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Category: FF
自分の部屋で勉強をした方が静かで集中できる、と言うのは確かにあるのだが、とは言えこの家で全くの静寂が訪れると言うのは少ない。
扉の向こうで幼い弟が呼んでいたり、妹に呼ばれたり、父母がいれば何か手伝いを頼まれたり。
父母はレオンが勉強していれば邪魔をしないようにと気を遣ってくれるが、妹弟の方はまだまだそうはいかない。
最近、妹の方が気を利かせてか、お姉さんらしくするチャンスと思ってか、レオンが勉強している時は「レオンのジャマしちゃダメだよ」とスコールを連れて行く事もあるが、毎回それが上手く行く訳でもなかった。
弟も案外と空気を読めるので、落ち着いている時にはバイバイと手を振って姉と一緒に行ってくれるが、ワガママスイッチが入ると難しい。
そして何より、レオンの方が妹弟達を放って置く事が出来ないのだ。
姿が見えないとそれはそれで気になって、集中できるようで全く出来ない。
それなら、彼等の様子が確認できる場所でノートを開いた方が良い、と至るまでそれ程時間はかからなかった。
この為、レオンは夜───つまりは妹弟が眠ってから───以外はリビングで過ごす事が多い。
ソファの前のローテーブルにノートと教科書を開き、直ぐ近くで遊ぶ妹弟の声を聴きながら、時々二人をちらちらと見ながら宿題を熟す。
偶にかかる呼ぶ声には、顔を上げてひらひらと手を振ってやると、それで弟達は満足してくれる。
泣きじゃくる声でもしなければ、傍にいて、危ない事をしていないか確認するだけで十分なのだから非常に助かっていた。
良い子で過ごしてくれる妹弟には、日々感謝しかない。
子供の声と言うのは得てして甲高いもので、それを苦手に思う人も少なくないらしい。
確かに、癇癪を起こしたエルオーネの大声や、悪いスイッチが入ってしまったスコールの泣き声は中々耳に響くものがある。
それをダブルで貰う羽目になった時には、流石にレオンも泣きたくなるが、そう言う時には母か父が来てくれる。
その後はレオンも少し休憩時間を貰って、一人きりの部屋で休んで、そろそろ落ち着いたかなと言う頃に妹弟の下へ戻っていた。
それ位に、レオンにとって、スコールとエルオーネの声と言うのは耳に馴染んでいる。
いや、体に馴染んでいる、と言っても良いかも知れない。
学校に行っている時以外は、ずっと生活の中にある音だから、意識するしないに関わらず、その声を聴いているのが普通だったからだ。
その声がいつの間にか静かになっている事に気付いて、おや、と顔を上げる。
もう少しで宿題が終わりそうだと集中していた節の事だ。
テーブル横に広げている、子供たちの遊び場として定着したカーペットを見れば、其処に二人の子供が丸くなって転がっていた。
「スコール?エル?」
声をかけてみるが、二人からの反応はない。
ただ、すぅ、すぅ、と規則正しくその小さな肩が上下しているのみ。
最後の課題を終えた問題集を閉じて、レオンは四つ這いで二人の下へ向かった。
向き合う格好で丸くなっている二人の顔をそっと覗き込んでみると、可愛らしい寝顔がある。
親指を吸いながら寝ているスコールと、寝かしつけていたのだろう、左手をスコールの肩に乗せたまますやすやと眠るエルオーネに、レオンの頬が緩んだ。
(起こしちゃ悪いな)
レオンはエルオーネの目元にかかる前髪をそっと避けた。
しかし前髪は空調の風を受けて、またエルオーネの目元に被ってしまう。
そう言えばここは良く当たる、とレオンは天井の隅に設置された空調機を見上げた。
外はうだる暑さの中、この空調のお陰で家の中は頗る快適だが、二人が寝ているこの場所にはその風が直接届くのだ。
レオンは立ち上がると、足音を立てないように、且つ速足でリビングを出た。
自分の部屋に入り、抜け殻の後を残したベッドから、薄手のタオルケットを持ち出す。
リビングに戻るとそれを広げ、眠る二人の体にかけてやった。
(よし)
これなら空調の風が彼等の体を悪戯に冷やす事はないだろう。
ついでにレオンは空調のリモコンも操作して、風向きも調整して置いた。
レオンはスコールとエルオーネの隣に座って、ぐぐ、と伸びをした。
ふう、と息を吐いて天井を仰ぎながら、随分と静かだな、と思う。
母レインは買い物に、父ラグナは近所付合いの食事会に呼ばれて、まだ帰って来ていない。
ラグナはいつ帰るか判らないが、レインは買い物に行った時間から計算して、恐らくもう直ぐ帰って来るだろうとは思うが、今の所は玄関の音も聞こえない。
土日になるからと宿題はいつもより多く出されていたのだが、思いの外早く終わった。
空いた時間をどう過ごそうか、と考えるレオンだが、あまり浮かばない。
こう言う時には、スコールやエルオーネが遊んで構ってと来てくれたから、それの相手をするのが常だった。
しかし今日は二人がよく眠っているので、それもない。
(うーん……)
手持無沙汰な気分で寝返りを打つ。
と、エルオーネがもそもそと身動ぎして、ぱたんと仰向けに転がった。
レオンは二人の周りをぐるぐると回って、それぞれの顔が見える位置を探した。
仰向けになったエルオーネの少し上、斜めの当たりなら、スコールの顔も確認できる。
レオンは其処に横になって、腕を枕に妹弟の寝顔を眺める。
(偶にはこう言うのも良いな)
元気に遊ぶ二人の相手をするのは厭ではない。
けれど、こうして心地良さそうに眠る二人を眺めているのも、レオンは好きなのだ。
勉強も終わった事だし、今日はこのまま、彼らが起きるまで休むとしよう。
そう決めてからしばらく妹弟を眺めていたレオンが、いつの間にか眠ってしまうまで、時間はかからなかった。
近所住まいの人々に声を掛けられ、食事会に誘われるようになってから随分経つ。
ラグナは持ち前の明るさと人懐こさで、参加するようになってから間もなく溶け込んだ。
利発な長男、元気な長女、内気な末っ子の事もよく知られており、妻も買い物中に出逢うといつも挨拶してくれると皆が好かれていた。
その話を人々から聞く事が出来るから、ラグナは食事会に誘われるのは嫌いではない。
しかし食事会が終われば、ラグナは案外と直ぐに帰ってしまう。
時間のある人は、二次会を計画していたりもするそうだが、ラグナは其方はあまり参加しなかった。
長男がしっかり者であるとは言ってもまだまだ子供であるし、長女と末っ子は遊び盛りの甘えたい盛り。
妻だけに面倒を任せるのも心苦しかったし、何よりラグナが休日は家族の顔を見て過ごしたかった。
近所付合いも大事だとは判っているが、やはりラグナにとって優先すべきは家族なのだ。
午後三時を回る頃に、ラグナは家に到着した。
ただいま、といつものように声をかけながら玄関を潜るが、思っていた返事はなく、静寂があるばかり。
誰もいないのかと首を傾げたラグナだったが、足元を見ればきちんと人数分の靴が揃っている。
おや、と思いつつ玄関を上がり、誰かいるものと思ってリビングダイニングの扉を開けると、
「おっ、レイン。ただいま……」
「しーっ……」
ダイニングのテーブルに着いている妻の姿に目を輝かせたラグナであったが、レインはそんなラグナを人差し指を立てて諫めた。
その仕種の意味する所にラグナが口を噤むと、あっち、とレインがその指でテレビのある方向を指差す。
家族の憩いの場となっている其方を見ると、カーペットの上に寝転んでいる子供達の姿があった。
「寝てるのか?」
「皆でね。だから、静かに」
成程、とラグナも納得した。
上着を脱いで椅子の背凭れにかけ、音を立てないようにそっと椅子を引く。
レインと向き合う位置に座れば、レインは改めて小さな声で「お帰り」と言った。
「食事会、どうだった?」
潜めたままの声で訊ねるレインに、うん、とラグナは頷いて、
「楽しかったぜ。シドさんが来ててさ、あっちにもスコールと同じ位の子がいるだろ?サイファー君だっけ」
「うん、スコールと同じ幼稚園の子」
「なんか、よくスコールを泣かせちゃう事で謝られちまって」
「ああ、それ、私もイデアさんから言われたわ。でもほら、一番スコールと遊んでくれるのもサイファー君でしょ?」
「らしいなあ。ケンカもするのに、一番遊び相手に選んでるんだよな。サイファー君もスコールが転んだりすると真っ先に来てくれるみたいだし」
「不思議よね。その前に、スコールがケンカをするって言うのがびっくりだったけど。お互いケガさせたりしてないなら、良いわよ、それで」
小声で交わされる会話の間、レインの視線は何度も子供たちへと向けられていた。
ラグナもそれは同じで、一つ会話を交わす事に、ちらりと瞳が同じ方向へと向けられる。
子供三人、うち二人はまだまだ幼い年齢であるから、我が家はいつでも賑やかだ。
そんな子供たちよりもよく喋るラグナが帰ってくれば尚更で、休日だと言うのにこんなにも静かな一時は珍しい。
しかし、ラグナはこの緩やかな時間に、仄かな幸せを感じていた。
「よく寝てるなぁ」
三人揃ってすやすやと眠る子供達を見て、ラグナはそう呟いた。
レインも、「そうね」と頷いて、そっと席を立つ。
「コーヒーを淹れるけど、飲む?」
「うん」
レインの提案にラグナは頷いた。
カチャ、カチャ、と食器を運ぶ細やかな音すら、ラグナは愛おしい。
キッチンでいつものようにコーヒーを挽く妻を見詰めながら、そう言えばこんな風に彼女の姿だけを眺めるのも久しぶりだと気付く。
我が家は皆が母の事が好きだから、何かあるとお母さんに報告しなきゃと走って行く。
特に甘えん坊のスコールは、レインに抱っこをねだる事も多く、必然的にラグナが妻を独占できる時間と言うのも減っていた。
それは仕方のない事で、皆が母の事を大好きと言って憚らないのも良い事だと思っている。
けれども、ふとした時間にこうして妻の姿だけを眺めていられると言うのは、嬉しいものであった。
ラグナは音を立てないように席を離れると、眠る子供達へ近付いた。
腕枕で妹弟を見守るように寝ているレオンと、大の字になっているエルオーネ、指を吸って丸くなっているスコール。
三人それぞれの寝姿に、性格が出るもんだなあ、と思う。
「んんー……」
「んにゅぅ……」
「……ん……」
エルオーネが半身に寝返りをして、スコールがもぞもぞと身動ぎする。
レオンも小さく体を捩って、腕枕に曲げていた腕が伸びた。
肩の高さの分だけ中途半端に頭が落ちたレオンの首が辛そうで、ラグナはソファのクッションを一つ掴む。
気配に敏感な長男が起きないように、そうっとその頭の下にクッションを挟んだ。
ついでに、とエルオーネとスコールにも、枕代わりにクッションを挟んでおく。
これでよし、とラグナが納得した所で、レインが小さな声で夫を呼んだ。
テーブルに戻れば、二人分のコーヒーが置かれている。
「起こさなかった?」
「セーフ」
三人とも寝心地の良い体勢を探して動きはしたものの、瞼は開かなかった。
余程気持ちの良い夢を見ているのだろう、皆どこか楽しそうな寝顔だ。
ラグナは席に戻って、コーヒーを口に運んだ。
淹れ立ての香ばしい匂いが鼻孔を擽り、ほう、と安堵に似た吐息が漏れる。
レインは温かなカップを両手で包むように持ち、香りを楽しむように目を閉じていた。
「……偶には良いわね。こんな日も」
零れるように呟いたレインの言葉に、ラグナもくすりと笑みが漏れる。
全く同じ事を考えていたと言えば、妻もまた笑う。
何でもない穏やかな光景が、一番の幸福の証なのだろうと、ラグナは思った。
子供たちのお昼寝。
それを見守るパパとママでした。
一番最初に起きるのは、レオンかスコール。
スコールが起きると、気配を感じたかのように、連鎖でレオンとエルオーネも起きるんだと思います。
ラグレオオフ本『エモーショナル・シンドローム』その後の設定です。
ラグナが体調を崩すというのは、滅多にない出来事らしい。
それは妻を早くに亡くし、男手一つで息子を育てなくてはならなくなった義務感もあるのかも知れない。
自分が倒れてしまったら、誰がこの子を守るのかと、そんなエネルギーが働いて、病魔もラグナから逃げたのかも。
しかし、バイオリズムとは複雑なもので、どんなにアドレナリンが出ていても、疲労は着実に蓄積されて行き、許容量を越えればそれは容易く表面化する。
滅多にない事ではあるが、稀には起きていた事だと、幼い頃から聡い息子はよく知っていた。
どうにも調子が悪い様子のラグナに気付いたのは、案の定、スコールだった。
いつも通りにレオンが作った朝食を食べる手が進まず、何をするにも反応の鈍さが目立つ父に、体温計を渡した。
大丈夫だけどなぁ、と言いながら、睨む息子に促されて計って見れば、予想通り───ラグナにとっては逆か───の体温が検出された。
有無を言わさず休ませることにしたスコールは、その場にいる大人二人よりも遥かにてきぱきと会社に休ませる旨を伝えていた。
その後、ラグナはスコールの手によって寝室へと押し込められる事になる。
朝食をしている間、レオンは酷く落ち着かなかった。
と言うのも、レオンが父子と共に生活を始めてから、ラグナが体調不良になったのが初めての事だったからだ。
飲み会に担ぎ出されて酔い潰れている所は見ていたが、風邪と思しきものは見た事がない。
自分の食事を片付けている合間も、そわそわとしているレオンに、スコールの方が宥めた位だ。
大人二人がそんな調子なので、スコールは学校に行くのを少々躊躇った。
しかし、レオン自身もスコールに心配をかけてはいけないと思い至ってから、ようやくの落ち着きを取り戻す。
ずっと一人暮らしをしていた事もあり、病人の看病と言うのはあまり経験がないレオンであったが、それでも知識として必要な事は頭に入っている。
レオンは心配するスコールを宥め返して、彼を学校へと送り出す事にした。
スコールも不安はやはり尽きなかったが、直に試験期間が始まる事もあってか、今授業を飛ばす訳にはいかないと思ったようで、家を出る準備を済ませ玄関へ向かう。
それを見送る為に追って来たレオンを見て、スコールは口酸っぱく言った。
「本人が良いって言うから病院は今は良いけど……熱が下がらないようなら、午後には行って診て貰ってくれ。昼は食欲があるなら芋粥とかが良いと思う。好きだから。あと、熱が下がってきたらウロウロしたがると思う。でも今日は大人しく寝るように言え」
一人息子として、稀に体調を崩した際の父の行動パターンを、スコールは完璧に網羅している。
他諸々、注意事項のように挙げて、レオンに一通りを伝えきってから、スコールはようやく登校した。
閉じた玄関扉に背を向けて、ふう、とレオンは呼吸を一つ。
なんだか慌ただしかった───一番は大変だったのはスコールであって、レオンはおろおろとしていただけのようなものだが───空気がようやく過ぎ去って、また一つ落ち着きを取り戻す。
キッチンに戻れば、見送りの為に途中止めにしていた食器たちが鎮座している。
後は殆ど泡を流すだけになっているそれらに水を注ぎ、汚れが落ちた食器は乾燥機に入れて、これで朝のレオンの仕事は終わり。
と言うのが常なのだが、今日はそう言う訳にもいかなかった。
ラグナの寝室の扉に軽くノックをして、そっと開ける。
息子によってベッドへと押し戻されたラグナは、今も大人しくベッドの上に横になっていた。
「ラグナさん、大丈夫ですか」
「んー。うん、まあまあ」
声をかければ、少し元気のない返事。
やはり体調が良くないのだと、普段の元気ぶりから鑑みて如実に判るその様子に、レオンは無意識に眉尻を下げた。
ベッドの傍で膝を折り、横になっているラグナの顔を覗き込む。
すると、僅かに頬を紅潮させた顔で、ラグナはへらりと笑って見せた。
「大丈夫だって、ただの熱だからさ。寝てりゃ治るよ」
「……はい」
安心させる為と判るラグナの言葉に、レオンも小さく笑みを浮かべた。
自分がラグナに心配されてどうする、と自分を叱咤する。
「朝食、余り食べれていませんでしたけど、どうしますか。粥とか、何か」
「あー……そうだなぁ。うーん、リンゴとかあったっけ?」
「あります。切ってきますね。摩り下ろした方が?」
「いや、切ってくれるだけで良いよ」
ラグナの言葉に、判りました、と返して、レオンは寝室を出た。
キッチンに向かうと冷蔵庫からリンゴを取り出し、まな板の上でリンゴに包丁を入れようとして、はたと止まる。
(うさぎ……)
───レオンの脳裏には、この生活が始まってしばらく経った時の事が浮かんでいた。
長年、一人暮らしをしていた事と、必要以上に周りに迷惑をかけまいと気配りし過ぎた事、慣れない他者との同居生活に無意識下で気を張り過ぎていた事など、理由は色々とあるのだが、ともかくそう言った事が原因となってレオンは熱を出した。
幼い頃、ネグレクトの環境にあったレオンは、熱を出した日にも親を頼る事が出来なかった。
母は寝込むレオンを見捨てはしなかったものの、自分の自由な時間を制限される事に酷く苛立ち、レオンに呪詛同然の言葉を向け続けていた。
その頃の記憶はレオンに根深く植え付けられており、今でも他人を頼る事が出来ない。
ラグナ達との生活が始まってから、初めて熱を出した時も同様で、熱による昏倒に至るまで隠し通そうとしていた程だ。
結局、倒れてしまった事もあり、ラグナ達もレオンが無理をしている事に気付いて、その日はラグナが仕事を休んで一日レオンの看病をしていた。
その時、ラグナが用意してくれたのが、うさぎカットのリンゴだった。
レオンが父子の生活に加わるまで、キッチンはスコールの仕事場だった。
彼が幼い頃は、ラグナが家事を奮闘していたそうだが、おっちょこちょいな所があるものだから、色々と事件も起こしてくれたらしい。
成長したスコールが効率を鑑みた末、父をキッチンから追い出したと言うのは、レオンも聞いている。
しかし、ラグナが全く家事が出来ない訳ではないのだ。
試験期間などでスコールが忙しい時は、レトルトを中心としてではあるがラグナがキッチンを使う事もあったし、食後のコーヒーを淹れるのもラグナの役目だ。
スコールが風邪を引いた時には、勿論ラグナがその看病をする。
その看病の中でも、リンゴをうさぎ型にカットするのは得意なのだと言う。
幼い頃、あまり体の強くなかった息子が体調を崩した時、それを特に喜んで食べていたから、ラグナはスコールが風邪を引くと毎回これを用意するそうだ。
───綺麗に砥がれ整えられた包丁で、リンゴを二つに切る。
そこからまた半分にして、芯の部分を切り落とすと、また半分に切り分けた。
8等分になったリンゴの皮に包丁を入れようとして、はた、とレオンの手が止まる。
(……どうやるんだ?)
料理は一つの趣味として細々と楽しんできたレオンであったが、リンゴのうさぎは作った事がない。
所謂飾り切りと言う奴なのだろうが、それもやり方は様々である。
便利なもので、現代にはこう言う時にすぐ調べられるツールがある。
ラグナに「念の為な」と言われ、持たされるようになった携帯電話を取り出して、検索機能を使った。
動画付きで紹介しているレシピサイトを見付けて、それを一通り見てから、またキッチンへ向き直る。
最初に作ったうさぎの耳は、切り込みの入れ方が浅かったのか、上手く立たずに剥けてしまった。
二個目は今度は深く刃を入れ過ぎたようで、起きた耳の下に切り込み線が残っている。
三個目と四個目は右と左の耳がそれぞれ折れた。
難しい、と小さく呟きつつ、黙々と練習する気持ちでトライした末、最後はなんとかそれらしい形が完成する。
皿に乗せた8匹のうさぎにフォークを添えて、レオンはラグナの寝室へと戻る。
「リンゴ、切ってきました。食べれますか?」
「うん。さんきゅー、レオン」
よっこいせ、と起き上がるラグナの体は重みがあった。
いつも年齢を感じさせない快活振りであるだけに、やはり調子が悪いのだな、と印象を受ける。
座ったラグナにリンゴを差し出せば、おお、と翡翠の瞳が輝いた。
「うさぎさんだ」
「初めて作ったので、あまり上手く出来なくて……」
「いやいや、可愛いよ」
そう言って皿を受け取るラグナに、レオンの頬にむず痒さから朱色が浮かぶ。
しゃり、とラグナの口元で果肉が砕ける音が鳴った。
瑞々しい果肉からじゅわりと蜜が溢れ出して、ラグナはうんうんと舌鼓を打つ。
レオンはその様子を眺めながら、
「俺に出来る事ならなんでもするんで、欲しいものでもあったら遠慮なく言って下さいね」
「なんでも良いのか?」
「はい」
リンゴで頬袋を膨らませるラグナに、レオンは目を合わせて頷いた。
噛み砕いたものをごくんと飲み込んで、「じゃあ……」とラグナはリンゴを突きながら考え、
「そうだなぁ。お前かな」
「え?」
ぷす、とリンゴにフォークを刺して、ラグナは言った。
その意味が汲み取れずに、レオンがぱちりと目を丸くすると、眉尻を下げた笑みがレオンを見る。
「いや、な。あんまりこう言う風に寝込む事ないからかなぁ。寝てるとなーんか淋しくなってさ」
「そうなんですか?」
「人肌恋しくなるってのかな?スコールにはあんまり言えないけどさ、恥ずかしくて。良い年した大人が熱出て寂しがってるなんてさ。ちょっと言い辛いって言うか、いや、ただの俺の見栄みたいなもんなんだけど」
言いながら、ラグナは耳のないうさぎを齧る。
しゃくしゃくと小気味の良い音を立てるその頬は、熱でほんのりと赤らんでいた。
「だから今までは、俺がちょっと風邪引いても、スコールにはへーきへーきって言ってたんだ。寝てりゃ治るってさ。そんでスコールが学校から帰るまでに治して、帰ってきたらなんともないぞ!元気だぞ!って見せてやって」
ラグナの言葉に、レオンの脳裏にスコールから聞いた言葉が浮かぶ。
熱が下がったらウロウロしたがるだろうから、と。
それも父にしてみれば、息子に心配をかけまいと言うアピールだったのだろうか。
流石にスコールが成長するにつれ、その手段は反って彼を怒らせる事に繋がるようになったようだが。
───でも、とラグナは続ける。
「でも、一人で寝てばっかいると、なんかつまんないって言うか。静かでさ、物足りなくて。でもスコールに一緒にいてくれよ~って言うのは、なんかな。スコールだって忙しいんだし、感染したくないし」
「……そうですね」
「あ、お前なら感染しても良いってんじゃないんだぜ?」
「はい」
直ぐに弁明するように言ったラグナに、レオンは判っていると頷いてくすくすと笑う。
そんなレオンに、ラグナもまた眉尻を下げて笑い、最後のリンゴを口に入れた。
リンゴ一つを丸々食べれたと言うことは、重いものでなければ食欲は十分あると言うことか。
レオンがそう考えている間に、ラグナは口の中のものを飲み込んで、
「それでも、やっぱりさ、傍にいてくれる奴がいるってのは嬉しいし、なんかちょーっと、甘えたいなあって気分にもなっちゃってさ」
「……俺なんかで良いんですか?」
「お前が良いから言ってるんだよ」
そう言って笑って見せるラグナに、レオンの胸がこそばゆくも温かくなる。
空になった皿とフォークをベッド横のサイドテーブルに置くついでに、ラグナは体の向きを変えた。
傍らにいるレオンと向き合う格好になって、ラグナの右手がレオンの顔へと伸ばされる。
いつもよりも高い体温を宿した掌が、レオンの頬に触れた。
眩しい位にいつも明るい翠の瞳が、今日はほんのりと柔らかくて甘い。
それは熱の上昇が齎しているもので、あまり歓迎できるものではないとレオンも判っていた。
それでも、その瞳が自分を求めてくれているのが判るから、嬉しく思ってしまう気持ちは隠せない。
「……じゃあ、今日一日、俺は此処にいますね」
「うん。ありがとうな」
ラグナの手が優しくレオンの頬を撫でる。
耳の裏に指先が触れて、くすぐったさにレオンの双眸が猫のように細められた。
『エモーショナル・シンドローム』その後の二人でした。
ラグナに食べさせて貰ったリンゴのうさぎが忘れられなかったらしい。
このレオンは自立心が強いようで根底には依存心があるので、その対象になっているラグナに何かあると焦る焦る。
人と一緒に過ごす事にも根本的に慣れてないので仕方ない。
そして生まれて初めて、自分から相手に求められたいと言う気持ちと共にラグナを好きになったので、ラグナに甘えて貰えるのは嬉しいのです。
ちょっと休んできなさい、と言う言葉と共に、ガーデンから放り出された。
缶詰になっていた自覚はあるが、こうして放逐されなければならない程とは思っていなかったので、強引すぎやしないかと思う。
しかし、補佐官と言う役割についているキスティスだけでなく、シュウやニーダ、挙句にサイファーにまで「当分戻るな」とまで言われてしまった。
その理由が、うっかり三日ほど食事を採るのを忘れていたと言うものだから、流石にスコールもぐうの音が出ない。
ガーデンが人手不足で、その穴をスコールが過剰な稼働時間で埋めているのは確かで、それによりスムーズに回っている事があるのも事実。
しかし、それでは今後のガーデンにとっても全く宜しくない訳で、そうした負担は分散させるべきものである。
だが、元々誰かに頼る事を苦手としているスコールは、「他人に任せるより自分が行った方が早い」と言う判断で、諸々の仕事雑事を手前で片付けてしまう。
それが判っているからキスティスもサイファーも先んじて雑事を拾い、多方面に分散させてはいるのだが、如何せん、現在のガーデンのトップにいるのはスコールである。
全ての事柄を最初に確認する事が出来る立場にいる彼は、後に仕事を残す事を嫌う生真面目さと面倒臭がり屋もあって、端末の中に整理されたものを逐一確認する。
そうして誰よりも最初に案件を拾っては、自分が処理してしまうのだ。
苦手な案件の類もあるので、それ位は人に回す事を覚えたスコールであるが、元々彼は優秀な性質である。
大方の事は処理出来てしまうのが、反って彼の仕事量を増やしていた。
要するにこの急な休暇は、スコールを歯車から人間に戻す為の期間なのだ。
真っ当な睡眠時間を確保し、ゆっくりと一日三度の食事を食べ、運動をするのなら適度なもので終わらせる。
仕事の事はさっぱり忘れて、健康で健全な生活を取り戻すまで、ガーデンに戻って来るな、と言うことだ。
おまけに「しばらく使う予定はないから」とラグナロクまで渡されている。
魔女戦争の後、アデル討伐も含めて最大の功労者であるスコール───対外的にはバラムガーデンと指して───に報酬としてエスタから寄与されたものだ。
平時は遠方、または緊急の任務の足として使われるものだが、これもスコールと一緒に休暇に出された訳だ。
ラグナロクさえあれば、着陸場所だけは聊か選ぶ必要があるが、それでも基本は何処に行くにも自由が利く。
これで何処にでも行けと言う訳だ。
出掛ける手段がないから何処にも行かない、結局指揮官室に戻る、と言う選択肢を潰されたとも言える。
一応、指揮官と言う役職にある自分が、ラグナロクを使って気儘なお出掛けなんて、職権乱用が過ぎるんじゃないか。
そう思いつつも、仕方がないのでスコールはラグナロクに乗り込んだ。
すっかり使い慣れてしまった自動操縦システムを起動させて、目的地を打ち込もうとした所で、手が止まる。
(……何処に行けば良いんだ?)
缶詰生活から急に解放されるなんて露ほども思っていなかったので、何も予定が浮かばない。
何処にでも行ける、となると反って具体的な例が浮かばなくて、スコールは固まった。
ゆっくり休んで、ゆっくり食事をして、ゆっくり寝られる場所。
例えるなら保養地のような場所なのだろうが、リゾート的な街と言うのは、観光客が多かったりして、スコールは余り好きではない。
第一、そんな事をするのなら、バラムガーデンの寮で過ごしていれば早い話だ。
しかし、ガーデンには戻して貰えそうにないので、その選択肢は使えない。
一人切りの操舵室で悩む事10分少々────スコールは頭に浮かんだ光景に、それもやはり悩んだが、最終的には目的地の入力をしたのだった。
他の街とは全く重なる事のない、幾何学的な形をしたビルが幾つも並び、川のように伸びた空中の道路が行き交う国────科学大国エスタ。
スコール一人を乗せたラグナロクは、バラム島を発つと、真っ直ぐにこの地を目指した。
陸路を行けば延々と電車に揺られ、F.H.傍まで来たら、定期運航されているようになった小型飛空艇に乗ると言うのが、今外国人がエスタに入国する為に必要となるステップである。
F.H.に辿り着くまでに、電車で何時間と揺られなくてはならないので、まだ気軽な道とは言えない。
しかしラグナロクを使って一直線の空路を行けば、ほんの1、2時間程度の往路で済む。
スコールがエスタに到着した時、時刻は昼を過ぎた所だった。
ショッピングモールのファストフードで買った昼食を食べながら、ラグナにメールでエスタに来た旨を伝えてみると、「マジ??」と言う返事。
休暇の話なんて前にしたのはいつだっただろう。
それ位に、スコールがエスタの地に足を踏み入れたのは、久しぶりの事だった。
ジャンクではあるが、真っ当と言えば真っ当な食事を食べている間に、ウォードが迎えにやって来た。
最近ようやく慣れて来た、筆談を伴った彼との会話で、ラグナは官邸で仕事をしていると言う話を聞く。
邪魔になるなら私邸に行く、とスコールは言ったのだが、折角だから顔を見せてやってくれと言われ、促されるままに大統領官邸へと向かう事になった。
官邸内はいつもの様子と変わりなく、沢山の執政官が右へ左へと忙しなくしている。
その横を素通りする格好で、スコールは大統領の執務室がある奥へと通された。
ウォードが扉のノックをすれば、「どーぞー」と間延びした返事。
開いた扉の向こうへとスコールが通されると、山積みになった書類に埋もれたデスクの向こうから、眼鏡をかけたラグナが此方を見た。
「スコール!」
嬉しそうに椅子を立ったラグナが、両手を広げてスコールの下へ駆け寄って来る。
その勢いの良さに後ろ脚を踏んだスコールだったが、ラグナは構わずスコールを抱き締めた。
ぐりぐりと猫でも可愛がるような手厚いスキンシップに、スコールの眉間に多重の皺が寄る。
「暑苦しい」
「わりわり。久しぶりに顔見れたから嬉しくて」
腕を突っ張って剥がされ、ラグナは眉尻を下げて詫びた。
「少し座って待っててくれよ。悪いな、ちょっとバタバタしててさ」
「……それなら俺は出た方が良いんじゃないか」
誰から見ても忙しない大統領官邸の内部の様子。
部外者であり、急な訪問をした自分は邪魔だろうと、スコールはそう言ったのだが、
「いや、もう大方片付いてるから、あと最後のツメだけなんだ。だから其処にいてくれよ」
「……」
「終わったら昼飯───はもう食った?」
「さっき」
「じゃあコーヒーでも淹れるからさ。それまで待ってて」
そう言ってラグナはデスクに戻り、待機していたキロスと話を再開させている。
スコールはウォードに促されて、来客用のソファへと座り、言われるままに待機する事にした。
何か打ち合わせでもしているのか、ラグナはキロスと真剣な表情で話をしている。
其処にウォードも加わり、声が出せない筈なのに、二人はいつものように、しっかりと彼の意思を読み取っていた。
言葉がないのにどうしてあんなにもスムーズに判り合えるのか、それが竹馬の友と言うものなのだろうか。
ようやく、人と繋がりを持つ事に拒否感を持たなくなってきたばかりのスコールには、不思議な光景だった。
しかし、今日はそれよりも気になる事がある。
(……眼鏡かけてる)
手に持った書類を見るラグナの目元を覆うグラス。
ウェリントン型の細い黒のフレームは、シンプルながらラグナによく似合っている。
おしゃれと言うより、重厚そうな雰囲気があって、恐らくは完全に仕事に使う為の代物なのだろう。
ラグナが眼鏡をかけていると言うのは珍しい事ではなく、朝の新聞のチェックであったり、書き物をする時には使っていた。
小さな文字や、距離の近いものを見る時にピントが合い難くなったとかで、四十路になった頃から常備するようになったらしい。
所謂老眼鏡と言う奴で、それをかける姿をスコールが見詰める度、「敏食っちゃってさあ」と恥ずかしそうに苦笑していた。
そう言う意識もあるからか、ラグナはスコールの前で眼鏡を使うのは最小限に留めている節がある。
時折、眉間に皺を寄せたり、悩むように頭を掻いたりと言う仕草を見せながら、ラグナとキロス、ウォードの会話は続く。
何を喋っているのか、少し距離のある場所に座っているスコールには聞こえなかったが、その方がスコールは安心した。
うっかり他国の重要機密事項でも聞いてしまったら、胃が痛くなって仕方がない。
だから彼等が話し合っている間、スコールは外に出ていた方が良いのではないかと思うのだが、此処にいてくれと言われてしまったので、留まるしかなかった。
暇を持て余して、天井に描かれた隆線模様の数を数え始めてから、しばらく。
「じゃあそう言う事で」と言うラグナの言葉を締めにして、キロスとウォードは執務室を出て行った。
「っは~、終わった終わったぁ」
伸びをするラグナを見て、スコールはソファに凭れていた背中を起こした。
デスクの方を見ると、ラグナが眼鏡を外し、指先で目頭を摘まんでいる。
デスクを立ったラグナは、隣室に設けられている小さな簡易キッチンに向かった。
程無くして戻って来た彼の手には、スコールも見慣れたコーヒーカップが二つ。
「ほい、お待たせ」
「……ん」
スコールのコーヒーをテーブルに置いて、ラグナはその隣に腰を下ろした。
仕事の後の一杯で喉を潤し、はあ、と詰めた息をゆっくりと吐き出す。
スコールもカップを口に運び、これもまた慣れた味が舌を滑って行くのを感じながら、なんとなくゆっくりと息を吐いた。
そうすると、段々と体の力が抜けて行って、知らず強張っていた筋肉が緩んで行くのが判る。
「いやー、びっくりしたぜ、今日は。メールが鳴ったから見てみたら、『エスタに来てる』だもんな」
「……急な休暇になったんだ。でもする事もないから……なんとなく、来た。……邪魔して悪かった」
「んな事ねえって。嬉しいよ」
ぐしゃぐしゃとラグナの手がスコールの頭を掻き撫ぜる。
目尻に加齢の皺を浮かべた、人懐っこい笑顔がスコールを見詰めていた。
その胸元のポケットに、さっきまでかけていた眼鏡のフレームが見えて、スコールの手が伸びる。
「ん?」
「……私邸でかけてるのと違うと思って」
興味を惹かれた事に気付かれて、スコールはそう言った。
言い訳めいているような気がしたが、ラグナはそれを気にする様子はなく、
「ああ、うん。あっちでかけてるのは、プライベート用っつーか、そんな感じでさ。こっちで使うと色んな人に見られるから、もうちょっとオシャレな奴が良いんじゃないかって言われて」
確かに、ラグナが私邸で使っている眼鏡───スコールがよく見た事のあるものだ───はもっと簡素な造りをしていた。
デザインも凝っている訳でなく、かと言ってシンプルと言う程洗練されている訳でもない。
言ってしまえば、コストダウンも含めた大量生産で作られたもので、幾らでも替えが利く代物。
だからこそ手軽に試す事も出来るし、入手も用意なのだが、故に“安物”と一目で判る。
ラグナは使い勝手が良ければそれで充分だったのだが、一国の大統領が愛用しているのがそれと言うのもどうなのだ、と周りが気にしたのだそうだ。
あまり自分でお洒落と言うものにセンサーがないラグナに替わり、キロスを初めとした執政官たちで吟味し、寄贈と言う形で渡したのが、今胸元にある眼鏡だと言う。
「ふぅん……」
「眼鏡なんてどれも同じだと俺は思ってたんだけどさ。でもこれ、確かに格好良いんだよな」
そう言いながら、ラグナは胸ポケットのそれを取り出した。
眼鏡を発注する際に、視力検査もしたそうで、レンズ含めてこの眼鏡は特別注文品だと言う。
お陰でラグナは、渡された時はその高級感に使うのを躊躇った程だったが、一度使うともう手放せなくなった。
執政官たちからも似合うと言って貰えたし、キロスやウォードに至っては「少し落ち着いたように見えなくもないな」と揶揄い混じりの言葉も貰った。
そう褒められるとラグナも悪い気はしないし、フレームの軽さや取り回しのし易さもあって、外遊などの仕事も含めて供にしている。
しかし、プライベートではうっかり傷を入れさせてしまいそうで、相変わらず安い眼鏡を使っていた。
ラグナはしげしげと眼鏡を眺め、フレームを開くと、それをスコールの顔へと向ける。
「お前も眼鏡、似合いそうだな」
「……必要ない」
「そりゃそうだ。目が良いし、若いしな」
笑うラグナの手から、スコールは眼鏡を取った。
試しにレンズを目元に近付けると、視界が歪んで見えてくらくらとする。
両目ともに良好な視力を持っているスコールにとって、視力矯正具は必要なくて当然なのだ。
目元の違和感を瞼を強く閉じて追い払うと、スコールは眼鏡の向きを反転させた。
何故か楽しそうに此方を覗き込んで来る男の顔に、そっと眼鏡をかけてみる。
加齢と笑う癖で残ったのだろう目元の皺が少し隠れ、黒のフレームで引き締められたような雰囲気が滲む。
成程、確かに、私邸で使っている安価なものよりも、“格好良い”と皆が褒めるのも判る。
それ位に、この眼鏡はラグナにしっくりと嵌るのだ。
そんな事を考えながら、じっと眼鏡をかけたラグナの顔を見詰めるスコールを、ラグナも見詰め返し、
「ちったぁ若く見えっかな?」
「それはない」
へらりと笑ってそんな事を宣うラグナに、スコールは素っ気なく返してやった。
そっかぁ、と判り易く残念そうに眉尻を下げるラグナの指が、眼鏡のフレームを摘まむ。
外そうとしているその手を、スコールは誘われるように掴んで妨げた。
不意打ちだと判っていて唇を重ねると、一枚レンズの向こうで翡翠が丸く見開かれるのが面白かった。
眼鏡なラグナが気に入ったスコールでした。
ラグナは自分自身ではあまりお洒落とか気にしてなさそうで、眼鏡も必要になったら取り合えずその辺で安いの買って済ませそうだな、と。何ならネタに走る位のこともしそう。
本人はそれで十分なんですが、いやいやもっと似合うのあるでしょ、と周りがあれよあれよと準備しちゃうまでがセット。
スコールは甘いものが得意ではない。
食べられない訳ではなかったし、疲れている時など脳が糖分を欲している時には一口入れる事はあるが、ティーダやヴァンのように甘いものばかりをずっと食べてはいられなかった。
バニラアイスを食べるのにもコーヒーが欲しい、と思う位には、食指が伸びにくい部類である。
そんなスコールであるが、極稀に、自分からチョコ菓子の類を進んで買う事もある。
目的はその菓子を食べる為ではなく、付録として同封されているカードなど、そう言ったものだ。
スコールはお気に入りのカードゲームである『トリプル・トライアド』の手札カードを集める事に執心していた。
先日、そのカードゲームに新たな拡張が入り、スコールの収集癖が一年ぶりに再開した。
拡張カードパックは早々に手に入れ、幸いにもレア度の高いカードも殆どを揃える事が出来たのだが、まだ足りないものがある。
高レベルのカードに恵まれた分、低レベルのカードが歯抜けになっていた上、どういう訳か幾つかカードパックを買っても揃わないものがあった。
手札を揃える分には運の良い事であったが、今のスコールの目的は全カードコンプリートである。
プレイヤー間でのカードの遣り取りをするという手段もなかったが、多くのプレイヤーは希少なカードを欲し駆っており、低レアのカードを求めるスコールは珍しいだろう。
カードトレードは出来るだけ同じレアのものか、それに相当するようにとレアカードを複数種揃えての交換が推奨される。
勿論、どのカードに何の価値を見出すかは人それぞれであるから、低レアの為に高レアカードを差し出す者も存在はするが、低レアカードはその排出率からトレードせずとも手に入る物も多く、その奇妙な姿勢故に、訝しんで手を挙げられないとか、冷やかしだと棘を刺されるパターンもあったりする。
お陰で今回は低レアが欲しいスコールは、相手が見付からないと言う状態になっていた。
だからスコールは、食玩として提供されている所まで手を出したのだ。
菓子一品につき一枚しか手に入らないので、コンプリートするにも確率が悪くなるから、普段は先ず購入しないもの。
その考え方は今も変わっておらず、コンプリートを目指すにしても、1/100以下にしかならない食玩のカードを狙うのは的外れだろう。
しかし、コンプリートパックやスペシャルパックを複数開けても、何故か手に入らない最後の低レアカードに、スコールは焦れていた。
パックはやはり枚数分の値段もあるし、開けた分だけ被りカードが増えて行く。
被ったカードはカードショップで換金したりしているが、中身の全てを確認したりする作業が段々と面倒になって来た。
その点、食玩に添付されたカードは一枚しかないので、被ってもその一枚のみを処分すれば良い。
開ける度、目当てのカードではない事に辟易はするのだが、それでもコンプリートを諦められないスコールは、涙ぐましい努力と忍耐で、目的のカードを求め続けるのであった。
そんな訳で今日も食玩を買って来たスコールだが、流石に飽きている。
カードの販促あっての代物であるし、コンビニに置かれる安くて子供受けするような味にされているので、元々甘いものが好きではないスコールが食べ続けられる訳もない。
そろそろこの生活を終わりにしたいと思いつつ、今日買って来たカードを取り出したスコールは、きっと誰もが残念がるであろうレア度最低のカードを見て目を瞠る。
「出た……!」
思わず零れたその声に、キッチンで夕飯の準備をしていた兄が振り返る。
ダイニングテーブルで一枚のカードを凝視している弟の表情に、長くその顔が苦い表情を浮かべていた事を知っているレオンは、おお、と声を上げた。
「出たのか」
「出た!」
そう言って嬉々とカードの表を見せるスコール。
人物でも、伝説の魔獣をデザインしたものでもない、ただ今回の拡張でデザインが変更されただけのモンスターカード。
その一枚だけが、どうしてかスコールの下にいつまでも来てくれなかったのだ。
ようやく手に入ったそれを前に、蒼の瞳をきらきらと輝かせるスコールに、レオンの笑みが漏れる。
「良かったな。これでカードコンプリートか」
「ああ。やっと終わった……」
「あとは、そのお菓子を片付けるだけだな」
テーブルに並べられたお菓子を指して言えば、スコールの表情は一転して顰められた。
「もう飽きた……」
「あれだけ食べていたんだから、そうだろうな」
「………」
もう食べたくない、と言う表情を浮かべるスコール。
しかし、食べ物を粗末にしてはいけないと言う躾はしっかりと根付いている。
スコールは渋々と言う顔で手を伸ばし、菓子の包装を開けて、延べ何個目になるかと言う板チョコを齧った。
「……………甘い」
チョコレートなので当たり前だが、スコールにはこれが辛い。
食玩にも色々と種類のある世の中だが、この食玩は表面にカードのデザインをプリントしたのみのシンプルな板チョコだ。
カードはその板チョコと一緒に、汚れがつかないようにビニール袋に包まれて同封されている。
せめてこの菓子がもう少し食べ易ければ、とスコールは思うのだが、低コストで大量生産、尚且つ販促のメインはカードである事を思うと、不味くないだけマシ、なのだろうか。
甘い味なのに、苦いものを食べているような表情でチョコレートを黙々と食べて行くスコールに、レオンは夕飯の材料が入った鍋を煮込みながら言った。
「目当てのものは手に入ったんだし、後は冷蔵庫に入れておいて良いだろう。今じゃなくて、疲れた時に食べれば良い」
「……そうする」
「後は、そうだな。ホットミルクにでも入れるとか。飲み物にしてしまえば、消費も早いだろう」
レオンの提案に、確かに食べるよりはハードルが低そうだと考える。
ホットミルクならデンシレンジで温めれば良いだけだし、其処に砕いたチョコレートを入れれば、ホットチョコの完成だ。
そう言えば子供の頃にはレオンが良く作ってくれた、と遠い郷愁にも誘われて、一度はそれで飲んでも良いかも知れない、と思った。
封を開けてしまったチョコレートはなんとか食べ切り、後は冷蔵庫へ入れた。
同封されたカードも出していないので、気持ちを切り替えられたら、その時に出してみるとしよう。
高レアが手に入るとは思っていないが、ずっと一枚のカードだけを求めて開けていた時に比べれば楽しめる筈だ。
ダイニングテーブルに置いていたレッドマウスのカードを部屋へと持って行ったスコールは、カード収納用のバインダーを開いて、最初の1ページ目のぽっかりと空いたポケットにそれを納めた。
携帯電話のカメラでページ全体が見えるように撮り、友人たちにメールで送る。
彼等にはカードコンプリートに向けて協力して貰ったので、完成したら報告しなくてはと思っていたのだ。
直ぐに各々から返事が届き、「やったな!」「おめでとう!」と称賛が重なる。
「あんた達のお陰だ」と送った後、また嬉しそうなメールが届いて、無性に恥ずかしくも嬉しくなった。
報告も済ませて満足した所で、スコールはダイニングキッチンへと戻った。
キッチンではレオンがのんびりと鍋を掻き回しており、時間的に見ても、恐らくもう直に夕飯になると判ったが、スコールは一つ口直しがしたい。
兄の後ろでキッチン棚を開け、コーヒーサイフォンを取り出していると、その気配に気付いたレオンが振り返った。
「コーヒー、淹れるのか」
「口の中が甘ったるいんだ」
さっぱりさせたい、と言うスコールに、レオンはくすくすと笑う。
そんなになってまでカードを集めたかった弟に、呆れているのか、微笑ましく見ているのか。
電気ケトルで湯が沸く間にコーヒー豆を挽き始めるスコールに、レオンが声をかける。
「そんなに甘いのか?あのお菓子」
「甘い。……チョコとしては普通なのかも知れないけど。ティーダ達は普通に食べてたし」
「お前には甘過ぎる、か」
「当分見たくない位だ」
「俺も食べてみようか」
「片付けるのを手伝ってくれるのなら、助かる」
そう言いながら、サイフォンを手際よくセットして行くスコール。
後はもう少しで沸騰するであろう、ケトルの合図を待っていると、
「ちょっと味見してみて良いか」
「良いけど、封が開いてるのはもうないぞ」
レッドマウスのカードが入っていたチョコレートは、しっかり食べ切った。
食べるのなら、冷蔵庫にいれた未開封のものを出さないと、とスコールが言おうとした時、形の良い指がスコールの顎を捉えて、くん、と上向きにされる。
柔らかいものが、スコールの唇を覆うように触れた。
見開いたスコールの瞳に、柔らかく光る蒼の瞳が映り、何処か楽しそうに細められる。
呼吸ができない事に気付いたスコールが唇を緩めれば、直ぐに温かいものが滑り込んで来て、スコールの咥内をゆっくりと撫でた。
ぞくぞくとした覚えのある感覚がスコールの首筋を走ったかと思うと、それを与えた男の顔がついと離れ、薄らと濡れた唇を舌がなぞる。
「成程。確かに、甘いな」
これはコーヒーが欲しくなる、と言って、レオンはまた鍋へと向き直る。
呆然と立ち尽くすスコールが我に返ったのは、それから数秒後。
電気ケトルよりも判り易く沸騰して真っ赤になった弟を横目に、レオンはくすくすと、やはり楽しそうに笑うのであった。
レオスコいちゃいちゃ。
甘いのはチョコレートなのか、スコールなのか。レオンにとっては両方。
カードではしゃぐ弟を見るのは可愛いなあと思っている。
スコールが珍しく真っ当に休みを取ったのは、リノアの為だった。
何かと忙しいばかりで、変に真面目な気質がある所為で、日々を忙殺させているスコールだが、彼の本来の優先順位の第一位はリノアである。
そしてリノアは傍目に見ると奔放な所が多く、よくスコールを自分のペースで振り回しているように見られ勝ちであったが、その実、大事な所ではスコールの気持ちを優先してくれていた。
魔女になった彼女が、何処にも拘束をされる事なく、その事実も一部の人間しか知らない、と言う環境が赦されているのは、騎士となったスコールが“魔女戦争の英雄”として、また“バラムガーデンSeeDの指揮官”と言う公的立場を持っているからだ。
リノアの自由と安全の為にも、スコールは現時点で手元にあるカードを最大限に利用している。
その為の“指揮官”の席であり、肩書であったから、今はまだそれを剥奪されない為にも、この立場について回る義務は安易に放り出せないのだ。
しかし、そればかりを優先していては、リノアと共に過ごす時間は減るばかり。
“月の涙”の影響により、各地の魔物の凶暴化やテリトリー争いが激化した為、人々の生活圏までその脅威は食い込んでいる。
戦う術を持たない人々からは勿論、、軍の対応だけでは間に合わないと、他国からSeeDへの救援要請が増えたことで、スコールを始めとした主力ランクのSeeD達は忙しい日々を送っている。
任務から戻ったその日のうちにまた任務、と言う事も珍しくはなかった。
同時に、復興が進むトラビアガーデンへの助力も行っている為、人手は幾らあっても足りない。
こうした理由が重なる事により、スコールは益々休む暇と言うものを奪われて行くのだが、それではスコールの躰が死んでしまう。
そう言った理由もあって、幼馴染達の先回りの配慮で、スコールは折々に休みを取るようになった。
大抵、それはキスティスやサイファー、アーヴァインと言った面々が、スコールのスケジュールを密かに(勝手に、とスコールは言う)調整し、一日二日の休みを捻じ込むのが常であった。
しかし、今回のスコールは、自分から休暇申請を届け出ている。
スケジュールもしっかり確認して、緊急案件でも飛び込まない限りは、其処が空けていられるようにと調整した。
その日が何か特別な日だった、と言う訳ではないのだが、取るならこの日しかない、と思ったのだ。
申請を出した後、休みを取るから、とリノアに伝えると、彼女は飛び付いて喜んだ。
その笑顔を曇らせたくなかったから、スコールは何としてでも、その日だけは守るつもりであった。
かくして当日がやって来ると、スコールはリノアと連れたってバラムを発った。
たっぷりと時間をかけて休みを満喫するなら、出不精なスコールにとっては寮で過ごすのがベターであるが、それではリノアが詰まらないだろう。
それでも良いよ、とリノアは言ったが、折角の休みなんだから、と思ったのはスコールも同じだ。
折角、リノアの為に取った休みなんだから、彼女が喜んでくれる事がしたい────そう思った。
と言った所で、スコールに女子が喜ぶような甘酸っぱい計画が立てられる訳もなく、取り敢えずと言う気持ちでドールへと到着する。
此処を今日の場所に選んだのは、消去法で残ったからだ。
バラムは二人とも日々を過ごすので見慣れ過ぎているし、ティンバーはリノアがよく『森のフクロウ』に顔を出しに行っている。
デリングシティは少々遠いし、何より今のリノアは実家とガーデンを往復して過ごしているので、此処も彼女にとっては慣れた場所だ。
エスタは遠過ぎるし、二人で出掛ける為にラグナロクを飛ばすのもどうかと、選択肢から外した。
後に残ったのが、船一本でバラムと行き来の出来るドールであった。
だが、結果的にそれで良かったのだろう。
色々な種類の看板が石畳に連ねられたドール市街の街並みを歩き、両手に持った沢山の買い物袋の重みを感じつつ、スコールはそう思っている。
「あっ、あのお店可愛い!」
隣を歩いていたリノアが、向かう先に佇む店を指差して高い声を上げる。
小走りで軒先に駆け寄って行くリノアの手にも、店名の入った紙袋が揺れていた。
追って店前に辿り着くと、リノアがウィンドーに飾られたアクセサリーをしげしげと眺めていた。
クロスや天秤などをモチーフに、シンプルなデザインで作られたゴールドカラーのネックレス。
色違いにシルバーも添えられており、悪くはないデザインだとスコールも思った。
「うひゃあ、良いお値段」
「……買うか?」
「う~~~~ん」
「俺が」
「さっきも買って貰っちゃったからそれはダメ」
「……そうか」
リノアの遠慮に、別に良いのに、とスコールは思う。
確かにネックレスに紐付けられたタグには、そこそこ良い値段が書かれていたが、スコールの給料なら問題ない範囲だ。
カードとグリーヴァのアクセサリー以外に滅多に金銭を注ぎこまない上、忙しさのお陰で大して散財する機会もないスコールである。
興味もないものに投資のような真似事をする位なら、リノアが喜んでくれるものや、彼女に似合いそうな服やアクセサリーを買った方が良い。
スコールはそう考えているのだが、それをリノアに伝えた時、「私がスコールに甘え癖ついちゃいそうだからダメ」と言われてしまった。
甘えてくれてスコールは構わないのに、リノアは自身の線引きをしっかりと守ろうとしている。
それはスコールに迷惑をかけたくないからなのだが、今のスコールは、リノアにならどれだけ迷惑をかけられても良いと思っている。
(……昔と大違いだな)
欲しい気持ちと、財布の事情とで悩むリノアを横目に、スコールはそんな事を考える。
(あんたに振り回されるの、面倒臭いと思ってたのに。今はこんなに……嬉しい)
何気ないリノアの一言に、あっちこっちと目が忙しくなる。
彼女が何を見ているのか、何に喜んでいるのか、確かめて覚えなくてはと思う。
そう言う事を積み重ねて、ちょっとした事でリノアがころころと笑うのが嬉しかった。
だから今日はリノアの為に休みを取ったのだ。
彼女がしたいと言うことなら叶えてやりたくて、そうして笑ってくれるリノアの顔が見たかった。
悩みに悩んだ末、リノアは店に入るのを諦めた。
見る位良いだろう、とスコールは言ったのだが、
「入ったら欲しくなっちゃうし、スコールも買ってくれそうなんだもん」
「……別に良いだろう。ドールは滅多に来ないし、あの商品が次に来た時にあるかも判らないぞ」
「う~、そうだけどぉ。ほら、荷物ももう一杯だし。これ以上重くなったら大変でしょ」
「別に。殆ど服だし、軽いから問題ない」
二人の両手に抱えられた紙袋の中身は、殆どが服だ。
スコールがリノアの気に入った服を買い、リノアもスコールに似合いそうな服を買った。
その他、折角ドールに来たのだからと、幼馴染の面々たちにお土産を、と言うリノアの提案で、彼等にも合いそうなものを一点ずつ、此方は割り勘だ。
こうして二人の荷物は増えた訳だが、中身が服や小さなアクセサリーばかりなので、スコールにとっては嵩張りはすれども重さは気にならなかった。
それでも、良いの良いの、とリノアが言うので、スコールはそれ以上言うのは止めた。
遠慮していると判る彼女を前に、どう言う選択をすれば正解なのか、スコールにはまだ判らない。
甲斐性を見せる所だろうが、と頭の中で対象の傷を持つ男が背中を蹴った気がする。
帰ったら蹴り返そう、と勝手に仕返しを決意しつつ、スコールはリノアと並んで、オレンジ色の光に濡れる石畳を歩いて行った。
「帰りの船までまだ時間があるよね?」
「ああ。行きたい所でもあるのか」
「ん~……行きたいトコ、とかはないんだけど。ちょっとお散歩したいなあって」
そう言いながら、リノアがすす、と身を寄せて来る。
下から覗き込むリノアと目線を合わせれば、じい、とねだるような瞳がスコールを見詰め、
「……手、繋ぎたいであります」
「……塞がってる」
お願い、と小首を傾げて見せるリノアに、スコールは両手に持った買い物袋を掲げて見せる。
リノアもそれは判っていたのだろう、だよねぇ、と唇を尖らせた。
荷物云々は事実であるが、それでなくても、スコールは中々リノアと手を繋がない。
バラムガーデンでは周りの目線があるので仕方のない事だと、リノアも判っているつもりだ。
だからこうして、ガーデンから離れ、二人きりになった時位はと思ったのだが、荷物があるのでは仕方がない。
ついついはしゃいで買い込んでしまった自分を叱りつつ、でも散歩は出来る、と思っていると、
「……リノア」
「はーい」
「これだけ持ってくれ」
「ん?うん」
差し出された紙袋を、リノアは半ば反射的に受け取った。
薄手のシャツが二点入った軽い袋と、セルフィの土産にと買ったブレスレットの入った小袋。
それ以外の荷物を、スコールは既に物を持っている右手へと集め、空になった左手をリノアの前に差し出す。
「え?」
「………」
無言で差し出された、黒の手袋を嵌めた左手。
その意図を直ぐに理解できなくて、きょとんと眼を丸くするリノアに、スコールは薄らと赤くなった顔を反らしながら、
「……繋ぐんだろう」
そう言って、差し出した手を握ったり開いたり。
照れ臭そうなその仕種に、リノアの胸にむずむずと甘酸っぱくて温かいものが芽吹く。
リノアは直ぐに荷物を片手に集めて、右手をスコールの手に重ねた。
白くて細いリノアの指が、スコールの指の隙間にするんと入って絡み合う。
柔く握ってやれば、お返し、とばかりにぎゅっと握る返事があって、スコールの唇が和らいだ。
いちゃいちゃデートのスコリノ。
スコールは懐に入れた人間に対してガバガバになりそうなので、リノアに対して凄く甘いだろうなって言う。
それに遠慮なく甘えるリノアも好きですが、結構ちゃんと礼節を守ったり、誰かの迷惑にならないようにしようって頑張る子なので、際限なく甘やかしそうなスコールを宥めたりもしそう。
でも些細だけど一番のお願いをするっと叶えてくれるスコールに、やっぱり甘えたいリノアは可愛いと思います。