
今日は飲みになるだろうから、と言ったレオンに、おう、とジェクトは応えた。
対するジェクトはと言うと、今日は誰に誘われることもなかったし、自身も飲み歩こうと言う気分ではなかったので、家に帰って適当に残り物でも摘まむ事にした。
普段、ジェクトの食事管理を一任されているレオンであるが、毎日の全てをジェクトの為に捧げている訳ではない。
時には自分自身の時間も必要だし、またレオン独自の情報網として、同じマネージャー業を主とした業界界隈の付き合いを優先させる場合もある。
情報収集に関しては、結果としてはジェクトの為のものであるが、こうした方面での人脈作りと言うのは、レオン自身の信用性にも関わるものであるから、煩わしくない程度の付き合いは何にしても不可欠であるものだ。
そうやって飲み会などに呼ばれると、その日のジェクトの夕飯を作る人がいなくなる。
元々家事全般には少々面倒なきらいがあるので、こう言う時のジェクトは、一人で外食に出るのが殆どだった。
その中で、極々稀な確率で、外食も面倒だから帰って余り物で済ませてしまおう、と言う日がある。
今日が偶然、その日だった。
別段、其処に何か狙ったような意図はなかったのだが、
『もしもし、ジェクトさん?すみません、レオンを迎えに来て欲しいんですが……』
と、レオンの仕事用の携帯電話から、聞き慣れない声がそう伝えて来た時には、飲んでいなくて良かったなと思った。
此処にいますから、と伝えられた店までは、タクシーで二十分程度。
昼間はバスが通っている大通りの傍にある店で、スポーツ観戦も出来る大衆レストランだとかで、スポーツ関連のマネージャー界隈では有名な店だとか。
同じ職種の人間が集まるとなれば、様々な分野における情報収集にはうってつけで、レオンも偶に一人で外食する時には利用しているらしい。
水球選手としてスターであるジェクトが店に来たとあって、俄かに店内はざわめいた。
浮足立つ店員を一人捕まえ、此処にいるマネージャーを迎えに来たのだと言うと、既に迎えの話を聞いていたのか、三階へと通される。
上がってみれば奥の一室から賑やかな声が聞こえており、まだまだ宴もたけなわのようだ。
このタイミングで迎えに来て良かったのかと、水を差しはしないかと思いつつ中を覗いてみると、
「ああ、ジェクトさん。良かった、こっちです、こっち」
部屋の奥隅にいた若い青年が、ジェクトを見付けて手を振った。
ジェクトの到着に、酔っ払いたちの沸く声を素通りしつつ、こっちです、と呼ぶ方へ急ぐと、其処にはテーブルに突っ伏すようにして目を閉じている、見慣れた顔があった。
「こりゃ大分潰れてんな」
自分の酒量を理解しているレオンがこうなるのは珍しい───と呟くと、青年が弱り切った顔で言った。
なんでも、この食事の席に、一人大虎がいたのだとか。
普段は気の良い人なので、レオンも色々と宛てにしている人物なのだが、酒を飲むと人が変わる。
乱暴を振る舞うようなことがないのは幸いであるが、薦めた酒を飲まないといつまでも悪絡みをして離れてくれないのだ。
これに最近この業界に入って来たばかりの若い新人が捕まり、気の弱い性格でもあったものだから、薦められる酒を断ることも出来ずに泣き出しそうにしていたのを、レオンが見つけて庇ったらしい。
とにかく飲めば満足してくれるから、と杯を重ね続けた結果、件の人物が気を良く帰る頃には、レオンの方がすっかり酩酊していた。
彼らしいと言えば、らしい話だ。
だとしても、決して酒飲みとは言えないタイプであるレオンにとって、中々の無理をしたであろう事は想像に難くない。
「……無茶しやがって。おい、レオン、大丈夫か」
「さっきから何度も声をかけてるんですけど、起きなくて」
「仕方ねえなあ。荷物取ってくれ、このまま連れて帰るからよ」
心得ていたように、青年はレオンの鞄や上着をすぐに持ってきた。
ジェクトはくったりと力の抜けたレオンの躰をひょいと抱え上げ、荷物も受け取って、レオンの財布を鞄から取り出す。
レオンのことだから恐らくこれくらいだろう、と大雑把に見積もって青年に渡し、「じゃあな」と部屋を後にする。
大通りで改めてタクシーを捕まえ、自宅までの道を戻る間、レオンは目を覚まさなかった。
時折揺れに反応してか身動ぎする様子はあるものの、瞼は重く、体もぐんにゃりと弛緩しており、これは相当飲んだな、とジェクトも想像できた。
自分一人ならペースを乱さないレオンだが、人を庇うと自分を躊躇なく差し出す癖は直した方が良い、と何度言ってやったことか。
また説教だなと思いつつ、酒の席の失敗について、真面目な彼は必要以上に猛省するものだから、煩い小言は一つ二つで済ませてやるのが良いだろう。
そんな事を考えている間に、タクシーは自宅マンションの前に到着した。
チップ込みの支払いを済ませ、レオンを背中に負ぶってエントランスを潜る。
エレベーターの微妙な浮遊感が気に入らないのか、「んんぅ……」と不満げな声が耳元から聞こえていた。
自宅に着いて、一旦レオンを床へと降ろす。
壁に寄り掛かったレオンの足元から靴を脱がせ、もう一度抱えて寝室へと向かっていると、
「……ん……、……ジェクト……?」
「おう、起きたか」
名前を呼ぶ声に、ジェクトがちらりと横に目を遣れば、ぼんやりとした瞳が彷徨うように揺れながら此方を見ていた。
普段の凛とした意志の強さも翳り、何処か憂いを孕んだ揺らめきは、レオンが相当弱っている時くらいしか見られないものだ。
つまり、それだけ今のレオンは酒が回っていると言う事になる。
寝室に着いてベッドに降ろしてやろうとすると、する、とレオンの腕がジェクトの首へと絡み付く。
ぐっと力を入れてジェクトの頭を引き寄せようとするレオンは、まるで「離れたくない」と言っているかのようだ。
普段中々甘える仕草をしないレオンのそれは、中々に貴重なものではあるのだが、
「レオン、ちょいと放しな。服脱がせるからよ」
「ん?……ふふ」
諫めるジェクトであったが、レオンは機嫌が良さそうに笑った。
レオンはジェクトの首にぶら下がるような格好で、その逞しい首に抱き着いている。
流石に重いな、と首や肩にかかる青年一人分の重みに、それでも平気な顔で過ごしていると、
「……ん、」
徐に近付いて来た唇が、ジェクトの分厚いそれと重なる。
ちゅう、と下唇を吸われたかと思うと、ちろりと甘い舌がそこを舐めるので、ジェクトは俄かに口角が上がった。
「おいコラ」
「んちぅ、うぅん」
「んぐ、」
叱る声すら、レオンは唇で塞ぎに来る。
首に絡む腕はしっかりと力を込めていて、離れたくない、と言う所か、離さない、と言う意思があった。
体重を利用して拘束する力に、さしものジェクトも首の力だけでは抗えず、徐々に頭の位置が下がる。
これは抵抗するだけ無駄だと判断すると、ジェクトはレオンの脇を持ち上げながら、諸共にベッドの中心へと倒れ込んだ。
重いものが上に覆い被さっても、レオンはお構いなしでキスをしている。
引き結ばれたジェクトの唇の隙間を作ろうと、何度も舌がその間を舐め、つんつんと先端でノックした。
開けて、とねだる恋人の誘いに、しょうがねえなあとジェクトはその顎を捉え、大きな舌でべろりとレオンの唇を舐めてやる。
「んぁ、あむぅ……っ!」
もっと、とでもねだろうとしたか、レオンが口を開けたので、ジェクトは遠慮なく舌を捻じ込んだ。
直ぐに絡んで来るレオンの舌に、ジェクトもその気で応じてやる。
ちゅぷ、ちゅく、といやらしい音が耳の奥で鳴るのを聞きながら、ジェクトはたっぷりとレオンの咥内を貪り尽くしてやった。
じゅるじゅると唾液の交じり合う音が鳴るようになって、幾何か。
時間も忘れて貪り合っている内に、レオンの瞳はすっかり熱に浮かされ、白い頬はアルコールの所為だけではない理由で赤く火照っている。
身動ぎする足が誘うようにジェクトの腰に絡み付いて来るものだから、ジェクトもレオンの下腹部に自身の塊を押し当ててやった。
期待しているのだろう、レオンの瞳はうっとりと蕩け、首に絡む腕が嬉しそうにジェクトの項を擽る。
どれ程の時間が経ったか、忘れる程に互いに夢中になった後、ジェクトはゆっくりとレオンの唇を介抱した。
唾液でべっとりと濡れた唇は、つやつやと艶やかになり、ジェクトが散々吸った所為か、心なしかぽてりと膨らんでいるようにも見える。
其処の親指を当てて、指の腹で摩ってやると、はぁ、と熱ぼったり吐息が爪先を擽った。
「この酔っ払いめ」
「んん……酔ってない」
「お前が酔ってる以外でこんなやらしいキスしてくるかよ」
「……んむ、ぅ……」
くぷ、と唇に指先を入れてやると、レオンは抵抗なくそれを受け入れた。
唇を窄め、ちゅう、と啜ってくる。
普段、ジェクトを揶揄ように挑発に似た言動を見せることもあるレオンだが、それは基本的に戯れ程度のものだった。
根は真面目で理性的な性格であるレオンだから、明日の予定であったり、これからの準備であったりと、それを優先させる事が常である。
あまり挑発し過ぎると、その報いが全て自分に返って来るのも判っているから、必要以上───少なくともレオンにとっては───にジェクトを挑発する事もない。
ジェクトを本気で昂らせれば、明日の自分が死に体になるのが目に見えているからだ。
だが、酒の力と言うのは恐ろしいもので、平時のそんな抑制的な感情をすっぱり放り投げてしまうらしい。
赤い舌が濡れた唇の隙間から覗いて、ジェクトの指をちろりと舐めた。
明らかな誘いの仕草に、今夜は大人しく過ごすだろうと思っていたジェクトの熱も、むくむくと育って行く。
「お前、明日の事は良いのかよ?」
「んー……まあ、どっちでも?」
「加減してやんねえぞ」
「……ああ、良いな」
寧ろそっちの方がお望みだと、蒼の双眸が細められて笑む。
ジェクトの首を捕まえていた腕が解け、無精髭を蓄える頬を両手が包み込んだ。
ざりざりとした肌と髭の感触を楽しむように、レオンの指が滑って遊ぶ。
かと思っていたら、くっと引き寄せる力があって、逆らわずに従ってやれば、甘い唇がジェクトのそれにしっかりと重ねられた。
遊びたがるレオンの舌を受け入れて、咥内へと招いてやると、すぐに絡み付いて来る。
太いジェクトの舌を誘い出そうと一所懸命に舐めてくれるので、応じてやると、外に出て直ぐに吸い付かれた。
ならばともう一度、ジェクトの方からも彼の咥内へと侵入を深めると、レオンの肩がひくんと震えてるのが伝わる。
その肩を両手で強く抑え付け、ベッドシーツに縫い留めながら貪れば、レオンの喉奥からは甘ったるいくぐもった声が零れていく。
「ん、む、うぅん……ん、あ……っふ、ぅ……っ」
何度目になるかの深い深い口付け。
雄の本能を剥き出しにしていくジェクトのそれを、レオンはいつしか受け止める一方となっていた。
肉厚の舌に歯舌をなぞられてはぞくぞくとしたものが首の後ろを駆け抜けて、官能の始まりを告げる。
レオンの肩を抑える手が離れ、するりと上着の隙間からその中へと滑り込んだ時だった。
息苦しさにか、快感の兆候にか、目を閉じ寄せられていた眉間の皺が、いつの間にか解けている。
夢中でキスに応じていた舌の動きもぱたりと止まり、ジェクトの頬に添えられていた手は、シーツの波の中に落ちていた。
今正にアクセルを踏もうとしていた所だったジェクトだが、唇を離して見下ろした青年の顔を見て、やれやれ、と溜息を吐く。
「……だと思ったぜ」
「…………」
すー、すー、と微かに聞こえる規則正しい寝息。
目一杯に抱き着いてジェクトを求めようとしていた体は、足の爪先まで完全に緩んでいる。
年齢の割に子供っぽさが抜けない寝顔の恋人に、ジェクトは触れたばかりの手を離すしかない。
覆い被さっていた体を起こし、隣に胡坐をかいて、眠る青年を見下ろす。
「散々誘っといて、お預けかよ。本当に性悪だな、お前」
反論がないのを良いことに、ジェクトはレオンの高い鼻先を摘まみながら言った。
すっかり準備が出来た状態の自身の有様に、どうしてくれるんだよと嘯いた所で、返って来るのは健やかな寝息だけ。
起きていた所で、自分で頑張ってくれ、などと一件素っ気ない反応が返って来るのは予想できる。
やれやれ、とジェクトはもう一度溜息を吐いてやって、気を取り直した。
乱れ始めていたレオンの上着とワイシャツを手早く脱がせ、ボトムも楽にさせてやり、ベッドの中にきちんと納めてやる。
色々と持ち上がってしまった衝動は、寝潰れた酔っ払いにぶつけて良いものではあるまい。
それより、明後日は休みが取れていた筈だから、レオンに今夜の責任を取って貰うのは、明日の夜でも十分釣りがくるだろう。
ジェクトは、すやすやと眠る恋人の頭をくしゃくしゃと撫でて、
「明日は寝かせてやらねえからな」
眠る恋人が覚えている筈もなかろうに、宣言するように囁いて、にやりと笑うのであった。
10月8日と言う事で、ジェクレオ。
球選手×マネージャーばっかり書いているなあ。楽しいです。
偶にはレオンの方からその気満々のお誘いを。
しかし酔っ払っているので、持ち上げるだけ持ち上げておいて寝落ちです。
どうしてくれるんだと思ったりもするけど、大人なのでちゃんと弁えつつ、後でちゃんと責任は取って貰うつもりのジェクトでした。
スコールとティーダが二人暮らしをしていることは、周辺の人々にはよく知られていることだった。
元々が幼馴染であることに加え、高校進学を期に、それぞれ親元を離れるに辺り、両方の親がいつの間にかそう言う方向で話をまとめていた。
本人達の意向も確かめずに───とは思いはしたものの、幼い頃から当たり前のように傍にいたから、今になって急に離れると言うのも想像がつかなかったし、何より、どちらもが一緒にいられると言う事に安堵を覚えた。
それ位に、二人にとって、互いの存在はなくてはならないものだったのだ。
だからだろうか。
二人きりの生活が始まって間もなくして、二人の関係は、幼馴染から恋人同士と言うものに変化している。
思えば、一緒に暮らせる、と決まった時の安堵感は、その頃に既に芽吹いていた、自覚のない恋心から来るものだったのかも知れない。
二人の関係が幼馴染以上のものであることは、まだ秘密のことになっている。
男同士と言うのもあるし、色々とデリケートな思春期であるから、周囲から変に突かれるのも、気を遣われるのも嫌だった。
特にスコールの方はその気持ちが強く、何より、自分と付き合っていると知られることで、周囲からティーダが嫌な思いをしないかと不安が離れない。
ティーダは「周りの奴等の言う事なんか気にしなくて良いっス!」と前向きに笑って見せるが、スコールの方はそうはいかない。
水球部に属し、エースとして注目を浴び、周囲からも男女問わず好かれているティーダだ。
そうして人の輪の中で明るく笑っているティーダのことが、昔から羨望もあり、好きだと思っていたし、その傍ら、彼がその明るい人当たりに反して、存外と繊細であることも知っている。
何かあれば自分が支えになれたら───とは思うが、スコール自身は更に繊細で不安症だった。
自分の所為でティーダに辛い思いをさせるのは、想像するだけでも苦しくて、それが現実になった時、到底、それに向き合いながら戦えるかと言われると、足が竦む。
───そんなスコールのことをよく知っているから、ティーダもまた、「平気」と笑いながら、幼馴染の意向に合わせているのだ。
どうしても自分に自信を持つ事が出来ないスコールが、必要以上に不安になることのないように、と。
しかし、ティーダはスキンシップが好きな性分だ。
誰に対しても距離感が近いこと、そこに明け透けな正直さも加わって、ティーダは誰と距離を詰めても悪い印象にはならない。
距離が近いことを嫌がる人がいれば、その空気も敏感に感じ取り、自分なりにセーブすることもある。
こういう気遣いが息を吸うように出来るから、沢山の人に愛されるのだろうな、とスコールも思った。
そんな中で、幼馴染であり恋人であるスコールとは、より一層距離を縮めたがる。
スコールの方は逆に誰とでも一定の距離を保ちたいタイプだったが、ティーダに対しては、長年一緒に過ごしていると言う慣れもあって、何処まででも近付いても平気だと思っていた。
思っていたのだが────
(この、距離は……やっぱり、近い……っ)
二人きりの自宅のアパート、その寝室で、スコールは目の前にある幼馴染の顔を間近に見ていた。
ゆっくりと近付いて来るマリンブルーの瞳から、いつもの癖で目を逸らしたいのに、肩にぎこちなく置かれた手がそれを嫌がっている。
こっちを見ていて、と言われた訳ではないのだが、首を少しでも動かそうとすると、肩の手に僅かに力が籠るのだ。
逃げちゃ嫌だという声が聞こえるような気がして、スコールは益々身を固くするしかなかった。
秋の深まる今、それなりに早い時間であっても、外界は鶴瓶落としであっという間に暗くなる。
だから普段なら、学校から帰った頃にはもう明りを点けて過ごしているのだが、今、二人がいる寝室は暗かった。
カーテンも閉め切っているから、月も星もその明りを届けてくれるものはなく、スコールが間近にいる少年の顔を見ることが出来るのは、この暗闇に目が慣れたから以外にない。
つまりそれだけ、二人はこの暗がりの部屋の中で過ごしていると言う訳だ。
緊張した面持ちのティーダの顔が、もう触れる場所まで来ている。
スコールは我慢ができなくなって、溜まらずぎゅうっと目を瞑った。
一緒に力んだ所為で噤んでしまった真一文字の唇に、柔らかくて温かいものが触れる。
それだけで、スコールの心臓はどくんどくんと早鐘を打ち、今にも胸から飛び出してきそうな程に逸った。
「ん、ん……」
「ん、う……」
触れ合う場所の感触は、なんだかよく分からないものだった。
好きな人とのキスはレモン味、なんて随分使い古された文句があるらしいが、味なんて何もしないじゃないかと思う。
ほんのり歯磨き粉のミントの匂いがするような気がする位で、甘酸っぱいものを彷彿とさせるようなものなんて感じない。
それでも嫌悪感を感じないのは、きっと此処にいるのがティーダだからだろう。
そんな事を思ってしまう位に、スコールはティーダのことが好きだった。
ティーダとスコールがキスをするのは、これが初めてのことではない。
恋人関係になってから、少しずつ”恋人同士の仕草”を学習するように、二人で少しずつこう言う事にも慣れて行った。
実の所、子供の頃に、テレビで見た大人の真似事でキスをしてみたことがある。
あの頃は特になんでもないことのように感じていたのに、体も心も成長した所為か、改めて”初めてのキス”をした時には妙に緊張したものだった。
手を繋いだり、ティーダがスコールに抱き着いたり、そんななんでもない事でも、ふと意識すると体が熱くなってしまいそうな位、スコールはティーダのことを意識するようになった。
そしてティーダの方も、スコールが望むのだからいつも通りに、と意識しながら、内心では結構な緊張を持って、スコールにスキンシップをしていたとか。
今、口付けを交わす二人の間にあるのも、そういう緊張感だった。
何度となく交わした筈のキスですら、そこに一本の張り詰めた糸があるかのように、肩が強張る。
それも無理のないことだった。
何せ二人は、これから、人生で初めてのことに挑戦しようとしているのだから。
「ん、……っは……」
「はぁ……スコール、ちょっと口開けて…」
「う……わるい……」
ずっとスコールの真一文字に噤んだ口を舐めるように突いていたティーダ。
緊張の強張りもあって、どうしても其処を解いてくれないスコールに、根負けにしたように頼む。
スコールはティーダの感触が残る唇に手を当てながら、至らない自身に恥ずかしさのようなものを感じて、視線を逸らしつつ詫びた。
二人揃って息を詰めていたので、少し小休止を挟む。
鼻で大きく息を吸って吐き出すティーダに、スコールも意識して呼吸をした。
頭の隅がくらくらとしていたような感覚が弱まって、僅かながら靄が腫れて来る。
改めて、とティーダがもう一度スコールの肩に手を置いたので、スコールも今度は落ち着いて、と自分に言い聞かせつつ、ティーダの顔を見上げた。
近付いて来る幼馴染の顔は、やはり何処か緊張の色を孕んでいる。
自分の事で一杯一杯になっていたスコールだったが、その顔を見て、ティーダも不安なのだと悟った。
なんとかそれを払拭させてやれないかと考えた末、ずっと膝の上に置いて握っていた手を、そろそろと持ち上げる。
そうっと柔らかい筈の頬に触れると、スコールの方から触れるとは予想もしていなかったのか、マリンブルーが驚いたように見開かれた。
心なしかいつもより固く感じられる頬を両手で包み込むと、見開かれていた瞳がゆるりと和らいで、嬉しそうに閃く。
その変化に、ああ良かった、と胸を撫で下ろしたスコールの唇へ、もう一度、ティーダのそれが重なった。
「ん……」
「う、ふ……ふぁ……」
「んん……っ」
振れる感触を感じながら、スコールはそろそろと唇に隙間を作る。
ぬる、と温かくて厚みのあるものが、その隙間から侵入して来たのを感じて、思わずびくっと肩が跳ねた。
けれど離れて欲しくなかったから、溶け合いそうな程の距離にある瞳をじっと見つめ続ける。
スコールは目がお喋りだから、と言われたのを思い出しながら、それならどうか此処で言葉を繋いでくれと願う。
それが叶ったのかは判らないが、ティーダが離れる事はなく、寧ろより一層深くを求めるようにと、侵入物はより中へと進んできたのが分かった。
口の中で彷徨うように動いているものがあって、それが何度か舌を掠める。
その度、スコールの首の後ろに奇妙な感覚が迸るのだが、それはどうも恐怖や嫌悪感とは異なるらしい。
自分の感覚なのに、正体の判らないそれは非情にスコールの気を散らせるものだったのだが、
「う、ん……、ん、ふ、ぁ……っ」
前のめりになってくるティーダの体重が、スコールをそれ所ではなくしていた。
体重を受け止め切れなくなった体が後ろ向きに傾いて、ベッドの上に倒れ込む。
その弾みに、重ねていた唇が一瞬離れるも、
「っは……ふ、んむぅっ……!」
一瞬、酸素を取り込んだ直後には、また塞がれた。
ティーダの舌もまた直ぐに入って来て、スコールは覆い被さる少年がまるで獣のように思えた。
長い付き合いである筈なのに、こんな風に襲い掛かって来るティーダと言うのは初めてのことで、スコールの頭に軽く混乱が起きる。
水球をしている時、水を掻き泳いで猛スピードでボールを追う姿をいつも見ていたけれど、今のティーダの眼はその時とよく似ている。
あんなに必死に、一所懸命に喰らい付いていく姿と言うのは、他に見たことがない。
───それ位に、今、恋人が自分のことを欲しているのだと思うと、スコールの体は俄かに熱くなった。
咥内を探るように彷徨っている舌に、そうっと自分のそれを当ててみる。
つん、と何処だか判らないけれど何かが当たったような感触がしたと思ったら、
「んぷっ……!」
思わず、と言った声が聞こえたかと思うと、ティーダの体が判り易く固まる。
驚いたのだろうその音が妙に面白くて、スコールはもっとやってみようと、意識して舌を動かす。
硬直したように動きを止めているティーダのそれを掬い、ゆっくりと舐めるように這わしていると、
「ん、ん……っ!?」
「ふ……む、んぁ……っ」
がっつくように夢中になっていた筈の青が、今度はパニックを起こしたように狼狽している。
それが妙に面白くて、スコールはより一層、丹念にティーダの舌に絡み付いた。
ティーダの頬に触れていたスコールの手が、そこから外れ、するりと首の後ろへと回る。
ぎゅう、と抱き着くように身を寄せてやれば、ティーダの方も意を決したかのように、もう一度スコールに覆い被さった。
重みが増した体を受け止めると、近い距離で重なり合った胸の奥で、二人分の心臓がどくんどくんと煩く鼓動を行っている。
そのリズムが次第に溶け合うようにシンクロして行き、皮膚さえなければ溶けて交じり合っても可笑しくない位に、二人の体は一つになっていた。
ああ、これから─────どちらもがそう考えた時。
劈くように響いたのは、アパート外の道路を走る、パトカーのサイレンだった。
『緊急車両通ります、道を開けて下さい。緊急車両通ります……』
スピードを上げて走っている真っ最中なのだろう、それは突然に聞こえて来たかと思うと、休息に離れて行った。
時間にして数十秒と言う短い時間だが、今まさに夢を見ようとしていた若者たちに大いに水を被せるには、十分な代物であった。
「……」
「………」
「…………」
音が聞こえた瞬間、思わず二人とも体を強張らせ、重ねていた唇も咄嗟に離れた。
サイレンが鳴り響く閉じたカーテンの向こうをじっと見つめ、息を詰めていた約一分間。
まるで見付かったら自分達こそが捕まってしまうのではないかと言う緊張感があった。
サイレンとアナウンスが聞こえなくなっても、二人はしばらくの間、動けなかった。
ようやく再起動がかかったのはスコールの方で、のろ、と起き上がろうとするのを見て、我に返ったティーダも覆い被せていた体を退かせる。
「…………」
「えっと…………する?」
「………出来るのか?」
なんとか尋ねてみた、と言うティーダに、スコールは眉根を寄せながら胡乱な目で問い返す。
この状況とこの空気感で、もう一度さっきと同じことが出来るのか───と。
案の定、ティーダは眉尻をすっかり下げて、へらりと笑った。
「あはは……」
「……はぁ……」
無理だ、と思ったのはお互い様だった。
初めての挑戦に、肩に力が入りつつも、悪い雰囲気ではなかったと思う。
それだけに、水を差された瞬間に霧散した空気と言うものは大きくて、改めてそれを呼び込もうと努力するには、まだまだ二人は幼かった。
折角頑張ったのに、とスコールは口の中で零しつつ、皺だらけになっていたベッドにそのまま潜り込む。
寝るには聊か早いものではあったが、このまま寝室を出ていつもの日常を過ごすと言うのも、デリケートなスコールには難しいものがあった。
どうせその内布団には入るのだからと、今日は汚れなくて済んだ寝床に落ち着いていると、その隣に幼馴染が潜り込んで来る。
「おい、」
「ちょっとだけ」
後ろ側から入って来た侵入者に、肩越しに睨んでやると、子犬のような目が此方を見ていた。
何もしないから、とまで言われると、スコールにはもう拒否権はない。
たっぷり眉間に皺を寄せて、渋っているように見せつけてから、仕方がないと言う溜息を吐いてやるのが精々だった。
ティーダが人の寝床に潜り込んで来るのは、子供の頃からよくある事だった。
今でもその感覚は延長的に続いていて、二人暮らしをするようになってから、週の半分はこうして一つのベッドで一緒に寝ている。
夏は暑いのでスコールにとって聊か辟易する日もあるが、そろそろ夜の気温が下がって来るこれからは、湯たんぽ代わりになるので、スコールも好きにさせていた。
それを思えば、今日もそう言う日常の風景と変わりない。
────変わりないのだけれど、
(……心臓、うるさい)
自分の心臓も、背中に伝わる鼓動の音も、毎日感じているものよりも、ずっと煩い。
睡魔も碌に来ないこの状態で、いつまでこの鼓動を聞いているだろう。
そんな事を考えながら、スコールは包み込んでくれる体温に身をゆだねるように、ゆっくりと目を閉じた。
10月8日と言う事で、ティスコ。
初夜にチャレンジしようとしたけど、思いっきり水を差された模様。
続けるにはもうちょっと無理があって、でもお互いに意識したままなので、寝るのも一苦労したようです。
身軽を売りにしているジタンにとって、道なき道を進む事は、少なくない選択肢だ。
鬱蒼とした森の中、その樹々の上を飛び渡るのは、眼下の大地で起こり得る戦闘を回避するのに、良いルートになる。
この世界のあちこちで歩き回っているイミテーションの多くは、視覚情報と思しきものを頼りに、此方を襲ってくる。
だから彼らの目に入らない場所を移動していれば、かなりの確率で、安全圏を行く事が出来るのだ。
上位のものになると、聴覚のようなものも発達するのか、物音にも反応するようになり、中には魔力探知に優れたものもあるので、絶対のものではないが、取り敢えずひとっ走りで此処からあそこまで、と言う時にはこうした身軽さは非常に便利である。
秩序の聖域から少々離れた場所に、陣営の面々がちょっとした目印にしている木がある。
高い崖の上に迫り出すように植わったそれは、紫色の林檎が生っていた。
林檎と言うと往々にして紅、若しくは碧のイメージがあるものだから、多くの者は初めて見た時には林檎だとは思わなかった。
クラウドが「見覚えがある」と言わなければ、食べられる品種であるとは思わなかっただろう。
なんでも一年中、季節を問わずに実を付けるとかで、少々不名誉な二つ名を冠しているそうなのだが、味は中々に良いとか。
その言葉を信じて、食いしん坊と好奇心旺盛な面々が試しに口にしてみた所、中々に好評であった。
季節を問わず実が生る、と言うのは、通年性のものだと思えば勝手の良いもので、安全なものだと判って以来、秩序の戦士達は時折この木の下を訪れて、熟した実を採っている。
その他、実の色が特徴的なこと、崖を迫り出して伸びている為、その下からも見付けやすいこと、他にこれと同じ種の木が見当たらないことから、現在地を確認する良い目印となっていた。
今日のジタンは、その林檎の木へと一走りした。
昨夜、夕飯を食べた後、ティーダが「そろそろ甘いもんとか食いたいっスね」と言った。
それは独り言であったのだが、それを聞いたティナが「リンゴのパイとか、食べたいね」と言った。
耳を大きくしてしっかりそれを聞き取ったジタンは、ならばと朝一番に屋敷を発ち、件の林檎の木の下に向かったのだ。
綺麗に皮が色付いたものを厳選し、一つ二つ、どうせならパイにする他にも、ともう一つ二つ、三つと採る。
麻の小袋の中に採取したそれを入れ、保存食として砂糖漬けにするにも十分な数を確保したジタンは、さてと、と先ず崖の下へと飛び降りた。
それが林檎の木から、秩序の聖域へと戻る、最短のルートだったからだ。
腰に結わえ付けた袋は、林檎のお陰で少々重いが、ジタンの身軽さに支障を齎すほどではない。
この分なら昼には帰れるな、と夕飯までにパイを一つ焼き上げるくらいは出来そうだと、時間の算段を考えていた時、
「ん?」
枝を蹴って飛んだ瞬間、視界の隅に映ったものが、彼の意識を引いた。
とん、と降りた枝の上でバランスを取りつつ、今し方過ぎたばかりの方向へと首を巡らせると、
(スコール。一人か?)
木の下にある黒い影を見付けて、ジタンは目を凝らした。
茂る木々の葉枝で視界が遮られ、其処にいると思しき人物の様子はよく見えない。
ふむ、としばらく考えていたジタンであったが、そうしている間も動く気配のない影を見て、くるりと体の向きを変える。
一歩、二歩、三歩と枝を渡ると、目的地にはすぐに辿り着いた。
その間、気配も音も意図的に殺さなかったのだが、眼下の人物はやはり動かない。
ジタンはひょいと飛び降りて、木の根元にすとっと着地した。
そこまでしてようやく、幹にじっと寄り掛かっていた体が動き、ゆっくりと蒼灰色の瞳が此方を認識する。
「……あんたか」
一瞬、瞳の奥にあった険は、警戒の為だったのだろう。
其処にいるのが見知った仲間であり、石細工の人形でもない事をしっかりと確認した後、スコールはまた目を閉じた。
体は重怠そうに、片膝を立てて木の幹に体重を預け、頭を動かすのも面倒臭いと言う様子が伺える。
すん、と鼻を鳴らして、ジタンは血の匂いがないか確認した。
それらしいものがない事にこっそりと安堵しつつ、柔らかい草が敷き詰められた地面を踏んで、スコールの前へ近付く。
「どうした?怪我してんのか」
「……いや」
匂いはないが念の為、打撲でも何でも可能性はあると問うと、スコールは僅かな間を置いてから否定した。
その間は何かを誤魔化そうとしてのものではなく、ただただ、答えるのが面倒だった、と言う風だ。
しかし、平時から口数の少ないスコールでも、問われた事には案外律儀に応えてくれるもので、こうも応答自体を拒否するほど物臭ではない。
ジタンが傍にしゃがんで目線の高さを合わせると、蒼の瞳を抱いた瞼が、ゆっくりと瞬きをする。
ウォーリア・オブ・ライト程ではなくとも、スコールもそれなりに目力のある方なのだが、それが今は随分と弱い。
その原因を、スコールの方から説明してくれた。
「……コンフュを食らったんだ。弱いイミテーションだったから、意識が飛ぶほどじゃなかったが……少し頭がふらつくから、治まるまでじっとしていた」
「成程ね。そういやお前、ああいう魔法はちょっと弱かったもんな」
スコールはスリプルやコンフュなど、精神作用系と呼ばれる魔法への耐性が低い。
フリオニールやティーダも同様で、魔法の得意不得意はこう言う所にも表れるようだ。
思い返せば、ジタンが此処に来た時、スコールが警戒と共に一瞬強く睨んだのは、混乱魔法による視覚認識が少し危うかった所為なのかも知れない。
しかし、すぐにジタンのことを正確に認識したことから鑑みると、スコールが言ったように、その魔法の威力はそれほど強くはなかったようだ。
スコールはゆっくりと目を閉じて、後頭部を木の幹に押し付けた。
空を仰ぐように首を反らし、ふー……、と長く細い息を吐く。
ジタンはその整った横顔をじっと見つめ、顔色やその仕種から、スコールが他に傷の類を隠してはいない事を観察から読み取る。
「まだ休んだ方が良い感じか?」
「……そうだな」
ジタンが確認を取ると、スコールは少しの間を置いて答えた。
エスナなどの解呪魔法を持たない者にとって、意識の混乱を齎すコンフュの効果は、正常な認識や思考を大きく掻き回すので、理性が残っているなら、完全に魔法の効果が抜けるまでじっとしておく方が無難だ。
だからスコールの判断は間違っていないし、ジタンもそうするべきだろうと思っている。
だが、やむを得ずに選んだ場所なのだろうが、この木の周囲は少し開けていて、野生の魔物は勿論、徘徊するイミテーションからも見付かる可能性がある。
だから先程、ジタンが木の上からでも、彼を見付ける事が出来たのだ。
となれば、このままジタンがこの場をおさらばする訳にもいくまい。
少なくともジタンにとっては、十分な理由だった。
「じゃあ、治まるまでオレがここで見張っててやるよ」
胡坐をかいて地面に座ると、スコールは薄く目を開けて、胡乱な表情でジタンを見る。
「……必要ない。あんた、どうせただの通りすがりだったんだろう」
「まあそうだけど」
「だったら早く聖域まで戻れば良い。もう直に治まるだろうから、俺はそれから」
「直ぐ治るって保障のある話じゃないだろ?それまで此処が安全な訳でもないし」
スコールが魔法を喰らったのがどれ位前なのか、ジタンには判らないし、恐らく、訊ねてもスコールも正確な所は覚えていないだろう。
コンフュとはそう言った記憶の反芻や、思考力も乱してくるものだ。
ジタンの言葉に、スコールは判り易く眉間の皺を深くして、恐らくはその頭の中で色々と言葉を連ねていたのだろうが、声にならないそれはジタンには聞こえない。
考えてるんだろうなとジタンは十分察していたが、出て来ない限り、此方が少々強引に押しても許されることも知っていた。
「別に急ぎで帰ろうと思ってた訳じゃないし。ちょっと休憩して行っても良いさ」
「……」
「それにほら、二人で帰った方が色々都合が良いと思うぜ。誰に見付かったって言い訳もし易いし」
「……」
「ついでに今なら、林檎がオマケでついて来る」
「……は?」
黙って聞いていたスコールだったが、オマケの一押しには流石に声が出た。
眉間の皺を倍に深めて、何を言っているんだ、と言わんばかりの彼に、ジタンは腰に下げていた麻袋を探る。
一番上にあったものを適当に掴んで差し出せば、馴染のない色であるからだろう、一瞬彼は思い切り顔を顰めるが、
「……これは、あそこの林檎か」
「ああ。やっぱ大丈夫だって言われても、パッと見るとすごい色してるよな」
クラウドの世界でも、この色の林檎は他にないと言うから、本当に変わった品種なのだろう。
ジタンが差し出した林檎を、スコールはしばらく見つめていた。
改めて本当に食べられるものなのかを考えるように、胡乱な目で見つめ続けた後、諦めたように瞼が伏せられる。
もう一度蒼の瞳が見られた時には、相変わらず怠そうな印象が其処に映っていて、考えるのが面倒臭くなった、とありありと語っていた。
スコールは林檎を持っているジタンの顔をちらと見て、
「……これは、ティナの為に採ったんだろう」
「確かにその為に採りに行ったけど、一つだけ持って帰るなんてケチ臭いことはしないさ。どうせなら皆で食った方が美味いしな」
だから他にも採ってある、と笑って言えば、スコールはまた一つ諦めるように溜息を吐く。
面倒臭そうな表情をしながらも、重力に従っていた腕が持ち上げられ、ジタンの手から林檎を受け取る。
「……食って良いんだな?」
「ああ。特別にな」
念入りに確認をするスコールに、ジタンはウィンクをしながら言った。
元々、ティナには勿論、皆の為にと思って採ってきた林檎なのだ。
其処から丸々一つをスコールに食べさせてやると言うのは、ちょっとした贔屓にも思えたが、とは言え林檎はまだ十分あるのだ。
一つ特別に誰かにやっても惜しいものではないし、何より、こうしてスコールが受け取ってくれた事がジタンにとっては嬉しい。
(前はこう言うの、絶対要らないって言っただろうしな)
この世界で初めて顔を合わせた頃のスコールを思い出せば、今目の前で林檎を受け取ってくれた彼が、ジタンのことをどれほど信じてくれるようになったか判るだろう。
見張りをするよと言って、万が一にもジタンが裏切るような事をしないと、常に最悪の事態を想定する彼が、その可能性を考えないと言うのも嬉しいことだ。
それ程までに、彼の信頼が厚いことを思えば、林檎一つの贔屓位は可愛いものではないか。
紫色の林檎が、スコールの小さな口に運ばれる。
しゃり、と果肉を食む音に、ジタンの尻尾がゆらりと揺れた。
9月8日と言う事でジタスコ!
ずっとこっちを警戒してた猫が、今も素っ気ない態度は相変わらずだけど、ちゃんと信頼してくれてるのが嬉しいジタンでした。