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一見すると大人びて見えるものだから、折々にその年齢を忘れることがあるのだが、スコールはれっきとした17歳だ。
シャープな印象を与える整った面立ちや、同年齢の少年少女達に比べ、聊か冷たく見えるほどの落ち着きぶりがあるので、大学生くらいに間違えられるのはよくある事だ。
フォーマル系の服でも来ていたら、既に成人していると言っても、余り違和感はないかも知れない。
だが、彼をよくよく知ってから見ると、見た目の印象に反して、存外と子供っぽいのだと言うことがよく分かる。
大人びて見える言動は、彼自身が少しでも早く大人になりたい、幼い頃の甘えん坊から脱却したいと足掻いた結果。
しかし根の部分はそう簡単に覆る程変われる筈もなく、見栄っ張りな部分や、負けず嫌いで意地っ張りな所、相手にも因るが、やられたらやり返さないと気が済まない等、年相応に幼い青臭さもしっかりとあるのだ。
そして、彼が言葉以上に頭の中でお喋りをしており、非常に感受性豊かである事は、ごく限られた人間の間でしか知られていない。
そんなスコールとクラウドが恋人同士になってから、そろそろ半年が経とうとしている。
付き合い始めて三カ月が経った頃、健全な一線も無事に越えて、身も心も繋がった。
以来、スコールは週に一回、多ければ二回と言う頻度で、クラウドの家に泊まりに来ている。
お陰で散らかり易くて幼馴染のティファにも呆れられたクラウドの自宅は、年上として少しはきちんとしているように見せなくてはと、そんな気持ちから多少なり整えられるようになった。
碌に使っていなかったキッチンは、スコールが来た時に手料理を作ってくれるので、半年の間に調理機材が着々と増え、今では立派に“キッチン”として稼働している。
一日三食、下手をすると一週間をカップラーメンで過ごし、ビールの置き場くらいにしか役立っていなかった冷蔵庫の中には、葉物に根菜、調味料、作り置きの料理の入ったタッパーなんてものも入り、見違える生活ぶりだ。
勿論、クラウドの生活サイクルにも変化はあり、ともするとゲーム廃人のような休日を送っていた以前に比べると、真っ当に健康的な生活習慣が完成している。
人は恋をすると此処まで変わるのだと言うことを、クラウドは我が身にしてしみじみと感じていた。
クラウドを其処まで変えてくれた年下の恋人は、今日もクラウドのアパートに泊まりに来ていた。
安普請なアパートで、エアコンも年代物で「風の強さが強と最強しかない」と言われるような環境は、恋人と熱い夜を過ごすには聊か不便もなくはない。
主には壁の厚みであったが、かと言ってスコールの家にクラウドが行くのは、お互いに少々抵抗があった。
と言うのも、スコールは幼い頃に母を失くして以来、子煩悩な父親と二人暮らしをしている。
仕事の都合でいない時の方が多いと言うその父親であるが、とは言え全く帰って来ない訳でもないから、其処で諸々をするのは流石に憚られるものがあった。
そもそもスコールは、クラウドと付き合っている事を、まだ父親に話していない。
いつかは────と思ってはいても、人との交友と言うものに積極的ではないスコールであるから、恋人を持ったのはこれが初めての事だった。
それが普通に同じ年頃の少女であればもう少し話は違ったのだろうが、しかしクラウドは男である。
既に体の関係も持っているとは言え、どんな顔して言えって言うんだ、反対されたら────と言う不安もあって、まだ二人の関係は父親に対して秘密にされている。
クラウドはいつでも腹を括って挨拶に行くつもりではあるが、スコールがそう言うならと、彼のペースに合わせるつもりだった。
だから、二人が共に夜を過ごすのは、クラウドのアパートでと決まっているのだ。
スコールが家に来てくれた日は、必ず彼が夕飯を作ってくれる。
仕事で疲れて帰ったクラウドの為、必ずボリューム満点の食事を用意してくれるのだが、これが中々凝っていて旨い。
更に、酒の当てになるものも作ってくれるから、クラウドはスコールが家に来るようになってから、少々体重が増えたような気がしている。
肉体労働の職種であるので、カロリーも消費するから、体型が大きく変わる事はないようだが、カップラーメンで日々を過ごしていた頃に比べると、胃袋の満足感が鰻上りになったのは間違いない。
夕飯を腹六分で済ませて、後は酒を飲みながらツマミを貰ったお陰で、クラウドはすっかり上機嫌だ。
酒は親友から、その親友はどうも仲の良い上司から貰った由来のあるもので、まだまだ薄給と言えるクラウドがおいそれと買えることのない高級品だった。
度数がそこそこ高いと言うのに、口当たりが柔らかいものだから、ついつい杯を重ねてしまう。
しかし、今夜はスコールがいるから、クラウドはまだ欲しい気持ちをぐっと堪えて、晩酌をお開きにした。
スコールが「俺が片付けておく」と言ってくれたので、食器を彼に預け、クラウドは風呂に入っている。
(中々良い酒だったな。全く、何処であんなものを手に入れて、それをポイと人に譲れるんだか)
親友と共通の上司の顔を頭に浮かべながら、羨ましいものだと天井を仰ぐ。
あれと同じ位の成績と出世をすれば、自分も同じような代物を手に入れることが出来るのだろうか。
そんな事を考えてみるが、一小市民な気概が染み付いた自分では、高級品は中々気後れして手が延びそうにない。
(……しかし、スコールと一緒に飲むなら、どうせなら美味い奴の方が良いな。良い酒だったから、いつかスコールにも飲ませてやりたいし)
スコールはまだ17歳だ。
誕生日がクラウドと近いと言っていたので、直に18歳になるそうだが、それを含めても彼の成人まではあと二年。
それまでにもう少し給料が上がっていると良いが、と少々世知辛い事を考えつつ、クラウドは湯から上がった。
この後も期待もあって、夜着に袖を通すクラウドは少しそわそわとしていた。
年下の恋人はこの手の事には極めて初心なのだが、最近少しずつ、クラウドと褥を共にする事に慣れてきている。
その傍ら、風呂に入る頃にその後のことを彼も意識しているようで、風呂が空いたぞ、と言うと赤くなりながらいそいそと風呂場に向かう後ろ姿に、クラウドは少し興奮していた。
「スコール。上がったぞ」
キッチンの方を覗き込みながらそう言ったクラウドだったが、其処にあった光景に目を丸くした。
流し台で食器を片付けていた筈のスコールが、その下で座り込んでいるのだ。
慌ててクラウドはスコールに駆け寄り、傍らに片膝をついて声をかける。
「おい、スコール。どうした?」
「……」
「スコール。気分が悪いのか?」
口元を手で抑え、俯ているスコールに、クラウドは体調が悪いのかと心配する。
しかしスコールからの反応はなく、揺すって良いものかと肩に沿えた手に力を込めつつも迷っていると、緩慢な仕草でスコールがやっと顔を上げる。
「……クラウド……?」
「ああ。大丈夫か?」
「……ん……」
何処か焦点の合わない、ゆらゆらと頼りなく見える蒼の瞳が、クラウドを見詰める。
眉間の皺が緩んでいる所為か、その表情は酷く幼く見えて、目元が薄らと潤んでいるものだから、クラウドは一瞬彼が泣いているのかと思った。
スコールの口元に当てられていた手が、ゆっくりと其処から離れ、恋人へと伸ばされる。
その手はクラウドに触れるか触れないかの所で止まり、迷っているようにも見えた。
クラウドがそれを掬うように握ってやると、心なしか安堵したように、スコールの眦が甘く和らいだ。
かと思ったら、スコールの頭がゆっくりと傾いて、目の前で跪く格好になっているクラウドの肩に、ぽすん、とその頭が乗せられる。
「スコール?」
「……んぅ……」
「……?」
名を呼んでみれば、むずがるような声が聞こえて、クラウドは首を傾げる。
スコールのこう言った仕草は、寝惚けている時に儘見られる可愛らしいものであるが、それをこんな時にするとはどう言う事なのか。
ひょっとして熱でもあるのか、ともう一度顔を確認しようとするクラウドだったが、スコールはクラウドの首に腕を回して、しっかと抱き着いて来る。
ぴったりと密着しているものだから、クラウドからはスコールの耳元が見えるのが精々であった。
しばし迷った末に、クラウドはそっとスコールを抱き上げて見る。
いつもなら恥ずかしがって離せ下ろせと暴れ出す、所謂お姫様抱っこと言うスタイルで持ち上げると、スコールは意外にも腕の中にすっぽりと納まってくれた。
それなりに身長がある───何せクラウドよりも少しだけ、ほんの少しだけ高い───から、長い足が狭い廊下の壁を擦っていたが、当人は全く気にせずクラウドにくっついている。
いやはやこれは、と益々の混乱を感じつつ、一先ずクラウドはベッドへと向かった。
朝の抜け殻の気配を残すベッドにスコールを下ろそうとすると、ぎゅう、と抱き着く力が強くなる。
「おい、スコール」
「…ん……」
「下ろすから、腕を」
「……んぅ……」
離してくれ、と言う前に、またスコールの腕に力が籠る。
これは無言の「イヤ」だ。
(……甘えているのか?それは、嬉しいが……)
スコールが判り易く甘えてくれるのは、滅多にない事だ。
それが見られるのは、朝に弱いスコールの寝起きか、熱い夜を過ごして彼をとろとろに溶かした時位のもの。
まだ夜の帷も入り口にならない内から、こんなにも抱き着いてくれるなんて、今までになかった事だ。
可能性として有り得るのは、何か嫌な事を思い出したとか、父親と喧嘩をしたとかで情緒不安定になっている時だが、夕餉の時も晩酌の時もそう言った様子はなかったから、恐らくどちらも違うのだろう。
本当に急な事に、クラウドはしばし戸惑っていたが、
「……ん?」
「クラウド……」
「……スコール。ちょっと」
「ふ……?」
すん、と鼻に覚えのある匂いを感じて、クラウドはスコールの口元を見詰める。
顎を指で捉えて、薄く唇を開かせた状態で、クラウドは鼻を寄せてみた。
────ついさっき、クラウドが飲んでいたばかりの酒の匂いがしている。
「……スコール。ひょっとして、飲んだのか?」
「………」
問うてみると、スコールはしばしの沈黙の後、ぷいっとそっぽを向いた。
叱られることを感じ取った猫の仕草だ。
(そう言えば、興味がありそうに見てたな……)
晩酌をしている間、クラウドが摘まみと一緒に飲んでいた酒。
スコールも作った摘まみを夜食に齧りつつ、ジュースを飲んでいたのだが、時折その視線はクラウドのグラスに向けられていた。
冗談交じりにクラウドが「飲んでみるか?」と言った時には、「未成年に奨めるな」と諫めてくれる位には真面目だったのだが、本心では気になっていたと言うことか。
そして片付けを引き受けて、クラウドが風呂に入っている隙に、グラスに僅かに残っていたアルコールに口を付けてみた、と言った所か。
クラウドは、そっぽを向きつつも、姫抱きの状態から逃げようとはしないスコールに、これ見よがしに聞こえる溜息を一つ。
スコールも自分がやった事への罪の意識はあるのだろう、びく、と小さく震えるのが伝わった。
逸らされていた顔が、そろそろとクラウドへと向き直り、伺うような蒼の瞳がじいっと上目遣いに恋人を見詰める。
「……どれ位飲んだ?」
「……のんでない」
「嘘を吐け。ちゃんと言わないと、怒るぞ」
「………」
語尾を少しだけ強めに言うと、スコールはいやいやと首を横に振って、クラウドにしがみ付く。
怒っちゃ嫌だ、と言うその姿は、駄々を捏ねる子供そのものだ。
酔うとこんな風になるのか、と少し新鮮な気持ちでその姿を見ていると、
「……ちょっと、舐めた、だけ……」
「本当に?」
「……苦かったから」
美味しく感じられなくて、スコールはそれ以上は口をつけていない、と言う。
それでこんなにも酔っ払うのかと、普段との言動の差もあって、クラウドは内心驚く。
これは相当弱いな、と思っていると、スコールはクラウドの頬に猫のように頭を擦り付けて言った。
「クラウド」
「ん?」
「セックスするんだろ」
しよう、とスコールはクラウドの唇にキスをする。
いつにない積極性に、これもまた酒の力か、と思っている間に、クラウドはベッドへと押し倒されていた。
スコールはその体の上に覆い被さるように乗って、クラウドの頬に首筋に、キスの雨を降らせている。
素直に甘えてくれる事は勿論、こんなにも積極的なスコールも珍しい。
人との交流と言うものに消極的なスコールは、初めての恋人関係と言うものも、どうして良いのか分からず、普段は専ら受け身である事が多い。
性的な事に関しては尚更で、いつも主導権はクラウドに任せており、自身は言われるように、されるがままに委ね切っていた。
回数を重ねるに連れて、少しずつ自らも行動するようにはなっているが、元々の恥ずかしがり屋や、理性が強い性格も相俟って、やはり基本的にはクラウドの合図を待っている所があった。
それを思うと、こんなにも積極的に求めてくれると言うのは、クラウドにとっても驚き一入に嬉しいものがある。
照れ屋な部分が、酒のお陰でその抑制が外されていると思うと、このまま雪崩れ込んでしまいたい気持ちはなくもない────が。
(……いや、それもどうなんだ。事故とは言え、酔っ払った未成年を相手に)
此方は良い年をした大人だ。
年齢は十も離れてはいないが、クラウドは一端の社会人のつもりがある。
幾ら可愛い恋人とは言え、流石に良くはないだろうと、ブレーキが働いた。
それに、すりすりと懐くように甘えてくれるスコールの様子は、本当に子供のようだ。
普段はこんな風に甘えたいのを、背伸びしたがる心が抑えているのかと思うと、反って庇護欲めいたものが刺激される。
「スコール。スコール」
「……ん……?」
名前を呼ぶと、スコールはとろりと蕩けた瞳を向けてきた。
熱を持っている時の表情に、クラウドも少しばかり欲望が疼くものがあったが、ぐっと堪えて細身の体を抱き締めてやる。
「クラウド?」
「こっちだ」
「う」
腹の上に乗っている重みを、クラウドは隣へと転がした。
ぽすん、とシーツに落とされたスコールは、きょとんとした表情でクラウドを見詰めている。
ゆっくりとその眉尻が下りて、心なしか不安そうな表情を浮かべるスコールに、クラウドはくすりと笑って濃茶色の頭をぽんぽんと撫でた。
「……しないのか?」
「そうだな……」
「やだ、する」
「こら」
ごそごそと身を寄せて、下肢に触れようとする腕を、クラウドはやんわりと捕まえる。
納得のいかない拗ねた顔で睨むスコールだが、クラウドはその目尻に柔くキスをした。
「するなら、俺のペースで良いか?」
「……あんたの?」
「ああ」
「……いい」
クラウドの言葉に、掴まれていた腕の、抵抗する力が抜ける。
拗ねた表情は早い内に引っ込んで、スコールは目を閉じ、また猫が甘えるようにクラウドに身を寄せた。
喉元に触れる唇の気配を感じながら、クラウドはそっとスコールの背中に腕を回す。
努めて優しく抱きしめて、体温を分け合うように密着し、ゆっくりと背中を叩いてやる。
規則正しい一定のリズムで背を叩く手に、スコールは心地よさそうに目を細めるのだった。
7月8日でクラスコの日。
良い大人としてちゃんとしているクラウドと、駄々っ子スコールが浮かんだので。
……ちゃんとしてるけど、手は出しているんだなあ。お互いの明確な意識で同意の上でね。
斥候なり調査なりと、遠出をする時には、野宿で夜を越すのは当然のことだ。
その際、テントなどの道具を持ち出しているかは、時とメンバーにより変わるものだった。
遠出をする時は、それよりも食料や薬と言った備蓄を多く用意しておきたい事もあり、赴くのが二人程度なら野宿用の道具は置いて行かれる事が多い。
荷物を持つ手に余裕があれば、寝袋程度は用意しておこうか、と言う位だった。
同行者が増え、一日二日で帰るには聊か厳しい距離が予想される場合は、嵩張るが眠り休む環境を整える目的で、簡易テントを持って行くようにしている。
秩序、混沌ともに十人と言う数を思うと、四人での行動ともなれば十分に大人数と言えるだろう。
となれば、やはりテントは持って行くべきだろうと言う意見が出る。
その理由の一つには、今回のメンバーにティナが組まれており、秩序の陣営唯一の女性である事も相俟って、男達はやはり少々手厚くしてしまう所があった。
これがもし完全な男所帯であり、軍属や兵役の経験のある者のみで構成された選出であったなら、地面に雑魚寝も厭わなかっただろう。
勿論、それも行く先の状況、予想される襲撃等も加味した上での選択ではあるが、サバイバルに慣れている者である程に、そう言った荷の選定にはシビアなものである。
今回はメルモンド湿原方面にて確認された歪の解放と、先日、奇妙な空間の亀裂を見付けたと言うティーダの発言を元に、その調査に赴いていた。
空間の亀裂と言うのが、まさしく文字通りの代物だと彼が言うので、物理的なものよりも、魔力の方を探ってみた方が良さそうだ、と言う事から、ティナの同道が決まった。
発見者であるティーダ、魔力の感知に長けたティナ、そして後はクラウドとスコールと言うメンバーだ。
メルモンド湿原はほぼ常に雨が降り続いている為、この地で長時間の調査をするとなると、雨避けの道具は必需品となる。
テントも勿論持ち込まれており、雨避けとしての役割がそこそこに期待できる樹の下にそれを張って、そこを拠点にしての調査を開始した。
調査開始から二日目の夜、ティナはふと目を覚ました。
日中、魔力探知の為に気を張っている事を鑑みて、ティナは見張りのルーティンから外されており、残りの三名で不寝番をしていた。
長く休ませて貰える事は、助かる反面、少し申し訳ないな、と思う。
しかし、必要であれば探査魔法の他、イミテーションと遭遇した際には遠方にいる内に先手必勝と魔法を使う機会も多いので、夜を回復に専念させて貰える事は非常に有り難い。
それ故にティナの眠りはそこそこ深いものであったのだが、不意の覚醒と言うのはあるものだ。
雨粒のサイズが大きくなったか、木枝を擦り抜けた雨粒がテントを叩く音を鳴らしていたのも、それを促した理由だったのかも知れない。
だが夢を見ていた訳でもないので、寝覚めの不快感や焦燥感と言うのもなかった。
本当に、ただただ目が覚めただけなのだ───と、目覚めてから一分ほど経って認識するに至った。
その間に雨により冷えた空気が感じられるようになって、寝袋の端を摘まんで包まろうとした時、
(────あ)
視界の端にちらりと影が見えて、ティナはそうっと首を巡らせた。
肩越しに見えたのは、雨音に叩かれるテントの屋根をじっと見上げているスコールだ。
まだ遅い時間なのだろう、テントの中は灯りもない為、夜に溶けたような色をしているスコールのシルエットは、少し見難かった。
けれども、よくよく知る仲間のものであるから、肩だけがふわふわと柔らかそうな毛束があるのも含め、それが誰かと言う情報については十分だ。
段々と暗闇に目が慣れるにつれ、少しずつテントを見上げる少年の表情も見えて来る。
何かを思い出しているような、雨の音を聞いているような、そんな顔をしていた。
その横顔が何かを無心に求めているように見えて、何か声をかけた方が良いだろうかとティナは思案していたが、その切っ掛けは彼方から先にやって来た。
「……起こしたか」
気配か視線か、どちらにせよティナは彼をじっと見詰めていたものだから、覚るには十分だっただろう。
顔を此方へ向けてそう言ったスコールに、ティナはころりと体を向けて、小さく首を横に振った。
「ううん、目が覚めただけ。スコールの所為じゃないよ」
「……そうか」
ティナの言葉に、スコールの反応は少ない。
寡黙な彼にはよくある事で、返事がある事自体が、彼が気を許してくれている証拠なのだと教えてくれたのは、ジタンとバッツだ。
そんなスコールの向こうでは、かーかーと寝息を立てているティーダがいる。
ティナが起き上がって、スコールの陰から覗き込むようにしてそれを見てみれば、スコールは察したのか少し体を退けてくれた。
ティーダは小さなテントである事など気にせず、手足を自然に放り出すように伸ばして、健やかに眠っている。
口を開けているのが、彼の奔放さを表しているようで、ティナはくすりと目元を綻ばせた。
「ティーダ、よく寝てるね」
「……そうだな」
「スコールは、あまり眠れそうにないの?」
「いや……」
ティナの言葉に、そんな事はない、とでも言おうとしたのだろうか。
しかしそれきりスコールは口を噤んでしまい、ばたばたと音を鳴らす布天井をまた見上げている。
ティナはなんとなく、スコールの視線を追うようにして、天井を見た。
使い古されたテントではあるが、幔幕はまだしっかりとしており、解れも少ないので、雨漏りすることはないだろう。
耐水性には優れた代物であるが、材質としては布なので、多量の水を被ればやはり水分を多く含んで湿気を生んで来る。
心なしか重く弛んだように見える天井を見つめるスコールの横顔は、先と同じ、心此処にあらずと言うように見えた。
さわ、とティナの胸の内で、何かがささめいた。
それは彼女自身、自分の内の事でありながら、はっきりと聞き取れないものであったが、自然とその唇は開く。
「……スコールは、まだ眠らないの?」
「……その内寝る」
今の所は寝る気にならないのか、スコールは天井を見上げたままでそう答えた。
それが、「今は眠れない」と呟いているようにも聞こえたのは、ティナの気の所為だろうか。
ううんと、とティナはしばし迷ったが、薄暗い中に見える少年の貌を見詰めている内に、決心が決まった。
よく眠っているティーダをうっかり起こしてしまう事のないように、ティナはそうっと起き上がる。
その気配に気付いて、此方に視線を向けたスコールの眉間には皺が浮かんでいたが、ティナは幸いにも気付かなかった。
包まっていた寝袋を開くと、外気から体を守ってくれる殻がなくなって、冷たい湿気の感触が判る。
これでは眠る気にもなれない筈だと納得しながら、ティナはスコールの方を向いて、両腕を伸ばして見せた。
「はい、スコール」
「……は?」
どうぞ、と両の掌も前に出して見せるティナに、スコールは傍目に少々面白い具合に表情筋を偏らせた。
一体何をしている、と問う瞳に、ティナは小さな子供を宥めるように、はんなりと笑って言う。
「寒いんでしょう?だから、一緒に寝ましょう」
「…………はぁ?」
ティナの提案に、スコールはたっぷりと間を置いて、顔を引き攣らせる。
相変わらず、良くも悪くも、ティナはそんなスコールの反応の理由には疎く。
「温かくなったらきっと眠れるわ。怖い夢を見る事もないし」
「別にそんなものは……いや、そもそも怖い夢を見た訳じゃ」
「遠慮しなくて良いの。ルーネスやジタンとも時々一緒に寝る事もあるし」
「あいつらと俺を一緒にしないでくれ」
「クラウドとも一緒に寝る事があるのよ。だから大丈夫」
慣れてるから、と言うティナに、スコールの表情が何やら忙しく変化する。
眉間の皺は当然にあるものとして、テントの外にいるであろう見張り役を見遣ったり、天井を仰いでみたり。
真一文字の唇の中で、何やら色々な言葉が渦巻いているようだったが、彼はそれを口にはしなかった。
バッツやジタンなら、それを読み取る事も出来たのかな、と思いつつ、ティナは両腕を差し出してスコールがやって来るのを待つ。
寒いから一緒に寝てくれないかい、とよく提案して来るのはジタンだ。
そう言う時、大抵ルーネスを始めとして、他のメンバーからジタンは叱られたりするのだが、寒い野宿の夜は、暖を取ろうと皆で団子になるのはよくある事だった。
ルーネスと二人で野宿をする時も、やはり寒さを凌ぐ為、彼と一つの毛布に包まって眠る事は儘ある。
そしてクラウドは、今日のスコールのように夢見が悪い等で眠れない事が時折あって、そんな時にティナは膝枕をしたり、そのまま寝落ちた彼と一緒に眠る事もあった。
しかし、考えてみれば、スコールに対してそう言った事を提案するのは初めての事だ。
それに気付いたティナは、スコールの頑なな様子に、初めてクラウドに膝枕をした時のことを思い出した。
あの時はクラウドも随分と遠慮していて、しかし明らかに疲れているのに眠れない様子であったから、ティナは少々強引に彼の頭を膝へと誘導している。
恐らく、スコールにも同じようなことが必要なのだろうが、
(クラウドはちょっと強引にしても大丈夫だったけど、スコールは……)
嫌がられそう、びっくりさせてしまいそう────ティナがそう思ってくれたのは、スコールにとっては幸いだっただろう。
何と言って彼女を宥め、提案を流してしまおうか考えている彼にとっては。
だが、ティナは自分の提案を良案だと思っている。
何より、天井をじっと見詰めていたスコールの、何処か迷子になった幼子のような横顔が忘れられない。
あれは放って置いてはいけないものだ、とティナの胸の奥底に眠る何かが訴えていた。
「大丈夫だよ、スコール。私がスコールを守るから」
そう言って微笑むティナに、スコールは言葉を喪ったように沈黙した。
じっと見つめる蒼の瞳を、ティナは真っ直ぐに受け止めて、出来るだけ安心させる事が出来るように努める。
守るなんて言葉は、自分からスコールに向けるには烏滸がましいものだと、ティナも判っていた。
戦う力そのものに怯えを持つティナと、傭兵として常に戦いに身を置く事を選ぶスコール。
その精神やパワーバランスから見ても、スコールがティナを護る事こそあれど、その逆はないだろう。
だが、今この時に限っては、ティナはスコールを、彼の中にある冷たくて寒いものから守ろうと、固く決意していた。
その意志が伝わったか、或いはティナが引きさがらない事を感じ取ったのだろう。
貝のように動かなかったスコールが、……はあ、と何かを諦めるように息を吐いた後、そろりとティナの方へと身を寄せる。
腕を伸ばしたティナに届くか届かないか、もどかしい所で止まったスコールに、今度はティナの方から近寄って、子供を包み込むように抱き締める。
「どうかな」
「……まあ……寒くは、ない」
「良かった。このまま眠って良いよ」
「それは……」
勘弁してくれ、とスコールは小さな声で言った。
遠慮しなくて良いのに、とティナは思うが、取り敢えずはスコールの気持ちに沿うようにと頷く。
ティナはスコールのジャケットのファーに頬を埋めた。
場所が場所、天気も良くないので、其処は湿気を含んでしんなりとしており、いつものふかふかとした感触がなくて少々残念だが、仕方あるまい。
ティナはスコールを抱き締めたまま、片手で寝袋を手繰り、二人の足元に被せて包んだ。
────それから、幾何か。
天幕を叩く雨音が、大粒の煩いものから、徐々に小さくなって行く。
それでも振り続ける雨は、相変わらずテントを濡らし続けていたが、しとしととしたそれは数十分前に比べれば静かなものだった。
そんな静かな天井をティナが見上げていると、抱き締めていた少年の躰から、徐々に力が抜けていく。
重みを感じ始めたそれに気付いて、ティナは「……スコール?」と小さく小さく名を呼んでみるが、反応はなく。
「……ふふ」
ティナの肩に額を乗せて、すぅ、すぅ、と寝息を零しているスコール。
座ったままでは辛いだろうと、ティナは彼を起こさないように、殊更にゆっくりとその体を横たえてやった。
背中を丸めて、横を向いて眠っているスコールの姿は、まるで赤ん坊のように幼い。
ティナはその目元にかかる前髪をそっと梳いて、彼の隣に寄り添うように横になった。
「おやすみ、スコール」
この寒い雨の夜が、彼の夢路を冷たいものにしないように。
ほんのりとした血色を宿した頬を撫でて、ティナももう一度眠る為に目を閉じた。
6月8日と言う事でティナスコ。
ティナママの包容力はすごい。お姉ちゃん子なスコールにはよく効きますね。
013のティナは記憶の欠如もあって儚げな所が前面に出ていますが、根本はやはりティナママだと思っています。NTでは記憶が完璧なのでよりママ。
あと良くも悪くも天然だし、原作でも普通の人間的な人生や教育を送っていた訳ではない為、男女の機微、況してや年下の思春期の男の子の葛藤には鈍いだろうなあと。夢も込み。
そんなティナに弟属性のスコールが強く出れる訳もなく、しょんぼりさせると後が面倒になりそうだし、ティナが満足するようにしておこう……って合わせたけど、結局は安心して寝ちゃったのでした。
ただいま、と言う習慣に、スコールはまだ慣れない。
けれど、帰ったらそう言ってくれると嬉しいな、と言われたから、それなら、と努力をしてみている。
独り暮らしがそれ程長いと言う訳ではない。
そう言う習慣を束の間忘れる位には、“独り”と言う生活に沈んでいた。
養護施設で育ち、高校入学を期に其処を離れ、自分の事を誰も知らない土地で暮らすことを選んだ。
勉強とアルバイトの両立は簡単ではなく、食事も忘れる位に目が回っていたのは、一年目の初めの頃のこと。
元々食にそれ程執着がなかった事も災いして、一日二日、何も食べずに過ごす事もあって、その所為で一度、アパートの部屋の中で目を回した。
受け身も取れずに昏倒したその日、隣人が何事かと心配し、大家を通じて部屋に入り、救急車で搬送されたのが、生活の変化の始まりだ。
搬送された翌日、スコールは見知らぬ病室で目を覚まし、医者からは疲労と睡眠不足、加えて栄養失調気味であると叱られた。
勉強と慣れないアルバイト、もっと言えば新たな環境に適応しようとするストレスや、元より人との交流が得意ではない所へ、アルバイト先の店長のパワハラ紛いの扱いに辟易していた事など、ざっくりと言えばスコールは“鬱”の真っ只中にいたのだ。
とにかくきちんとした休養と、出来るのなら生活を支えてくれるパートナーのようなものが必要であると言われたが、前者はともかく、後者はまるで宛てがない。
養護施設で世話になった人々には恩を感じているし、いつかそれを返せたらとは思うが、半ば強引に早い独り立ちを選んだ意地もあって、頼る気にはなれなかった。
それなら、と手を挙げたのが、セシル・ハーヴィだった。
彼はスコールが住んでいた部屋の隣室の住人である大学生で、詰まり、倒れたスコールを援けてくれた張本人だ。
それまで、早朝のゴミ捨てだとか、遅くに帰って来た時だとか、アパートの敷地前で稀に顔を合わせる事がある程度の、顔見知りと言うにも遠い関係であったのだが、彼曰く、「倒れた所を結果的には助けたんだ。今更放ってはおけないよ」とのこと。
それにしたって名も知らないような子供を───とスコールは思ったが、気付いた時には、セシルに面倒を見られる事が決まっていた。
セシルは「勝手に僕が君を気に掛けるだけだから、君はこれまで通りに過ごしていれば良い」と言ったが、それまで全くの“独り”であったスコールにとって、生活に変化が起こったのは事実であった。
先ずは、スコールが退院するまで、毎日のように病室にやって来て、自己紹介やら何やらと話して行った。
退院する時には付き添ってくれて、どうせ隣なんだからと、入院生活で使った荷物を持ってくれた。
アパートに戻ってからは、朝の挨拶を交わす頻度が増えて、「ご飯は食べてる?」「眠れてるかい?」と訊ねて来る。
スコールにとって、初めこそ聊か面倒で鬱陶しく感じられたのだが、昏倒した所を助けられた手前、露骨に無碍にも出来ずにいた。
挨拶には挨拶を、聞かれた事には取り敢えずの返答を、と言うのがスコールにとって出来る精々のコミュニケーションだったのだが、セシルはそれで満足そうだった。
そして偶に、「兄が送ってくれたんだけど、食べ切れなさそうでね」と乾物やら総菜やらを渡しに───見ようによっては、押し付けに───来る。
また栄養失調になったら良くないから、と言われると、突き返すのも気が引けて、スコールはされるがままに差し出されたものを受け取っていた。
時には、「食べに行こうと思うんだけど、一緒にどう?」と誘われ、そう言う時は大抵、スコールがアルバイト疲れて食事の用意も面倒になっていた時で、自発的に外食に行くのも足が重い所を、“誘われる”と言う形で促される事で辛うじて夕飯を口にする事に成功していた。
スコールとセシルの関係は、そう言う所から始まったのだ。
だからスコールは、長い間、セシルは随分と世話好きな奴なのだと思っていた。
その本質が、実は案外と真逆であると知ったのは、セシルの親友だと言う男と逢ってからの事。
やたらとスコールに甲斐甲斐しくしているのは、良い所を見せようとしているからだろう、と彼をよく知る男は言った。
セシルがどうしてそんな事をしてくれたのか、何をどうして、彼がそんな事をしようと思ってくれたのか、今でもスコールは知らない。
ただ、スコールが彼を認識するよりも早く、彼がスコールを見ていた事だけは確かなのだろう。
だからあの日、倒れたスコールを援けるべく動いてくれたのかも。
だからある意味、この形は、「納まるべき所に納まった」のかも知れない。
そう言ったのはセシルの親友で、それを受けたセシルはいつもの食えない笑みを浮かべていた。
それを見た時、スコールはなんとなくハメられたような気がしないでもなかったが、ではこの形に不満や不服があるかと言うと、そうではない。
慣れない感覚こそあれど、関係を否定するような感情は沸かず、寧ろいつかこの心地良さが消えたりしないと良い、とすら願っている。
知り合ってから一年、隣人として過ごし続けた二人の関係は、恋人と言う形に変化していた。
それに伴い、スコールは自身が住んでいた部屋を引き払い、セシルの部屋へと移り住んでいる。
どうせ隣なのに、と思わないでもなかったが、壁一枚の距離がなくなっただけで、“二人で”過ごしている感覚も強くなって、なんとも面映ゆいものがあった。
そんな中で、セシルが言ったのだ。
『これからは、“お邪魔します”じゃなくて、“ただいま”って言ってくれると嬉しいな』
此処は僕の家でもあるけど、これからは君の家でもあるから。
そう言ってふんわりと笑ったセシルに、スコールは眩しさと恥ずかしさで赤くなった。
誰かと一緒に暮らしている、自分の帰りを迎えてくれる人がいる───それがどうしようもなく、照れくさくて、嬉しかった。
しかし、どうにもスコールにその言葉はハードルが高い。
何故と言われると自分でも判らないが、どうしてか、その言葉を紡ごうとすると、いつも喉が閊えるのだ。
アルバイトを終え、新たに自宅となった部屋の前まで帰ったスコールは、今日も先ず息を整える。
(……よし)
息を吸って、吐いて、自分の鼓動のリズムを確認する。
心なしか逸っているのを、いつも通りだと無理やり飲み込ませて、スコールは玄関の鍵を差した。
最近、ようやく隣の部屋のものと間違える事がなくなった扉。
キ、と小さく蝶番が音を立てるそれを開けると、恋人が好んで合わせている、ラジオの音楽が流れていた。
然程大きくはないその音にうっかり負けないように、スコールは意識して声を出す。
「……た、だいま」
また閊えた、とスコールは思った。
が、奥からはいつもと変わらない、嬉しそうな返事が返ってくる。
「お帰り、スコール」
「……ん」
柔らかなウェーブのかかった銀糸が、部屋の奥の窓から差し込む西日を受けて、きらきらと光っている。
その眩しさに目を細めながら、スコールは迎えてくれたセシルの笑顔に、微かに唇を緩めた。
靴を脱いで部屋の奥へと向かえば、クラシックの音楽と一緒に、仄かに甘い香りが漂っている。
「夕飯は出来てるよ。食べるかい?それとも、先にお風呂?」
「……夕飯」
「じゃあ座っていて。すぐ用意するよ」
「俺も手伝う」
スコールの申し出に、セシルは眉尻を下げて笑う。
良いのに、と表情は告げていたが、どうにもスコールは人任せにするのが苦手だ。
それはセシルを信頼していないと言う訳ではないのだが、要は貸し借りを作る事に躊躇いがあるのである。
皿運びでも、茶を淹れるでも、何か一つ仕事をしておいた方が、気が楽になれるのだ。
セシルが料理を器に盛り、それをスコールが食卓のテーブルへ運ぶ。
以前、スコールが栄養失調で倒れた事を鑑みてか、並ぶ食事はいつも栄養バランスがよく考えられている。
一通りを並べ終えたら、向かい合って座って、手を合わせた。
「頂きます」
「……頂きます」
セシルに合わせて、スコールも食前の挨拶を言った。
この一言も、スコールは慣れていない。
養護施設にいた頃は、躾の一環もあり、皆が習慣づけている事もあって当たり前に行っていた筈なのだが、一人暮らしになるとぱったりと止めていた。
更に食事を採らない日も増え、食べてもパン一つとか、水一杯だとか、養母に知られたら怒られそうな位には食への意欲を失くしていた。
そう言う期間が、長くはないが集中した感覚の中で続いた為、スコールは幾つもの習慣と言うものを忘れていたのである。
セシルとの生活は、それを一つ一つ、取り戻していくような所があった。
セシルが言うから、セシルが言うなら───と、彼の希望に合わせる形で、忘れていた言葉を改めて身に付けていく。
「ちょっとレモンが強かったかなあ」
「……別に、悪くない」
「そう?それなら良かった。スコール、結構酸っぱいものは平気だよね。箸も進んでる」
「……普通だろう。そんな事覚えてたのか、あんた」
「大事なことだ。君の好きなものは何かなって、知っておきたいから。スコールが一杯食べれないと、また倒れてしまうかも知れないし」
「もうあんな事にはならないだろ。毎日ちゃんと食ってる。……あんたのお陰で」
セシルが毎日の食事を欠かさず作ってくれるお陰で、スコールの食生活は安定している。
彼が忙しくて台所に立てない日でも、弁当やパンを先んじて準備し、食べないと駄目だよ、と釘を刺されるので、少し面倒でもスコールはちゃんと胃に食べ物を入れる習慣が出来てきた。
────本当に、一つ一つの習慣が、セシルのお陰で戻ってきている。
若しくは、セシルと共に生活する事で、新たな習慣が身に付いて来る。
朝から晩まで独りで、時には学校のクラスメイトと挨拶すらも交わさず過ごしていた事が嘘のように、今のスコールの生活は充実していた。
食事を終えると、「ご馳走様」と言って席を立つ。
これもまた、セシルと一緒に過ごすようになってから、戻ってきた習慣だ。
「セシル、片付けは俺がやる」
「ああ、ありがとう。じゃあお風呂の準備をしておこうか。先に入る?」
「いや───」
後で良い、とスコールが言うよりも僅かに早く。
「じゃあ、一緒に入るかい?」
「……は?」
にっこりと笑みを浮かべて言うセシルに、スコールはぱちりと瞬きを一つ。
そんなスコールに、セシルは「悪い話ではないと思うよ。色々節約になるし」と言った。
確かに、そう言われるとそうだが───と一瞬考えたスコールだったが、
「何言ってるんだ、あんな狭い風呂で」
「はは、まあ、そうだね。じゃあ僕が先に入ろう」
眉根を寄せてスコールが返すと、セシルは笑ってそう言った。
お先に、と手を振って風呂場へ向かうセシルを見送って、スコールは溜息を一つ。
判り易く呆れた吐息であったが、その裏側で、彼の心臓はとくとくと早いリズムを刻んでいる。
(……何を意識しているんだ。馬鹿じゃないのか)
ただ一緒に風呂に入るだけなのに。
いや、入らないけど。
そんな話をしたけれど、どうせ冗談に決まっているのに。
そう思いながらも、俄かに意識してしまう自分が妙に不埒な存在に思えて、シンクの前で一人唇を摘まむスコールであった。
4月8日と言う事で、セシスコ!
セシスコで現パロって書いた事がなかったような、と思って。
知らず知らずのうちにセシルに染められていくスコールが見たい。
セシルはスコールの事を尊重しつつ、しっかりちゃっかりスコールが自分の方を向くようにしていると良いなと。
その為にも、スコールが喜んでくれそうな事は忘れないし、嫌がる事はしない。
でも押しの強さもあるから、スコールが本気で嫌がらないなら、ちょっと意地悪なことしてみたりその先もしてみたりするんじゃないだろうか。
何をどう足掻いた所で、この世界に召喚された者たちの中で、自分が一番の年下である事は覆せない。
悔しく思わない訳ではないが、自分の時間だけが早回しに出来ない以上、仕方のない事だ。
また、それに固執して悔しく思う事そのものが、また子供っぽい、稚拙な気がして、ルーネスは敢えて其処についての言及は飲み込んでいる。
年齢によるアドバンテージと言うのは、中々に大きい。
単純に人生から来る経験値と言うものにも差が出るし、故に物事への想像やそれに対する応用力と言った枝葉の数も変わる。
長く生きた分だけ、その濃度は増して行くもので、故に突飛な出来事にも即時に反応できる躰があったり、思わぬ出来事があってもうろたえる事のない冷静さを持つ事が出来る。
幼い頃、何もかもが真新しい故に得られていた刺激が減る分、適応力と順応性が育っていると言う訳だ。
だが、そういったアドバンテージが、若さと言う力に絶対的に勝るかと言えば、そうではない。
歳をとると守りに入る、と言うのはよくある事のようで、危険への事前察知が強く働く分、そのラインを越えないようにと言うブレーキも効くようになるのだ。
無知を勇気というほど愚かではないつもりだが、故にこそ突破できるエネルギーも湧く事もある。
後先考えない行動はルーネスにとって好むものではないが、時によってはそう言うものも必要になる、と言う事は理解しているつもりだ。
逆にルーネスの場合、若いながらに頭が回る分、予測不可能な未知へと振り返らずに突き進む、と言うことへの抵抗が強い。
けれども、今日だけは、その未知へと突き進まねばならない。
突き進んでやるのだと、ルーネスは強く意気込んでいた。
─────しかし。
待ちに待った、と言うよりも、焦がれに焦がれた、恋人との褥の上で、ルーネスは息を飲んでいた。
屋敷では流石に、いけない事をしているような気がして、二人きりでの一時の遠出に誘ったのは、今から半日前のこと。
大の大人が二人も入れば満員になる、小ぢんまりとしたテントの中で、ルーネスはスコールを薄い毛布の上に横たえていた。
自身はその上に覆い被さるように、所謂馬乗り状態になっているのだが、その背中にさっきから汗が出て止まらない。
(やっと……スコールと……っ)
テントの準備をしている時から、ルーネスの心臓は早かった。
スコールが用意してくれた夕飯は、美味しかった筈なのだが、味はよく覚えていない。
今日こそ、今日こそ、と何度も意気込んでいた所為か、喉につっかえそうになっていたのは、気付かれずに済んだだろうか。
そんな夕飯を終えた後、先に寝て良いぞ、といつもの野宿のように休息を促すスコールに、一世一代の告白の気持ちで、ルーネスは言った。
「スコールを抱きたいんだ」────と。
告げた瞬間、スコールはぽかんとした顔で此方を見た。
存外と幼い印象を作る蒼の瞳が、夢でも見ているような表情を浮かべているから、ルーネスは夢じゃないと言う事を知らせる為に、もう一度同じ言葉を告げた。
ルーネスとスコールが恋人同士と言う関係になってから、もう二ヵ月が経っている。
どちらも現実主義の面がある故に、この関係が傍目にどう映るのかと言う予想は立っていて、他の仲間達には秘密にしていた。
故に愛はひっそりと交わされており、元々、あまり交流が多いと思われていない二人であったから、互いを何かに誘うタイミングと言うのも碌々なかったものだから、初めてのキスをしたのも、つい二週間前のことになる。
それから、人目を避けてほんの少しの間手を繋いだり、頬や瞼にキスをしたりと言う触れ合いを重ねてきた。
不便は少なくないが、それでも誰にも内緒で育む愛は、ちょっとしたスリル感もあって、言う程不自由ではないような気もして、ルーネスはそれ自体に不満は多くはない。
しかし、存外と人間の心は我儘なもので、ルーネスはもっとスコールを感じたい、と思うようになった。
手を繋いで、キスもして、それ以上に彼が欲しい。
もっともっと内側で、彼と一つになって交じり合いたい。
そう言う気持ちがむくむくと芽吹き育って、ルーネス自身にも止められなくなっていた。
だからスコールを連れ出して、此処なら多分危険も少ない、と言う場所を、敢えての探索ポイントに当てた。
欲しいアイテムがあるから必要になる交換素材を集めるのを手伝って欲しい、と言えば、別の誘いも約束もなかったスコールは、構わない、と頷いた。
そうして素材を集める傍ら、今、いやもう少し、やっぱり夜に、とタイミングを計り続けて、夜を迎える。
明日には拠点に戻らなくてはならないから、此処まで来たのに意気地のない結果になるのは駄目だと、自分を鼓舞してスコールをテントに誘った。
スコールと一緒に寝たいんだ、と言ったら、二人の野宿だから無防備になる、と言われた。
重ねて頭を撫でられ、我儘を言う幼子を宥めるように、口端に柔らかい表情を浮かべるスコールに、胃とが伝わってない、とルーネスも判った。
精一杯の勇気を振り絞ったのに、と肩透かしを食らったが、いやこれは仕方ない、と自分に言い聞かせる。
逆の立場ならルーネスだってそう思うだろうし、そもそも今夜そのつもりで誘い出したことなどスコールは知らないのだから、ルーネスの誘いが子供の駄々に見えるのは無理もなかった。
ならばいっそと、意を決して事の真意を告げれば、ようやく理解した彼は数拍遅れて真っ赤になってくれたのだった。
その後、「火の番がいる」「何かが襲ってきたら」「こんな所で」とスコールは言ったが、彼は気付いていただろうか。
ルーネスを止めるように促す言葉の羅列の中に、「嫌だ」と言う類の単語が一つもなかった事に。
混乱もあってか、年上の矜持か、ルーネスが暴走したとでも思ったか、宥めようとする言葉は幾つも並べていたけれど、一番わかり易い拒絶の言葉を、彼は終ぞ使わなかった。
それをルーネスが逆に「嫌なの?」と問えば、ぐっと詰まったように音を失ってしまう。
だったら────とルーネスが今一度、真っ直ぐに蒼い宝石を見詰めると、遂にスコールは応えてくれる事になったのだった。
────と、二人でテントに入った訳だが、其処からがルーネスには大緊張だ。
ジャケットを脱いでラフな格好になったスコールが、寝床の毛布の上に落ち着いただけで、心臓が飛び出そうな位に煩くなる。
ルーネスも鎧を外し、アンダーのみの格好になって、スコールの前に近付いた。
座っていたスコールの肩を押して、ゆっくりと横たえると、彼は抵抗なく布地の上に転がって、少し伏せた双眸で見下ろす年下の恋人を見上げる。
(────………っ)
ルーネスはこの世界に存在する者の中で最年少であるが、身長も低い。
必然的に他のメンバーの事は見上げなくてはならず、目線の角度は上へと向くのが常だった。
スコールはウォーリアやフリオニールには負けるが、長身痩躯と呼んで障りない体格をしている。
勿論、ルーネスの事も常に見下ろす側にあって、キスをする時には必ず彼が屈んでくれなくては出来なかった。
それが今は真っ直ぐ、それも見下ろす場所にあると言う事に、ルーネスは言いようのない興奮を覚える。
ともすれば変に逸っている呼吸を漏らしそうで、ルーネスは唇を噛んでいた。
それを意識してゆっくりと力を解き、スコールの顔へと近付ける。
ちゅ、と瞼にキスをすると、「……ん……」とスコールが小さく音を漏らすのが聞こえた。
(まずは、えっと……服を脱がせた方が良いよね)
長い睫毛に飾られた目元が、眩しそうに細められるのを見ながら、ルーネスは考える。
そぅっと白いシャツに手を伸ばし、その裾を摘まんで持ち上げてみると、スコールは心得たように、床から少し背中を浮かす。
するするとシャツが上って行くのに合わせ、今度は肩を浮かせて、両手を上に上げ、最後に頭を持ち上げた。
上半身を裸にして、スコールは少し寒そうに身震いする。
着せたままの方が良かったのだろうか、とルーネスが思っていると、スコールの手が徐に持ち上がって、ルーネスの腕に触れた。
それだけでどきりと口から心臓が飛び出そうになったルーネスを、静かな蒼がじっと見つめる。
「……ルー、」
ルーネスの腕を滑った手が、まだ未発達さのある少年の脇腹へと移動した。
アンダーシャツとボトムの隙間から覗く微かな隙間に手を入れて、肌をするりと撫でられる。
ごくり、とルーネスの喉が鳴った。
「僕も、脱ぐね」
「……ああ」
逸る鼓動を隠し、努めて余裕な顔を作りながら、ルーネスは自分のシャツを脱いだ。
スコールは細い細いとよく皆に言われるし、ルーネスもそう思うのだが、それはやはり、周りに分厚い体の者が多いからだろう。
実際の所、スコールは脂肪が少ない引き締まった体付きをしており、決して華奢には出来ていない。
頑健なシルエットにならないのは、どうやら元々肉が付き難い上、彼の世界の法則にある“ジャンクション”と言う性能により、極端な筋肉トレーニングの類が不要である事も理由と思われる。
とは言え、傭兵育成機関に在籍していると言う事もあり、身長に見合った全体バランスの取れた体付きをしていると言って良いだろう。
スコールの裸なら、風呂場で何度も見たものだったが、今この瞬間にそれを目の当たりにして、ルーネスは目の奥がチカチカとするのを感じた。
テントの外でまだ揺れている、けれど徐々に小さくなる焚火の明りを頼りに、暗がりの中に浮き上がる白い肌。
煌々とした場所でない環境で見るそれは、非日常の光景に似て、ルーネスは夢を見ているような感覚に陥る。
(でもこれは、本物────)
ルーネスの手が、ひた、とスコールの肩に触れる。
汗ばんだその手を冷たく感じて、スコールの体がぴくりと反応した。
その僅かな仕草だけで、ルーネスの心臓は逸馬の駆け音のように加速して行き────
「ルー、待て」
「え?」
「その……鼻血が出てる」
「えっ!?」
場の雰囲気を壊してしまう事への躊躇か、一瞬言葉を探すように口籠ったスコールだが、結局はストレートに言った。
それを受けてルーネスが目を丸くする間に、つぅ、と鼻下に温冷たいものが垂れて来る。
慌ててルーネスがそれを手の甲で擦ろうとすると、すぐにスコールの手がそれを掴んで止めた。
「うわ、あ、」
「動くな。顔を上げるな」
「んぐ」
「じっとしていろ」
スコールはルーネスの鼻を右手で摘まみ、頭を上げないよう、後頭部を柔く押さえて俯かせた。
鼻溝を伝い落ちて行くものが、唇の上蓋からぽとりと落ちて、スコールの腹に赤い色が乗る。
それを見て、うわあ、とルーネスは青くなったが、頭を押さえる優しい手は離れてくれなかった。
一分、二分と、ゆっくりと───少年にとっては非常に気まずい───時間が流れる間、スコールは繰り返しルーネスの顔を覗き込んできた。
大丈夫か、眩暈は、息は出来ているかと訊ねるスコールに、ルーネスは頭を動かさないように努めて、うん、だいじょうぶ、と答える。
そうして茹りかけていたルーネスの頭もすっかり冷えた頃に、スコールはそっと抑えていた手を離す。
のろのろと頭を上げたルーネスに、スコールは荷物の中にあったガーゼを渡した。
意図を組んでそれで鼻を包んでは離して、鼻の具合を確かめる。
どうやら止まってくれたと判じた後、ルーネスはスコールの右手に付着しているものを見た。
「……ごめん、ありがとう」
「落ち着いたか」
「……うん」
努めていつも通りに返事をしたつもりのルーネスだったが、その声は自分でも判り易く消沈していた。
それも無理からんことである。
(格好悪い……)
自分からこの状況に持って行ったのに、まさか鼻血を出すなんて。
これから遂に、と思ったら、どうしようもなくアドレナリンが出て、興奮がピークを振り切った。
挙句に鼻血が出て、それにも気付かず、恋人の手を煩わせるなんて、何もかもが台無しだ。
スコールは手や腹に付着した血を拭き取ると、まだ薄く小さい肩を落としている少年を見た。
見て判る落ち込み様のルーネスに、スコールは何か言った方が良いのだろうか、と思ったが、なんとなくルーネスを余計に傷付けそうな気がして、迂闊に口を開けない。
しかしこのままはより気まずい、と言うのは読み取れた。
そんなスコールの気配を、ルーネスもまた感じ取っている。
ルーネスは自分への情けなさで、また漏れそうになる溜息を飲み込んで、顔を上げた。
「その……ごめんよ、スコール。僕の方からしたいって言ったのに、こんな」
「……良い。気にするな。……でも、今日はもう、止めた方が良い」
スコールの言葉に、だよなあ、とルーネスは思った。
折角ここまで来れたのに、こんな所まで呼び出してやっとだったのに。
そんな思いがありはすれども、醜態を曝してしまった今、諦め悪く食い下がる事は出来なかったし、何よりまたスコールに心配をかけてしまうだろう。
大人しく俯いていると、スコールの腕がルーネスの肩に伸びて来て、優しく引き寄せられる。
興奮の後に、蒼褪めて冷や汗まで掻いたので、ルーネスの背中は酷く冷たくなっていた。
それを包み込むように抱き締められる感覚に、ルーネスはあやされる子供のような気分になったが、
「……次」
「え?」
ぽつりと耳元で聞こえた声に、何、とルーネスが問い返すと、
「……次は多分、もう少し、進めると思う」
「……スコール」
「……だから今日は、ここまでだ」
急がなくて良い、寧ろ急いでくれるなと、そんな風にスコールは言った。
告げる声が少し安堵しているように聞こえたのは、彼が緊張していたと言う証左だろうか。
それを隠して、抱きたい、と言ったルーネスに応えようとしていたのか。
ルーネスは、自分が焦って急いていたのを自覚せざるを得なかった。
恋人ともっと深く繋がりたいと願うのは当然の事であっても、スコールの気持ちもきちんと考えなくてはいけない。
自分の事しか考えてなかったなあ、と反省しながら、ルーネスはスコールの背中に腕を回す。
「……ねえ、スコール」
「……なんだ」
「このまま一緒に寝ても良い?」
思えば、こうして密着して夜を迎える事すら、滅多になかった。
触れ合った皮膚が温かく溶け合うなんて初めての事で、これだけでルーネスは心臓が逸って止まらない。
そして重ね合わせた胸の奥で、スコールの鼓動もまた、ルーネスと同じように早鐘を打っている。
二人は、まずは此処から慣れなくてはいけなかったのだ。
見張りが、と言うかと思ったが、スコールは黙ったまま、体を横にした。
毛布の上に二人で寝転がり、徐々に焚火も消えていくのを幔幕の向こうに感じながら、二人で目を閉じる。
ルーネスの耳には、恋人の緩やかな呼吸と、少し早い鼓動だけが聞こえていた。
3月8日と言う事で、オニスコ。
初めて同士で頑張ってみるけど、上手くはいかないねと言う話。
Ⅲの世界は昔ながらのファンタジー色が強い世界なので、バッツ程じゃなくても、ルーネスもまあ多少早熟気味でも可笑しくはない?かな?
とは言え彼は(Ⅲの主人公たちの設定に則れば)孤児だし、田舎町で育ったので、ソッチの経験がそうあるともないかなと。耳年増はあると思う。
スコールの方は授業と、ありふれたメディア類、思春期の学生なので周りでそんな話も出て来るだろうけど本人がああだし、保健体育の知識はあっても経験はさっぱり。
皆に内緒の関係だけど、目敏いメンバーは気付いてるんでしょう。やきもきしながら見守り中です。
スコールの声が出なくなってしまったのは、三日前のこと。
いつものように、彼がジタンとバッツと三人組になって探索に向かった先で、発見した歪に入った所、其処はパンデモニウム城だった。
トラップだらけの廊下を掻い潜り、巣食っていたイミテーションを概ね蹴散らした所で、イミテーションの逃げ込んだ先でトラップが発動された。
運悪くそれを追い込んでいたスコールが巻き込まれ、サイレス魔法の餌食になってしまったと言う訳だ。
イミテーションの群れは問題なく片付けたが、それらとは別の原因が罹ってしまった沈黙魔法は、それそのものの効果が切れるまで残り続ける。
初めは数分、その後は数時間もすれば消えるだろうと思っていたのだが、どうやらもっと複雑で面倒なトラップだったらしい。
秩序の聖域に戻り、ティナやセシルが白魔法を使って解呪を試してみたが、此方も効果はなく。
幸いなのは、あくまでスコールの声が出ないだけで、他は身体的にも魔力的にも異常のない事だが、とは言え念の為と言うこともあり、スコールは声が出るようになるまで待機を命じられたのであった。
待機となったスコールが常に屋敷にいる他に、更に念を置いて、もう一人が待機する事になった。
生活する分にはスコール一人で何ら問題はないのだが、もしも襲撃等の事件が起きた際、音声による危険信号の発信が出来ないと言うのは、情報が命を左右する緊急時に置いて、中々の痛手である。
だからこそスコールは治るまで待機する事になったのだから、この決定にはスコールも異を唱えなかった。
ローテーションでと決まった待機班のもう一人は、今日はフリオニールだった。
昨日はバッツ、一昨日はセシルと、スコールに発声以外の問題が起きれば直ぐに対処できる人員を、と選んでいたが、三日目ともなるとやはり慣れても来ていて、他のメンバーでも大丈夫だろうと判断された。
丁度ティーダが「そろそろフリオの飯が食いたいっス!」と言っていた事もあり、それなら、と決まった。
仲間のリクエストに応える形で、フリオニールは早速キッチンに入っている。
スコールはと言うと、他のメンバーがそれぞれの用事で出掛けた為に、一人暇を持て余している状態だった。
ガンブレードのメンテナンスをしても良かったが、昨日と一昨日と、同じように暇を持て余した末、掃除も調整も済ませており、流石にもう見る所がない。
籠っていてもどうにもならないので、屋敷の外で軽くガンブレードを振るってみることにした────が、
(……なんか変な感じだ)
教科書に則る形で、数回、銀刃を振り下ろした後、スコールは違和感に眉を潜めた。
体は何処にも異常はないし、負傷している訳でもないのに、どうにも思うように体が動かない気がする。
気がする、のであって、恐らくは思った通りに筋肉は動かせている筈なのだが、どうにも何かが足りないのだ。
(……声か)
喉に手を当てて、スコールはそう思った。
魔法トラップに当たった日から、スコールは何度となく声を出そうとしてはいる。
その際、声帯が震え、器官が音を出そうとしている感覚のようなものはあるのだが、しかし結局音にはならない。
空気を音の形に形成し損ねた、はあっと言う吐息が出て来るのが精々で、幾ら力んでみてもそれは変わらなかった。
素振りに置いても同じだったのだ。
踏み込み、其処からガンブレードを振り上げ、下ろす、それらの動作の一つ一つに追随する声。
発声することで合図になる事もあれば、体を動かした際の反動で漏れる音である場合もある。
それらが一つとして、スコールの喉から口から、音になって出ないのだ。
(……待機なのは、正解だったんだろうな)
声が出なくなった時は、それ所ではなかったし、戦闘の真っ只中のスイッチが入っていたから、気付かなかった。
こうして改めて剣を握る段になって見付けてしまった違和感に、スコールは深く溜息を吐く。
傭兵であるスコールにとって、戦うことは己の存在意義と同義であり、それを揺らがせる現象に見舞われている事は、言いようのない苛立ちのような焦燥感を呼ぶ。
さっさと治って欲しい、と時間しか薬にならない状態に辟易しつつ、スコールはガンブレードを仕舞った。
体を動かす分には全く足りなかったが、幾ら動かした所で、この違和感は消えないだろう。
結局もやもやとした異物感に見舞われるだけなら、運動するのは諦めて、発声練習の真似事でもしていた方が堅実かも知れない。
かと言って本当に発声練習をする気にはならなかったので、スコールは取り敢えず、リビングへと戻った。
リビングに入ると、奥にあるキッチンの方から、ツンと香辛料の匂いがした。
厚みのある肉が食いたい、とティーダが言っていたから、今日はきっとそれに合うものが出て来るのだろう。
殆ど外出も出来ないスコールでは、さて半分も食べられるかどうか。
とは言え、辛みの混じる香辛料の匂いは、さして活動が活発的ではないスコールの腹でも刺激を齎してくれて、少しだけ今日の夕飯が楽しみになる。
(でもその前に、水でも飲むか)
なんとなく喉の渇きを覚えて、スコールの足はキッチンへと向かう。
小気味の良い包丁の音が聞こえて来る所へ、そうっと中を覗き込んでみると、フリオニールは大玉のキャベツを刻んでいた。
千切りになって行くそれは、まだまだ半分以上の大きさが残っている。
フリオニールはそれを綺麗に刻んで行くのが楽しいのか、謎のスイッチが入ってか集中力が出ているようで、一心不乱に包丁を動かしていた。
『フリオニール────』
いつものように名前を呼ぼうとして、スコールのそれは音にならなかった。
口を動かしただけ、声帯も動いている筈なのに音が出ない喉に、そうだった、とスコールは顔を顰めた。
スコールは普段から口数が少なく、仲間達に対して饒舌に喋る事もない。
そう言うこともあってか、スコールが喋れなくなったからと言って、仲間の多くはコミュニケーションに難があるとは思っていないようだ。
挨拶にしろ雑談にしろ、スコールから返すものがないのはいつもの事だったし、必要であれば目を合わせるから、それで十分なのだろう。
スコールとしても、言わずとも最低限でも読み取ってくれるのならば、聊か甘えていると言う気に多少思う所はあるものの、平時と変わらず過ごせるのは楽だった。
だが、こう言う時────声をかけて誰かを呼びたい時、やはり不便だと思う。
水を飲む位、勝手にグラスを取って、水道を使えば良いだけの話だ。
が、それはキッチンに誰もいなければの話で、使っている人間がいるのなら、やはり一声くらいはかけた方が、不慮の事故にもならないだろう。
とは言え、触るようなことは少し気が引けるし、しかし声は出ないし……と思っていると、
「───あ。スコール、どうした?」
「……」
気配を察したか、ふと顔を上げたフリオニールが此方を見た事で、スコールは助かった。
こちらを見ていてくれるなら十分と、スコールはシンクを指差す。
ん、とフリオニールがそれを確認した後、指をついと動かして、食器棚を指した。
「ああ、喉が渇いたのか?」
「……」
「じゃあジュースでもどうだ?さっき柑橘を搾ったんだけど、蜜の残りに蜂蜜を入れておいたんだ。飲みやすくなってると思う」
フリオニールは冷蔵庫に向かい、黄色の液体が入ったガラスビンを取り出した。
ちゃぷん、と揺れるそれをマドラーでくるくると混ぜた後、スプーンですくって一口味見をした。
うん、と頷いて、食器棚から出したグラスに注ぐ。
「ほら」
「……」
差し出されたそれをスコールは受け取り、ありがとう、と口を動かす。
音がなくてもフリオニールはきちんとそれを読み取ったようで、彼は照れ臭そうにはにかんで笑った。
スコールがジュースを口に運んでいる間に、フリオニールは刻み終わっていたキャベツをボウルに移している。
大玉キャベツ丸々一つ分のキャベツは、間違いなく今日の肉の当てとして添えられるのだろう。
しかし幾らリクエストのメインは肉でも、野菜がそれだけと言う訳にはいかないと、フリオニールは今度は大量の人参の皮剥きを始めた。
(……大変そうだな)
この分だと、今日だけではなく、明日以降も使える量を刻んで置くつもりのようだ。
そうしてくれると、後の当番員は助かるが、ただでさえ十人分の食事が必要なのに、それを数日分まとめてとなると、結構な作業量だ。
どうせ暇も持て余しているし、少しは手伝うか、とスコールは声をかけようとして、
(そうだった。声、出ないんだ)
当たり前のように名前を呼んでいたから、何度もこんな風につっかえてしまう。
スコールは漏れそうになる溜息をジュースに溶かして飲み込んで、どうやってフリオニールに気付て貰おうかと考えた。
(……仕方ない)
聊か気は退けたが、フリオニールが持っているのがピーラーだと言うのが助かった。
これも刃物には違いないが、包丁に比べれば、幾らか気分的に易しい。
スコールは空になったグラスを洗って干した後、そうっと手を伸ばして、フリオニールに服の端を摘まんだ。
「ん?」
「……」
「スコール?」
つん、と引っ張られた服の感触に気付いて、フリオニールが此方を見る。
きょとんとした丸い赤の瞳に見詰められ、スコールはなんとなく恥ずかしくなったが、堪えてフリオニールの手に在るものを指差した。
「え?」とまだ要領を得ない様子のフリオーニールに、スコールはピーラーを握った彼の手に自分の手を重ねる。
「えっ。あ、やってくれるのか?」
「……」
「ああ、うん、助かる。頼むよ」
スコールの意図を理解して、フリオニールは人参とピーラーをスコールに預けた。
人参をスコールに任せたのならと、フリオニールはジャガイモを水洗いし、芽を取って皮付きのまま大きく切っていく。
此処にいるのがスコール、或いはフリオニールのどちらかではなく、他の誰かがいたのなら、きっと何かしら会話が始まったのだろう。
今日のメニューの内容であるとか、調理方法だとか、日々の雑談であるとか、何かと話題は出て来るものだ。
しかしスコールは黙したまま、それは声が出ないからでもあるが、普段から口数は少ないし、フリオニールも作業に集中すると没頭する。
今日は料理をしたい気分なのか、フリオニールは最低限のこうして、ああして、とスコールに伝える以外は、黙々と料理を続けて行った。
フリオールが皮付きのジャガイモに火を通し終わった頃、スコールも全ての人参の皮剥きを終えた。
これを次はどうすれば、とフリオニールに聞く為に、スコールはタイミングを見計らって、フライパンのジャガイモを転がしている彼の服端を摘まむ。
「ああ、終わったのか?ありがとう」
「………」
「じゃあ、それを半分は千切りにして、もう半分は……一口サイズくらいかな」
ザルに入った人参の行先は、それぞれキャベツと一緒にサラダ行と、スープの具になるそうだ。
先ずは一口サイズに切って、次に残った半分を千切りにしていく。
量は多いが、フリオニールに倣っている訳ではないが黙々と手を動かしたので、程無く人参も全て刻み終わることが出来た。
(次は)
何か仕事はあるかと、スコールはフリオニールを見る。
火を見ている彼は向けられる視線には気付いていないようで、スコールは腕を伸ばして、その服端を引っ張った。
「終わったのか」
「……」
「ありがとう」
「……」
「まだ手伝ってくれるのか?」
フリオニールの言葉に、スコールはどうせやる事もないしと頷く。
それじゃあ次は、と仕事を探すフリオニールに、スコールは黙ったまま指示を待った。
程無く宛がわれた次の仕事は、スジ肉を入れたスープの煮込み番だ。
今からじっくり時間をかけて煮込み続ければ、夕飯になる頃には肉もとろとろに柔らかくなり、良い出汁もたっぷり出ている筈。
宜しくな、と言われたスコールは、小さく頷き、レードルでくるくると鍋を掻き混ぜ始めた。
黙々と手伝いに没頭するスコールは、それをこっそり見詰める紅い瞳に気付かない。
増してや、声の代わりに呼ぶ指が、引っ込み思案そうに服を摘まむ仕草が愛しいと思われているなんて、露とも知らないのであった。
2月8日と言うことでフリスコ!
フリオの服を摘まんで気を引こうとするスコールが浮かんだので、やらせたの図。
最初はともかく、後はフリオニールもスコールが傍にいると意識しているので、多分本当はスコールが「次は…」ってきょろきょろしたりする時に気付いてる。
でも気付かないふりをしていると、スコールが服をくいって引っ張って呼ぶのが可愛いので、また見たくてこっそり待ってる。
そんなフリスコでした。