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Category: FF

[スコール&クライヴ]過ぎたる日々が見た色は



その日、スコールは、何処からともなくか細い猫の鳴き声を聞いた。
皆が元気に遊ぶ声が響く庭で、どうしてスコールにだけその声が聞こえたのかは判らない。
みー、みー、と酷く悲しそうな声は、他の誰も知らないまま、スコールの耳だけに届いたのだ。

どうしても気になったスコールは、皆がめいめい元気に遊んでいる輪を抜けて、声のする方へ行ってみた。
孤児院園舎の裏庭に来ると、さっきよりも声が近くなって、きょろきょろと首を巡らせる。
とことこ歩きながら辺りを見回し続けていると、小さな畑の傍に佇む木の上から、その声が聞こえて来た。
見上げれば、一本の木の上で、一匹の黒猫が小さく蹲っている。
黒猫はスコールと目を合わせると、みー、みー、と泣いた。

下りられなくなったんだ、とスコールも直ぐに理解した。
何が理由か判らないが、黒猫は一匹で木の上に行って、そのまま下り方が判らなくなった。
だから、誰か助けて、誰か下ろして、とずっと鳴いて呼んでいたのだ。

スコールは少し戸惑った。
決して運動神経が良くはない自覚があったから、誰か、木登りが出来る人を呼んだ方が良いと思ったのだ。
しかし、スコールがその場を離れようとすると、子猫はみぃい、みぃい、と声を大きくする。
置いて行かないで、と訴える黒々とした円らな眼に、スコールは悩んだ末に、意を決した。
ぼくがのぼってたすけなきゃ、と。

木の幹を直接上るのは難しかったが、幸い、傍には金網フェンスがあった。
スコールはそれに手足を引っ掛けて、うんうん頑張りながら、体を上へと持ち上げて行く。
フェンスの上まで辿り着くと、すぐ其処にしっかりとした木の枝があった。
其方に捕まり直して、フェンスを踏みながらよいせと身体を上げることに成功し、其処から更にもう一つ、二つと枝を上り渡る。
其処まで行って、ようやくスコールは黒猫のいる場所まで辿り着いた。


「もう大丈夫だよ。おいで」


枝に掴まりながら、黒猫の傍までゆっくり近づく。
幹に近い位置まで来て、そうっとスコールが手を伸ばすと、黒猫は大人しく撫でさせてくれた。
くりくりとした目がスコールを見上げ、みぃ、と嬉しそうに鳴いた。

懐に潜り込んできた子猫を抱え、よし、とスコールは達成感を感じていた。
助けて、と自分を呼んだ子猫を、自分で助けることが出来たのだ。
良かった、あとは降りるだけ───と思って地面を見て、スコールは初めて、自分がとても高い場所にいる事を知った。

瞬間、スコールの身体は凍り付く。
落果の恐怖と言うものは、生まれて間もない赤子でも、本能的に持っていると言われている。
当然、スコールもそれを持ち得ているから、高い場所と言うのは、好んで上ることはしなかった。
黒猫を助ける為に鼓舞した気持ちで一所懸命に上ってきたが、こんなにも高い場所だったなんて、幼い子供は知らなかったのだ。


(これ───落ちたら、ぼく、どうなっちゃうの……?)


思った瞬間、遠い遠い地面が、更に遠く遠くに見えて、スコールははしっと枝にしがみついて掴まった。
背中が急激に冷たくなって、体がかたかたと震え出す。

こうなってしまっては、スコールは最早、動けなかった。
とにもかくにも下りなくちゃ、と下を見れば、地面があんなにも遠い。
木を登っている時は、黒猫がいる上ばかりを見ていたから、足元がこんなに離れていたなんて、ちっとも気付かなかったのだ。
そして、下りる時にどうすれば良いのかも、幼い子供は全く考える余裕を持っていなかった。

どうしよう、どうすればいいんだろう、と考えている間に、時間はどんどん過ぎていく。
庭で元気に遊んでいた子供たちの声が聞こえなくなり、休憩時間が終わったことを知った。
きっと皆、おやつを食べて、午後のお勉強の時間の準備をしている。
スコールが帰って来ない事に、ママ先生やシド先生は、気が付いてくれるだろうか。
気が付いてくれたとして、探してくれたとして、こんな高い場所に上ってしまったスコールのことを、見つけ出してくれるのだろうか。
考える程、このまま一生、この木にしがみついて待ち過ごさなくてはいけないんじゃないかと思えてきて、絶望感が幼い心を塗り潰していく。

みぃ、みぃ、と黒猫がまた鳴き始めた。
助けてくれると思ったのに、助けに来た子供がちっとも動かなくなってしまったのだから無理もない。
黒猫が鳴く度に、この子の為にも下りなくちゃ、と思うのに、ちょっとでも枝が揺れるのが怖い。

じわじわと、スコールの視界が水に溺れて歪んでいく。
遠い地面もよく判らない形になって、スコールは喉と鼻がつんと痛くなるのを感じていた。
声を上げたら、誰かが飛んできてくれるだろうか。
ママ先生とか、シド先生とか、お姉ちゃんとか────そう思って、出ない声を頑張って出そうと、精一杯の努力をしていた時だった。


「君、大丈夫か?」


聞こえた声が、自分に向けられたものだと、最初は気付かなかった。
「君だ。其処の、木の上の───」とまで言われて、ようやく、自分が誰かに見つけられたことを理解する。

スコールが涙でぐにゃぐにゃになった目できょろきょろきょろと見回すと、フェンスの向こうの道に、一人の少年が立っている。
綺麗に撫でつけられた黒髪に、スコールの瞳とはもう少し明瞭な青色の目。
きちんと着つけられた襟のある服が、この近くにある高等学校の制服だと言うことは、幼子の知らない話である。

少年は、木の枝にしがみ掴まっているスコールを見つめ、


「下りられなくなったのか?」
「……ふぇ……」


少年の言葉に、スコールははっきりと自分の状態を自覚する。
我慢の限界を超えた涙が、大きくて丸い目から、ぼろぼろと零れ始める。


「ひっ、ひっく……ねこ……ねこが……」
「猫……ああ、成程。その子を助けようとして」
「えっ、えく、えっく……でも、でも……お、おりかた、わかんな……うえ……」
「うん、分かった。ええと、此処は───確か大人の人がいる筈だな」
「うえ、えう、えうぅ……ふえぇえ……!」
「すぐに誰か呼んで来るから、もう少しだけ頑張って───」
「うえぇぇえん!」


その場を離れようとする少年を見て、スコールは遂に大きな声を上げて泣き出した。
それを見た少年は、ああ、と眉尻を下げて、二人を隔てるフェンスを見上げ、


「……仕方がないか。大丈夫だ、直ぐに行く」
「えっ、ふえっ、うえええん!まませんせえぇぇ……!」
「そのままじっとしているんだぞ。俺が行くまで、動かないで」
「ひっ、ひっく、ひっく、うぇええ、うぇえええん……!」


泣きじゃくるスコールの声に混じって、黒猫までもが、みぃい、みぃい、と鳴き始める。

少年は手に持っていた鞄を地面に置いて、フェンスに両手をかけた。
がしゃ、とフェンスが重みに音を鳴らす中、少年はあっという間にフェンスを上り、伸びた木の枝に手をかけた。
スコールは其処から枝をひとつふたつ、体ごと持ち上げて登ったが、スコールよりもずっと背が高い少年は、枝に乗るのは危険だと判断した。
フェンスの細い足場に乗ったまま、少年は枝には手で捕まって、じりじりと位置を動かす。

程なく少年は、スコールが捕まっている枝の袂に辿り着いた。
少年の腕がスコールの前に伸ばされて、捕まれ、と彼は言う。


「俺の手を握るんだ」
「ふっ、ふえ、うえええ……やあ……おちるのやだぁあ……!」
「大丈夫、落ちないよ。俺がちゃんと捕まえてる」


その言葉の通り、少年はスコールの蹲る背中に腕を回している。
スコールの肩に触れるその手は、しっかりと温かかった。
ひっく、と涙に濡れた目で見上げるスコールに、少年は努めて優しく笑いかける。

枝に掴まるスコールの手に、少年の手が重なった。
スコールがそろり、そうっと、枝に掴まる手を解いて、少年の手を握る。
よし、大丈夫、と励ます少年の声を聞きながら、スコールはとにかくゆっくりと、恐怖と精一杯に戦いながら、少年の体に身を寄せた。

スコールの重みをしっかりと腕に抱えた少年の肩に、黒猫が乗り移る。
少年は黒猫を捕まえると、スコールにそれを預けた。


「しっかり抱いてるんだぞ」
「……うん」
「行くぞ。せえ、のっ」


子猫をスコールがしっかりと抱き占めるのを見てから、少年は勢いの合図をつけて、フェンスから飛び降りた。

フェンスの際まで伸びていた枝葉を、制服の端に引っ掛けながら、少年は地面へと着地する。
縋る小さな子供を着地の衝撃から庇った反動で、少年は着地の直後に姿勢を崩して、尻餅をついた。
いたた、と軽く打った臀部を摩りながら、少年はしがみつくスコールを見て、その身体に目立った怪我の類がない事を確かめる。


「怪我は───一先ずは、ないみたいだな。良かった」


少年の手が、ぽんぽん、とスコールの頭を撫でる。
ママ先生やシド先生、大好きな姉と同じ、優しいその手のひらの感触に、スコールは安心したと同時に、大きな声を上げて泣き出したのだった。





スコールが通う高校に、新しい教師が赴任した。
夏休みが開けて間もなく、急遽退職する事が決まった、スコールのクラスの担任教師に変わってやって来たのだ。

クラス担任の退職と、それによる交代の旨については、それが決まった時から生徒に通達されている。
クラス担任はそれなりに生徒から支持が厚かったので、残念に思う生徒は少なくなかったが、スコールにはどうでも良い事だった。
そして存外、生徒たちも、担任教諭が変わったからと言って、前の人をいつまでも惜しむ事もない。
新たな教員が生徒たちにとって余程に折り合いが悪いタイプでもない限り、彼らは新しい教員にも程なく懐いていた。

そしてクラス担任が変わってから、そろそろ一ヵ月が経とうとしている。
休み明けテストの返却も終わり、新しいクラス担任についても、生徒の多くが馴染んでいた。
着任から一週間のうちに、彼は好奇心旺盛な生徒たちに囲まれて、あれやこれやと質問されたり、校内を案内されて回っていた。
其処から出回った噂によれば、彼は随分前にこの学校を卒業したとかで、どうやらスコールたちにとっては大先輩にあたるらしい。
在校中は生徒会長を務めた経験もあると言うから、校長室にある各期の卒業アルバムでも探ったら、写真の一枚くらいは残っているかもしれない、とか。
そんな話で生徒たちが盛り上がる位だから、件の新担任は、生徒たちの間ではそれなりに好評価な印象で通っていた。

だが、スコールはどうにも彼が苦手だった。
何がどう、と言われるとよく判らないが、なんとなく目を合わせるのが嫌だ。
そう思うのは、妙に彼と視線が合う瞬間があるからだろう。


(……見られている気がする)


スコールは、件の教員に対して、そんな風に感じていた。

クラス担任であるから、朝のホームルームを筆頭に、毎日顔を合わせる時間がある。
そしてその都度、ぱちりと真っ直ぐ、透明な青を捉える瞬間に見舞われるのだ。
こんな話をすると、サイファーあたりから「自意識過剰な奴だな」と鼻で笑われるのだが、スコールは間違いないと思っている。
何せ、ホームルーム然り、休憩時間の廊下であったり、彼の担当授業の時だったりと、ふとした時に視線を感じて顔を上げると、ばっちりと目が合うのだ。
その都度、彼は少し気まずげに視線を彷徨わせる仕草があるので、スコールは彼が自分を見ていることを確信した。

だからと言って、教師に向かって「不愉快なので見ないで下さい」とは言わないスコールである。
教師と揉めると言うのは大体面倒な事だし、何より、今の所は見られているだけなのだ。
それが視線の類に敏感なスコールにとっては不快を誘うが、では直接的な実害があるのかと言われれば、ない。
どちらかと言えば、面と向かって会話をする機会すらないので、遠巻きに見られている感覚があるだけなのだ。
これで「見るな」と言ったとしても、スコール自身、言いがかりの印象を出ないことは感じていた。

そんな訳で、最近のスコールは、休憩時間はぎりぎりまで教室から離れることにしている。
人気の少ない学校の校舎裏に逃げ込んで、遅刻だけはしないように努めていた。


(教師に目を付けられると、どんな厄介を押し付けられるか判らない。このまま距離は置いていよう)


そう思いながら、スコールは校舎裏で一人のんびりと過ごしていた。

校舎裏は野良猫たちが溜まり場にしていて、毎日何匹かの猫が日向で丸くなって微睡んでいる。
いつから彼らが此処にいるのかは判らないが、大体は人慣れした個体だ。
スコールは、時折そんな猫たちがじゃれて来るのをあしらいながら、午後の予鈴が始まるのを待っていた。
昼食を平らげて膨れた腹が、木漏れ日の心地良さと相俟って、気だるげな睡魔を誘う。
それに欠伸を漏らしていれば、連鎖するように傍らの猫たちも欠伸をして、もう寝てしまえと抗いがたい誘いをしているようだった。

とは言え、スコールに授業をさぼるつもりはない。
予鈴を聞き逃すことのないように、念を入れて携帯電話のアラーム機能を決まった時間にセットする。
制服のブレザーの胸ポケットにそれを仕舞って置けば、万一、寝落ちたとしても起きれる筈だ。

そうして習慣にした、アラーム機能のセットをしていた時のこと。


「───と……、君は確か───」


零れた風に聞こえた声に、スコールは誰か来た、と眉間に皺を寄せた。
此処はスコールの避難所なので、あまり人が集まることは望ましくない。
面倒な奴じゃないなら良いんだが、と仕方なく振り返って、まだ更に眉間の皺が深まった。


「……ロズフィールド先生」
「ああ、やっぱり。スコールか」


一ヵ月前にやって来た、スコールのクラスの新しい担任。
クライヴ・ロズフィールドと言う名のその人物は、クラスの生徒の名前を概ね覚えたらしい。
……スコールは二年生になって半年が経った今でも、曖昧な人物がいると言うのに、生真面目な事だと思う。

クライヴは木漏れ日の下で、スコールの周りを囲うように丸くなっている猫たちを見て、目を細める。


「此処は猫の集会場だったんだな」
「……そうですね」
「逃げないな。人に慣れているのか」


クライヴが近付いて来ると、猫たちは各々顔を上げたが、すぐにまた寝る体勢に戻った。
声を荒げる訳でも、煩い足音を立てるでもないクライヴを、どうやら猫たちは危険人物ではないと判じたらしい。

人懐こい一匹が、体を伸ばして起き上ると、「な~お」と鳴きながらクライヴの足元へやって来る。
猫はクライヴの足に体を擦り付けると、その場にごろりと転がって腹を見せた。
さあ撫でろ、と言わんばかりの猫の姿に、クライヴはくすりと笑って膝を曲げ、大きな手でふわふわとした腹を撫でる。

クライヴは猫の腹を撫でながら、校舎の壁に寄り掛かっているスコールを見て、


「君は、よく此処で過ごすのか」
「……偶には」


ほぼ毎日のように入り浸っていることを、なんとなくスコールは隠した。
隣の猫が、嘘ばっかり、と言いたげに鳴き声を上げている。

猫が腹を隠さないので、クライヴはじっと猫の腹を撫でている。
青の瞳が、何処か興味深そうに猫の様子をしげしげと眺め、撫でる手付きも、これはどうか、これは、と試すように変えている。
猫は時に、それは良い、それは嫌、と言うように、体を揺らしては自分の心地良いポイントへとクライヴの手を誘導した。

一頻り猫を撫でた後、気が済んだ猫がクライヴの手からするりと滑るようにして逃げる。
たっぷり撫でて貰って満足した猫は、もう此処に用はないと、手近な木の上へとするすると上って行った。
クライヴはそんな猫の姿を見上げている。
そのままじっと動かなくなったクライヴに、いつまで此処にいるんだ、とスコールはひっそりと眉根を寄せていた。


「……ロズフィールド先生は、猫が好きなんですか」


尋ねたのは、そうだとしたら、この避難所はもう使えない、と思ったからだ。
教室から少し遠いが、それ故に人があまり来ない為、スコールにとっては丁度良い休憩場所だったのだが、他の誰かが来るならもう仕方がない。
一人の時間を好むスコールにとって、それが確約できない場所は、もう使う気にはなれなかった。

スコールの問いに、クライヴは「どうかな」と曖昧に眉尻を下げている。


「猫とはあまり馴染みがないんだ。犬なら実家にいるんだが」
「……はあ」
「猫に触ったのは随分久しぶりだな。多分、子供の頃以来だ」
「……そうですか」


クライヴの言う事に、スコールは大した興味もなく、適当な相槌で返す。
それでもクライヴにしてみれば、普段あまり会話をしない生徒との、交流の切っ掛けと捉えられたのか。
彼は木の上で尻尾を揺らす猫を見詰めたまま、話を始めた。


「木の上に登って、下りられなくなった猫と子供を見付けたことがある。俺は敷地の外から見付けたから、家の人を呼んで来ようと思ったんだが……」
(……)
「怖かったんだろうな。子供が随分泣くから、早く助けた方が良いと思って。理由を話すのは後にして、まず助けようと思って、急いで木に登ったんだ」
(……ん……?)
「どうにか助けられて良かった。その時に猫も一緒に助けたから────それ位だろうな、猫に触った事があるのは。まだ俺がこの学校にいた頃だったから、もう何年前になるか」


クライヴの語るものは、彼のごく個人的な思い出話だ。
スコールからすれば、知りもしない人の過去など聞いた所で、どうしろと言うのだろう、と思うものだった。

しかし、今の話の中で、スコールの記憶の琴線が震えた。

それはもう随分と遠い日の出来事で、スコールがまだ十歳にもならない時のことだ。
何が原因だったか、同じ孤児院で過ごす子供たちの輪から離れて木に登り、下りられなくなって固まっていた。
どうにもならないままに過ごしていた所で、誰かが其処へやって来て、助けて貰った事がある。
後はその人に手を引かれ、わんわん泣きながらママ先生に迎えられ、泣き止むまであやして貰った後に、一人で木登りをしたことについて、こってりと絞られた。
そんな経緯でスコールは、元々苦手意識のあった木登りを、何が何でもやらない、と決めている。

結果、スコールが一番記憶として鮮やかに思い出せるのは、孤児院の母役であるママ先生に叱られたことだ。
どうして一人で木登りなんてしたのか、幼かったこともあって、既に記憶の海に埋もれて取り出せない。
だが、誰かに抱えて助けて貰ったことは、辛うじて掘り出せた。


(……まさか……)


スコールは、じっと木の上の猫を見詰めている男を見た。
しかし、幾ら考えてみても、あの日あの時、誰が自分を助けてくれたのかは、はっきりと出て来ない。
とにかく木の上から下りられなくて怖かった、そしてママ先生に叱られたのも怖かった───スコールが思い出せるのはそれが精一杯だった。

沈黙しているスコールに、クライヴは眉尻を下げて振り返る。


「すまないな、俺の昔話なんて聞いても、面白くないか」
「……」
「だが、どうしてだろうな。なんとなく、君を見ていると思い出すんだ。似たような目の色だったからなのか……」


クライヴのその言葉に、ぐ、とスコールは喉の奥を噛む。

蒼い目は、特段、珍しいものでもない筈だ。
目の前の男の目だって青いし、幼馴染の中にも、似たような色は少なくない。
だが、先のクライヴの思い出話を聞いてしまえば、彼の言う“子供”が誰を指すのか、スコールは完全に符合した。

────子供の頃の出来事なんて、今のスコールにとっては、黒歴史のようなものだ。
特に、あの日あの頃の自分は泣き虫の盛りで、なんでもないことでも、毎日のようによく泣いた。
幼馴染のサイファーなどは、今でもその頃を引き合いにだして、スコールを揶揄ってくる。
やり返してやれる位には強気になったスコールであるが、それでも幼い頃の泣き虫ぶりは、今のスコールにとって他人に知られたくない過去となっていた。

だが、どうやら幸いな事に、自分を助けてくれた嘗ての少年は、思い出話の張本人がスコールであるとは気付いていないらしい。
確か五つか六つになるかと言う時だったから、流石にスコールの顔立ちも、その頃とは変わっていた。
スコールも今の話を聞かなければ、クライヴが件の少年だったとは気付かなかっただろう。
まさか十年以上も経って、こんな形で再会していた等とは、夢にも思わぬ出来事であった。

胡乱な表情を浮かべてじっと見つめるスコールに、クライヴはことんと首を傾げる。


「どうした?何か────」
「なんでもないです」


スコールは、クライヴの言葉を遮るようにして言った。

気付いていないなら、知られていないのなら。
このまま、知らない振りをしていよう。
幼い頃の失態は、思春期真っ盛りの少年にとって、掘り返されたくない痴態に等しい。
例え記憶を共有する相手が、微笑ましそうにその出来事を語ってくれたとしても。



これまでじっと黙していた生徒の、急に食い込むようにして入った反応に、クライヴはぱちりと目を丸くしたが、スコールにとっては幸いなことに、それ以上に彼が何かを尋ねて来ることはなかったのだった。





『スコールとクライヴ、ほのぼの』のリクエストを頂きました。
弟属性のスコールと、兄属性のクライヴ。並べるのが楽しかったです。

クライヴが青年期(28歳)ならスコールとは11歳差、クライヴ壮年期(33歳)なら、スコールとは16歳差。
と言うことで、青年期クライヴなら、スコールが5歳の時にはクライヴが高校生!と言うことで、子供の頃に会ってた二人を後に再会させてみました。
でもクライヴが落ち着いているので、立ち振る舞いは壮年期かも。現パロなので、ベアラー兵時代みたいに擦れてた時代がなく済んでると言うのもある。

この場は黙して逃げたスコールですが、一応「あの時助けてくれたお兄ちゃん」なので、なんとなく避けることはしなくなると思います。
ただ「あの時助けた子供」とバレた時に何か言われやしないだろうかと思っている。バレたらクライヴは「大きくなったんだな」って言うと思う。遠戚のお兄さん??

[クラスコ]目撃証言:少年A

  • 2025/08/08 22:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



生徒会に所属しているその少年は、今年になって生徒会長となったとある先輩に対し、強い敬愛の念を抱いていた。
その人物は、多くが二年生になってから、クラスから一人選出されて入ることになる生徒会に、一年生の時から籍を置いていたと言う。
それも当時の生徒会の中から推薦・推挙されてのことだと言うから、つまりはそれだけ優れた逸材だったと言うことだ。
実際、少年が一年生の時から、その人物の優秀振りは学内で知られており、知らないとすれば転校したての生徒くらいのものだろう、と言われていた。
テストの成績は勿論のこと、運動神経も優れていて、いつでも冷静沈着。
更に容姿も整っており、後輩女子からはそのクールな振る舞いも含めて憧れの的で、こっそりと非公式ファンクラブが形成されていたと言う。
前年度の生徒会役員が引退する際、迷わず次期会長へと指名されたと言うのも、頷けると言うものだ。

そして前年度の先輩陣が無事に卒業を果たし、生徒会は次代へと受け継がれた。
自主性を重んじる校風に違わず、毎日のように話題提起が起こる学校で、現生徒会もまた例年通りにあくせくと働いている。

それと同じくして、少年を含めた今年度二年生へと進級した生徒たちからも、新たな生徒会人員が確保された。
他薦と投票によって決定されたことに、少年は始めこそ貧乏くじを引かされたと思ったが、生徒会長が件の先輩であることを思い出して、はっとなる。
少年は、ずっと彼に憧れていたのだ。

昨年度、二年生の生徒会役員であった彼は、少年にとって高嶺の花であった。
容姿端麗でありながら、一癖二癖ある者が多い生徒会の中にあって、どちらかと言えば地味な色合いを持ちながらも、決して埋もれることのない存在感。
眉間に皺を浮かべていることが多いが、後輩を───つまりは少年を───前にした時、ほんの僅かにその表情を和らげる。
それが後輩を威圧させないようにと言う、意識的な努力であることを知った時、少年は彼のささやかな優しさに胸を打たれた。
よくよく観察してみれば、彼は本当に細やかな所にも目を届かせてくれ、それによる不具合を出来るだけ取り除こうと努めてくれるから、知れば知る程、少年は彼の人物に敬愛を深めて行ったのだ。
深める程にその存在は眩しいほどに耀き、少年のその想いは一種の宗教染みていたが、彼のその想いは誰も知ることはない。
向けられている当人でさえ。
非公式ファンクラブに入会することもなく、ただただ密かに、傍目に見れば重いほどに尊敬の念を持って、少年は生徒会長となった彼を見つめる為だけに、生徒会へと入ることを受け入れた。
ただただ、誰より近くで、彼の姿を見つめ続ける為だけに。

生徒会としての活動の幅は広く、会議の招集も頻繁にかかる為、役員は部活をしている暇はない。
教員から雑用係の如く回されてくる仕事も多く、これを嫌う生徒は少なくない。
少年も同様だったが、憧れの人も通った道だと思えば、その背を追っているようで、然程悪い気はしなかった。
前年度の生徒会役員に信を置かれ、今正にそのトップとして目まぐるしい日々を過ごしているあの人も、こうやって積み上げていく所から始まったのだ。
そして、この仕事にきちんと誠実に向き合い続けていれば、いつかあの綺麗な蒼灰色の瞳が、自分のことを信を持ってみてくれるかも知れない───そんな夢を、少年はひとり思い描いていた。

しかし。
しかしだ。
大事件が起きた。

いや、正確にはまだ事件は起きていない。
恐らく、多分、ではあるけれど、まだ起きていると確定してはいなかった。
非常に曖昧な物言いになってしまうのは、話の出所がいまいち噂の域を出ていなくて、事実が確認できていないからだ。
だから、ともかくまずは事実確認をしなくてはと、少年は息を堪えて道を歩いていた。


(……あの人が、会長が。他校の不良と付き合いがあるなんて、そんなこと)


歩きながら、少年の頭には、ぐるぐると真偽不確かな噂が巡る。
敬愛するあの人が、良くない輩に連れ去られている所を見た者がいる───学校で聞いたその噂は、一年生と二年生の間で、密やかに交わされているものだった。

噂は当人のいる三年生の所まで届いていないようだが、果たして何処までそうなのかは二年生の少年には調べきれない。
三年生の教室の近くは、当然ながら敬愛するあの人も過ごす場所なので、うっかり顔を見たら少年は卒倒してしまう自信がある。
生徒会の会議で顔を合わせる時だって、まともに目を見て話せないのだ。
覚悟を決めていない時に偶然に遭遇すると言うのは、少年にとって突然に交通事故に遭ったような衝撃を齎すのである。
昨年、一度そうやって見事に倒れ、敬愛する彼に迷惑をかけてしまった経歴があるので、これは決して大仰な話ではなかった。

そんな訳で少年は、噂の真偽について、当人に確かめる等と言う大胆な真似は出来ない。
故に、こうして放課後、学校を後にした彼の後を、ひっそり、密かに、ついて行くと言う行動を選ぶに至ったのだ。
……こちらの方がより大胆で危険な事をしていないか、と言う疑問を呈してくれる人は、いない。

夏休みの最中、休み明けに行われる行事に関する議題で、生徒会は学校へと集まった。
会議は恙なく進み、各部への伝達の為の割り振りも決まり、少年はプリント作りを任された。
プリントの草案は、生徒会長をはじめとした三年生の役員メンバーが取りまとめておいてくれたので、後はこれをPCで清書し、配布分の数を印刷して置けば良い。
物は次の会議のスケジュールの日までに用意すれば良いから、今日これから急いでやらなくても、十分間に合う計算だった。
つまり、少年には時間の余裕があって、急いで家に帰らなくては、と言うこともなく。

だから、暑い夏の日差しの中、少年はこそりこそりと電柱に隠れながら歩いている。
数メートル先を、いつものように歩いて行く、敬愛する背中を追い駆けながら。


(学校から大分離れた。今の所は、誰も会長に近付いていない)


行く街並みはいつもと変わらない景色だった。
喫茶店や美容院や、学生狙いに間口を開いた店々が並ぶ大通りは、夏休みでも人の気配が絶えない。
蜃気楼も揺れる暑さの中、日傘を差した人々が汗を拭いながら各々の目的地へ向かっている。

夏の日差しはぎらぎらと強く、敬愛する人の白い肌を焦がさんばかりに焼いている。
会議の為に集まった教室で過ごしている時に見た彼の腕は、痛々しいほどに赤くなっていた。
日焼けが出来ない体質だと言う彼に、少年は駆け寄って日傘を差し出したかったが、生憎とその勇気が出ない。
一歩を踏み出せない自分の不甲斐なさに、何度目か項垂れつつ、せめて彼が無事に駅に着くまでは見守らなければと、傍から見れば謎な使命感に心を燃やす。

真っ直ぐに伸びる道の向こうに、駅の建物が見えて来る。
噂では、彼が良からぬ輩に連れ去られたと言う目撃談は、この近辺となっていた。
つまり此処から駅に辿り着くまでが肝なのだ、と少年は固唾を飲んで、振り返らない彼の背中を見つめる。

この道は基本的には真っ直ぐ伸びているが、横への小道も数が多い。
もしもその小道から、危ない輩が絡んで来たら。
例えば彼が、危ない連中によって小道へと引っ張り込まれたりしたら。
どうすれば助けることが出来るか、と言うことを頭の中でシミュレーションしていく内に、段々と頭の中の自分がヒーローのような立ち回りまでするようになった。
ケンカはおろか、武道のひとつも嗜んだことがない少年の想像力は、専らサブカルチャーが元である。
現実とフィクションの区別がつかない訳ではないのだが、この想像は言わば夢だ────妄想だ。
絵に描いたような不良に絡まれた敬愛する人を、決死の勇気で助けた後、柔らかな笑みを浮かべて少し恥ずかしそうに「ありがとう」と行って貰える所まで、セットになっていた。
妄想なので、「先輩ってそんな顔するのかな?」と言う点を指摘してくれる友はいない。

────と、夢の渦中に描かれていたその人の足が、ぴたりと止まる。
前には横断歩道と赤信号があり、何ら不自然なことではなかったのだが、彼の首が傾いて、横道を見ているのが気になった。
そして彼はくるりと踵の向きを変え、駅へと向かう道から逸れてしまったのだ。


(なんで!?そっちに何かいる……!?)


普通に考えれば、今は夏休みである。
学校の知り合いがこの辺りを歩いていても可笑しくはないし、暑さに辟易して適当な店に入って涼むことだってあるだろう。
放課後の寄り道なんて、どんな若者だって当たり前にやる事だ。
会長と呼ばれ、後輩の半ば心棒的な敬愛を向けられる彼の人物が、存外とそう言う“普通の少年”であることを、少年は知らなかった。

少年は急いで角道に向かった。
小さなビルの陰に隠れながら、そっと向こう側を伺うと、細い道路と狭い歩道がある。
その途中の所で、彼は立っていた。
すぐ傍には、エンジンを剥き出しにした大きなバイクにまたがり、フルフェイスヘルメットを被った人間が立っている。


(不良だ────!!)


大型バイク=不良の乗り物、と言う訳ではないのだが、頭を占めている噂のこともあって、少年は即座にそう思った。
不良少年の活躍をテーマにする娯楽メディアでも、バイクと不良はセットである。
そう言う先入観、固定観念は、大いに少年の見識を狭くさせていた。

まさか、学校内外で優等生として知られ、クールで理知的な生徒会長が、本当に不良と付き合いがあるなんて。
いや、だからこそ、火遊びをして遊ぶような不良が目を付けたのかも知れない。
真面目な彼をなんやかやで焚きつけたとか、何か弱味や人質を取られて脅されているとか、誰かの身代わりになっているとか。
だとしたら、なんとかして助けなくては、と考える少年だが、まさかの事態にその足は震えている。
何せ少年は今まで、ごくごく普通に、ごくごく平凡な日常を生きて来た一学生であるからして、少年漫画にあるような活劇的な行動と言うのは、全く縁のない人生を送って来たのだ。
この暑いのにフルフェイスヘルメットを被り、大型バイクに跨る不良なんてものには、到底、近付けなかったのである。

それでも逃げる訳には行かないと、少年はせめて耳を欹てる。
噂の真相と、もしも本当に彼が不良から脅しを受けているのなら、大人に相談して助ける方法を探さなくては。
平々凡々な少年にとって、それは精一杯の勇気と、敬愛する人物への忠義信であった。

────しかし。


「こんな所まで歩くのも大変だろう。俺としては、もっと学校の近くまで迎えに行きたいんだが」
「……断る。あんたのバイク、目立つんだぞ」


聞こえて来たのは、そんな会話だった。
迎えと聞いて、やはり良くない輩に付きまとわれていたのか、と思ったら、どうも拒否権はちゃんとあって、行使もされているらしい。


「うちはバイク通学は禁止されてるんだ。知ってるだろ」
「お前が運転してる訳じゃないし、迎えに来る奴の足がバイクだって言うだけだ。別に怒られることはないだろう」
「目を付けられたら面倒なんだ。こんなでかいバイク……」


敬愛する人の視線が、男の跨っているバイクへと向かう。


「……他人に見られたくないんだ。これでも生徒会長をやらされてる。変に目立つのは避けたい」
「まあ、そうだな。確かにヤマザキ先生にでも知られれば、大目玉は食らうか。生徒の模範となるべき生徒会長が、放課後デートしているなんて」
「……デートじゃない」


“ヤマザキ先生”と言う名前を聞いて、少年は目を瞠る。
それは学校でも厳しい生徒指導担当として知られている、ベテランの教諭のことだった。

不良生徒と言うのは、他校にいる生徒指導教員のことまで知っているものだろうか。
何か部活で熱心なアプローチをしている教師などは、スポーツ系のテレビ番組だとか、学生の努力を追い駆ける番組だとかで出演し、他校に知られる機会もあるだろう。
しかし、ヤマザキと言う教員は部活顧問は持っていないし、生徒指導が厳しいと言う点で生徒から少々不評を買いやすいと言う他は、特筆すべき人物でもない。

はて、と首を傾げる少年は、見知った教員の名が出てきたことに気を取られて、その後に出て来たワードを完全に聞き逃していた。
そんな少年を他所に、敬愛する人は、バイクの後ろにあるキャリーパックを探っている。
勝手知ったる、とばかりに中を探った彼が取り出したのは、黒を基調に、側面に銀色のステッカーを貼ったヘルメットだった。
それを頭に被り、しっかりと固定の具合を確かめている彼に、バイクの持ち主が尋ねる。


「今日は何処に行きたい?」
「……涼しい所」
「中々無茶を言う。此処からなら海岸沿いが妥当か」
「なんでも良い。あんたに任せる」


選択権がありながら、敬愛する人はそれを放棄した。
そしてバイクに跨り、それの持ち主である男の背中にしっかりと身を寄せて、腕を腹に回して掴まる。


「夕方には帰る」
「それなら、いつも通りの時間で良さそうだ」
「ん」
「スーパーには?」
「……行く。冷蔵庫の中、空だ」
「そう言えば俺も空だ」
「……あんたの所は、いつもそうだろ」
「カップ麺は冷蔵庫に入れる必要がないから助かるな」


バイクのウィンカーがカチカチと音を鳴らし始める。
バイクは、後方から車が来ていないことを十分に確認してから、ゆっくりと動き出した。

交差点へと近付くバイクを、少年の目が追う。
バイクに乗った憧れの人は、その持ち主の背中にひしと捕まって、しっかりと体重を預けていた。
彼があんな風に、誰かに体を、その身を預ける所を、見たことがあっただろうか。
生徒会は其処に所属している生徒たちそれぞれの活躍で回っているが、彼はそのトップとして、一同を取りまとめる立場にある。
信を置いた生徒は幾人かいるようだが、その中でも、あんなにもゼロ距離になれる人はいない筈だ。
少なくとも、少年は知らない。

バイクは赤信号で一旦停止した。
憧れの人は、ヘルメットの下で少しうんざりとした表情を浮かべている。


「あつ……」
「ヘルメットに冷却材も仕込んであるんだが、やっぱりきついか」
「……それはひんやりする。でも、あんたの背中が熱い」
「この環境だからな。お互い様だから、勘弁してくれ」
「……わかってる。大体、これが嫌なら、……」


何処かに行きたいなんて、言わない。
そう言って彼は、体を預ける背中に、柔く頬を押し付けた。

その光景を、少年はじっとビルの物陰から見詰めている。

バイクの持ち主が、降り注ぐ陽光の反射を嫌ったのか、ヘルメットの前面を庇うカバーを上げた。
少年からは目元のみが見えるその人物が、一体何処の誰なのかは、やはり判然としない。
ヤマザキを知っていたし、若しかして同じ学校の生徒だろうかと目を凝らして見定めようとしていると、


「────」
(……!)


ヘルメットの奥から、碧の瞳が少年を捉える。

目が合った。
目が合ってしまった。
どうすれば────少年の心臓が飛び出しそうな程に早くなる。

そんな少年に、碧の瞳は柔く笑うように細められて、


「……、」


バイクの持ち主は、右手の人差し指を顔へと持って行った。
フルフェイスのヘルメットで頭部の殆どが覆われているが、恐らく指の袂にあるのは口元だ。
「静かに」と言うジェスチャーを示している。

何を静かにしていろと言うのだろう。
未だ混乱する頭で硬直している間に、信号が青に変わり、バイクは走り出した。
その背に、少年にとって見知らぬ男と、誰より敬愛して已まない人を乗せて。

炎天の中に取り残された少年は、駅とは逆方向へと曲がって行ったバイクの背をぼうと見送って、先のジェスチャーの意味を考える。


(“静かに”?……何を?なんで?)


ぐるぐると巡る頭の中で、僅かに見た、ヘルメット越しの敬愛する人の横顔が浮かぶ。
そして次に思い出す、同級生たちの間で密かにささやかれている、“生徒会長と不良”の噂。
噂では“連れ去られていた”等と言われていたけれど、あれは明らかに意味が違う。
彼は確かに信頼している人の背中に、自らその身を預けたのだ。
それはつまり、彼自身が望んで、あのバイクに攫われることを選んだと言う訳で。

そして、最後に見せた、あのバイクの持ち主が示す仕草の意味は、


(……“内緒に”?)


碧の瞳は、確かにそう告げていたのだ。
此処で見たものは、内緒に。
何処にも、誰にも、言わないように、と。
背に預かった人物との秘密の時間を、誰にも邪魔されたくないものだから。

抜ける青空の下、立ち尽くした少年は、だからつまり───どういう事だったんだろう、と未だ混乱しているのだった。





『モブから見た視点のモブスコ or ラグスコ or クラスコ』のリクを頂きました。
どれか出来るものを、と任せて頂いたので、モブから見た視点のクラスコ、と言う形に。

スコールは高校三年生。紆余曲折と祀り上げられて生徒会長をやっています。
クラウドはスコールと入れ違いで同校を卒業したOB。なので教員のことも何人か知っている。
色々あって付き合うことになった二人。時々デートもするけど、お互い時間の融通が中々出来ないので、スコールの放課後時間を利用してツーリングデートしているのです。
学校で噂になっている、“生徒会長がデカいバイクの男に連れて行かれた”的な話は、放課後にお迎えに来たクラウドと話している所を目撃されたんですね。
卒業・入学が入れ違いになった学年で、スコールももう三年生なので、クラウドのことを知ってる生徒が学校にいない訳です。いてもこの話、ずっとクラウドがヘルメット被ってるので、限られた人じゃないと特定するのが難しそうですが。

品行・真面目な生徒会長(実際はそこまででもない)が、でかいバイクに相乗りするなんて、誰も想像していなかった。
夏の暑さで幻でも見たかも知れない。モブ少年の胸中はきっとそんな状態。

[ロクスコ]雨の奥つ城

  • 2025/08/08 21:50
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



何やら不穏な雲があるな、とは思っていた。

それでも進む足を急がせなかったのは、一重にこれまでの経験だったからでもあったし、反面、ロックにとってこの世界の理と言うものが未だ理解の外にあったからでもある。
空が重く暗い色をしていることは、この神々の闘争の世界に置いて珍しい事ではなく、寧ろ、天候については常時そんな様相をしているのだ。
快晴等と言うものは、歪の中の方がまだ見る機会がある。
そのくらいに、この世界は不安定で、空の安定感と言うものも、長年の経験が全く当てにならないレベルで予測がつかないものだった。
だから暗い雲を見上げても、雨が降ったとしても、それ程激しいものになるとは思っていなかった。

ところが、蓋を開けてみれば、バケツをひっくり返したような大雨だ。
森の中を散策と探検気分に歩いていたら、ぽつりぽつりと降り出して、其処から一気に雨脚が早まった。
空は雷でも孕んでいるのではないかと思う程の黒雲に覆われ、どざあ、と言う音が響く程の代物。
大きな広葉樹の下に隠れても、大粒の雫が葉枝の網を突破してくるものだから、傘にはならない。
足元は柔らかい土壌だった為に、あっと言う間にぬかるんで行き、視界の悪さも相俟って、ちょっと歩くだけで泥に足を取られて転ぶ。
泥沼の中に思い切り顔面を落とす羽目になって、ロックは心の底から後悔した。
これなら、さっき見かけた歪の中に避難して置くんだった、と。

雨は急速に育ったのに、それは中々通り過ぎてはくれない。
滝のようにな勢いの雨煙に覆われて、視界は見えない、鼻も利かない。
とうに全身は濡れ鼠になり、いっそ清々しいほどに諦めがついた。
とは言え、このまま寒い雨の中で、いつとも知れない晴れを待つ訳にもいかず、とにかく今降っている雨だけでも凌げる場所を見付けなくてはならない。

碌な視界がない中で、諦念と共に歩き続けていると、切り立った崖にぶつかった。
仕方なくそれを手伝いに進んだ先で、ぽっかりと空いた穴を見付ける。
獣の穴でも、魔物の穴でも良い、とにかく雨を凌いで、体を休める場所に使わせて貰おうと、中に入った所で見覚えのある人物を見付けた。


「スコールじゃないか」


穴の入り口から一メートル、ぎりぎり雨空の暗い外光が届く場所に、その少年は立っていた。
ロック同様、頭のてっぺんから足の爪先まで濡れそぼり、いつも着ているジャケットの首元の毛が萎んでいる。
濃茶色の髪は、いつも降りている前髪が掻き上げられて、額の傷が露わになっていた。

スコールはジャケットの肩を開けさせて、水を含んで重くなったシャツの裾を握り絞っている。
そしてロックの方を見遣ると、警戒を滲ませていた蒼灰色の瞳を微かに和らげて、「……あんたか」と言った。

ロックは頭に巻いたバンダナを解きながら、スコールの前へと近付く。


「お前もこの雨にやられたみたいだな」
「……最悪だ」
「同感」


ロックはバンダナを絞り、辛うじて水気を追い出したそれをタオル代わりに、自分の顔回りを拭った。
絞ったとは言え、たっぷりと水を含んでいるバンダナにまるで爽快感はなかったが、顔の雫がなくなっただけでも気分は違う。
それに加えて、こんな災難に遭ったのが自分だけではないと言うことに、勝手な共有感を得て笑う。


「ラッキーだったな。こんな穴があるなんて」
「……ああ」
「何かの巣か?」
「判らない。何もいないし、いた気配もない」
「ふぅん。崩落で出来たって訳でもなさそうだけど……巣だったけど放棄されたって所かな」


洞穴の壁を見渡しながら呟くロックだが、スコールは沈黙している。
穴の奥も今の所は静かなもので、スコールの言う通り、生き物の気配は感じられなかった。
ひょっとしたら息を潜めているだけかも知れないが、下手に薮奥を突ついて、雨の中へと追い出されるのも勘弁願いたい。
奥から何も出て来る様子がないのなら、一時、このまま間借りさせて貰うことにする。

ロックがちらと外を見ると、雨の激しさは幾分か落ち着いていた。
どうやら、一番激しいタイミングで、外を歩き回る羽目になったらしい。
運の悪い事、と思う傍ら、お陰でこの雨宿り先を見付けた訳だから、不運ばかりと言う気持ちは堪えておいた。

ともかく、雨がもっと小降りになるまでは、動く気にもならない。
ロックは岩の壁に寄り掛かって、適当な所に腰を下ろした。


「この世界で、こんなに激しい雨が降るとは思わなかったよ。でかい雲を見付けた時には怪しいなと思ってたけど、此処までとはなぁ」
「……大概、こういう世界は不安定だ。空もまともな気象条件で動いてない。雷雨でも吹雪でも、急に起きる事はある」
「じゃあ、雨だけで済んでるのはラッキーってくらいか?」
「……どうだかな」


ロックの言葉に、スコールはすげない返事だけを寄越してくれた。

スコールの他、全体の7割程の戦士は、過去にもこうした世界に召喚された経験があると言う。
だからロックのような新顔の面々に比べると、この常識を逸した世界に対して耐性があった。
時には天変地異の前触れかと思うような、次元の歪みが唐突に起こっても、即座に対応することが出来る。
ロックも此処で過ごすに連れて、多少なりと学習してはいるが、やはり経験と言うアドバンテージは大きい。
───それでも、こうした不意の天候不良に巻き込まれるのは彼らも同じなのだと言うことに、ロックはこっそりと安堵していた。

洞窟の中はひんやりとしていて、濡れた肌の体温をじわじわと奪っていく。
火が欲しいな、とロックは何か燃やせるものがあっただろうかと荷を探るが、燃料になりそうなものは軒並み湿気ていた。
洞窟の奥に行って巣穴の名残でもあれば利用できるかも知れないが、碌な灯りもない状態で、何が潜んでいるのか判らない最奥まで探る気にはなれない。


(どうしようもないか)


この状況で、雨に直接濡れなくなっただけででも幸運なのだ。
濡れた身体を温めたい、と言う贅沢は、我慢する他ないだろう。


(……人肌、なんてのもあるにはあるけど───歓迎されそうにはないな)


ちら、と見遣る同舟者は、吹き込みのない穴の入り口の傍で、じっと外を見詰めて立ち尽くしている。
その様子は、さっさと止めば良いのに、と濃い雨にうんざりとしているように見えた。
彼が今日はどんな用事でこの辺りにいたのかは判らないが、何にせよ、ロックと同じように、予定を潰された事には変わりないだろう。
世界や場所によっては恵の元と喜ばれるような雨でも、今この時にそれに巻き込まれた者達にとっては、望まぬ恵であるのは確かだ。

濡れたジャケットが鬱陶しいのか、スコールはいつも着ているそれを脱いでいた。
荷物になるのも邪魔なので、両手を塞がない為に、袖を腰に巻いて縛っている。
白いシャツは裾で絞られただけだから、全体がまだ水分を多く吸っていて、張り付いた肌を薄らと透かしていた。
身体のシルエットが普段よりも更にはっきりと浮き上がっていて、傭兵だとは言うが、まだまだ未完成な体躯をしていることがよく判る。

その雨を見つめるシルエットが、ロックが思っていたよりも、随分小さく見えた。
襟元を飾るボリュームのあるファーがなかった所為もあるが、外界からの光に仄かに照らされる横顔が、何処か幼く憂いに沈んでいるように見えたのだ。
引き結ばれた唇が、ともすれば泣き出すのを堪える子供を彷彿とさせた。


「スコール」


なんとなく、名前を呼んだ。
応答はないとも思っていたが、予想に反して、蒼灰色が此方を伺う。
外からの薄い光を受けて、彼の面を知ることは出来た。

なんだ、と問う瞳は、ロックが見慣れている通り、無感動を映している。
だがロックは、今し方見たばかりの、現実か幻か曖昧な横顔が残像を重ねているように見えた。


「雨は嫌いなのか?」


彼の詳しい事を未だ知り得ていないので、問う言葉を選ぶ余裕がなく、直球に訊く。
スコールは不審げに眉根を寄せたが、しばらくしてから短く答えた。


「……別に」


それは応にも否にも通じず、同時にどちらとも受け取れる言葉だ。
大抵、スコールが胸中にあるものを明確な言葉にまとめることを放棄した時のもの、とはジタンやバッツの証言である。

雨は当初の激しさから随分と和らいではいたが、雨粒は未だに大きい。
この洞窟の奥から、牙を剥き出しにした猛獣が出て来た、なんて事にでもならない限りは、出て行く気にはなれない。
ただ濡れた身体の体温だけがじわじわと下がって行くことが、この環境については不満だった。

────そう、だからきっと寒い所為だ。
水気を含んだ服、乾かない空気、外から滑り込んでくる冷えた雨風。
火を起こすことも出来ないから、冷えて行く身体に抗う術がなく、次第に冷気は深部体温まで下げていく。
人間の体はそうやって本来あるべき状態から逸脱へと傾くと、身の内側まで浸食されてしまうのだ。


(とは言っても、燃やすものもないし。やっぱり───)


ロックはもう一度手持ちの荷を探ったが、やはり火種に出来そうなものはない。
取り合えず、雨宿りを初めて時間が経ち、絞った服が多少はまともになってくれたことを願って、ロックはスコールの方へと近付いた。


「スコール」
「……」
「其処じゃ冷えるぞ。どうせ当分止まないんだから、見ててもしょうがない」


言ってロックは、スコールの手を引いた。
握った手は、微かに抵抗の力を示したように思えたが、もう一度腕を引けば素直について来た。
少し重い足がようやく洞窟の穴口から離れ、ロックと共に数メートル分奥へと進む。

あまり奥まで進んでは、洞窟そのものが持つ冷気に負ける。
外から届く光がまだぎりぎりで届く、其処まで来れば外からの風は届かなかった。


「ほら、座れ。いつまでも立ってたって疲れるだけだ」
「別に俺が突っ立っていようと、あんたには……」
「ああ、うん。ま、関係はないだろうけどさ」


肩を押して少し強引にスコールを座らせてから、ロックもその隣に腰を下ろす。
距離の近さに、スコールが半身を引くように逃げたが、構わずロックは寄り掛かってやった。


「おい、」
「こんな状況だ。ちょっと暖になってくれよ」
「ファイアで火でも起こせば」
「俺、魔法はからっきしなもんでね。マッチも燃料も軒並み湿気ってるから火は無理だ」


ロックが魔法を門外漢としているのは、スコールも知っていることだ。
この世界に来て、元々の仲間であるティナも加えて、学者肌気質の面々から少々レクチャーは受けたが、結局は大して身につかなかった。

ロックの言葉に、スコールは眉根を寄せた後、溜息をひとつ。
諦めのように、そろそろとロックの肩に体重が寄せられる。
濡れた服の感触はしばらく冷たかったが、段々と、その向こうにある人肌が混じるように伝わり始める。


「うん、良い湯たんぽだ。お前、結構温かいんだな」
「……それはあんたの方だろう」
「まあどっちでも良いさ。一人で凍えてるより、ずっとマシなのは確かだろ」


人肌の類を歓迎してはくれない性格であることは理解しながら、ロックは敢えてそう言った。
スコールは心なしか唇を尖らせて、不満とも取れる表情をしていたが、その唇が開くことはなかった。

ゆっくりと、溶け合うように、肩から伝わる体温がある。
水気と冷気で冷えていた身体が、触れ合った場所から段々と解れて来るような気がした。
いつであったか、期せず背中に追われて感じた温もりと、変わった所はない。
ロックにとっては心地が良いが、隣にいる彼にとってはどうだろう。
ちらりと見てみると、スコールは青灰色を瞼の裏に隠して、じっとロックの肩に頭を預けるように傾けていた。


(……そういや、誰だったかな。こいつが案外、寂しがり屋だって言ってたのは)


ジタンだったか、バッツだったか。
スコールのことを特に知っているのは彼らだが、ティーダやクラウドもそう言うことがある。
ひょっとしたら、長くこの闘争の世界を経験している者たちの間では、共通の認識なのかも知れない。

ロックはそろりと片手を挙げて、肩に寄り掛かるスコールの髪をくしゃりと撫でる。
濃茶色の髪はまだ水分を含んでいたが、それを踏まえても柔らかく、少々猫っ毛なのだと初めて知った。


(……もっとお前のことを知ったら、あんな顔してる理由を聞いても良いのかな)


飴をじっと見つめていた、独りぼっちの子供のような横顔を思い出す。
雨が苦手なのか、何か嫌なことを思い出すのか、それとも。
それらを知る為に踏み込むには、ロックはまだまだ、この少年のことを知らない。

しとしとと降り続く雨は、果たしていつになったら晴れるのか。
この少年があんな顔をするのなら、雨など早くに止めば良いが、肩に乗せられた重さは存外と心地良い。
もうしばらくだけ、この小さな洞窟の中で、独り占めしていたいと思った。




『ロクスコ』のリクエストを頂きました。
朗読会軸からのNTのロクスコは、警戒猫だったスコールが段々と懐いて来てるような感じがしますね。

NTのスコールは元の世界の記憶があるので、お姉ちゃん絡みの記憶もそこそこ取り戻せている訳で。
いなくなったエルオーネの帰りを待って、雨が降る石の家で決意をした時の寂しさとか、じんわり過ったりしてるのかも知れない。
ロックはまだそういうスコールの機微の詳細について知るほど付き合いが深くはないけど、なんとなくこいつ放っておけないなあってなると良いなあ、と思ったのでした。

[ウォルスコ]触れる形を確かめる

  • 2025/08/08 21:45
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF

DFF013後、WoL in FF8




気付いた時には、見知らぬ場所に立っていた。
自分が何処で何をしていたのか、記憶にあるのは薄ぼんやりとしていたが、さりとて不安の類はない。
自分はこれから、何処とも知れぬ新たな世界へ踏み出そうとしていたのだと、それだけは判っていた。
それだけで十分だと思ったのは、至るまでに通ってきた道の記憶を、はっきりと覚えていたからだ。
そして、歩く足と、剣を盾を握る両手が満足無事であるならば、何も恐れることはない。

とは言え、この鬱蒼とした樹林には、何処からどうやって来たのだったか。
そもそも自分は、名もなき宿で眠った所ではなかったか。
目が覚めたら、 蓊欝たる樹木が茂る場所に立ち尽くしていたと言うのは、どういう事か。
はて夢遊病でもしただろうかと、首を傾げはしたものの、旅の荷物は一通り手許にあった。
ならば───ひょっとしたら宿代を踏み倒したかも知れないが───取り合えず歩いてみることには不自由はないだろう、と思う事にした。

辺りは見慣れない植物が犇めいていたが、その隙間から所々、人工物が覗いている。
鉄骨、金網、鉄線、つるりと平らな壁、明滅する電球……頭上を見上げれば、透明なガラス越しに晴れ渡る青い空が見えた。
どうやら此処は建物の中らしいが、それにしても随分と広い。
茂る木々が上に上にと向かっても、全く余裕がある程に、その天井は高かった。
自然物と人工物が無秩序に入り混じっている様子から、温室だろうか、と予想を立ててみるが、それにしては自然物は随分と奔放だ。
あまり綿密な管理がされている場所ではないらしい、と言うことだけが、辛うじて読み取れた。

生き物の気配は其処此処に感じられる。
地面はそれなりに栄養が豊富なようで、土草は湿り気があり、所により太い幹の木もあった。
その隙間を縫うようにして蠢いている生物は、昆虫と呼べる小さな雑虫もいれば、人と同程度の体高のある芋虫もいる。
触腕を伸ばして虫を捕えている植物形態のものもいて、袋状になった花弁部の中では、きっと獲物が消化されるのだろうと想像できる。
中々に刺激的な場所のようだ。

状況確認に周囲を見渡し歩きながら、何処か一旦休息できる場所はないだろうか、と行く当てもなく歩き続けて、しばらく後。
茂る草木を掻き分け進む向こうに、人影を見付けた。
僥倖───ともかく此処がどういった場所なのか、付近に人の住む街の類はないか尋ねてみよう、と近付いて、その人影の前に聳える巨大な影形を見て、剣を握った。

獣と言うにも重々しく獰猛な咆哮が響き渡る。
それに迫られた人影が武器を構えると同じくして、握った剣を地面に走らせながら大きく上段へ振り上げた。
波状の光が地を走り、茂る木々を切り裂いて、咆哮の主へと到達する。
柔らかい肉腹が突き上げる光の衝撃波に切り裂かれ、苦悶の声と共に、ずん、と地面が揺れた。
茂みを抜けて間近に見れば、立っていれば見上げる程はあるであろう、巨躯の爬虫類が斃れている。
ビク、ビク、と筋肉を痙攣させているそれが、痛みにかもがいて手足を動かしているのを見て、もう一度剣を構えた。


「あ……!?」
「なんだぁ!?」


背に庇った者たちが当惑に声を上げるが、振り返りはしなかった。
血を流す爬虫類が、その動きを完全に停止させるまで、警戒を切ってはいけない。

───そうしてようやく、巨躯の爬虫類は息絶える。
しん、とすべての気配が静まり返ったことを確かめて、剣を下ろし、庇っていた者たちへと振り返る。


「怪我はないか」
「あ、え……お、おう。あ、ありがとう?」
「……」


其処には、二人の少年が立っている。
一人は金髪に顔に大きな入れ墨を施し、活発そうな目をした、身軽そうな格好の少年。
そして─────


「あんた……」


濃茶色の髪、蒼灰色の瞳、額に刻まれた斜め傷。
上から下まで黒を基調にした服に、ジャケットの襟元には白いファーがついている。
右手に握った武器は、あの様々に千切れ混ざった異世界でも終ぞ類を見なかった、銃と同じ機構を有した、ガンブレードと言う代物。

あの世界で、何度も何度もその名を呼んだ。
それは互いを知り合う間に、そして唯一無二の間柄となってからは褥の中で、繰り返し。
いつか別れることに怯える少年を、何度となくあやすように抱いては、その身体を抱き締めたことを、ウォーリアは今も鮮明に思い出せる。

そうして何度となく愛で慈しんだ少年が、変わらぬ姿で立っていた。


「君は───スコールなのか?」
「……なんであんたが此処にいるんだ……」


俄かに目を瞠ったウォーリアに、スコールはあの頃と同じように、眉間に強い皺を浮かべて呟いた。




指揮官室に応接用として誂えられたソファに座っている人物を見て、スコールは何度目かの溜息を堪える。
詰めた息を思い切り吐き出してしまいたいのが本音だが、今ばかりは気持ちとして憚られた。
だが、そんな自制を辛うじて働かせた所で、頭が痛い事態になったことには変わりない。

向かい合う位置に座っている男───ウォーリア・オブ・ライトは、相変わらず真っ直ぐに背中を伸ばし、姿勢よく座っている。
見事な装飾が施された兜は今は外され、癖のある銀髪が惜しげもなく晒されていた。
外した鎧が、二つのソファの間に置かれた、ローテーブルの上に置かれているのが、なんとも奇妙な光景に見える。
武器として愛用している剣と盾も並べ置かれているのだが、其処に見事な鎧を着込んだ男が座している光景も含め、サイファーあたりなら「此処は美術館にでもなったのか?」と言いそうだった。
実際、スコールもその感想が喉まで出掛かっている。
それ程までに、この世界の理や文明と、目の前の男のミスマッチ具合は大きいのだ。

そんな景色だけでも頭を痛めるものだったが、ウォーリアから当座の話を聞いて、スコールの頭痛はやはり深まった。


「……あんたの経緯は、大体理解した。大した情報はなかったが……」
「すまない、スコール。私自身も、これ以上の説明が難しい」
「判ってる。あんたにその責任を求めるつもりはない」


スコールの脳裏には、まるで夢の出来事かのような、遠い異世界での出来事が思い出されていた。
到底この世界では理屈が通じないような、不可思議な現象が当たり前のように起きていた、闘争の世界。
彼の地での闘いは終わりを迎えた筈だから、きっとこれは、あそこに集められた仲間たちが解放された後に起こった、事故的なものなのだろう。
そう思っておかないと、他に説明がつけられない。

となると、その理由が原因と言うものは、根本的に人の手でどうにか出来る事ではなく、超常現象的な時空の歪みが齎すものであった。
きっとこの男は、そう言うものに巻き込まれてしまったのだと、スコールは一旦の理由として決着をつける事にする。
詰まる所、何の拍子にウォーリアがこの世界に来たのか判然としないことと同じく、彼を元の世界に戻す方法も、杳として知れないことになる。

どうしたものか、と眉根を寄せるスコールを、ウォーリアはじっと見つめている。
其処へ、使い走りに行って貰ったキスティスが戻ってきて、


「スコール。これで良いかしら」
「ああ、ありがとう」


キスティスが差し出したのは、新品のSeeD服だ。
これを着ていれば、他生徒から見て“長期任務に出て久しぶりに帰還した正SeeD”と言う説明が通るだろう。
バラムガーデンで平時から制服やSeeD服を着用している生徒は多くはないが、いない訳ではないので、それ程不自然には見えない筈だ。

スコールはキスティスから制服を受け取ると、目の前に座っている男にそれを渡す。


「取り合えず、あんたはこれに着替えてくれ。その格好は目立つから」
「了解した。手をかけさせてすまない」


詫びるウォーリアに、別に、とスコールは首を横に振った。

その場で鎧を脱ぎ始めたウォーリアを、キスティスが一応の為にと退室する。
彼女が指揮官室の扉口を塞いでいる事で、人払いも出来るだろう。

鎧を脱いだウォーリアの体躯を見て、何も変わっていない、とスコールは思った。
重厚な鎧を身に付けて戦っているのだから、ウォーリアの体躯は立派に出来上がっている。
厚みのある筋肉に覆われ、均整の取れた体系バランスは、スコールの密かな憧れだった。
その重さが自分を世界から覆い隠すように被さって来ていた時のことを思い出して、スコールはこっそりと目の前の光景から視線を外す。

慣れない形の衣服に、戸惑い奮闘する事しばしの後、ウォーリアは着替えを完了させた。


「ふむ……これで良いのだろうか」
(……変な感じだ)
「スコール?」


袖の形を整えながら確認するウォーリアの声を、スコールはすっかり聞き逃している。
目の前にある、彫刻のように整った顔をした男が、鎧ではなくSeeD服を着ている。
スコールにとっては見慣れた制服の筈だが、着用している人物が人物であるので、なんだか随分と違って見えた。

じっと見つめるばかりで沈黙しているスコールに、ウォーリアの首がことんと傾げられる。
時折見られる、どうした、と問う時の仕草であったと思い出して、スコールははっと我に返った。


「悪い、考え事をしていた」
「そうか。やはり、私のことで随分と気を揉ませてしまっているようだな」


眉尻を下げるウォーリアの言葉に、まあそれは───とスコールは思う。
この状況で、頭が痛くないとは、どう取り繕っても言えそうにない。

スコールはずっと堪えていた溜息をひとつ、意識して吐き出した。
詰まらせていたものが少し抜けると、少しだけ気分と身体が楽になる。
それと同時に、この状態で考えあぐねていても仕方がない、と言う諦念と開き直りに至った。


「取り合えず、出来る限りの確認が終わるまで、あんたは此処にいて貰うしかない。何が何処に影響が出るかも判らないから、迂闊に歩き回らせる訳にいかない」
「ああ」
「一応、あんたの権利は守るつもりではあるけど、当分は監視管理下みたいなものだ。外にも自由には出せない」
「その方が良いだろう。君には勿論、この世界にも迷惑をかける訳にはいかない」
「……理解が早くて助かる。それと、そうだな……武器防具は……俺が預かるしかないか。一応、この場所は、あんたがさっき迷い込んだ訓練施設以外はまず安全な場所だ。武器を持ち歩く必要はない」
「……そうか」
「校則───この場所でのルールとして、武器の携帯は不可能じゃないが、訓練施設以外では非常時を除いた抜刀は許されていない。それに加えて、あんたは現状、身分証明が出来ない不審者扱いにせざるを得ないから、これ以上あんたの立場を不利にさせない為にも、危険物は持たせられない。……万が一、武器が必要な緊急事態が起きた場合にのみ、俺の許可の上で返すことになる」
「了解した。其方の規律に従おう」


ウォーリアが無為な抵抗を示す人間ではないことは判っているが、反発されないことはスコールにとって有難かった。
ほ、と僅かに胸を撫で下ろして、さて次の問題は、と思考を動かし続ける。


(寝床は寮部屋の空きを確認して……俺の部屋に近い所が空いていると良いんだが。いっそしばらく俺の部屋で────いや、ダメだ。それは駄目だ、やめよう)


諸々の可能性と考慮をして、一旦浮かびかけた選択肢を、スコールは頭を振って排除した。
其処には多分に個人的感情が挟まっていたが、それを知る者はいない。

ウォーリアはその間、じっとスコールの顔を見つめていた。
何度も難し気に眉根を寄せ、小さく唸る声を零しながら熟考しているスコール。
ウォーリアから聴取した話を走り書きしたメモ帳と、テーブルの上に置かれた諸々、そしてウォーリアを見比べては、傷の走る眉間に手を当てる。
そしておもむろに立ち上がると、戸口の方へ行き、ドアを薄く開けてその向こうと何某か話をしていた。
恐らく、服を持ってきてくれた女性と話をしているのだろう。
あれを調べて、こっちに連絡を取って、これについて、と細かに相談している声が微かに聞こえる。

忙しくし始めたスコールを見て、そう言えば、とウォーリアは思い出す。


(あれは、最後の戦いに向かう頃だったか。皆の記憶も少しずつ戻ってきて、元の世界についての話をするようになった)


コスモスが遺してくれたクリスタルの庇護により、消滅の猶予を与えられた秩序の戦士たち。
混沌の力の増大により、急速に失われゆく世界を救う為、十人の戦士は足並みを揃えて進んでいた。
その頃には、───ウォーリアを除いて───戦士たちの記憶と言うものも回復が進み、過去や元の世界で起こった出来事について、話す機会も増えていた。
ウォーリアは専ら聞く手であったが、そんな時間が僅かにもあったお陰で、様々な異世界の話を聞くことが出来た。

その時、スコールが“指揮官”と言う立場を有していることを聞いたのだ。
当人曰く、「祀り上げられて降り損ねただけのお飾りだ」と言っていたが、こうしてみると、確かに彼はその立場を引き受け勤めているのだと言うことが判る。
何度となく頭の痛い顔をしながらも、とにかく対応しなければならない、と堪えて動く様子は、冷えた態度とは裏腹に、背負った責任を果たさねばならないと気負う、背伸びする若者らしく見えた。
つまりは、あの異世界で、ウォーリアが垣間見ては知った、スコール・レオンハートと言う人間まさにそのものだと言うことだ。

スコールはソファに戻ってくると、少し疲れた様子で、ウォーリアの向かい側に座った。
一通りのことは終わったのか、背凭れに寄り掛かって深く息を吐く様子に、ウォーリアは労いの言葉でもと探したが、元よりウォーリアの口はそう上手くは回らない。
では、とウォーリアは顔を上げ、


「スコール」
「……なんだ」
「其方に座っても良いだろうか」


向かい合ったこの状態ではなく、スコールが座っている、その隣に。
行っても良いかと尋ねると、スコールは扉の方を一瞥した後、「……ん」とごく小さく返事をくれた。

場所を移動して、スコールの隣に腰を下ろす。
真隣へと座ると、スコールは微かに眉間に皺を浮かべて此方を見たが、離れろとは言わなかった。
赦してくれることに今ばかりは甘えさせて貰って、そっと白い頬に触れる。
スコールはゆるゆると瞼を一度閉じて、次にそれが開いた時には、蒼灰色が微かに熱を浮かせた色を燈していた。


「スコール。君に、また逢うことが出来て、嬉しい」
「……あんた……」
「こんな事態で、言うべきことではないのだろう。だが───こうして君に、また会える日が来るとは、思っていなかった」
「……そんなの───」


俺だって同じだ、とスコールは声なく呟く。
ウォーリアの耳に心地良くてよく通る低い声を、もう一度聞くことが出来る日が来るなんて、思っていなかった。

頬に添えられたウォーリアの手が、其処にある存在そのものを確かめるように、ゆったりと輪郭を辿る。
くすぐったさを感じながら、スコールはその手に身を委ねていた。
いつしかウォーリアの手はスコールの首筋を辿り、肩を通って、そっと抱き寄せられる。
力に反発することなく従えば、少年は愛しい腕にすっぽりと抱き締められた。
そのままじっとしていると、ウォーリアの背中にも、そろそろと回された腕が絡みつく。

スコールは、抱く腕の力強さに懐かしいものを感じながら、


(……固くない)


ガーデンの制服を着ているのだから、あの固くて荘厳な鎧の感触はない。
けれども、裸身ではないから、皮膚が重なり合って判る、筋肉の固さも直接は感じない。
視界の隅に映る制服の色に、変な感じだな、とスコールは思った。


(でも……まあ、今は……)


今だけは、あれこれと深く考えることを辞めても良いだろう。
視界を覆う銀糸のひかりと、覚えのある匂いを感じながら、スコールは愛しい体温に一時身を預けていた。





『WoL in 8世界でウォルスコ』のリクを頂きました。

8世界に迷い込んだWoLさんの井出達のミスマッチなこと。基本的に8は現代リアルに近い服装が主だから、西洋甲冑装備のWoLは浮きまくりますね。
そんな訳でSeeD服を着て貰いました。体ががっちりしっかり出来てる人なので、軍服風に着こなせるんじゃないかと思う。
この後、スコールはWoLを元の世界に戻す方法を探したり、探すって事はまたWoLと別れなきゃいけないと考えたりするんだと思います。
WoLの方は、指揮官として過ごすスコールを見たり、サイファーと完全に子供のケンカな張り合いをするスコールを見て、「君はそんな顔もするのだな」とか言ってスコールを真っ赤にさせるんだと思います。

[フリスコ]その手に委ねて

  • 2025/08/08 21:40
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



フリオニールは、感情の起伏が激しい男だ。
穏やかに仲間に笑いかけていたと思ったら、張り詰める空気を感じ取った瞬間、その瞳には剣が宿る。
研ぎ澄まされた切っ先を真っ直ぐに前に向けるその目は、冴え冴えと朱に染まり、吠える時には烈火のように燃え上がった。
牙を研いだ虎のように、しなやかに大きく伸びあがる体躯が、踊るように地を踏んで駆け抜ける。
かとも思えば、全てを屠った後、仲間を振り返る目にはまた穏やかさが戻って来る。
此方が怪我のひとつでもしていると気付いたら、慌てた様子で駆け寄って来るのだが、その様は何処か人懐こい大型犬に似ていた。

彼自身、そうした自分の情動さには多少なりと自覚があるのだろう。
触れる時に、殊更優しく、壊れ物を扱うように指を伸ばしてくれるのは、きっとその表れだ。
ともすれば自分がブレーキの利かない性質をしていることを判っているから、何の拍子にその箍が外れるか判らないと、おっかなびっくりになっている。
別段、此方はそうも軟なつもりはないから、好きに触れれば良いし、何なら少々酷くされる位でも良い。
いつも丁寧に触れることを心掛けている男が、その箍を忘れて貪欲に牙を爪を突き立てる様が、食われている側にとって一番心地良いだなんて、きっと彼は思いもしない。
それ位、大事に大事に、触れてくれる。

けれども、結局は激情家な性格だから、歯止めが効かなくなれば、その欲望は剥き出しになる。
喉に歯を立てられた時に、本能的な恐怖と興奮で獲物がひとり果てたことに、彼は気付いているだろうか。
その時にはフリオニールの方も夢中になっていたから、此方のことなんて鑑みる余裕もなかったか。
濡れた腹に構わず身を寄せられて、生暖かくて汗ばんだ腹が擦れ合った。
内側を深く深く抉られて、いつか内臓に穴が空くかもしれないと思ったりするけれど、存外と人間の体は頑丈らしい。
そして、そうでなくては、こうも貪り齧ってはくれないだろうから、そこそこ頑丈な体で良かった、と思う。

────体の中で、フリオニールの熱が限界を迎えている。
ああ来る、と思って程なく、フリオニールが息を詰まらせて、スコールの中へと流れ込んできた。


「っあ、あ……!」
「く、うぅ……っ!」


あえかな声が喉奥から絞り出されるように漏れる。
そんなスコールの耳元で、フリオニールもまた、歯を噛みながら中の熱さに意識を白熱させていた。

ベッドの軋む音が止んで、しばらくの間は、荒い呼吸だけが聞こえていた。
抱き合ったそのままで時間が経つにつれ、少しずつ心音が落ち着きを取り戻していく。
それでも体の奥から滲む熱が下がるには至らず、名残の感覚に苛まれながら、スコールは心地良い気怠さの中で微睡んでいた。

強張っていた体から勝手に力が抜ける。
覆い被さる男の首に絡みつけていた腕が解け、フリオニールが体を起こした。
密着していた体が離れると、皮膚にひんやりとした空気が触れてきて、スコールの体がふるりと震える。
それを宥めるように、フリオニールの大きな手のひらが、そっとスコールの頬を撫でた。


「大丈夫か?」
「……ん……」


確かめる声に、スコールは薄ぼんやりとした意識の中で答えた。
良かった、と安堵した声が聞こえて、眦にキスが落ちて来る。

フリオニールは起き上がると、ベッド横のナイトテーブルに置いていたペットボトルに手を伸ばす。
一口それで喉を潤した後、もう一度口に含んで、スコールを抱き起した。
濡れた唇がスコールのそれと重なって、隙間を開けて見せれば、とろりとした水が流れ込んでくる。
喘ぎに喘いで、汗だくになった体は、すっかり水分が失われているから、ただの水でも美味かった。

一口、二口、とフリオニールは少しずつ口移しを繰り返す。
スコールは愛しい人が分け与えてくれる命の源を受け取りながら、フリオニールの背中に腕を回した。


「ん、ぁ……っは、ん……」
「ふ……ん、ぅ……」


こく、こく、とスコールの喉が小さく音を鳴らして、水を受け入れていく。

スコールの咥内がすっかり潤って、「もういい」と言ったことで、水分補給は終いとした。
フリオニールの指が、スコールの具合を確かめるように、薄淡色の唇の縁をつぅとなぞる。
くすぐったさにスコールが小さく頭を振ると、詫びるように頭を撫でられた。


「シャワーを浴びよう。このまま寝ると風邪を引きそうだ」
「……怠い」
「俺がやってやるから」
「……ん」


貪り尽くされて、動く気力もないスコールだ。
全部やってくれるのならそれが良い、と懐の広い恋人に甘える。

フリオニールはスコールの体を横抱きに持ち上げて、ベッドを下りた。
しっかりとした腕に掬い支えられて、スコールは熱い胸板に体を預け切ってやる。
危なげのない足取りで向かうバスルームは、そもそもが男の一人暮らしの安普請な物件であるからして、当然此処も相応に狭い。
其処に男二人で入るのは中々に窮屈だったが、すっきりと躰を清められるのが此処しかないのだから仕方ない。

フリオニールはスコールを風呂椅子に座らせて、シャワーを空の湯舟に向けて流し始めた。
湯が温かくなったのを確かめてから、気怠げに座っているスコールの足元からかけてやる。


「冷たくないか?」
「……ん」
「体、洗う?」
「……どっちでもいい。あんたがやってくれるなら」


すっかり世話を焼いてもらうスコールだが、フリオニールとて疲れていない訳ではないのだ。
面倒くさいとか、早くベッドに戻って寝たいと彼が思っているのなら、それでも良いとスコールは考えている。
このまま丁寧に洗われるのは心地良いし、ベッドでフリオニールに抱かれて眠るのも好きだ。
だからフリオニールのしたいようにすれば良い、と彼に選択権を全て委ねる。

フリオニールは甘えん坊を遺憾なく発揮しているスコールに笑みを浮かべて、ボディソープを手に取った。
手のひらで薬液をしっかりと泡立てて、その手がスコールの足元から触れる。
泡を塗り広げながら、するすると皮膚の上を滑って行くフリオニールの手を、スコールは何とはなしに見つめていた。

────理性の箍が外れると、まるで獣になったように荒々しく抱いてくれるフリオニールは、それが終わればこんなにも優しく触れる。
いっそ過剰とも言えるほどの、珠肌を灌ぐような柔らかな手付きに、スコールはこっそりと、


(やらしいって言ったら、どんな顔するんだろうな)


スコールが楽に過ごせるように、半身を預けられる距離を開けないよう努めながら、フリオニールは恋人の体を洗う。
その手はとても優しく、疲れきった恋人を労わる気持ちで溢れており、疚しい所など一かけらもない。
それはスコールも判っているのだが、ついさっきまで自分の体を荒々しく揺さぶっていた手が、丁寧な手付きで皮膚を伝って行くのだ。
まだまぐわいの感覚が残った身体が、その時の感触を思い出すのは、無理もないことだった。

時折、フリオニールの目が此方を見ているのが判る。
スコールがそれに目を合わせてやれば、気遣うように眉尻を下げて笑うフリオニールの顔があった。
その頬に擦り付けるように額を当てると、フリオニールは「眠いか?」と言ってスコールの体を支えてくれる。


「今日は大分、長いこと付き合わせたな。ごめんな」
「……別に。嫌なら嫌って言った」


言わなかったから、何度でも繋がったのだと、スコールは言う。
無理強いされた訳でも、有耶無耶に流された訳でもなく、求める声に応えたいからスコールは体を拓かれるのを止めなかった。
だから詫びる必要などないのだと、スコールは何度も言っているのだけれど、


「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど。やっぱり、その……疲れてるだろ?」
「……まあ、それは……」
「どうしても歯止めが効かなくて……悪い」
「良いから、もう謝るな」
「うん」


放っておけば何度でも詫びを口にするだろうフリオニールに、スコールはそれ以上はいらないと止めた。
フリオニールも、もう何度も繰り返した遣り取りだからか、頷いてスコールの額にキスをする。

止まっていたフリオニールの手が、スコールの体を洗う作業を再開させる。


「痛い所とかないか?その、中とか……」
「……痛くはない。あんた、いつもしつこいくらい解すから」
「そ、そうか……?」
「もう入れて良いって言うのに、全然進めないだろ。焦らされてるみたいだ」
「だって、最初はそれでキツかったじゃないか。痛かったんだろう、あれ」
「……最初は。でも、もう……あんたの形になってるんだから、あんなにしなくて平気だ」


スコールの言葉に、フリオニールの洗う手が止まる。
「ああ……」とか「えっと……」と口籠るフリオニールの顔は、湯を浴びるスコールに負けず劣らず赤い。

あんなに激しく掻き抱いてくれるのに、フリオニールは相も変わらず初心だ。
その様子がどうにもスコールには可愛らしく見えて、少し悪戯心が刺激される。


「フリオ」


名前を呼ぶと、フリオニールが顔を上げる。
何かして欲しい事があるのか、と紅い瞳が指示を待つ飼い犬のようだった。

スコールはそんなフリオニールの手を取った。
丁度スコールの膝に置かれていたフリオニールの手は、まだたっぷりの泡がついている。
その手を、スコールは薄く開いた腿の内側へと案内した。


「ここ、まだ洗ってない」
「!」


ひたりと触れた場所には、まだ白くてとろりとした液体がまとわりついている。
シャワーの湯で濯がれるだけでは流れ切らなかったそれを、フリオニールの指にわざと当てる。
際どい位置に触れたフリオニールの手が、反射反応で逃げてしまう前に、スコールはぐっと太腿で挟んで捉えた。


「スコール、」
「あんたがやってくれるって言った」
「い、言ったけど」


どぎまぎとしているフリオニールを、スコールはじっと見つめる。
うう、と唸る声が何度か聞こえたが、結局の所、フリオニールは事後のスコールに多大に甘い。
スコールもそれを判っていて、ここぞとばかりに我儘な要求をしていた。

太腿に挟まれていた手が、観念して逃げる力を手放す。
スコールが挟み込んでいた肢から力を抜くと、する、とフリオニールの手が内腿を滑るのが判った。

泡塗れのフリオニールの手が、スコールの内腿を彷徨うように這い回る。
スコールは、自身の熱がまたじわじわと膨らんでいるのを自覚していた。
見詰めるフリオニールも、きっとそれを見ているのだろう、耳元でごくりと喉の鳴る音が聞こえる。

肢と臀部の付け根の皺のあたりに指が這って、スコールはぞくぞくとしたものが背中を上って来るのを感じた。
噤んだ唇の中で、甘ったるい呼気が溜まっているのが判る。
身を預けている恋人に寄り掛かり、薄く唇を開けば、案の定、はあ、と熱の籠った吐息が漏れた。


(このまま、もう一回しても……良いな……)


寧ろ、したい。
そう思って、スコールがそろりと膝を外に開こうとした時、


「っ……スコール」


咎める声に名を呼ばれて、スコールは眉根を寄せる。
際どい場所に触れていた手も離れたものだから、抗議に見上げると、赤い瞳がこちらを見ていた。
その瞳には確かに熱が燈っていたが、同時に、子供を咎める保護者のような空気もある。

スコールは据えた目でそれを見つめ返しながら、拗ねた口調で呟く。


「あんたもその気の癖に」
「………」


今のフリオニールがどうなっているのか、スコールは直に見なくても判る。
若くて逞しい体は回復も早く、恋人が露骨に誘っているともなれば、抑えようにも反応してしまうものだろう。
スコールがフリオニールを欲しいように、フリオニールもまた、スコールに惹かれて已まないのだから。

フリオニールは、スコールの指摘を誤魔化すように咳払いをして、シャワーノズルに手を伸ばす。
出しっぱなしの湯は十分に温かく、スコールの身体についた泡をすぐに洗い流してくれた。


「今日はもう遅いから、休まないと」
「……こんな状態で休めって言う方が酷いんじゃないか」
「駄目だ。明日に響くだろう」
「……」


頑ななフリオニールに、スコールは唇を尖らせた。
こうなると、スコールがどんなに甘えて誘っても、フリオニールは譲ってくれない。
スコールもまた、自分を慮ってのことだと言うのも判っているので、これ以上の我儘は仕方なく噤む。

フリオニールはスコールの身体を手早く拭いて、すっかり綺麗になった身体を抱き上げた。

寝室に戻ると、二人でベッドシーツに包まって、温まった身体から熱が逃げないように身を寄せ合う。
スコールがフリオニールの足に自分の素足を絡ませると、


「ん、スコール……」
「……判ってる」


今日はもうしない、と咎めるフリオニールの声に、スコールは半分拗ねた心地で言った。
これ以上はねだらないから、代わりにその存在の全部を感じながら眠りたい。
そうしないと眠れない、と猫のように身を寄せるスコールの背中に、しっかりとした腕が回り込んだ。





『フリスコ』のリクエストを頂きました。内容についてはおすすめで、ということでしたので、いちゃいちゃしている二人をおすすめさせて頂きます。

甘やかしモードのフリオニールと、全力甘えモードのスコールです。
スコールがして欲しいこと全部やるよ、って言うフリオニールだけど、無茶はさせたくないので、お誘いは応じてくれないらしい。スコールは別に良いのにって思いつつ、そうやって大事にしてくれるのも嬉しいので、別の甘え方をし始めるようです。
ひょっとしたら何回かに一回か、フリオニールの雄スイッチが入ったままだったら、お誘いに応えてくれるのかも知れない。

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