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Category: FF
オフ本[エモーショナル・シンドローム]のその後の二人。
レオンがラグナの下に来て、その息子とも共に生活をするようになってから、数ヵ月。
その間、環境の変化や、人に対して必要以上に気を遣うレオンの事を慮って、ラグナは出張などの長い時間家を空けることを避けていた。
自分がいなくても、出来た息子がいるとは言え、学生と言うのは存外と忙しい身である。
また、レオンとスコールはそれぞれが踏み込まない境界線を作っているようで───レオンは生まれ持った環境により、スコールも元々そう言う距離感を保つ性質であるから───、其処にラグナが緩衝材になる事で程好く中和されていた所があった。
それを急に二人きりにさせると言うのは、やはり色々と心配の種が尽きないものだったので、レオンが落ち着くまで、極力そういう事を避けてきたのだ。
しかし、ラグナはそれなりに立場のある身だから、彼でなくては話が進まない、と言う案件も儘ある。
取引の内容、そこで顔をあわせる人の立場にも合わせ、ラグナが出張らなくては対等な話が出来ない、と言う事も。
それでもしばらくはリモート会議と言う手法を取ったりしていたのだが、取引相手が海外の人間となると、場所によっては時差やインフララインの関係もあってリモートが聊か難しいと言うのも避けられない。
そんな訳で、ラグナは久しぶりの海外出張に行く事になった。
飛行機で往復にそれぞれ一日を費やすので、打ち合わせに要する時間を含めると、最低でも三日はかかる。
出掛ける間際まで、ラグナはレオンのことを大層心配していたし、スコールにも「大丈夫か?知らない奴来たら、配達っぽくても、すぐに玄関開けちゃ駄目だぞ」と言っていた。
彼にしてみれば、息子もレオンも、小さな子供を心配するのとそう変わらないのかも知れない。
スコールはともかく、自分はもう大人なのに───と苦笑していたら、隣でスコールが「レオンはともかく、俺は問題ない」ときっぱり言ってくれたものだから、レオンは今度こそ噴き出してしまった。
そんな遣り取りの後、ラグナはスコールに追い出される格好で、やっと出発した。
それが今から、三日前のこと。
今日の午後には、ラグナが帰国する。
フライト時間は、問題がなければ正午には到着する便だと聞いているが、生憎此方は午前中の天候があまり宜しくなかった。
出発する方でもすんなりと飛び立ってはくれないような天気が覗けていて、これは多少の遅れはあるだろう、と読める。
ともあれ、無事に帰ってきてくれればそれで良いと、レオンとスコールはいつも通りの朝迎える。
今日は平日であるから、学生であるスコールは学校がある。
レオンは普段と違い、一人分だけを作った弁当を、玄関前でスコールに手渡した。
「ほら、今日の昼飯」
「ん。……午後にはラグナが帰るだろうけど、あんたも別に気にしないで、自由にしていて良いんだからな」
「ああ、そうするよ。行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
見送るレオンに、スコールも返事をして、玄関を潜って行った。
スコールの言葉は、無理にラグナの出迎えをしなくて良い、と言う事だろう。
飛行機の到着が多少なり前後するであろう事を考えると、ラグナが何時に家に帰って来るのかはどうしても読み切れない。
それを気にして、家にいないと、と無理に考えなくて良いのだと、スコールからの気遣いだ。
(でも、やっぱり……出迎えはしたいかな)
スコールの言葉は有り難いものだったが、それはそれとして、レオンの気持ちとしてラグナが帰って来る所を迎えたい。
こう言う事は、一人暮らしの時には当然ながら浮かびえない感覚だったので、それが少し新鮮だった。
となると、午前中に済ませておいた方が良い事は幾らもある。
先ずは朝食に使った食器と調理器具を片付け、食洗器の乾燥のスイッチを入れる。
次に、昨晩のうちに洗って置いた洗濯物を干しておき、バスルームの掃除を始めた。
風呂の掃除は定期的に行っているのだが、今日はラグナが帰って来るし、折角だから一番風呂に入って貰いたいので、少し念入りにやって置く。
これは案外と重労働なので疲れるものなのだが、今日は不思議と体が軽く、レオンは鼻歌でも歌いそうな気持の軽さでこれを終えた。
濡れた手脚をタオルで拭き、それを手洗いして洗濯物の群れの中に加えながら、
(浮かれているな、俺)
そんな自覚をしながらも、レオンは決してそれを厭いはしなかった。
風呂掃除で汗を掻いたので、水分補給に浄水を飲みながら、冷蔵庫を開けてみる。
レオンもスコールもそれ程食べるタイプではないのもあって、この三日間は買い物に行く必要なく過ごしていた。
しかし、ラグナが帰って来る事は勿論、流石に冷蔵庫の中身そのものが物寂しくなっているのもあって、今日は買い出しに行かねばなるまい。
昼食を簡単に済ませる目的も追加して、レオンは財布を片手に早速家を出た。
空は少し重く、若しかしたら雨も降りそうだったが、レオンの足取りは軽い。
頭の中は今日の夕飯をどんなメニューにするかと言う事で一杯だった。
(揚げ物はラグナさんは喜んでくれるけど、そんなに多くは食べられないと言っていたし、スコールもそんなに箸が進む訳ではないんだよな。ティーダがいるなら別なんだが。それより、出張先の味が濃くてクセがあるって言ってたから、ヘルシー路線でいつもの食事にした方が良いか)
通い慣れたスーパーに入って、レオンは先ずは野菜を買い物カゴの中に入れていく。
三日から四日は使うものを一気に揃えるので、野菜だけでカゴの半分は埋まるのが常だ。
それから、主菜になるものも肉、魚と、ついでに焼きそばを近いうちに作ろうと、その麺も買って置く。
牛乳がなくなりそうだった、とこれもカゴに詰め、近くに並んでいたヨーグルトも入れた。
パンはあまり食べる機会はなかったが、あればレオンの昼食として簡単なので、三つほど。
そして、最近ラグナが嵌っていると言っていたシリーズのデザートを、一つずつ。
必要なものを一通揃えたことを確認してから、ああ忘れていた、とレオンは総菜コーナーへ向かう。
今日の昼はこれで済ませるつもりだったのに、他のもので頭が一杯になっていた。
サラダは作り置きが後少し、昼にレオン一人が食べる分は残っていた筈なので、おかずになるコロッケを買う事にする。
重い買い物袋を抱えながらの家路は、面倒と言えば面倒で、こう言う時には車があった方が良いんだろうな、と思う。
一応、レオンはその免許も持っているのだが、環境柄車を持っていなかったので、すっかりペーパードライバーだ。
何より車は持ってしまうと維持費がかかるし、現在、ラグナの下で同居させて貰っている身としては、それをねだるなんてとんでもない。
歩いて帰れない距離ではないのだし、良くて自転車を提案する位だろうが、それだってレオンは言う気はなかった。
(……歩くと言うのも、悪くはないし。こんな時位しか、外に出ていないしな)
今のレオンにとって、何処其処に出掛けると言うよりも、家にいる事が心地良い。
ずっと、他人の家に間借りさせて貰っている、と言う気持ちから緊張感が抜けなかったのだが、最近ようやく、そんな風に感じる事が出来るようになった。
あの家に住む事が決まった時、「此処はお前の家なんだから」と言ったラグナの言葉が、すんなりと心の中に溶けてきたような気がするのだ。
ついでに、元々レオンは出不精でもあったし、暇潰しと言えば読書と料理くらいのものだった。
だから、一見すると缶詰するように屋内に閉じこもった生活でも、今の所、特に不便も不満もないのである。
家に着いたレオンは、買い物袋の中身を片付けた後、手早く自分の昼を済ませた。
ちらりと時計を見ると正午は過ぎており、飛行機が定刻通りに飛んでいれば、今頃ラグナは母国の空港に着いている頃だ。
とは言え、空港から自宅まではまた時間がかかるので、早くてもあと一時間以上はかかるだろう。
昼食を終えたレオンは、エプロンをつけ、日課になった台所仕事に就く。
(ラグナさんが帰って来るから、好きなものを用意しよう。卵焼きと、ハンバーグと、スープはコンソメにして……サラダは食べ切ったから、また作らないとな。葉物を多くしておくか)
刻んだ根菜類を電気圧力鍋に入れる。
これは最近、あると便利そうだよな、とスコールと電気量販店のチラシを見ていた所、ラグナが買ってくれたものだ。
これのお陰で鍋を気にする時間が減り、火の通りにくい野菜の時短も出来るようになったので、非常に助かっている。
まだ昼を過ぎた頃なのに、今から夕飯の準備なんて急がなくても、と思わないでもない。
けれども、下準備くらいはしていても良いだろうし、何より、何もせずじっとしているのがレオンは苦手なのだ。
あれをして、これをして、と考えている方が、心の奥底から理由もなく湧き上がってくる不安と向き合わなくて済む。
(でも、やっぱり時間は大分余りそうだから……パイでも作ろうかな。ああでも、デザートは買って来たんだったか)
流石に食べるものが増えすぎるのはちょっと───とその後の消費スピードを考えて、思い直す。
とは言え、洗濯物はまだ乾き切っていないだろうし、掃除は日々熟しているので、家の中は綺麗なものだ。
肉ダネの空気を抜きながら丸めつつ、どうしようかな、と考える。
着々と手を動かしているので、サラダもすぐに出来たし、スープも後少し煮込んで味が染み込めば十分だろう。
卵焼きは食べる直前に作れば良いし、今日やるべき事は終わってしまった気もする。
形成まで終えたハンバーグをラップで包み、密封袋に入れて、冷蔵庫に入れておく。
スープにかけていた火も止めると、いよいよレオンの手は空いた。
「ふう……」
一つ息を吐いて、レオンはエプロンの紐を解く。
リビングダイニングの椅子に座って、ちらりと時計を見ると、時刻は午後三時。
まだ帰って来る様子のない一家の主に、やっぱり飛行機は遅れたんだな、と思いつつ、
(……ラグナさん)
脳裏に浮かぶ人懐こい顔を、もう三日も見ていない。
この家で父子と一緒に暮らすようになって、毎日のように見ているのに、たかが三日で───と言われそうだが、それでもレオンにとっては寂しいものだった。
何もすることがなくなったものだから、時間の進みが一気に遅くなったように感じる。
スコールはそろそろ最後の授業が始まっている頃だろうか。
彼が帰って来るのと、ラグナが帰って来るのを、さてどちらが早いか、微妙な所だ。
「………」
カチ、カチ、カチ、と時計の針の小さな音がくっきりと聞こえる。
一人暮らしをしていた頃は、特に気にするでもなかったその時間を、今の生活では随分と気になる瞬間が増えた。
どうしてなんて言うまでもない、ラグナがいればいつも賑やかで、時計の音なんて気にならないのに、彼がいないと言うだけで、この空間は酷く静かで広いのだ。
ラグナが仕事へ、スコールが学校へ行けば、無職の立場に甘んじているレオンは、この家で専ら一人である。
それもこの数ヵ月で慣れてきたものだったが、それでも半日経てば、スコールは勿論、ラグナも帰って来ていた。
(三日間いないだけで、こんなに……)
さみしい、と心の底から聞こえる自分の声に、レオンはひっそりと呆れる。
一人で過ごすことなんて、ずっと当たり前だったのに、この数ヵ月の間に、その感覚をすっかり忘れていた。
その感覚は時間を追うごとに強くなって行き、早く帰ってきてほしい、と我儘を言いそうになる。
出張は仕事なのだから仕方がないし、息子であるスコールが平静としているのに、良い年である大人の自分がそんな子供のようなことを考えるのもどうか。
だが、生まれて初めて恋心を抱いた人の存在は、レオンにとって大きな比重になっていて、早く顔を見たいと願わずにいられない。
レオンの脳裏に、いつかのホテルで、じっとラグナの帰りを待っていた時の事が蘇る。
全ての想いをぶちまけた後、それを受け入れてくれたラグナを、レオンは夢の出来事のように感じていた。
夢ではない筈だけれど、どうにも自分の身に起こった事が信じられなくて、レオンは早く、仕事に出ていたラグナに帰って来て欲しいと思っていた。
彼の顔をもう一度見たら、本当にあれは夢ではなかったのだと、ようやく思える筈だったから。
今のレオンに、あの頃程の強烈な不安はない。
此処はラグナの家だから、此処で待っていれば、彼は必ず帰って来るのだと確信がある。
(……でも、何かあったらって、思ってしまうのは……どうしようもないな……)
事故でも、事件でも、そう言う可能性をレオンは常に考えてしまう。
ラグナには何よりも元気で過ごしていて欲しいから、此処にいつものように帰ってきてほしいから。
願うからこそ、過ぎってしまう昏い想像は、レオンが幼い頃から自分を護る為に培ってきた方法だった。
それに対して実際に防衛策を取る事で、レオンは自分の心を、崩壊寸前の状態から保ち続けてきたのである。
しかしレオンは、その不安を払拭する方法を知らない。
降りかかる不幸を受け止め、底を外して零し続ける事しか出来なかった彼にはまだ、他者から差し伸べる手が必要なのだ。
それを齎してくれたのが、他でもない、ラグナだった。
───カチャン、と玄関のロックが外れる音がする。
ぼんやりとしていたレオンの意識は、それによって一気に現実へと引き戻されて、
「ただいまー!レオン、帰ったぞー!」
お土産あるぞ、と言う朗らかな声は、レオンが待ち望んでいたものだ。
すぐに立ち上がって玄関へ向かえば、眩しい位の笑顔がレオンを迎えてくれた。
それに俄かに滲む視界を堪えながら、
「お帰りなさい、ラグナさん」
帰宅を喜ぶその言葉は、形以上に、レオンにとって大きな意味を持っている。
誰かの帰りを待ち望み、その願いが叶うことが、こんなに嬉しいことなのだと、レオンはようやく知ったのだ。
[エモーショナル・シンドローム]のラグレオです。
この設定のレオンは、どうしてもラグナに対しての依存が強いのです。
あまりに寄り掛かったら迷惑になると自制しなくちゃと思ってもいるけど、そもそもが自制の塊で自縄自縛していた反動もあって、ふとした時の不安が凄い勢いで走り出す。
でも段々とこう言う出来事を繰り返して、ラグナが帰って来るのを不安にならずに待っていられるようになるんじゃないですかね。大分時間はかかるけど。
この話のスコールは、年齢こそレオンより下ですが、環境柄あまり捻くれずに育つことが出来たので、精神的にはレオンより落ち着いている感じ。
なので、スコールはスコールで、一緒に暮らすようになったレオンに対して、疑似的に弟の面倒を見ているような感覚はあるかも知れない。
スコールにしろラグナにしろ、忙しい身である。
共に経緯としては半ばいつの間にか祀り上げられたものであったが、その立場は組織の或いは国のトップと言うもの。
おいそれと放り出せるものではなく、後進を見付けようにも簡単な話でもなく、ずるずると───ラグナに至っては17年も───その席を埋め続けている。
一応、どちらもある程度の自由は効くが、それもやはり“ある程度”と言うもの。
魔女戦争の終結以降、“月の涙”の影響もあって、SeeDには日夜沢山の依頼が舞い込んでおり、慢性的な人手不足が続いている。
スコールを始めとした主力メンバーが出張る事も多く、お陰でSeeDは指揮官不在と言う場面にも慣れたものだが、とは言え元々の母数がそれ程大きい訳ではないから、人材の不足は簡単に解消できない。
事務的な書類も溜まり勝ちになっていて、スコールは外に出ていない場合は、専らそれに缶詰になっている。
それ位の事をしないと、仕事が後から後から山のように蓄積されてしまうのだ。
ラグナの方はと言うと、エスタの国の組織作りからして、大統領自らが出なくてはならない場面と言うのは少なかった。
ただし、それも開国するまでの事で、魔女戦争終結後、外国に向かって様々な情報発信を行う傍ら、国のトップとしての外遊と言うものも始まり、此方は此方で忙しい。
勿論、内政を放置する訳もいかないから、補助は多くいるとは言っても、やはり大統領の捺印が必要と言う事柄は少なくなく、内にも外にも見るものが多くて大変な毎日を送っている。
そんな二人が面と向かって逢える機会と言うのは、先ずそう簡単には持てないものだった。
なんとかラグナが休みを確保しても、スコールの方が任務に出ていたり、スコールが休んでいる時には、ラグナが外交に出向いていたり。
スケジュールの擦り合わせがそう簡単に上手くいく筈もなく、擦れ違いの日々が続いている。
ラグナの移動の隙間だったり、寝る直前にメッセージを留守番電話に残したり、慰めと言うにも細やかな糸で繋ぎ止めるのが精一杯だった。
だから、お互いの休みが綺麗に被るなんて、奇跡のようなものだ。
それを聞いたラグナが、喜色一杯にして、それを告げたスコールが映るモニターに齧りつく位には。
『マジ?本当?』
「……ああ。このまま、緊急の案件でも入らなければ、だけど」
糠喜びに終わってしまう可能性はいつだって否めなくて、スコールは防御線を張るようにそう言った。
そうなれば休み自体が返上されてしまうと言うのは、ラグナも判ってはいる事だったが、その前にやはり偶然の一致は素直に嬉しいものだった。
『そうなったら、それはしょうがないって。でも、今のまんまなら、本当にゆっくり話が出来るんだろ?』
「……ああ」
『そっかそっか。じゃあ、その日はどうしようか。俺がそっちに行こうか』
「いや……俺がエスタに行く。その方がまだ面倒は少ないだろ」
休みとは言え、一国の大統領が自国から気軽に出て良い訳もない。
其処にはせめて護衛なりお目付け役がいるだろうから、二人きりでゆっくり、と言う時間には出来まい。
裏技的には、其処にスコールを指名して大統領警護の依頼を出しても良いが、それではスコールは仕事モードになるのが関の山であった。
“休み”であるからこそ過ごせる時間と言うものがあるのだから、ラグナは其処には拘りたかった。
だからスコールの言葉には素直に頷いて、
『判った。それじゃあ、その日はエアステーションに迎えに行くからな』
「……ん」
別に要らない、と言うのはスコールにとって簡単な事ではあったが、ラグナが迎えに行く事を楽しみにしているのなら、それも良いと思う。
水を差すような言葉は引っ込めて、スコールもすんなりと頷くのだった。
魔女戦争の後、その最も功労者たるSeeD引いてはバラムガーデンに対し、エスタからラグナロクが譲渡されている。
この世界で最も科学に秀でた国から、最新鋭とも言える、飛空艇を丸ごと渡されたのだ。
他国からすればオーバーテクノロジーにも等しい、宇宙船ともなるその艇は、現在多忙なSeeDの重要な足として重宝されている。
しかし、ラグナロク本体のメンテナンス等は、バラムガーデン単独では手に余るものだった。
この為、定期的にその機体はエスタのエアステーションへと預けられ、各部の調整修繕を行っている。
今回、運良くそのタイミングとスコールの休みとが重なった。
加えて、スコールは休暇をエスタで過ごす予定であったから、「ついでに行き帰りに使ってくれれば、手間が省けるわ」と言うキスティスの提案も後押しとなって、スコールは世界最速の飛空艇を使ってエスタへと到着した。
紅い機体が故郷とも言える国へと降りると、スコールは自身の入国と、機体を預ける為の諸々の手続きを済ませ、ようやくエアステーションの外に出ることが出来た。
短い空の旅は一人だったので気儘なものではあったが、閉じ篭った空間で過ごした後に吸う外の空気と言うのは、なんとなく旨い気がするものである。
ついでに、移動中はずっと座席に座って本を読んでいたので、背中や肩が凝っている。
それを軽く背伸びをして解していると、
「スコール!」
呼ぶ声のした方を振り向いてみれば、相変わらずラフな格好をした、一国の大統領の姿がある。
こっちだこっちだ、と手を振るラグナを、道行く人々は気に留めたり、いつも通りと流していたり。
後者はエスタの国民で、前者は最近この国でも姿が見られるようになった、他国からの観光客だろう。
そっくりさんじゃない、と観光客が囁いているのは無理もないが、あれは紛う事なき本物だ。
傍にキロスとウォードがついている事が、それを証左と示している。
スコールは荷物とガンブレードケースを持って、手を振る男───ラグナの下へ向かう。
「いらっしゃい!いやー、久しぶりだなあ、お前の顔見るの」
「……顔は三日前にも見ただろう」
「そりゃ通信越しの話だろ。ナマで見るのは二ヵ月ぶりだよ」
そう言ってラグナはスコールの頬を両手て包み、ふにふにと揉む。
スコールが顔を顰めてそれを払えば、ラグナは判り易く拗ねた表情をして見せる。
「つれねえなあ」
「車で来たんですか」
唇を尖らせるラグナを無視して、キロスとウォードに訊ねた。
キロスは頷き、あっちだよ、と駐車場の方を指差す。
「観光でもして行くかい?昼は済ませてしまったかな」
「いや、まだ。でも別に何処に行くと言う気分でもないから……」
「じゃあ家で良いか?」
スコールの言葉に、ラグナがころりと表情を変えて言った。
別に構わない、とスコールが頷くと、ラグナはじゃあ行こう行こうとスコールの背中を押す。
外食をする気分でもないが、とは言え時間からして腹は空いていた。
ウォードの運転で走る車は、途中でショッピングモールに入り、キロスがファストフードで適当なものを注文して運んできた。
スコールは急いで食べるつもりはなかったのだが、ラグナが「温かいうちが良いだろ!」と早速バーガーの包装を取ったので、釣られて食べる事になる。
食べている間も相変わらずラグナはよく喋るので、スコールはそれをBGM代わりに食事を進める。
以前は、少しは静かにしていられないのか、と思う事も多かったラグナのお喋りが、今は当たり前にあるものだと感じるようになっているから、不思議なものだ。
偶には静かにしていて欲しいと思うのは、相変わらず、偶に思う事ではあるが。
まるで毎日驚きの出来事が起きているかのように、なんでも喋りたがるラグナのお陰で、車中の時間はあまり退屈には感じなかった。
都市の中心地から離れた所に誂えられたラグナの私邸に着く頃には、食事もすっかり終わっている。
大統領の私宅なら、色々とセキュリティが頑丈な一軒家を想像し勝ちであるが、ラグナの家はこぢんまりとしている。
もっと大きいか、或いは立派である方が、その立場には相応しいのではないかと思うが、何せ其処で暮らしているのはラグナ一人だ。
雇いの警備員やハウスキーパーはいるが、彼等は家に直接寝泊まりはせず、敷地内に備えられている、所謂社宅と言うものに待機住まいをしているそうだ。
だからラグナは実質的に独り暮らしと言う状態だから、それであんまり大きな家では余り過ぎて寂しくなる、だとか。
その家の前に到着して、スコールとラグナは車を降りた。
では三日後に、とキロスが言い、スコールがぺこりと頭を下げると、ウォードはにこりと笑って車を再び発進させた。
遠くなる車にラグナが手を振って、門柱の角にその車体が隠れたのを確認してから、ズボンのポケットからカードキーを取り出す。
「部屋は前と同じ所、綺麗にしてあるから」
「……ん」
ラグナが玄関を開けて、スコールは荷物を持って敷居を跨いだ。
向かう部屋は、以前にもスコールが宿泊に使わせて貰った所だ。
「もうあそこ、お前の部屋にしちゃっても良いなあ」
「…そこまでしなくて良いだろ。月に一度だって来ない事の方が多いんだから」
「でも、専用の場所を作って置けば、お前もこっちに来易くもなるだろ?」
そう言いながら、ラグナは此処だ此処だと言って、ドアを開ける。
確かにそこは二ヵ月前にもスコールが泊まらせて貰った部屋で、あの時と全く変わりなく、ベッドシーツも綺麗に整えられた状態で使用者の到着を待っていた。
取り敢えずソファの足元に荷物を置いて、一息吐こうとスコールが思った時だった。
両手が空になったそのタイミングで、ぐい、と体が引っ張られる。
完全に油断していたスコールは、力の作用のままに連れていかれ、ラグナの腕に閉じ込めるように抱き締められていた。
「ちょっと、ラグナ……!」
「んー」
「!匂いを嗅ぐな!」
首筋に埋められた鼻先が、すん、と其処を嗅ぐくすぐったさを感じて、スコールは顔を真っ赤にした。
離れろ、とラグナの額を掴んでぐいぐいと押すが、ラグナは抱き締める腕の力を緩めない。
それ所か、ちゅう、と首筋を吸われるのを感じて、スコールは思わずビクッと肩を震わせてしまった。
「ラグナ……っ」
「うん」
「聞いてるなら離れろ!」
「うーん。それは、なあ。勿体無くてさ」
ラグナの言葉に、一体何がだ、とスコールが睨むと、翠の瞳がちらりとスコールの顔を見て、
「だって二ヵ月ぶりなんだぜ。お前に逢うの」
「それは判ってる。だからっていきなり……」
「これでも我慢してたんだぞ。あいつらも一緒にいたからさ」
あいつら────勿論、エアステーションから此処まで送ってくれた、旧友たちの事だろう。
彼等の目があったから、そうでなくとも人目の付くところではスコールが絶対に嫌がるだろうから、いつもの過剰気味なスキンシップは努めて堪えた。
しかし、彼等とも別れ、完全なプライベート空間に入った今、もうラグナが遠慮をする理由はない。
ラグナが先ほど吸ったばかりの場所に、温かいものが宛がわれる。
這うようにゆっくりと滑って行く感触で、それがラグナの舌だとスコールも直ぐに理解した。
ぞくぞくとしたものが首の後ろから背中を降りていって、堪らなくなって身を捩る。
「う、ん……っ!」
「……お前、きっと久しぶりの休みだろ?俺より働き者だもんな」
腹を抱くように回されていたラグナの手が、するすると滑って、スコールの腹を撫でる。
その手がシャツの下に侵入している事に気付き、スコールはその腕を掴んで咎めるが、耳元にかかる吐息は既に熱を持っていた。
若くてその熱を覚えたばかりのスコールの体は、容易く伝染するように熱を孕み始めて行く。
は、とスコールが押し殺し損ねた吐息を吐き出せば、ラグナは甘く耳朶に噛み付いた。
「んんっ」
「本当はさ。ゆっくり休ませてやりたいとは思ってるんだけど」
「ん……、だったら……あ……っ」
「……ごめんな。その前に、やっぱり俺が、お前を感じたくなっちゃって」
「……っ」
そんな風に囁かれたら、スコールにはもう何も言えない。
二ヵ月もの間、匂いも感じる事が出来ない画面越しでしか、話が出来なかったのだ。
体温の心地良さを知ったばかりの少年にとって、それは淋しさを思い出すには十分な時間。
そうしてようやく叶った逢瀬に、相手の全てを感じたいと思うのは、無理もなく。
スコールはきゅうと唇を噤んだが、それは程なく解けて、そろそろと蒼の宝玉が背後の男を見遣る。
白い筈の頬を沸騰しそうな程に赤くしている少年の姿に、ラグナは愛しさを詰め込んでキスをした。
偶にしか逢えないもんだから、逢ったら我慢できなくなるラグスコ。
ラグナが毎回こうだと、スコールもそれを覚えてそうなって行くんだろうねって言う。
人前では素っ気なくしたり、ラグナの方が甘え倒しているように見えて、二人きりだとラグナの誘導もありつつスコールも染められているととても楽しい。
スコールの背中に出来た火傷を見て、見た目よりは酷くはないな、とレオンは言った。
受けたのが義士の放った炎の矢であった事が幸いしたのだろう。
本物からして、魔法の扱いは得意じゃないんだ、と言う言葉の通り、彼の魔法は威力も速度も大したものではない。
とは言え、全くの見た目だけでダメージがない、などと言うことはなく、当たると言うより“接近状態で着実に当てる”ことに使い方を絞れば、戦闘に置いて牽制や次への繋ぎの一手としては十分有効だ。
スコールは複数のイミテーションとの混戦の最中、義士に背後を取られ、これを喰らわされた。
義士の持ち味は接近での多彩な武器の扱いであったこともあり、裏をかかれたのは否定できず、スコールにとっては悔しい傷となっている。
スコールはウォーリア・オブ・ライトやフリオニール、セシルと違い、鎧を身に付けていない。
元の世界の在り様からして、足が鈍重にならざるを得ないような甲冑類はとうの昔に廃れていたし、あっても精々局所を防護する為のものだ。
それも重さは金属よりも軽く、かつ衝撃を逃がしながら耐えうる特殊合金であるとか、カーボン等を多用した柔軟性のあるものが多かった。
尚且つ、接近戦よりも、銃を多用したり、大型駆動の機械兵器で圧力を与える戦術が主流であるので、弾丸を防ぐような防弾ジャケットの類は別としても、個々人の防具装備と言うのは、機動性が重視される所もあった。
また、スコール達SeeDは、ジャンクションと言う能力を使うことが出来るから、それを接続する事で自身の身体能力を底上げすることが出来る為、道具に関しては武器を最優先に、後は各人の戦闘スタイルに合わせて、機動力を落とさないように選ぶことが推奨されている。
だが、召喚されたこの異世界では、防具の類は中々大事なものになっている。
銃火器を使う者はいないし、弾丸もスコールがガンブレードに装填する以外に使い道はないが、その代わり、多くの世界では魔法の火力が非常に強い。
本物の魔女を除き、“疑似魔法”しか使うことが出来なかったスコールの世界に比べ、ファイア一発でもその威力は大幅に違う。
魔力を扱うのは得意ではない、と言ったフリオニールに関してもそれは同じで、スコールのファイアよりも、彼のファイアの方が幾らか威力は上だった。
この為、頑強な防具を身に付けていないスコールがそれを喰らえば、それなりのダメージが残る事になる。
────だが、スコールの背中に残った火傷の後は、範囲こそ広いものの、ほぼ表面的なもので済んでいるとレオンは言った。
「間近で喰らった訳ではないんだな」
「……多分」
火傷用の塗り薬をスコールの背中に塗り広げながら言うレオンに、スコールは小さく頷いた。
後ろからの攻撃だった為、自分自身でさえその詳細は確認できていないが、少なくとも数メートルの距離はあった筈。
だから撃って来るなら投げナイフか手斧だと警戒していたのだが、直線軌道のないファイアを使われるとは思わなかった。
慢心だ、と読みが浅かったことに唇を噛む。
レオンは薬を塗り終わると、救急箱から包帯を取り出した。
慣れた手つきで巻き付けられていく包帯の感触に、動き辛くなる、とスコールは眉根を寄せる。
「……包帯なんて良いのに」
「じゃあ、背中全部を覆う位、大きなガーゼでも買ってこようか」
「もっと邪魔だろ、そんなもの」
「なら大人しくしている事だ」
ぐ、と包帯の巻き具合を軽く締めるレオン。
スコールはまた唇を噛んで、むうう、と眉間に深い皺を刻んでいた。
「そもそも大袈裟なんだ。薬だって」
「だが、ケアルもポーションも使う程じゃないと言ったのはお前だろう」
「動けない傷じゃないんだ、ケアルだって薬だって勿体無い。それなのに」
「傷そのものを今すぐ治さなくて良いなら、傷口の保護くらいはしないと、衛生上良くないぞ」
「それは────そうだけど」
レオンの言うことは最もで、大した事がないからと、負傷を何もかも放置するのは良くない。
この世界で怪我と言うのは日常茶飯事であるから、その一つ一つに丁寧に手当てをするのはキリがないのだが、最低限の処置はしておくべきだ。
これなら大人しくケアルを貰って置けば良かったかも知れない、と包帯の窮屈さに辟易しながらスコールは思う。
そんなスコールの様子に、レオンは包帯の端を固定しながら言った。
「そう拗ねるな。何せ場所が背中だからな、自分ではどうなっているのかちゃんと見えてないだろう」
「……」
「大した火傷じゃないのは確かだが、何せ範囲が広い。判るか、此処から此処までだ」
トン、とレオンの指がスコールの背中の一点を押し、其処から随分と離れて下へ。
此処まで、と言ってもう一度指が押した場所までを考えると、確かに広い範囲と言えるだろう。
レオンがスコールを諫める為、大袈裟に誇張していなければ、だが。
「お前自身、大したことがないと思ってるなら、それは良い事だ。だが、かと言って軽く見過ぎるのも良くない」
「……判ってる」
「なら良い。包帯は明日、具合を確認するついでに替えるとしよう。ついでに他にも傷があるなら見ておくが、どうだ?」
「別に、他は何も」
傷なら戦闘の都度に大なり小なりつくものであるが、治療が必要なほどのものはない。
擦り傷だとか小さな切り傷だとか、そんなものまで気にしていたら、この世界では傷薬が幾つあっても足りなくなるだろう。
そろそろ服を着よう、とスコールがソファの上に放っていたシャツに手をかけた時だった。
ひた、とスコールの脇腹に、柔らかく触れる手の感触。
「ここの傷は?」
「傷?」
そんな所にあったか、とスコールは首を傾げた。
其処なら自分で見て確認できるだろうと視線を落としてみると、レオンの手が丁度それらしき場所を覆っている。
それじゃ見えない、とレオンの手を退かそうとすると、思いの外しっかりとした抵抗感に遭った。
「……レオン?」
「うん」
「……別に痛くもないから、多分大したものじゃない」
「そうか。じゃあ、こっちは?」
スコールの脇腹に触れていた手が、するりと腰を抱くように絡まって、強い力で引っ張られる。
身構える間もなく、スコールはレオンの腕に抱き寄せられるように捕まっていた。
手当の為にソファに横向きに片足を挙げて座っていたレオン。
その膝の上にスコールは座らせ、彼の胸に背中を預けるように寄り掛かる。
そしてレオンの手は、巻いた包帯のすぐ上───スコールの胸の上あたりを滑るように撫でた。
俄かにぞくん、とした感覚が体を走って、スコールは真っ赤になってじたばたと暴れ始める。
「っそんな所に傷なんてない!」
「よく見たか?」
「見てる!見えてる!」
目のない背中と違って、体の前ならちゃんと自分で見えるのだ。
首ともなると鑑が必要だが、胸の上位なら、少し見え辛くはあっても、ちゃんと視界に入る。
何度見ても傷なんてものは其処にないと言うのに、レオンの手は悪戯を止めない。
「ちょっと、止め……っ」
「背中の傷に響くぞ。大人しくしていろ」
「あんたが変な事をするから!」
「変な事と言うのは────」
これか、とするりと胸を撫でる指先。
たったそれだけの事なのに、覚えのある感覚に、スコールは口を噤んでしまう。
そうしないと、あられもない声が出てしまいそうになるからだ。
今日の秩序の聖域は至って静かなもので、いつもスコールに構いつけて来る賑やか組は勿論、他のメンバーも出払っている。
レオンは今日の待機番で屋敷に残っており、スコールはいつものように一人で出て、一人で帰ってきた。
よく追い駆けて来るバッツとジタンは、今日はそれぞれのパーティに組まれている為、スコールは一人気儘な時間を過ごしたと言う訳だ。
そんな時にイミテーションの群れと遭遇し、口惜しくも負傷して帰ってきたのだから、手隙でもあったレオンが手当てをしようと言うのは当然の流れだろう。
其処までは理解するが、しかし此処から先は、どう考えても手当と言う名目から外れている。
レオンは巻いたばかりの包帯のある場所を避けながら、他の露出している肌を酷く柔らかい触れ方で撫でて行く。
早く服を着れば良かった、とスコールは思うも既に遅く、後ろから首を甘噛みされるのが判った。
痕が残らない程度に立てられる歯の感触に、あ、と小さな声が漏れる。
「一通り確認しておこうか」
「な、にを……」
「他にも傷がないかどうか。お前はすぐに隠したがるから」
言いながら、レオンの右手がするすると降りて行き、スコールの腹を撫でた。
其処からまたゆっくりと、体のラインを確かめるように滑る手が、引き締まった太腿へ。
「だから、そんな所に傷なんて……」
「ないと言い切れるか?此処にもあるのに」
ちゅ、とレオンの唇が、スコールの肩の後ろを吸った。
彼の言う通り、其処に傷があるのか、今のスコールには確かめようもない。
だが本当に傷があるのなら、レオンはこんな戯れをしていないで、真っ当に手当てをしようと言い出すだろう。
それを思えば、やっぱり嘘か、精々とうに治った傷の瘡蓋が消え切っていないとか、その程度だろうとは思うのだが、
「こんな世界だからな。傷なんて一々気にしているものじゃないとは思うが」
「ん……う……」
「お前が無事だと言うこと位、触れて確認するのは良いだろう?」
そう言ったレオンの手が、益々確信をもって悪戯をするのを感じていると、これは確認じゃない、とスコールは思う。
屋敷の中はやはり静かで、メンバーは今朝発ったばかりだから、斥候や探索から早々に帰って来る者は少ないだろう。
しかしスコール然り、ふらりと出掛けて気が済めば帰って来る者がいない訳ではないのだ。
それを思うと、共有スペースとも言えるリビングで、これ以上の“確認”は聊か不味いと思うのも確かで。
「……レオ、ン……」
「ん?」
じわじわと育って行く熱の感触に、堪え切れないのはいつだってスコールの方だ。
レオンは普段と変わらない顔をしながら、けれど何処か楽しそうな顔で、スコールがそれを切り出すのを待っている。
言わなくては次に進んでくれないのが常だから、スコールは真っ赤になりながら白旗を上げるしかない。
此処は嫌だ、と蚊の鳴くような声で零せば、レオンは満足そうにスコールの項にキスをした。
柔く舌が当たるのが判って、ぞくりとした感覚が背筋を駆け抜ける。
背中の傷が、大人しく出来ないのかと抗議したような気がしたが、抱き上げる腕から逃げるなんて選択肢はないのだった。
レオスコいちゃいちゃ。
抵抗しているけど、レオンになら割と何されても良い距離感のスコール。
レオンの方も判っているので、スコールが本気で嫌がらない程度に揶揄いながら可愛がってる。
いつかの旅は、今思えばリノアにとって、とても自由で広くて無限大だった。
ティンバーのレジスタンス活動に関して、サイファーに相談しようと思って訪れたバラムガーデン。
そこで一緒にダンスを踊った青年は、「踊れないんだ」と言ったのに、本当はとてもダンスが上手かった。
なんで嘘を吐いたんだろうとその時は思ったけれど、今なら判る。
彼はごくごく単純に、ああいう場自体が好きではなく、他人と物理的にも心理的にも近しい距離になるのが好きではなかったから、壁の花に徹していたのだろう。
それを踊り場に半ば強引に引っ張りだした自覚はあったが、リノアはその瞬間のことを後悔していない。
あそこで彼に逢えたから、彼の顔をじっくりと見て覚えたから、その後の再会でもリノアはすぐに「あの時の人だ」と思い出すことができたのだ。
もしも思い出すことがなかったら、きっとリノアは彼にとって、“ただの依頼人”として終わっていただろう。
それから魔女と対決したり、軍に捕まったり、ガーデン内の派閥争いに巻き込まれたり。
動き出したけれど操作不能になったバラムガーデンの中を案内して貰ったり、海の真ん中にある大きな駅で、彼と二人きりで話をしたり。
魔女に意識を乗っ取られている間の事は、当然ながら全く覚えていないのだけれど、目を覚ました時の絶望感は忘れられない。
何処までも真っ暗な世界の中に独りぼっち、指先から冷えて行く体、息も出来ないほど、肺まで冷たくなって行くのが判った。
このまま死んじゃうんだ、と他人事のように思った、その時。
頭の中から響いてきた、死ぬ間際の空耳のようにも一瞬感じた、けれどはっきりと伝わった、名前を呼ぶ強い声。
必死に、一所懸命に、そんな風に自分の名前を呼んでくれる人がいるだなんて、思ってもいなかった。
そして、彼から預けて貰った“一番のお気に入り”が目の前できらきらと輝いていたから、ああこれは返さなくちゃ、と思ったのだ。
だから、生きなくちゃ、と。
それから二人きりの宇宙空間で、ほんの少しの間、話をした。
大事な話をしなくてはいけないことは判っていたけれど、現実から目を逸らしたくて、他愛もないことを語り合ったりもした。
けれど残酷な事実は、逃げても追い駆けて来て、結局、魔女の力のことは知られてしまった。
あの時、泣き出しそうな顔をしていたのは、リノア自身だけではないのだと、彼は気付いていただろうか。
沢山の人に、何より目の前の人に嫌われる前に、いなくなりたいと言った。
そうすれば、自分の心の中にいるのは、宇宙まで自分を迎えに来てくれた目の前の人でいっぱいになる。
それがあの時、リノアが精一杯に考えて考えて行き付いた、最後の我儘と、自分への慰めだった。
だと言うのに、そこからまた迎えに来てくれるだなんて、誰が思っただろう。
泣きそうな顔で見送ってくれた彼は、お気に入りのリングも預けたままで良いと言った。
だからきっと、多分、彼も最初はそういうつもりではなかったのだ。
彼はリノアの我儘をずっとずっと叶え続けてくれて、あの時もそれは同じで、最後までリノアの心に寄り添ってくれていた。
だからこそ、もう一度迎えに来てくれるなんて、想像もしていなかったのだ。
受け止めてくれた彼の腕の体温を覚えている。
「魔女でも良い」と言ってくれたその声は、耳の奥に染み付いて、きっと一生忘れない。
そして、きっと皆の旅の始まりとなった、未来の魔女との闘いは終わった。
何処にだって行く事が出来たような気がした、リノアの自由な旅も終わった。
拗れ続けていた父親との間は、彼が不慣れだろうに間に入ってくれて、自分自身もあの頃よりも周りがきちんと見えるようになって、少しだけ改善されている。
ただその分、ティンバーを駆け回っていた時のような向こう見ずな勢いは形を潜めてしまって、今は限られた場所を行き来する毎日。
内包する儘の魔女の力のこともあったし、それそのものはやはり恐ろしくはあるけれど、付き合って行こうと思う位には、受け入れた。
だってこの力があったから、リノアは彼等と一緒に旅をすることが出来たのだ。
だから、今後この力をどうするのか、どうすることが出来るのかと言う研究に協力することも含めて、以前よりは不自由になった日々を受け入れている。
────と、こう綴ると、今の日々が窮屈にも見えるのだが、存外とリノアは自由である。
行ける場所に限りはあるけれど、常に傍に監視がある訳ではなかったし、遠出をする際には護衛が求められる身にはなったが、その際就いてくれるのは事情を知っている面々、つまりはあの旅を過ごした仲間達だ。
カーウェイからの依頼と言う形もあり、彼等にとっては仕事の一つと言うことだが、それでもリノアにとっては、束の間、気心の知れた仲間と逢える貴重な機会だった。
特に一番心を寄せる、リノアの“魔女の騎士”は忙しさは最たるもので、中々その護衛任務に来てもらうことも出来ない。
それでも顔だけでも見たい、と願うリノアの乙女心を皆は理解してくれるから、可能な時には、彼のスケジュールを譲って貰えることもあった。
今回、バラムガーデンに来たのも、それが理由だ。
リノアは、一ヵ月ぶりにバラムガーデンの門を潜り、旧知の面々と再会した。
と言っても、皆多忙な身であるから、逢えたのはガーデンに教師業もあるからと詰めているキスティスと、任務帰りだったと言うゼルだけだ。
他のメンバーは、それぞれ明日には帰る筈よ、と言われたので、それを楽しみにしている。
そしてリノアは、「まだ顔を見てないから、多分部屋よ」と言うキスティスのアドバイスに従って、ガーデンのSeeD寮へと急いでいる。
(昨日も遅かったみたいだし、まだ寝てるかも)
勝手知ったる人の庭で、ガーデンの構造はリノアの頭に入っている。
すっかり通い慣れたルートを歩く足は、分かり易く弾んでいて、この後のことを楽しみにしているのが判る。
その後ろをついて来る愛犬も、久しぶりに彼と逢えるのが嬉しいのか、終始興奮気味にステップを踏んでいた。
寮の建物に入ったら、二階に上がって、並ぶ扉を四つ通り過ぎる。
部屋番号を間違えていないことを確認し、扉横のパネルについているキーボタンをぽちぽちと押した。
もう見なくても間違えずに押してしまえる位に、此処に通っているのだと思うと、なんだか面映ゆい。
解錠ボタンを押すと、ピピ、と言う小さな音が聞こえた後に、かちゃん、とロックが外れる音が鳴った。
「おじゃましま~す」
部屋主が寝ているかも知れないと言う配慮から、気持ち声を潜めて挨拶をしながらドアを開ける。
返事はなかったが、いつものことと言えばそうで、リノアは構わず中に入った。
アンジェロが一緒に中に入ったのを確認してから、そうっとドアを閉める。
改めて部屋へと向き直ると、思った通り、部屋の主───スコール・レオンハートはベッドの上で蹲るようにして眠っていた。
ネコちゃんみたい、と思いつつ、リノアは足音を忍ばせて、眠る部屋主の下に近付く。
「……おーい」
「………」
「お邪魔してますよ~」
声をかけるリノアだが、その声は眠りを妨げない小さなものだ。
目元にかかる前髪のカーテンを、リノアの指がそうっと持ち上げてみても、長い睫毛を携えた瞼は動かない。
大分深い眠りの中にいるようで、これは揺さぶりでもしないと起きないだろう。
けれど、日々を忙殺の中で過ごしている彼の事を思うと、それをするのは聊か可哀想だ。
アンジェロがベッドの端に顎を乗せて、くんくんと鼻を鳴らしている。
久しぶりに嗅いだスコールの匂いが、アンジェロにとっても嬉しいようで、はっはっはっ、と息が弾んでいた。
早く起きて遊んで欲しいけれど、眠りを妨げようとはしない愛犬に、リノアは良い子良い子と頭を撫でた。
「スコールが起きるまで、ちょっと待ってよっか」
「クゥン」
「うんうん」
返事をするように小さく鳴いたアンジェロに、リノアはくすりと笑う。
リノアがベッド横にすとんと腰を下ろすと、アンジェロはその隣に伏せた。
飼い主の気持ちに沿ってくれる、彼女もとても良いパートナーだ。
だから、リノアが大好きな彼に、彼女もよくよく懐いてくれたのだろう。
リノアはアンジェロの柔らかい毛並みの背中を撫でながら、じっと眠る恋人を眺めていた。
(やっぱり寝顔、可愛いなあ)
いつかに初めてその寝顔を見た時、リノアは同じ事を思った。
普段はずっと、それが基本のパーツのように浮かんでいる眉間の皺は、眠っている時だけ緩んで消える。
そうすると、存外と幼い顔立ちをしているのが露わになって、昔の彼が“泣き虫だった”と語るサイファーの言葉が判る気がする。
少なくとも、気が強い人の顔をしていないのだ。
彼等と知り合ってからまだ一年程度しか経っていないリノアにとって、そう言った思い出話は聞いていることしか出来ないものだけれど、こうやって、ふとした時にその名残の片鱗を見付けられる。
その瞬間が少しだけ嬉しくて、リノアは彼等の思い出話を聞くのが好きだった。
リノアはそうっと手を伸ばして、スコールの頬に触れる。
色白と言う訳ではないけれど、スコールの肌はあまり日に焼けることが出来ないらしく、日光に当たると僅かに赤らむ。
今日はずっとこの部屋で眠っているのだろう、そのお陰で今は健やかな肌色だ。
その頬をつんつんと突いてみると、薄い弾力の感触が帰ってきた。
(流石にそんなに柔らかくはないよね。スコールだし)
セルフィやゼルのようにころころと表情を変える訳ではないので、スコールの表情筋は固い。
ラグナのようにお喋りに富む訳でもないので、口の周りは尚更、動かすことは少なかった。
(初めて会った時からそうだった。あんまり喋らないし、ずっと眉間に皺寄せた顔してたし)
壁の花になっていた時、スコールの下には、ゼルやセルフィが声をかけに行っていた。
試験の時に同じ班───よくよく聞くとセルフィはまた違ったそうだが───だった縁もあっての事だろう。
その時から、スコールはあまり口を動かしていなくて、二人の方がオーバーにはしゃいでいるように見えた位だ。
スコールは早く帰りたい、と言わんばかりの様子で、面倒臭そうに黙々とグラスを傾けていた。
リノアは、そんなスコールを見付けて、格好良いな、と思ったのだ。
グラスを片手に、壁に寄り掛かって、一見するとぼんやりとした表情で、じっと天井を見上げている。
誰もが見ているようで見ていない、ガラス越しの空を、彼は一人見ていたのだ。
その時、リノアもなんとなく空を見上げていて、月の前を横切るように走る、小さな光を見付けた。
今思えばあの光は、大気圏で人工衛星か何か───ロマンを掲げるのなら隕石か───が燃え落ちる瞬間だったのだろう。
一秒になるかならないか、そんな僅かな時間に輝いた光を、自分と彼だけが見ていたから、リノアは彼に声をかけようと思ったのかも知れない。
(あと、格好良かったし)
別に人選びをしていたつもりではなかったけれど、あの場でスコールを見付けた時、彼が一番格好良い、とリノアは思った。
人目を避けるように壁の花に徹していた彼が、リノアには誰よりも眩しく色付いて見えたのだ。
あれからスコールとは色々あって、喧嘩もしたし、仲直りもした。
スコールは言葉が少ないから、暖簾に腕押しをしている気分になるのはよくある事だったが、それでも彼は色々な事を考えてくれている。
そして、大事な時には、きちんとリノアが欲しい言葉をくれた。
あの花畑で、つっかえながら話してくれたスコールの言葉は、何処まで行ってもリノアの一番柔らかい場所に溶け込んでいる。
(……今は、あんまり傍にいられなくなっちゃっているけど。でも、それでも……)
離れるな、と言ってくれた時、どんなに嬉しかったか。
リノアの望みに添って離した手を、もう一度握り締めに来てくれた時、その手を引いて封印施設から逃げた時。
嬉しくて眩しくて温かくて、前を走るその背中が愛しくて、夢を見ているような気持ちになった。
そして今も、スコールは、リノアを沢山の悪意から守る為に奔走している。
リノアが遠くに行かなくて良いように、自分の手の届く場所で守り続けることが出来るように。
だから彼の言った「俺の傍から離れるな」と言う言葉は、あの頃と形が少し変わっただけで、今もずっと続いているのだ。
(だからね、スコール。無理しないでね)
リノアが部屋の中に入って来ても、傍でこうして眺めていても、起きる様子のないスコール。
それ程、疲れているのだと思うと、リノアは歯痒いものもあったが、同時に嬉しくもあった。
大好きな人が、自分の為にこんなにも頑張ってくれる人がいる事が、嬉しくない訳がない。
だからリノアは、極力、休息を採るスコールの邪魔をしないようにと努めている。
……けれども、いつまでもこうして眺めているだけで時間が過ぎて行くのも、勿体無くもあって。
「……落書きでもしちゃおうかなぁ」
そんな風に、する気のない悪戯を呟くいた時だった。
んん、と小さくむずかる声が零れて、丸くなったスコールの手脚が身動ぎする。
「……う……」
「あ」
ぎゅう、と眉間に皺が寄せられた後、重い瞼が震えた。
薄らと覗いた蒼の瞳は、まだ差し込む陽光の眩しさを嫌い、何度も強く閉じては一瞬だけ開くのを繰り返す。
気配を察知してか、伏せていたアンジェロが頭を起こし、じっとベッドの上の住人を見詰めていた。
リノアはそっと、スコールの頬に手を当てた。
夢か現か、まだ寝惚けているのだろう、スコールのぼんやりとした瞳がリノアを捉える。
「……リノア……」
「うん。おはよう、スコール」
触れる温もりは夢ではないと、此処に自分はいるのだと伝えるように、優しく撫でてみる。
スコールはそんなリノアの手に、自分の手を重ねると、愛おしむようにそっとそれを口元に寄せ、
「……おはよう、リノア」
手のひらに触れる柔らかい感触に、わあ、とリノアの顔が赤くなった。
居眠りスコールと、それを眺めるリノア。
スコールにとって眠るリノアを眺めるのは、色々と思い出して複雑になりそうですが、リノアの方はスコールの寝顔を見るのは好きそうだなあと。公式に「寝顔、かわいい」で起きるまで眺めてたようだし。
あとうちのリノアは、スコールの顔が大好きなようです。格好良いし可愛いしで、痘痕も笑窪。スコールにとってリノアもそうなので、お互い様。
目覚めと同時に、鈍い頭痛を感じて、ああ二日酔いなのだと直ぐに気付いた。
昨晩は遅くまで飲んでいて、それ自体も先ずレオンにとっては稀な話だったのだが、加えて相手が気の知れた相手だった事も、また珍しい話だったと言えるだろう。
そもそもレオンが滅多に深酒をしないし、外で飲んだのなら尚更で、大抵は酔いが回る前に切り上げるようにしている。
その方が翌日に支障も出ないし、飲み相手の手を煩わせる事もないからだ。
しかし、気分が良ければやはり杯も進むもので、相手が彼ならとついつい気も緩んだ。
翌日の仕事が休みと言うこともあり、明日を気にする必要がないとなれば、やはりレオンも酒の誘惑には抗えず───結果、この頭痛と相成った訳だ。
重い瞼を擦りながら目を開けると、知らない天井が見えた。
ほぼ真四角で、それほど視界を動かさなくても一杯に見える辺り、ビジネスホテルであろうか。
シンプルで飾り気のない天井には、これもまたシンプルなLED電球が四つあるだけで、見様にによっては殺風景に見えるのかも知れない。
傍らには小さな滑り出しの窓があり、カーテンも引かれていたが、隙間から僅かに陽光が差し込んでいた。
光がそれ程強くない事から、まだ朝の時間としては早いのだろう、恐らく。
取り敢えず、正確な時間を確認しようと、レオンは時間を確認できるものを探した。
首だけを緩く回して、何処かに時計か携帯電話がないかと思っていた時、直ぐ傍らに、眩い程のプラチナブロンドが流れているのを見付けて、
「……────??!」
がばっ、とレオンは起き上がった。
自慢にもならないが、レオンの寝起きは悪い方だ。
仕事となれば覚醒用のスイッチが入るので、早め早めにアラームをセットする事も含め、浅い眠りからすんなりと浮上する程度の寝起きを得ることは出来るが、休みであれば話は別だ。
普段、そうやって仕事用の意識を徹底している所為か、休みの朝はそうして不足した睡眠を取り戻すように、覚醒までのエンジンが遅い。
どちらかと言えば低血圧気味だから、朝は余り急激な運動は控え、朝食を採るまでたっぷりと時間を採りながら行動する方だ。
そんなレオンであったが、今朝ばかりは違った。
ロケットスターターを踏んだように跳ね起きたレオンは、傍らにあるものを見て、更に目を見開く。
加えて、自分がすっかり裸である事に気付き、益々混乱が深まる。
(は?……何……え?)
古代の時代、とある国では床に広がる程の長い黒髪を持っている事が持て囃され、緑の黒髪と言う言葉が生まれた。
その黒髪は水が流れるように滑らかで、真っ直ぐ艶やかである事がより良いと言われ、それ故か、古文書に綴られた女性たちの多くは、そう言った言葉が似合うように描かれている。
現代では髪型は随分と自由になり、かくあれと言うようなイメージは、逆に個人の自由を奪っていると反論する声もあるのだが、それはそれとして、テレビCMでも度々見かけるように、しっとりと流れる長い髪と言うのは、やはり人々の羨望を集めるものであった。
その流れるように長い艶やかな髪が、今レオンの傍らに寝ている。
色は黒とは真逆の銀色であるが、その色であるが故に、黒よりも柔く光を反射させ、きらきらと眩く輝いている。
一本一本は酷く細い線のようで、それが幾重にも束になり、絡む事なく一本ずつが流れに沿っていく様子は、多くの女性の憧れを集める事だろう。
背中側からそれを見たレオンは、一瞬、酔った勢いで知らない女と寝たのかと思ったが、
(……セフィ、ロス?)
女でも早々見ないであろう、長く艶やかな銀髪の隙間から、しっかりとした背筋が覗いている。
均等に鍛えられ引き締まった筋肉は、フィットネスかボディビルでもしていれば別だろうが、女性のものとは明らかに違う。
時折身動ぎするその肩も、幅も、やはり男のものであった。
レオンの知り合いで、銀髪を持っている男と言えば、一人しかいない。
昨晩、一緒に飲みに出かけた、同僚のセフィロスただ一人だ。
一体どういう訳だとレオンが混乱するのは当然であったが、
(どうして、……ええと……あ……終電を逃して、一緒に泊まったのか?)
それなら納得がいく、とレオンはふと落ち着きを取り戻す。
昨日は珍しくセフィロスの誘いで飲みに行く事になり、良い店を見付けたと言う彼に任せていた。
案内された店は、ひっそりとした場所にあった隠れ家的なバーで、確かにレオンものんびりと過ごす事が出来たし、美味い酒にもあり付けた。
積もる話があったと言う程ではないが、会社の愚痴なり、案件の相談なり、レオンの家族の関する話なりと、意外と話題は尽きず、その間にそれなりに酒も飲んだ。
其処までは辛うじて思い出したレオンだが、やはり飲んだ量があった所為か、いつ店を出たのか、帰り路をどうしたのかは全く出て来ない。
現状として考えられるのは、終電を逃し、店の場所からしてタクシーで帰るのも聊か遠いだとか、レオンが潰れた事で近場のホテルで泊まることをセフィロスが選んだと言う所か。
それで納得がいく事は幾らもあるのだが、いやしかし、
(………なんで……裸なんだ?)
ベッドが一つしかない小さな部屋だと言う事は、空いている部屋が其処しかなかったのだろうと思う。
そこそこ体格の良い男が二人で並んでも全く窮屈に感じないと言う事は、ダブルかセミダブルだろうか。
それもまた、部屋が選べなかった上、意識の飛んだ酔っ払いを抱えて別のホテルを探す面倒を思えば、理解できる。
だが、どうして二人とも裸なのだろう。
裸で同衾しているなんて、まるで何かあったみたいじゃないか、とレオンがまさかと思った時だ。
(……何か……いや……それは……)
じん、とした感覚がレオンの体に滲んで来て、その違和感の部位を覚ってしまう。
それこそまさかと思うのだが、ではこの感覚の正体と由来は一体何なのかと問われれば、答えに詰まる。
正確な答えを知らないレオンは想像するしかないのだが、ともかく“そう言うものではないか”と思ってしまう位には、答えが一つしか浮かばなかった。
(酔って……吐いた?服の上にぶちまけたとか。それなら、脱がすのは、当たり前で……)
覚えはないが、ひょっとしたら吐いたのかも知れない。
酔っ払いが衝動で襲ってくる吐き気にできる対応など知れたもので、我慢できずに衣服を犠牲にするのはある事だ。
その際、飲み相手の服まで駄目にしてしまうと言う事も、残念ながら、起き得る事である。
そうなれば、服は脱がされ、着替えさせるまでは面倒にされて、裸のままベッドに放り込まれるのも理解できる。
だがレオンの方はそれで良いとして、どうしてセフィロスまで裸で寝ているのか。
眠る時には裸身でなくては落ち着かないと言う人はいるから、そう言うことだろうか、と当て嵌まる理由を探すように惑乱していると、ゆっくりと銀色が起き上がり、
「……ああ。起きたか」
ゆっくりと振り返った美丈夫は、不思議な虹彩を宿した翠にレオンを認め、そう言った。
普段の様子と全く変わらないその冷静振りに、レオンが反対に言葉を失っていると、形の良い指がゆっくりとレオンの頬へと伸ばされる。
寝癖のついた髪を指先で愛でるように滑らせた後、その手はレオンの耳の裏側を柔らかく圧した。
「辛くはないか。それなりに配慮はしたつもりだが」
「……え」
セフィロスの言葉に、レオンは意味が読み取れずに混乱する。
どういう意味だ、と問う事さえも忘れ、ただただ目の前の銀色美人を見詰めてフリーズしている間に、セフィロスはレオンの肩を抱き寄せた。
突然の力の作用に、これまたレオンが目を丸くしていると、セフィロスの手はレオンの腰の後ろに添えられる。
「痛むならこの辺りだと思うが」
「ちょ……セフィロス、待ってくれ」
止めるレオンの声などどこ吹く風と、セフィロスはレオンの肩口から背中を覗き込んでいる。
腰に添えられた手が、酷くやんわりとそこを撫でるものだから、レオンは俄かに妙な感覚に襲われた。
待ってくれ、ともう一度訴えるが、セフィロスは酷く真剣な顔でレオンの背中を見下ろしている。
「……見ただけでは分からんな」
「な、何を見ているんだ」
「後は……ああ、一番無理をしたのは此処だと思うが、どうだ?」
そう言ってセフィロスは、レオンの臀部をするりと撫でた。
労わっているのか、揶揄っているのか、よく判らないその仕種に、レオンは咄嗟にセフィロスの腕から逃げる。
後ずさって距離を取ったレオンは、掛布団を蹴り飛ばしていた。
布団はベッドの端に放られ、男二人がすっかり裸になっているのが露わになる。
案の定、レオンもセフィロスも、下着すら履かずに全くの裸であったことが明らかになり、どうして───とレオンが更なる混乱で言葉を喪うと、
「……覚えていないか。まあ、仕方がないとは言え、残念だな」
「な……」
「俺としてもそれなりに腹を括った話をしたつもりだったんだが」
「は……!?」
セフィロスは一体何をしているのか。
一体何を言っているのか。
昨晩、自分達は一体何をどうしたと言うのか。
幾つも浮かぶ疑問を、レオンは目の前の男にぶつけるべき言葉も探せずに、ただただ硬直する。
その傍ら、先も感じた躰の違和感が、じんじんとした信号を持って主張し始める。
まるで、答えはこれだと言わんばかりの感覚に、まさかそんな事はと、理性と常識と言う理屈がレオンを雁字搦めにしていた。
蒼くなって赤くなって、見当たらない記憶を必死に探るレオンに、セフィロスは肩膝を立て、其処に頬杖をつきながら、緩く笑みを浮かべて見せる。
「まあ、俺も昨日は多少なり酒が回っていたからな。その所為で口が滑ったようなものだったが、お前の方から構わないと言ってくれたのは、嬉しかった」
「……俺の方、から?」
「お陰で俺も変に張り切っていたかも知れないな。だが、離そうとしなかったのはお前だったし」
「……俺、が……」
「ああ。初めての事だから無理はさせたくなかったんだが、随分と情熱的に強請ってくれるものだから、俺も止められなかった」
何を、何が、とセフィロスははっきりとその単語を口にはしていない。
しかし、何をしたのか、何があったのか、それをレオンに匂わせ理解させるには、十分な言葉が使われていた。
ただそれを確定的にさせないのは、レオンの昨夜の記憶がない、と言う点のみ。
それ以外は、レオン自身がずっと感じている体の感覚も含めて、それが事実であると告げているようなものだった。
きしり、と小さくベッドのスプリングが音を立てる。
ベッドの隅に逃げていたレオンの下に、セフィロスはいつの間にか近付いていて、あの恐ろしく整った顔がレオンの目の前に迫っていた。
同僚として見慣れている筈だったその貌に、触れそうな程に近い距離で見詰められ、俄かにレオンの心臓が走り出す。
妙に距離感の近い所のある男だから、そんな距離に詰められるのはレオンにとって決して初めての事ではない筈なのに、まるで体が“何か”を覚えたかのように、じんじんとした熱が腹の奥で疼き出した。
吐息が届きそうな距離で、セフィロスはゆるりと笑って言った。
「お前が酒に弱いことを、もっと考えておくべきだったな。覚えていないのなら、それは仕方がない」
「……セフィ、ロス……っ」
「だが、それならもう一度、確かめてみるまでだ」
セフィロスの指がレオンの顎を捉え、まるで逃げるなと言うように、綺麗な顔へと向かされる。
幾人もの異性を虜にし、同性の嫉妬を集める、整い過ぎた貌が、どうしてよりにもよってこっちへ向けられているのかと、レオンの思考はずれた方向を向き始めていた。
逸る心臓は、今にも口から飛び出して行きそうだった。
それを塞ぐかのように、ゆっくりとセフィロスの貌が近付いて来る。
「なあ、レオン────」
告げる言葉を、自分は本当に、昨日の夜に聞いたのか。
それに何と答えたのか、必死に記憶を探るも、やはり答えは見付からないのだった。
ただ突き飛ばす事も出来ずに、その唇を受け入れていた時、目の前で閃く虹彩が、酷く満足そうに笑んだ事だけが判った。
7月8日なのでセフィレオ。
大人なのでね。酔った勢いでそんな事が起きたりもするかも知れない。
この件の後、レオンはしばらくぎくしゃくしてますが、セフィロスの方は拒否されなかったので良し良しと思ってる。
脈アリなのは確かなので、此処からはじっくり囲って行くんだと思います。