サイト更新には乗らない短いSS置き場

Entry

Category: FF

[けものびと]きれいきれいはむずかしい

  • 2025/05/27 21:05
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



バスルームへと連れ戻されたスコールは、きょろきょろと落ち着かない様子を辺りを見回していた。
ラグナはそんなスコールの背中を撫でて宥めながら、もう一度金ダライに湯を張る。

湯の温度は、人間であるラグナからすると、湯気が立たない程度に温い。
これでレオンは気持ちが良さそうにしていたので、過度に熱い冷たいと言うことはない筈だ。
とは言え、あまり長く浸からせていると濡れた体の体温も下がってしまうだろうし、何より、スコールがレオンのように大人しくしてくれているとも限らない。
先にシャンプーを泡立てておこう、とラグナは小さな手桶にも湯を入れて、其処にシャンプーを注いだ。

下準備を済ませ、よし、とラグナはスコールを抱き上げた。
ぱちり、と目を丸くしたスコールと目が合った途端、


「ぎゃぁうう!」
「おっとっと」


嫌な予感を感じたか、体を捻ってラグナから逃げようと試みるスコール。
しかし此処で取り落としてしまっては、スコールはタライの中に落ちてしまう。
ラグナも身を捩りながら、逃げようとするスコールの身体を追うようにして彼を捕まえ続けた。

じたばたと暴れるスコールが、ラグナの服に前足を引っ掛けると、そのまま体を上ろうとする。
獣人としては子供とは言え、やはり“ライオン”モデルの生まれは伊達ではなく、存外と大きな肉球を携えた手足がラグナの肩に重みを乗せた。
ラグナの首元にスコールの身体が擦り付けられ、抜けた毛がラグナの喉元に張り付く。


「うお、お、重いなぁ、スコール」
「ぎゃう、ぎゃうぅ!」
「大丈夫だよ、怖くない。お風呂だから気持ち良いんだよ」


ラグナの肩に上半身を乗せ、抗議の声を上げるスコール。
ラグナはそんな仔ライオンの背中をぽんぽんと撫でてあやした。

ぐぅう、と唸る声が聞こえるが、スコールは其処でじっと留まっている。
脇に両手を差し込むようにして、掬うように持ち上げてやると、スコールは存外と素直に運ばれた。
不機嫌そうに顰められた蒼灰色がじっと見つめて来るので、ラグナは笑みを浮かべて目を合わせる。


「さっき、レオンが入ってるの見てたろ?気持ち良さそうだったよな~」
「ぐぅうぅ……」
「ちょっとだけ。ほんのちょーっと。足の先っぽからな」


小さな子供に言い聞かせるように声をかけながら、ラグナはそっとスコールを下ろしていく。
宙を掻いていたスコールの右足が、つんと水面に触れて、ぴっと持ち上がった。
ひくひくと鼻頭を動かして、緊張している様子のスコールであったが、次に左足がついた時には、今度は逃げなかった。


「うん、良い子良い子。スコールは良い子だな」
「ぐぅ、ぎゅぅう……ぐぁうぅ」


喉元を擽ってあやすラグナに、スコールは不満げな声を漏らしている。
やっぱり長引かせない方が良いな、とラグナは判断した。

そうと決まれば、早速スコールの身体を洗わなくては。
ラグナはスコールの背中を撫でてあやしながら、右手で掬った湯をかけて行く。


「うう、あうぅう。うぁぁあうう」
「冷たいか?」
「ううぅ、うぅうう。ぐぁうぅ」
「やっぱ濡れるのが好きじゃないかなぁ」


言いながらラグナは、手桶の泡を手に掬う。
スポンジがあった方が良かったな、と思いつつ、ラグナは泡シャンプーをスコールの背中に乗せた。

マッサージでもしてやれば、少しは気持ち良いと思うだろうか、とラグナは両手でスコールの身体をわしわしと撫でてやる。
背中や脇、首元を、柔い加減で撫でて揉んでと繰り返す。
一緒に泡が塗り広げられて行き、泡に掬われて抜けた毛が、湯舟の中でぷかぷかと浮かんでいる。
このままくまなく洗わせてくれると有難いものなのだが、


「あうぅ、がうぅぅ……!ぐぅぅ、うぅぁああう!」


スコールの鳴き声は段々と大きくなって行き、風呂場全体の反響もあってよく響く。
湯舟の中でじっとしている所を見るに、彼からすれば精一杯に我慢しているのだろう。

この辺が限界だな、とラグナがスコールの身体の泡を洗い落とそうと、手桶に新しい湯を張っていた時だった。


「───うぅ!───あうぅ!」
「ん?レオン?」


バスルームの閉じた戸口の向こうから、大きな鳴き声がする。
曇りガラスの向こうに、小さな影のようなものが駆け寄って来たかと思うと、ドン、と言う音が響いた。

バスルームの戸は、折れ戸になっていて、浴室の中へと折れ開くようになっている。
その構造をレオンが理解していたかは不明だが、彼は上手くその中心───凸方向へと折れる支点の部分に体当たりしたらしい。
弟の為の突進を受けた戸がガチャッと開くと、右側に出来た隙間を見付けたレオンが、体を押し入れるようにして飛び込んできた。


「がぁうう!」


ばしゃん、とレオンの体を受け止めた湯が飛び跳ねる。
つい先程、一足先にシャンプーを終え、タオルで乾かしたレオンの体は、また見事にびしょ濡れになった。
ついでに飛び跳ねた水飛沫は、開いたままになっていた戸口の向こうまで跳んでいて、クッションフロアの床に泡の水溜まりが出来ている。

───ああ、とラグナは思わず空を仰いだ。
バリケードを用意するか、鍵をかけておくんだったなあ、と悔やむ。
しかし、それはそれで、レオンが諦めずに体当たりし続けて来たかも知れない、とも思った。

小さな湯舟の中で、レオンとスコールはぐるぐると喉を鳴らしながら、頭を擦り付け合っている。
兄は弟を見付けてその無事に喜び、弟は兄が来てくれたことに安堵したようだ。
風呂を怖がらなかったレオンは勿論、スコールも鳴く事をやめて、顔を舐める兄に甘えて、落ち着いていた。


「がう。がうぅ」
「んるぅ……」


スコールがすりすりとレオンに身を寄せて甘えると、泡がレオンの体にも付着する。
レオンはそれを気にする様子はなく、興奮しきっていた弟を宥めることに終始していた。

そんな二人の遣り取りを見て、ラグナは濡れた髪を掻き上げながら苦笑する。


「しゃーねえ。レオンがいた方が、スコールも落ち着くみたいだからな」
「ぐぅ……」


ラグナがスコールを頭を撫でれば、彼は大人しくその手を受け入れる。
尻尾がゆらりと揺れて、心地よさそうに円らな瞳が細められた。

最早レオンの体を洗う必要はなかったが、どうせ濡れてしまったのだ。
ラグナは開き直って、スコールの体の泡と、レオンの体を一緒に湯で流す。
湯が背にかけられる度、スコールはまた鳴き声を上げたが、レオンがそんな弟を宥め透かすように身を寄せた。
そうしているとスコールは大人しいもので、時折鼻をひくつかせて鳴く程度だ。
スコールが落ち着かなかったのは、初めての入浴ということもそうだが、兄の姿が見えないのが不安だったのかも知れない。

スコールの泡をすっかり流し、ラグナはレオンの体を拭く時に使ったバスタオルを取った。
もう一枚あった方が良いなあ、と思いながら、一先ずは滴る水を簡単に吸い取るべく、スコールの身体を包んで吹く。
此方は湯と違って恐怖心を刺激しないようで、スコールは自分から濡れた身体を擦り付けて体を拭きに来ていた。
そしてレオンの体も拭いた後、ラグナは二人を抱き上げて、脱衣所の濡れた床を見ない振りにしつつ、リビングへと移動した。

リビングで二人の体を改めて清潔なタオルで丹念に拭いた後、ラグナはキッチンへ向かう。
濡れた服を着替えるだとか、脱衣所の床だとか気掛かりはあるが、頑張った二人にご褒美をあげるのを忘れてはいけない。
冷蔵庫から取り出したタッパーを温めていると、旨味の気配を感じたのか、レオンが足元にやって来ていた。


「鼻が良いなぁ。スコールはどした?」
「ぐぁう」
「おっ」


ラグナがスコールの様子を訪ねると、レオンはくるりと振り返る。
その視線の先を追うと、キッチンスペースの入り口に体を半分隠し、覗き込むように此方を見ているスコールがいた。
警戒しつつも、匂いの誘惑に鼻をふんふんと鳴らしているスコールに、ラグナはくすりと笑う。


「初めてのお風呂、お疲れさん。頑張ったから、特別におやつにしような」
「がぁう」
「がうぅ」


ラグナが運んできた器を見て、二人の頭の上で丸い耳がピンと立つ。
これでレオンだけでなく、スコールにとっても、今日一日が嫌な記憶だけで終わらないと良いのだが。

兄弟がおやつを楽しんでいる間に、ラグナは服を着替え、濡れたものは洗濯機に放り込む。
スイッチを押して回り始めたそれを尻目に、泡水溜まりの床を拭き、排水溝に集まっていた抜け毛を拾う。
水を含んだタオルは、取り合えずバスルームの乾燥にかけることにした。
抜け毛が絡まっているのは判っていたが、これを洗濯機に入れても良いものか判らない。
夜に風呂に入った時にでも、手洗いしてみるとしよう。

思い付く限りの片付けを終えて、ラグナはふらふらとリビングへと戻った。


「ふい~……終わってからも大変なもんだ……」


中々の重労働だ、とラグナは重くなった肩を揉む。
何か冷たいものでも飲んで一服しようかとも思ったが、準備をするのが面倒だった。
取り合えず中腰続きで草臥れてしまった足腰を休ませたくて、ソファへと向かう。

ソファには既にレオンとスコールがいて、彼らはタオルケットを枕にして丸くなっていた。
二人の舌がちょろりと零れ出ているのが見えて、ああ、とラグナは小さく笑う。
きっと毛繕いをし合っていたのだろうに、疲れて寝落ちてしまったのだ。

ラグナは身を寄せ合う二人の傍に座って、丸みのある頬を撫でる。


「……そうだなあ。一番疲れたのは、きっとお前たちだよな」


呟くと、ひく、とレオンの鼻先が震えて、蒼の瞳が薄らと覗く。


「……ぐぅ……?」
「なんでもないよ。おやすみ、レオン。スコールも」
「……んぐ……」


名前を呼べば、二人は丸い可愛らしい耳を小さく動かす。

ふくふくと呼吸に上下する腹を、指の背でそっと撫でてみた。
抜け毛は随分と落ち着いたようで、ふわふわと舞う毛も、一先ずはなくなったようだ。
これなら、しばらくは鼻むず痒さに悩まされることもないだろう。

ラグナは眠る二人の仔ライオンたちが冷えることのないように、タオルケットをもう一枚、寝室から持って来た。
柔らかな布地の中で、レオンとスコールはすぅすぅと寝息を立てている。
その穏やかな寝顔をじっと見つめて、ラグナはなんとも温かい充足感を感じていた。





換毛期からのお風呂チャレンジでした。

レオンはラグナの手で洗われるのが気持ち良かった模様。元々そんなに怖がらないので、ラグナがしてくれることなら大体受け入れられる。
初めてなのでこんな調子ですが、スコールはバッツとジタンの所で遊びながら訓練したら、大人しく出来るようになると思います。
その内、三人で一緒に風呂に入ることも出来るようになるかも知れない?

[けものびと]きれいきれい

  • 2025/05/27 21:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



朝からくしゃみが止まらない。
風邪でもひいたのかとラグナは思ったが、その割には体は頗る元気である。
よくある寒気だとか、節々の痛みだとか、喉が痛むとか、そう言ったことはない。
ただただくしゃみが止まらなくて、鼻から水気が出て儘ならない。

花粉症にでもなったのだろうか。
しかし、ラグナは昔からその手のことには無縁で、昨年もこの時期にこういった症状に見舞われてはいなかった。

とは言っても、加齢であるとか、体のバイオリズムだかメカニズムの変化だかで、ある時突然それに罹るようになった、と言う話もなくはない。
或いは、環境の変化が理由である場合もあるのだとか。
住居を移しただとか、新しい職場になったとか、そう言うものも体の影響は少なからずあるもので、そう言った所から免疫力の増減も起こり得る。
昨年までは季節ごとに広大なサバンナや、生い茂るジャングル地帯を巡っていたから、そう言った場所に赴くと言う意味でも、防疫意識は高かった。
それが現在では専ら都市部の真ん中で、人間にとって全く快適な環境で過ごしているから、気の緩みも含めて、何某かに罹り易くなっている所は、あるかも知れない。

これは良くないぞ、とラグナは独り言ちた。
体調と言うのはその日その時の環境と状態でも変わるものだが、気の緩みと言うものは良くない。
以前は一人で気儘に過ごし、休日に二日酔いにでもなれば一日死に体であっても然して問題はなかったが、今はそうではないのだ。
面倒を見ている二人の仔ライオンを思えばこそ、ラグナはより体調には気を付けなければならない。
小さな子供であることはいざ知らず、彼らはヒトのようでヒトではない、獣人の子供なのだから。
加えて言えば、彼らは生態研究が広く進んではいない、希少な“ライオン”モデルである。
本来ならば広大なサバンナの弱肉強食の世界で生き、その幼さ故に、傷なり病なりで命を落としていた可能性もある彼らは、大都会の真ん中で暮らすにあたっても、判らないことが多い。
生態研究の一例と言う特例中の特例をもぎ取ったラグナは、彼らと共に暮らす生活を守る為にも、より一層の用心を払わなくてはならないのだ。

以前、ラグナが一日、風邪をひいて寝込んでしまったことがある。
人間が持ってしまった病原体と言うものが、その類に耐性があるかも判らない二人の為、ラグナは友人たちの手を借りて、一日自分を隔離した。
しかし仔ライオン達は、根気良く続けた学習の甲斐あって人を傷つけることはしないものの、基本的にラグナにのみ懐いている。
家ではいつも一緒に過ごしている筈のラグナが、一枚ドアを挟んだ寝所に閉じこもったことで、随分と不安になったのか、どうにかしてラグナの下に行こうとしていた。
それの制止を任せた旧友たちが随分と奮闘してくれたお陰で、ラグナは一日じっくり休んで風邪を治すことが出来たが、ああしたことはそう何度も起こって良いものではない。
幼い二人を思った以上に不安にさせてしまったことは勿論、忙しい旧友たちに無理を言って援けて貰ったこともあって、ラグナはあれ以来、体調管理にはより気を付けるようになった。

しかし、それでもバイオリズムと言うのは思う通りにはならない。
今日一日で数えて五回目になるくしゃみをして、ラグナはそんなことを思う。


「うーん、どうしたもんかな」


ずぴ、と鼻を啜りながら、ラグナは眉根を下げて呟いた。

病院に行った方が良いだろうかと思うが、それにしては体に目立った異変と言うものがないのだ。
熱を測ってみると平均体温が表示され、喉は乾燥感はあるがイガイガのような違和感はない。
病院に行くとなると、ラグナは家を空けることになる。
同居している獣人の子供たちは、ラグナの不在にもすっかり慣れて、大人しく留守番をしていることは十分に可能だった。
しかし、この状態で病院に行った所で、大した意味もなさそうで、ラグナはどうしたものかと悩んでいた。

ソファに座って、鼻を啜って唸るラグナの足元に、とんっと押しつけられるようにくっついてくる体重がある。
足元を見遣れば、ラグナの膝元に捕まるように後ろ脚で立っている獣人の子供───レオンがいる。


「がぁう」
「うん。どした、レオン。スコールも一緒か」


ラグナは、レオンの頭をわしわしと撫でながら、その後ろをついて来ている弟ライオン───スコールを見る。
嬉しそうに目を細めるレオンを満足するまであやしてから、スコールに「おいで」と右手のひらを見せてやれば、スコールはとことこと近付いて来た。
手のひらに頭を押し付けて来るスコールに、ラグナは優しくその頭頂部を撫でてやる。

ラグナが撫でる手を離すと、スコールがぶるぶると頭を振る仕草を見せる。
そんな弟を宥めるように、レオンがスコールの毛繕いを始めた。
兄に毛繕いされるのはスコールも心地が良いようで、くすぐったそうに目を細め、身を委ねるようにその場に伏せる。

仲の良い兄弟の様子に、ラグナの頬が緩む。
────と、そこでまた、


「は…へ……へっくしゅ!」


堪えようとして出来なかった、中々にボリュームの大きなくしゃみに、レオンとスコールが目を見開いてラグナを見る。
蒼色の瞳が丸々と大きく瞠って此方を見つめていることに気付いて、ラグナは鼻を啜りながら謝った。


「ごめんごめん、びっくりさせたな。ただのくしゃみなんだけど……」


じいい、と二対の瞳はラグナを見詰めて離さない。
耳をピンと立たせている子供たちを、ラグナはぽんぽんと撫でてあやした。


「はあ……やっぱり、一応病院行ってみるかなあ。ずーっと鼻がムズムズしてるもんなあ」


花粉症とて、侮るのは良くない。
鼻詰まりから始まって、頭痛だとか、喉の痛みだとか、他の症状まで及ぶことはあるのだ。
何にせよ用心するに越したことはない。

と、思ったラグナの視界に、ふわふわとしたものが飛んでいるのが目についた。
薄く細く絡んだそれは、よくよく目を凝らして見ると、視界のあちらこちらで舞うように浮いている。
其処からまた更に目を凝らすと、床の其処此処にそれらは落ちていて、空調の微量な風を受けるとまたふわふわと浮かんで落ちてを繰り返していた。

一度そういうものがあると気付いたからだろうか。
ラグナが今座っているソファのカバーにも、似たようなものが付着している。
それをおもむろに伸ばした手で一つまみし、鼻先近くまで持ってきて、まじまじと見つめているところへ、


「───っぷし!」
「お」


足元で聞こえたのは、レオンのくしゃみだった。
見れば、レオンはぶるぶると体ごと頭を震わせていたのだが、そこからふわふわとしたものが飛んでいる。
するとその隣で毛繕いに身を委ねていたスコールも、寝転んだ格好のまま、「ぷしゅん!」とくしゃみをした。

ああ、成程、とラグナは納得した。
ラグナのくしゃみと鼻水の原因も、恐らくこれだろう。
成程、時期を考えれば、多くの動物にはこういった現象が起きる時期であった。

────換毛期だ。




家庭でよく飼育される犬猫は勿論として、皮膚を毛で覆われた動物の多くには、換毛期が存在する。
冬から春、夏へ、或いは秋から冬へと気温の変化が大きくなる頃に、来る環境に合わせるて、毛が抜け替わるのだ。
毛は自然に抜け落ちてしまうものも多いが、毛同士が絡まって溜まりのように体に付着していることも少なくない。
それはペットならばブラッシングやトリミングで綺麗に取られ、野生動物ならば、木や地面に体を擦り付けて取り払うと言った行動で賄うものもいる。

サバンナで暮らすライオンにも、換毛期はある。
オスの鬣を除けば長い毛が少ないので目立たないが、人間の新陳代謝による抜け毛があるように、彼らも体毛の生え代わりは起きている。
そして、それは動物の特徴を色濃く残す、獣人も同様であった。

ラグナはまずブラシを持ってきて、二人の背中を撫でてみた。
二人が互いをこまめに毛繕いしているので、ブラッシングアイテムとして頻繁に使う必要はなかったのだが、コミュニケーションツールとして使っていることが多かった。
ブラシで撫でられるのは二人も気に入っているようで、大人しく身を委ねてくれる。
それで少しばかり丹念に体を撫でていると、中々の体毛を梳き取ることが出来た。
これを放置しているのは、毛繕いで出る抜け毛の量にも影響するので、なんとかした方が良さそうだ。

毎日丹念にブラッシングを施せば、彼らの毛並みもいずれ綺麗になるだろう。
しかし、冬の名残の体毛は案外とふわふわとしていて、梳けば梳くだけ空気中に舞い散ってしまう。
その度に、ラグナは勿論、レオンもスコールもくしゃみが止まらなくなってしまって、段々とブラッシングどころではなくなっていた。
これは“ライオン“モデルと言う獣人種でありながら、異例に室内暮らしで過ごしていると言う環境故に起きていることかも知れない。

───そんな訳で、ラグナは獣人専門の相談役をしているバッツと、同じく獣人と生活しているセフィロスに相談し、彼らの為のシャンプーを用意した。

手に入れたのは、猫科モデルの獣人の為のシャンプーである。
レオンとスコールは“ライオン”だが、一応、ライオンも猫科の範疇だ。
希少で野生下にあることが自然とも言える“ライオン”モデル用のアイテムなどまずないし、まだ彼らが子供であることも加味して、安全性としてもこれが妥当ではないかと提案された。
物自体が需要も限られている所為か、値段としては決して安価ではなかったが、安全を優先してのことだ。

人との生活に慣れた獣人ならば、風呂に入ったり、体を自分で洗ったりと言うことも可能らしい。
セフィロスと生活している“犬”モデルのザックスは、元々水遊びが好きという性質もあって、風呂に入るのも気に入っている。
“猿”モデルのジタンはもっと器用で、ヒト言語での意思の疎通が可能なことと同様、人間と遜色変わらないほどに道具を扱うことも出来るそうだが、これもやはり訓練次第で差が出るそうだ。
ザックスとは違う犬種モデルであるクラウドは、風呂自体があまり好きではないようだが、訓練のお陰で、大人しく浸かっていることは出来るとか。

ヒト社会の中で生活することに慣れた獣人でも、その形は色々なのだ。

ラグナはシャンプーを買った時に、一緒に大きな金ダライも購入した。
バスルームの洗い場になんとか収まったそれに湯を張り、二人を呼ぶ。


「レオン、スコール。こっちおいで」


名前を呼ぶと、二人は四つ足でラグナの下まで駆け寄ってきた。
身を寄せて来るレオンと、その後ろでじっと此方を見つめるスコールを、ラグナは柔く撫でてやる。


「初めてのことだからなあ。怖くないと良いんだけど」
「がぅ?」
「ぐぅ……?」


ラグナはまず、首を傾げているレオンを抱き上げた。
スコールはと言うと、風呂場に呼ばれたが初めてのことだからだろう、訝しむように此方を見詰めている。

腕に抱いたレオンを、まずは足元から、ゆっくりと湯舟に下ろしていく。
元々水場を怖がることのないレオンは、足元が濡れた時はぴくりと尻尾をあげて反応したが、其処から先は大人しかった。
温かい湯の感触を不思議がるように、きょろきょろと首を巡らせたり、濡れた前足を舐めてみたり。

そんなレオンの後を追って、スコールもバスルームに入ってきた。
兄が落ち着いている金ダライの周りを、うろうろ、ぐるぐると周っているスコール。
タライの縁に鼻先を近付け、ふんふんと鼻を鳴らして嗅ぎまわり、馴染みのない匂いに眉根を寄せる。

ラグナは湯で濡れた指先をスコールの顔の傍に寄せた。
見知った手のひらを見付けたスコールは、其方に鼻を寄せて、くんくんと匂いを嗅いで、ぺろりとそれを舐める。


「よしよし。怖くない、怖くない。入ってみるか?」


ラグナはスコールの視線が自分の手を追うのを確認しながら、湯舟をぱしゃぱしゃと鳴らしてみた。
しかしスコールはじっと見つめているばかりで、動かなくなってしまう。


「見てるか?」
「……」
「レオンは……落ち着いてるみたいだし。じゃ、スコールは其処で待っててな」


ラグナは濡れていない手でスコールの首元をくすぐった。
警戒心が際立っているのか、喉は鳴らず、尻尾だけがゆらりと揺れた。

さて、とラグナは手のひらで湯を掬って、レオンの背中にかけてみる。
レオンは此処が危険な場所ではないと判ったのか、湯舟の中でもぞもぞと動き始めていた。
立ってみたり、座って見たり、伏せて腹をすっかり浸して見たり。
顔が濡れるのはやはり嫌なようだが、ラグナの濡れた手が触れるのは厭わなかった。

レオンの体が濡れて、毛並みが心なしか萎んで見える。
此処でラグナは、シャンプーを取り出した。


「一応、ちょっとくらいは舐めたりしても大丈夫らしいけど……レオン、気を付けような。あとでちゃんと全部綺麗にしてやるから」
「がぁう」


ラグナの言葉に、返事をするようにレオンは鳴いた。

先ずはタライの中で泡立てたシャンプーを、レオンの背中につけていく。
レオンは泡の違和感は気にならないのか、じっと大人しく過ごしていた。
背中から後ろ脚へ、下半身を泡で覆い、優しく揉むように塗り広げ、腹は圧迫しないように気を付ける。
ラグナは額に珠粒の汗を浮かせながら、努めて優しく、丁寧に、レオンの体を洗って行った。

兄の体が白い泡に包まれていく様子を、スコールは目を丸くして見詰めている。
抜けた毛と泡が混じってい浮いている湯舟に鼻を寄せ、くんくんと鼻を鳴らしては、大きく首を捻る様子が、ラグナには可愛らしくもおかしかった。


「大丈夫だぞー、レオン。スコールもな。これ、気持ち良いことだからさ」
「ぐるぅ……」


ラグナはレオンの首元を泡立て擽りながら言った。
レオンは目を細めて、リラックスした様子でラグナに身を委ねている。

顔回りは、目や口、鼻に泡が流れないように、ほんの少しだけ洗った。
元々、ごく限られたタイミングで外遊びをする以外では、専ら屋内暮らしの二人である。
兄弟でよく毛繕いもしているし、今日の風呂では、体の抜け毛が粗方落ち着いてくれれば、それで良し、とラグナは思うことにした。


「───よし。そろそろ流すぞ」


体を撫で擦るラグナの手が離れると、レオンはきょとんと見上げて来た。
もう終わりなのか、と少しばかり残念そうに見える。
ラグナはレオンの喉をくすぐって、手で掬った湯でレオンの体の泡を流した。

それだけでは泡は流し切れないし、タライに張った湯もすっかり泡だらけになっていたので、普段使っている手桶で新しい湯を張った。
真っ新な湯でレオンの体を洗い流すと、すっきりとした毛並みが彼の体のラインに沿って流れているのが目に見える。

すると、────ぶるぶるぶるっ!とレオンは大きく全身を震わせた。


「うわぶっ!」


たっぷりと水分を含んだ毛が一斉に瞬いたものだから、水玉が一気に飛び散ってラグナを襲う。

一拍開ければ、ラグナは見事にびしょ濡れになっていた。
大してレオンはと言うと、湯舟に浸かったままの足元を除いて、毛並が起きて、心持ちすっきりとした表情をしている。


「がうぅ」
「おっ」


湯舟でじっとしていることに飽いたか、もう動いて良いと思ったのか。
レオンはラグナの腹にどんっと頭を押し付けて、すりすりと顔を擦り付ける。
水気が散ったとは言え、まだ十分に濡れているレオンに腹を圧されて、ラグナは苦笑するしかない。


「はあ、すっげぇ。大変なんだなあ、お前らを綺麗にするのって」


ラグナは濡れたバスルームの床に座った格好で、レオンの頭を撫でる。

ラグナは用意して置いたバスタオルを広げて、濡れたレオンの体を包み込んだ。
ふわふわとしたバスタオルに、じゃれるように噛みついて来るレオンを叱りながら、足元までしっかりと拭いてやる。
遊びたがる子供を宥めている気分だった。

本当は此処からドライヤーを使って毛の根本まで乾かしてやるのが良いらしいが、普通の家猫でもドライヤーを嫌がる個体は多いと言う。
レオンはどうか判らないが、どちらにせよ、今日は彼も随分と疲れたようで、欠伸が漏れている。
十分に体の水分を拭き取った後は、冷えないように包んでバスルームから連れ出した。

濡れた足元が床に水溜まりを作るのは、後で頑張って掃除をするとして。
その気力が残るかなと思いつつ、ラグナはレオンをソファへと下ろし、余分な毛が流れ落ちてすっきりとしたその身体を撫でた。


「うん、綺麗になった。頑張ってくれてありがとな、レオン」
「ぐるるぅ……」
「頑張ったご褒美、用意してるんだけど……うーん、眠そうだな」


頬を撫でるラグナに、レオンの喉が小さく鳴った。
それから間もなく、レオンはソファの真ん中で丸くなり、すぅ、すぅ、と寝息を立て始める。
ラグナはソファの端に丸めていたタオルケットで、レオンの体を冷えないようにと包んでやった。

ふう、とラグナは一息吐いて、後ろをついて来ていたもう一匹に振り返る。
ぱちりと目が合った蒼い宝石は、ソファで丸くなっている兄のことが気掛かりなのだろう。
そわそわとした様子のスコールに、おいで、と手を伸ばせば、のろのろと近付いてきてくれた。

ラグナがスコールを抱き上げると、スコールはソファの上にいる兄を見た。
首を伸ばして鼻先を寄せようとする彼の頭を撫でて、よいしょ、とラグナは立ち上がる。


「次はお前の番なんだけど……お前、怖がり屋だからなあ」
「ぐぁう」
「ちゃっちゃと出来るかな。上手いやり方が見付かると良いけど」


どう工夫をしたものか。
思案しながら、兄を呼ぶように喉を鳴らすスコールの背を撫でて宥めつつ、ラグナは再びバスルームへ向かった。






[バツスコ]あなたの為に旋律を

  • 2025/05/08 21:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



ぽっかりと空いた歪を見付けたのは、バッツと二人で探索をしていた時のこと。
元々、この辺りには次元のゆがみの影響が届き易く、その所為か、イミテーションも頻繁に沸いて来ることが確認されていた。
そんな所だから、突然に歪が現れると言うのは珍しくもないが、かと言って気にしない訳にもいかない。
この歪が、混沌の大陸の何処かに繋がっていたりすると、混沌の神の影響が及ぶのは勿論、混沌の戦士たちの使い勝手の良い通り道にされる可能性もある。
入った先の空間が行き止まりになっているのならまだ良いが、それも中に入って調べてみないと判らないことだ。
若しもイミテーションの巣窟となっているのなら、それが外へと出て来ない内に、掃討しておく必要もある。

そうして中に飛び込んでみると、思っていた以上に、其処は綺麗に整えられていた。
イミテーションがいるかも知れない、と言う警戒をまるでとんだ杞憂とでも言うように、其処には人の気配や影はおろか、物が動いている様子さえない。
景色は何処かの大劇場か大ホールで、数えきれない程の観客席が整列し、最奥にはステージがあった。
ステージの緞帳は上げられており、中央には艶のあるグランドピアノが設置されている。
まるでこれからコンサートプログラムが始まるかのような状態だったが、ピアニストは勿論、観客も、導線を誘導するスタッフの姿もなかった。


「随分立派な場所だなあ」


バッツが言いながら、緩やかなスロープになっている通路を下りていく。
スコールは周囲を警戒しながらついて行った。

ホールの天井には立派なシャンデリアがあり、煌々とした明るさが一定を保っている所から、どうやら光源は電気のようだ。
と言うことは、スコールやクラウド、ティーダのような、機械の文明レベルが高い場所と言うことになるが、それ以上の事は判らない。
客席の椅子は木製かと思ったが、どうやら金属を塗装し、木材に見立てているだけらしい。
座面と背宛には凝った刺繍模様が施された布が使われていた。
素材から見る文明レベルの高さとは裏腹に、ホール全体の雰囲気はクラシックな様式でまとめられており、随分と金がかかっているように見える。

辺りを見回すバッツは、これだけ大きなホールを見た事がなかったようで、ぽかんと口が空いている。


「何処の世界の劇場だろうなぁ」
「……さあな」
「うーん。ちょっとステージの方も調べてみるか」


バッツは小走りにステージまで駆け寄って、身長とほぼ同じ高さになっている壇上へと登った。
スコールはその近くにあった階段を使い、バッツの後に続く。

ホールの広さに見合って、ステージも随分と大きい。
それなりに立派な吹奏楽団も十分に取り込めそうな広さに、今はグランドピアノがひとつだけ。
単独のピアノコンサートならこういう光景もあるのだろうが、スコールには随分とうすら寂しい光景に見えた。
コンサートならばありそうな、場を華やかに彩る為の花だとか、或いは何某かのモニュメントだとか、そう言ったものが一切置かれていないからだろう。
これだけ広いステージにぽつんと置かれたグランドピアノは、まるで片付け損ねた、置き去りに忘れられた代物のようだった。

バッツはそのピアノに近付くと、おや、と首を傾げた。


「なんだ、これ」
「何かあったのか」


ステージを見渡していたスコールが尋ねると、バッツは右手を挙げた。
今まで空であった筈のその手には、小さな紙切れが一枚。
二つ折りにしたそれは、四方5センチ程度の大きさだった。


「鍵盤の蓋に置かれてた」
「……?」


明らかに不審な置物に、スコールの眉間に皺が寄る。
たかが紙切れ一枚ではあるが、魔法系のトラップと言うのは、こういうものを触媒にして発動のキーが記されていることもあるのだ。

バッツはしげしげと紙切れを眺めていたが、持っていても何も起きないことを確認してから、折り畳まれたそれを開いてみた。
するとそこには、流麗な走り文字で、短い一分が綴られている。


「“私を弾いて!”……なんだこりゃ」


バッツが読み上げた言葉に、スコールの眉間の皺は益々深くなった。
どういう意味だ、と無言に問うスコールへ、バッツは紙切れを見せる。
其処には確かに、バッツが読み上げた通りの言葉が書かれていた。


「私を、って多分こいつの事だよな」
「……普通のピアノは文字を書いたり、自分の意思を主張したりはしない」
「そうなんだけど。此処に置いてあったからさ、文章の意図としてはそうかなって」


顔を顰めたスコールの言葉に、バッツは苦笑しながら言った。


「うーん。弾いてみようか」
「迂闊なことをするな。このピアノ自体が何かのトラップかも知れない」
「でも、見た感じは何もないだろ?」
「ピアノの内部構造は複雑だ。中に何か仕掛けられていたらどうするんだ」
「大丈夫だよ。きっと、この世界と一緒に紛れ込んできただけだ。そんなのしょっちゅうだろ?」
「……物が紛れ込んでくることはあるが、こんなメモがあるのは可笑しいだろ」
「それも子供の落書きみたいなもんだって」


確かに、歪の中で色々と珍しいものを見付けることは珍しくない。
ちょっとした利便性のありそうな道具であったり、食糧なども、安全を確認した上で持ち帰ることもあった。
その際、恐らく道具の持ち主が残したのであろうメモであったり、子供の落書きだったり、どう見ても重要度の高い報告書類であったり、そう言うものを見付ける事もある。
大抵はそれ以上の意味を成さないものなので、用途のありそうなもの以外はそのままにしていた。
持ち出したものについては、世界の制約を受けてか、歪を出た時点で消えてしまうものも儘あるが、大抵は拠点まで持ち帰っても特に問題は起きていない。

それにしたって、とスコールは如何にも意味深な走り書きのメモを見遣る。
もしもこれが、小さな子供が出入りできるような場所だとか、学校の音楽教室の類なら、子供の悪戯だと思うことが出来ただろう。
だが、こうも立派な大ホールのステージで、しかも大人でなければ書けないような書体で、妙なメモがこれ見よがしに鍵盤の蓋へ置かれていると言うのは、怪しさ満点ではないか。

スコールはそう思うのだが、バッツは気にせず、鍵盤の蓋を開けた。
その瞬間に魔物の牙でも飛び出してくるのでは、とスコールは思ったのだが、何のこともなく、其処には綺麗な白黒の鍵盤が並んでいる。

バッツは手始めに、目の前の鍵盤を適当に押した。
ぽーん、と綺麗なドの音が鳴り、空気に振動を与えながらゆっくりと消えていく。


「音はちゃんと出るみたいだな」
「……おい、バッツ」
「何処か出ないかもだけど……いや、ステージに置いてるくらいだから、ちゃんと調律はしてそうだな。埃なんかもないし」
「………」


バッツは適当に鍵盤を押しながら、音の響き具合を確かめている。
ピアノは見た限りでも綺麗に磨かれた艶があり、音も曇りなく、歪みも感じられなかった。
観客席が裕に二千は下るまいと言う立派なホールに置くなら、バッツの言う通り、きちんと整えられていなくてはなるまい。

バッツはピアノの前に置いてあった椅子を引き、其処に座ると、両手を鍵盤に添えた。
手指を弾ませながら、ぽん、ぽん、ぽん、と適当に和音を押して遊ぶ。


「うん、問題なさそうだ」


ピアノは相変わらず、大人しく其処に鎮座して、バッツの指の通りに音を鳴らしている。

それでもスコールは、油断しないように努めて警戒していた。
こうして何事もないと思った瞬間、がばりと動き出すような彫像だとか石像だとかに遭遇したのは、一度や二度ではないのだから。
若しかしたらピアノは囮で、観客席の方が一気に動き出すかも知れない、と言う所まで考えている。

しかしバッツはと言うと、鼻歌を鳴らしながら、それに合わせてピアノを弾き始めている。
始めは鼻歌と同じ音を、段々と右手、左手、鼻歌と違う旋律を奏でていた。


(……器用な奴だな……)


バッツと言う男は多芸で、技術も知識も、雑多にその体に詰め込まれている。
理屈的な部分では、科学技術やその履修の利便に長けたスコールやクラウドの方が高い部分はあるが、バッツの場合、生粋の旅人として実施で学び得た知識が多い。
技術については言わずもがなで、旅の中で実際にその身に沁み込ませたものが多かった。
そして、彼の世界の理として、“智慧の結晶”とも言えるクリスタルが齎した力によって、より様々な分野の知識を有しているのだと言う。


(そう言えば、踊ったり歌ったりもしていた。じゃあ、楽器も弾けるものなのか)


仲間たちと酒の宴で盛り上がった時、バッツは気楽に踊りも歌も披露する。
踊りは一人で出来るものから、パートナーを要するもの、団体で囲み踊るものまで選ばない。
歌もまた、メロディに乗せて口遊むものは勿論のこと、詠み聞かせる詩歌も得意だった。
センスに関してはその時のテンションに任せていることもあってか、評価は人と気分によってまちまちだが、その場ですぐに即興できる、と言うのは中々できるものではないだろう。

バッツが奏でる音楽は、スコールには耳馴染みもないものばかりだ。
スコールが知っている音楽と言ったら、ガーデンの授業で習ったものが精々で、後は恐らく、世俗で流れている流行の歌を聞きかじったくらいのもの。
それも大してメロディも歌詞も思い出せないから、きっと興味を持って聞いていた訳でもないのだろう。
テレビコマーシャルやラジオで耳に入ったものが、なんとなく印象に残ったに過ぎない。
それらと比べると、バッツの弾いている音楽は、少し民族的な音運びがあって、素朴な印象があった。

───一頻りピアノを弾き終えて、ふう、とバッツは顔を上げた。


「何もなさそうだな。このメモ、やっぱりただの悪戯なんだよ」
「……迷惑な悪戯だ」


バッツが見付けた“私を弾いて”と書かれた紙切れ。
誰が置いたのか、そもそも本当にこの世界で、このピアノを指しての言葉なのか、判った事は何もない。
ピアノは相変わらず其処に鎮座していて、勝手に動くことも、鍵盤を鳴らすこともなかった。
ずっと警戒していたスコールからすれば、無駄に神経を尖らせて、徒労したようなものだ。

はあ、と溜息を吐くスコールに、バッツは苦笑しながら言った。


「そう拗ねるなって。そうだ、折角だからちょっと休憩して行こう」
「こんな所で……」
「良いだろ、椅子も一杯あるしさ」


確かに、バッツの言う通り、観客席は二千とある。
ステージに一番近い最前列だけで、三十席程度はあるだろうか。
その中の中央位置、ピアノをほぼ真正面に捉えられる席を、バッツが指差した。


「スコール、其処座って」
「……どうして」
「お客さんになって貰うからだよ」


ピアノの椅子に座ったまま言ったバッツに、スコールはぱちりと瞬きをひとつ。
虚を突かれた表情で見つめる少年へ、バッツは歯を見せて笑った。


「リクエストあったら聞くぞ。タイトルなんか言われても、スコールの世界の曲は判んないから、欲しい雰囲気でって感じになるけど」
「……それは、……別に」
「なんでも良いか?静かな感じとか、賑やかなのとか、色々あるぞ」


バッツの言葉に、スコールは、そもそも弾いてくれなんて言ってない、と眉根を寄せる。
この空間の危険性が今の所はないと言う点は判ったのだから、用は済んだ訳だし、さっさと歪を脱出して、見回りを再開した方が良い。
スコールはそう思っているのだが、バッツはピアノ前の椅子に座ったまま、まだ立つ気はないようだ。

スコールはしばらく渋い表情を浮かべていたが、動じる様子なく見返してくるバッツに、結局根負けした。
何度目かの溜息を漏らして、くるりと背を向け、ステージを下りていく。
その背中に、バッツが声をかけた。


「リクエストはー?」
「煩くない奴ならなんでも良い」


諦念もあってぶっきらぼうになったスコールの答えに、バッツは「了解」と言った。

スコールがバッツの指定した椅子に座ると、少し頭を上へと傾けることで、ピアノ演奏者の顔が見える。
よくよく考えると、この距離から何某かのステージを観覧すると言うのは、中々贅沢なことなのかも知れない。
更に言えば、これだけ沢山の観客席があるホールに、観客は自分一人。
大ホールを自分一人の為に貸し切りにすると言うのは、現実にはどれだけの金額が必要なのか考えれば、先ず普通に経験できることではないだろう。

そして、たった一人の観客の為だけに、ステージの上でグランドピアノの音が鳴る。


(……さっきと違う曲だ)


素朴で、何処か子供の遊び心も感じる所があった、先ほどまでのバッツの演奏。
それと比べると、今バッツの指が奏でているのは、柔らかな音調と、流れるように穏やかな旋律。
聞く者の鼓膜にゆっくりと染み渡るように音を通し、凪の水面に微かな波紋を生み出すような、静かで透き通った音楽だった。

普段は自由が信条の如く、気儘に駆け出していくような男の指から、こんなにも嫋やかな音が奏でられると言うのが不思議でならない。
目を閉じれば、この音に身を委ねるようにして、緩やかに眠ることさえ出来そうだった。



演奏を終えたバッツに、「何を弾いたんだ」と尋ねても、彼は「なんだっけなあ」と曖昧に言った。
なんとなく頭に浮かんだ曲を弾いたと言うその真意を、スコールはそれ以上問うこともしない。

だから、バッツが奏でたその曲が、恋人に愛を伝える為の小夜曲であることも、知ることはなかった。





5月8日と言うことでバツスコ。
バッツってピアノマスターなんだよな~って思いまして。
スコールの為だけにピアノを弾いてるバッツが浮かんだのでした。

ゲーム内で徐々にバッツのピアノが上手くなって行く様子が結構好きでした。遊び心ですね。
クリスタルの力も影響はありそうだし、吟遊詩人は歌うし、踊り子は踊るし、竪琴は武器だしで、音楽ネタに事欠かないバッツですが、ピアノについては行く先でピアノを触って覚えて行った感じ。地道な努力。

[カイスコ]スタイリングはお気に召すまま

  • 2025/04/08 21:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



カインが他人の手で長い髪を遊ばれるのは、実の所、初めてではない。
主には親友とその恋人に、「ちょっと触らせて」と言う始まりから、「こんなに長いのなら色々な髪型が出来そうね」と言う話になり、無邪気な淑女の手で色々と飾られる機会があった。
無骨な男を飾り付けるくらいなら、自身の髪に髪飾りを挿す方がよほど有意義であろうに、何が楽しかったのやら。
親友の方はと言うと、明らかにカインの胸中は判っているだろうに、恋人の好きなように任せて、カインが花やら蝶の髪留めやらで盛られていくのを眺めていた。
そしてカインの飾りつけが終わると、淑女は次に親友の方を飾りつけしたがり、その時になって親友はようやく慌てる訳だが、カインにしてみれば良い気味である。
結局、妙齢の淑女を差し置いて、無骨な男二人の髪が華やかに彩られた。
男二人はなんとも言えない顔をするしかなかったが、淑女は大層満足したようだったので、まあ良いか、と失笑するしかなかったのは、良い思い出───なのかも知れない。

そんな事を考えている間にも、カインの髪は慣れた手付きで結わえられていく。

平時、大した手入れもしていない金色の髪を梳いているのは、ユウナの櫛だ。
木製の少し古びた櫛は、彼女が元の世界で親しんでいた私物らしく、此方の世界ではモーグリショップに偶々並んでいたのを見付けて買い戻したのだとか。
その櫛を手にカインの髪を整えているのは、ティファだった。
敵を前にすれば、握り締めたその拳で相手を粉砕せんばかりのパワーを持つ手は、今は随分と優しい手付きを見せている。
料理を得意としていることもあり、戦闘スタイルとは裏腹に家庭的な側面を持つティファである。
人の髪の手入れもお手の物なのか、存外と細い指は、丁寧に金糸の絡まりを解き、櫛を通して艶やかな髪を整えている。

親友とは違い、癖のないカインの髪の毛は、満遍なく梳き終えると真っ直ぐに背中に落ちる。
ティファが持っていた櫛を、傍らでじっと見守っていたユウナに返した。
だが、髪を梳き終わっても、カインはまだこの場から離れることは出来ない。
寧ろ女性陣の本気はこれからだ、と言うことを、カインは遠い経験則で知っていた。


「毛が細いからかな。すごく綺麗に整ったね」
「良いなあ。私、すぐに絡まって、寝癖とかついちゃうんです」
「ユウナの髪は柔らかいものね。カインのはもうちょっと、固い感じがする。でも細いから、こう、するっと滑るのね」


ティファの手がカインの髪を一房掬う。
毛先を緩く持ち上げて行くと、硬質な髪の毛の束は、ティファの指から逃げるように梳き落ちた。


「これだから兜をそのまま被っても絡まらないのかしら」
「……さあな」


感心したように言うティファに、カインは溜息交じりに言った。

自分の髪質など知ったこともないが、確かに、兜を脱ぐ時に引っかかりが少ないのは助かっている。
そうでなければ、長い髪など邪魔にしかならないから、適当に切って捨てていただろう。
……過去にそうしようとした時には、随分と必死な顔で反対してきた二人がいたことは、カインと他当事者だけが知る出来事であった。

ティファとユウナは、一頻り髪を眺めた後、よし、と意気込んだ表情を浮かべる。


「じゃあ、どんな髪型にしようかな」
「三つ編みはどうですか?この長さなら出来そうだし、カインさん、似合うと思うんです」


ユウナの無邪気な提案に、カインは眉間の皺を深くするが、背中側に立っている女性二人は気付かない。
ティファが「良いわね」と言うものだから、話は決まった。


「輪ゴムかリボンが欲しいかな」
「髪留めに出来るものですね。私、取って来ます」
「私の部屋にもあると思うわ。机の引き出しにあるから、開けて良いよ」
「はい」


ユウナは弾んだ足取りでリビングダイニングを出て行った。
それと入れ違いになって、一人の少年が、ユウナの開けた扉の隙間からするりと部屋に入ってきた。

濃茶色の短い髪に、モノクロで整えた衣服。
額に特徴的な傷のある、蒼灰色の瞳を持った、細身の少年───スコールだ。

スコールはユウナが駆けていくのを見送る形か目で追った後、首を傾げながらダイニングに入り、其処にあるものを見て目を丸くした。
鎧を脱いで布服に身を包んだカインが、ダイニングテーブルの椅子の一脚に座り、ティファに髪を結わせているのだ。
何とも奇妙な光景に鉢合わせてしまった彼の気持ちを、カインはなんとなく察する。
変な所に来た、そして、長居をしたらきっと面倒に巻き込まれる……と、そんな所だろう。

驚きか混乱か、戸口で固まっているスコールに、ティファが髪を触りながら気付き、


「あ、スコール。どうしたの?」
「……いや……その……水を、貰いに来た」


いつも通りの顔で用向きを尋ねるティファに、スコールはぎくしゃくとしながら、なんとか答える。


「お水ね。ちょっと待ってね」
「……自分でするから問題ない」
「そう?うん、良いか、スコールならつまみ食いもしないもの」


ダイニングの奥にあるキッチンには、ティファが夕飯の為に仕込んだ鍋が鎮座している。
食べ盛りの中には、これを無邪気につまみ食いして行く悪童もいるのだが、スコールはその点は心配いらない方だ。
どうぞ、とキッチンへの進入を咎めないティファに、スコールはそそくさとした足で目的の元へと逃げ込んでいった。

廊下へのドアが開いて、ユウナが戻ってきた。
喜色一杯の表情を浮かべた彼女の腕には、ある限りを持って来たのだろう、様々な色や模様のヘアアクセサリーが抱えられている。


「選び切れなくて、皆持ってきちゃいました」
「良いね。じゃあユウナ、カインに似合いそうなものを選んで」
「……男に似合うものなぞないだろう」


女性二人の無邪気なやり取りに、カインは言わずにいられなかったが、ユウナは「そんなことないですよ!」と目を輝かせる。


「カインさん、リボンが似合うと思うんです。金髪だから、こっちはちょっと抑え目の色にして……」
「この紺に銀のラインが入っているのが良いんじゃないかな。ラインが細いから、派手にはならないし」
「良いですね。華やかだけど落ち着いた色合いです。あと、結び目にはこれを合わせて───」


三つ編みに組んだカインの髪に、ティファが選んだ紺のリボンが結ばれる。
綺麗な蝶結びにされたリボンの結び目に、ユウナが小さな緑色のストーンを宛がった。
こっちかな、こっちが良いかな、と数種の石を比べて悩むユウナだが、カインにはそれらの石の違いと言うものが判らない。
魔力を帯びている様子もないから、本当に髪を飾る為だけのアイテムなのだろう。

きゃっきゃと楽しそうな女性陣は、まだまだ飽きてくれそうにない。
カインはそれにされるがままに任せつつ、いつになったら終わるだろうかと、ひっそり溜息を吐いていた。

と、じんわりとした視線を感じて、カインは目だけでその方向を見遣る。
キッチンの戸口を背にした位置に、相変わらず神妙な面持ちをしたスコールが立っていた。
蒼灰色の瞳は、女性陣の玩具になっている竜騎士に対して、少々哀れみの空気を混じらせている。
長引きそうな女性陣の戯れに付き合わされる格好のカインに、同情めいたものを抱きつつも、触れはするまいと遠巻きに済ませようとしているのが判った。

判ったので、カインも彼の存在には触れてやるまいとしていたのだが、


「あ、スコールさん」
「!」


ユウナのオッドアイがばっちりとスコールを映して、嬉しそうな声が名を呼ぶ。
呼ばれた当人は、しまった、とばかりに肩を竦ませていたが、幸いと言うべきか、ユウナはそれに気付いた様子はなく、とたとたとスコールの下へ駆け寄った。


「カインさんの髪を触らせて貰っていたんです。スコールさんもどうですか?」
「い、や……良い。結構だ」


楽しい気持ちからか、いつになく溌剌と話しかけて来るユウナに、スコールは半身を引きつつ辞退を述べる。
そんなスコールに、ユウナは至極残念そうに眉尻を下げていたが、ふと、


「そう言えば……スコールさん、前髪、邪魔じゃないですか?」
「……いや、別に……」


ユウナの言葉に、スコールは眉間に皺を寄せつつ半歩下がる。
嫌な予感を感じた、と言う彼の勘は、決して外れてはいまい。
だが、それならユウナとティファが此処にいる間は、キッチンに隠れている方が無難だったに違いない。

ユウナの言葉を聞いてか、ティファが「そうよね」と言った。


「スコールの髪、目元にかかって来てるもの。目に刺さったりするんじゃないかな?」


言いながら、ティファはカインの三つ編みを結ったリボンに、ユウナが選んでいた石を飾り付ける。
結んだリボンの紐に挟み入れて固定した薄緑色の石が、照明の光を反射させて柔く閃いた。

これで良し、とカインの出来に納得したティファは、すぐさまテーブルに置いていた髪留めのひとつを取って、スコールの下へ。


「スコール、ちょっと前髪を上げるね」
「な、おい、待て」
「留めるだけよ、大丈夫。変な事しないから」


小さな子供を宥めるように言うティファの手には、銀色のシンプルなヘアピン。

ティファはスコールの前髪を横に流し、ピンを通して固定させた。
柔らかな濃茶色の前髪は、いつもスコールの目元に薄くカーテンを作っていたが、それがなくなると蒼灰色の稀有な色味がくっきりと主張する。
額の傷も隠されなくなり、額が広く見えるようになったからか、雰囲気や輪郭の割に、幼い顔立ちが其処にあった。

スコールの目元がすっきりと確認できるようになって、よし、とティファが満足げに頷く。


「うん。スコールは髪が茶色だから、白とか黄色みたいなのが良いかなとも思ってたんだけど。こういうシンプルなのも良いね」
「似合ってます、スコールさん」
「スコールの前髪、いつも気になっていたのよね。目に入ったりしそうだなって。そのヘアピン、似合ってるからあげるね。好きに使って」
「……」


楽しそうなティファとユウナに、スコールの唇は真一文字に紡がれている。
蒼の瞳が言いたいことが幾らもありそうだったが、辛辣な物言いが時折見られるスコールでも、この状況で女性を相手にそれを吐く事は憚られるようだ。
それが正しい、と長らく椅子に座って人形に徹していたカインは思う。

ただいま、と言う声が廊下の方から聞こえて来た。
探索か哨戒に言っていた者が帰ってきたのだろう。
何やら誰かいないかと呼ぶ声があって、逼迫した声ではないものの、どうも手がいるらしい様子に、ティファとユウナが仲間たちを迎えに行った。
残ったのは、無言で立ち尽くす少年と、ようやく動くことを許されたカインのみ。


「やれやれ。何故女と言うのは、他人の髪を触りたがるんだかな」
「……」
「お前は運が良かったぞ、スコール。それひとつで済んだんだから」
「……」


カインの言葉に、スコールから言葉の反応はなかった。
代わりに、じろりと蒼の瞳が睨んでくる。
しかし、自分以上に髪を遊ばれたカインの様相を見てか、スコールは呆れか諦めを混じらせた深い溜息を漏らすのみであった。

スコールの左手が髪に留められたヘアピンに触れる。
好きに使えと言ったって、と尖らせた唇がありありと胸中を語っていた。


「……どうしろって言うんだ、こんなもの。似合いもしないのに」
「そうか。案外、お前に合っているように見えるがな」
「……あんたの方こそ、よく似合ってる」


カインの言葉に、スコールはじとりと湿った目で睨みながら言い返す。
わかり易い皮肉の遣り取りに、カインは肩を竦めた。

スコールは剥れた表情のまま、手探りでヘアピンを外そうと格闘している。
結局、髪の毛を滑らせる形でやや強引に外すと、傷んだ髪の生え際を指で摩って宥めた。
はあ、と何度目かの溜息を零しながら、スコールは前髪をいつも通りの形に手櫛で直す。
そうすると、さっきまではっきりと晒されていた蒼灰色の宝玉が、途端に隠れるように前髪の奥に引っ込んでしまう。

カインは徐に手を伸ばして、スコールの前髪を指で寄せた。
突然のことにスコールはぱちりと目を丸くして、額を滑るカインの指にされるがままになる。


「何、」


スコールは鬱陶しそうにカインの手を払おうとするが、カインは意に介さなかった。

額の傷が露わになり、長い睫毛を携えて、困惑の様子を滲ませる蒼灰色が訝しそうにカインを見上げる。
そうしてカインは、海の底のように深い蒼の瞳が、存外と丸く幼い形をしていることを知った。

だからどう、と言う訳でもない。
だが、なんとなくカインは満足した気分になって、スコールの前髪を抑えていた手を離す。
柔らかな髪は多少の癖がついたが、直ぐに元の形に戻って、またスコールの目色に翳を落として隠した。

帰還した仲間たちが、腹を空かせてダイニングへとやって来る。
夜には早いが、それでも構わないだろうとティファがキッチンへ向かったので、今日は少し早い夕食になりそうだ。
手伝える者が手を挙げてティファの下へ行く傍ら、その手の事に疎い面々は、邪魔をしないようにダイニングで食卓が整うのを待つ。
その間に他の仲間たちも揃ってくるだろうから、リビングダイニングの静寂は、もうとんと帰っては来るまい。

バッツとジタンが、立ち尽くしたスコールを見付けて声をかける。
どうしたよ、と尋ねる声に、スコールは当惑した表情のまま、「……別に何も」とだけ答えたのだった。





4月8日と言うことでカイスコ。
金髪を色々いじられているカインの所に居合わせてしまったスコール、が浮かんだもので。
012のタイミングだとスコールは随分ツンツンしている頃なので、あまりカインとは話をしなさそう。
なのでお互いそんなによく知らないんだけど、どっちも人との距離感がややバグってる所ありそうで(カインの方が大人なので平時は適当な距離取ってそう)、一瞬急に近かったみたいな時があったら良いなと。

[オニスコ]無意識の扉

  • 2025/03/08 21:00
  • Posted by k_ryuto
  • Category:FF



秩序の聖域から半日ほど行った谷合に、小さな温泉があった。
グルグ火山の裾野に近い場所にある其処には、マグマの熱により地下から湧き出る間欠泉があり、その湯が近くの川へと流れ込んでいる。
間欠泉の場所からやや川下へと行くと、別の川が合流しており、沸騰湯と水が交じり合って程好い温度に冷まされる。
その湯が流れ込む小さな泉が、温泉として、付近に生息している動物たちの溜まり場を形成していた。

秩序の戦士たちにとっては、少々遠いが、ちょっとした息抜きに利用できる代物だ。
風呂は彼らの拠点である屋敷にもあり、日々の疲労を癒すに十分役に立っているが、天然の露天風呂と言うのはまた格別であった。
また、どうもこの温泉に入ると、傷の治りが良くなっている。
成分として正しい反応なのか、神々の闘争の世界と言う特殊性が何某かの恩恵を作っているのかは判らないが、此処に入っている間に、真新しい傷がすっかり跡形もなく消えると言うのは事実だった。
混沌の戦士やイミテーションとの戦いに明け暮れる戦士たちにとって、うってつけの保養地なのだ。

谷合の付近に歪はなく、イミテーションも確認されたことはない。
野生の動物や魔物はいるが、温泉に浸かっている間は、まるで暗黙の了解のように大人しかった。
とは言え、全くの無防備で行って良いと言うほど、この世界は甘くはない。
特に混沌の戦士は、こういった場所にこそ姦計を謀って来るのが想像に難くなかったし、湯舟に全身を浸かりたいなら裸になる訳で、この状態で襲われると支障は尽きない。
念の為に、行くのならば最低でも二人連れで、と言う安全策が、秩序の戦士たちの間で決定した。

今回、ルーネスがその温泉に行こうと思ったのは、右足の傷の治りがどうにも思わしくなかったからだ。
傷そのものの深さで言えば大したことはないのだが、走ると痛みがある。
小柄であるが故に、素早さを生かした戦術を取るルーネスにとって、足元の具合が悪いのは良くない。
じっとしていれば時間をかけて治るとは思うが、戦闘はいつ何処で始まるか判らないのだ。
出来るだけ早く治したい、と言う気持ちから、件の温泉に行ってみることにした。

それで、一緒に行ってくれない、と声をかけたのが、スコールだった。
何故スコールだったのかと言えば、仲間たちの予定の中で、偶々手を空いていたのが彼だった、と言う簡単なことだ。
そしてスコールの方も、「俺も行こうと思っていた」と言った。
どうやらスコールも背中に新しい傷があるとかで、然程の痛みはないが、治るものなら早く治しておきたい、と言うことらしい。
これで同伴者は決まった。

片道半日のルートなので、朝に出て、着く頃には昼だ。
湯気が立ち込める場所まで来た時には、太陽は南天高くに登っていた。
ルーネスたちは拠点から持って来た缶詰で小腹を満たして、早速温泉に入ることにする。


「僕が先でも良い?」
「ああ」


兜を外しながら言ったルーネスに、スコールは頷いた。

この温泉の近くで争いごとが起こった事はなかったが、万が一の可能性はいつも尽きない。
二人で行って、二人とも無防備な格好になっては、何の為の二人行動か判らない。
これがバッツやティーダなら、「大丈夫だって」「なんとかなるっスよ!」と湯舟を共にする楽しみを優先させるが、今日のルーネスの同行者はスコールだ。
傭兵らしく安全確保は気を抜いてはいけないことだと、先の見張り役をすんなりと引き受けた。

ティーダなら豪快に服を脱いで温泉に飛び込みでいくが、ルーネスはそうする気にはなれない。
スコールが見張り役にと座った岩の傍に、もう一回り大きな岩がある。
其処に隠れるように身を寄せて、ルーネスは鎧具足を全て外した。

湯気を立ち昇らせている水面の温度を手指で確認し、まず傷のない足から入る。
足元を安定させてから、右足を湯に浸すと、流石に滲みる痛みがあった。


「う~……っ」


それを数秒、歯を噛んで堪えて、落ち着いてから右足も水底に下ろす。
じくじくとした痛みに反射的に眉根が寄ったが、これさえ我慢すれば、後はきっと大丈夫だ。

血の巡りによる傷回りの違和感を乗り越えて、ルーネスはやっと落ち着くことが出来た。
少し熱めの湯に全身を着けると、日々の疲労で強張った躰の筋肉が解れて行く。
ほう、と一つ息を吐いて、ルーネスは両手で掬った湯で顔を洗った。


「はあ……」
「落ち着いたか」


緩めた吐息を零したルーネスの後ろから声がかけられる。
肩越しに振り返ると、湯煙の向こうに、岩に腰掛けてガンブレードを膝に置いたスコールが見えた。


「傷の具合は」
「ちょっと滲みるけど、大丈夫。ごめんよ、しばらく待たせると思う」
「問題ない」


この温泉の効能は確かなものだが、瞬時にその効果が現れる訳ではない。
指先の切り傷でも、五分程度は入っていないと、目で見て分かるまでに癒えは発揮されなかった。

ルーネスの足の傷は、深くはないが、少々幅広の痕がある。
それの全てを消そうと思ったら、長湯をしなくてはなるまいが、別に其処まで急いで治そうとは思っていない。
今日の所は痛みの緩和と、少しばかり傷の色が薄くなってくれれば、上々だ。

ルーネスはじんわりとした熱が傷の辺りに現われているのを感じつつ、けれども其処に痛みらしい感覚はないのを確かめながら、湯煙の向こうを見て言った。


「スコールは背中だったよね。大きい傷なの?」
「見た目だけは。深くはない。ファイアを掠めたものだから、軽く火傷になっているらしい」


背中は自分で見えないから、これは治療の為にそれを診たバッツの言だとのこと。
ケアルで治しても良いのだが、魔法を使うとなれば使用者のエネルギーを消費させてしまうから、無作為には頼れない。
だから回復魔法と言うのは、緊急に治癒した方が良い、と言う場合と、強い毒を持つ攻撃を喰らった時に、それを除去する為に利用すると言うのが主な手段となっている。
バッツ曰く、今回のスコールの傷は、それ程の緊急性はない、とか。

とは言え、この世界では、傷と言うのは早めに治ってくれた方が良い。
その為に頼れるものがあるなら、一度くらいは与っておこうと思っていた所へ、ルーネスから同伴の誘いがあったので、丁度良かったのだ。

同行者がスコールだったお陰で、ルーネスはのんびりと湯舟を楽しむことが出来た。
これが賑やか組なら、泳ぐだの水の掛け合いだの、とかく騒がしくなったことだろう。
そう言った雰囲気も決して悪いものではないし、巻き込まれた時には眉尻を吊り上げるルーネスだが、結局は後からそう嫌な気持ちになるものでもない。
だが、それはそれとして、やはり穏やかに過ごす一時と言うのは恋しいのだ。
無口勝ちで淡々としているスコールの性格は、こんな時は有難かった。

十分は浸かっただろうか。
ルーネスが足の状態を検分してみると、傷跡は薄らと残っている程度になり、立って足を踏ん張ってみても痛みはない。
駆け回るとなれば負荷のかかり方も違うから、また痛みは出るかも知れないが、今日の所はこんなもので良いだろう。


「上がるよ、スコール」
「判った」


ルーネスの報告に、スコールからは短い返事のみがあった。

湯舟を上がったルーネスは、持ってきていた絹布で手早く体を拭き、装備を身に着ける。
血の巡りが良くなって火照った身体に鎧の感触は少々冷たかったが、その内に熱が移っていくだろう。


「───見張りありがとう、スコール。交代しよう」
「ああ」


ルーネスがスコールに声をかけると、スコールは手にしていたガンブレードを仕舞った。
湯舟の方へと向かうスコールの背を見送って、ルーネスは彼が座っていた場所に腰かける。

入浴の準備をするスコールの気配を背中に感じながら、ルーネスは辺りを見回した。
温泉の周りは疎らに木があり、地面は少し背の高い草が生えている。
木々の隙間の向こうに、鹿か何かの陰があったが、それは此方を伺うようにうろうろとして、近付こうとはしていなかった。
湯舟に入りたい野生動物なのかも知れない。
此方を警戒している様子を、一応の注視をしながら、ルーネスは見張り役の仕事を淡々と熟していた。

ざぷり、と水の中に入る音が聞こえる。


「ん……」


小さく唸る声がルーネスの耳に届いた。
背中の火傷と言っていたか、とルーネスは湯舟の方を見る。
泉を囲む岩の隙間から、微かにスコールのものと思しき影が見えた。


「痛むの?」


声をかけてみると、スコールは僅かに間をおいてから、


「……多少。まあ、今だけだろう」
「そうだね。傷に水が当たるから、どうしたって最初は滲みるし」


不可思議な癒しの力を持つ泉と言っても、やはり最初に感じるのは、傷口に水気が触れる違和感だった。
だから最初はどうしても顰め面で我慢する時間がある。
其処から数拍してから、じわじわと癒しの効果が現れてくれるのだ。

スコールの傷の具合がどれ程なのかは知らないが、ルーネス同様、しばしの入浴時間は必要だろう。
その間に何か起きないと良いな、とルーネスは湯舟の方を見た。
それは、泉を挟んだ向こう岸の方から何か悪いものが来ないかと、真っ当に警戒しての行動だった。
湯煙の立ち込める場所だから、生憎と湯舟の向こうはすんなりと見通す程にはなくて、少々目を凝らしたり、首を伸ばしたりとしていると、───ざば、と水の中にいた人が立ちあがる。

恐らくは、もう少し深い場所に移動しようとしたのだろう。
ひょっとしたら、背中の傷と言うのが、肩に近い位置まであったのかも知れない。

薄靄のように視界を覆う湯煙の向こうに、水の滴る肢体があった。
その身体がタイトな見た目に反して、しっかりと引き締まった筋肉がついている事は知っているが、秩序の戦士に関わらず、この世界に召喚された者の半分は頑健なシルエットをしている。
色白ではないが、ティーダのように健康的な日焼けをしてはいないので、どちらかと言えば白い方だろうか。
それが温泉の熱で温まり、血の巡りが良くなったお陰か、ほんのりと火照っている。

引き締まった細い腰骨に、水の艶が撫でるように滑って行くのを、ルーネスは見た。
小さな水の粒が、太陽の光をきらきらと反射させながら、桜に色付いた皮膚の上を辿り、下肢へ。
瞬間、どくん、としたものがルーネスの胸の奥で跳ねる。


「……!!」


途端に、ぶわ、とルーネスの顔が熱くなった。
頭が揺さぶられたように仰け反って、ルーネスは訳も判らないうちに、腰かけていた岩の後ろにひっくり返った。

どしゃっ、と言う音が聞こえたのだろう、ばしゃっと水の音が響き、


「ルーネス!?どうした」


見張りをしていた者が倒れ込んだ訳だから、すわ敵襲かと思うのは当然だろう。
ルーネスは慌てて起き上った。


「だ、大丈夫!ちょっと滑っただけ」
「……そう、か」


ごめん、と詫びながらルーネスは湯舟の方を見た。
そうして、人の動きによる空気の流れか、僅かに晴れた薄靄の向こうに、佇む青年を見付ける。

背中を見た時と同じく、火照った肌色が佇んでいる。
蒼灰色は剣呑を帯びて、周囲をくまなく警戒していたが、その傍ら、立ち尽くす肢体は無防備に肌を晒していた。
湯浴みをしていたのだからそう言う格好なのは当たり前だ。
だが今のルーネスに、それは随分と致命的な衝撃を混乱を与えていた。


「…………!!!」


喉の奥から上がりそうになった、言葉にならない声を、寸での所で押し留める。
ルーネスはさっきまで座っていた場所に座り直して、岩風呂からはっきりと背を向けた。
うっかり其方を見てしまうことのないように。

しばらくしてから、スコールはもう一度、湯舟に身を浸したようだった。
其処からまた少し時間が経ってから、水を上がる気配があって、身支度を整える気配がする。
その間、ルーネスはずっと、岩に腰かけた自分の足元を見つめていた。

足音が近付いてきて、ルーネスがそろりと其方を見ると、衣服を普段通りに整えたスコールがいる。


「……も、もう良いの?」
「ああ」


早いんじゃないだろうか、自分の挙動不審の所為ではないだろうか。
そう思ったルーネスだったが、スコールは「十分入れた」と言う。
本人がそう言うのなら、況してや格好も整えてしまった後なら、もう一度どう、なんて薦めるのも可笑しいだろう。

滞在時間は、おおよそ一時間程度。
これからまた、半日をかけて秩序の聖域まで戻ることになる。
その間、ルーネスは傍らを歩く青年の方を碌に見れなかったのだが、幸いにも道中の襲撃はなく、スコールもそんな少年の様子には気付かぬままなのであった。





3月8日と言うことで、オニスコ。

スコールって思春期ですが、オニオンナイトも十分思春期な年齢だと思うんですよね。
湯煙温泉の誰も知らない(本人たちも知らない)事故みたいなもの。
無自覚に少年の性癖を歪ませる年上の受は好きです。

Pagination

Utility

Calendar

05 2025.06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

Entry Search

Archive

Feed