[ラグスコ]水と熱のあわいにて
目が覚めた瞬間、体中に嫌な汗が流れているのが判った。
背中が酷く冷たくて、布団の中にいるのに、まるで水を浴びせられたかのように寒い。
指先が固まったように動かなくて、起き上がる事も出来なかった。
それ所か、今自分が目を覚ましている、と言う事すら中々理解が及ばずに、じっと暗い天井を見詰め続けていた。
酷い夢を見た。
それだけを理解するのに、随分と長い時間が必要になって、その間、スコールは息をしていなかった。
ようやく眼球二つを動かせる事に気付き、灯りのない部屋の中をぐるぐると見渡し、自分が現実に還っていることを知る。
其処まで理解して尚、体は思うように動かなくて、喉の奥がまるで蓋を閉じているように苦しかった。
「……っ、」
かふ、と掠れた音を立てて、ようやく呼吸の仕方を思い出す。
は、は、と短い呼気を何とか繰り返して行く内に、張り詰めたように強張っていた肺が機能を取り戻し、ようやく普通の呼吸をするまでに至る。
その間も全身からは汗が噴き出して止まらなかった。
重い体を引き摺るようにして起き上がると、それだけで頭がくらりと揺れた。
脳に染み付いた映像が嫌と言う程に鮮明で、目を閉じると勝手に蘇って映像を再生させる。
たかが夢だと自分を叱ったが、胸の鼓動は逸るばかりで、とてももう一度眠れそうにない。
明日からは大統領警護の任が入っていて、終始警戒態勢を取らなければならないと言うのに、このままでは仕事にも影響が出そうだ。
それ程、自分が憔悴しきっている事に、スコールはうんざりともしていた。
しばらく、ベッドの端に座ったまま、スコールは項垂れていた。
心臓が少しでも落ち着いてくれるのを待ったが、一向にその気配はない。
目を閉じれば蘇る光景を拭いたくて、何度も手の甲で瞼を擦ったが、まるで焼き付きでも起こしたように、剥がれてくれなかった。
このまま強引に眠ったとて、夢の続きを、或いは再放送を見るだけに思えて、睡魔も来ない。
ふらつく足で、スコールは部屋を出た。
暗く静かな廊下が続いている其処は、エスタにあるラグナの私邸だ。
のろのろと爪先を引き摺るようにして向かうのは、家主の寝室だった。
時計を見ていないから正確な時間は判らないが、ラグナはもう寝ている時間だろう。
宵の口にスコールがエスタに到着した時、彼は律儀に迎えに来てくれたが、やはり仕事に疲れている様子もあった。
だから、久しぶりに顔を合わせて、求める気持ちがありつつも、共に大人しく寝床に就いたのだ。
ゆっくりと語り合うのも、触れ合うのも、明日を無事に終えてからにしよう、と。
その方が余計な事を気にしなくて良いものだったから、スコールもそれで良いと思っていた。
けれど、今、どうしても。
どうしても彼の顔を見ないと、逸る心が落ち着かない。
普段が全く一人きりで過ごす環境だからか、ラグナは自分の部屋に鍵をかける事がない。
念の為にはするべきだとスコールもよく注意するが、「まあ平気だろ」と言って彼は聞かなかった。
部屋の前で、そうっとドアノブを回せば、思った通りに隙間が出来た。
普段はその様子に眉根を寄せるスコールだったが、今日だけはその習慣が抜けている彼に感謝する。
部屋の中は当然ながら暗く、閉めたカーテンの微かな隙間から、外の灯りが零れている位。
それも眠るラグナのベッドに届いているものでもないので、彼の眠りを妨げるものでもないのだろう。
ベッドの上には、この部屋の主────ラグナが眠っている。
その顔を見れば、少しは逸る心も落ち着くかと思っていたスコールだったが、
(……息が、苦しい……気がする……)
心臓の早鐘は、相変わらず、緩やかさを取り戻さない。
これ以上のスピードにはならないようだったが、かと言ってスコールは全く落ち着く気もしなかった。
そろりと右手を伸ばして、裸の手をラグナの口元に近付けた。
規則正しい呼吸で零れる吐息の感触があって、少しだけ頭の靄が薄らいだような気がする。
それでもまだ、目を閉じれば瞼に染み付く光景に頭が焼かれて、自分の呼吸の仕方を忘れそうになる。
片足をベッドに乗せると、きしり、と小さくスプリングの音が鳴った。
すると、布団の中にあった筈の手が伸びて来て、スコールの手首を掴む。
ぎくっと息を飲んだスコールだったが、
「どした、スコール」
柔い声が聞こえて来て、スコールはそうっと顔を上げた。
シーツに寝転んだ体勢のまま、首を少し傾け、視線を此方に向けているラグナがいる。
翠の瞳が真っ直ぐに此方を見ている事に、俄かに目頭が熱くなって、スコールはそれを誤魔化すように、ラグナの隣に落ちるように顔を埋めた。
ぼすん、と枕元に落ちて来た少年の頭に、代わってラグナの方が上肢を起こす。
そのままぴくりとも動かなくなってしまったスコールを見て、ラグナは首を傾げつつも、枕の端に散らばるダークブラウンの髪を透いてやった。
その感触を後頭部から感じながら、スコールはぎゅうとベッドシーツを握り締め、唇を噛む。
「……ラグナ」
「ん?」
「………」
名前を呼べば返事があって、少しだけ安堵した。
けれど、それだけですっきりと頭の靄が晴れるには至らず、胸の奥からはごぽごぽとタールのような澱みが溢れ出す。
それが腹一杯になってしまったら、スコールは今度こそ呼吸が出来なくなってしまうだろう。
夜着に身を包んだ細身の体が、微かに震えている事に気付いたラグナは、寝返りを打ってスコールを腕の中へと閉じ込めた。
「なんか怖い夢でも見たか」
「……」
「そっかそっか。よーしよし」
ぽんぽんと背中を叩くラグナの仕草は、まるで子供をあやすものだ。
折々にラグナはそうやってスコールを甘やかすのだが、十七にもなって、とスコールは決まってそれを突っ撥ねている。
だが、今日はそうする気になれなかった。
背中に触れる温もりが、直ぐ目の前にあるラグナの顔が、その匂いが、無性にスコールを絡め取る。
そして、それらをもっと近くで感じたいと、いつも胸の奥底に仕舞い込んでいる小さな子供が、必死になって訴えていた。
スコールの伸ばした腕が、ラグナの首に絡み付く。
縋るように身を寄せて来る少年に、ラグナは布団を剥いで、隣に来るように促した。
もぞりと潜り込むように空いたスペースに身を寄せて、ラグナの胸に耳を押し付ける。
とく、とく、とく、と規則正しく刻まれる心臓の鼓動を聞いて、ようやくスコールは、長い呼吸をする事が出来た。
「ラグナ……」
「うん」
「……このまま……」
此処にいたい。
一緒が良い。
小さく小さく零した本音は、辛うじてラグナの耳にも届いていた。
ラグナはスコールの頭を撫でながら、首の後ろに指先を当てる。
其処が酷くびっしょりと濡れている事に気付くと、それを拭うように優しく手を往復させた。
「嫌な夢でも見ちゃったか」
「………」
「人に話すと、そう言うのはもう見ないらしいぞ」
ラグナの言葉に、スコールは眉根を寄せた。
そんな迷信をスコールは聞いた事がなかったし、嫌なことほど、口にすれば事実になってしまうような気がするからだ。
だからいつかの時には、どうか嫌な想像をしても、それを口にはしないで欲しいと仲間達に願った。
それは単なる自分のまじないでしかなかったのだろうけれど、そう縋りたくなる位には、あの時のスコールは憔悴していたのだ。
だが、不思議なもので、目の前で柔く微笑む翠色を見ていると、不思議とその言葉を信じたくなってくる。
頭を撫でる手が、ずっと「大丈夫」と囁いているようにも思えて、スコールは震える口をそうっと開き、
「……あんた……」
「うん」
「……あんたが……」
────あんたが、いなくなる、夢を見た。
口に出した途端に、また心臓が速くなる。
喉奥が苦しくなるのを感じながら唇を噛むと、相貌を細めたラグナが其処にキスをした。
背中を抱く腕に力が込められて、スコールも目の前の男の首に絡めた腕に力を籠める。
夢の詳細は、思い出そうと試みても、あまりはっきりとはしない。
けれど、頭の中はずっとそれが作り出した靄のようなものに覆われていて、遠ざかって行くラグナの背中だけがずっと焼き付いて離れない。
真っ暗な世界で、白い道が一本だけ伸び、ラグナは其処を真っ直ぐに、振り返らずに歩いて行くのだ。
道の先に何があるのか、全てを知っているかのように、その足取りには迷いも澱みもなく、悠然としている。
スコールは夢の中で、それをじっと見送っていた。
追い駆けようとしても、足は地面に根が張ったように動かず、遠くに行こうとしている男の名を呼ぼうとしても、喉が焼けたように声が出ない。
代わりに、待って、と泣きじゃくっている小さな子供の声があった。
スコールの前には、自分の身長の半分もない幼い子供が立っていて、ぐすぐすと泣いていた。
それが幼い頃の自分だと気付いても、やはり動くことは出来なくて、いつまでも立ち尽くして泣き止まない子供の後ろから、一歩一歩と遠くなって行くラグナの背中を見つめていた。
子供の頃に何度も見た夢だと思い出した。
違うのは、遠退いて行くのがエルオーネだったと言う事と、泣きじゃくる子供そのものが自分だったと言う事。
こんな風に、泣いている自分を俯瞰で見ているのは初めてだった。
そして、その夢を初めて見た前の日に、大好きな姉は忽然と姿を消したのだ。
背中が酷く冷たかった。
姉がいなくなった日の夢を見て、ラグナもいなくなったのかと思った。
そんな訳はないと思ったけれど、ではどうしてこんな夢を見たのかと考えたら、厭な感覚が怒涛のように襲って来た。
今夜のうちにラグナが忽然といなくなっていたら、こうして眠っている間に何か事件が起きていたら。
明日には元首会談があるのだから、厳重警備が予定されている訳で、つまり、相応の危険が起き得る可能性があると言う事だ────ひょっとしたらそれは、今夜にでも。
この嫌な夢が、まさか虫の報せ等とは思いたくもなかったが、過ぎった不安はスコールの心に楔を打つのに十分だった。
だからスコールは、無性にラグナの存在を確かめたくなったのだ。
夢の話をしている内に、スコールはラグナの腕に包み込まれるように抱かれていた。
時折言葉を詰まらせるスコールへ、何度もキスの雨が降る。
首筋を柔く吸われたのを感じて、ぴく、とスコールの肩が小さく震えた。
「ラグ、ナ……」
「大丈夫だよ、スコール」
絡めた足先が酷く冷えている事を感じ取って、ラグナは熱を分け与えるように体を密着させる。
背中の裾からするりと入って来た手に、じっとりとした汗が吸い付く。
汗を吸った服までもが、今のスコールの体温を奪っていた。
ラグナの手が服をたくし上げている事に気付いて、スコールは逆らわずに従う。
家の中は空調が効いて快適な温度を保っている筈なのだが、自分の汗で濡れた皮膚には寒く感じられて、ふるりと躰が震える。
ラグナはそんなスコールをシーツで包み、背中を抱きながら仰向けにさせて、ゆっくりと覆い被さった。
ラグナは、絡めた指先で、スコールのそれが酷く冷たくなっている事を知った。
唇を重ねて、深く舌を交わらせると、ようやくスコールの青白かった頬にようやく熱が燈る。
「ん、ぁ……ふ……、んん……」
「ふ……はぁ……」
「ふぁ……あ……ラ、グナ……」
スコールの瞳には、薄らと水膜が浮かび、ゆらゆらと不安定に揺れながら、じっとラグナを見つめている。
ラグナはその眦にキスをしながら、大丈夫、と繰り返した。
「俺はお前と一緒にいるよ」
「………」
「今夜も、明日も、その先も」
囁くラグナだが、スコールの瞳には懐疑的なものが浮かんでいる。
巣食う不安は幾らでもスコールの心を嵐のように揺さぶるから、言葉だけでは安心できない。
今この瞬間にだって、ラグナの心臓が突然止まらない保証など、何処にもないのだから。
どうしても拭えない不安が怖くて、スコールはそれから逃げるように、ラグナへと身を寄せる。
触れる手が齎してくれる熱と、それを与えてくれる人の存在をもっと深くで感じたくて、何度もラグナの名前を呼んだ。
その度にラグナは一つ一つに返事をくれて、同時に体温を失った躰に愛撫とキスをしてくれる。
「ラグナ、ラグナ……」
「うん。今日は一緒に寝ような、スコール」
「……ん……」
「それで、明日も一緒に、な」
スコールがラグナと共に過ごせる時間は限られている。
その僅かな一時が終われば、スコールはバラムガーデンへと帰投し、ラグナはエスタに残るのだ。
不安に巣食われたスコールにとって、その現実は酷く残酷だったが、今の彼にその事実に抗える力はない。
だからせめて、この許された時間全てを使って、この温かな体温を感じていたいと思った。
『ラグスコで、スコールがラグナに添い寝をして欲しくてお願いする話(ちょっとエロもあったり)』のリクエストを頂きました。
どうやってスコールに添い寝のおねだりをさせようかな~と思ったら、やっぱりスコールが不安になった時が一番だと思って。一番のトラウマを掘り起こさせてみる。
スコールの事だから、一回では安心しないし、一度思い出したら当分引き摺ると思うので、エスタにいる間は毎日一緒に寝るんだと思います。